『銭ゲバ』の原作漫画で貧困そのものがテーマとなるのは初期の頃だけで、風太郎はとんとん拍子で大企業の社長の座を獲得し、極貧生活から解放される。しかし金と権力を得た後も心の平安を得ることが出来ず、無理目の美女を金で落としたり政治家を目指したりする。

原作の終盤で、風太郎は「人間の幸福について」というお題で原稿を依頼された際、自分が築けたかもしれなかった「平凡なサラリーマン家庭」を思い浮かべてしまい、愕然とする。赤ちょうちんで飲んだり、愛する妻と子供を連れてマイカーに乗ってピクニックに出かける、そんなささいなことが幸福だとは、いまさら信じたくはなかったのだ。

だからそんな自分に耐えられなくなり自殺する。自決シーンの表情は明らかに絶望の顔だ。読者に対する捨てぜりふ的な、遺書めいたメッセージも残されるけれど、読者としてはモヤモヤしつつも「悪事の限りを尽くした銭の亡者が、最後は後悔して自決してよかった。平凡な自分のサラリーマン生活のほうが幸せなんだ」と思える構造になっている。

テレビドラマ版は、派遣切り問題とシンクロさせようとした等の設定の違いは多々あれど、基本的な物語構造は原作を踏襲していた。だから最終回で「もしも風太郎がサラリーマンだったら」が延々と描かれる場面は想定の範囲内だった。風太郎は幸福なサラリーマン生活を妄想した後に自らの人生を後悔し、見苦しく泣き叫びながら爆死する。

でもその後、最後の数分間が想定外だった。突如爆発シーンが逆回転して場面が巻き戻されると、泣き喚いていたそれまでとは一変して、ダイナマイトの爆発を冷静に待つ風太郎がそこにいる。そして原作の捨てぜりふを淡々とつぶやきながら死を待っている。ぜんぜん後悔していない!むしろ勝ち誇っている!なにこの上から目線!

つまり、「平凡で幸福なサラリーマン生活という妄想シーン」は視聴者による自己満足的な願望であり、風太郎はそんなことは少しも幸福だとは思っていなかった、ということになってしまったのだ。これだと原作とは全く違う読後感になる。池田小学校事件の宅間被告が反省しないまま死刑を執行された、あの後味の悪い感じを思い出した。

個人的には、希望の見えない時代にわずかでも光を与えるような展開を期待したんだけれど、あのラスト。幸せのモデルケースが妄想ですら描けなくなってしまった時代の始まり、ということでなければいいんだけど。


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