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八月の夕暮れどき、仕事上がりに駅前の通りを歩いていたらずいぶん前に閉店したはずの立ち飲み屋に灯りがともっていた。
中には大勢の人がいるようで、がやがやと賑やかな声が聞こえてくる。
確か店主は老齢を理由に引退してそれから何年か後に亡くなったはずだが、誰かがあとを引き継ぐことにでもなったのだろうか。

そう思いふと覗くと、家の向かいの磯田のおじさんと三丁目の角の八百屋のご隠居が並んで飲んでいてギョっとしてしまった。
なぜならば、ふたりともずいぶん前に死んだはずなのである。
店主も何事もなかったかのようにカウンターに立って注文を聞いている。


よくよく見れば他の客も、30年前に通っていた小学校の校長先生、川田くんちのおばあちゃん、肉屋のご夫婦、所属していた野球チームの監督、他にもちらほらと知った顔がおり、皆今はもうこの世にはいないはずの人たちばかりだった。
知らない顔ももちろんいたが、もしかしたらあの人たちもこの世の者ではないのだろうか。
とにかく、皆その店で大変美味しそうに酒を飲んでいるのである。



しばらくあっけに取られてドアの前で立ち尽くしていたところ、おお吉田やん。久しぶりやんけ。元気にしとったんか?などと後ろから親しげに声をかけてくる男がいた。
幼馴染の小島だった。

小島とは小学校から高校までずっと同じ学校だった。
高校生のときには一緒にバンドをやった。
今にして思えば随分拙い演奏だったが、文化祭で披露したライブでほんの一瞬だけ人気者になり、勘違いしたぼくたちはそれからオリジナル曲を作って地元のライブハウスでも演奏した。
文化祭が終わってからしばらくは友達や同級生もライブに来てくれていたが、受験が近づくにつれ段々と客は減っていき、親からの圧力に負けたこともありぼくはグループを抜け、間もなくバンドは解散した。

卒業後ぼくは地元に残り、彼は上京してプロを目指した。

20年近く東京でバンドをやっていた小島は3年前に家業を継ぐために地元に帰ってきて、その年の春に癌が見つかり、ほどなく死んでしまった。



その小島が今なぜかぼくの目の前におり、親しげに声をかけてきたのだ。
小島は、えっお前…なんで?というぼくの問いには答えず、久しぶりやしちょっと寄ってくか?もう何年も一緒に飲んでなかったしなあ、などと言う。
妙な気持ちはあったものの、その言葉に流されぼくたちは店に入ったのだった。




そこからはずいぶん飲んだ。
ぼくの今の仕事場の話、一緒に所属していた野球チームが少子化でメンバーが集まらなくなって解散した話、小島が小学生の時に好きだった女の子に4人目の子供が生まれる話、最近聴いている音楽の話、文化祭での初ライブの話、そのライブの最後の曲で小島がギターソロを盛大に間違えた話、小島の東京での生活がいかに貧乏だったかという話、東京のライブハウスのチケットノルマかいかに高かったかという話、高校のときにコピーしていた憧れのバンドと小島のバンドが対バンしたときの話、ツアー先で出会った美しい女の子との恋の話、あの頃よく出演していたこの街唯一のライブハウスの最後の営業日の話、駅前の再開発で近々この一画がタワーマンションになる話



気がつけばもう5時間も飲んでいた。
周りの客もみんな居なくなり、ニュースを読むアナウンサーの声だけが店内に響き渡っていた。
ぼくは思わずまた飲もうや、などと言ってみたが、小島は無言でほんの少しだけ残っていたハイボールを飲み干し、そろそろ行こか、と言った。


立ち飲みを出てすぐのローソンの前で小島はタクシーをつかまえ、それじゃあな、楽しかったわ。来年まださっきの店が残ってたら飲もや。と残して去っていった。
ぼくはタクシーが見えなくなるまでそこに立っていた。
遠くで犬のなく声が聞こえた。







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先日土曜日は堺ファンダンゴでイヌガヨワンマンツアーの大阪編だった!
来てくれたあなたに心よりの感謝を。



去年はワンマンは梅田クアトロでやったし、2021年はコロナにかかったりでヘロヘロでワンマンどころかほぼ何もできなかったので、ファンダンゴワンマンは2020年以来実に3年ぶり。

やはり我がイヌガヨのホーム、ファンダンゴでのワンマンはなんとも良かった。
その場所との共鳴の仕方であったり、皆の「ここでイヌガヨを見たい」という気持ちも働くのか、どこか空気が違うような気がしたのであった。
(別会場のワンマンが悪いと言ってるわけでは無い、ご理解いただけますよう)




今回は田高健太郎のワンマンが前日27日にあり、イヌガヨはそこでも演奏。
去年の札幌ペニーレーン以来、大阪では初めての田高健太郎との演奏。
今回この田高健太郎ワンマンと翌日のイヌガヨワンマンを見るために二日間ファンダンゴに来てくれた人も多くいて、おかげさまで両日ともに大入り満員。
このワンマンを盛り上げるためにふたりで長いツアーを回ったことがちゃんと形になった喜びで、全てが終わった後にふたりで楽屋で涙を流したのは秘密。








と、ここまで書いて、思うことがたくさんありすぎるのと頭の中がちっとも整理されてないのとでなんとも取り留めのない文章だなあ、とさっきからずっと思ってます。


しかし、本当に言いたいことは非常にシンプルで、(ステージでも言ったけど)いつどこでどうなるかわからないこの人間の人生、とにかく自分の命のある限りはステージに立ち続けるので、よかったらいつでも遊びに来てください。
わたしはいつでもみんなのお相手をしましょう。
人のために音楽をやっていると言えるほどのよく出来た人間でもないけど、イヌガヨがステージに立つことで誰かが強く生きられる力になっているとしたらそれは本当に幸せだと思っています
ということ。




ひとつにならなくていい、バラバラでいい。
だからと言って、人と同じも恥ずかしいことではない。
そんな自由に楽しむあなたたちをステージから見るのが大好きです。






このツアー、最後まで元気で完走できるようにがんばるぞ。

またライブ会場で会いましょう!



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アンコール①でレインソング、街の灯火
アンコール②で生活、ヒバリが鳴く

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