2005年07月

2005年07月29日

感謝の手紙 オリジナル(再)

感謝の手紙 オリジナル(再)

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2005年07月22日

感謝の手紙 オリジナル

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2005年07月21日

聖書物語の娯楽性について

 疲れたぁ!(と言っては見るが、実は、ぜんぜん疲れてはいない。)

 音楽漬けの一日だった。いや、昨日からだから、足掛け二日のクラリネット漬けだった。

 <世界最大の国際Clarinet祭 2005国際クラリネットフェスト TAMA東京>が近くのパルテノン多摩で開かれている(7/18 Mon.-24 Sun.)。日、月は都合がつかず、昨日の火曜日も来客などありあきらめていたのだが、夕方になり時間ができた。この日の最後のプログラム開演まであと二十分ある。よし行くぞ。いそいで用意し、サンピアまで自転車をとばし、そこからは中央公園の芝生を歩いて横切り、午後7時の開演ぎりぎり1分前に会場の小ホールにたどりついた。普段、妻と3,40分かけて歩く道を15分でやってきた。新記録だ。つまらぬことだが、後学のために(何の後学になるのか知らないが)記録しておく!(間に合うとは半ば以上思っていないのに、気がついたときには、老躯に鞭打ちというか年甲斐もなくというか、自転車を走らせていた。やってみるものですよ!とにかく、あきらめずに。これが、後学の一つかな?)

 前のほうの席が空いていた。6列目、中央からやや左側のまたとない特等席に座った。

 「民族クラリネットの音楽 クレズマー ライブ」が、ハンガリーのクラリネット奏者・作曲家のジョセフ・バローグさんの演奏ではじまった。これが知る人ぞ知るすごい人で、クラシック、ジャズ、クレズマー、ジプシー音楽と、音楽のジャンルなど全く気にしないかのように、大柄の体を揺らせて吹きまくる。その超絶技巧にはただただ驚いてしまった。最後の一曲になったとき、どこからか別のクラリネットの音がしたような気がした。すると、たちまち、舞台の上と小ホール後方の扉あたりとのあいだで二つのクラリネットの活きのいい掛け合いが始まった。見ると、妖怪か異星人かと思うような出で立ちの男がクラリネットの怪音を響かせて通路を舞台の方へ近づいてくる。舞台の方に目をやると、いつの間にか、ちぐはぐな服装の男女が、バイオリン、アコーデオン、大型のクラリネット(いや、あれはサックスか)、巨大なカタツムリのようなかっこうをした楽器(バスーン? ちがう、ちがう。チュウバ! 花の名、木の名、鳥の名、まともに覚えているものがない。)を弾いたり吹いたりしている。中央では無表情の男がドラムとかシンバルとかを叩いていた。あの大柄の男が観衆には背を向け、その男と真正面に向かい合って、一心不乱にクラリネットを吹きまくっている。ようやく舞台にたどり着いた妖怪奏者は、燕尾服の胸から裾に夜店で買ったバッジとかブローチとかを付けられるだけつけ、先端が床に着きそうなほど大きなクラリネット(じゃない。サックス)を抱え、ひときわ大きな音量を鳴り響かせてみんなの間を吹いてまわる。カオスと言おうか、アナーキーと言おうか。大変なドンちゃん騒ぎである。妖怪奏者は、息継ぎなしで、1分、2分、3分と吹き続ける。(あ、トルコの音楽を聴きに言ったとき、鼻で息をしながら笛を延々と吹き続ける特殊な技法があると聞いたことがある。あれだな。)ハンガリーの大柄奏者に劣らぬ超絶技法で観衆を驚かせた小柄の妖怪は、梅津和時という男だった。

 ああ、こんなことを書いているときりがない。

 カオスとか、アナーキーとか、ドンちゃん騒ぎとかと書いたが、悪口を言っているわけではない。その反対である。あしたは、なんとしても朝から来るぞ、と帰りの自転車をこぎながら思った。

 実は、聖書物語の娯楽性について、メモを書き込もうとしていた。ある教会で出エジプト記から説教した。はじめのところで少しばかり、聖書物語には娯楽性(抵抗があれば、エンターテイメント性と言ってもいい)の要素が含まれているという話をした。そのことを書き付けておこうと思ったのである。そしたら、クラリネット。これが、実に、面白い。むろん自分にとってのことだけれども、語りつくせないほど面白い。教会でモーセ物語のエンタメ要素のことを話したばかりだったが、クラリネット漬けのきょう(いや、もう昨日―20日―のことだが)のクライマックスは、カルボナーレ・リサイタルだった。と、また話し始めると、終わらなくなる。名だたる演奏家たちの超絶技巧を食事をする時間もなく聞いたが、超絶の上を行く演奏といえば、スパゲティのメニューに出てきそうな名の演奏家の、驚かせるだけではない、聴かせる演奏だった。その曲目の中に、なんと、<ロッシーニ:歌劇「モーゼ」によるディヴェルトメント(世界初演)>というのがあった。偶然とは言え、驚いた。芸術と芸能との入り混じった音楽の一日のクライマックスに、モーセが現れ、杖で海を割ったようなものだ。

 音楽って、ほんとーに面白い。そして、聖書も。

多摩の蒲公英



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2005年07月15日

未来への記憶

[手紙の原文は、後日、スキャナーで撮ったものを載せることにします。わたしがそこの牧師をしていた国立のぞみ教会の昔の週報(1999/02/07)を読んでいましたら、説教要旨としてわたしが書いた「未来への記憶」という文章がありました。くわの実さんとの対話のテーマと関連すると思いましたので、ここへ転載します。]

 

 雑誌「図書」に、「未来への記憶―自伝の試み」という題で、河合隼雄さん(臨床心理学)へのインタビュー記事が連載されています。内容については省きますが、「未来への記憶」という表現に心をひかれます。

 話は飛びますが、犬も夢を見ます。これは、確かです。夢を見ると、たいがいは体を少し痙攣させて何かあわれな声で寝言を言います。わが家のクーとケンがそうです。ずっと以前に一緒に暮らしたチロもそうでした。おもしろいのは、わたしの観察では、生後しばらくの期間、半年くらいは、夢を見ないみたいなのです。夢の材料がまだ無いからだと思います。

 最近の若者には夢がない、と言われます。ほんとうかもしれません。戦後の歌に、「右のポッケにゃ夢がある。左のポッケにゃチューインガム」というのがありました。貧しい時代の歌です。貧しいけれども、いや貧しいからこそ、夢だけはいっぱいあった、と言えるのかもしれません。こんな夢は、飽食の時代を生きる今のこどもには通じないのでしょう。

 もっとも、右のポッケの夢がどのような夢であったかは、必ずしもはっきりしません。貧しさが主材料の夢は、意外に味気ない物質的な夢かも知れません。いまに大きな家を建てるんだ、といったような。

 マーティン・ルーサー・キング牧師の「わたしには夢がある」という説教は有名です。彼は、”I have a dream.” で始まる名文句を次から次へとつなげて行きます。そこで語られる夢は、黒人の苦難の歴史の記憶、アメリカの建国精神の記憶、そして何よりも聖書に描かれている神の民の救済の記憶、イエス・キリストによってもたらされた神の国のリアリティの記憶を原資とする夢です。

 これこそまさに、キリスト者の夢です。わたしたちは、真空の中から夢を描き出すのではありません。聖書に蓄えられている神と人間の出会いの記憶の中から、あふれるばかりの未来への夢の原資を心のうちに満たされていくのです。

 ―中略―

 「喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ」で始まるきょうの詩(イザヤ書54:1-17)も、「未来への記憶」を語る詩です。「不妊の女よ」は、年老いて子どものなかったアブラハムの妻サラの記憶に重ねての、バビロンに捕囚の民として生きるユダヤ人たちへの呼びかけです。「わたしはあなたを大いなる民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう」との神の約束をいただいたアブラハムとサラではありましたが跡取りとなる子どもがないままに年老いてしまいます。全く希望を抱くことができない状況の中で、「不妊の女」と言われたサラに、跡取りのイサクが生まれます。この聖書の記憶が、いま、絶望のどん底にある捕囚の民イスラエルに希望を与え、未来を切り開いて行く夢を与えるのです。

 教会は、「未来への記憶」を聖書の中から呼び起こし、この時代に向けて確かな夢を語り希望を告げるのです。



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2005年07月14日

感謝の手紙

(まず翻訳したものを載せます。原文は英文。)

 

1956326

 

敬愛するチャプレン・スパークス様

 

今年わたしの大学入学のために授業料その他の諸費用を授与してくださいましたことに対しまして、あなた様と、座間チャペルセンターの婦人会、そのほか信徒のみなさまに、深甚の謝意を表明いたします。わたしは感謝をどうことばに言い表したらよいか知りません。ただ、心からお礼申し上げます、と言うほかありません。このことばは、学校に学ぶときはもちろん生涯にわたっていつも心の中におぼえていたいと思います。ことばは、最善を尽くし全力をもってみなさまの親切なご援助にお報いするのでなければ、何の意味もありません。みなさまがわたしに期待されるのはただの言葉ではないと思います。

 

わたしは、将来、何らかの形で宣教の業につきたいと強く願っています。わたしは、大学で英米文学を専攻することにしました。国際語である英語の習得が大事だと考えるからです。何かほかのことを始める前にまずこれをしっかり身につけたいと思います。

 

大学の三年生に編入学し二年間学んだ後、できればどこかの神学校に入って神学を学ぶつもりです。神のみこころであれば必ずできると信じています。

わたしの唯一の使命と考えるこの目標に到達するために全精力を注ぐことができますよう、どうぞお祈りください。

 

みなさまがわたしのためにしてくださいましたことにもう一度お礼申し上げます。キリスト教の精神から発しているみなさまの愛にわたしは深く心を打たれています。みなさまから受けたことは、いつの日かだれかほかの人たちにしてあげたいと思います。

最善を尽くします。

神に感謝し、みなさまの上に神の祝福をお祈りいたします。

 

署名

(多摩の蒲公英)



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前方からやってくる過去

[以下の文章は、当時わたしがそこの牧師であった国立のぞみ教会の週報(19997月4日)に書かれたものです。前項「凄味」の記事に、「くわの実」さんがコメントを下さり、ブログでお話しを交わしている間に、「過去が前方からやってくる」という話になり、週報に載せたこの記事のことが思い出し、それを探し出してここに載せることにした次第です。そこに出てくる英文の手紙とその翻訳は、明日にでも、次の項に掲載します。]

 

 ジェネラル・アッセンブリー第1日の夕、新総会議長夫妻と前総会議長夫妻そしてCPW新会長と前会長のレセプション(歓送迎会)が、メンフィス神学校において開かれた。挨拶に訪れた長蛇の列の中に、むかし座間米軍基地のチャペルセンターでチャプレンをしておられたジョン・スパークス牧師(当時、大佐)のご子息でやはりジョン・スパークス(ジュニア)という名の方がおられ、病床の父からこれを渡すよう頼まれてやって来ましたと、前議長としてみんなの握手を受けていたわたしに、古いファイルを一冊手渡して行かれました。その夜ホテルに帰りあらためてファイルを確かめてみると、そこにはセピア色に変色した二葉の写真とタイプライターで打った英文の一通の手紙が保存されていました。写真は、一枚は座間のチャペルセンターでメサイアを歌っていたときのコワイア(聖歌隊)の写真、もう一枚はひどくみすぼらしい身なりの母とわたしの写真でした。手紙は、わたしが短大を出て四年制大学の三年生に編入学する時に座間チャペルセンターが入学金、学費、その他の諸費用を出してくださったことへの英文の礼状でした。文章はまさにわたしのもの、署名も殆どいまと同じで、変わらないものだとわれながら感心しました。

 別紙にその手紙のコピーと和訳を載せます。ぎこちない英語を日本語にすると何かいっそうぎこちない感じですが、長い年月を経て今に通じる十九歳、二十歳の時のこころざしがにじみ出ていて、総会議長の任を解かれたその日の夕に、はしなくも若き日の自分に再会することとなった不思議を、神への大きな感謝としてまたささやかな証として、国立のぞみ教会のみなさまにお見せしたいと思ったわけです。

 ジェネラル・アッセンブリーが終え、626日にメンフィスからシカゴに渡りました。そこでの、わたしの都合に合わせて集まってくれた、座間チャペルセンターのコワイアでメサイアを一緒に歌った4人のアメリカの友人とその家族たちとのリユニオンでも、感謝の気持ちをこめてこの手紙を披露しました。昨年、わたしがジェネラル・アッセンブリー出席のために渡米するその直前に急逝されたグレイス夫人の後に残されたご夫君アレイ氏もワシントンから飛行機で来ておられました。リユニオンは、わたしの最大の恩人であったグレイス・アレイ夫人の記念のためでもありました。エルクグローブのバブ・ローソン氏が、手紙を声を上げて読んでくれました。レイク・ズーリックのポール・フォーラッフ氏も、オハイオ州クリーブランドから細君のエレノアさんと一緒にはるばるやって来られたバブ・アンドリュー氏も、神がわたしのような者の祈りを不思議な仕方で聞き届けてくださったことを、深いところで受け止めてくださいました。

 何か手柄話のようになったとすれば、それは全く本意ではありません。神の不思議な導きを証ししたいだけです。神は生きて働き、わたしたちの人生に不思議な道筋をつけ、わたしたちを御用に用いてくださいます。このことを、証ししたいのです。



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2005年07月08日

凄味

 お土産にもらったチーズを食べながら、すごい、と思った。美味いだけではない。いったい、この違いはなんだろうか、と考える。チーズだけではない。飛躍するようだが、絵でも、音楽でも、文学でも、神学でも、ドラマでも、親の子育てでも、友情でも、愛でも、そのほかなんでもいい。何かほかのものと違うものに出合ったとき、これはいったい何なのだろうと立ち尽くしてしまう。「本物」とか、「感動」とか、「癒し」とか、何か実にウソっぽいことばが氾濫している中で、ほんとうのほんものだけが持っている本質的な何かがあるとすればそれはなんだろうかと愚考する。そして、それは「凄味」かもしれない、とはたと思いついたのである、けさ、チーズを食べながら。(食べ物に「凄味」は、違和感があるけれども、甘いだけの、やわらかいだけの、きれいなだけの、口触りがいいだけの、・・・そういったいかにも美味い食べ物とはちがった、しっかりした食べ物には、やはり「凄味」が隠されているのではないか。ほんとうは「凄み」と書くのが正しいのかもしれないけれども、ここはあえて「凄味」にする。)

 日本に、いま決定的に欠けているのは、この凄味だと思う。こけおどしは、いっぱいある。こけおどしの氾濫だ。きのう、車である町へ行った。交差点で止まった前方に、レンガ造りの一見立派なゴシック風の背の高い建築物が立っていた。二つのとんがった屋根の先端には、細身の十字架が弱々しく取り付けられていた。教会もどきだった。走り出した車のハンドルを操作しながら眺めたので、はっきりは読み取れなかったけれども、欧米の教会にありそうな屋根のついた案内板には、たしか「レストラン何々」と書かれていた。

 仮にこれが、「何々教会」だったとしても、信用できない、と思った。

 教会だって、カッコウや、コケオドシばかりで、ほんとうに凄味のある教会は、ほとんどない。それが、この国の実情だ。だから、教会以上に教会らしい結婚式専用のチャペルだとか、十字架のあるレンガ造りのレストランがあちらこちらに現出するのである。

 

多摩の蒲公英



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2005年07月06日

その日は必ず来る

その日は必ず来る。

どんなに遠くに設定した予定の日でも、たとえば誰かと会う約束の日とか、どこどこへ出かける日とか、あるいは注文しておいた品物が届く日とか、その他どんな日でもいい、その日は必ずやって来る。この年になって、この冷厳な事実を実感している。

太字のその日(The Dayと言えば、生涯を閉じる日、死ぬ日、死の時である。それは、どこか漠然とした、焦点の定まらぬところにあった。いずれ来る日として、だれもが認知している日でもある。しかし、その日が必ず来ると言う実感は、やはり老人特有のものである。そして老人のその実感の度は、日ごとに深まって行くのであろう。

若いころ、老人にとって死はどのように実感されるのだろか、と想像することがよくあった。個々の老人に直接訊ねてみたいと思ったりもした。しかし、いずれにしてもその日から遠くない年の人に、そんなことを質問したりすることはできなかった。定年とか、古希とかを経て、この頃は、人に聞かなくてもある程度分かる年になったと言えるのかもしれない。


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