ダウ船日記〜アフリカ&ザンジバル〜(新)

「風待ちの島」ザンジバル ・・・  なんのご縁か東アフリカ・タンザニアのザンジバル島に流れ着き、ティンガティンガの画家に弟子入りをしてみたり、ペンバ島出身のイスラム家庭になじんでみたり。

ティンガティンガ教室やスワヒリ語教室についてのお問い合わせは
kiswahili.tingatinga [a] gmail.com(井上)まで。([a]を@にしてください)

自己紹介はこちら http://afric-africa.vis.ne.jp/member.htm#inoue
(NPO法人アフリック・アフリカ)

2009年06月04日

帰国気分満々で、今日から最後にザンジバルに行ってゆっくりあいさつ回り。 
・・・のはずだったんですが。 

昨日帰国前にご挨拶、と思って会った ティンガティンガ画家のマイケルさん(姫路在住、当時たまたま同じ時期にダルにいた)と相談の結果、 
急遽、やっぱ明日からタンザニア南部・ムトワラのマサシに行ってきます~(^^; 

元々の予定では、 
マサシ→国境→モザンビーク→タンザニアに戻って月末帰国、という予定で。 
でももう、諸々の事情で今回はモザンビークに行くのやめよ、と思って、 
モザン行きとセットで考えていたマサシ行きも、断念だなーと・・・思っていたのですが。 

昨日、マイケルさんに「今回無理っぽい。次いつ機会あるかなあ」 なんて言ってたら、
「えー残念。せっかく土曜は半年に一度のウニャゴがあるのに」 

・・・と!!! 


ウニャゴ!!? 



!!(=◇=;見たぃ!! 



ウニャゴ・・・というのは、要はタンザニアの成人儀礼です。 
割礼儀式だったり、ダンスを交えたオトナの知識伝授の機会だったり、 
地域や民族によってもかなり違うようですけれど。 

海岸部でウニャゴというと主に女の子の成女儀礼なんですが、 
マイケルさんとこでは男女ともあるらしい。しかも年齢も3歳とからしい。 

しかも民族単位でやるのかと思ってたら、 
マイケルさんとこは二つの民族(マクアとヤオ)合同でやる、地域単位のものらしい。 

ほう。 

私が普段いるザンジバルでも昔はウニャゴあったらしいけど 
今はすっかり廃れてしまっていて、私は一度もウニャゴを見たことがない。 
文献や、ビデオなんかで垣間見る程度の机上の知識だった、ウニャゴ。 
それがちょうど今このタイミングで機会がめぐってきた、ということは・・・ 


行っとかな、あかんやろ!!!



というわけで、やっぱり行ってみることにしました。 
今さっき、マイケルさんから「バスのチケット取れたよー。明日朝5時ね!」 とのお電話がありました。 
ほんと、ナクシュクル・サーナ!(あなたにはとっても感謝しております!) 

はてさて、南部タンザニアに行くの、キルワ以来だ。
特に内陸部はほんとに初めてなので、 どんなところか、とっても楽しみです。 
ウニャゴももちろん、楽しみ。 

どうも余裕のないスケジュールというのが苦手なもので、不安満々ですけれど。 
とりあえず、これも神のお導きかということで、行ってきますー。 

***********************

2009年06月08日

昨日、マサシからダルに戻りました。 
月曜に戻るつもりが、バスがないということで、日曜に。 
3泊4日の予定が、2泊3日になっちゃいました。 

でも、年々長距離移動がしんどくなってきているような。 
2泊3日で往復1000キロ移動は、なんか身体がギシギシいってます(=_=; 

一応片道一日で行けたけど、途中のキルワロードが補修工事か知らんが 
路面掘り返し中で、2時間くらいずーっとロデオマシーン(強)くらいの 
ガッタンガッタン具合。痛い痛い。跳ねる跳ねる。寝るのとか無理やし。 

そのおかげでか、「6時間で着くよ」と言われてたのが 
結局片道11~12時間くらいかかっちゃった。 

着いてからも、マイケルさんの実家で一泊、翌日はお姉さんの所で一泊、 
そして翌朝バスに乗ってトンボ帰り、というバタバタ具合。 

でも、とても歓待していただいて、 
何かほんと、申し訳ないくらいありがたかったです。 

カシューナッツが名産で、おみやげにたくさん持たせていただきました。 
カシューナッツから作った地酒も味見させてもらいました。 
すんげーきつかったので、ちょっとで十分でしたけど(^^; 

ウニャゴは、なんだか雰囲気がザンジバルの新年祭ムワカ・コグに似てたかも。 
みんな興奮状態で歌いながら集団で広場をランニングするあたり。 
そういえばムワカ・コグもアラブ文化以前のアフリカ土着宗教系のお祭だとか 
どっかで聞いたことがあったような。 

マサシでは、森に入る子供たち(儀礼を受ける子供たちは一ヶ月間森にこもる)が 
森へと出発した後、女性陣はみな上半身裸で乳を出して座って待っていた。 

なんだ、これは? 
なぜ、乳を出す? 
よくわからんが、みんなそうしてるし私もしたほうがいいのか?? 

と思って、隣のおばあさんに「わ、私も乳、出しましょうか?」 
と言ったら、「いや、あんたは出さんでいい。そのまま座っとり。」 
と断られてしまった。笑。残念。 

しばらくして、子供たちが森に着いて、男の子の割礼が終わったという 知らせ隊が戻ってくる。
そしてまた、みな走り回り、歌って踊る。 

何となく、主に女性が参加していて大人の男性は少なかったような。 
わかんないことも多くて、もっとゆっくり知りたいなあ、聞きたいなあと思うこともたくさんありましたが、でもとりあえずなんかすごいテンションで、 びっくりな感じで面白かったです。 

マサシ1 004
めっちゃ楽しそう


マサシ 026
Mbuyuniという村だったのですが、その名の通り大きなバオバブが。

マサシ 019
お料理のお手伝いをさせていただいたり。とても楽しかったです!
(この写真はココナッツをココナッツ削り器mbuziで削っているところ)



映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てきました。
結論から言うと、ザンジバルの歴史、特にザンジバル革命のことを少しでも知っている人は、
一度、見に行ってみて損はないと思います。

あと、猫がいっぱい出てきますので、猫好きさんも。笑
(ちなみにザンジバルのストーンタウンも猫がたくさんのんびりゴロゴロしてて、猫好きパラダイスですよ!!)


正直私は洋楽にとても疎くて、クイーンについてもあまりよく知らなかったのですが、
ザンジバルのストーンタウンにいたときに1~2回、近所の家が
「フレディ・マーキュリーの生家」だという噂を聞いたことがありました。

とはいえ、観光で成り立っているようなザンジバルで、そんな世界的に有名な人の生家があったら
絶対もっとアピールするはずだろうし、ただの噂なんじゃないの~??と、
ずっと真に受けていませんでした。

もともと洋楽に興味がなかったこともあって、あまり気にしないまま時が経っていました。

そして2018年、この映画が封切りされるということで、あちこちに大々的に宣伝が出はじめ、
フレディ・マーキュリーのポスターを見かけて、やっと、
「そういやこの人、ザンジバル生まれだって噂あったよなあ」と思い出しました。

そしてフレディの生い立ちについて、改めて調べてみたら・・・




この人、ザンジバル革命(*)で「追いだされた側」だったんだ。



そして身体一つで逃げた先のイギリスでは、「パキスタン野郎」なんて蔑称で呼ばれ。

異教徒、移民、同性愛、HIV・・・どれだけの差別や迫害の中で生きてきた人だったんだろう。

そしておそらく現在も、ザンジバルの社会は、彼の出自(宗教)や同性愛であるということから、
彼がザンジバル出身であるということを、あまり積極的には出しにくいのだろう、と、思います。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/5306792.stm
2006年のBBCのニュース。フレディ・マーキュリーの60年目の生誕祭イベントが
ザンジバルのUamshoの反対に遭ったことが書かれています。
 (追記: 私は知らなかったのだけど、フレディ・マーキュリーの足跡をたどるツアー(?)みたいなのも実はあるみたいです。
フレディ・マーキュリーとザンジバルについて、かなり詳しい記事が最近BBCから出てました。https://www.bbc.com/news/world-africa-45900712


そんなことを調べた後で見た映画は、
冒頭数分目で、すでにちょっと泣きそうになりました。

もしかしたら全然そんなつもりで書かれた歌詞じゃないのかもしれないし、
もしかしたら私が想像しすぎているだけなのかもしれないけど、


「死にたくない」
I don't want to die 

「生まれてこなければ良かったと時々思う」
I sometimes wish I'd never been born at all 

「Bismillah」

といった歌詞を見るたび、
この人は、ザンジバル革命の動乱を、命の危険を肌身で感じ、
どんなことを思っていたのだろう。
イギリスでは「パキ野郎」と言われ、
自分が同性愛者だと自覚したとき、
こんな、自分ではどうしようもないことを責められて、
いったい何をどう思ったのだろう、と、
何とも形容しがたい、彼の、人生に対する複雑な葛藤のようなものがにじみ出ているような感じがして、
思わず胸が痛くなりました。




ムスリムではない彼が「Bismillah」という歌詞を書いたとき、
彼は、ザンジバルを思い出したのだろうか?



自分が生まれ、暮らし、そして17才で追われたザンジバルを、
彼は、どう思っていたんだろう。



私には、分からないんですけれど。


でも、なので、私はクイーンの実際の軌跡は全然よく知らないのですが、
映画のラストシーンが、彼がたくさんの人に愛される形で終わったので、
ほんとに、良かったな・・・と思いました。

そんなザンジバル方面が入り口の映画鑑賞でしたが、
見終わった後にはすっかりにわかクイーンファンになってしまったくらい、
とても素敵な音楽も盛りだくさんでした。

ちょっとほんと、もう一回見たい。
一回ではなんだかまた心の整理がつかないくらい、なんだかすごい映画でした。


ちなみに今日11月24日は、フレディ・マーキュリーの命日だそうです。



*)ザンジバル革命は、簡単に言うと「被支配者層が支配者層を追い出した」という形です。
追い出された側は、主にアラブ系支配者層とその他旧宗主国関連、インド系など、「アフリカ系」ではない人たちで、
インドから移住したフレディ一家は、つまり「支配者層」側の人間だったから逃げたわけで、
フレディ一家がゾロアスター教だからイスラム教に追われた、という宗教的な話ではないです。
追われた(殺害された)側の多くはアラブ系支配者層、つまり追われた側も大半はイスラムの方々だったので。

ただ、フレディ自身にとっては、ザンジバルでもイギリスでも、
どこに行ってもやっぱり自分は「異教徒」だったのかな・・・と、映画を見ながら思いました。




生まれて初めて、LINEスタンプを買ってしまいました。。。

no title

これです↓
キトゥンブアくん&サンブサちゃん


可愛い・・・

存在を知ったのは、遡ること1年ほど前。
タンザニアクラスの後輩たちも購入したと聞いて、
え、私も買おっかな、めっちゃ可愛い・・・と思いつつも、
ラインほとんど使わないしなあ・・・と悩み続けて1年以上。
時々思い出してはストアを覗き、可愛いなあ、
買おうかなあ、でもなあ・・・と悩み続けておりました。

と、そんなことをふとツイッター(@mayukoinoue1)でつぶやいてみたところ、
なんと、相互フォローの方の中に、これを作ったご本人が!!

びっくりしました。笑
そして、即購入。

ご縁って、どこでどうつながるものか、ほんとわかりませんねー・・・!
(というか、スワヒリ語界隈が狭い世界すぎるのか??)

そして買ってしまうと使いたくなるもので、
早速、数少ないタンザニア人のLINE友達相手に自慢!

IMG_0370

かわいいー♪

スワヒリ語のラインスタンプ、何種類かあるみたいですけど
・使われているスワヒリ語の言葉づかい(タンザニアのスワヒリ語)
・文字の読みやすさ(大きさとフォント)
・絵の雰囲気(動物でなく食べ物なのも私の中でポイント高し!)
の点で、私はこのキトゥンブア&サンブサがとても気に入ってしまいました!

ちなみに一番好きなのは、これです。

IMG_0374

私は実はMoto派です。笑



*** おまけ ***

「キトゥンブア」とは、米粉で作ったパンみたいなお菓子なのですが、
こんな面白いコラムを見つけました。
(古いサイトみたいでちょっと読みにくいレイアウトですが)

”Kitumbua Kimeingia Mchanga”(砂まじりのキトゥンブア)
というスワヒリ文学の紹介コラムなのですが、

『“Usinitilie kitumbua changu mchanga!”と言えば、「私のキトゥンブアに砂を入れないで!」、つまり、「私の顔に泥を塗らないで!」といった意味になる。』

知らなかったー!!

実は私、まだちゃんとスワヒリ文学の作品を通しで読んだことがなくて。
この機会に、読んでみたいな。タンザニアの本屋さんで売ってるかな??




オススメのスワヒリ語辞書、
一番のオススメはもちろんダルエスサラーム大学のスワヒリ語研究所から出されているTUKIなのですが、
なかなか日本では手に入れにくいものなので、
日本でスワヒリ語を勉強したい人には、以下の辞書をオススメしています。


◼︎ まず、スワヒリ語ー日本語辞書。
大学書林から出ている『スワヒリ語常用6000語』がベストです。

スワヒリ語を学びはじめてはや15年。
これまで色んな辞書を使ってみましたが、
スワ日辞書は、やっぱりこれがベストです。

★2018年10月追記:
6000語の辞書、少し前までネットから無料で使えていたのですが、
http://cblle.tufs.ac.jp/dic/sw/v_search_list.php
プロジェクトの期限が切れたのか、現在では見られなくなっています。
ちょっとスペルを調べたい時とか重宝してたので、残念。またリリースされないかなあ。

★2018年10月追記:
まだちゃんと全部は見ていないのですが、
大阪大学のスワヒリ語独習コンテンツは
スワヒリ語を文法からきちんと勉強したい人に、かなり良さそうです!
基本からていねいに学べます。音声もついてる模様。
http://el.minoh.osaka-u.ac.jp/flc/swa/index.html

この中にちょっとしたスワ-日辞書もついてます。
http://el.minoh.osaka-u.ac.jp/flc/swa/swdic/swdic.html


◼︎ 次に、日本語ースワヒリ語辞書。
これに関しては、そもそもあまり選択肢がないのですが、
最近はGoogle翻訳もそこそこマシになってきています。
https://translate.google.co.jp/m/translate?hl=ja#sw/ja/

数年前までは、こりゃちょっと使えないなあ…って感じだったのですが、
いつの間にか、精度が上がっています。
時にはTUKIの辞書にも載っていないような単語まで出してくれるのでありがたい。
もちろん、まだまだ全面的に信じられるほどではないので、
念のため別の辞書(TUKIなり6000語なり)で逆引きして再確認する必要はありますが。
(時々変なニュアンスになってる単語もあります)

Google翻訳は3単語くらいの熟語も意外とそこそこ訳してくれたりするので、
スワー日で熟語を調べたいときなども、なかなか便利です。

★2017年11月追記:
スワヒリ語がある程度わかるかた向けですが、
スワヒリ語ースワヒリ語のネット辞書なら、
オックスフォードのものが良さそうです!
https://sw.oxforddictionaries.com/
スワヒリ語の難しい単語を調べたい時など、とても重宝しています(^ ^)★


◼︎ 文法書が必要なときは、東京外大のスワヒリ語文法書を参照しています。
ちょっとデータが大きいですが、ネット上に公開されています。
http://www.aa.tufs.ac.jp/documents/training/ilc/textbooks/2010kiswahili1.pdf



辞書選びは(特に入門レベルの方にとっては)難しいかと思いますが、
安さや手軽さに惹かれて変な辞書に手を出してしまうと、
せっかくの勉強時間が無駄になってしまう危険性もあります。
できれば慣れるまでは自己判断はせず、適切な辞書を使っていただいた方が、
後々のためになるのではないかなと思います。
また、どんな辞書でも、念のため逆引きして確認するクセをつけておいたら良いかと思います。

黄熱病のイエローカードの有効期限が、
2016年7月11日から「生涯有効」になったこと、ご存じでしたか?
(昔は10年間有効でした)

”黄熱の予防接種証明書(イエローカード)の有効期間について、
2016年7月11日以降は、これまでの「接種10日後から10年間」から、
「接種10日後から生涯有効」へと変更されました。
現在、既にお持ちの有効期間が経過した予防接種証明書も生涯有効なものとして取り扱われます。
また、更新手続は不要です。
取得した予防接種証明書は紛失しないように、生涯大切に保管してください。”
*詳しくはこちら参照→「FORTH 黄熱病について」


でも、「更新手続きは不要です」と書いてあるものの、
結婚してパスポートに記載される姓が変わっちゃったら、
パスポートの名前とイエローカードの名前が違ってしまうよなあ。
どうしたらいいんだろう。

空港とかで止められたとして、
結婚で姓が変わったって説明したら、交渉次第ではいける気もするけど、
原則はダメだろうから、その時々の相手次第ではとても面倒なことになりそう。

もう丸6年タンザニアに行っていないのだけど、
そろそろいつでも行けるように準備しておきたいなあ・・・

ということで、どうしたらいいかネットで色々調べてみたところ、
どうも、「新姓で再発行」が可能かも?という情報あり。

ひとまず2002年(16年前!)に注射打った時のイエローカードを掘り出し、手元に。

old

この時点ではまだ郵送可能かどうか確証が持てなかったので、
まずは直接受取を想定し、最寄の東京検疫所に電話してみる。

私「あの、16年前に打った黄熱病のイエローカードなんですけど・・・」
検「あ、データの保存期間は10年なので、再発行はもう無理ですね!」
私「え、いや、現物は手元にあるんですが、結婚して姓が変わったのでどうしたらいいかと!」
検「ああ、こちらで打たれました?」
私「いえ、打ったのは大阪なんですが、今住んでいるのは東京で」
検「では大阪に問い合わせて下さい!」


以上。


ポイントその①
「当時注射を打った担当機関に問い合わせて下さい!」


というわけで、大阪の検疫所の電話番号を探す。
私が当時注射を打ったのは海遊館の近くの合同庁舎だったのですが、
そこはもう黄熱病関連の場所ではなくなっている模様。
とりあえず(大阪検疫所)と書かれた「総合医療センター」に電話をかけてみる。

担当者不在とのことで、折り返しご連絡をいただき、
新姓での再発行が可能とのお返事をいただきました。


ポイントその②
・新姓での再発行は可能。ただしデータの保存期間が10年間なので、
10年以上前に注射したのであれば「旧姓のイエローカード原本」が必要。

ポイントその③
・郵送での申請・受け取りも可能。



さて、では申請手続き開始。

まずは現在手元にあるイエローカードをFAXで送ります。
ちゃんと持ってますよ、という証拠として。

その後、メールで申請書等を送ってもらい、プリントアウトして記入。
・新姓のパスポートのコピー、
・再発行手数料として収入印紙880円分、
・16年前に発行されたイエローカード原本、
・返信用封筒
を同封し、郵送。

pas
10円の収入印紙って、あるんですね。初めて見ました。
私はたまたま新宿の大きな郵便局で買ったからあったのかもしれません。
メールで送ってもらった申請書一式の中に、
「900円分の収入印紙を送る場合、おつり20円分は放棄します」という書式がついていたので、
小さな郵便局で買うと、100円単位の収入印紙しか無いのかも。


そして無事、中二日くらいで新しいイエローカードが送られてきました!!

1
発行日そのものは新しくなるわけじゃなく、2002年のままなんですね。
(注射打ったのが2002年9月11日だったので、10日後の2002年9月21日から有効。)
姓はちゃんと新しい姓になっていました。

あと、サイズが昔のよりちょっと小さくなって、はがきサイズになっていました。笑
(昔のは二つ折りにしてパスポートにはさんでちょうどいいくらいのサイズでした)


やってみたら全く問題なくあっさり姓変更できたんですが、
イエローカードの姓変更手続きの情報って、ほんとなかなか出てこなくって、
あちこち電話して、ちょっとめんどくさかった。

16年経ってるし、いっそ新しく打ち直しちゃった方が簡単かなとも思ったんですけど、
ワクチン不足で渡航の一ヶ月前からしか打ってもらえないような現状ですし、
もし再発行が可能ならば、不要なワクチン消費はしないほうがいいよね・・・
あと値段的にも1/10くらいですむし、注射痛いしね・・・と。

でも、10年ごとに打ち直していた時代ならともかく、
生涯有効になったら、今後姓変更が必要な人たちは増えるはず。
パスポートの記載事項変更くらい、イエローカードの姓変更についても
もっとわかりやすくあちこちに正式な情報を出しておいてほしいものです。
(例えばせめて各検疫所の黄熱病についてのページとかさ…)

ちなみに日本-タンザニア間はイエローカードが無くても入国できるはずですが、
他国経由でタンザニアに入国とか、タンザニアから他国に入国とかの際には
黄熱病のイエローカードが必要な場合があります。

いつ何時、何が起こるかわからない世の中ですので、
持っていないよりは、持っていた方が安心。

もし「そういえば大昔、黄熱病の予防注射したな・・・」って方がいたら、
ぜひまだ家にあるか確認してみて下さい。まだまだずっと、使えますよ。

*追記*
こちらに記載内容変更について書いてありました。
https://www.forth.go.jp/keneki/tokyo/syokai/kaigaitokouQ&A.htm#Q13
担当する機関によって、再発行手数料が異なる可能性があるようですね。
再発行の際は、ぜひ事前にご確認を。

2011年09月12日

2011年9月9日(金)の夜にウングジャ島を出航し、ペンバ島に向かった夜行フェリーが
ウングジャ島の北・ヌングイ沖で沈没したそうです。

船名は「スパイス・アイランダー」。

毎週金曜の夜にウングジャ島のストーンタウンを出て、
翌土曜の朝にペンバ島のウェテに着き、そしてタンガに行ったあと、
火曜にまたペンバ島に戻ってきて、水曜の朝にストーンタウンに戻る定期船です。


ペンバ島南部のムコアニの港は、ペンバで最も大きな港なので、
昼行船やスピードボートなど、さまざまな船が、本数もたくさん行き来しています。
また、空港もペンバ島の真ん中の、比較的ムコアニと連絡の良いところにあります。
なのでダイビングなどの観光客が訪れるのは、主にこの中南部が中心です。

でも、ペンバ島の北部州に行くには、第二の港・ウェテを使います。
毎週金曜の夜に出る夜行船は、ウェテに行くほぼ唯一、そして最大の交通手段。
私も昔ペンバ島に行ったときは、この金曜の夜に出る夜行船に乗りました。
(居候していた家の人たちの田舎が、ウェテ近郊なので)

イスラム教徒にとって特別な曜日である毎週金曜の夜に、
2~3本のペンバ島ウェテ行きの船が、ウングジャのストーンタウンの港から出航します。

ウェテはクローブ林こそたくさんあるものの、そんなに観光地でもないので、
金曜の夜に出るこの船は、観光客はほとんど乗ることがないような、ローカル船です。

だから、安くて、そしてボロボロです。
私がペンバに行ったときも、火曜に戻ってくるはずだったこの船がタンガで壊れ、
来週までウェテ港からは船が出ないと言われたので、
丸一日かけて南端のムコアニ港まで出て、昼行船に飛び乗ったのを覚えています。

でも、ボロボロでも、ウェテの港を使うペンバ島北部出身者にとって、なくてはならない船です。

甲板の木のベンチに、隙間もないくらいぎゅうぎゅうに詰めて座って、
星空のもと、そのまま身動きとれずに8時間。
暗い海の中を走り、海面がすごく近かったのを覚えています。

それでも、ペンバに向かう人たちは、みんなウキウキした顔をしていました。
乗客の多くは、子連れの女性や、おじいちゃん、おばあちゃん、
ほぼみんな、ペンバ島の出身者だと思われます。



9月10日の日本時間の夕方に事故の第一報を聞き、驚いてザンジバルの家に電話をした。
「前にあなたも乗った船よ!子供もたくさん死んで、死んだのはみんなペンバ人だよ!」
と、電話口で三女が叫んだ。

私が居候していた家の人たち、彼女らもペンバ人です。

ペンバ島からウングジャ島に「上京」してきている人たちはたくさんいて、
特にラマダンが明けて一週間しか経っていない今の時期は、
ペンバからウングジャの親戚知人のところに遊びに来ていた人のUターンや、
反対にウングジャに住んでいるペンバ出身者たちが地元に里帰りする、
日本で言うお盆や正月のような時期にあたる、普段以上に人の動きが多いときです。

船にも、いつも以上にたくさんの人や荷物が乗っていたと思います。

ウングジャでラマダン明けのお祭りを楽しんだ人たちや、
久しぶりに田舎のおじいちゃんおばあちゃんに会うために
おめかしをした子供たちも、きっとたくさん乗っていたと思います。

みんな、ペンバに戻ることを楽しみにして。

本当に、痛ましいHabariです。


無事に救助された方が、これから少しでもたくさんの幸福に恵まれて過ごされることを、
そして亡くなった方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。




一部の報道では、600人定員のところ、800人くらいが乗っていたとか。
でも、乳幼児はそもそもチケット代に反映されないし、人数把握もされないものなので
小さな子供たちも含めれば、もう少し多くの人が乗っていただろうと思います。

死者数や救助された人の数などは、今のところ各報道によってバラバラなので
正確な数はわかりませんが、少なくとも200人近くの死亡が確認されているようです。
(一部報道では、340人という数字も出ています)

救助された人数は、BBCのニュースでは620人と出ていました。

また、一部の情報では、亡くなった方の多くは、女性と子供だったこと、
船は10日午前1時半ごろから、午前3時ごろまでの間にゆっくり沈んでいったとありました。
原因は、過積載と、整備不良、そして悪天候。
そして、イスラムの女性は、海に入る機会もほとんどないし、泳げません。
ましてや手足に絡まり付くブイブイを着て、小さな子供を連れて……


一人でも多くの方が救助されることを、
そしてペンバ島出身者にとってなくてはならない交通手段である夜行船が
ローカルな、普通の人もちゃんと利用できる現在の価格のままで、
ちゃんと整備され、安全が確保されることを願ってやみません。

ウングジャ島に暮らすペンバ島の北部出身者にとって、
ウェテに直行してくれる夜行船は、帰省になくてはならないもの。

何度も見かけた、とても身近な船だっただけに、本当にショックです。
少しでも多くの人が、無事でありますように。。。


** 追記 **

2012年1月20日のBBCニュースで、事故の調査報告が出ていました。
https://www.bbc.com/swahili/habari/2012/01/111122_tanzania_zanzibar_meli

定員620人の船に、
定員の約4倍にもなる2470人が乗っていたとみられ、
うち1370人が行方不明(死者含む?)だそうです。。。


****

ザンジバルはその後だいぶ乗船管理が厳しくなって、
2012年にペンバに行った時は船のチケット購入時の身分証明書(無い人は地区の偉い人に一筆書いてもらって)提示が全員必須になってたし、
チケット要らない子どもも乗船次第一人一人名前を聞かれて記録されていました。

過積載問題含め、もっと改善されるといいのですけれど。。。


2012年9月4日

本日、帰国しました。
たった18日間とは思えないくらい、毎日色んなミラクルがたっぷりつまった
ものすごく充実した毎日でした。

6年ぶりに、青と緑がまざるザンジバルの海で泳いだり、
マンガプワニの珊瑚の洞窟に入ったり、
ダルの海沿いの道をバイクの後ろに乗せてもらってブルームーンを見たり。

2009年3月~:ザンジバル12 017

本当に色々な嬉しい偶然やたまたまがたくさんあって、
本当に本当に、タンザニアの神様は私を甘やかす。

色々と思うところもあり、出国前は、10年の節目である今回で、これで最後のタンザニアにしようと思ってた。
でもタンザニアに来て、色んな懐かしい方々と偶然タイミングよく会えたり、嬉しいことたくさんあると、
いつ死ぬか、いつまで生きるかわからない人間の身で、
これが最後だなんて勝手に答えを出そうとするのは、おこがましいことのように思えてきた。

ザンジバルのママとのお別れの挨拶は、いつも
「また会いましょう 神が望むなら そして私たちが元気で生きていたのなら」

ご縁があれば、また何らかの形で嬉しい偶然があるんでしょう。
私ができることは、帆を張る努力をすることだけ。
風と潮の流れは、今後もきっと神様次第。

ダウ船

6年ぶりに、やっとまた風がザンジバルの方に向かって吹きはじめたかな…?という予感。



迷子になりやすいストーンタウンの数少ない目印(待ち合わせ場所)のひとつ、
「ジョーズコーナー」
2009年2月~:ザンジバル6 009




2009年2月3日

おとといの夜、すごい久々に喘息がでて、
次の日の昼ごろまで肺と背中と気管支が痛かった。

家のママたちに、どうしたん?調子悪いの?と聞かれたので、
「いやあ、昨日の夜、喘息(pumu)がでて。。。息とまって、死ぬかと思った」
と言ったら、

「なんでそのときに言わなかった?」と、
ちょっと長男に怒られました。

聞くと、実は長男も子供のころ喘息もちだったらしい。
さらに四女も子供のころ喘息もちだったと。

意外に喘息もち多いのね。

前の滞在のときは日射と雨期の湿気と雨漏りと強力粉洗剤のせいでアトピーがひどくて、
でもこっちの人ってアトピーないから、全然理解されなくて
なので喘息も、普通にはみかけないしあんまりいないのかなーと思って黙ってたんだけど。

とりあえず喘息は理解を得られたので、一安心。

ちなみに喘息の薬はワインらしい。スプーンに一杯二杯飲むと、喘息がとまるらしい。
ホンマに効くのか??

*********************
いつも私が使っていた部屋 2008年
ITPナイロビ2008 206

いつも私が使っていた部屋 2009年
DSCF5697

お掃除とか内装って、大事。
でもストーンタウンのとても古い石造りの家の屋根裏みたいな最上階の部屋だったので、
窓も木の枠しかないので雨吹き込んでくるし、上のトタン屋根もめっちゃ雨漏りしてくるんですよ。
毎回雨期の雨漏りの水で、アトピーが悪化してました。
トタンの穴を塞いでもらったり、自分でビニールシートを設置してみたり、
色々してみてたんですけどね。

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2009年2月18日

今日、ママに「生理痛で・・・」という話をしてたら、
「あら、あなたたち白い人も生理痛になるのね。てっきり私らアフリカ人だけかと思ってたわ」
と言われた。

ってか、実は私も逆に
アフリカの女性たちが毎日元気に働いてるもんだから、
てっきりアフリカの女性は生理痛軽いと思ってたよ。笑

先入観って、互いにいろんなところであるんだよな。
でも一緒にいて、いろいろ少しずつ慣れて知っていったら、
そんな先入観がいかに根拠の無いことかと思ってくる。

最近、私がお世話になってる家の娘たちは私が道端で「チナ!(中国人)」と呼ばれると
「あいつら中国人と日本人の見分けもつかないでやんの。馬鹿じゃない」と毒吐いてくれます。笑。
あなたがたも最初は日本と中国一緒だと思ってただろ・・・笑。
と思いながらも、そうやって代わりに怒ってくれるのが、とても嬉しかったり。

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追記:2009年滞在時にもアトピーやアレルギーが出ていて、
「なぜこいつは日本に帰ると治るのに、こっちに住むとこんなに肌がボロボロになるのか」と
近所の人たちも含めてけっこう心配されたりしていました(^^;

その中で、「私の肌は弱いので、あまり雨に当たりすぎたり、太陽に当たりすぎたりするとボロボロになるし、あと鯖という種類の魚を食べるとかゆくなったりする」という話をすると、
近所のおばちゃんが「うちの親戚の子にも、タコを触るとかゆくなる子がいるわ!」と。
また、「そういえば太陽にあたりすぎると肌が腫れる子もいるわ」と別のおっちゃん。

2009年当時はあまりアレルギーが一般的でなかったのですが(今はどうかな?)
話を聞いていくうちに、意外とザンジバルの子でもそういう体質の子、いるのね、ということに。

そういうもんなので、大丈夫。うつる病気じゃないし、薬も持ってきてるし、
そんなに心配しなくて大丈夫ですよ、ということで家の人たちもちょっとほっとしたようでした。

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私の元気のもと、オロジョ(urojo)

2006調査 その2  6月~9月 234

こういう屋台で売られたり、
民家の軒先でおばちゃんのスモールビジネスとして売られたりしてました。
(私がお世話になってた家のママも一時期売ってました)
鍋の中に入ってるスープに、お好みでカチョリとかムシカキとか
キャッサバの細かいチップスとかの具を入れてくれます。

とても美味しいし、「食い過ぎると尻がデカくなるぞ」と言われたので、
きっと栄養豊富なんでしょう。笑

ザンジバルのストーンタウンでお世話になっていた家は、
革命前はインド人居住エリアだったそうで、古いながらも造りの上では蛇口もあるし、
トイレも和式ながら水洗の造りをしているし、台所にもシンクがあるのですが、
どこからも水は出ませんでした。

昔は水、出てたんだけどねえ…と、ママ談。
2006年に滞在していた時は雨期だけ一番低いところにある蛇口だけ水が出ていましたが、
2009年にはもう完全に家のどこの蛇口からも水は出なくなっていました。

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2009年3月6日

なんと、うちの家、やっと水が出るようになった!!

都市に生活していますが、観光エリアを外れるとザンジバルは微妙に田舎気味なので、
インフラも微妙に、お金をかけない限りあまりちゃんとしてなかったりする。
で、うちの家も、蛇口はあるんだけど水は出なくて、水浴びのための水は汲み置き、
洗濯は50Mほど離れた近所の公共水道まで出て道端で洗濯してました。

家の前の水道管からは、毎朝5時半から6時半の間のみ水が出たので、
家のお母さんが毎朝5時半に起きて汲み置き用の水を汲んでくれていた。
その水も、先週二日連続で出なくなってしまった。

50Mほど離れた最寄の公共水道は比較的常に水が出るので、
2006年の調査のときから、私も水が無いときは自分の使う分くらいは
自分で汲んできていた。(洗濯しなければ、一日20ℓあれば足りるし)
おかげで頭にバケツ乗せて運べるようになりましたけど。

でも一昨年上の二人が婚出して、
下の子達も大きくなって水もたくさんいるようになった割りに労働力は足りなくて、
2006年の滞在のときより、今回のほうが水問題は深刻になってた。
お父さん70歳で足もそんなによくないし、長男あんまり家にいないし、
子供たちも一回10ℓくらいずつしか運べない。

けど一家8人、洗濯しなくても一日150リットルは最低でも必要。
洗濯するなら200リットルくらいはいる。
汲みに行く労働力は子供たちだけでは足りない。
水売りのおっちゃんから買うとなると、20リットル入りのポリタンクひとつ200シリング(20円)。
人を使って汲んでもらうなら、一日300シリング~500シリングくらい。
しかし、お金を払ってパイプを引いて水を(近所で井戸を所有している人のところから)プライベートに引いてくるなら、
月々定額10000シリング(千円)。

「もう、工事費を借金してでもいいから、水引きたい!!」

家の前の水道管から水が出なくなって二日目、とうとうお母さんが決断した。
工事費(初期投資)が2万シリング(2千円)かかるらしいが、借金してでも引くと。
月々1万シルの水道代は、水を買ったり人を使ったりすることを考えれば、
そう悪くない値段だし、払うことも無理じゃないと。

と、いうことなので、
近所の人に借金するよりは、と思って工事費は私が持ち、
月々の水道代は家の家計からちゃんと出す、ということで、
とうとう我が家も水を引くことになったのです。

私も今年は断続的ながら丸一年ずっとかかわり続けると思うし、
毎回「おい!中国人が道端で洗濯してるぞ!」とか。
「おまえ白人なのに家に水でないのか?」とか絡まれるの、いい加減イヤやし・・・

水が出た日、一番下の子(4歳)は大興奮で、
もうやめろっつーのに4回も水浴びしやがった(笑)

外からパイプを入れているので、日中は日射でパイプ内の水が熱くなっているらしく、
昼に水浴びした長男は「すごい!うちの家はとうとうお湯まで出るようになったぞ!(笑)」
と大ハシャギ。笑。

お湯、昼しか出ないけどね。笑。
つーか、昼は冷たい水ほしくても出ないんだけどね。笑。

でも、水の心配がなくなったのは、とても嬉しい。
日本にいると水はあって当たり前の生活だけど、
やっぱり、水は生きる上でどうしても必要なもの。

2008年12月~:ザンジバル 019

汲み置きの水で洗い物や洗濯、水浴びをしていました。
飲料用の水は飲料用のバケツに別途汲み置き(水は同じ水ですが)