2007年10月

2007年10月28日

広告

広告

 電車に乗ることが多いのですが、ふと、広告に意識が移ってしまいました。
そういえば、電車のみならず、町の中、部屋の中、サイトの中まで広告と共にある生活を送っていることに気づいたのです。私達は、広告に囲まれて生活しているなと。

僕の思う広告の不思議さは、広告はただ表現しているだけなのに、ひきつけられてしまうということです。アウトプットしているだけ。特に僕の話を聞いてくれるわけではない。なのに、じっと眺めてしまいます。僕は人の話を聞かないスピーカーのような人は苦手なのですが、広告の場合、ひきつけられてしまうわけです。

よく眺めてみると、広告には2つのタイプがあるのに気付きました。
ひとつは既存のものを告知しているもの。もうひとつは新しいものです。
しかし、いくら新しいといっても、見る人にとって何のことか分からなければ広告の意味がありません。既存のものを使って、いかに新しいものを伝えるのかをチャレンジしているわけです。
そこで、なるほどが来ました。
広告は、見る人のイメージ体系とつながろうとしているのだと。
迅速というイメージを伝えるためには、スピードを連想させる画像。フワフワ感を出したければ、フワフワした服を着た女性という具合にです。
結果として、連想したイメージがその広告の印象として残ることになります。そう考えると、見る側に何を残すのかは、どんな連想をさせるのかで決まるといえそうです。

僕の場合、広告に惹かれている時は、考えが自動的に走ってしまっています。広告は無数の出会いのストーリーをつくってくれるきっかけになるのだと思いました。表現したイメージが、見る側のイメージ体系の中に入り込み、無意識の中にある感覚や感情、雰囲気とつながり、見る人の中で、その人だけの出会いのストーリーが始まる。もちろん、嫌なストーリーが始まる場合もあるとは思いますが、もし、電車の中の無数の出会いのストーリーが、まるで、音が次々と始まりは消えるながら流れる音楽のようだ想像すると、なんだか広告が多すぎるようにも見える電車の中も、意外と楽しめる空間なのかもしれないと思ってみました。
願わくば、見る側の心を和ませたり、立ち戻らせたり、温かくするような、そんな広告が増えればと思ったりなんかします。

そうです。もうひとつ気付いたことがありました。
ある紅茶の広告に惹かれたのですが、全体的に白の基調の中に、新商品の紅茶を持った女性が柔らかな服を着ている画像が2枚と言葉が少し。とてもシンプルなのに伝わるものがしっかりとある。そこには表現者の洗練されたセンスが隠れているように感じました。見る人の心を感じれるセンス。
相手が心の中で大切にしているイメージを乱すことなく、そこに共感共有し、伝えたいイメージを載せる。
つながる力と受け入れる力が両方同時の融合した力。
これはコミュニケーション力や質問力、また想像力とも通ずるなと思ったのです。
ただし、取って付けたような力ではなく、本来人が持っている、人間性の豊かさを磨きあげた力といえば伝わりやすいでしょうか。

広告の話から、少し長くなってしまいましたが、日常の中で、身についてしまうコリのある心が(笑)、少しでも人間性の豊かく、そして少しでも柔らかくなるような、そんな出会いのストーリーを創っていけたら、つながっている個人としての在り方に近づけるのかな、なんてそんなことを考えています。(^^)


inthesky232c2005 at 10:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) つながり 

2007年10月21日

個人による規模の経済


 mixiをやっていますが、最近、簡単に収入を得られる個人ビジネスをやっている方が多く足跡を残してくれます。
実際にやっていらっしゃる方とお話させていただいた方も数人いました。
ブログを活用していらっしゃる方は、50ものブログを運営し、リンクを張り合いながら逐一書き込みをすることで、ブログに張っている広告のアクセスを通して収入を得ているそうです。中には100ものブログを運営している人もいるらしく、とても驚きました。その話を聞いていたときに思わず、「規模の経済」と口にしてしまいました。

今までの経済は、規模の経済といわれています。事業を手広く拡大すればするほど扱う金額も増大するため、おのずと収入も大きくなるという経済でした。しかし、物商品やサービスが多様化し溢れている今となっては、大量生産、大量消費では循環することが非常に難しくなっています。規模の経済は、既に過去の産物と観ることもできます。その、規模の経済が、個人のレベルで生きていることに驚いたのです。
しかし、そのやり方では結局時間に追われ、何のためにそれをするのか分からなくなるという、規模の経済が主流だった頃に企業内で問題視されていたことを、個人で背負うことになっているようです。具体的には、モチベーション激しい起伏や自分の生き方を見失うといったケースです。もちろん、全ての人がそうだというわけではありませんが、個人でそれらの力に向き合うのは大変な労力なのだろうと思いました。

お金の話の時に、決まってイメージすることがあります。それは経済です。経済といっても専門的な難しい話ではありません。お金は経済の一部であり、経済というチューブをお金が循環しているというシンプルなイメージです。
体に置き換えれば、血管が経済で、血液がお金という感じです。
ご存知のように、血液は細胞へエネルギーを送り続けています。どんな血液を流すのかと、細胞がどのような状態になるのかはつながっています。それから考えると、どんなお金を自分の経済の器に流すのかによって、個人の経済力が作られるのではないかと考えることもできます。逆を言えば、器に合わないお金を流すと器自体やそこからのつながりをも破壊してしまうことにもなります。
経済力というと、どれだけのお金を作り出せる力のかというイメージが一般的ですが、僕の場合は、その経済というチューブとのつながりのある人達がどれだけ元気になれるかという意味と価値で考えています。経済なくしてお金も無く、お金なくして経済もありえません。その全体と部分のバランス感覚。そんなセンスが、よりつながりのある意味と価値の経済力を育てていくのではないか、そんなことを考えさせられました。


inthesky232c2005 at 15:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) お勉強