ダウ船日記〜アフリカ&ザンジバル〜(新)

「風待ちの島」ザンジバル ・・・  なんのご縁か東アフリカ・タンザニアのザンジバル島に流れ着き、ティンガティンガの画家に弟子入りをしてみたり、ペンバ島出身のイスラム家庭になじんでみたり。

ティンガティンガ教室やスワヒリ語教室についてのお問い合わせは
kiswahili.tingatinga [a] gmail.com(井上)まで。([a]を@にしてください)

自己紹介はこちら http://afric-africa.vis.ne.jp/member.htm#inoue
(NPO法人アフリック・アフリカ)

黄熱病のイエローカードの有効期限が、
2016年7月11日から「生涯有効」になったこと、ご存じでしたか?
(昔は10年間有効でした)

”黄熱の予防接種証明書(イエローカード)の有効期間について、
2016年7月11日以降は、これまでの「接種10日後から10年間」から、
「接種10日後から生涯有効」へと変更されました。
現在、既にお持ちの有効期間が経過した予防接種証明書も生涯有効なものとして取り扱われます。
また、更新手続は不要です。
取得した予防接種証明書は紛失しないように、生涯大切に保管してください。”
*詳しくはこちら参照→「FORTH 黄熱病について」


でも、「更新手続きは不要です」と書いてあるものの、
結婚してパスポートに記載される姓が変わっちゃったら、
パスポートの名前とイエローカードの名前が違ってしまうよなあ。
どうしたらいいんだろう。

空港とかで止められたとして、
結婚で姓が変わったって説明したら、交渉次第ではいける気もするけど、
原則はダメだろうから、その時々の相手次第ではとても面倒なことになりそう。

もう丸6年タンザニアに行っていないのだけど、
そろそろいつでも行けるように準備しておきたいなあ・・・

ということで、どうしたらいいかネットで色々調べてみたところ、
どうも、「新姓で再発行」が可能かも?という情報あり。

ひとまず2002年(16年前!)に注射打った時のイエローカードを掘り出し、手元に。

old

この時点ではまだ郵送可能かどうか確証が持てなかったので、
まずは直接受取を想定し、最寄の東京検疫所に電話してみる。

私「あの、16年前に打った黄熱病のイエローカードなんですけど・・・」
検「あ、データの保存期間は10年なので、再発行はもう無理ですね!」
私「え、いや、現物は手元にあるんですが、結婚して姓が変わったのでどうしたらいいかと!」
検「ああ、こちらで打たれました?」
私「いえ、打ったのは大阪なんですが、今住んでいるのは東京で」
検「では大阪に問い合わせて下さい!」


以上。


ポイントその①
「当時注射を打った担当機関に問い合わせて下さい!」


というわけで、大阪の検疫所の電話番号を探す。
私が当時注射を打ったのは海遊館の近くの合同庁舎だったのですが、
そこはもう黄熱病関連の場所ではなくなっている模様。
とりあえず(大阪検疫所)と書かれた「総合医療センター」に電話をかけてみる。

担当者不在とのことで、折り返しご連絡をいただき、
新姓での再発行が可能とのお返事をいただきました。


ポイントその②
・新姓での再発行は可能。ただしデータの保存期間が10年間なので、
10年以上前に注射したのであれば「旧姓のイエローカード原本」が必要。

ポイントその③
・郵送での申請・受け取りも可能。



さて、では申請手続き開始。

まずは現在手元にあるイエローカードをFAXで送ります。
ちゃんと持ってますよ、という証拠として。

その後、メールで申請書等を送ってもらい、プリントアウトして記入。
・新姓のパスポートのコピー、
・再発行手数料として収入印紙880円分、
・16年前に発行されたイエローカード原本、
・返信用封筒
を同封し、郵送。

pas
10円の収入印紙って、あるんですね。初めて見ました。
私はたまたま新宿の大きな郵便局で買ったからあったのかもしれません。
メールで送ってもらった申請書一式の中に、
「900円分の収入印紙を送る場合、おつり20円分は放棄します」という書式がついていたので、
小さな郵便局で買うと、100円単位の収入印紙しか無いのかも。


そして無事、中二日くらいで新しいイエローカードが送られてきました!!

1
発行日そのものは新しくなるわけじゃなく、2002年のままなんですね。
(注射打ったのが2002年9月11日だったので、10日後の2002年9月21日から有効。)
姓はちゃんと新しい姓になっていました。

あと、サイズが昔のよりちょっと小さくなって、はがきサイズになっていました。笑
(昔のは二つ折りにしてパスポートにはさんでちょうどいいくらいのサイズでした)


やってみたら全く問題なくあっさり姓変更できたんですが、
イエローカードの姓変更手続きの情報って、ほんとなかなか出てこなくって、
あちこち電話して、ちょっとめんどくさかった。

16年経ってるし、いっそ新しく打ち直しちゃった方が簡単かなとも思ったんですけど、
ワクチン不足で渡航の一ヶ月前からしか打ってもらえないような現状ですし、
もし再発行が可能ならば、不要なワクチン消費はしないほうがいいよね・・・
あと値段的にも1/10くらいですむし、注射痛いしね・・・と。

でも、10年ごとに打ち直していた時代ならともかく、
生涯有効になったら、今後姓変更が必要な人たちは増えるはず。
パスポートの記載事項変更くらい、イエローカードの姓変更についても
もっとわかりやすくあちこちに正式な情報を出しておいてほしいものです。
(例えばせめて各検疫所の黄熱病についてのページとかさ…)

ちなみに日本-タンザニア間はイエローカードが無くても入国できるはずですが、
他国経由でタンザニアに入国とか、タンザニアから他国に入国とかの際には
黄熱病のイエローカードが必要な場合があります。

いつ何時、何が起こるかわからない世の中ですので、
持っていないよりは、持っていた方が安心。

もし「そういえば大昔、黄熱病の予防注射したな・・・」って方がいたら、
ぜひまだ家にあるか確認してみて下さい。まだまだずっと、使えますよ。

*追記*
こちらに記載内容変更について書いてありました。
https://www.forth.go.jp/keneki/tokyo/syokai/kaigaitokouQ&A.htm#Q13
担当する機関によって、再発行手数料が異なる可能性があるようですね。
再発行の際は、ぜひ事前にご確認を。

2011年09月12日

2011年9月9日(金)の夜にウングジャ島を出航し、ペンバ島に向かった夜行フェリーが
ウングジャ島の北・ヌングイ沖で沈没したそうです。

船名は「スパイス・アイランダー」。

毎週金曜の夜にウングジャ島のストーンタウンを出て、
翌土曜の朝にペンバ島のウェテに着き、そしてタンガに行ったあと、
火曜にまたペンバ島に戻ってきて、水曜の朝にストーンタウンに戻る定期船です。


ペンバ島南部のムコアニの港は、ペンバで最も大きな港なので、
昼行船やスピードボートなど、さまざまな船が、本数もたくさん行き来しています。
また、空港もペンバ島の真ん中の、比較的ムコアニと連絡の良いところにあります。
なのでダイビングなどの観光客が訪れるのは、主にこの中南部が中心です。

でも、ペンバ島の北部州に行くには、第二の港・ウェテを使います。
毎週金曜の夜に出る夜行船は、ウェテに行くほぼ唯一、そして最大の交通手段。
私も昔ペンバ島に行ったときは、この金曜の夜に出る夜行船に乗りました。
(居候していた家の人たちの田舎が、ウェテ近郊なので)

イスラム教徒にとって特別な曜日である毎週金曜の夜に、
2~3本のペンバ島ウェテ行きの船が、ウングジャのストーンタウンの港から出航します。

ウェテはクローブ林こそたくさんあるものの、そんなに観光地でもないので、
金曜の夜に出るこの船は、観光客はほとんど乗ることがないような、ローカル船です。

だから、安くて、そしてボロボロです。
私がペンバに行ったときも、火曜に戻ってくるはずだったこの船がタンガで壊れ、
来週までウェテ港からは船が出ないと言われたので、
丸一日かけて南端のムコアニ港まで出て、昼行船に飛び乗ったのを覚えています。

でも、ボロボロでも、ウェテの港を使うペンバ島北部出身者にとって、なくてはならない船です。

甲板の木のベンチに、隙間もないくらいぎゅうぎゅうに詰めて座って、
星空のもと、そのまま身動きとれずに8時間。
暗い海の中を走り、海面がすごく近かったのを覚えています。

それでも、ペンバに向かう人たちは、みんなウキウキした顔をしていました。
乗客の多くは、子連れの女性や、おじいちゃん、おばあちゃん、
ほぼみんな、ペンバ島の出身者だと思われます。



9月10日の日本時間の夕方に事故の第一報を聞き、驚いてザンジバルの家に電話をした。
「前にあなたも乗った船よ!子供もたくさん死んで、死んだのはみんなペンバ人だよ!」
と、電話口で三女が叫んだ。

私が居候していた家の人たち、彼女らもペンバ人です。

ペンバ島からウングジャ島に「上京」してきている人たちはたくさんいて、
特にラマダンが明けて一週間しか経っていない今の時期は、
ペンバからウングジャの親戚知人のところに遊びに来ていた人のUターンや、
反対にウングジャに住んでいるペンバ出身者たちが地元に里帰りする、
日本で言うお盆や正月のような時期にあたる、普段以上に人の動きが多いときです。

船にも、いつも以上にたくさんの人や荷物が乗っていたと思います。

ウングジャでラマダン明けのお祭りを楽しんだ人たちや、
久しぶりに田舎のおじいちゃんおばあちゃんに会うために
おめかしをした子供たちも、きっとたくさん乗っていたと思います。

みんな、ペンバに戻ることを楽しみにして。

本当に、痛ましいHabariです。


無事に救助された方が、これから少しでもたくさんの幸福に恵まれて過ごされることを、
そして亡くなった方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。




一部の報道では、600人定員のところ、800人くらいが乗っていたとか。
でも、乳幼児はそもそもチケット代に反映されないし、人数把握もされないものなので
小さな子供たちも含めれば、もう少し多くの人が乗っていただろうと思います。

死者数や救助された人の数などは、今のところ各報道によってバラバラなので
正確な数はわかりませんが、少なくとも200人近くの死亡が確認されているようです。
(一部報道では、340人という数字も出ています)

救助された人数は、BBCのニュースでは620人と出ていました。

また、一部の情報では、亡くなった方の多くは、女性と子供だったこと、
船は10日午前1時半ごろから、午前3時ごろまでの間にゆっくり沈んでいったとありました。
原因は、過積載と、整備不良、そして悪天候。
そして、イスラムの女性は、海に入る機会もほとんどないし、泳げません。
ましてや手足に絡まり付くブイブイを着て、小さな子供を連れて……


一人でも多くの方が救助されることを、
そしてペンバ島出身者にとってなくてはならない交通手段である夜行船が
ローカルな、普通の人もちゃんと利用できる現在の価格のままで、
ちゃんと整備され、安全が確保されることを願ってやみません。

ウングジャ島に暮らすペンバ島の北部出身者にとって、
ウェテに直行してくれる夜行船は、帰省になくてはならないもの。

何度も見かけた、とても身近な船だっただけに、本当にショックです。
少しでも多くの人が、無事でありますように。。。


** 追記 **

2012年1月20日のBBCニュースで、事故の調査報告が出ていました。
https://www.bbc.com/swahili/habari/2012/01/111122_tanzania_zanzibar_meli

定員620人の船に、
定員の約4倍にもなる2470人が乗っていたとみられ、
うち1370人が行方不明(死者含む?)だそうです。。。


****

ザンジバルはその後だいぶ乗船管理が厳しくなって、
2012年にペンバに行った時は船のチケット購入時の身分証明書(無い人は地区の偉い人に一筆書いてもらって)提示が全員必須になってたし、
チケット要らない子どもも乗船次第一人一人名前を聞かれて記録されていました。

過積載問題含め、もっと改善されるといいのですけれど。。。


2012年9月4日

本日、帰国しました。
たった18日間とは思えないくらい、毎日色んなミラクルがたっぷりつまった
ものすごく充実した毎日でした。

6年ぶりに、青と緑がまざるザンジバルの海で泳いだり、
マンガプワニの珊瑚の洞窟に入ったり、
ダルの海沿いの道をバイクの後ろに乗せてもらってブルームーンを見たり。

2009年3月~:ザンジバル12 017

本当に色々な嬉しい偶然やたまたまがたくさんあって、
本当に本当に、タンザニアの神様は私を甘やかす。

色々と思うところもあり、出国前は、10年の節目である今回で、これで最後のタンザニアにしようと思ってた。
でもタンザニアに来て、色んな懐かしい方々と偶然タイミングよく会えたり、嬉しいことたくさんあると、
いつ死ぬか、いつまで生きるかわからない人間の身で、
これが最後だなんて勝手に答えを出そうとするのは、おこがましいことのように思えてきた。

ザンジバルのママとのお別れの挨拶は、いつも
「また会いましょう 神が望むなら そして私たちが元気で生きていたのなら」

ご縁があれば、また何らかの形で嬉しい偶然があるんでしょう。
私ができることは、帆を張る努力をすることだけ。
風と潮の流れは、今後もきっと神様次第。

ダウ船

6年ぶりに、やっとまた風がザンジバルの方に向かって吹きはじめたかな…?という予感。



迷子になりやすいストーンタウンの数少ない目印(待ち合わせ場所)のひとつ、
「ジョーズコーナー」
2009年2月~:ザンジバル6 009




2009年2月3日

おとといの夜、すごい久々に喘息がでて、
次の日の昼ごろまで肺と背中と気管支が痛かった。

家のママたちに、どうしたん?調子悪いの?と聞かれたので、
「いやあ、昨日の夜、喘息(pumu)がでて。。。息とまって、死ぬかと思った」
と言ったら、

「なんでそのときに言わなかった?」と、
ちょっと長男に怒られました。

聞くと、実は長男も子供のころ喘息もちだったらしい。
さらに四女も子供のころ喘息もちだったと。

意外に喘息もち多いのね。

前の滞在のときは日射と雨期の湿気と雨漏りと強力粉洗剤のせいでアトピーがひどくて、
でもこっちの人ってアトピーないから、全然理解されなくて
なので喘息も、普通にはみかけないしあんまりいないのかなーと思って黙ってたんだけど。

とりあえず喘息は理解を得られたので、一安心。

ちなみに喘息の薬はワインらしい。スプーンに一杯二杯飲むと、喘息がとまるらしい。
ホンマに効くのか??

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いつも私が使っていた部屋 2008年
ITPナイロビ2008 206

いつも私が使っていた部屋 2009年
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お掃除とか内装って、大事。
でもストーンタウンのとても古い石造りの家の屋根裏みたいな最上階の部屋だったので、
窓も木の枠しかないので雨吹き込んでくるし、上のトタン屋根もめっちゃ雨漏りしてくるんですよ。
毎回雨期の雨漏りの水で、アトピーが悪化してました。
トタンの穴を塞いでもらったり、自分でビニールシートを設置してみたり、
色々してみてたんですけどね。

********************

2009年2月18日

今日、ママに「生理痛で・・・」という話をしてたら、
「あら、あなたたち白い人も生理痛になるのね。てっきり私らアフリカ人だけかと思ってたわ」
と言われた。

ってか、実は私も逆に
アフリカの女性たちが毎日元気に働いてるもんだから、
てっきりアフリカの女性は生理痛軽いと思ってたよ。笑

先入観って、互いにいろんなところであるんだよな。
でも一緒にいて、いろいろ少しずつ慣れて知っていったら、
そんな先入観がいかに根拠の無いことかと思ってくる。

最近、私がお世話になってる家の娘たちは私が道端で「チナ!(中国人)」と呼ばれると
「あいつら中国人と日本人の見分けもつかないでやんの。馬鹿じゃない」と毒吐いてくれます。笑。
あなたがたも最初は日本と中国一緒だと思ってただろ・・・笑。
と思いながらも、そうやって代わりに怒ってくれるのが、とても嬉しかったり。

*****

追記:2009年滞在時にもアトピーやアレルギーが出ていて、
「なぜこいつは日本に帰ると治るのに、こっちに住むとこんなに肌がボロボロになるのか」と
近所の人たちも含めてけっこう心配されたりしていました(^^;

その中で、「私の肌は弱いので、あまり雨に当たりすぎたり、太陽に当たりすぎたりするとボロボロになるし、あと鯖という種類の魚を食べるとかゆくなったりする」という話をすると、
近所のおばちゃんが「うちの親戚の子にも、タコを触るとかゆくなる子がいるわ!」と。
また、「そういえば太陽にあたりすぎると肌が腫れる子もいるわ」と別のおっちゃん。

2009年当時はあまりアレルギーが一般的でなかったのですが(今はどうかな?)
話を聞いていくうちに、意外とザンジバルの子でもそういう体質の子、いるのね、ということに。

そういうもんなので、大丈夫。うつる病気じゃないし、薬も持ってきてるし、
そんなに心配しなくて大丈夫ですよ、ということで家の人たちもちょっとほっとしたようでした。

DSCF5692

私の元気のもと、オロジョ(urojo)

2006調査 その2  6月~9月 234

こういう屋台で売られたり、
民家の軒先でおばちゃんのスモールビジネスとして売られたりしてました。
(私がお世話になってた家のママも一時期売ってました)
鍋の中に入ってるスープに、お好みでカチョリとかムシカキとか
キャッサバの細かいチップスとかの具を入れてくれます。

とても美味しいし、「食い過ぎると尻がデカくなるぞ」と言われたので、
きっと栄養豊富なんでしょう。笑

ザンジバルのストーンタウンでお世話になっていた家は、
革命前はインド人居住エリアだったそうで、古いながらも造りの上では蛇口もあるし、
トイレも和式ながら水洗の造りをしているし、台所にもシンクがあるのですが、
どこからも水は出ませんでした。

昔は水、出てたんだけどねえ…と、ママ談。
2006年に滞在していた時は雨期だけ一番低いところにある蛇口だけ水が出ていましたが、
2009年にはもう完全に家のどこの蛇口からも水は出なくなっていました。

____

2009年3月6日

なんと、うちの家、やっと水が出るようになった!!

都市に生活していますが、観光エリアを外れるとザンジバルは微妙に田舎気味なので、
インフラも微妙に、お金をかけない限りあまりちゃんとしてなかったりする。
で、うちの家も、蛇口はあるんだけど水は出なくて、水浴びのための水は汲み置き、
洗濯は50Mほど離れた近所の公共水道まで出て道端で洗濯してました。

家の前の水道管からは、毎朝5時半から6時半の間のみ水が出たので、
家のお母さんが毎朝5時半に起きて汲み置き用の水を汲んでくれていた。
その水も、先週二日連続で出なくなってしまった。

50Mほど離れた最寄の公共水道は比較的常に水が出るので、
2006年の調査のときから、私も水が無いときは自分の使う分くらいは
自分で汲んできていた。(洗濯しなければ、一日20ℓあれば足りるし)
おかげで頭にバケツ乗せて運べるようになりましたけど。

でも一昨年上の二人が婚出して、
下の子達も大きくなって水もたくさんいるようになった割りに労働力は足りなくて、
2006年の滞在のときより、今回のほうが水問題は深刻になってた。
お父さん70歳で足もそんなによくないし、長男あんまり家にいないし、
子供たちも一回10ℓくらいずつしか運べない。

けど一家8人、洗濯しなくても一日150リットルは最低でも必要。
洗濯するなら200リットルくらいはいる。
汲みに行く労働力は子供たちだけでは足りない。
水売りのおっちゃんから買うとなると、20リットル入りのポリタンクひとつ200シリング(20円)。
人を使って汲んでもらうなら、一日300シリング~500シリングくらい。
しかし、お金を払ってパイプを引いて水を(近所で井戸を所有している人のところから)プライベートに引いてくるなら、
月々定額10000シリング(千円)。

「もう、工事費を借金してでもいいから、水引きたい!!」

家の前の水道管から水が出なくなって二日目、とうとうお母さんが決断した。
工事費(初期投資)が2万シリング(2千円)かかるらしいが、借金してでも引くと。
月々1万シルの水道代は、水を買ったり人を使ったりすることを考えれば、
そう悪くない値段だし、払うことも無理じゃないと。

と、いうことなので、
近所の人に借金するよりは、と思って工事費は私が持ち、
月々の水道代は家の家計からちゃんと出す、ということで、
とうとう我が家も水を引くことになったのです。

私も今年は断続的ながら丸一年ずっとかかわり続けると思うし、
毎回「おい!中国人が道端で洗濯してるぞ!」とか。
「おまえ白人なのに家に水でないのか?」とか絡まれるの、いい加減イヤやし・・・

水が出た日、一番下の子(4歳)は大興奮で、
もうやめろっつーのに4回も水浴びしやがった(笑)

外からパイプを入れているので、日中は日射でパイプ内の水が熱くなっているらしく、
昼に水浴びした長男は「すごい!うちの家はとうとうお湯まで出るようになったぞ!(笑)」
と大ハシャギ。笑。

お湯、昼しか出ないけどね。笑。
つーか、昼は冷たい水ほしくても出ないんだけどね。笑。

でも、水の心配がなくなったのは、とても嬉しい。
日本にいると水はあって当たり前の生活だけど、
やっぱり、水は生きる上でどうしても必要なもの。

2008年12月~:ザンジバル 019

汲み置きの水で洗い物や洗濯、水浴びをしていました。
飲料用の水は飲料用のバケツに別途汲み置き(水は同じ水ですが)


2009年3月13日

今週前半は、画家さんたちの出張を追って、
北や東のビーチまで足を伸ばして調査してました。
いつもいるタウンは西の内海なので、
東の外海はインド洋が相変わらず美しく、砂浜は目にささるくらい白い。

ほんと、調査じゃなく、遊びにきたいよ・・・と思った。

ビーチで優雅にたわむれるイタリア人観光客たちを横目に、
私はタンザニア人のおっちゃんら相手にセコセコと聞き取り調査。
リゾート客以外の労働者にとっては、インド洋の日差しも肌を刺すだけ。
白い砂浜も、目に刺さって痛いだけ。

なもんでやっぱ、ビーチ出張は苦手です。(^^;

私も優雅にビーチでビキニ着てたわむれたい・・・と思いながら、
インド洋のビーチで普通にタンザニア人のおっちゃんらと一緒にウガリ食ってました。

2009年3月~:ザンジバル12 008

浜辺でウガリを作ってくれるおっちゃん。(2009年、ザンジバル東海岸のUroaにて)
___________________________

当時のザンジバル(ウングジャ島)東海岸のビーチでは、
以前からある大きな観光地以外にもあちこちに新たなリゾートスポットが出てきていたのですが、
そういう新興スポットができる流れとして、
1,まず外資系の高級ホテルがドーンと建ち、
2,そこの客を狙った土産物業の人たちが、浜辺に小さなお土産物屋さん(vibanda)を建て、
3,その後、土産物屋さんやその他観光関係の労働者たちが増えるにしたがって、
だんだんその人たち向けのお食事処や飲み屋等ができてくる、という感じでした。

この時に行ったウロアはまだお土産屋さんたちが進出して間もないくらいの時期だったので、
ローカルの観光業者向けの飲食店があまりなくて、タウンから出張に行っていた画家さんたちは、
近所の漁村からきた通りすがりのお姉ちゃんから獲れたてのタコを買い、
近隣の村で真水とウガリの粉を買ってきて、落ち葉や枯れ枝を集めて浜辺で火をおこして、
昼食を自炊していました。

ザンジバルのイーストコーストのビーチ、とってもセレブで美しくて別世界みたいな空間なんですけどね、
すぐ脇に並行して存在する世界で、汗だくで仕事してウガリ作って食ってる人たちも存在してますよ。

そして、彼らは自らビジネスチャンスを求めてそこに仕事をしに来ていて、
しっかり稼いで一家を養っているわけで、決して別世界の人間に哀れまれたりする筋合いはないんですよ。

もし万一「かわいそう」と思うのであれば、ぜひ値切らず・たくさん買って下さい。
それが一番、彼らにとってありがたいことだと思います。


自分たちのごく普通の生活の中に
暴力的ともいえる強さを持って現れる
観光客との間の経済格差をどう理解して共存するか、
という話はこちらにもエッセイを書いています。こちらはタウンの方の話です。
「ウジャンジャ・スングーラは、いかにしてねだるか」
http://afric-africa.vis.ne.jp/essay/begging01.htm


2009年3月~:ザンジバル12 024


2009年当時、ストーンタウンの方の土産物屋の取り締まり(登録制の他、店舗外陳列禁止など)が
厳しくなってきたこともあり、それまでタウンで商売をしていた土産物業者の中では
行政の監視が行き届いていなかった東海岸に活路を求めて移動する人たちが増えていました。

今現在は、どうなってるのかな。
次に行ったら見たいこと・聞きたいことが、たくさんです。

2009年3月20日

スワヒリ語のことわざに、
MAJI YAKIMWAGIKA HAYARUDIKI TENA
(水はこぼれてしまったら、もう元には戻せない)
というのがある。
要は、「覆水盆にかえらず」ってやつですな。


先月、強烈なショックを受けたとき、
こっちの調査対象の友人たちにそのことをしゃべっていたとき、
「もうどうにもならんの?頑張ってみたら?」と言われたとき、
私は、上のことわざを返した。

もう、どうしようもないよ、って。
一度こぼれてしまった水は、もう元には戻せない、って。


そしたらそれを聞いた彼らは、
にやっと笑って、こう言った。

「MAJI YAKIMWAGIKA, UTACHIMBA SIMO TU. UTACHOTA TENA TU. 」
(水がこぼれてしまったらな、穴を掘ればいいんだよ。そして溜まった水を、また汲めばいいんだよ)

もう一人の友人も、こう言った。

「MAJI YAKIMWAGIKA, INAME, KANYWE TU. BASI.」
(水がこぼれてしまったらな、はいつくばって飲めばいいんだよ。)


どうして彼らは、こんなにもたくましいんだろう。
しんどいこと、大変なこともあるだろうに、どうしてこんなにも柔軟に物事を考えられて、
うまいこと思考をコントロールしていけるんだろう。


どうしたら、彼らみたいに強くなれるんだろう。

2006調査 その2  6月~9月 309


2009年5月30日

こちらにいると、なんだかRPGの世界の中に入ったような気分になる。
なんとなく、周りのビジュアル的な問題もあるのかもしれないけど。笑
(ロープレの多くは、オリエンタリズムの集大成みたいな世界観やしな)

一つ一つ、イベントをクリアしていって。
ひとつの街にいる間に、色々と順を追ってクリアしていかないといけない
イベントがあって、順を追ってやってったらなんかうまいこといって。
その他にも、日常の中で不規則に起こるおまけ的イベントもまた面白くて。

疲れると、めんどくさいなーって思ったりするけど、
面白いイベントが出た途端、「おおー!」ってテンション上がったり。

そう考えると、きっと人生そのものが、
リセットボタンの無いロールプレイング・ゲームなのかもしれない。


「山と山は出会わないが、人と人は出会う」

スワヒリ語のことわざ。
ずいぶんと昔から、日本のタンザニア研究者の間でも有名なことわざ。

ほんと、その通り。

この二週間ほど、ケニアのモンバサ&マリンディに行っていたのですが、
よく考えたらゲストハウス暮らしの一人旅、丸4年ぶり(=_=;
今までずっと誰かの家に泊まって、誰かと一緒にいたので、
一人旅がこんなにも寂しいものだということ、すっかり忘れてて、
本気で寂しかった。笑

日中はいろんな観光業の方々に聞き取り調査をしていて、
まあそこそこ元気にしてはいたのですが、
夕方以降、ホテルに戻ると寂しい寂しい(^^;

ケニアからタンザニアに流れてるみやげ物の生産場の調査とか、
卸値価格やタンザニアへの労働移動の調査、
タンザニアからハイシーズンになるとケニアに流れているという噂の
みやげ物画家についての裏取り作業とか、
色々と面白い発見もあって、ケニアでの調査はほんとに楽しかった。

でもやっぱ、寂しいなー・・・
と、思って歩いていたら、
モンバサの夕暮れの街角で、本当に、偶然も偶然、
三年前に夜逃げ同然にザンジバルから消えたみやげ物業の友人と、
なぜかこのモンバサで、バッタリ再会!!!!


お互い、「なんでアンタ、ここにいるの!!?」と、超ビックリ。笑


kumbe, "watu wanakutana"!!
(マジで、『人と人とは出会う』んやなあ!!)

と、ビックリしつつも、とても嬉しい偶然でした。

二人して、tunashukuru mungu(神に感謝)。笑


この人とはかれこれ5年前くらいからの知り合いで、
前回のザンジバルでの長期調査のときも、とてもお世話になって、
私が観光業やみやげ物業の調査をしているということも知っているので
改めて説明する必要も無く、調査の話をする上で、とても楽。

そして今回このタイミングでこの人と偶然会えたおかげで、
ずっと気になっていたけどなかなかチャンスが無かった
コンゴ人みやげ物業者との取引の現場に参加できたのは、
本当に嬉しかった。

基本、こういう取引は個人間のネットワークを伝っておこなわれているので、
当事者同士で直前になって携帯電話で連絡を取り合って、日程調整する。
なので、偶然その時に居合わせない限りなかなかついて行くことができない。
今回みたいな短期滞在でそのチャンスが巡ってくるなんて、ほんとにラッキーだった。
偶然彼と街角で出会った翌日が、たまたまそのコンゴ人との商談の日だったのです。

おかげで国境を越えたみやげ物の取引形態を知ることができて、
特に謎だったコンゴ人との取引事例は私にとってとても嬉しいものだったし、
スワヒリ語での商談だったので、コンゴ人たちにも直接色々と話を聞けて、
ほんと、面白かった。

本当に、神に感謝。

2009年5月~6 087_LI

コンゴ(DRC)から来た「アンティーク」と呼ばれるvinyagoたちとポーズをとる某人。
(「アンティーク」と呼ばれていますが必ずしも古いものとは限りません。)


この半年間、疲れることもとてもたくさんあって、
しんどいなあと思うこともたくさんあって、
それでもこんな風に嬉しい偶然が突然訪れるから、
だから色んなことをまた頑張ろう、と思える。


うーん、面白かった。

山と山は出会わないけれど、人と人とは、出会う。

なぜなら、人は「移動するもの」だから。



2009年5月~6 066

モンバサにあるAkamba Handicraft。
倉庫の中に入れてもらうと、ちょっと怖いくらいめちゃくちゃ大量のvinyago!!


まだタンザニアではスマホなんてほぼ見かけなかった時代ですが、
Nokiaなどの携帯電話自体はすでにそこそこ普及していて、
それまでその辺で適当に購入できていたSIMカードが初めて登録制になった時の話です。
今はSIMカードの登録、どうなってるんだろう?身分証明書無い人でもSIMカード買えてるのかなあ??
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2009年10月1日

こっちに来てから、何かにつけて合言葉かのように
「ウシャサジリ?」「ウメサジリ?」と聞かれます。

意味は、「あなたはもう登録した?」


なんと、タンザニアの携帯電話も登録制に移行しつつあるようで。
年内に顔写真一枚と身分証明書を持ってオフィスに登録しに行かないと
年明けには番号が無効化されてしまうらしい。

実は先月南アにいたときにも、携帯電話のチップを買おうと思ったんだけど
(アフリカはどこもSIMカード制なので、本体一個持ってれば中のチップを変えるだけでどこでも使える)
そこも登録が必要だからどこそこの店に行けとか言われて、
数日しかいないのに面倒だし、あまり慣れない場所をうろうろしたくないしで
結局買わずに終わったんだけど。

その時は南アだけかと思っていたら、実はアフリカ全土(?)の動きだったのかも。
南アも、一ヶ月くらい前までは登録無しで買えたって
密入国(つまり身分証持ってない)タンザニア人の兄ちゃんが言ってたし。


そんなわけで昨日、登録をしようとtigo(携帯電話会社)のオフィスに行ったのですが、

すっげー人・・・

店内からはみ出るくらいの行列で、聞いたらみんな登録しに来たと。
何時間並ぶんやろう。。。と、嫌になって帰ってきてしまった。

でもまあ、いい機会やし、この機会に携帯会社を変えようかと思う。
後半はケニアに行く予定だけど、今使ってる携帯会社はケニアでは使えない。
別の、ボーダコムとかセルテルとか、大手の携帯会社に変えたら
ケニアや南アでも使えるらしいので、そのほうが便利だ。
だって、他の国にいくたびにまた再登録とかせなあかんの、めんどいもん。

それにしてもとうとうタンザニアも携帯登録制になったかあ。
身分証明書持ってない人とかは、携帯もてなくなっちゃうんだろな。
(でもきっと、そのうち闇商売の名義ブローカーとか出てくるんだろうけど)

ほろほろ

南アフリカのケープタウンのカーステンボッシュ植物園を歩いていたホロホロ鳥たち。
・・・美味しそう。


ちなみにこの時点はtigoを使っていたのですが、
その後ほんとに携帯会社をボーダに変えたら、
知り合いたちから「お前にかけると電話代めっちゃかかるからtigoに戻せ〜」と苦情が多発しました…(^_^;)