祝祭日ならざる祝日、祭日ならざる休日。~平成23年7月12日

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休みの日のことを祝日や祭日など言いますが、

どう違うのでしょうか?

祝日と祭日は同じような使われ方がされていますが、

現在、祝日は「国民の祝日に関する法律」という法律で

定められているのに対し、祭日は定めがありません。


「国民の祝日に関する法律」で制定された特定の日が

祝日とされ、「祭日」というものは存在していません。

「祭日」と言う言葉すら出てきません。

国民の祝日は「祝祭日」と呼ばれていた時期がありましたが、

現行法では存在しません。本来は、その名の通り、

祝日はお祝いの日、祭日はお祭り(祭祀)の日でした。


大日本帝国憲法の明治から昭和時代には

「皇室の祭典を行なう日」の意味もありました。

皇室祭祀には大祭日と小祭日があり、

国家の祝日と大祭日を合わせた総称として

一般的に「祝日大祭日」(略して祝祭日)と呼ばれていました。

現在祝祭日とか祝日・祭日と呼ぶのはその時代の名残でしょう。


私の昭和2年生まれの父や昭和9年生まれの母は、

生前、休みの日のことを祝日と言わず、祭日と言っていました。
 

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国民の祝日に関する法律の第一条意義にはこうあります。

国民の祝日(祝日)とは、

「自由と平和を求めてやまない日本国民が、

 美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を

 築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、

 又は記念する日である。」と定義しています。


どうも何を言いたいのかわからない条文です。

祝日には歴史的な意義が伴うものが大きくを占めます。

祝うべき出来事、感謝すべき出来事、

あるいは記念すべき出来事がその祝日の起源になっています。

これは何も日本ばかりでなく、多くの国でも同じです。


なのに、第一条では取ってつけたような戦後民主主義的な

「自由と平和」とか「よりよき社会」「より豊かな生活」

などといったよけいな概念を盛り込み、

歴史や国に対する敬愛の念を薄れさせているように思います。

戦後、我が国の歴史に対する感謝と敬愛を

疎かにしてきたことがここにも現れているような気がします。

古来のお祭りや歴史ある行事がある日が祝祭日であるべきと思います。


祝祭日とはその国家の歴史とつながっているものであり、

日本の歴史に由来したものが多くあります。

日本の場合は終戦を境に、古来からの歴史の連続性が

分断されてるのではないかと感じてしまいます。


週休二日制や祝日の一部を次の月曜日に移動させて

休日にするハッピーマンデー法の影響もあり、

これまで大切にしてきた祝日の意義が薄れつつありますが、

伝統的な風習、精神が廃れてきていると言われる今、

建国記念日、春分の日など、なぜこの日が祝祭日なのか?

祝祭日は古来の伝統や歴史を伝えるただの休日ではなく、

なにを記念しているのか?という歴史と背景の意味に

思いを馳せることも必要なことではないでしょうか?


国の祝祭日は、例えば米国では国父・ジョージ・ワシントンの誕生日や

独立記念日、コロンブス・デーなど歴史的な記念日がほとんどです。

欧州諸国や多くの独立国なども同様です。

そこには、祝祭日は、国民がともに歴史について考え、

国への思いを深くするためにあるとの発想があるからでしょう。

その点、我が国で歴史にかかわる日といえるのは、

「建国記念の日」と平成19年に制定された「昭和の日」のみです。

明治天皇の誕生日でかつて「明治節」の11月3日も、

戦後は「文化の日」と改称され、歴史的意味が失われています。

歴史的な意味を失った祝日は、単なる休日にすぎなくなります。


神社では特に祝祭日には祭典や行事を行ったりする事が多くあります。

神社のお祭りとは、日本人が遠い先祖から続けてきた

日本人の心の故郷を思い出させる習慣や慣習と言ってもいい行事。
 

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例えば、2月11日は、日本が始まった日。

今は、建国記念の日という祝日になっていますが、

昭和23年までは紀元節と呼ばれていました。

「元」とは元始の義であり、また年号のことにも用います。

そこで、日本の紀元の始まる日であるとして、紀元節と名づけたものでした。

明治憲法を発布する際にも、この日が選ばれました。

終戦後、GHQは占領政策の一環として、

昭和23年に祝祭日を変える方針を打ち出しました。

これによって、紀元節はこの年をもって廃止されました。

2月11日という日を否定することで、

日本の神話、歴史、天皇と国民のつながりを破壊しようとしたのです。

昭和27年4月28日の主権回復以降、昭和42年になってやっと

2月11日に第1回の「建国記念の日」が祝われました。

建国記念の日は、敗戦後、日本人の努力で取り戻した日です。

国民の努力によって、日本の歴史の原点を取り戻すことができたものです。

しかし、平成18年以降、建国記念式典そのものが行われていません。
 

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また、春分の日、秋分の日は、戦前までは、

それぞれ春季皇霊祭、秋季皇霊祭という祭日だったのです。

我が国では古来、先祖を祭る祭りが春、秋の2回行われてきました。

皇室においては、天皇陛下は春分・秋分の春秋二回、

皇室の祖先の霊をお祭りになります。それが皇霊祭です。

この日、天皇陛下は神武天皇をはじめ、歴代天皇・皇族の霊をお祀りし、

日本国と日本国民の無病息災を祈られます。

この日は、春秋のお彼岸の中日にあたっており、

私たち国民も祖先の祭りを行います。

こうした春分と秋分の行事の背景には、

我が国古来の太陽信仰と祖霊崇拝があります。

そして、皇室においては、太陽信仰と祖霊崇拝が

一体のものであるところに、この日の意義を理解する鍵があるのです。

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11月23日は、勤労感謝の日という祝日になっていますが、

この日は、昭和23年までは新嘗祭と呼ばれ、

わが国の伝統的な行事である新嘗祭が行われる日です。

新嘗祭は、天皇陛下が新しく収穫された米を

天照太御神はじめ八百万の神々に供えて祀り、

また自らも食して、神々に対して稔りを与えてくれたことを感謝し、

来る年もまた豊穣・安寧を与えてくれるように祈願する天皇の祭りです。

米の収穫を神に感謝する日であったのです。

戦後は、こうしたわが国固有の伝統や、天皇と国民の結びつきが損なわれ、

「勤労感謝の日」という姿に変わってしまっているわけです。

稲作は、春にもみをまき、秋に収穫をします。そして、私たちの祖先は、

春と秋を主として祭りを行い、神に対して豊穣を祈り、

また収穫に感謝するという営みを続けてきたのです。。

新嘗祭は三千年近く前の神話時代から、今日まで続いている行事です。

このように古い歴史をもった行事は、文明国では例がないものです。


祝祭日は元来、皇室祭祀といった国のお祭り、

お祝い事のために設けられているのであり、

レジャーに出かけるために祝日にしているのではないはず。


なのに、民主党と社民党が昨年進めようとしていた祝日法改正案。

具体的には、日本を東日本・南関東・西日本の3ブロックに分け、

それぞれ10月の第2週、第3週、第4週に連休を割り振るというのである。


10月第1週は連休としない。

それが何故かというと、その週は中国では国慶節の大型連休に当たり、

中国人観光客が大勢来日しても混雑しないよう、

日本人を休ませないようにするからという。

おまけに民主党の一部議員が、韓国の「秋夕」(韓国の旧盆)にも

配慮してくれと口出ししていた。

日本の祝日が、中国韓国の休みに配慮する

・・・いったいどこの国のどこの国民のための祝日かと。


日本の祝日、大半は皇室祭祀に由来しているのであり、

元日は四方拝、建国記念の日は紀元節、

春分の日・秋分の日はそれぞれ春季皇霊祭・秋季皇霊祭、

文化の日は明治節(明治天皇の誕生日)、

勤労感謝の日は新嘗祭である。

それに、昭和の日(昭和天皇の誕生日)、今上陛下の誕生日も加わる。

皇室祭祀以外でも、体育の日であった10月10日は東京オリンピック開会式、

戦後日本の復興と発展を象徴する、記念すべき日ではなかったか?


民主党と社民党が昨年進めようとしていた祝日法改正案は、

日本の歴史と伝統に対する敬意は欠片も感じられない。

祝祭日の本来の意義をまったく考慮せず、

中国韓国の祝日に合わせて日本の祝日を変えるというから話にならない。

民主党の連中は自国の歴史や伝統より、

中国韓国の休みの予定を優先するのかと。


日本は建国以来、日本以外の国であったことが一度もありません。

また建国以前までどこまで遡っても日本は日本なのです。


戦後、GHQの占領政策によって祝祭日まで変えてられてしまい

日本の伝統や風習、しきたり、言葉までが少しずつ消えていっている今、

日本の祝祭日までも、中国韓国の休みに合わせて平気で変えるような
そんな政党や政治家が今後出てこないことを願うばかりです。


東北関東大震災~平成23年3月20日

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3月11日に発生し、国内観測史上最大の規模を記録した
東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)により、
多くの尊い人命が失われたことに深く哀悼の思いを捧げ、
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災されたすべての方々に、心からお見舞い申し上げます。

被災地のみなさまにおかれましては、
一日も早く安寧が戻りますことを、
そして、一日も早い復旧がなされますことを、
大阪の地よりお祈り申し上げます。

自衛隊をはじめ、消防、海上保安庁、警察、被災地の自治体、
救援活動と災害対策に携わっていらっしゃる皆様には、
深く敬意と謝意を表します。

有限会社あいおふぃすといたしましては、
被災された方々へのささやかな応援として
被災地における復興活動にお役立ていただきたいとの思いから、
僅かではございますが、有限会社あいおふぃすの3月〜5月末までの
売上分から収益の30%相当分を義援金として
日本赤十字社へ寄付させていただくことといたします。



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●たしかなこと〜平成23年1月4日


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「月日は百代の過客にして 行きかふ年も また旅人なり」

俳人 松尾芭蕉の奥の細道の有名な冒頭ですが、
芭蕉は、門人の曽良を旅の道連れとして、
みちのくに点在する西行や宗祇など
旅に生きた先人の跡をしのび、歌枕を訪ねます。

歌枕とは、人に歌心を湧かせる場所、
人の魂に揺さぶりをかける何かがある場所のことで、
いわば、芭蕉の旅は、歌枕を道標に、
数百年の時空を辿ろうとしたものと言えます。 

今の時代に生きる我々は、先人たち培ってきたものの
その上澄みをとって生きているわけです。
この国を守り保ち、何を残していくべきかを考えます。

世界最古の独立国はこの日本です。
アメリカCIA公式サイトでも記されています。
日本は幕府は色々変わりましたが、天皇家は万世一系であり、
2670余年前から連綿と続いています。
と言うことは、これが一つの政権であると認定できるからです。
幕府も形の上では、朝廷から政治を任された形になっているのです。
このような例は世界広しと言えども日本以外では存在しません。
何千年と受け継がれてきたものにはそれ相当の理由と価値があります。
中国や韓国の歴史などと言ってもたかだか60年程度のことです。

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日本には世界最古の土器があり、世界最古の貝塚があり、
世界最古の漆製品があり、世界最古の皇室があり、
世界最古の木造建築があり、世界最古の企業があります。
もっと日本人は自国に歴史に誇りを持つべきであると思います。

何よりも日本人は高い精神性を持つ民族です。
日本国の別称、日本固有のものを指す「大和」は、
大きい「和」と書きますが、日本人は昔から
自分たちのことよりも他の人たちのことを優先して、
また他の人たちを愛し、ともに共存して
生きていこうという仲間意識の強い民族でした。

日本人の精神性は、明らかに諸外国の人々とは大きく違っています。
自分よりも社会=公というものをひじょうに大切にしてきました。
つまり、みんなで協力し合い、助け合って共に生きていくという
仲間意識、他の人への愛と奉仕の精神が強い民族です。

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そして、あらゆるものに「神を見出す」精神。
神道でいう「八百万(やおろず)の神」です。
古来から日本人は、生物、無生物、
自然現象のすべてに神が宿ると考えていました。
基本的に「もの」に対する尊敬の念があって、
だからこそ「もったいない」とか
「大切にしなければいけない」といった考え方も出てきます。

さらに、人間が自然界になかった「もの」をつくりだす行為は
新しい「もの」に命を吹き込んでいるのだとも考えられてきました。
古いものを、修理なり復元なりして、
そのまま使うというのが最も価値があることで
日本人は「もの」に命があるという考え方をごく自然に感じていました。

「自然への感謝」というのは、四季の移ろいを
感じる国だからこそ、生まれる気持ちなのかもしれません。
そして、その気持ちは日本の文化すべてに共通していることです。
文化や伝統工芸をたどっていくと
「日本に生まれてよかった」という気持ちになります。

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先人が残してくれた日本人としての精神文化・美徳の素晴しさを
再確認するべき時かも知れません。
古来の日本人が人との縁を大切にし、自然と上手に共存する中で
身に付けていた「人を思いやり気遣う心」「感謝を忘れず和を大切に思う心」
「伝統を愛し礼節を重んじる心」これら先人から受け継がれてきた
「日本人の心」には、心豊かに生きる為の知恵や教えが沢山詰まっています。

近現代史に入って、日本は三つの国難を体験しています。
一つは明治維新、二つめは大東亜戦争の敗戦、そして三つ目は現在です。
一番目、二番目は外敵によるもので、
日本国民は一致団結してこれを乗り越えてきました。
しかし今回は日本国内からでてきており、国論は割れています。
非常に危険な時と思います。

残念ながら、たしかなことは、
領土放棄、公約詐欺、経済失政の民主党が政権の座にいること。
外国人参政権付与や夫婦別姓、人権擁護法案などの売国法案を進める民主党に
私たち日本国民は白紙委任状を与えた訳ではありません。
その内容は、中国、南北朝鮮に「日本を売り渡す」に等しいものです。

もう一つ、たしかなことは
先人達が命がけで育んできたかけがえのないものを護り、
次世代に渡す襷(たすき)を今我々の世代が預かっていることです。

 

●日本の原風景〜平成22年7月18日

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「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり」

川端康成は、昭和43年ノーベル文学賞の記念講演「美しい日本の私」で
道元禅師のこの歌を冒頭で引用しました。

古来から、日本人は四季を愛でる習慣を大切にしてきました。
日本の情緒は、四季の移り変わりと密接な関係にあり、
俳句にも季語というきわめて季節感を旨く捕らえた言葉があります。
四季がきちんとあって、四季折々の伝統的な行事が執り行われ、
それに人の通過儀礼が重なり、日本の伝統的な文化が育まれてきました。

日本に生まれ育った我々にとって、四季の変化はあたりまえのこと。
一年中夏という常夏の国がありますが、日本人にはよくわからないもの。

暑い夏になれば、涼しい秋が待ち遠しくなり、
寒い冬には新芽のふく春が恋しくなるのが、多くの日本人です。
季節折々に自然の恵みがあり、四季はそれぞれ楽しみを与えてくれています。

雪月花、花鳥風月。四季の自然を並べたシンプルな歌や
清楚で凛とした精神性、このような一種の緊張感が、
かつての日本を包み込んでいたのでしょう。

四季の変化は、日本人の生活のすみずみまで入り込んで、
花見や紅葉狩り、盆踊りや雪見酒。季節の情緒を数えあげれば
きりがありません。いつまでも五感を研ぎ澄ます美しさを
感じられる日本であってほしいと思います。

しかし、昨今、そんな季節の情緒を感じることが少なくなりました。
季節の野菜や果物は、一年中スーパーの店先を飾り、
温室栽培や冷蔵技術の発達、そして社会がせわしくなり、
四季の情緒など楽しんでいられないといった要因もあるのでしょうが、
昔からの年中行事、二十四節気、季語などに、
現在の四季の移り変わりを当てはめてみた場合、
旧暦、新暦のずれだけではなく、基本的な季節感がずれていて、
使えない言葉が随分あることに気づかされます。
お正月ですら、小さい頃は、何もなくても楽しかったものですが、
最近では、唯の休日になってしまったかのように感じます。
伝統的な日本文化まで衰退していくのではないかと危惧します。

古今和歌集・土佐日記・竹取物語・源氏物語・枕草子などの
文学の基本になったのは美しい自然景観で、
細やかに移りゆく草木・花の彩をいかに敏感にとらえて文字に表すか
ということでした。平安時代には、宮中に集う人々の衣裳や手紙・几帳など
身辺の様々なものにも、自然界の移ろいは表されてきました。

山や川や野や空が、私たちの「美しさ」を育ててくれ、
先人が培ってきた文化や精神性を受け継ぎ、美しい日本の姿。
古に学び、四季を生きて、日本を誇り、もっと愛してゆきたいもの。
せっかく日本人として生まれたのならば、
日本の風情をもっともっと大切に味わいたいもの。と思います。

国敗れて山河ありと、戦後の荒廃した景観の中で人は呟いたことでしょう。
その感懐には大切な日本人のらしさが含まれていると思います。
戦後に限った話ではなく、現代の人も、荒廃し疲弊した気持ちが、
故郷の景観に救われたことのある人は多いと思います。
縄文の時代から我々日本人は、山と川と海に囲まれて暮らしてきて、
そのDNAに刷り込まれた風景なのであろうと思います。

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国敗れて山河ありと感懐しているのかどうかは別にしても、
日本人が、らしさを取り戻そうとしているように感じることがあります。
土を知らない都会育ちの若者が、訪れて目にする田舎の風景を
懐かしいと感じるのは、日本人としての血の証なのかも知れません。
誰もが初めてでも懐かしいと思えるのは、
日本の原風景とも呼べる風景を体感できるからなのでしょう。

日本人は古代から、「八百万の神」というように、
あらゆる物の内に神様が宿ると感じていました。
特に、人の力の及ばない高い場所や巨石などに
神様が降りてくるという考え方があって、それ自体が信仰の対象でした。

日本という国は、自然条件が豊かでもあり、厳しくもある場所です。
複雑な地形と四季、そして豊富に降る雨は、
農業を営むには栽培できる作物の多様性と主食であるお米の
安定した供給を可能にしてくれました。
その反面、大雨や台風、地震、大雪など、
一歩間違えばあっという間に丹誠込めて育てた作物を全滅させてしまうような自然災害とも常に背中合わせでした。

そんな自然との共存を強いられた時、私たちの祖先は、
その自然を「神様」として祀り、崇め、畏れてきました。
小高い山があればそこに神社を建て、海が荒れればそこにも神社を建て、
ありとあらゆる自然の中に小さな「神様」を宿らせて崇拝してきました。

つまり、自然は人間よりも偉かったのです。
たくさんの恵みを与えてくれた年には村を挙げて
感謝のためのお祭りをしていたのが日本の原風景なのです。

♪村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日~
文部省唱歌「村祭り」の冒頭部分です。
鎮守の神様とは、その地域をつかさどり、守ってくれる神様のことです。

人々は、鎮守の神様にお参りすることで一日を始め、
様々な祭りを催して豊作を祈願し、地域の安全を願いました。
季節の移り変わりも、人生の節目も、鎮守の神様と
かかわりながら体験していたといってもよいでしょう。

この「村祭り」は、誰もが知っている歌と思っていたのですが、
最近の小学校の音楽の教科書から消えてしまった、と聞きました。
嘆かわしいことで、ある意味、意図的なものさえ感じざる得ません。

農耕民族の日本人にとって、古来より、お米は大切な命の実りでした。
人々が暮らしていくためには、狩猟だけではなくて
農作物を育てることが必須条件でした。でも、狭くて山間部が多い日本。
そこでは広大な田を耕す場所もなく、特に山間地に住む人たちにとって、
白いお米は宝石のようなものだったに違いありません。
山の中の貧しい村でも、白いお米が食べたいという思いは同じ。

そして生活の糧を得るために何とかして米作りをという
願いから生まれてきたのが「棚田」。山間の猫の額ほどの土地を開き、
階段状に連なる「棚田」はお百姓さんの血と汗の結晶です。
棚田は、その美しさの裏側にある日本人の自然への挑戦と
ひたむきな努力が浮かび上がってくるのです。

中国やヨーロッパで古代から巨大な土木工事が施され、
そういった自然の脅威をなんとかして力ずくで抑えようという
努力が続けられていたこととは、対極に位置する価値観なのです。
風景は自然景観の中に、人々の暮らしが映し出されて造られるもので、
何百年と山里を守ってきた「棚田」もそのひとつと思います。
伝統的な文化を守り、景観を保全してきた地域が、
日本の「風景の美」を創り出していることが解ります。
そこには、日本人が育んできた美意識が息づいています。

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夕げを支度する紫の煙が山間の谷にたなびく風景も、
寄せては返す浜辺の波のざわめきが、
子守唄のように心に染み入る音の風景も、
自然の懐に抱かれて暮らす人間としての幸せを心象として
心のスクリーンに、日本の懐かしい風景が映る日本の原風景とは
こういった景色のことをいうのでしょう。

綿々と続く里山の暮らしを映し出す風景の保存こそ歴史的風景であり、
世界遺産に匹敵する価値があるものだと私は思います。
私たちにつながる歳月と人の手が、かけがえのない色や形を届けてくれた。
世界が羨む日本の宝を、私たちが知らなくてどうするのでしょう。
数百年、千年と残ってきたものには必ずその理由があります。
ひとつの地域を構成するもの、ひとつの風景を形作っていたもの、
そのすべてに意味があったのに、それが忘れられようとしています。

日本人は、自らふるさとを、そして、ふるさとにつながる人の心を
みんなで協力して世話をし、大切に守り育ててきたのに、
子ども手当や農家の戸別保証などの耳障りのいいことばかり言うが、
裏では、日本の伝統や文化を解体し、
日本の国までも中国や韓国に売り渡そうする民主党。
民主党という皮を被って日本を破壊しようとする社会党を
私は、断じて支持することはできません。

民主党がマニフェストにも記載せずに国民にひた隠して
推し進める外国人参政権・夫婦別姓・人権擁護法案などの
売国闇法案(ステルス法案)が成立すると日本が日本でなくなります。

先人達の守ってきた美しい日本を、次の世代に伝えていくのが
今の時代に生きる我々の使命であると思っています。

●さくら〜平成22年3月25日

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桜咲く季節になりました。日本人は数ある花の中でも、
とりわけ桜が好きですよね。私は生まれてこの方、
桜が嫌いだという人にお目に掛かったことがありません。

私は、季節の移ろいを感じる時が、非常に好きであります。
新しい季節の訪れも、どことなく懐かしい匂いを感じるものです。

樹々の気配や木漏れ日、葉ずれの音、小川のせせらぎ、風のにおい、
気温の変化、そうしたものを感じたとき、うれしくなることがあります。
普段、さほど花に興味のない私も、桜の季節になると、
心が躍る感じがします。恐らく、相当数の日本人は
そういう思いを持っているのではないかと。
だから、毎年この時期になると、人々は桜を見に出かけるのと思います。

桜の花は短く、一週間もすればあっという間に散ってしまいます。
短い美しさが余計に、日本人の脳裏に刻み込ませるのかもしれません。
そのたったの数日のために命をかけて潔く散っていく桜の花に、
人生になぞらえて投影し、他の花とは違う特別の美しさを
見出しているのでしょう。

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江戸時代の国学者、本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」
と詠み、桜が「もののあはれ」などと基調とする
日本人の精神具体的な例えとみなしています。

明治時代に新渡戸稲造が著した「武士道」では、
「武士道とは、日本の象徴たる桜の花のようなもの」と冒頭に記しています。
自衛官や警察官の階級章も、多くの国は星形ですが
日本では桜の花で表しています。これらの職種は国民の生命と
財産を守るために命を捧げると宣誓しているためです。

桜の花を見ると、人は何を思い浮かべるのしょうか。
春は変化の季節であり、別れ出会い、旅立ちの季節であります。
入学があり、進学があり、就職があり、退職があります。
初めてランドセルを背負って学校に行ったとき、
一人暮らしをして、見知らぬ土地で活動をはじめたとき、
春という季節、人生の大きな節目に、多くの日本人にとって、
その背景に咲いているのが桜であり、
思い浮かべる情景は桜のある風景なのです。
人それぞれの思いが、あの桜の花びらに刷り込まれているのかも知れません。

聞いた話しでは、アメリカにも桜はありますが、
アメリカ人にとって、桜は「ビューティフル」と眺める対象にしかなく、
桜に、はかない人生を喩えて投影するような人はいないそうです。

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日本人の桜好きは、日本人特有の感受性とも大きく関係していると思います。
ぱっと咲いて、ぱっと散る。そこに「もののあわれ」を感じます
「もののあわれ」、これは日本人独特の感性なのだそうです。

藤原正彦氏の「国家の品格」よると、「もののあわれ」と言えば、
すなわち人間のはかなさや、悠久の自然の中で
移ろいゆくものに美を発見します。
例えば、日本人は秋の虫の声を聞くと秋の憂愁に心を静ませます。
虫の音を音楽として聴き、そこに「もののあわれ」を感じます。
ごく普通の庶民ですらそうです。
 
しかし、欧米人にとっては、
虫の声は「ノイズ」でしかなかったりするのだと。
虫の音を楽しむというのは、欧米にはもちろん
中国や韓国にもないことだそうです。
この日本人の感性の鋭さの一例が、桜の花に対するものだと。
この情緒が、ある意味で日本人の民族としての謙虚さを生んできたと。

日本には美しい四季があります。
日本の自然が風情と情緒に溢れているのも四季の移ろいがあるからです。

日本人は季節の変化を、彩り、匂い、音色、味わい、手触りなどの
五感で感じ取り、そこに気配という繊細な感性で、
自然を愛でるという独特の精神を培ってきました。

京友禅の図柄は、ほとんどが季節感を表わす花鳥風月や京都の風物詩です。
自然の色を目にした時の感動や四季の移ろいに恵まれた日本ならではの
色彩感覚によって、京友禅には季節感に
裏打ちされた「美」が残されてきました。

幕末から明治にかけて日本に滞在した欧米人の多くが、
日本人の特徴の一つとして挙げている事柄があります。
それは「貧しい階層ですら芸術や自然を愛している」というものです。
欧米ではそれらを愛するのは富裕層だけなのに、
日本はそうではないので驚いているのです。

特に、日本人の「花好き」は特筆すべきものだったようで、
たとえば、植物採集のため幕末の日本を訪れていたイギリス人の
ロバート・フォーチュンは、「幕末日本探訪記」の中でこう述べています。
「日本人の国民性の特色は、下層階級でも
みな生来の花好きであるということだ。
もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、
日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、
ずっと優って見える」と・・・。
ロバート・フォーチュンは、春に日本に来た時は見事な八重桜などを目にし、
「どこの国でも春は美しいが、日本の春は格別だ」と書き記しています。

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日本人は自然に聖なるものを感じ、自然と調和し、
自然とともに生きてきました。
そういう非常に素晴らしい自然観があり、だからこそ神道が生まれたのです。

貧しい階層ですら芸術や自然を愛している。花を愛する国民性。
というのは、現代の日本人にも当てはまります。

この美しい日本を守ることは、法律でも教育でも政治でもないはず。
もののあわれを感じることのできる「美しい日本」の原風景と
桜を愛する日本人の国民性がいつまでも続くことを願っています。


●森山直太朗「さくら」

「桜」の歌と言われると
やはり日本古謡の「さくらさくら」を思い浮かべる人が多いと思いますが、
森山直太朗さんの「さくら」もいい曲ですね。

「刹那に散るゆくさだめと知って さらば友よ 旅立ちのとき」
「輝ける君の未来を 願うほんとの言葉」
「いつか生まれ変わる時を信じ 泣くな友よ 惜別のとき」
「さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散るみちの上で」
といった歌詞が靖国神社の散華された英霊の方々を彷彿とさせます。

今年も靖国神社の桜は、きれいな満開の花を咲かせることでしょう。 

●ホームにて〜平成22年2月15日

 

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私は、小さいころ、鉄ちゃん(鉄道ファン)でした。
今でこそ、鉄道ファンも鉄男や鉄子などと呼ばれるようになり、
市民権を得たようになりましたが、私が小学生の頃はそうでもなかったです。
ブルートレインや古い旧型客車にあこがれたりしたものです。

今はもうその数はごくわずかになってしまいましたが、
「夜汽車」「夜行列車」と聞くと、故郷がない私にも、
郷愁、寂寞感にあふれる哀愁漂うフレーズに聞こえてきたものでした。

夜行列車、夜汽車という単語の響きがロマンを感じせてくれる存在であり、
これほど旅人を魅了する乗り物というのは他には無いと今も思っています。

明かりも消えた沿線に人々が寝静まった深夜、
長時間ガタンゴトン規則的な音を立てながら狭い寝台に揺られ
遠い地を目指す夜行列車が、汽車旅好きにはその旅心をくすぐるのです。
夜明けとともに車窓に見え始める風景を見て旅愁に浸ったものでした。
日本の原風景を眺め、詩人なったような優越感すら感じたものです。
華やかなブルートレインだけでなく、夜行の鈍行列車もいいものです。
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大阪生まれの私からすると、故郷があることが、
とても羨ましく思えることがあります。

めまぐるしく過ぎて行く日々に追われ、
まさに「遠きにありて想うもの」になっていたとしても
準備が大変でも、簡単には帰ることができなくても
レールの果てにある暖かさの灯る故郷に遥かな想いをよせる
その気持ちを持てることが、とっても羨ましく感じます。
その暖かさは、すべてを迎えてくれる家があるからなのでしょう。

都会で生活しているとそこしか見えないようになってきます。
刺激と魅惑に満ちているから、なかなか飽きる事も無い。
なんでもあるし、なんでもできる。
でも、ふと思い出す場所がある、そして、帰る場所があるのは、
都会の雑踏に弱った心には何よりも安心できるものなのでしょう。

深夜、大阪駅で電車を待っているときなどに
通り過ぎていく列車をボーっと眺めていると、
目の前に停車中のブルートレインが目に入ったりすると、
帰る故郷もないのに、郷愁っていう感情なのでしょうか、
ひとり旅愁を感じ、突然、胸がキュンとしたりします。
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その夜行列車が青森行き「日本海」だとさらにその思いが強くなります。
大阪でも十分に寒いのに、なぜか、さらに寒さの厳しい土地に
あこがれを抱き、無意識のうちに感情移入してしまいます。
この線路は故郷(私の場合は非日常の世界)につながっているのだと。

いま、この夜行列車に乗ったら「帰れる(行ける)」と、
その線路の先にある地に思いを馳せては、
どことなく懐かしい暖かさの誘惑でいっぱいになったりします。

日本人にとって、北の大地のあこがれのようなものがあるのでしょうか?
中央アジアの寒冷地に民族としての源流を持つ
日本人のDNAの記憶がそう思わせるのかも知れません。

♪上野発の夜行列車降りたときから~の
「津軽海峡冬景色」の歌のように寒い北国行きの列車は
情景が歌になり、聞く人にその風景を思い浮かばせます。
これが「明石海峡冬景色」「鳴門海峡冬景色」では
なんだかしっくりきませんし、琴線に届かないでしょう。

無くなりつつあるの鉄道の姿がそのまま思い浮かぶ曲として、
中島みゆきさんの「ホームにて」。もう30年前の曲です。

この冬、JR東日本が帰省客対象の「ふるさと行きの乗車券」を発売し、
そのラジオCMにこの「ホームにて」が使われていました。 
お正月は列車でふるさとへ あなたの帰省を応援しますという
ページがJR東日本のホームページに作られていて、
離れて暮らす親子の、帰省をめぐるホンノリと
温かい気持ちの交流を綴ったラジオCMを聴くことができました。
(現在は終了しています)

中島みゆきさんの故郷、北海道に行くには、
かつては、やはり上野発の夜行列車か、寝台特急で、
青森駅で青函連絡船に乗り継ぐのが普通だったのだろうと思います。
そして、そのホームでは、人知れず、多くの人たちの
幾多のドラマが生まれ、淡雪のように消えていったことでしょう。
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この曲を聴くと、私には田舎の町はずれにある駅が思い浮かびます。
最初に聴いたとき、歌詞の中の主人公の彼女の気持ちがよく理解できず、
単純に故郷のことを懐かしく歌ったものだと、思っていました。
そうではなく、いまだ都会に留まり続けて、その時々でふと気弱になり、
故郷を思う主人公のことを歌った詩なんだと知りました。
また、「燃やせない」のところを「もう痩せない」と思っていました(笑)

中島みゆきさんが歌うように、帰る故郷があるからこそ、
帰れない気持ちを抱え都会に留まる人たちも大勢いるのでしょうね。
故郷があってもなくても、悩みは尽きることがないようです。

●ホームにて 作詞作曲:中島みゆき(昭和52年)

ふるさとへ 向う最終に 乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい 優しい声の 駅長が 街なかに 叫ぶ
振り向けば そら色の汽車は いまドアが 閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰り人が笑う
走り出せば 間に合うだろう かざり荷物を 振り捨てて
街に 街に挨拶を 振り向けば ドアは閉まる

振り向けば そら色の汽車は いまドアが 閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰り人が笑う
ふるさとは 走り続けた ホームの果て
叩き続けた 窓ガラスの果て
そして手のひらに 残るのは 白い煙と 乗車券
涙の数 ため息の数 溜まっていくそら色の切符
ネオンライトでは 燃やせない ふるさと行きの乗車券

たそがれには 彷徨う街に こころは今夜も ホームにたたずんでいる
ネオンライトでは 燃やせない ふるさと行きの乗車券
ネオンライトでは 燃やせない ふるさと行きの乗車券




そんな夜行列車も、時代の流れのなか、次々と姿を消しています。
すべて無くなってしまう日もそう遠くない気がします。

現代の快適な交通手段とは逆行した夜行列車が
次々と廃止されてしまうのは仕方ないことかもしれませんが、
旅の代名詞ともいえる夜行列車が姿を消していくことは、
とても残念で寂しい限りです。暖かい情景そのものまでが無くなり、
変わってしまうことにはため息が出てしまいます。


ふるさとへ向かう夜行列車に 乗れる人は急ぎなさいと・・・

●今は昔〜平成22年1月17日

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今は昔、竹取の翁といふものありけり。(竹取物語)

今となってはもう昔のことだが、竹取の翁と呼ばれている人がいた。の意で
中学生の頃、「今は昔」のこの意味がわかりませんでした。

15年前の今日、平成7年1月17日は、阪神大震災の日であります。
平成22年の今日からしたら、もはや、今は昔、なのでしょうか。

今からみれば、昔というには、早いですが、でも、もう15年。
15年という年月が過ぎ、時代の趨勢と時の流れの中で
6434人の命が失われた現実が風化しつつあると感じます。

私は、15年前の今日、午前5時47分、
西宮の当時住んでいましたマンションで激しい揺れに襲われました。

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寝入りばなだったので、横揺れが来て、すぐに縦揺れとなり、
家中のあらゆるものが倒れ、その下敷きになって、
体は動けず、四つんばいになるのがやっとでした。

何が起こったのか、全くわからず、地震ともわからず、
マンションに何か隕石か飛行機が衝突したのか、と思ったほどでした。
私は、ほんの少しの偶然のおかげで、今、生きているのだと感じます。

人が亡くなることは、その悲しみは、限りなくつらいもので、
まして、震災のように、突然、多くの大事な人を失ってしまうということは、
とても、言葉にできるものではありません。

街には、風景には、人の思いがあるもの。思い出の香りがするもの。
自分の長年住んだ西宮の街と好きだった神戸の街が、
消えてしまったショックは、想像以上でした。

いつも何気なく目にしていた建物や道路が無くなるだけでも寂しいのに、
思い出の場所が何もかも無くなり、残ったものも在りし日の面影も無い有様で
何もかも無くなってしまうこと、その辛さは半端ではなかったです。
15年が過ぎようとも、昨日の事のように思い出します。

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不幸にも社会党の党首が首相だったということも、悲劇なことでした。
自衛隊反対しか唱えないような人間が首相だった。
自衛隊の最高指揮官は首相です。

自衛隊の最高指揮官でありながら、自衛隊は憲法違反だと叫ぶ
国民の生命財産に、命の重みに対して、きわめて偏ったイデオロギーを
優先させるという驚くべき国民軽視の行動を取り、
地震の初期で生き埋めになった人に対して、自衛隊の救援を阻止したのです。

地元消防署や警察官も被災者でもあり、自衛隊に頼る他無かった。
自衛隊の速やかな救援で多くの尊い命が助かったはず。
と思わずにはいられません。

非武装中立と憲法9条だけを信じる政党にとって自衛隊は無用の長物。
何千人もの命に関わる緊急事態に
どうしていいかわからず、自衛隊の派遣要請も渋る。
その背景には、社会党の狂信的夢想平和主義であるのは明らかです。

自衛隊の派遣を逡巡し、在日米軍の救援申し出を拒否して、
犠牲者増大させたのは、時の首相=日本社会党です。

阪神大震災に関しては自衛隊出動が遅らされたことにより、
少なくとも2000人の命が失われたと
国会でも取り上げられたこともあります。

国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、
自衛隊は、むしろ積極的に当日の朝から「出動命令」を督促していたのに
国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことでありました。

刻々と時間だけが過ぎ、人命が失われていく中、
出動命令を待機するしかない自衛隊は無念だったでしょう。

自衛隊を認めないから、人を助けないという歴史に残る大犯罪。
確信犯の社会党が社民党に名前を変えようが罪は消えるものではありません。
当時、震災をリアルに体験した被災者のひとりとして、
いまでも怒りが込み上げてきます。

また、スイスの救助犬部隊は発生から8時間以内に、
被災地のすぐ近くまで来ていたのに、
上陸許可が得られなかったり(結局48時間を過ぎて上陸許可が出たが、
48時間を過ぎると生存率がとても低くなり、遺体発掘しかできない。)

ケガ人続出で医師・ベッド・救護スペースが
圧倒的に足りず治療ができない時に、
米軍の空母インディペンデンスの救護要請を断り、
自衛隊の救援物資を積んだヘリ着陸許可を1カ所にとどめたり。
15年が過ぎようとも、暗澹たる気持ちに言葉にもなりません。

震災直後、同盟国である米大統領クリントンは村山首相に
「救援のため第7艦隊を向かわせた。」との申し出をしました。
米空母インデペンデンスは出動態勢に入っていました。
インデペンデンスは、医療設備も充実していたし、
ヘリで怪我人の移送もできました。

しかし、あの未曾有の事態のさなかアメリカの援助の申し出を断り、
国民の生命よりも自らのイカレタ思想を貫く村山首相に、
クリントン大統領は激怒したと言われます。

社会党つまり社民党が政権をとれば、大災害はもちろん、紛争や戦争に、
なす術なく国民の命は奪われていくであろう。と当時思ったものでした。

旧社会党の議員が7割を占める民主党と
旧社会党から名前だけ変わった社民党が
失われた6434人の尊い命に何の謝罪もなく、
政権与党に居座っているのはこれぞいかに。

●年頭のあたり〜平成20年1月5日

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新年明けましておめでとうございます。
正月三ヶ日もあっという間に終わり、だらだらしてぼんやりしていると
すぐに1年なんてまさに光陰矢の如しで過ぎ去ってしまいそうです。
正月が明けたかと思うと、春が来て、夏になり、秋風が吹き、すぐに冬となり、
その繰り返しで慌しく終わってしまいます。

年々、正月らしくなくなってきている気がします。
このらしくというのは、いったんどんなものなのかと考えました。

正月の新聞に『今年の目標を決めたが、それを守れなかった人は9割』
というのを読んで、出来ない目標はしないことにしました。

しかし・・・何を今更と言われそうですが、
こんなタイミングでないと自ら口には出来ない事を
自分自身を戒める為にも、あえて、目標を設定したいと思います。






何を!?






と言う事になりますが()







それは・・・・・・





「自分らしく」ということです。

「らしさ」「タイプ」「キャラ」「っぽい人」「系」などで
表現される性格や事柄、事象がありますが、
それらはさまざまな要因が絡み合うことによって生まれると思います。

いい意味でも悪い意味でも「らしい人」「っぽい人」っていますが、
それは「なりきる」ことで「らしく」「っぽく」なるのだと感じます。
「なりきり演じる」ことが「らしさ」「っぽさ」に
変わるのではないかと思います。

ある剣士の言葉で
「剣道の行き着くところは自分。いかに自分自身が、
自分の剣道をつくれるようになるか。自分を表現する剣道が出来るか。」

私は剣道に対して何の知識もなく、理解を全くしてはいませんでした。
この言葉は、今の私の心に深く入ってゆくものでした。

剣道は、一番自分らしいい一本を、打ち込めるか。
それは、究極のところ自己表現そのものなのですね。

なぜ、会社をするのか?仕事するのか?意地なのか、夢なのか、、、
これらの答えが上記の言葉から少し見えてきたようです。

全く存知あげない剣士のこの言葉を聞いて
やっと、スタートラインに立てたような気がします。

会社の経営も、仕事の業務も
それらを通して後悔のない自分の生き様を見つめつづけ、

納得のいく作品をつくり続けることと、やっと解ったようです。
武道も仕事も、極めれば通じる一本の道でしかないのだと思います。

●私は今日まで生きてみました〜平成19年12月5日

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♪私は今日まで生きてみました
時には誰かの力を借りて 時には誰かにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そして 今 私は思っています
明日からも こうして 生きて行くだろうと

これは吉田拓郎が昭和46年に作詞作曲した「今日までそして明日から」。
この曲の歌詞がいい。「私は今日まで生きてみました」の
この「みました」がいい。

「きました」でない。「やりました」でもなく「してやった」のでもなく
「生きてみました」である。
なんとナチュラルな「みました」であろうかと思う。

この曲には、季節感も情緒ある情景もなにもありません。
応援メッセージのような直接的なフレーズは一行たりともありません。
押しつけのがましい説教臭いメッセージソングとは違って
相手にどうしろああしろ等とはいいません。

わたしはどうした、どうしようと思っていると、
淡々と語っているだけです。

人生の一部を、ちょっと経験してみましたと
客観的に軽く流している表現があくまでも自然体で秀逸だ。
人生が長い、重いものでなくて、さり気ない人の気持ちを素直に言っている。

自分に当てはめると、創業して5年も経つとなんだかんだで
多かれ少なかれ歪みが、そこかしこにちょこちょこ出てくるものですが、
いいときも悪い時も自然体のままで、肩の力を抜いて
「会社を今日までやってみました」なんて言える自分でいたいと思います。

♪会社を今日までやってみました。
時には誰かの力を借りて 時には誰かにしがみついて
仕事を今日までやってみました
そして 今 私は思っています 明日からも こうしてやって行くだろうと

こんな自然なスタイルでこれからもいられたらと思います。
今後、10年経っても20年経っても30年経っても、 気軽に言えないことも
「何々をやってきました。頑張ってきました」ではなく
「仕事を今日までやってみました。ちょっとやってみました」
と言いたいものです。



●今日までそして明日から 作詩/作曲:吉田拓郎(昭和46年)
♪私は今日まで生きてみました
時には誰かの力を借りて 時には誰かにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そして 今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと

♪私は今日まで生きてみました
時には誰かを嘲笑って  時には誰かにおびやかされて
私は今日まで生きてみました
そして 今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと

♪私は今日まで生きてみました
時には誰かに裏切られて  時には誰かと手を取り合って
私は今日まで生きてみました
そして 今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと

♪私には私の生き方がある それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう
けれど、それにしたって、どこでどう変わってしまうか
そうです、わからないまま生きて行く 明日からの そんな私です

♪私は今日まで生きてみました 私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました
そして今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと

●星野ジャパン〜平成19年12月2日

ピクチャ 2

さきほど、北京五輪アジア予選を兼ねたアジア野球選手権で
星野ジャパンが43で韓国を振り切り、通算2勝としました。
先制を許し、追いつき、追い越し、迫られる、白熱の試合展開。
まさに手に汗握る4時間、勝利が決まった瞬間を思わず熱くなりました。

この勝利で日本は3日の台湾戦に勝てば優勝となり、五輪出場が確定し、
韓国は通算1勝1敗で一歩後退。
あと一戦ぜひ日本国民の期待に答えて欲しい。
抜群の投手リレー、適時の安打の連発、絶妙の選手交代、
星野監督の采配と選手の気迫に勝利の女神が微笑んだ。と思います。

「星野ジャパン」・・・いつのころからでしょうか?
チームのトップの人の名前を冠にして
そのチームの名前を呼ぶようになったのは。
星野ジャパン オシムジャパン 岡田阪神 柳本ジャパン・・・

戦後、日本はある意味でリーダーを
作れないシステムを構築してきた。と思います。
総理大臣は、国民が選ぶのではなく議員達が選ぶシステムで、
議院内閣制である以上は仕方ないシステムではあると思いますが、
いい悪いは別にして、限られた人間だけの中で選ぶ過程で
何かしらの談合であり、密室のやり取りがあったとしても
それ自体は不思議なことではないでしょう。

大臣にしても公務員の世界にしても同様で、
いつでも首をすげ替えられるようになっている以上、
本当のリーダーシップを発揮できないシステムが
出来上がってしまっている。
ゆえに、最終的な責任は誰も取らないし、取れないし、取ろうともしない。

しかし、スポーツの世界では結果が全てである中で、
星野ジャパンといったようにトップの名前を付けて呼ぶのは、
そこに、リーダーの資質やリーダーシップ、
指導力、カリスマ性といったものを、
誰もが、無意識のうちに求め、期待しているように思えます。

市長も村長も町内会の会長も学校の校長先生もそして事務次官の先生も、
結局は、任期を終えると入れ替わり、任期をマイナスなく
終えることを重視します。
民間企業の社長であっても、株主が喜ぶような経営方針を示し、
まず、少しでも利益をあげることに没頭せざるをえないから、
社長の人間力やリーダーシップを発揮する機会もなく、
また、それを慕って就職する人間はまずいない。

今の世の中、耳障りの心地よいきれいな建前ばかりが幅を利かし、
事なかれ主義がはびこる今、抜き差しならぬ状況が
あるように思えてなりません。
殊に政治の世界で指導者、リーダーシップを唱えると、
独裁者が生まれるとか、戦争が始まるとか、
どこかの党が極論をぶつけてくる。
日本人はそんなに愚かな国民ではないと。私はそう思います。

過去の小さいことで、いちいち大臣を変えていたら、全く仕事が進まない。
有能な人間ほど、過去に良いことも悪いことも含め、
さまざまないろんな経験をしているでしょうし。

精廉潔白な人だけを選んで大臣にする事が
果たして日本国民の為になるのだろうか。

 ---------------------------------------------------------------------
「なにひとつ落ち度や欠点のない精廉潔白な人に
 大臣や首相をやってもらえばいいのか。
 それとも多少の失敗やキズ、弱点があっても
 きちんと結果を出してくれるような有能な人、
 職責に身命を賭けて努力してくれる人がいいのか。
 普通の大人なら、政治家にだって精廉潔白な人なんて
 滅多にいないことを知っている。誰しも一個の人生を築いて、
 それなりの力を発揮するところまで行く過程の中で
 なんの波風もない、ひとつの過ちや落ち度も犯さないような人間なんて、
 まずひとりもいないことを、普通の大人なら知っている。」
 --------------------------------------------------------------------- 
星野監督のオフィシャルページのコメントの引用です。
ここに共感しました。

しちゃいけないこと、悪いことは悪いということは、
当たり前の常識としても 物事には表と裏が必ずあるもの、
光が当たれば影ができるわけで、 その部分だけをことさら荒立てて、
すべて悪いかの如く論じるのはどうかと・・・。

昭和30年代の初め、大宅壮一が憂いた一億総白痴化、
平成の世、今や一億総評論家化を呈している状況で、
マスコミに洗脳され、あら探しだけを好む人種が
増えてしまったのでしょう。

表向きのきれい事だけでが通じるわけないと思います。
きちんとやることをしてくれたら、
擦り傷程度は流していいんじゃないかと・・・。

今日の韓国戦の戦いぶりと勝利で、星野仙一監督はリーダーシップを、
星野ジャパンはその心意気を、素晴らしいプレイを
十二分に見せてくれました。 久々に野球に熱くなりました。

■12
3日追記
 星野ジャパン、みごと北京五輪行きの切符を手にしました。やりました。   

●あの微笑みを忘れないで〜平成19年5月29日

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昨日、ZARDの坂井泉水さんが他界されたというニュースを聞き、
本当に驚き、大きなショックを受けました。

世代を越え、その澄んだ歌声に乗せて勇気と生きるメッセージを伝え、
ミリオンセラーを連発し、音楽シーンを代表する
ひとりでもあったと想います。

メディアの露出がほとんどない方でしたので、
ガンで闘病中だったということも知りませんでした。

いつのまにか坂井泉水さんは40歳になっていたのですね。
時間の流れはとても速くて。
そして、あまりに早すぎる訃報がとても哀しくて。

生まれ年は私は3つ下ですが、誕生日は1日違い。
透明感あふれる綺麗な歌声は、癒されるものがありました。
そんな彼女の新曲がもう二度と聞くことが出来なくなってしまいました。
ほんとうに残念でなりません。

「負けないで」「揺れる想い」がヒットした頃は私は大学3回生の頃
90年代に同時代として生きたものにとって、
とりわけファンでなくともその早すぎる死には考えてしまうものがあります。
昨日も今日も、一日中、iTunesZARDの曲ばかりを聴いています。

まさに、私の学生時代になくてはならない人の一人で
なんともいえない寂しい気持ちになりました。

そのころは、まだテープやMDだったウォークマンにアルバムを入れて
通学のラッシュの中で揉まれながらで聞いたものです。

そういう学生時代によく聴いていた曲って、
曲自体にそれぞれ想い出を重ねあわせてしまい、
心の中に深く染み込み、なかなか忘れられない曲も多いです。
この曲がヒットしていた時、あんなことがあったなぁ・・・
どこに行ったなぁ・・・誰々と付き合ってたなぁ・・・などなど。

今もふと曲を聴くと、その当時の気持ちまで鮮明に思い出したりしますよね。
いろんな想い出をZARDの曲に重ねていた自分に気付きました。

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負けないで 作詞:坂井泉水(平成5年)

ふとした瞬間に 視線がぶつかる
幸運(しあわせ)のときめき 覚えているでしょ
パステルカラーの季節に恋した
あの日のように 輝いてる あなたでいてね

負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても 心は そばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を

何が起きたって ヘッチャラな顔して
どうにかなるサと おどけてみせるの
"
今宵は私(わたくし)と一緒に踊りましょ"
今も そんなあなたが好きよ 忘れないで

負けないで ほらそこに ゴールは近づいてる
どんなに 離れてても 心は そばにいるわ
感じてね 見つめる瞳

負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても 心は そばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を

負けないで ほらそこに ゴールは近づいてる
どんなに 離れてても 心は そばにいるわ
感じてね 見つめる瞳


あなたの励まされた曲は?というアンケートがあれば
『負けないで』が必ず上位になります。
それだけ彼女の曲はたくさんに人に愛されていたんですね。

在りし日のお姿と歌声を偲びつつ、暗澹たる残酷な事実を前にして
今はただ、あの頃聞いたピュアな歌声に身を委ねています。

坂井泉水さんのご冥福を心からお祈り申しあげます。 



●女ひとり〜平成19年4月15日

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時として京都に無性に行きたくなるときがあります。
わたくしは、京都に住んだことはないですが、
本籍が京都なのです。京都人の血が半分流れています。
でも、京都が恋しくなるのはそのせいかどうかかはわかりません。

龍馬最近、わたくし、坂本龍馬に入れ込んでいまして
馬ゆかりの場所を訪ねては感慨にふけっています。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は、
この小説を人生の一冊として挙げる人は非常に多く、
また功名を遂げた人が若者に薦める一冊としても
この作品が選ばれる場合が圧倒的に多いらしいです。

まあ、わたくしの場合、
坂本龍馬に興味をもって、好きになったのは
武田鉄矢原作の「お〜い龍馬」の全14巻を読んだのが始まりでした。

 

三千院02
実家が京都に数年前まであったので、
いまでもたまに京都に個人的なことで
用事があるのもあったりするのですが、
京都はどことなく懐かしく感じる風景が多く、
龍馬ゆかりの場所を訪ねたりするうちに
京都の奥の深さ、素晴らしさを感じるようになりました。

京都に行くとついつい思い出す曲が「女ひとり」
この曲の流行った頃はまったく生まれる前でしたが、
あとひと月もすると紫陽花が綺麗な大原・三千院。

三千院あじさい
『女ひとり』に歌われたあまりにも有名なお寺。
恋に疲れたきもの姿の女性でなくとも、
大原の山に抱かれた古寺の佇まいに、しみじみ身を委ねてしまいます。

●女ひとり 作詞:永六輔 作曲:いずみたく(昭和41年)

三千院001京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり
結城に塩瀬の素描の帯が 池の水面にゆれていた
京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり



高山寺01京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた女がひとり
大島つむぎにつづれの帯が 影を落とした石だたみ
京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた女がひとり

 

大覚寺京都 嵐山(らんざん) 大覚寺 恋に疲れた女がひとり
塩沢がすりに名古屋帯 耳をすませば滝の音
京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた女がひとり



京都らしい旅愁が漂い、情緒と情感の溢れる素晴らしい歌詞ですね。
京都の地名と和装名の組み合わせから、
愁いを秘めた女性の姿が浮かび上がってきます。

「水面にゆれていた」「影を落とした石畳」「耳を澄ませば滝の音」という
各連のフレーズが視覚的であり聴覚的であり、
歌詞に情感を与えているようです。

京都の地名と和装名を知らないひとでもこのフレーズだけで、
石畳の上を歩むあでやかな女性のイメージが思い浮かべられるでしょう。

石碑

哀しいことに、この歌詞のようなあでやか女性は
私の回りには見当たりません。


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