じゃっくとおやつと最後の夏

2016年に出した忘れてモーテルズとのスプリットCD『路地裏のI LOVE YOU』からの再録。

『どんづまりのまま朝を待っている』、ですって!
なんという閉塞的な空気感のタイトルであろうか!

この歌詞を書いたときのおれの精神状態たるや、推して知るべし…と思いきや、案外そこまで落ち込んでいたわけではないのである。

おれはいつも歌詞を書くときは、近い時期に起こったことをそのまま書くのではなく、ためにためた感情が、まるで300年前に降って山に積もった雪が、やがて溶けて地中に潜りそして泉となって湧くように、体と頭を何周も巡って、あるときついに形になってあらわれてくるのだ。

だから、歌詞の中の登場人物や風景も、モデルがあるような無いような、今まで関わってきた人やものの色んな部分がフランケンシュタインみたいにツギハギ合わせになったり、ごった煮のスープみたいにぐちゃぐちゃになったりして出てくることが多い。

この歌で描かれている風景もそうである。





曲に関しては、元々はザ・バンドみたいな牧歌的なミドルテンポのエイトビートのロックンロールに、吾妻光良&スウィンギンバッパーズみたいな底抜けに楽しく踊れるような要素も入ったナンバーを作ろうと思って取りかかったはずが、牧歌的なエイトは何処へやら、いつの間にかBPMはえらく高速化していて、しかも歌詞も楽しく踊れるような内容からかけ離れた随分救いの無いものになっていた。

おれは基本的に激しい音楽が好きで性格が暗いのだが、こういう形でその要素が現れるとは思わなんだ。
おれはいつになったら牧歌的で楽しいエイトビートの踊れるナンバーが作れるのだろうか。


と言いつつ、元々作ろうと思っていた曲にはならなかったわけだが、思ったとおりにいかないこともまた楽しい。
思った通りになるより、思ったとおりにならなかった先にある意外性が新たな創作の素になるのだ。

寄り道した先におもしろいことがあったらそっちを優先したって構わない。
そういう人生の方が趣があるとおれは思うのだ。






まだ旅は続く。
次回『雪とクレーター』編、ご期待ください!






『どんづまりのまま朝を待っている』

作詞/作曲:じゃっく


あーもう嫌んなった
地球が自転を休んだ夜に
あの子どっかへ行っちゃった
犬が遠くで吠えている

どうにもならへんことをさっきからずっと考えて
必死のパッチで飲んだくれている、
真っ赤な月が鈍く笑ってる夜さ


嵐が止んだとて
ぼくの心は嵐のままさ
右も左もどんづまり
寝ても覚めてもどんづまりさ

どうにもならへんことをさっきからずっと考えて
必死のパッチで飲んだくれている、
真っ赤な月が鈍く笑ってる夜さ 


さいごの言葉が
何だったのか覚えてないや
ラジオでロックを聴いていた
隣のカレーの匂いがしてた

どうにもならへんことをさっきからずっと考えて
必死のパッチで飲んだくれている、
真っ赤な月が鈍く笑ってる夜さ


あーもうやんなった
地球が自転を休んだ夜に
あの子どっかへ行っちゃった
犬が遠くで吠えている

どうにもならへんことをさっきからずっと考えて
必死のパッチで飲んだくれている、
真っ赤な月が鈍く笑ってる夜さ








追伸
何人かの非関西人の方に「パッチってなんですか??」と聞かれたのですが、これは「パッチ」単体で意味をなすものではなく、関西のスラングで「必死のパッチ」という言葉があって、それを引用したのである。

「必死のパッチ」の意味としては

『極めて必死であることを意味する表現。「必死」という語を強調した最上級とされ、主に関西地方で用いられる表現である。自分の努力などを誇示する際に使用することが多いが、単にギャグとして用いられることもある。』
(Weblio辞書「必死のパッチ」頁より引用)

とのことである。
まあ、「パッチ」自体にほとんど意味はなく、ただの語感による言葉遊びなのではないかと思う。

とりあえず、この歌の中の主人公の「必死パッチで飲んだくれている」の指す状態としては(歌詞の中での言葉の意味を説明するのは野暮なのであまりしたくないのだが)、要するに「えげつない勢いで酒を飲んでいる」くらいに思っておいてもらえたらと思う。
君にもそんな風にしたくなるくらいの気持ちになるような夜もあったんじゃないか。

えらい長い追伸になってもうたわ。
それではまた次回!







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必死のパッチ





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必死のパッチ




images (3)
ザ・バンド。よく考えたらすごいバンド名である。




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吾妻光良&the swinging boppers。大大大好き!




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忘れてモーテルズとイヌガヨはマブダチである

2曲目、ロードムービー2。
場面は変わり、路上から高速道路へと。




「2」があるということは「1」があるわけだが、それは同じアルバムの10曲目で登場する。
聴いた方はわかると思うが、「1」と「2」では曲調が全く違う。
それが何故「ロードムービー2」というタイトルになったかと言うと、ひとえに歌詞の内容である。



おれは歌詞を書くときは大抵、どんなテーマで書こうということを決めずに机とノートに向かい、スタジオで録音した音を聞きながら、「この曲は一体何を歌おうとしているのだろう?」とメロディやバンドの音から読み取っていくという、まるで岩から彫像でも掘るかのように歌詞を書いていくのである(どんな内容にしようと決めて書くときもごくたまにあるけど)。


そうしたある日、いつものようにコメダコーヒー堺東店で歌詞を書いていると、ふわふわと掘り出されてきたのが、この旅を歌う歌詞だったのである。
うーん、なんか前に作ったロードムービーっていう曲と内容被ってるな〜と思ったのだが、いっそのことこれは『ロードムービー2』ってことにしてしまったら間抜けでおもしろいんじゃないか、と思い、スタジオを持っていき、みんなに

「ジャーン、こないだから作ってたあの曲ですけど、タイトルは『ロードムービー2』になりました〜!!」

と伝えたところ、アルさんに「1と全然違うやないか」と見事つっこんでもらったので、こりゃ成功だと思い採用に至った次第である。




旅はいい。
何故いいかと言うと、おれは元々、その土地土地にしかない食材や料理を食べるのが好き、地方地方特有の文化や習慣を知るのが好き、見たことのない景色を見るのが好き、人と出会うのが好き、と、旅を好きになる条件を端から端まで持ち合わせた性格をしているからである。

しかも、ただ旅をしていただけならばそこまで仲良くなれなかったはずの人たちとも、音楽を通してなら一瞬で距離を縮めることができるのだ。

全く、ツアーミュージシャンはおれの天職と言わざるを得ない。




旅先で出会った様々な価値観を目の当たりにすると、その土地の良さを知るだけでなく、自分の住む土地の良さを知ることにもなる。

北海道でスープカレーや新鮮な海鮮を食い、新潟で透き通るように美しい米を食い、福岡で安いのに美味いとんこつラーメンを替玉し、広島でぷりっぷりの牡蠣やお好み焼きを食い、四日市で肉厚のトンテキを食い、仙台でジューシーで柔らかい牛タンを食い、福井で恐ろしく分厚いのに溶けるように柔らかい鰤刺しを食ったとしても、ふとその行った先の街で本当に美味しいたこ焼きや串カツや讃岐うどんを食べたくなったとて、それは叶わない。
食べ物ばかりで例えたが、これを「人間」や「景色」や他の何かで例えたって構わない。


何かひとつに特化するということは、他の何かを捨てるということで、しかし、それこそが個性を作り上げるということなのだ。

これを大きくすれば「国」、小さくすれば「個人」となる。
色んな土地に出向き、色んな人と出会って、そこから自分個人や街や国にあるものと無いものを知る。
これこそがおれにとっての「旅」である。
そんな生き方が好きである。
知らんけど。


みんな、よかったらおれたちと一緒に旅に出ようじゃないか。





まだ旅は続く。
次回『どんづまりのまま朝を待っている』編、ご期待ください!






『ロードムービー2』

作詞:じゃっく
作曲:イヌガヨ


工場、煙ふかす 海の向こうにバラ
カーステレオからギターソロ
ふざけてまねしている

ハイウェイ1000キロ突っ走る
今夜の街へとたどり着く
看板娘に恋をする

おれたちは会いにゆく、けもの道転がって
君たちやおれたちの根底を知るために


居場所がどこにも見つからなくって
ロードムービーの住人になってしまった

用法容量守らずに、どんぶり勘定の我が人生
周回遅れで走り抜け

行く先に何がある?どこにある?誰に会う?
雨が降る、雪が降る、誰か死ぬ、夜が明ける

MV。





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追伸

ちなみに、チープトリックのサレンダーという曲がかっこいいな〜あんな曲ほしいな〜と思って、スタジオで作業をしたが、できてきたのが全く似ても似つかないこの曲だった。

どうやらおれたちにはパクる才能が無いようである。

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