
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり」
川端康成は、昭和43年ノーベル文学賞の記念講演「美しい日本の私」で
道元禅師のこの歌を冒頭で引用しました。
古来から、日本人は四季を愛でる習慣を大切にしてきました。
日本の情緒は、四季の移り変わりと密接な関係にあり、
俳句にも季語というきわめて季節感を旨く捕らえた言葉があります。
四季がきちんとあって、四季折々の伝統的な行事が執り行われ、
それに人の通過儀礼が重なり、日本の伝統的な文化が育まれてきました。
日本に生まれ育った我々にとって、四季の変化はあたりまえのこと。
一年中夏という常夏の国がありますが、日本人にはよくわからないもの。
暑い夏になれば、涼しい秋が待ち遠しくなり、
寒い冬には新芽のふく春が恋しくなるのが、多くの日本人です。
季節折々に自然の恵みがあり、四季はそれぞれ楽しみを与えてくれています。
雪月花、花鳥風月。四季の自然を並べたシンプルな歌や
清楚で凛とした精神性、このような一種の緊張感が、
かつての日本を包み込んでいたのでしょう。
四季の変化は、日本人の生活のすみずみまで入り込んで、
花見や紅葉狩り、盆踊りや雪見酒。季節の情緒を数えあげれば
きりがありません。いつまでも五感を研ぎ澄ます美しさを
感じられる日本であってほしいと思います。
しかし、昨今、そんな季節の情緒を感じることが少なくなりました。
季節の野菜や果物は、一年中スーパーの店先を飾り、
温室栽培や冷蔵技術の発達、そして社会がせわしくなり、
四季の情緒など楽しんでいられないといった要因もあるのでしょうが、
昔からの年中行事、二十四節気、季語などに、
現在の四季の移り変わりを当てはめてみた場合、
旧暦、新暦のずれだけではなく、基本的な季節感がずれていて、
使えない言葉が随分あることに気づかされます。
お正月ですら、小さい頃は、何もなくても楽しかったものですが、
最近では、唯の休日になってしまったかのように感じます。
伝統的な日本文化まで衰退していくのではないかと危惧します。
古今和歌集・土佐日記・竹取物語・源氏物語・枕草子などの
文学の基本になったのは美しい自然景観で、
細やかに移りゆく草木・花の彩をいかに敏感にとらえて文字に表すか
ということでした。平安時代には、宮中に集う人々の衣裳や手紙・几帳など
身辺の様々なものにも、自然界の移ろいは表されてきました。
山や川や野や空が、私たちの「美しさ」を育ててくれ、
先人が培ってきた文化や精神性を受け継ぎ、美しい日本の姿。
古に学び、四季を生きて、日本を誇り、もっと愛してゆきたいもの。
せっかく日本人として生まれたのならば、
日本の風情をもっともっと大切に味わいたいもの。と思います。
国敗れて山河ありと、戦後の荒廃した景観の中で人は呟いたことでしょう。
その感懐には大切な日本人のらしさが含まれていると思います。
戦後に限った話ではなく、現代の人も、荒廃し疲弊した気持ちが、
故郷の景観に救われたことのある人は多いと思います。
縄文の時代から我々日本人は、山と川と海に囲まれて暮らしてきて、
そのDNAに刷り込まれた風景なのであろうと思います。

国敗れて山河ありと感懐しているのかどうかは別にしても、
日本人が、らしさを取り戻そうとしているように感じることがあります。
土を知らない都会育ちの若者が、訪れて目にする田舎の風景を
懐かしいと感じるのは、日本人としての血の証なのかも知れません。
誰もが初めてでも懐かしいと思えるのは、
日本の原風景とも呼べる風景を体感できるからなのでしょう。
日本人は古代から、「八百万の神」というように、
あらゆる物の内に神様が宿ると感じていました。
特に、人の力の及ばない高い場所や巨石などに
神様が降りてくるという考え方があって、それ自体が信仰の対象でした。
日本という国は、自然条件が豊かでもあり、厳しくもある場所です。
複雑な地形と四季、そして豊富に降る雨は、
農業を営むには栽培できる作物の多様性と主食であるお米の
安定した供給を可能にしてくれました。
その反面、大雨や台風、地震、大雪など、
一歩間違えばあっという間に丹誠込めて育てた作物を全滅させてしまうような自然災害とも常に背中合わせでした。
そんな自然との共存を強いられた時、私たちの祖先は、
その自然を「神様」として祀り、崇め、畏れてきました。
小高い山があればそこに神社を建て、海が荒れればそこにも神社を建て、
ありとあらゆる自然の中に小さな「神様」を宿らせて崇拝してきました。
つまり、自然は人間よりも偉かったのです。
たくさんの恵みを与えてくれた年には村を挙げて
感謝のためのお祭りをしていたのが日本の原風景なのです。
♪村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日~
文部省唱歌「村祭り」の冒頭部分です。
鎮守の神様とは、その地域をつかさどり、守ってくれる神様のことです。
人々は、鎮守の神様にお参りすることで一日を始め、
様々な祭りを催して豊作を祈願し、地域の安全を願いました。
季節の移り変わりも、人生の節目も、鎮守の神様と
かかわりながら体験していたといってもよいでしょう。
この「村祭り」は、誰もが知っている歌と思っていたのですが、
最近の小学校の音楽の教科書から消えてしまった、と聞きました。
嘆かわしいことで、ある意味、意図的なものさえ感じざる得ません。
農耕民族の日本人にとって、古来より、お米は大切な命の実りでした。
人々が暮らしていくためには、狩猟だけではなくて
農作物を育てることが必須条件でした。でも、狭くて山間部が多い日本。
そこでは広大な田を耕す場所もなく、特に山間地に住む人たちにとって、
白いお米は宝石のようなものだったに違いありません。
山の中の貧しい村でも、白いお米が食べたいという思いは同じ。
そして生活の糧を得るために何とかして米作りをという
願いから生まれてきたのが「棚田」。山間の猫の額ほどの土地を開き、
階段状に連なる「棚田」はお百姓さんの血と汗の結晶です。
棚田は、その美しさの裏側にある日本人の自然への挑戦と
ひたむきな努力が浮かび上がってくるのです。
中国やヨーロッパで古代から巨大な土木工事が施され、
そういった自然の脅威をなんとかして力ずくで抑えようという
努力が続けられていたこととは、対極に位置する価値観なのです。
風景は自然景観の中に、人々の暮らしが映し出されて造られるもので、
何百年と山里を守ってきた「棚田」もそのひとつと思います。
伝統的な文化を守り、景観を保全してきた地域が、
日本の「風景の美」を創り出していることが解ります。
そこには、日本人が育んできた美意識が息づいています。

夕げを支度する紫の煙が山間の谷にたなびく風景も、
寄せては返す浜辺の波のざわめきが、
子守唄のように心に染み入る音の風景も、
自然の懐に抱かれて暮らす人間としての幸せを心象として
心のスクリーンに、日本の懐かしい風景が映る日本の原風景とは
こういった景色のことをいうのでしょう。
綿々と続く里山の暮らしを映し出す風景の保存こそ歴史的風景であり、
世界遺産に匹敵する価値があるものだと私は思います。
私たちにつながる歳月と人の手が、かけがえのない色や形を届けてくれた。
世界が羨む日本の宝を、私たちが知らなくてどうするのでしょう。
数百年、千年と残ってきたものには必ずその理由があります。
ひとつの地域を構成するもの、ひとつの風景を形作っていたもの、
そのすべてに意味があったのに、それが忘れられようとしています。
日本人は、自らふるさとを、そして、ふるさとにつながる人の心を
みんなで協力して世話をし、大切に守り育ててきたのに、
子ども手当や農家の戸別保証などの耳障りのいいことばかり言うが、
裏では、日本の伝統や文化を解体し、
日本の国までも中国や韓国に売り渡そうする民主党。
民主党という皮を被って日本を破壊しようとする社会党を
私は、断じて支持することはできません。
民主党がマニフェストにも記載せずに国民にひた隠して
推し進める外国人参政権・夫婦別姓・人権擁護法案などの
売国闇法案(ステルス法案)が成立すると日本が日本でなくなります。
先人達の守ってきた美しい日本を、次の世代に伝えていくのが
今の時代に生きる我々の使命であると思っています。
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