2013年05月31日

断捨離か形成か

日曜日の集会、ヘブル書が終わり、来週からマルコにするかエフェソ書にするかで迷っている。復活節を挟んで断捨離か形成かの問いの前に立たされているのだ。▼日野原重明氏は土曜日の朝日新聞に連載中の「101歳・わたしの証 あるがまま行く」で先週は<「残り時間ゼロ」を生きる>というエッセイを書いている。題がいい。わたしもそういった心境に至りたいのだが脳のどこかにのんきというプログラムが仕込まれているらしく、ゼロを意識しながらゼロが実感できない。言うほど絶望することもなくずるずると生きている。▼イエスの誕生、十字架、復活を書いた福音書は、一言で言えば、断捨離である。復活は、断捨離から発生した新しい生。使徒言行録以降の文書はこの生を描いている。新しい生を生きる教会は形成の過程で可視的実態として肥大し、歴史を動かす勢力ともなった。分かりやすい具象的な実例は醜聞には事欠くことのないヴァティカン。▼恐竜のように肥大化した歴史的宗教としてのキリスト教はいまさらこれをどうすることもできない。が、パーソンのレベルではできることしなければならないことがある。で、IPCCである。▼「汝なお一つを欠く」のあの「富める青年」は今日の教会であり我々自身である。無くてならないものは多くはない。いや一つだけなのだ。このシンプルな原点に立ち戻るほかない。▼へブル書は終部で、宇宙的な破局にあって、「わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けている」「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火である」と断じている。▼イエスが教えられた主の祈りを祈りとし、ただただ神の国と義とを求めるシンプルな教会の形成を心に描きながら、次週から日曜日はエフェソ書を読むことになりそうである。 (2013/03/05)

3月の聖書会は 22日(金)10:30am. ヨハネ 8:1-11

聖書友の会(多摩ニュータウンみどりの教会)通信69

朝山正治 多摩市豊ケ丘6-3-2-308 Tel. 042-373-2710



ipcc21b at 20:51│Comments(0)TrackBack(0)clip!

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔