2007年02月28日

放送作家

紗季と美鈴、ふたりのキャリアはまるで双子のようにそっくりだ。気まぐれな神様が、ほんの出来心から、ふたりの運命を操ったかのように。

紗季は二十三歳の時、関西テレビ製作の深夜の帯番組、ミニドラマの脚本で、ひとり立ちした。美鈴はそれから一年後、二十四歳の時、同じ枠で成功した。続いて、別々のチャンネルで、関西ローカルの大物、やしきたかじんの番組で、構成を手がけた。

 共に美人とは言いがたい。愛嬌のいいのが取り柄で、わかりすぎるくらい中年男性のウケがいい。このノリでうまくいけば、大プロデューサーのハートをゲットして、特別にお仕事まわしてもらえるかも・・・・・・。なんてこっそりほくそえんだことは、彼女たち自身が知らない共通点だ。だが、ふたりの女は、今からちょうど二年前、権力者の権力は、女神のような美人のエロエロ攻撃でなきゃ落とせないことをつくづく知った。これが現実なんだと諦めながら、どろどろとした認識を心の底でかみ締めた。その自覚はなかったけれど、大人の女に一歩近づいたのだ。
 
 東京と比べたら放送関係者の数なんて、たかが知れている。だが、お互い直接会ったことは一度もなかった。機会を作ろうと思えば簡単に作れた。でも、お互いどうしても二の足を踏んでしまうのだった。まだ見ぬライバルについて、吉本の大御所から、とんでもない美人だと聞かされていたから。周囲の誰かに質問をぶつけて、事実を確かめるなんて、とてもじゃないが、怖くて出来なかった。ふたりとも、思春期を迎えるまでは学年で一番可愛かったのにという、いまだに癒えない心の傷を抱えていた。
 
 顔のことでムダに凹みたくないもの。そう思う紗季は、たった一度だけ耳に吹き込まれた「ここだけの話」を思い出さずにはいられない。なんと美鈴は「フェラーリ612スカリエッティみたいな女」だというのだ。日本人工業デザイナー、奥山清行がスタイリングした、知る人ぞ知るゴージャスで、繊細なニュアンスに富む車だそうだ。
 
 そんなある日、キャリアウーマン向け雑誌のグラビアページに美鈴のインタビュー記事が掲載された。
 
 「この顔のいったいどこらへんがフェラーリーやねん」

 紗季は普段あまり使わない関西弁で、フンガイした。

 「いいとこ、日産マーチや。まんま蛙ちゃん。目と目がごっつう離れてる」

 ただなんとなくスタイルがよさそうな気がしてならなかった。全身写真が見たかった。背がうんと低い彼女は、幼児体型を深刻に恥じているのだ。主にそのせいで、もう何年も彼氏がいない。脱げば、すごいのに。最初でいまのところ最後の男、ヒロシが絶賛してくれたナイスボディだ。今なお輝かしい栄光と幸福の日々だった。でも、裸で男と出会える筈もなく、自分から吹聴するなんてありえない。挑発的な服を着てみたことはあるけれど、笑っちゃうほど似合わないんだな、これがまた。

 まあとにもかくにも、美鈴とあたしはいい勝負。こんど機会があったら是非会おう。

 おかしなもので、ウザったい劣等感から解放された途端、知人友人との会話に、美鈴の名前が自分の口からすらりと出るようになった。多くの人は、紗季が思っていた以上に、美鈴のことを事細かに知っていた。彼女も紗季同様、趣味がとても渋かった。小津安二郎の映画を愛していた。スタンダールの『パルムの僧院』を数年ごとに違う訳で読み直した。関西生まれの癖に、納豆が大好きだった。紗季もそうだ。
 
 誰の目から見ても、紗季のライバルは美鈴なのだ。だが、紗季が美鈴のことをどう思っているのか一言も口にしたことがなかった。その結果、美鈴の名前は、紗季の前ではタブーになっていたのだ。また誰も、フェラリー説の張本人が大物だったので、ホントのことが言えなかった。

 その直後のことだった。美鈴が東京に進出したという噂話が紗季の耳に届いた。

 明石家さんまの目に止まったおかげだという。

 本当は、ただ単に、男と別れただけだった。ヤケになって、彼との思い出が染みついている土地を飛び出してしまったのだ。仕事のアテはロクになかった。

 噂は火のないところに立った煙とは異なっていた。さんまは、ある意味、関係者のひとりだった。ただそれは、上京後の出来事だった。

 バイト気分で、エキストラを斡旋する会社に登録した結果、さんまの出演する特番に出ることになったのだ。収録現場に行くと、毎日放送からTBSに出向中のアシスタントプロデューサーとばったりあって、そのまま仕事にありついた。APと若手漫才師と、四人で雑談した折に口にした一言が採用されたのだ。構成作家のひとりとして、番組最後のテロップに名前が流れた。それをキッカケに、若手お笑い芸人と一緒にネタを考えるのが得意な自分を発見するに至った。周囲にも認められた。なんとか生活の目処がついた。
 
 美鈴を巡る不正確な噂の数々に、紗季は、ひどい焦りを胸に覚えた。雑誌に載ったのがちょっと羨ましかったのだけど、まさかそれが中央進出につながるなんて思ってもいなかった。

 それから半月後、フジテレビのプロデューサーから電話がかかってきた。CSで紗季の書いた単発ドラマを観て、検討中の企画にぴったりのセンスを感じたという。
 
 直接会って話をした。双方の思惑が一致した。ギャラも良かった。当面はいまよりずっと収入は減ってしまうけど、ほとんど迷わなかった。
 
 本当は恵比寿とかに住みたかった。けれども現実的に、東武東上線沿線にあるマンションに住むことにした。引越しがすんですぐ、あらかじめ用意していた手作りクッキーを片手に外に出た。同じ階の人に引越しの挨拶をするためだ。最後にお隣。ひゃあ、と思わず声が出た。開いたドアの中に、美鈴が立っていたのだ。文字通り、見上げてしまった。まるでモデルのようだった。紗季の過剰評価だ。ただ、そんな紗季の目から見ても、フェラリー級じゃ絶対なかった。どう逆立ちしても。それでもやっぱり、嫉妬は感じた。顔はやっぱり、日産マーチ、蛙ちゃん。

 男はいない。と紗季は、直感的に確信した。そして自分から切り出した。「あのスイマセン、勝野美鈴さんですよね」
 
 「なんなん?これ。個人情報ダダ漏れやん」

 怯えたような困惑顔に向かって、紗季は言った。「あたし、小岩紗季です。勝野さんと同じ、放送作家の」
美鈴は初対面のライバルを部屋に招きいれた。



            ※


ふたりは、たちまち意気投合した。無二の親友になって、週に一度は馴染みのバーで呑み交わした。
 
 仕事柄、ふたりは、とんでもなくアクロバティックに会話を運んだ。丁々発止という奴だ。もし片方がうっかり気の抜けた発言をして、会話の流れを淀ませてしまうと、相手は即座に鋭くツッコむ。紗季までが、かなり濃い関西弁で喋っていた。

 バライティーに進出した美鈴はもちろん、紗季の方も、何よりもコメディタッチが得意だった。関西人としてトークの腕に覚えもあった。ふたりとも、相手の話を上手に拾い、巧みに広げることが出来た。ボケもツッコミの両方を臨機応変にこなすことが出来た。

 ふたりのトークをモトネタにしてホンに書くことすらあった。但し、カブると寒くて痛いので、自分が言ったネタであっても、お互い事前に相手側の承認を求めた。またホンに書く予定のネタを実地に試すこともちょくちょくやった。ワープロで打った台詞を、ホンイキで読み合わせるのだ。まさか人前ではやらない。どちらかの部屋で行った。
 
 ふたりともが、面白く感じない場合は、潔くボツにした。
毒のある発言がやたらに多かった。普通の人ならば、十分に一度の割合で相手に殺意を抱くかもしれない。とっくみあいの喧嘩に発展し、警察沙汰になる危険性だって、ゼロとは言えない。
 
 むろんふたりにとっては、すべての毒は、あくまでもシャレだった。大人の遊び心で、過激な会話を楽しんだ。東京に来て、ますます業界ズレしたふたりだった。面の皮が厚くなって、少々のことでは傷つかない。神経が太くなって、冷笑的な「すれっからし」になってしまったのだ。
 
 但し、タチの悪い大阪のおばちゃんとは異なって、なんでもアリでは決してなかった。微妙だけど絶対的な、際どい一線が存在していた。ずけずけものは言うけれど、大阪女としての慎みがあったのだ。脈々と受け継がれた、商家の街、大阪の伝統なのだ。関東人には、どこが慎ましいのか、さっぱりわからないだろう。
 
 そのビミョーな一線を、美鈴が、ついうっかり、無意識に越えてしまった。いや、別に慎みを失ったわけではなかった。美鈴はただ、紗季の顔をちょっとからかってみただけだった。

 「あんたの顔、じーっと見てると、新幹線『こだま号』の先頭部分にすんごい似てる」
 
 普段の紗季だったら、わざと顔を「こだま号」に似せてみせるくらいの余裕があるのだが、この日はたまたまめぐり合わせが悪かった。先刻からずっと、ある発言を我慢していたからだ。「美鈴の顔って、日産マーチみたい。蛙さんにそっくり」店の前に日産マーチばかりが三台も停まっているのを見た瞬間からずっと、頭の中でこの台詞が鳴っていた。あたしは言わずに我慢してたのに、なにが、新幹線よ。

 車を目撃した時に、「あ、日産マーチが三台も」とわざとらしく叫んでみせた紗季だった。その発言に、美鈴がまったく無反応だったことが、今更ながら腹立たしい。自覚しろよ、自覚。あんたの顔は日産マーチ。蛙ちゃん。
 
 でもそれを口にすると、マジの喧嘩になってしまう。紗季は耐え続けた。
 
 他方、すっかり上機嫌の美鈴は、自分が思いついた「見立て」が面白くて仕方なかった。面白すぎて、友人をぐっさり深く侮辱してしまっている事実に気づかなかった。それでついうっかり、駄目押しをした。「ほんま、新幹線。のぞみ号には似てないけれど。アハ。超ウケル」
  
 超ウケルの一言に、紗季がキレた。
 
 「馬鹿にしないでよ」

 「びっくりするわ、急に大声」

 美鈴には、なぜ急に紗季が怒りだしたのか見当もつかなかった。いつもの罪のないジョークなのに。
紗季は美鈴にしつこくつっかかった。そんな紗季に美鈴が、逆ギレした。逆ギレの炎が美鈴の心の中で燃
え広がった。気づいた時には、同業の友人をとことんまで罵倒していた。

 ふたりは互いに絶交状を叩きつけた。カッカして、どちらの女も、相手が悪いと思い込んでいた。なんやねん、あの女。ほんま、腹立つわ。紗季までが関西弁。
 
 先に反省したのは美鈴の方だった。翌日、自分の部屋にはあげたことのないまだ二十一歳の新しいボーイフレンドに打ち明けた結果、自分の方が悪いことを指摘されたのだ。
 
 ただどうしても、自分から謝る気にはなれなかった。でもそれはそれで、気ぃが悪かった。そこで、仲直りのキッカケを自分から作ることを決意した。頭の中でホンを書き上げ、ちょっとした小芝居をやることにしたのだ。
 
 その日の晩、美鈴は隣の部屋に行き、インターホン越しにおずおずと切り出した。「デルのパソコンがね、デスクトップもノートも、おかしくなってしもうたんや。二時間ほど手書きで頑張ってたんやけど、ネットで調べ物ができなくて、もうお手上げなんや。それで悪いけど、あんたがいつも持ち歩いている、ノートパソコン、今日明日の二日だけでいいから、ちょっと貸してくれへんか」
 
 「お安い御用」
 
 「ありがとう、恩に着るわ」

  美鈴が玄関ドアを開くと、完全にメークして、グッチのスーツを着た隣人が目の前に立っていた。特別なお出かけ前なのに違いない。美鈴の方はジャージ姿で、すっぴんだった。框の高さがある分、いつもと違い、美鈴は見下げられていた。

 美鈴が中に入ると、紗季が言った。「そやけど、ひとつだけ条件があんねん」
 
 「何?」
 
 「玄関先で使うて」
 
 悪意を含んだ言い方に、美鈴の脳細胞はうまく機能せず、何も言えなかった。
 
 「なんやねん、このどケチ」
 
 ずいぶん遅れて反論の言葉を思いついた。が、紗季の悪意にひれ伏し、無言のままだった。それくらい、紗季の口調は、有無を言わせぬものだった。いつもより数倍上手に、ドラマの中みたいな台詞をまんまと言ってのけた、業界人ならではの頭の優れた回転に、まいってしまったのだ。しょうがないから美鈴は、框に腰掛けて、無線でネットに繋がっているマッキントッシュを操作した。パソコンが壊れたのが嘘だとは言えなかった。

 美鈴は、せっかくのスタイルを台無しにして、まるでお婆さんのように背中を丸めてパソコンを操作した。服装は灰色のもっさいジャージ。紗季は、そんな美鈴の孤独でみじめな姿を腕を組んで、冷ややかに見下ろした。気分が良かった。女というものは、もしそうしたいと思えば、とことん残酷になれるのだ。

 でも本当の紗季は、内心で、ちょっとやりすぎだったかも、と罪悪感を感じていた。みじめな美鈴の姿が気の毒だった。実を言うと、時間的には美鈴より少し遅れたものの、昨日のうちから頭の方はずいぶんと冷えていたのだ。そのうち電話でもかけて、美鈴を許そうと思っていた。だからいそいそとパソコンを貸すことにしたわけだ。ところが、いよいよ貸すとなった瞬間、なかなか鋭いアイディアが閃いた。「玄関先で使って」と。なんでもないようだけど、よくよく考えると、すごくイジワル。ちょっとオヤジ趣味ではあるけれど、女のどろどろした悪意が秘められている。なかなかのウェルメイドだ。
 
 ウェルメイドは、期待以上に紗季の悪意を満足させた。だから、図に乗って、冷ややかな目で、威圧してやったのだ。仮想のカメラを操作し、最高の構図で、地デジ画面のフレームに切り取ってみた。人気のタレントでキャスティングして、音楽まで流した。うん、今度の単発に絶対使える。
 
 なにもかも脚本の実験を優先した。その結果、仲直りするどころか、イジワルな態度を最後まで変えることが出来なかった。
 
 翌朝目を覚ました時、紗季は、ほんのちょっぴり後味の悪さを胸に感じた。気分転換に掃除をはじめた。ところが昨日まで何の問題もなかった掃除機が、大げさに目詰まりして、ちっともゴミを吸わなかった。紙パックを新品に取り替えても、フィルターを掃除しても駄目だった。うまくいかなければいかない程、気分転換の手段だった筈の掃除が、絶対的目的のように感じられた。なにがなんでも、ちゃんとしっかりゴミを吸いたかった。掃除機に八つ当たりしたら、うんともすんとも言わなくなってしまった。
 
 イライラの限界に達した紗季は、ただ思い通りに掃除したい一心で、駆け込み寺に駆け込むかのように、隣の部屋の主に訴えた。「いま大掃除をやってるの。でも、掃除機がメッチャクチャ、調子が悪くて。だから、お願い。あなたがこの前買った、CMに嘘偽りナシ、吸引力が絶対落ちない、ダイソンの掃除機を貸してちょうだい」
 
 「お安い御用や」とスーツ姿、完璧メークの相手が言った。
 
 「ありがと」あ、まだ喧嘩の最中だった。奥に消えてゆく美鈴の背中を見ながら、ジャージ姿の紗季は思った。
 
 美鈴がまた姿を現した時、紗季は妙な緊張感を覚えた。

 「ほら持ってきた」と美鈴は言った。「なんぼでも好きなだけ使って。そやけどな、条件がひとつだけあんねん。この部屋の中で使って欲しいんや」
 
 見事、直球真ん中ストライクで昨日の復讐を果たした美鈴だった。だが、目は完全に笑っており、紗季は咄嗟の反射神経で、隣人の小憎たらしい洒落っ気を不器用ながら受け止めた。「あちゃー、一本取られた」
 
 ふたりは、声を立てて笑い合った。

 くすくすと笑いころげながら紗季は、同じテレビ界で働く人間として、まんまと美鈴にしてやられた自分が大層悔しかった。また同時に、なかなかやる美鈴に新鮮な友情を感じ、この女には絶対に負けへんわ、と関西弁で自分に誓った。

 


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