『犬山焼徳利盃館』へのご招待No.6
公共出版物での紹介・その1
平成17年発行の美濃ミュージアム街道協議会の広報誌に紹介された『犬山焼徳利盃館』の記事をご紹介します。
コレクション紹介0006 |
赤絵花鳥文徳利について
犬山焼徳利盃館
館長 土田 晃司
今日は雲錦手と並んで、華やかな犬山焼の代表的な絵柄赤絵をご紹介します。
文様が首・肩・胴・胴尻と四段に分かれてデザインされている。
中心となる胴の部分は釉下に染付でブルーの花文を描き、高温の磁器焼成を行った後、上絵付で赤絵の花鳥文を描き、更に低温焼成を行っている。
犬山焼としては最高度の技術を駆使した名品である。
幕末から明治初頭の作と思われる。
コレクション紹介0006 |
赤絵花鳥文徳利(明治初期) |
徳 利:径72×高147 右 AT0001M・左 AT0002M |
(注)「犬山焼と赤絵」
犬山焼赤絵のルーツは「呉洲赤絵」に有る。
中国南部福建省近辺で明末から清初に掛けて焼かれ、桃山から江戸初期に輸入された粗製の五彩磁器を「呉洲赤絵」と呼んでいる。
景徳鎮の端正な官窯に比べて、民窯で作られ自由奔放で力強く洒脱な筆使いの呉洲赤絵・呉洲染付は呉洲手と呼ばれ、当時の茶人や富裕層の絶大な支持を受け高級食器として持て囃された。その絵柄は和食器の高級品として日本に定着し愛好され現在に至っている。
京焼でその写しが作られ始めたのは、明末に政情不安からその供給が不安定になった為と考えられているが、尾形乾山・奥田潁川・仁阿弥道八・青木木米・永楽保全/和全等の名工により受継がれ独自の発展を遂げた。
19世紀に入ると全国に京焼系の技術拡散が始まり、その一端が犬山焼きにも伝わり、先の「雲錦手」、後にご紹介する「銹絵」と共に犬山焼きの主要な意匠になったのである。
このブログをご縁に犬山焼の徳利・盃にご興味をお持ち頂けたら、是非実物をご覧頂きたく、ご来館を心よりお待ち申し上げます。
尚、本館は年中無休・朝9時~21時開館・入場無料です。ご来館の節は、前もってご一報頂ければ幸いです。
可児市塩河3431
TEL&FAX:0574-65-6416
『犬山焼徳利盃館』館長