福島原発の被災動物救援活動に
明け暮れていた私は

2011年の8月6日

生まれて49年目にして
初めて

《広島原爆の日》を忘れました。

広島で生まれて広島で育って
8月6日を忘れるほどの大きな出来事が

よもや
私の身に起きるとは・・・

『今日が8月6日だった』
・・・と気づいたとき

私は勝手に
《福島活動》に運命を感じました。


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福島原発が爆発したと聞いても

無駄に《放射能汚染》に対して
ビビらなかったのも

広島で生まれて広島で育ったから

私の頭の中に
《広島原爆の日》があったから

広島にげっばくが落とされた
あの凄惨な中でも

生き抜いた人がいるなら

私も
《福島で生きられる》

『放射能言うても
広島のは火を噴く爆弾じゃったけぇ

ヤケドをして家が燃えて
町中がおおごとになったんじゃ

ここ(福島)は爆弾が落ちたわけじゃないし
今すぐどうのこうのにはならん

私はあの子らをここに置いては
広島に帰れん!

私は
自分の将来は要らん!』

同じ広島県人でも
田原君は

私のように
父方の家族全員が被ばく者でもなく

原爆とは
ほとんど関係ない町で育ちましたが

「ワシも放射能汚染による健康被害は
考えんでええと思う!」

・・・と言いました。

8月6日
《広島原爆の日》

当時の広島に
《ご縁》があった人には

いろんな思いがあるでしょうが

私は
《広島原爆の日》に感謝しています。


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宇都宮市に

終生引き取りの子猫の
お迎えに行ったとき

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知らないオジサンから

「広島の人じゃない?」
・・・と聞かれました。

『そうですが』と答えると

その
知らないオジサンが

「震災のときの《と90番》だか
《と100番》だかの柴犬はうちにいるよ」

・・・と

《と90番》は雑種
《と100番》は広島にいるおっちょこ

《と90番》台の柴犬は
1匹しかおらん

《と99番》の柴ババアだけじゃ・・・

『もしかして
浪江町の柴犬の♀ですか?』

「そうそう井上さんちの
タマちゃん」

わかった!間違いない!

『そりゃ~
《と99番》の柴ババアですわ!

今は
コロって名前でしたよね

コロちゃんは
まだ元気にしとりますか?』

「3軒ほど向こうなんで
見に来てください!

ちょうどこれから散歩に行きますし」

行く!行く!
行かせてください!


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人間が
エゴで作った原発が爆発したせいで

福島原発20km圏内の
住民たちは強制的に避難させられ

そこで暮らしていた動物は
一瞬にして置き去りにされました。

それだけならまだ
やりようがあったのに

福島原発20km圏内に
置き去りにされた動物たちは

2011年4月22日
そこが警戒区域に指定されたと同時に

日本国から
完全に見放されてしまいました。

20km圏内に
顔なじみの子がたくさんいた私は

気が狂いました・・・

私たちは
警戒区域に指定された翌日に

ベースを

福島市から
栃木県塩谷町に移したわけですが

20km圏内に入れなくなった
私としては

ベースが栃木県でも群馬県でも
そんなことは《もう》

ど~でもよかったのです。

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それから

ある人の尽力で
再び20km圏内に入ることができたのは

栃木県塩谷町に引っ越して
8日目のことでした。

もちろん
当時の線量は非常に高く

危険区域であることは
間違いないことでしたが

そこに置いてきた犬猫のことを
思うと

放射能汚染なんてクソでもないこと

私は水を得た魚のように
一気に元気になり

張り切って20km圏内に通いました。


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私が元気を取り戻した数日後

私たちが連れ出し
お届けした犬の飼い主さんから

電話がありました。

「近所の犬3匹を

神奈川県にある団体が
保護したことになっているのだが

話がどうも変で
保護されてない気がするんだ。

中谷さん
行って確かめてはもらえないかな

うちより奥の家なんだが」

そこは
地震で崖崩れが起き

4月の初めの時点で
軽自動車が通るか通らないかの場所で

その後に
度々起きていた余震で

林道を通るしかなくなった場所で

その林道は地元の人間以外は
誰も知らないような道

当然
ナビにも載っていません。

それなのに「保護した」って言うのは
確かに怪しい・・・

当時の《20km圏内には》
まことしやかなウソが飛び交っていました。

【警戒区域】に指定され
誰もが入れなくなってしまったから

立証のしようがなかったので
《言い放題》だったのです。

他にも

机上でパソコンを
ピコピコするだけの《ネット族》の

《間違った情報》も
そこらじゅうに散乱していて

『行ってもないなら黙って!』
『見てもないなら黙って!』

そんな気分のときでした。


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行きましたよ当然
震災から2ヶ月後の5月11日

途中で道を間違えてしまい
困っていたら偶然家が見え

そこに行ってみると
小柄な犬が1匹いました!

小柄な犬は57日間も
1匹で過ごしていたけれど

つながれていなかったので
裏の沢の水を飲んでいたようで

痩せてはいましたが元気でした。

その子も保護して
あたりを行ったり来たりしていると

建物の屋根らしきものが見え
わき道に入ると

ありました!平屋の家が・・・

これじゃ道路から見えんし
これじゃ誰も気づかんよ・・・

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すぐに帰れるつもりでいた
高齢の飼い主さんは

「雨が降っても
絶対に濡れんところにつないでおこう」

この気持ちがアダとなり
つながれて57日間

雨の1滴も飲めない
過酷な時間を

3匹の犬は過ごしていたわけです。

『小柄な子のように
自由にさえなっていたら

あれでも生きとれるけど
つながれとったんじゃねぇ・・・』

かなり厳しい状況じゃとは思いながら
3匹の犬を探すことに

57日ぶりの人の気配に気づいた
犬がス~ッと立ち上がり

驚いた私たちは腰が抜けました。

それが
その柴ババアでした。

以後の話も
かなり濃いのではまた今度


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『鳴いてくれや!』
『吠えてくれや!』

鳴かないです・・・吠えないです
ほとんどの犬が・・・

喜んで喜んで
ちぎれんばかりに尾を振っても

犬は鳴かないです・・・

飼い主依頼で探しに行って
名前を呼んで鳴いて応じてくれた犬は

1匹もいないです。

犬という生き物は
1匹にされて時間が経つと

寂しいのか怖いのか
感無量なのか

名前を呼ばれても返事をしません。

人の気配に喜んで喜んで
その場に立ったまま

ちぎれんばかりに尾を振るだけです。

これは私が福島で
何百匹もの犬で体験したことです。


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そんなこんなで
よくぞ生き延びてくれた柴ババアですが

外耳炎だし
皮膚炎だし

なのに治療させないし
ヒマさえあれば咬むし(笑)

当然
柴ババアの担当は私

避難生活をしていた飼い主さんからは

「引き取ることはできないから
新しい飼い主を見つけてほしい」

・・・と言われていましたが

『こんな気性難の子

新しい飼い主だなんて
とんでもない話』

新しい飼い主を探す気もなかったころ
1組のご夫婦が来られ

「自分たちの年齢を考えても
あまり若くない犬がいい」

・・・と

いろいろ見て回りながら
柴ババアのところで

「お年寄り?」
・・・と聞いて来られたので

『この子は
ずっとお世話をしてきたから

私は
かわいくて仕方がありませんが

ちょっとばかし性格が悪くて
他の犬との折り合いも悪く

犬も人間も簡単に咬みます。

・・・ですが
触らなけらば咬みません!

外耳炎の治療はさせませんし
皮膚炎もよくなったり悪くなったりです』

・・・と
絶対NGになるような説明をしました。

・・・だって
それが事実なんですも~~ん

事実を隠して渡すと
あとで不幸になるのは犬です。

ご主人は
あまり意見を言われませんでしたが

奥さんの方は
「おもしろい!」と・・・・

なんとなくイケそうな気がしたし
先住犬もいないし

連れて帰ってもらうことに・・・


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あれから7年

私も最初のころは
頻繁に様子伺いをしていましたが

いぬ親さんが
しっかり見てくれていましたし

柴ババアも
落ち着いてくれていたので

いつの間にか
そのままになっていました・・・



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おやまぁ!
キレイになって!

しかも
もう17歳なのに若くなったじゃん!

耳の調子もいいみたいで
ご機嫌じゃね♪

『・・・でも
本当はまだ咬むでしょ?』

「咬みませんよ!
誰でも触れますよ!」

さんざん咬まれた私は
飼い主さんの言葉が信用できず

怖かったです(笑)



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外耳炎のなごりで
耳が少し傾いてしまいましたが

皮膚炎も外耳炎も見られません。

もちろん
《アポなし訪問》ですから

だいじに育てられているのが
よくわかりました。




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『あら?あのダックスは?』

「町中で見かけて
すぐに飼い主が見つかるだろうと連れて帰り

警察やセンターに届けて

チラシも作って
いろんなところに貼ってみたけれど

飼い主が見つからず
うちで飼うしかなくなって・・・」

『柴ババアは
ほかの犬はダメでしょ?』

「それが
この2匹は家族なんでね

家の中でも仲良しで

散歩も
いつも2匹一緒ですよ!」




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浪江町では
「タマちゃん」と呼ばれ

うちに来てからは
「柴ババア」と呼ばれ

最後にもらった名前が
「コロちゃん」

7年の歳月は

柴ババアを穏やかな性格にして
若返らせ

「コロちゃん」に変身させていました。



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犬を落ち着かせるものは

やっぱり愛情です。

愛情以外なにものでもありません。


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あのとき57日ぶりに

私たちが
浪江の自宅から連れ出したもので

地元の組内では

「神奈川県の団体は嘘つきだ」
・・・と

ちょっとした騒動になりましたが

柴ババアに限り
《それが》よかったのです。

・・・だからうちに来て

そして
「コロちゃん」になれたのだから♪



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57日もつながれたまま
飲まず食わずで生き抜いていた

あのときのヨレヨレの姿

その後に
メキメキと元気になっいく様子

そして

恩人であるハズの私に
「クソ喰らえ!」

・・・とバクバク咬んだ
あの激しい咬みつきぶり

そのすべてが
私の中の《福島》を象徴しています。

私は今でも
栃木拠点から近い野木温泉に行くと

《柴ババア》の
《99番》の下駄箱を選びます。