反日保守と憲法業者の擬態
日本国憲法改正論の欺瞞

憲法学者の使命は憲法を守ることです、憲法でないものを守る使命はありません。
憲法破壊が起こりそうになったとき、そう、あの戦争末期我が国が被占領下にいたような時期にこそ、一般国民以上に憲法(帝国憲法)を守りぬくべき責任があったのです。
もし、被占領期にいろいろあったとしても、そのあとがね・・・
ここで、ふりかえって想像してもらいたい。被占領期に八月革命説を唱えて有効論を発した自称学者がいたそうですが、そんなのは、占領期を生き抜くための便法だろうということで、もし誠実な学者であれば、そんな論理をひきつぐ人間などいなかっただろうし、そんな論理になびかなくとも、だまっておくくらいの勇気をもてたはずでした。
もし被占領期はいたしかたなかったとしても、占領解除後に、それも直後でなく、数十年たったあとでも ポツダム宣言受諾→「日本国憲法」発布→サ講和条約の締結、これらの法的意味は講和独立(戦争終結)に向けた条件整備、つまり帝国憲法13条に基づく一連講和条約だったのだという説明ができたはずです。
これなら現実社会の法的安定についても全く支障がないし、「日本国憲法」の出現は帝国憲法75条に違反しながらの73条の強引な適用による憲法成立のレベルではなくて、帝国憲法13条稼働による国家間合意による下位規範としての成立であったと説明されるだけで十分であったはずです。
この二重構造憲法論(新無効論)においては天皇が戦後空間において「日本国憲法を守り」とか「日本国憲法に従い」とおっしゃったこととも不整合、不都合は起こり得ません。また、独立回復の理論、つまりサ講和条約締結(=交戦権の行使)権限も帝国憲法13条によるものだと説明がつきます(日本国憲法が憲法なら講和条約締結権限はみつかりません)。憲法学の権威をとりもどすための修復時間は占領解除後でも十分ありました。何十年と時間がありました。
それなのに独立回復後も保身学者がその「日本国憲法」の生みの親である帝国憲法を守らないで率先して破壊しようと努めてきたことが間違いなのです。
真の国賊、戦争犯罪人がどこに居るかはあきらかでしょう。
その結果60年たっても「日本国憲法」は詐術的論理ばかりで憲法として有効にならないのです。
戦後空間に欠落している思考法は、昭和16年~昭和27年の11年間の戦争期間に起こった事象の法的意味を戦争期間の始期(宣戦)の根拠となった帝国憲法の規定に則り捉え直すということです。そしてその期間の終期も根拠は何によるのかということを問うことです。
ことの発端は通常なら帝国憲法という親が子「日本国憲法」を(講和条項によって)意味づけるはずなのに、 GHQの指令どおり、いきなり「日本国憲法」に(革命説等によって)親を食い殺させようとした似非学者、敗戦利得者が居たからです。 そして独立回復後もそれの論理の修復をだれも行わないままに欺瞞の業界利権をまもりつづけた敗戦利得者、憲法破壊学者の群れがいたからです。
ポツダム宣言に違反した「日本国憲法」の押し付けは広島長崎における原爆投下とともに、連合国の国際法違反の行為(つまり戦争犯罪)として大いに糾弾されなければならない性質のものです。
もし、日本人の中に原爆投下は正しいという主張をすることを生業にしている業者がいたらそれは、「原爆投下という戦争犯罪の正当性」を生業にしている連合国の代弁者であり戦争犯罪の承継人、つまりその者も戦争犯罪人と同視されるべき国賊だとわかるでしょう。
そうであるなら「日本国憲法」という思想爆弾の投下は正しい(=有効)ということを独立回復後にも生業にしている業者がもしいたら、その者は「思想爆弾投下という戦争犯罪の正当性」を生業にしている連合国の代弁者であり戦争犯罪の承継人、つまりその者も戦争犯罪人と同視されるべき国賊だとわかるはずです。
これは左右を問いません。「日本国憲法」という思想爆弾の投下は正しい(=有効)ということを独立回復後にも生業にしている業者は右にも左にも居ます。
保守の皮をかぶっている側にも居ます。国賊の目印は何か?それは日本国憲法有効論です。この国賊は直接あからさまに護憲論のように「日本国憲法は有効だ」とは主張しません。無効論者と敵対した時だけ本性をさらけ出し破綻した有効論を披露してくれます。
普段は、そんなことをするよりも、正統性問題(効力論)を正当性問題(内容論)に論点をすり替えながら、有効を前提として、問題の本質よりわざとあと一歩先へ論理を飛躍させて「改正しろ!」と太鼓を鳴らす方が保身に有力であることを知っているのでしょう。
そして保身が原因の、思想爆弾を有効と扱うことから生じてくる現象(皇室典範、歴史認識、靖国、謝罪外交、教育、戦後思想)等にいちいち他人事のように嘆いてみせて、敵は左翼護憲派だと指さすことで自分の憂国ぶりが披露できるという算段になっています。
この者にとっては、打算から始まった擬態の演技であっても、いまでは反日の度合がさらに顕著に見えている者を指さす側に立つことで、自らの邪な憲法論も憂国の信念の発露であるとの自己暗示をかけています。この欺瞞の自己暗示からは恐ろしくて脱出ができないでしょう。この自分の中にある欺瞞の自己暗示を見ないようにするために「日本国憲法」という思想爆弾(原因)の存在が引き起こす個々の戦後現象には敏感に反応します。
大きな敵対 有効論←→無効論
小さな敵対 護憲論←→改正論
この小さな敵対を演じる護憲派護憲論と護憲派改正論には目指す共同の利益があります。それは「日本国憲法」が憲法としてあたかも有効であるかのような風潮が続くことです。小さな敵対を声高に演じれば演じるほど問題の在処を不明にさせる、大きな敵対をなきものにできるとでも考えているのでしょう。猿芝居たる所以です。
正統性問題(効力論)を正当性問題(内容論)に論点をすり替えているのです。
「日本国憲法」護憲派護憲論も「日本国憲法」護憲派改正論もどちらも反日保身論です。特に改正論は憂国を装った擬態を用いた反日です。
護憲派護憲論は、連合国による「日本国憲法」という思想爆弾の投下は正しい(=有効)と言っています。けれども護憲派改正論も、連合国による「日本国憲法」という思想爆弾の投下は正しい(=有効)と言っているのです。このように改正論と護憲論は根本的に敵対していない互いに味方同士です。両者とも連合国の味方であって先人の味方ではありません。
そしていつのまにか、大衆もほとんどが「改正しろ!」といい、連合国による「日本国憲法」という思想爆弾の投下は正しい(=有効)と言っています。
それなら「東京裁判」という思想爆弾も正しいはずではないのですか?
繰り返します。
憲法の権威をとりもどすための修復の時間は占領解除後に十分ありました。何十年と時間がありました。小さな敵対を演じる擬態の保身勢力はあと何十年問題解決を先送りするのですか?
正統性問題(効力論)から正当性問題(内容論)への論点すり替えは、いつまで続けるつもりなのですか?
何が正当かをだれが判断するのですか?60年間の異体の中で飼い慣らされた非日本人に成り果てている今の日本人が正当性を判断するのですか?
そうではないでしょう。
正統性問題の解決さえまちがわなければ保守論壇村が声高に言う正当性(憲法の内容)問題など自然とあとからついてきて決着できるというのが物事の道理です!
ズバリと本質を突くzansyouさんの文章を転載します。
http://blog.livedoor.jp/inosisi8000/archives/1881012.htmlallcmt/#C237338
2007/04/15 22:21
zansyou さん
日本国憲法改正論の方向性はよくわかりません。天皇陛下が元首であることを明確にするとか自衛隊が軍隊であることを明確にすることくらいが目標だろうと想像しています。こんなことは帝国憲法からすれば条文に根拠があることなので政治の課題にもなりません。戦後日本人は、天皇陛下が元首であるか否かとか自衛隊が軍隊であるのか否かという問題で分裂させられたこと、このようなことが政治の重要なテーマであると思わされたことを恥じたらどうかと私自身の反省も含めてそう思います。
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ブログもくじ
新無効論概略
新無効論概説・問答編
新無効論の目的・論理概略・現実対処法
新無効論と旧無効論
憲法違反と条約違反
改正?破棄?廃止?無効確認?
大日本帝国憲法75条違反
法律論議以前!事実関係からの無効
日本国憲法の死亡
日本国憲法の誕生 ―― 日本国憲法は講和条約の限度で有効
正統な国家理念回復法・原状回復論
日本国憲法改正論の欺瞞
憲法業者のペテンにひっかかるな!
法定追認有効説の論理破綻
追認有効説の変形――事実の規範力
保守の思想と保身の欲望
追認有効説の破綻と自画自賛
改憲派は「保守」派ではない!小山常実
4月28日問題!大東亜戦争はどうやって戦争終結できたの?
護憲派改正論者に告ぐ!
本当の承詔必謹論(1)
本当の承詔必謹論(2)
護憲派護憲論と護憲派改正論は蚤の曲芸!
憲法改正とは祖先との協同作業のことである
憲法学者の騙しテクニック
元凶は東大法学部
(1)「君主殺し」を叫ぶ国立国会図書館HP監修者
(2)「君主殺し」を叫ぶ国立国会図書館HP監修者
大日本帝国憲法に殉死・清水澄博士
「祓庭復憲」現行憲法無効宣言
「憲法無効宣言」南出喜久治講演録
現行憲法と皇室典範
現行憲法と皇室典範
現行憲法と皇室典範
橿原の宮のおきて
神聖をもとめる心
神の差し替え工作(2-1) 神道神学論考
神の差し替え工作(2-2) 神道神学論考
史上最悪宗教「利を権ることを尊べ!」
「生きていく」と「生かされている」
欽定憲法とは76箇条の御誓文
(動画)大日本帝国憲法とは?
大日本帝国憲法とは何か 3-1 小山常実
大日本帝国憲法とは何か 3-2 小山常実
大日本帝国憲法とは何か 3-3 小山常実
國體の下に 序章
國體の下に 1-1 何が私たちを決めるのか
國體の下に 1-2 何が私たちを決めるのか
國體の下に 2 生きている者だけの天国
國體の下に 3 命と人権を越えるもの
國體の下に 4 憲法の向こうにあるもの
國體の下に 5 すべては國體の下に
戦後の「疚しさ」(1)
戦後の「疚しさ」(2)
再考 皇室典範改正 議論すべき五つの論点
再考 皇室典範改正 議論すべき五つの論点
日本国憲法の正体
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-1)
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-2)
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-3)
日本国憲法の誕生-1/政府草案/松本乙案
日本国憲法の誕生-2/松本乙案≒民間草案
日本国憲法の誕生-3/GHQ案押付プロセス
日本国憲法の誕生-4/ポツダム宣言違反
日本国憲法の誕生-5/GHQ統制帝国議会
日本国憲法の誕生-6/其ノ筋ノ意向「国民主権」
日本国憲法の誕生-7/皇室自治・職能代表制
日本国憲法の誕生-8/第9条修正ドタバタ劇
日本国憲法の誕生-9/占領軍制定無効憲法
焼け跡から生まれた憲法草案
映画「日本の青空」- やけくそですか?
出てたー!日本国憲法無効宣言
「日本国憲法」講和条約説
(動画はチャンネル桜・渡部昇一の大道無門より抜粋)
新無効論書籍・最新刊
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/DetailωrefShinCode=0100000000000031877444&Action_id=121&Sza_id=A0


コメント
コメント一覧 (45)
1.契約概念の希薄な日本で憲法の正統性の議論が盛り上がらないのはやむを得ないところかも知れません。
2.第二次大戦後の国際秩序(=国連=連合国)の有効性が疑われない政治状況ではなおさらです。
1.英米は第一次大戦後のドイツのワイマール憲法に深く関与しましたがドイツ人は左右問わずこの憲法を忌み嫌ったと聞きます。
2.しかしそのドイツすら第一次世界大戦処理の枠組みをヒトラーが突き崩すまではワイマール憲法の拘束下にありました。
結局第二次世界大戦処理の枠組みが変動しないと日本国憲法を乗り越える(無効宣言する)ことも難しいように思います。
コメントありがとうございます。
>1.契約概念の希薄な日本で憲法の正統性の議論が盛り上がらないのはやむを得ないところかも知れません。
契約という横の概念より、我が国では家訓や掟という縦の観念はしっかりとあったはずです。この縦の観念が国民主権「死人にくちなし」主義によって薄れているから正統性の議論が盛り上がらないのだと思っています。
>2.第二次大戦後の国際秩序(=国連=連合国)の有効性が疑われない政治状況ではなおさらです。
国際秩序形成の権能の根拠である帝国憲法上の講和大権自体が抹殺されていることが致命的だと思っています。今の国際政治状況がどうこういうよりも、完全に憲法業者によって目隠しされている思考領域があるということだと思います。
色々書いてますけど言いたいことは、
●講和は講和とみとめましょう。
●憲法は憲法とみとめましょう。
ただ、それだけなんですよね。
これは山田家の単独行為として有効です。ゆえに改正版は先祖代々の家訓としての効力をもちます(有効)。
ところが、
山田家の元気のもとである先祖代々の家訓が邪魔だと考えているよそ者が「お前ところの家訓は今日からこれで行きなさい」と実力でせまって即席でつくった「山田家家訓」を提示して「これを引き受けるなら出て行ってやる」といって受諾させて出て行った場合、これは「名」が家訓でも「実」は家訓の改正ではありません。
実体(事実論)から言って家訓ではありません。
さらに
山田家の家訓が、よそ者が来ているような変局時や、家長の意思が円満に行使できない期間の家訓の変更を禁じているとしたら、なおさらよけいに「山田家家訓」は家訓であるはずがありません。
先祖代々の家訓が禁じている変更を断行しても法律行為としては無効です。
禁止規定(法理論)から言って家訓ではありません。
これらのことは山田家の単独行為として無効ということです。
ゆえに改正版は家訓としての効力をもちません(無効)。
先祖代々の家訓はそのことまで禁止していません。
ゆえに「山田家家訓」は本来の先祖代々の家訓の効力を少し曲げて制限をかける約束として有効です。
山田家では今も「山田家家訓」は約束にすぎず先祖代々の家訓がむかしと変わらず家訓です。
「日本国憲法」は約束で帝国憲法が日本国家先祖代々の家訓です。
>第二次世界大戦処理の枠組み
とは、
<「日本国憲法」は約束で帝国憲法が日本国家の家訓>ということです。
「日本国憲法」は講和。帝国憲法は憲法。
このとおり我が国には「第二次世界大戦処理の枠組み」さえ見えていないのだと思います。
ブログに書きました、
>戦後空間に欠落している思考法は、昭和16年~昭和27年の11年間の戦争期間に起こった事象の法的意味を戦争期間の始期(宣戦)の根拠となった帝国憲法の規定に則り捉え直すということです。そしてその期間の終期も根拠は何によるのかということを問うことです。
これをさらに見えなくしているのが、護憲派護憲論と護憲派改正論のけたたましい猿芝居です。
しかし厄介なのは憲法は法律と異なり「事実」による変容が認められるという議論が有力なところです。(この点では憲法と条約の法的性質は似ています)
「憲法の変遷論」の是非が必ず憲法のテキストに出てくることでそれは分かります。またワイマール憲法が全権委任法という法律により死文化ないし廃止されたという見解が有力(通説?)ということからもそれがうかがえます。
ワイマールに関してはその内容に英米仏が深く関与しドイツ国民の規範意識を反映していないからドイツ議会の全権委任法による死文化が認められるという理屈も成り立つので日本国民の規範意識を反映しない日本国憲法を国会決議で死文化ないし廃止することも理屈として成り立ちうると思いますがこれは国際情勢と不可分ではなかろうかというのが私の考えです。これは日本国憲法を条約と考えるならば尚更のことだとおもいます。
こんばんは。コメントありがとうございます。
「事実」が違法性を消滅されるのかどうかについて既にふれたエントリーがありますが、これで十分ではないのでしょうか?
(参考)追認有効説の変形――事実の規範力
http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/entry/134941/
憲法の変遷 http://www.citizens-i.org/kenpo/yougo.html
>しかし厄介なのは憲法は法律と異なり「事実」による変容が認められるという議論が有力なところです。(この点では憲法と条約の法的性質は似ています)「憲法の変遷論」の是非が必ず憲法のテキストに出てくることでそれは分かります。<
・どういう理論で、「事実」に基づき帝国憲法違反の「日本国憲法」が妥当性をおびて憲法として有効になるのでしょうか?具体的に説明していただけますか?
・新無効論側の認識から言いますと既に「日本国憲法」は講和条約としての価値的要素たる妥当性と事実的要素たる実効性を保持しています。
・「事実」によって講和条約のレベルより憲法レベル格上げされなければならないという理由は何なんでしょうか。
・貴殿の論で変遷するのは、帝国憲法ですか?それとも「日本国憲法」ですか?
・変遷や変容によって「日本国憲法」が憲法として有効になるということは、それ以前は「日本国憲法」は憲法ではないということですが、どうして「日本国憲法」の効力論に「憲法の変遷論」が適用されるのでしょうか?
よろしくおねがいいたします。
但し、新無効論によればサ講和条約によって9条の内容は改定されています。
(参考)新無効論によれば「後法は、前法に優先する」により講和条約「日本国憲法9条」は改定済みです。
http://www.asyura2.com/07/kenpo1/msg/365.html
>日本国民の規範意識を反映しない日本国憲法を国会決議で死文化ないし廃止することも理屈として成り立ちうると思いますがこれは国際情勢と不可分ではなかろうかというのが私の考えです。これは日本国憲法を条約と考えるならば尚更のことだとおもいます。<
これは有効論ですから私は反対ですけども・・・
これは究極の消極改正、中身をゼロにする改正のことですから、やるとしたら改正条項に則りやるしかないですね。
これは改正論の一種、つまり護憲派改正論の一種です。有効論ですから無効を前提とする無効論とは論理が正反対ですね。
それに比べ無効論から言う「日本国憲法」が有効か無効かというのは先行しているただの事実のことであり、情勢との関係よりも、この理論を理解してもらうのがなかなか難しいところです。
「無効にする」と「無効である」との相違について、簡単すぎてわからない人が多いのだと思います。
(参考)改正?破棄?廃止?無効確認?
http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/entry/123516/
事実の規範力についてのエントリーについてですがこれは少々荒っぽい議論だとおもいます。「妥当性」は価値判断なので一義的に判断できることがらではなくまた違法の例として殺人などを挙げますがこれらのうち少なくとも殺人と権力による人権弾圧は根本規範(自然法)に反するので立憲主義に基づく憲法である限りいくら反復継続しても憲法の内容となり得ないことは自明です。「日本国憲法」の成立に関する違法はこのような違法とは性格を異にするようにおもいます。立憲主義的憲法が正当に成立する条件に関しては色々な考え方があろうかと思いますが根本規範の範囲内で国民の規範意識の裏付けがあり憲法制定権力の発動があったと言いうる場合に憲法として成立と取りあえずわたしは考えます。「日本国憲法」の内容そのものは根本規範に反するようなものではありませんから問題にすべきは国民の規範意識に合致するかという点と憲法制定権力の発動が合ったと言いうるかの方に論点があるように思われるのです。
>・どういう理論で、「事実」に基づき帝国憲法違反の「日本国憲法」が妥当性をおびて憲法として有効になるのでしょうか?具体的に説明していただけますか?
引用にかかる「妥当性」の議論は一義的に定まるものではないと考えます。
>・新無効論側の認識から言いますと既に「日本国憲法」は講和条約としての価値的要素たる妥当性と事実的要素たる実効性を保持しています。
この点は理解します
>・「事実」によって講和条約のレベルより憲法レベル格上げされなければならないという理由は何なんでしょうか。
制定における違法により「日本国憲法の成立が無効」であったとしても私見からは国民の規範意識が日本国憲法を憲法として支える状態が反復継続した場合において憲法制定権力の発動があったと見うるならば憲法へ格上げを肯定できると考えます。
・貴殿の論で変遷するのは、帝国憲法ですか?それとも「日本国憲法」ですか?
大日本帝国憲法の方です
・変遷や変容によって「日本国憲法」が憲法として有効になるということは、それ以前は「日本国憲法」は憲法ではないということですが、どうして「日本国憲法」の効力論に「憲法の変遷論」が適用されるのでしょうか?
仮に「日本国憲法」が成立時に憲法としては無効であり大日本帝国憲法が猶有効であったとしても事実の反復継続により変遷が起こりうるのではないかということです。
こんにちは。返事大変おそくなり申し訳ありません。
それでもいまだ全部への返答にはなっていません。
「偽札事件」の偽札はいくら出回ろうとも、まかりとおろうと、国民が本物だと思っていようと、(本物の紙幣だという規範意識があろうと)偽札は、いつまでたっても偽札です。回収処分されなければなりません。
拘わった人物も処罰されなくてはなりません。
この偽札事件と「日本国憲法」という連合国と国内工作員による偽憲法事件とは、いったいどこがちがうのでしょうか?
【違法と法創造の存否によって一義的に判断可能】
>少々荒っぽい議論だとおもいます。
>「妥当性」は価値判断なので一義的に判断できることがらではなく
あらっぽくはないでしょう。
「妥当性」は価値判断だからといって一義的に判断できないということはありませんね。
価値判断には困難なものから簡単なものまであるというのが正当です。
憲法条項に違反する憲法改正が有効か無効かは簡単な価値判断で可能です。単純に無効です。成立過程の全行程に日本側の自由意思がなければ日本人による憲法創造が行われていないという結論を下すのは簡単な価値判断です。
継続事実についても「事実の規範力」の理論を誤用さえしなければ「違法事実の継続」は「違法を治癒しない」し、「法を創造しない」というのも簡単な価値判断です。
また、違法な存在をまかりとおらせるということは、それなりの社会構造に支えられての結果、現象ですから、その違法な産物をこれだけの長期間、国家規模のスケールで何らかの実効性を保持してきたことの現象の裏にある異常性、犯罪性の存否を別途問われなければなりませんね。
妥当性というとき正当性のことなのか正統性のことなのかが曖昧になりがちですが、このブログでもともと合法性を論じているように効力にからんで取り上げる場合は、正統性のことです。合法性を含む正統性のことです。
正当性論議(内容論議)は極端な場合は除いて真っ先には効力に影響を与えないといえるのではなでしょうか。つまり、憲法に規定された手続に違反して生まれた憲法でも内容が優れているから直ちに有効になるとか、逆に憲法の規定に則って制定された憲法が内容が劣っているから直ちに無効になるということはありません。
例えば、憲法違反の手続による法律は無効ですよね。内容を論じるまでもなくです。もし、仮にこの法律の内容が優れているとしてもこの法律がそれによって有効になることはないですね。無効という事実は変わらないでしょう。
したがって、憲法違反の手続による憲法はもちろん無効です。内容を論じるまでもなくです。もし、仮にこの憲法の内容が優れていても、優れていること、つまり正当性(内容論)を根拠にこの憲法が有効になることはありません。手続違反、憲法違反ゆえ無効という事実は変わらないでしょう。このように内容論議(正当性論議)は効力とは別次元だということです。
このブログで単純に一義的に判断できる無効原因として掲げているのが、
日本国憲法の死亡 有効論への即効解毒剤
http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/entry/127419/
・規範の種類に応じた法創造の事実が不存在(日本側の自由意思の不存在)
・帝国憲法75条違反(「日本国憲法」が生まれる時の既存の法体系に正面から違反している)
です。
これら「日本国憲法」の成立に関する違法と法創造が行われていないという事実から妥当性の判断は一義的に行えます。
>また違法の例として殺人などを挙げますがこれらのうち少なくとも殺人と権力による人権弾圧は根本規範(自然法)に反するので立憲主義に基づく憲法である限りいくら反復継続しても憲法の内容となり得ないことは自明です。「日本国憲法」の成立に関する違法はこのような違法とは性格を異に
するようにおもいます。<
成立に関する違法については既述のとおりでが、これは「事実の規範力」についてのエントリーがなぜ荒っぽい議論なのかの説明ですね。貴殿の言いたいことは後述するとおり私には理解できるのですが、それとは別に貴殿が南出氏の主張のポイントを理解していないか、若しくは理解したくないので無視しているのではないかと思われるところがありますね。
それは、ある事実が反復継続していても
1,既にある法がカバーする領域になっているのに、その法に違反しながら反復継続された事実と、
2,未だ、法がカバーする領域になっておらず、つまり違法や合法を問われない領域で反復継続された事実
とを混同して捉えてはならない、これらはまったく別の前提にたっているからだという主張です。
1の反復継続事実であるにも拘わらず2の理論を適用(誤用)することは、違法反復事実に法創造の原動力と、違法性消滅のための推進力をあたえていることになるから、法を破壊し、国民の規範意識消失をまねくという南出氏の主張です。
1が外国勢力の実力暴力によってもたらされ整備され固定されたのにも拘わらず、反復継続事実に既存の法体系を押しのけて自己を正当化させることを認めるということは、実力が徹底することによって無理がとおれば(事実になれば)道理が引っ込む(無法の暴力が法になって違法性が消滅し、かつ法が創造される)という理論になってしまいます。
継続「事実」が長かったことによってこうあらねばならないという「規範」性を帯びてくる可能性があるのは、2の場合だけでしょう。
1の方は継続「事実」が長かったということは単に違法の継続事実が長かったということです。
特に憲法や法律等の中でも、確認的な規範をあらためて新しく明文化する場合には、文章化されていないけれども既に規範として意識されているしているものに対する検討を漏らさないようにする、つまり、そういう意識に支えられて反復継続されて事実となって現れているものにはその背後に規範意識が存在するとみられるので、このように既存の明文法がもともと守備範囲としてこなかった領域について新たな明文の規範を明記する場合「反復継続事実」を有力な手がかりに確認的に法の明文化作業が行われるのだという考え方は了解しやすいことです。
新規の規範の明文化自体がそういうものであるのであれば、2のような継続事実の背後に規範の存在を認めるという考え方や、既存の法が守備範囲としていない領域で「反復継続」がいつのまにか新しく行われるようになったという事実の中に規範の誕生をみる見方は私にはなんら不思議はないと感じます。
しかし、今回問題にしていることは、「日本国憲法」の継続事実が<憲法としての妥当性>を獲得したということの根拠となりえるのか、つまり、既述しました無効原因の代表例、
・規範の種類に応じた法創造の事実が不存在(日本側の自由意思の不存在)
・帝国憲法75条違反(「日本国憲法」が生まれる時の既存の法体系に正面から違反している)
この2側面の無効原因を治癒するだけの原動力になるのかどうかが問題なのです。「日本国憲法」の存在が出現させる現象たる各種の「継続事実」から、逆に「日本国憲法」の正当な規範性を認めることは可能なのでしょうか?
もともと違法と評価されたモノの実効性、つまり、「違法がまかりとおっている」継続事実の背後に2の場合と同じく既存の規範、つまり妥当性と実効性を兼ね備えた規範の存在や規範の誕生を認めることができるのでしょうか?
2の事実の背後には何かの「違法がまかりとおっている」からだなどという説明(ケチ)のつけようがもともとありませんが、1の場合には「日本国憲法」が事実的要素たる実効性をもつことについては帝国憲法違反も含めて「違法がまかりとおっている」からだと明らかに説明のつく現象です。
すでに帝国憲法が守備範囲としている領域に「日本国憲法」という「違法な産物(偽物)がまかりとおっている」だけです。現在時点で違法産物(偽物)を除去するに至っていないことにより「違法がまかりとおっている」だけですから、「日本国憲法」の継続事実から、その事実の周辺に規範の誕生や既存の規範の存在を認める理由がまったくありません。
憲法レベルでは、違法物(偽物)は違法物(偽物)とし当初のまま、ありのままの状態に「日本国憲法」を放置しておくことによる不利益はだれにもありませんし、既にブログで再三述べているように講和条約として有効な「日本国憲法」にさらに憲法としての規範性を認める理論も認める利益もありません。
・違法性の消滅をもたらして逆に妥当性を獲得し
・規範の種類に応じた審議等立法行為不存在に替わって法創造の原動力になり得る
のかどうかという論点につき南出氏は具体例で説明しているのでしょう。
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http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/entry/134941/
しかし、「事実の規範力」とは、法が守備範囲としてゐなかつた領域において、当初から違法性の意識がなく形成された事実たる慣習が法たる慣習(慣習法)となる成立過程の説明には適しても、それ以外の異質な事象と領域について適用させることは甚だ無理があり単なる虚構にすぎない。
前述したとほり、法の「効力」の要素としての法としての「妥当性」と「実効性」の二つの要素において、そもそも「違法」と評価された実力が反復継続してきたとする「事実」は、仮に、事実的要素としての「実効性」を満たしたとしても、価値的要素としての「妥当性」を満たすものではなく、その「効力」としては常に無効である。
------------------------
・違法の反復継続によって憲法になるもの
・違法の反復継続によっても憲法になり得ないもの
の区別があることを前提とし、
(あ)南出氏の掲げる違法例は憲法の内容となり得ない違法
(い)「日本国憲法」に関する違法は憲法となり得る違法
との特定がされています。
しかし、違法の反復継続では、先に述べたとおり、「なぜその事実が存在するのか?」という問いに対する答えが、有効論に都合のより理屈、つまり「背後にその事実を支える既存の規範が存在するからだ」や「規範が創造されたからだ」や「規範が創造されたことによってそれに反する帝国憲法の規定は無効となり日本国憲法は確定的に有効となったからだ」とは説明されず、「違法産物に対する適正な処理がいまだ未処理のために違法がまかり通っている」からだと説明されるだけのことです。
出来のよい偽札ほど回収が完了するまでまかりとおりますね。
貴殿は「憲法違法の反復継続によって憲法になる」ことの論拠を示さなければ、つまり相対的な内容による(あ)(い)の貴殿流の区別をするだけでは後発的有効説の論拠になりません。
ま、それはさておき、
憲法となり得る違法について貴殿は次のように述べます。
>立憲主義的憲法が正当に成立する条件に関しては色々な考え方があろうかと思いますが根本規範の範囲内で国民の規範意識の裏付けがあり憲法制定権力の発動があったと言いうる場合に憲法として成立と取りあえずわたしは考えます。<
と、ここで貴殿は憲法違反を度外視した有効要件に限定する価値判断を一義的に下されています。
>「日本国憲法」の内容そのものは根本規範に反するようなものではありませんから問題にすべきは国民の規範意識に合致するかという点と憲法制定権力の発動が合ったと言いうるかの方に論点があるように思われるのです。<
帝国憲法違反であっても次の条件に入れば憲法として成立しているとの説明です。
・根本規範の範囲内
・国民の規範意識の裏付けがあり
・憲法制定権力の発動があったと言いうる場合
憲法違反を度外視する理由は何ら示されていません。
「日本国憲法」の出現がこの掲げられた条件を満足しているものかどうかは疑わしいですが、その細かい論点はまずは置いておきます。
・根本規範の範囲内
・国民の規範意識の裏付けがあり
・憲法制定権力の発動があったと言いうる場合
等の要件を十分包含し満足しており、これらに裏づけられて帝国憲法が誕生していることから、「日本国憲法」誕生の際にはこの帝国憲法の規定に従っていることこそが「日本国憲法」が
・根本規範の範囲内
・国民の規範意識の裏付けがあり
・憲法制定権力の発動があったと言いうる場合
の正当明確な根拠となり得ると思考するのが正常だと思います。規定に従っていないということはその逆の行為で、帝国憲法を破った行為による産物に有効性を認めるということで貴殿自身が掲げた要件を実は尊重していないのだということの表白だと捉えられてもしかたがないと思います。継続事実についての評価も
・根本規範の範囲内
・国民の規範意識の裏付けがあり
・憲法制定権力の発動があったと言いうる場合
に裏づけられて誕生している帝国憲法の講和大権に則れば「日本国憲法」は憲法違反の理由や法創造の不存在についての言及をするまでもなく講和条約として初めから現在にいたるまで有効と評価できます。
それゆえ貴殿がおっしゃるように憲法として成立されねばならない理由がまったく見あたりません。
これらの有効要件を任意に各人が都合に合わせて設定して効力争いをしても意味がないから、有効要件は帝国憲法に明記された規定を満足していれば有効、そうでなければ無効と一義的に判断できるようにしているのではありませんか?
「立憲主義的憲法が正当に成立する条件に関しては色々な考え方があろうかと思います」のとおりに、もし本当に色々あれば困るではありませんか。少なくとも憲法に明記された規定に合憲でなければ有効にならないのは当然です。
もし各人が好き勝手に認定できるのであれば、正当性論議と正統性論議の混同と同じような結果になると思います。http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/bunko/kokutai/kokutai4.htm
「日本国憲法」の通用を偽札の効用に重ねて考えてみましょう。
偽札事件と偽憲法事件とはどこが違うのでしょうか?
貴殿の言う本物の憲法となる要件は次1~3のとおり(カッコ内?は疑問度・笑)貴殿は「日本国憲法」にはこれらが備わっているというのであるが、それが仮に満足されていたとしても果たして有効となる論拠になるのだろうか。
偽憲法は、
1根本規範の範囲内(???)
2国民の規範意識の裏付けがあり(???)
3憲法制定権力の発動があったと言いうる場合(?????????)
偽札は
1偽モノという要素に目をつぶれば紙幣としての根本的な要件を備えています
2国民の規範意識の裏づけがあります、国民の紙幣価値意識の裏づけがあって流通即ち「まかりとおります」
3?
偽憲法と偽札とはよく似ていますね。
「日本国憲法」を仮に、国民全員が憲法だと少しも疑わずに憲法としての実効性を保って世の中に通用していた(国民の規範意識の裏付けがあり)としても、偽物は偽物ですからそれ自体回収され廃棄されなくてはならず、もともと偽物を偽造したことも、流通させたことも犯罪に起因しているので協力者も含めて犯罪者は一斉処罰されなくてはなりません。
この不正や他人を過誤に陥れることによって「まかりとおらせる」事実に対しては、もちろん法創造の原動力や帝国憲法違反の治癒能力を認めるわけにはいかない(憲法制定権力の発動などできない)はずで「まかりとおらせた」犯罪者達を厳正に処罰しなければならないことはもちろんです。
この偽物に後発的に本物と同じ成立の正当性を与えるということ、つまり護憲派護憲論と護憲派改正論のような思考こそは、この憲法偽造犯罪と犯罪者集団の存在を真っ向から否定し闇に葬る行為で犯罪証拠隠滅行為であって決してこんな犯罪の片棒を担いではいけません。
犯罪人達は「日本国憲法」が偽物であることをなかなか認めようとはしないのは当然です。なぜならそれを認めることは自らの犯罪を認めることになりその責任の大きさに押しつぶされてしまうからです。それゆえ後出しでもなんでもやぶれかぶれで有効論を出してきます。歴史偽造、事実隠蔽、学問を曲げることぐらいへっちゃらです。
貴殿のように「この偽札でも事実を根拠に本物としてあつかえないのか?」と論じるよりも、偽札をまかりとおらせた犯人をとっつかまえて正常化しようと構えるのが普通の思考ではないのですか?
既に行われた偽札造り(偽憲法)加担者も、これから行う偽札造り(偽憲法改正論者)も加担者はともに犯罪に荷担していることになり処罰の対象になりますね。
このように「日本国憲法」の通用を偽札の通用に重ねて考えてみますと継続事実を根拠にする「事実の規範力」であろうと「憲法の変遷」であろうと、なんとおろかな犯罪者擁護の考え方だろうか・・・・という実感がわいてきますね。
正当性論ではなくて合憲性や法創造の存否に着目すれば一義的に定まりますし、違法な通用継続つまり「まかりとおる」という不当違法の原因に基づく不当な実効性の継続が違法を治癒しないことや法創造をしないことも明白です。
>制定における違法により「日本国憲法の成立が無効」であったとしても私見からは国民の規範意識が日本国憲法を憲法として支える状態が反復継続した場合において憲法制定権力の発動があったと見うるならば憲法へ格上げを肯定できると考えます。<
偽札の例のとおり偽物の本分発揮の状態に着目して有効を主張することは本末転倒です。
万一、仮に格上げを肯定できたといしても格上げする理由がなければ同じことです。
>仮に「日本国憲法」が成立時に憲法としては無効であり大日本帝国憲法が猶有効であったとしても事実の反復継続により変遷が起こりうるのではないかということです。<
偽札が永久に偽札であるように偽憲法は永久に偽憲法です。事実の反復は偽物の本分発揮でしかありません。
偽物であることを指摘している指標が帝国憲法75条違反などの憲法違反です。
偽札事件の偽札はいくら出回ろうとも、まかりとおろうと、国民が本物だと思っていようと、(本物の紙幣だという規範意識があろうと)偽札は、いつまでたっても偽札です。回収処分されなければなりません。
拘わった人物も処罰されなくてはなりません。
今回は以上です。
>>2007/06/16 17:11
南出論文が引用する尾高博士のいう「妥当性」は「法内容」のことだとおもいます。これを南出氏は「帝国憲法改正手続条項」に適用しています。「法内容」と「手続」を区別して論じるのは法学では一般的なことだと思います。また文化を越えて一般に違法とされる殺人と国により扱いの異なる売春や寄付との境界につき各国の政治文化に応じて議論のある賄賂などを留保なく並べてしまうあたりに議論の荒っぽさを感じます。
ただ南出氏の「現行憲法無効宣言問答集」というサイトの「初級編」
http://www.meix-net.or.jp/~minsen/mondou/framepage1.htmの
「問15」を見てみると第三段落では通説的一般論を展開しています。しかし次にいきなり道交法という行政取締法規をたとえとして出してくるのもやはり誤解を招く?荒っぽい議論だとおもいます。せっかく第三段落で「法律と憲法を一律に論じることはできない」と述べているのにそれが台無しです。
また南出論文には「事実の規範力の議論は法の守備範囲としていなかった領域に適用される議論だ~それ以外は虚構である」という内容のことが書かれていますがこれは通説的な見解ではないとおもいます。むしろ少数説(南出説?)でしょう。例えば憲法の変遷に関する一般的な憲法の教科書は憲法規範に正面から反する事実が継続した場合の議論を例に挙げています。そしてそれが例えば国民の「法的確信」となったと見なし得る程度に至ったときに法的な変遷を認めるかそれともあくまでそれは事実に過ぎず憲法改正をしなければ憲法改正の法的効力は生じないとするのかといった議論をしています。
南出氏の主張をまだ通読してはいませんが氏の主張の根幹は「帝国憲法改正条項違反による違法」ではなく「国体変更による違法」のようです。ですからここでinosisi80さんとの議論がかみ合わないのも致し方ないように現在感じています。
わたしは国民主権という概念など日本ではむしろ有害だと考えている方の人間です。ですから南出氏の主張そのものには反対ではありません。しかしそれを国内で広めたいなら多くの国民を説得しなければなりません。荒っぽい議論はサヨクなどの反対陣営に格好の攻撃材料を与えることになりかねませんし何より現在の国民を説得しえなければいくら正論を説いても画餅に帰するだけに終わります。
どうやら南出氏の主張の根幹は「国体護持」ないし「国体回復」であり「帝国憲法改正条項違反」という論理立てはその本来の目的を隠す隠れ蓑の如きもののようです。それはとりもなおさず「国体護持」や「国体回復」を正面から訴えたら国民に受け入れられないと当の南出氏自身が分かっているからなのでしょう。「国体護持」「国体回復」をいう目的を達するための手段として「帝国憲法改正条項違反」を突くというアイデアはよいのですがまだまだ練れていないというのがわたしの感想です。
(続く)
こんにちは。
>南出論文が引用する尾高博士のいう「妥当性」は「法内容」のことだとおもいます。これを南出氏は「帝国憲法改正手続条項」に適用しています。<
--------------------------------
亡尾高朝雄博士は云ふ。「法の妥当的な規範意識内容が、事実の上に実効的に適用されうるといふ『可能性』chanceこそ、法の効力と名づけられるべきものの本質である」と。つまり、一般に「効力」といふものには二つの要素があり、一つは法の「妥当性」、もう一つは「実効性」であり、この双方を満たすのが「有効」、そして、そのいづれかを満たさず又はいづれも満たさないものを「無効」と定義するのである。
---------------------------------
有効の要素たる「妥当性」と「実効性」のうち、「合法性」はどこに入るかというと「妥当性」に入ると思います。要素に入らないとは考えられません。貴殿は「合法性」は有効の要件ではないと、つまり「違法」は無効の原因にならないと考えておられるのでしょうか?
私は尾高博士の論文まで調べることができないので貴殿の指摘が正しいのかどうか、論拠も示されていないのでわかりませんが、「妥当性」に合法性が含まれることは当然のことですから、もちろん「憲法としての妥当性があるのかどうか」に拘わる妥当性に、それの「うまれ」の合法性が妥当性を左右するのは当然であり含まれるのは当然であり、違法に「うまれ」ていれば「妥当性」が欠落すると考えます。
したがって南出氏の論法にはなんら違和感がありません。
単純に「決めたことは守れ!」こんなのはあたりまえじゃないですか。
「決めたことは守ろう」という常識、良識の存在、それが存在するから法律や憲法の存在意義があるし、存在できるのでしょう。そういう良識があるから「決めた憲法や法律を守ろう」とするのでしょう。
なのになぜ、法律や憲法が既存の法体系に違反して「うまれ」ながら、つまり「決めたことを守らないで」誕生できて、それにもかかわらず違法物が「まかりとおる」ことによって妥当性を獲得出来るのでしょうか?
その来歴自体が自己否定で、違法を奨励しているではありませんか?
憲法という存在自体が「決めたことは守ろう」「法を守ろう」という正義に立脚せずしてどうして国民に遵法を要求することができるのでしょうか?
<私(憲法)は「決めたことを守らないで誕生した」のですが、私を守れと言う資格だけはあります。>
ではとおりませんよね。違法物は法としての妥当性が欠落しているのは明白です。違法は妥当性欠落の最たるものでしょう。こんなのあたりまえすぎると思うのですが。
法の妥当性ということは、法が事実上に行われ得べき可能性を持っているということです。法の中にはいろいろな価値、いろいろな目的が内在し、それぞれが実現の要求を持っているが、その要求が現実に行われ得べき可能性を持っているということです。
憲法の生まれ方を規定した帝国憲法の条項に違反して生まれたモノが国民に対し我こそが憲法であるから我に違反するなと要求できるでしょうか?その可能性を持っているでしょうか?
但し、違反の事実を隠して人々を過誤に陥れることによって犯罪性と貼り合わせの実効性を保持し国民に対し我に違反しないことを要求しているケース、つまり「まかりとおっている」状態は現実にはあります。
これは紙幣として無効な偽札が「まかりとおる」ケースと同じ現象です。
ある種の犯罪性に支えられています。
なぜ、貴殿は尾高博士のいう「妥当性」には「合法性」が含まれていないとおもわれるのですか?理由を説明してください。
仮に将来「日本国憲法」の条項に反する手続きにて改正版「日本国憲法が」あらわれたとき、それは「日本国憲法」違反だから「妥当性」がなく無効ではないのですか?
それとも貴殿は改正版「日本国憲法」の内容がよければ「妥当性」があり、悪ければ「妥当性」がないと判断する、違反は「妥当性」に関係ないとおっしゃるのですか?
貴殿の思う尾高博士のいう法の効力の要素の片方「妥当性」にはこの「合法性」が含まれないから、「日本国憲法」違反の改正版「日本国憲法」でも妥当性と実効性を保持していることになり有効になると言われるのですか?
仮にもし、妥当性が「法内容」のことであって、手続きのことを含まないとして憲法違反の手続きによる改正版「日本国憲法」が手続き違反を原因としては無効とならないとすると、残りは、貴殿の主張する「法内容」でもって改正版「日本国憲法」の妥当性を判断、つまり効力の有無を判断することになりますが、そんな価値判断こそが千差万別であり客観的な基準を設けることが不可能だと思われませんか。
自らがメシのタネにしている憲法業者がその業界の主観的な所産にすぎない憲法評価の基準、つまり正当性論(内容論)を客観的な憲法の効力の根拠にしていることも大いなるまちがいです。
偽物紙幣を貯め込んでいる鑑定人が偽札の製造過程の問題点を無視して、同業者間のみに通じる紙幣としてのデザインの優劣基準を作ってこれなら本物(有効)だと扱えると言っているようなものです。
デザインの優劣という主観的な判定基準でもって客観的な紙幣の真偽の問題を取り扱うところにも問題があります。
それにその考え方だと適切な改正手続きを要求している憲法条項が空文ということになってしまいますよ。
妥当性に「法内容」を完全に除外する必要などなく極端な場合は内容によってだれがみても無効というケースも考えられるのは確かだと思う。
そういうことは確かにあるけれども「法内容」の妥当性とは、手続き上の「妥当性」つまり合法手続による「うまれ」を具備していることを前提にしたうえでの「法内容」の妥当性論議であろう。
以前の単純な論議でもわかるでしょう。
憲法違反の手続きによる法律は無効でしょ?「法内容」の妥当性を論じるまでもなく違法だから無効です。
それなら、憲法違反の手続きによる憲法は無効でしょ?「憲法内容」の妥当性を論じるまでもなく違法だから無効です。
内容に対する評価などという千差万別のものを基準に憲法の効力を判断など実際にはできません。それも明らかな憲法条項に違反する手続によるものをその「内容」の優劣によって乗り越えることも、合法化することもできません。
仮に、尾高博士の説が貴殿のいうとおりに「妥当性」に「既存の憲法の改正条項に合憲であること」が含まれないとするなら、私としては南出説と名付けることでよいと思います。
有効である要件としては価値的要素「妥当性」と事実的要素「実効性」が必要で、この「妥当性」には「既存の憲法の改正条項に合憲であること」が含まれているとする南出説のほうがまともだと考えます。
わざわざこれを除外する意味がまったく理解できません。
だれが言ったかではなくこれこそ内容(主張の妥当性)で判断します。
きちんと帝国憲法にあてはめれば適切は規範領域でつまり13条講和大権に基づく規範として十分戦後空間での継続、実効性を説明出来うるのに、なぜ、憲法としては違法性があきらかなのに、つまり「妥当性」の意味まで(手続上の違法合法論を含まないなどと)ねじ曲げてまで「日本国憲法」を憲法として有効としなければならないのでしょうか?
その動機はなんなのですか?法的な利益はどこにありますか?
偽札の例でゆくと、当初に鑑定人が偽造紙幣であると言っておきながら、その偽造紙幣が精巧に出来ていて長く世の中に流通したことから、この際、紙幣としての資格は紙幣が本物か偽物かどうかは別にしよう、これからは色つやや耐久性等紙幣としての性能(つまり内容)に着目して判断しようと言っているのと同じです。
違法という要素をぬいてしまえば、偽札も本物とみとめなければならなくなります。違法性を消滅させるということは偽造犯罪をも許容したことになります。
又、そのモノの生まれ方によって、憲法なのか、講和条約なのか、はたまた別の規範なのかが決定します。
東京裁判だってそうです。どんな権限でそれが挙行されるのかをぬきにして妥当な「裁判」かどうかなど判別できないのと同じく、どの規定に基づいて生まれたのかによって、どういう種類の規範なのか、対象が憲法なのか、対象が講和条約なのか、それとも他の規範なのがわかります。
法の効力の要素としての「妥当性」と「実効性」のうちの妥当性に、この「生まれ方」(手続上の違法合法)を吟味しない妥当性論議など本当
にありえるのでしょうか。
憲法としての効力を考えるなら憲法としての妥当性があるかどうかを問うことになるが、生まれ方を吟味せずにいては憲法かどうかさえわからないではないでしょうか。
吟味して改正規定に違反しておれば名が憲法でもそれは憲法としての妥当性がないと考えるのが正常でしょう。これは内容論議以前の問題です。
又、さらに「生まれ方」を吟味すれば他の規範としての妥当性がある場合だってあります。
つまり帝国憲法というモノサシで「日本国憲法」を測定して合法性を判断すれば73条行為による憲法というより13条行為による講和条約だというのがその理屈なのですが、それなら「日本国憲法」にとっては、それにふさわしい「妥当性」を帯びた説明のとおる方の規範、講和条約として認めれば
いいだけです。
その次に、「日本国憲法」の内容が講和条約としての妥当性があるのかどうかを吟味すればよいのです。
「法内容」と「手続」を区別して論じているでしょう。ただ「妥当性」にはまずそれに包含されている「手続」の合法性が吟味されているのは当然だし、場合によっては「法内容」も無効原因とならないかどうか妥当性の範疇として吟味されるでしょう。
>南出論文が引用する尾高博士のいう「妥当性」は「法内容」のことだとおもいます。これを南出氏は「帝国憲法改正手続条項」に適用しています。「法内容」と「手続」を区別して論じるのは法学では一般的なことだと思います。<
「妥当性」を考える場合に、「法内容」とは区別してまっさきに「手続」つまり「帝国憲法改正手続条項」に違反しているかどうかを吟味するのは当然です。このあたりまえのことのどこがおかしいのですか?
>また文化を越えて一般に違法とされる殺人と国により扱いの異なる売春や寄付との境界につき各国の政治文化に応じて議論のある賄賂などを留保なく並べてしまうあたりに議論の荒っぽさを感じます。<
あらっぽいのではなくて、区別する利益のない区別をして話を混乱させないようにしているだけでしょう。
貴殿の書いているのは、<手続の違法合法を問わずに妥当性が「法内容」によって定まる>という貴殿流の考え方があるから、この種の区別に貴殿が勝手にこだわっているだけであって、南出氏の主張は「法内容」を問うよりもまっさきに手続上「違法性」があれば出来たモノは妥当性を帯びないし、違法の継続事実は違法性を消滅させないという論理なのだから区別を論じないで例えるのは当然です。区別をする利益がありません。
あらっぽいと言いたいのなら、貴殿の主張、なぜ「法内容」(正当性論)が違法性を消滅させるのか、「妥当性」にはなぜ違法性が含まれないのかを説明してからにしてください。
一般論を展開してから「たとえ」をだしたらなぜ荒っぽいのですか?
>せっかく第三段落で「法律と憲法を一律に論じることはできない」と述べているのにそれが台無しです。<
法律でたとえたうえで「憲法ならなおさら」という論の組み立てが、なぜ、論を台無しになるのですか?
>また南出論文には「事実の規範力の議論は法の守備範囲としていなかった領域に適用される議論だ~それ以外は虚構である」という内容のことが書かれていますがこれは通説的な見解ではないとおもいます。むしろ少数説(南出説?)でしょう。<
数はどうだっていいと思いますね。貴殿は論じたいをどう思われます?
憲法業者にこの論が少ないのはあたりまえでしょう。
憲法無効論者が「日本国憲法」の授業をやって食っていけないのと同じです。数で決定するのなら「日本国憲法」が有効という結論になりますね。
捕まえた強盗団のひとりひとりにお前は強盗かと尋ねたら「私は強盗をやっていない」と答えが圧倒的多数からそろってかえってくるのは当然です。
自白する者が少数なのは当然です。少数説なのはことの性質が学問の領域を超える事情がある、つまり学説じゃなくて、犯罪の自白にちかいからでしょう。
事実の規範力説は、最初から違法性の意識の存在せぬ慣習が法となるやうな場合、即ち慣習法の成立過程を説明するのには適してゐると考へられるが、違法は実力が法創造の原動力となつてゐるやうな場合については、甚だ問題がある。結局それは、「力は正義なり」といふ思想と同じことになると
考へられる。それに、事実と規範、存在と当為をそれぞれ混同視するとの批判をも免れまい。
既成事実説には、自らを規制事実なりと主張することにおいて、本来は、違法・不法・不正であることを、暗々裡に認め前提してゐるやうなところ
があるが、既成事実説が出発点・根拠とするところの事実そのものにこそ最も厳正に批判さるべきものである。この批判的精神が即ち法意識である。
既成事実有効説は、「事実の問題」を全く次元の異なる「権利の問題」にすりかへる誤謬を犯すものであるが、その原因は、右の批判的精神、法意識を喪失してゐるからである。
--------------------------------
>そしてそれが例えば国民の「法的確信」となったと見なし得る程度に至ったときに法的な変遷を認めるかそれともあくまでそれは事実に過ぎず憲法改正をしなければ憲法改正の法的効力は生じないとするのかといった議論をしています<
これの結論はどうなんですか。議論をしているあいまいな理論をあてはめてもしょうがないじゃないですか。また、こんなあいまいで争いのある理論を土台に一国の憲法を有効にしてはいけないのは当然じゃないですか?
別に「日本国憲法」が有効であるためには帝国憲法に合憲な別の法領域(講和条約)でもよいのであり、憲法である必要など憲法業者以外にはもともとないのですから。
貴殿の理解と主張があらっぽいだけですから、南出氏の論自体は問題ないと思いますね。
>どうやら南出氏の主張の根幹は「国体護持」ないし「国体回復」であり「帝国憲法改正条項違反」という論理立てはその本来の目的を隠す隠れ蓑の如きもののようです。<
万人に理解しやすい論立てをするのは当然ですし、普段の論文の内容からみてもなにも隠れ蓑でもなんでもないでしょう。
なんでも書けば反論になるってもんじゃないと思いますよ。
http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/bunko/kokutai/kokutai3.htm
http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/bunko/mokuji.htm
http://www.meix-net.or.jp/~minsen/index.html
>それはとりもなおさず「国体護持」や「国体回復」を正面から訴えたら国民に受け入れられないと当の南出氏自身が分かっているからなのでしょう。「国体護持」「国体回復」をいう目的を達するための手段として「帝国憲法改正条項違反」を突くというアイデアはよいのですがまだまだ練れていないというのがわたしの感想です。<
なんだ、総じて「隠れ蓑のアイデアはよい」と思っているのですね。
まあ、感想はすきにすればよいと思いますね。
練れていないというのはマトハズレの感想にはみえますが。
「生まれ」と「なかみ」、
正当性論は「良いなかみ」であれば有効であるという論である。
「妥当性」=「正当性」=「なかみが良い」
とこうなるとして、「うまれ」にふれずして、どうして憲法かどうかを吟味できるのであろうか。名称だけでしぼりこんで判断するのだろうか。
それとも名称はあまり関係ないのだろうか。
「日本国憲法」のなかみがよいのであれば、そんなよい「日本国憲法」を講和大権の発動によって受諾して戦後を発展せしめた大日本帝国憲法はなんと中身のよい憲法だったのだろうかという結論になる。
と、このように言われたとき、中身にしかふれないで、どうやって有効論者は、「日本国憲法」を憲法だと主張するのだろうか。
その「生まれ方」の合法性を主張せずしてどうやって「日本国憲法」を憲法だと主張するのだろうか?
「日本国憲法」はすぐれている「中身」をもっている、だから有効だ、けれども、「生まれ方」に着目すれば講和条約だ。
そしたら、講和条約「日本国憲法」は有効ってことで手を打とう!ということで話はおしまいではないのですか?
これで、論争することなくどちらもokでしょう。
「有効論者の主張する有効であればよい」という部分では満足ではないか?かつ、新無効論者側も講和条約として有効であることとなって満足である。
つまり、合法性(生まれ方)をぬきに正当性(内容論)を論じれば規範の種類さえ特定できなくなりますね。
そもそも貴殿は以前のこちらの基本的な主張になんにも反論していないではないですか。それでいいのですか。荒っぽいのはどちらですか?
貴殿が正論によって説得されてしまったということだと理解してよろしいですか?
--------------------------------
特にブログで問題にしてきた「合法性」に着目すれば「妥当性」は一義的に判断できます。このブログで単純に一義的に判断できる無効原因として掲げているのが、
日本国憲法の死亡 有効論への即効解毒剤
http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/entry/127419/
・規範の種類に応じた法創造の事実が不存在(日本側の自由意思の不存在)
・帝国憲法75条違反(「日本国憲法」が生まれる時の既存の法体系に正面から違反している)
です。これら「日本国憲法」の成立に関する違法と法創造が行われていないという事実から妥当性の判断は一義的に行えます。
(妥当性は)正当性論ではなくて合憲性や法創造の存否に着目すれば一義的に定まりますし、違法な通用継続つまり「まかりとおる」という不当違法の原因に基づく不当な実効性の継続が違法を治癒しないことや法創造をしないことも明白です。
---------------------------------
相原良一氏の本からの転記に一部誤記があったので修正投稿します。
http://d.hatena.ne.jp/inosisi650/20070623
----------憲法正統論・相原良一著---p73-------
事実の規範力説は、最初から違法性の意識の存在せぬ慣習が法となるやうな場合、即ち慣習法の成立過程を説明するのには適してゐると考へられるが、違法な実力が法創造の原動力となつてゐるやうな場合については、甚だ問題がある。結局それは、「力は正義なり」といふ思想と同じことになると考へられる。それに、事実と規範、存在と当為をそれぞれ混同視するとの批判をも免れまい。
既成事実説には、自らを規制事実なりと主張することにおいて、本来は、違法・不法・不正であることを、暗々裡に認め前提してゐるやうなところがあるが、既成事実説が出発点・根拠とするところの事実そのものにこそ最も厳正に批判さるべきものである。この批判的精神が即ち法意識である。
既成事実有効説は、「事実の問題」を全く次元の異なる「権利の問題」にすりかへる誤謬を犯すものであるが、その原因は、右の批判的精神、法意識を喪失してゐるからである。
---------------------------------
おっしゃる意味がわかりません。平易な文章でおねがいします。
ただ一言。尾高博士はノモス主権論で有名な方ですが博士は日本国憲法そのものは認めていました。その方の論文の「妥当性」ってどういう意味なのか考えることをおすすめします。
それと「かいつまんで書く」ことは社会生活では非常に重要なことです。
ではさようなら。
・だれそれがこう言ってる。こういう論がある。
・だれそれが荒っぽい。
・私はこれこれを知っているが言わない。
さようなら。
わたしが書いたのは通説的見解。一方南出氏は少数説。
学術論文ではないのですから通説的見解に関してはいちいち根拠を挙げる必要はないというのが一般的理解。
ではほんとうにさようなら。ご健勝をお祈りします。
>学術論文ではないのですから通説的見解に関してはいちいち根拠を挙げる必要はないというのが一般的理解。<
なにこれ?通説になってるくらいなら十分な根拠があるはずだから、挙げればいいではないですか?
「妥当性」の意味だって、私が理解していない、理解がズレているとしたら知っているとおりにそれを説明すればよいだけのことでしょう?
考えたってわかるはずないでしょう。
資料もないとこちらは言ってるでしょう。