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出典Yahoo News

7月19日(土) 
13日の周南市での氷室京介突然の引退発表に関して、
19日、横浜にて真相をご本人の口から発表されました。



めちゃくちゃ長いツアーの最終公演地という事で、

しかも周南で(引退発表地)おれの気持ちをみんなに伝えて、

中途半端な形で気持ちでインターネットで聞いていて、

本当はここに来ないつもりだったものが、

心配な気持ちだったり、本当に最後なのかな?

という気持ちで集まってくれた連中もたくさんいると思うけど、

メンバーを静かこの状態で紹介する前に、おれの気持ちを、

今日と明日と集まってくれたみんなにきちっと報告して、

で、まー俺はいわゆる芸能人みたいな人たちと違うんでテレビでどうだこうだということはやらないけど、

みんながみんなの中でそれぞれで伝えられることは伝えてやって もらえればいいなと。

今回は東京で2月からリハーサルが はじまったんだけど、

ま、これ、いまに始まったことじゃないんだけど年のせいもあって、

耳がけっこうずーっと7年くらいまえから右側の耳がずーっと、調子がわるかったのね。

で、レコーディングのときなんか「テイイ」っていって左右のどっちが、右・左あっているかなんていうのは、自分では分かんない感じで、

ただ、 ライブでは俺は聴き耳が左なんで、別に右で持って(マイクを右・イヤホンを左で抑える姿)いつもどおりこうやって持っていたら、みんなよーく印象に残っていると思うんだけど、

最近これがややこしい話でさ、まったく聞こえなくなったって言ったら簡単なんだけど、

左側の耳が多分どこかのトーンだけが、聞こえないんだと思うの。


で、英語で目が見えない人の事は、「ブラインド」っていうわけなんだけど、

色が見えない人の事は、「カラーブラインド」 っていうの。

で、耳が聞こえない人の事を「テグ」っていうらしいんだ、

で、トーンである一定のところが聞こえない人の事を「トーンテグ」、

っていうんだ日本語に直すと「音痴」ってことなんだ。
(氷室一人笑)

でー、なんだわらわねえの、今日すべるなぁー (ファン、ざわざわと)


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あの真面目な話で、ジョークではない俺が25年やってきたことを終わろうって話なんで

ジョークではないけど、あまりじめっとしたかんじではないんだよ。

あのー俺は俺なりに、本当に自分のできる事を毎回毎回ツアーの度にやってきて、で、

多分こんな人間が、こうしてみんなが支持してくれるのは、

真剣にやってるとことが多分響いてこう集まってくれたんだと思うんだよね。
で、

(一同拍手、を氷室が制して)いやいやとっとちょっとお静かに。

それだ拍手されると弱くなってしゃべれなくなっちゃうんで、

で、その、俺は俺なりにプライドってのがあってさ、

それは、「ダウンしても必ず立つ!」ださくてもかっこわるくてもいいから、


「ダウンしても必ず立つ」と、

で、まー、ずうっとその、ダウンしても立ち上がると、

無様、それ、立ち上がれば無様じゃなくて、それが生き様になるわけで、

で、ま、ま、そんな感じでずっと来たんだけど、まぁ今回本数も多かったけどな、

50本。

この年で50本。

正直言ってつらかったけど、でも自分で、その50本、最初42本の本編、追加公演入れて50本と、

ま、こんな調子なのも自分で分かってたんだ。

うちうちのスタッフにも、今回が最後だと。

三井とかてっせいとかもリハのときが、俺がそう言ってるのも、聞いているとは思うんだけど、

多分最初は冗談だと思ったんだろうけど、

最初9本目くらいの九州の博多でライブをやった時に、

今回のツアーが最後だと、

インターネットではいきなり俺が言ったってことになってるけれど、

うちのかみさんは当然もうずっと前から知っていて、

うちの事務所の近しい人間とも、それからプロモーターとも、

ただレコード会社に人には本当に申し訳ないことしたけど、

あのー、言ってもどうなるものでもないし(耳の病気)

俺は辞める時に別にきっちりとテレビでプロモーション組んで、最後にしようっと思ってたわけじゃないから、

ま、できるだけ最後ぎりぎりまでひきつけて、その

最終日に、もし自分が納得のできるパフォーマンスが、

あのー、できればってことで、周南でがんばったんだけれど、

ま、その日はもうリハーサルの時から調子が悪くてな、

で、あの、三井は本当にここ10年間俺のモニタリングエンジニアやってくれて

毎回毎回違う会場で、音がその違うのを俺の耳を助けてくれるために、

毎日2時間のリハーサルに付き合わせて、

表のエンジニアも俺のそのやばいところを、ごまかしてくれて、

照明は俺が毎回音がうまくいかなくても、完璧に見えるように演出してくれて、

で、そのスクリーンをやってくれている人たちも、本当に初めての人たちで、

俺は比較的そんなに俺が手一杯の状態って感じなかったかもしれないけれど、

パーフェクトな仕事をしてくれて、

でま、周南を迎えて、おれはその時に、これ以上無理だなと、自分で、、、

で、今日やってみて、あのーものすごくレアで調子良かったんで、これはいけるかなと、
思ったらその、ころんでまた胸打った(前半MCで話した今日のリハでの事故)、

でそれだけじゃなく、本番始まったら結構やっぱ、

耳が同じようになってしまうんで、

ま、これは、多分、こんなこと言うとすごく不謹慎かもしれないけど、

人に寿命があるように、俺の寿命なのかもしれないと、

で、あの、ミュージシャンとしてのだね。。

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で、本当俺は自分なりには、やってきたと、

まー結局そういうことななっちゃうのか、まー、

そういうことになっちゃったとしても、みんなが納得できないとしても、

最初はそのかっこつけて若いころから言ってた、体力が続かなくなったら、おれはみんなに、
さよならすると、

言ってたそのかたちで、かっこつけてそのままいなくなっちゃおうかなと思ったんだけど、

それではあまりに本当に、このたいしたこともない男を、支えてくれた、

これはツアーで言ったけれど、男っていうのは、その、己を知る者のためだったら死すと。

その自分を信じてくれる者のためだったら、俺は死ぬこともできると、最後の、

明日はあるけど、この場所に来ました、

明日もじめじめは絶対せずに、ま、調子がいろいろなところが悪くて、

胸も痛めて跳ねまわれないのも事実だけど、

あの、思い切りできるだけの事をやろうと思います。

で、あの、いまその、友達といろいろなプロジェクトを立ち上げてて、その友達に対して迷惑のかからないことであれば、クリエイティブな事はやると思うのよ。

で、なんらかの形で1曲・2曲はみんなのもとへ届くと思うけど。

とりあえず長い間こうして支えてもらって、本当に、

「氷室京介ってのは多分、お前らが作ってくれた存在」というかね、

あの、お前らが作ってくれた氷室京介なのね。

だからお前らにお返し、今日と明日でして、

で、まー俺は俺でしばらくちゃんと自分の次に、その、いまのコンディションでできることを、

しっかりと考えてやろうかなと思います。

最後にこのツアーを支えてくれたメンバーをみんなに、

本当に親愛なるメンバーをみんなにしょうかいしたいなと思います。

(メンバー紹介へ)


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※録画・録音など一切しておりません