Prof. Shima's Life and Opinion

Shima教授の生活と意見。

戦争法策定阻止の運動が正念場に差し掛かってきたので

戦争法策定阻止の運動が正念場に差し掛かってきたので、実に久々ではありますが、ブログのほうにも書き込みをします。

なにか反戦・護憲のカッコいいシンボル・マークはないかと思ってさがしていたら、憲法記念日の番組で、壇蜜さんがつけていた「ナインピース」マークが、著作権フリーで提供されはじめたとのこと。これは素適。太っ腹^^。というわけでご紹介します。画像が大きいので、ものによっては全部が入りませんから、新しいタブで画像を開いてみてください。

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デザイン提供の〈サスクワァッチファブリックス(Sasquatchfabrix.)〉。トップ・ページからこう来るとは、こちらさんの志、ハンパじゃないな。いいじゃないですか、ビジネスとしても成り立つ、平和を訴える「芸術文化」の可能性を示してくれて^^。

また動きがあったら、随時書き込みます!

島村 輝

「タモリ倶楽部」:『昭和初期エログロ発禁本の世界』

実に久々のブログ更新となる。テレビ出演告知のため。

14日深夜、放映開始以来30年以上にもなる老舗バラエティー番組「タモリ倶楽部」に出演します(収録済)。『昭和初期エログロ発禁本の世界』。エロ・グロ取締は思想・言論・表現の自由弾圧に直結し兼ねないぞ!?という趣旨で、解説します^^。http://t.co/IzZwyTndyY

番組中にも登場する雑誌『 変態・資料』全5巻復刻、[監修] 島村輝。企画の段階で番組作りの資料を集めていたスタッフの方がこの復刻解説を見て、出演の依頼となったようだ。サイト中の「『変態・資料』復刻刊行にあたって」をご覧いただきたい。http://t.co/zxX4NPzNgx

番組を見て検索し、ここに来られたかたもあるかと思いますが、現在発信の舞台はtwitterとfacebookに移しています。ご関心のある方はこちらへ。
https://twitter.com/shimamura_teru
https://www.facebook.com/teru.shimamura

ノーベル賞委員会、「蟹工船」の小林多喜二に「文学賞」「平和賞」追贈を決定。

ということがあったら嬉しいだろうなあ。嗚呼「4・1」。

島村家考

ツィッターに島村家考を書いた。メモとして取っておく(こちらでは非公開。ツィッターをどうぞ)。続きを読む

多事多難だったこの一年を振り返る

6ea06352.jpg「この一年、あっという間に過ぎた」とは毎年年末に思うことだが、今年はそれ以上の感慨がある。昨年末に母、今年夏には父が相次いで入院から重度の要介護状態に入り、基本的に自宅で世話をする選択をしたため、生活発想の転換を迫られることが多々あった。

その間に起こった3・11東日本大震災と引き続く東京電力福島第一原発の重大事故では、家族そろっての疎開の一時期を経て、二人の子どもたちが、完全に親元を離れて暮す体制に入った。結果として、逗子の我が家では現在老親二人と我々夫婦という状態になった。これも人生の大きな節目であろう。

東京電力福島第一原発事故の発生と同時に、大きな危機意識と後悔が襲ってきた。想定可能な最悪の事態に備えて、自分と家族の当面の安全を確保するための最善の行動をとるとともに、なんでこのような事態が起こってしまったのか、そもそも社会的存在としての「原発」とはなんだったのかを考えはじめた。

連れ合いの実家のある鹿児島に家族を置き、3月末、まだ元気が残っていた父とともに逗子に帰ってからしばらくは、日本の原発政策がどのような事情のもとに、誰の手によって推進されたのかの研究に没頭した。それは自分の取り組んでいた「55年体制」というものと骨がらみに結びついたものであった。

原発はまさに「日米同盟」と一体のものだった。日米安保条約と日米原子力協定によって、日本は「核抑止力」という名目の、軍事同盟体制に組み込まれ、アメリカ合衆国の属国と化したきた。そのプロセスの帰結が、日本列島の「原発漬け」化であり、沖縄の米軍基地化であり、TPPによる農業破壊である。

こうしたことがらが全て一続きの線につながることによって、これまで見えていなかった戦後日本社会の巨大な闇の部分が視野に入ってくることになった。その結果の一端は、笙野頼子の「タイムスリップ・コンビナート」の風景の意味の解明など、研究上の新しい分野に直接反映されることになった。

しかし「研究成果が挙がった」という嬉しさとは全く無縁の心境だ。これまで視るべきものを視ず、知るべきことを知らずにいたことが、どれだけ大きな欠落となっていたかと悔いる気持ちばかりが募る。

3・11後、何人かの心ある友人たちも、「これまでやってきた学問や芸術なんぼのものか」という心情を吐露してきた。自分も同じ心持である。そうかといって、それを仕事にしている以上、放棄してしまうわけにもいかない。せめてはこれまでの欠落を補い、専門性に恥じぬ発信を続けていくしかなかろう。

来年がどのような年になるか、これまた例年以上にまったく見当がつかない。正直なところ、家庭生活も、研究状況も、日本と世界の情勢も、どう転がるか予測できないのが現状だ。ともすればその不透明さに、絶望的となることもある。

所詮一人でできることは限られている。人の力ではどうにもならないこともある。だが一人一人の声を集め、人の力の及ぶ限りのことは、やはりしていかなければならないだろう。こうした中でも、生活や仕事を通じて、そのような志を持つ人たちと知り合うことができたのが、せめてもの今年の収穫であった。

今年もあと一週間を切った。多事多難だったこの一年が、将来どう意味づけられるか、瀬戸際まで見極め、力を尽くしたい。

高橋正氣さんからのメッセージ

f2413a3d.jpgひさびさのブログ更新である。最近はツィッターとフェイスブックを主な発信手段としているが、まとまった文章はやはりブログを活用しないと、広く伝えることができない。今日はそういう類の話題だ。

先日逝去された津波研究家・山下文男氏の葬儀に際し、故人に縁深かった岩手大学工学部元教授・高橋正氣先生からメッセージをいただいた。

高橋先生はもともと物理学者であるが、岩手大学工学部付属金属材料保全工学研究センター所長として、原子炉の非破壊検査に携わり、「原発村」の東大教授らに対して以前から問題点を指摘してきた方である。またお連れ合いの曜子さんは、片岡鉄兵の「綾里村快挙録」で知られる野々村善二郎の娘さんだ。山下文男さんの御父上は、その野々村とともに綾里村でアワビの漁業権をめぐり、漁民の立場から争議を敢行した同士である。

以前ブログにも書いたように、いろいろなご縁で高橋先生ご夫妻と知り合うことができた。山下さんにはお目にかかることができなかったが、毅然として主張を貫いていらっしゃるこのご夫妻とのご縁を大切にしたい。以下、頂いたメッセージを転載させていただく。

故山下文男先生の葬儀に参加して

高橋正氣

山下文男先生は12月13日に亡くなられ、葬儀に妻曜子と共に出席した。山下先生と妻の郷里が同じという事が縁で何度かお会いし、話を聞く機会があった。今回の津波で先生が奇跡的に一命をとりとどめた後も数度お会いし、厳しい87年間毅然として生きてこられた人柄に接することが出来た。葬儀は12月17日午後1時から大船渡市の盛の葬祭場で行われた。盛岡からは交通手段は1日2往復バスがあるだけで、葬儀が始まる2時間余り前に到着し、遺影を前に故人の業績を自分なりに考えることができた。

弔辞は共産党時代の同僚の金野氏から故人の業績と、お人柄が紹介された。共産党の機関紙「赤旗」の文化部長など、立派に職務を果たされたことが述べられた。職歴とは別に津波史研究者として知られている紹介もあった。故人は東北大学をはじめ防災研究者との付き合いがあり、彼らに多大な影響を与えた。しかし、津波研究者としての山下先生を偲ぶ弔辞が防災研究者から語れることはなかったことは一人の研究者として残念に思った。研究分野は異なるが小生の故人に対する研究者としての評価を記すことをお許し願う。

研究者としての故人の最も大きな業績は1944年の東南海地震と1945年の三河地震の研究である。第2次世界大戦で軍事統制の下で地震被害がもみ消され、その後も多くの犠牲者を出したことすら忘れられていた。山下先生によってこの事実に検証が加えられ、明らかにされた。どのような分野の研究でもこれまで知られていなかった事実を発見し、解明することが研究目的である。しかし、このような業績をあげられる研究者は100人に1人もいない。山下先生の研究はそうした仕事である。

もう1つ山下先生の仕事は「津波てんでんこ」による防災思想である。高い強固な防波堤あるいはハザードマップによって被害を最小限に抑えられると考えられたが、今回の津波によって我々の思い上がりが根底から覆った。「津波てんでんこ」によって多くの命が救われた。今後も「津波てんでんこ」は津波防災には不可欠な思想であり、この言葉は普遍的な意味を持つ。寺田寅彦先生の「災害は忘れたころにやってくる」という教訓と共に後世に伝えられるであろう。強固な防波堤の建設の前に「津波てんでんこ」の碑を被災各地に建てることを提案する。

2011年12月18日

故・井上ひさしさんの父・修吉さんの小説集(『赤旗』)

40eaba33.jpg本日の『赤旗』に、井上さんの父・修吉さんの小説集が、山形市の山形謄写印刷資料館長・後藤卓也さんによって出版された記事が掲載されている。

文中に紹介されている「あとにつづくものを信じて走れ〜井上ひさしさんが残したメッセージ」を制作するにあたり、実演できる「ガリ版」を探していた担当ディレクターのOさんに「謄写版なら、ここに資料があるはず」と紹介したことが、この本の出版に結びつくこととなったのだ。

ご縁あってのこと。ありがたいことだ。『H丸伝奇』が多くの人の手にわたることを期待する。

問合せ先:中央印刷(山形市) 023−631−5533

フェリス祭でバンド出演

8298b0a0.jpg恒例のフェリス祭(首都圏の女子大の学園祭の中でもひときわ華やかだ、と評判があるが……)に、教員三人によるバンドで出演する。

5日(土)の午後三時五〇分ころから、緑園5号館の軽音部のライブの時間を借りての演奏。ぼくはペースを担当。お時間のある方、物見高い方はおいでください。

台湾で国際シンポジウム

2a83e0a9.jpg明日から31日まで台湾・彰化師範大学で国際シンポジウム。早朝出発、深夜帰国でちょっときついが、行ってきます。題目は「モダニストがなぜプロレタリア文学を翻訳したのか−−リベディンスキー「一週間」と戴望舒、池谷新三郎その他」。この勉強はたいへんだけど面白かった。

この「一週間」は多喜二も「析析帳」でコメントしており、大変興味深い。あらためて多喜二の「析析帳」のコメントをよく読んでみると「一九二八年三月十五日」「蟹工船」への影響とか、井上さんが多喜二の評伝戯曲のタイトルをなぜ「組曲虐殺」にしたのか、ということも推測できる。作品中で伊藤ふじ子が特高刑事たちを相手にピストルをぶっ放そうとしたとき、多喜二がなぜ「いけないよ、ふじ子…」以下のセリフを語るのかも。井上さんの多喜二の読みがいかに深かったかがよくわかるはずだ。

というところまでは今回はしゃべらないが、そもそもリベディンスキーには、先行する芸術的前衛の作家であり、左翼作家でもあったベーリーという人物の影響があったらしい。「一週間」が受けたのも、単にプロレタリア文学のイデオロギーに沿ったという面ばかりではなく(むしろそちらのほうは、結構アブナイ内容を含んでいる)、芸術的アバンギャルドのような表現の面からだったということもありそうだ。だから日本では池谷新三郎、台湾では戴望舒といった左翼シンパモダニストが翻訳に取り組んだのではないだろうか。

その辺まで含めた本格的な研究となると、自分一人ではとてもやりおおせない。共同研究でも模索するか。。。

(※画像は1934年のリベディンスキーの肖像)

林京子さんを囲むつどい

78210b97.jpg16日(日曜)午後、拙宅に林京子さん、ギタリストの柴田杏里さんらに来ていただき、岩波ブックレット『被爆を生きて』のささやかな出版記念会を行った。編集を担当してくださった岩波の吉田浩一さん、このブックレットができる仲立ちをしてくださった成田龍一さんもおいでくださった。そのほか地元の親しい方々、アモイ大学からおりしも来日中の先生方三名で、楽しく賑やかな集いとなった。

ちなみに、林さんと柴田さんは古くからのお知り合いであり、お二人の話も弾んだ。間近に聴く柴田さんの演奏はすばらしく、企画に花を添えてくださった。こころから感謝する次第である。

図書館総合展: 草稿ノート・直筆原稿に見る小林多喜二 創作の軌跡 

ac7f5fae.jpg草稿ノート・直筆原稿に見る小林多喜二 創作の軌跡 
第13回図書館総合展(パシフィコ横浜) 第3会場(アネックスホール203)
11月10日(木)15:30-17:00 [受付開始15:10]
主催:(株)雄松堂書店


島村 輝氏(フェリス女学院大学 教授)(座長)、日高 昭二氏(神奈川大学 教授)、尾西 康充氏(三重大学 教授)、神村 和美氏(東京学芸大学 助手)

貴重な遺品資料として永らく丁寧に保存されていた多喜二の創作ノート15冊2000ページと、日本各地に散在していた直筆原稿類800枚が2011年2月、DVD版資料集としてまとめられた。多喜二のノート稿類には普段一般読者の目に触れることのない、作家の血のにじむような文学的営みの痕跡が、赤裸々に残されている。一例として代表作「蟹工船」を挙げるなら、このDVDにはその草稿ノート・直筆原稿・初出誌(「戦旗」掲載)が収録されており、それらを綿密にたどることによって成立過程でこの作品の本文がどう変化していったのかを明らかにすることができる。非合法の地下活動中に、若くして世を去った多喜二の作品は、その生成過程に不明な点が多かったが、そうした謎がとかれてゆくことが期待される。近代文学の分野で今注目されている草稿研究の分野に新たな一石を投じることになろう。

日本フランス語フランス文学会にゲスト参加

8、9日にかけて行われた日本フランス語フランス文学会に、ワークショップのゲストとして招かれ、報告を行ってきた。「オラルヒストリーの「事実」と「真実」」というテーマで、千葉大学の高橋信良さん、小樽商科大学の高橋純さんと御一緒させていただいた。

隣接分野とはいいながら、ほとんど知りあいもいない中での発表だったので、いつになく若干緊張したが、聴発表の論をもとに新たな観点を付け加え、「「党生活者」論の展開−−平野謙から井上ひさしまで」というタイトルで話をした。

小樽にはほぼ毎年訪れているが、いつも2月20日前後で、街は雪に埋もれた姿である。多喜二の墓も、その周辺だけ雪が掘り崩されて通路がつけられているので、雪が無い時に訪れると何処だか見当がつけにくい。今回久しぶりに雪のない時期に訪問したが、改めてこんなに道が広かったのかとびっくりした。

来年2月には再び小樽商科大学で、今度は「多喜二シンポジウム」が開催される。再訪が楽しみである。

愛犬「のの」、田園に死す

f1a2217c.jpg昨日の朝、目覚めの時父の調子が非常によく、これは順調な一日が始まったと思ったとこすろ、家内が「ののちゃん、死んじゃったって…」と第一報をもたらしてくれた。

この犬は13年半前に北海道からやってきた柴犬である。「舞里美号」という立派な本名があるのだが、我が家では「のの」と呼ばれていた。娘が不登校になろうとするころ、「どうしても犬が飼いたい。世話は全部私がする」というので飼い始めたのだが、結局その世話は老父の役となった。「のの」がやってくる少し前に我が家の住人(猫)となった「みーこ」とはいい相棒で、仲良く暮していた。

3・11の前まで、朝夕の散歩は老父の役割だったが、震災後一家で九州に移っていたとき、犬と猫は家内の実家に預けてきた。鹿児島の山河になじんで、散歩の際もぐんぐん引っ張っていく元気さだった。当地での世話役は義父がやってくれていたという。前夜までまったく普段と変わりなく、朝散歩に連れ出そうと出てみたら冷たくなっていたとのことだ。

老父に話たところ「そうか。おろかだが可愛いやつだったな」といっていた。昨日今日と老父の体調はよく、元気回復している。「ののちゃんが、おじいちゃんに寿命を譲ってくれたんじゃないか」と、家人と話している。死ぬ直前まで元気で、なんの世話もかけずに安らかに逝ってくれて、これ以上の大往生はないと思う。いい犬だった。

一月ぶりの更新

前回更新が9月8日、以来まさに「とりこみ中」が続いて今日に至る。

8月は21日から31日まで、ヨーロッパに行っていた。最初はフィンランド。フェリスの学部生、マユ・サーリッツァさんのご案内で、御父上で著名な詩人・翻訳家であるペンティ・サーリッツァさん、そのご友人のリスト・アラプロさん、カイ・ニエミネンさんらをご紹介いただき、数日滞在。その後バルト海を高速フェリーで渡り、エストニアのターリンで開催されたヨーロッパ日本学研究協会の大会に参加。ここでは村上春樹についてのパネルでディスカッサントを務めた。さらにこの大会でキーノート・スピーチをされた上野千鶴子さんらとともに、オスロ大学へ。半日のワークショップと上野さんの講演会を聴講した。

帰ってたまった書類などを片付けている間に、父(88歳)の具合が悪くなり、一週間の間にみるみる衰弱して、救急車で病院を往復、さらにストレッチャーに乗っての外来受診・検査で一週間の入院となった。

その間に卒論に立ち向かっている4年生の合宿、さらに9月16日から19日まで、満州事変勃発80周年を機にと企画した、日本社会文学会の秋季大会で、瀋陽−北京のツァーに加わった。父親入院中だが、企画者なので参加しないわけにはいかない。しかし大会は日中の参加者の協力を得て成功。行って良かったと思う。

帰国したらすぐに大学の秋学期がはじまった。その間、坂手洋二脚本による青年劇場公演「普天間」を観劇したり、10月に入って昨日1日には宮沢賢治研究会の例会で「地震・津波・冷害−−賢治は災害をどうとらえたか」の発表をしたりと、多忙だった。

この後来週末は日本フランス語・フランス文学会に合わせたワークショップのため小樽商科大学に行き、16日には『被爆を生きて』でインタビューさせていただいた林京子さんとぼくのギターの師匠・柴田杏里さんを御招きして、自宅で小さな集まりをする予定だ。父母には是非がんばって体調を回復しておいてもらいたいものだ。

そういうわけで相変らずの多忙。ブログ更新のペースも渋りがちかと思うが、お許し願いたい。

いろいろ取り込み中につき・・・

ヨーロッパから帰国して一週間になるが、ブログを更新していない。公私ともにいろいろ動いていて、ブログからの発信対応ができていない。ツィッターとFacebookのほうではぼつぼつ発信しているので、そちらをご覧いただけると幸い。

一つだけ、告知。拡散希望です。

動画「福島の子どもを守れ」
国際請願「EVACUATE FUKUSHIMA 福島の子供を守れ」
 

『赤旗』報道:「来月19日「さようなら原発集会」/著名人9氏が呼びかけ/東京で開催」

c4d93ef8.gif今朝(20日)の『赤旗』紙一面で告知があった。非常に嬉しい。これで運動の呼びかけ、結集にさらに幅が出て、「みんなで原発にさようなら」という主旨が拡がると思う。まずはよかった。

本日『朝日』大江さんの「定義集」、『被爆を生きて』を紹介

aa9e680e.jpg今日8月17日付の『朝日新聞』、大江健三郎さんがお書きになっている「定義集」に「【広島・長崎から福島へ向けて】庶民生きのびる力を得る」という文章が掲載されている。

そこで、原爆直後から広島で救急治療にあたり、永く「内部被曝」の問題を訴えてきた肥田舜太郎医師の話題から、林京子さんの『永い時間をかけた人間の経験』、そしてぼくが聞き手をさせていただいた『被爆を生きて−−作品と生涯を語る』のことが丁寧に紹介されている。

この仕事が大江さんの目にとまり、こうして発信していただけたことは、心から有難いことだ。まさしく励まされた思いである。林さんとのご縁をいただいたことに感謝するとともに、核兵器廃絶、脱原発を忘れずにやっていきたい。

動画で見る炉心溶融


独立行政法人・原子力安全基盤機構が事故前に、原子力防災専門官向け資料として作成していた、炉心溶融のシミュレーション画像。

こんなものが事故の2年も前に作られていたのだ。なんで事故直後にこれを全テレビ局が放送しなかったのか。。。ビデオの最後に「最悪の事態が起こっても安全・安心」といっているような認識だったからか?

「協」だ「禁」だといっている場合ではない。

a3a1ac63.png9・19集会についての告知が広まっていない原因の一つに、この集会の連絡とりまとめが「原水禁」であるということがあるとすれば、まことに嘆かわしい。

「原水禁」と対立する「原水協」の沢田昭二代表理事(名古屋大学名誉教授)は「原水協」の公式ホームページに掲載の以下の文書でこう述べている。

「もう原発は収束させるべきです。日本が世界をリードしてきた太陽エネルギーなど自然エネルギーの開発に舵を切るときに来ています。」

(「福島第一原子力発電所の事故に関して」)


その後事態は「脱原発」できるかどうか、現在稼働中の原発をすべて停止させる可能性を現実にできるかどうかという、具体的な課題になっている。「原水禁がとりまとめているから」など偏狭なことをいわず「原水協」も挙げてこの運動に合流すべきだ。呼びかけ人の名前、呼びかけの内容を見れば、それが「9条の会」と同様の国民的合意が形成できる課題であることは一目瞭然であろう。

せっかく頑張ってやってきた共産党や「原水協」が「9・19」集会の告知を行わない合理的理由があるなら、是非説明していただきたい。

【原発アクション】9/19「原発にさようなら集会」東京・明治公園【拡散希望』

99a9543f.jpg9月19日、明治公園の大集会に集まろう!原発にみんなで「さようなら」を言おう!

◆◆◆原発にさようなら集会◆◆◆

日時……2011年9月19日 13:30〜
場所……東京・明治公園
集会規模……5万人(集会後、パレードがあります)


呼びかけ

「原発にさようなら集会」にお集まりください

3月11日の東日本大震災によって、東電福島第一原発は、1号炉から3号炉までが最悪事態の炉心溶融(メルトダウン)を引き起こしました。

水素爆発、工場外壁の破壊などによって、高濃度の放射性物質が、海水、大気、土壌に放出され、環境を汚染するという未曾有の大事故となりました。

2ヶ月がすぎても原子炉の暴走は収束する気配がなく、いまなお極めて不安定な状況がつづいています。これまでの放射性物質の拡散量だけでも、地域の住民と労働者ばかりか、まだ生まれていない将来の子どもたちの健康と生命にとっても、計り知れない悪影響を与えると危惧しております。

原子力と人間の共生など、けっしてありえないことなのですが、それに気づいていながらも、私たちの批判の声と行動があまりにも弱かった、と深く悔やんでおります。

いま原発を拒否する声はさまざまな運動となって拡がっていますが、わたしたちはこれまでの怠慢を反省し、政府や財界や電力会社などが、原発推進の巻き返しにでないためにも、さらに大きな市民の力で、原発依存の生活から脱却する道をあゆみだしたい、と念願します。

わたしたちは、自然を収奪し、エネルギーを無限に浪費する生活を見直し、自然エネルギーを中心とする「持続可能な平和な社会」にむかうために行動します。その目標です。

1. 新規原発建設計画の中止
2. 浜岡からはじまる既存原発の計画的廃止。
3. もっとも危険なプルトニウムを利用する「もんじゅ」、「再処理工場」の廃棄。

これらを実現して、わたしたちの生存と未来の子どもへの責任を果たします。

「原発にさようなら集会」を、つぎの要領で開催いたします。どうか皆さんでご参加ください。

日時……2011年9月19日 13:00〜
場所……東京・明治公園
集会規模……5万人(集会後、パレードがあります)


集会呼びかけ人

内橋克人
大江健三郎
落合恵子
鎌田 慧
坂本龍一
澤地久枝
瀬戸内寂聴
辻井 喬
鶴見俊輔