実は、明石海峡大橋は、最初は「道路・鉄道併用橋」として建設されるはずだった。
それが、いつのまにやら、「道路専用橋」ということになってしまった。
もし、鉄道が予定通り通っていたら、淡路島はとても便利になっていたのではないか?と、とても残念な思いがする。
淡路島の公共交通はバスだが、便数も少なく、運賃も高い。
もし、鉄道が走っていたら、どんなに便利だったろう。
今の淡路島は、高齢化が進み、少子化、過疎化が進行中だ。
しかし、もし鉄道が通っていたら、もしもっと明石・神戸との行き来が気軽に安くできるようになっていたとしたら、状況は全く違っていただろう。
もしかしたら、神戸や大阪のベッドタウンとして発展していたかもしれない。
今からでも明石と淡路を鉄道でつなげることができれば、淡路島の抱えるいろいろな問題が解決されるに違いない。
しかし、そんなことは可能だろうか?
明石海峡大橋は「道路専用橋」だから、今から鉄道を敷設することは不可能だとされている。
とにかく、鉄道が利用できないために、人の輸送が思うに任せないのがネックになっているのだ。
鉄道が無理なら、モノレールはどうか?
明石海峡大橋を利用して、モノレールを通すことなどはできないものだろうか?
これは、堀井裕右さんから出たアイデアだ。
これは実現可能かどうかを検討するに値する考えだと思うがどうだろう?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、話を戻そう。
明石海峡大橋が、「道路・鉄道併用橋」から「道路専用橋」ということになってしまった経緯だ。
建設大臣だった河野一郎の後押しで、本四架橋は「神戸鳴門ルート優先で、道路と鉄道の併用橋で」という話がまとまりかけていた。
ちなみに、本四架橋は「児島坂出ルート」と「尾道今治ルート」そして「神戸鳴門ルート」の3つがあった。
河野大臣が急死した後、田中角栄の「日本列島改造論」が本四架橋のその後を引き継いだ。
建設ブームに乗って、「3ルート同時着工」となり、「神戸鳴門ルート」は道路と鉄道の併用橋となるはずだった。
しかし、第4次中東戦争に端を発するオイルショック(昭和48年[1973])で、開発ブームは一気に冷え込み、なんと起工式5日前に、急に3ルートともに凍結されてしまうのである。
その後、昭和50年(1975年)8月、三木内閣の下で、改めて合意がなされる。
そのとき、「児島坂出ルート(瀬戸大橋)は鉄道・道路併用橋として建設し、神戸鳴門ルート(明石海峡大橋)と尾道今治ルート(しまなみ海道)は部分的な架橋工事に着工する」と、最終的に取り決められた。
この時点では、まだ明石海峡大橋の鉄道敷設については、表向き「保留」だった。
しかし、60年(1980年)8月、明石海峡大橋は正式に「道路専用橋」と決定されてしまう。
実は、当時の公団の技術陣は「道路・鉄道併用橋でも充分に可能」だとしていた。
ところが、「吊橋構造での4キロ近い長大橋(明石海峡大橋は3900m)の併用橋は、世界的に例がない」、その点、瀬戸大橋は距離は長いが、途中に小島が連なっていて、明石海峡大橋ほどの長大橋は必要なく、工事費も安くなるという経済的理由などによって、瀬戸大橋は「道路・鉄道併用橋」、明石海峡大橋は「道路専用橋」になってしまった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
堀井裕右さんによると、「3ルートのうち利用率が最も高いのは、神戸鳴門ルートである」
堀井さんは次のように続ける。
神戸鳴門ルートは関西経済圏と四国の最短ルートであり、徳島・高知県に関しては、他の2ルートに比べて、時間的に一番短く、輸送費用の面でも圧倒的にコストが安い。
香川県は瀬戸大橋がつながっているのだが、京阪神と結ぶ高速バスのほとんどは大鳴門橋~明石海峡大橋を利用している。つまり、児島坂出ルートより、神戸鳴門ルートの方が経済的価値が高いといえる。
愛媛県も同じで、松山~阪神方面の高速バスは大鳴門橋~明石海峡大橋を利用している。
鮮魚や野菜などの鮮度が勝負の生鮮食料品の輸送も、大半はこのルートを利用している。
仮に神戸から高松へ行く場合、鉄道なら、新幹線「のぞみ」(新神戸~岡山)、JRマリンライナー(岡山~高松)と乗り継ぐと1時間30分だが、車でも神戸鳴門ルートなら2時間ちょっとで行けるのであまり変わらない。
残念なことに、経済効果が3ルート中随一なのに、鉄道併用橋になっていない(明石海峡大橋)ために、中量・大量の公共輸送機関が存在できない。
フェリー輸送の時代は、大磯~須磨の淡路フェリーと津名~西宮の甲子園フェリー、岩屋~明石の明石フェリー(たこフェリー)、播淡汽船あわせれば、1時間当たり軽く1000人以上の乗客を運ぶことが可能だった。
しかし、高速バスのみとなった淡路~阪神間の輸送力は、複数のダイヤがある北淡IC~東浦(東浦IC・東浦ターミナル)間でも、1時間10便として、1台=50人×10としても500人止まりである。洲本や福良・五色からの通過便(神戸直行便)の200人分を合わせても、最大700人で、フェリー時代に及ぶべくもない。
結果、阪神間や四国と地続きになって便利になったはずなのに、淡路3市とも、年々人口が減り続けている。
明石海峡大橋が開通した13年前には、15万以上いた淡路島の人口は、今では14万人と1万人減っている。
人口を見る限り、橋の開通を淡路島の発展に結びつけることができているとはいうことはできない。
もともとが過疎地で労働力が少ないところへ、さらに過疎化が進んでいる。労働力の不足に加え、車の海上架橋の利用は一般的に陸上の高速道路よりも輸送コストもかかる。したがって、普通の企業誘致はハードルが高くなってしまう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかし、明石と淡路島の間に、中量・大量の公共輸送機関(たとえば、鉄道(モノレール)など)が通るとなると話は変わってくる。
インフラを整備すれば、自然と緑の豊かな淡路島は住環境としても申し分ない。
ベッドタウン化できれば、転入者が増えることになり、各市の税収も増える。
安価な公共交通手段ができれば、阪神地区まで陸路30~60分という地の利を最大限に生かすことができる。ちょいと淡路島百景の夕日を見に来るなんてこともできるようになる。
飲酒運転が厳しく取り締まられているが、島内の公共交通の整備が進めば、神戸から淡路島まで飲みに来るなんてことも可能になるかもしれない。
夢物語だろうか?
明石と淡路をモノレールなどでつなぐことを、真面目に考えてみる価値はないだろうか?
それが、いつのまにやら、「道路専用橋」ということになってしまった。
もし、鉄道が予定通り通っていたら、淡路島はとても便利になっていたのではないか?と、とても残念な思いがする。
淡路島の公共交通はバスだが、便数も少なく、運賃も高い。
もし、鉄道が走っていたら、どんなに便利だったろう。
今の淡路島は、高齢化が進み、少子化、過疎化が進行中だ。
しかし、もし鉄道が通っていたら、もしもっと明石・神戸との行き来が気軽に安くできるようになっていたとしたら、状況は全く違っていただろう。
もしかしたら、神戸や大阪のベッドタウンとして発展していたかもしれない。
今からでも明石と淡路を鉄道でつなげることができれば、淡路島の抱えるいろいろな問題が解決されるに違いない。
しかし、そんなことは可能だろうか?
明石海峡大橋は「道路専用橋」だから、今から鉄道を敷設することは不可能だとされている。
とにかく、鉄道が利用できないために、人の輸送が思うに任せないのがネックになっているのだ。
鉄道が無理なら、モノレールはどうか?
明石海峡大橋を利用して、モノレールを通すことなどはできないものだろうか?
これは、堀井裕右さんから出たアイデアだ。
これは実現可能かどうかを検討するに値する考えだと思うがどうだろう?
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さて、話を戻そう。
明石海峡大橋が、「道路・鉄道併用橋」から「道路専用橋」ということになってしまった経緯だ。
建設大臣だった河野一郎の後押しで、本四架橋は「神戸鳴門ルート優先で、道路と鉄道の併用橋で」という話がまとまりかけていた。
ちなみに、本四架橋は「児島坂出ルート」と「尾道今治ルート」そして「神戸鳴門ルート」の3つがあった。
河野大臣が急死した後、田中角栄の「日本列島改造論」が本四架橋のその後を引き継いだ。
建設ブームに乗って、「3ルート同時着工」となり、「神戸鳴門ルート」は道路と鉄道の併用橋となるはずだった。
しかし、第4次中東戦争に端を発するオイルショック(昭和48年[1973])で、開発ブームは一気に冷え込み、なんと起工式5日前に、急に3ルートともに凍結されてしまうのである。
その後、昭和50年(1975年)8月、三木内閣の下で、改めて合意がなされる。
そのとき、「児島坂出ルート(瀬戸大橋)は鉄道・道路併用橋として建設し、神戸鳴門ルート(明石海峡大橋)と尾道今治ルート(しまなみ海道)は部分的な架橋工事に着工する」と、最終的に取り決められた。
この時点では、まだ明石海峡大橋の鉄道敷設については、表向き「保留」だった。
しかし、60年(1980年)8月、明石海峡大橋は正式に「道路専用橋」と決定されてしまう。
実は、当時の公団の技術陣は「道路・鉄道併用橋でも充分に可能」だとしていた。
ところが、「吊橋構造での4キロ近い長大橋(明石海峡大橋は3900m)の併用橋は、世界的に例がない」、その点、瀬戸大橋は距離は長いが、途中に小島が連なっていて、明石海峡大橋ほどの長大橋は必要なく、工事費も安くなるという経済的理由などによって、瀬戸大橋は「道路・鉄道併用橋」、明石海峡大橋は「道路専用橋」になってしまった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
堀井裕右さんによると、「3ルートのうち利用率が最も高いのは、神戸鳴門ルートである」
堀井さんは次のように続ける。
神戸鳴門ルートは関西経済圏と四国の最短ルートであり、徳島・高知県に関しては、他の2ルートに比べて、時間的に一番短く、輸送費用の面でも圧倒的にコストが安い。
香川県は瀬戸大橋がつながっているのだが、京阪神と結ぶ高速バスのほとんどは大鳴門橋~明石海峡大橋を利用している。つまり、児島坂出ルートより、神戸鳴門ルートの方が経済的価値が高いといえる。
愛媛県も同じで、松山~阪神方面の高速バスは大鳴門橋~明石海峡大橋を利用している。
鮮魚や野菜などの鮮度が勝負の生鮮食料品の輸送も、大半はこのルートを利用している。
仮に神戸から高松へ行く場合、鉄道なら、新幹線「のぞみ」(新神戸~岡山)、JRマリンライナー(岡山~高松)と乗り継ぐと1時間30分だが、車でも神戸鳴門ルートなら2時間ちょっとで行けるのであまり変わらない。
残念なことに、経済効果が3ルート中随一なのに、鉄道併用橋になっていない(明石海峡大橋)ために、中量・大量の公共輸送機関が存在できない。
フェリー輸送の時代は、大磯~須磨の淡路フェリーと津名~西宮の甲子園フェリー、岩屋~明石の明石フェリー(たこフェリー)、播淡汽船あわせれば、1時間当たり軽く1000人以上の乗客を運ぶことが可能だった。
しかし、高速バスのみとなった淡路~阪神間の輸送力は、複数のダイヤがある北淡IC~東浦(東浦IC・東浦ターミナル)間でも、1時間10便として、1台=50人×10としても500人止まりである。洲本や福良・五色からの通過便(神戸直行便)の200人分を合わせても、最大700人で、フェリー時代に及ぶべくもない。
結果、阪神間や四国と地続きになって便利になったはずなのに、淡路3市とも、年々人口が減り続けている。
明石海峡大橋が開通した13年前には、15万以上いた淡路島の人口は、今では14万人と1万人減っている。
人口を見る限り、橋の開通を淡路島の発展に結びつけることができているとはいうことはできない。
もともとが過疎地で労働力が少ないところへ、さらに過疎化が進んでいる。労働力の不足に加え、車の海上架橋の利用は一般的に陸上の高速道路よりも輸送コストもかかる。したがって、普通の企業誘致はハードルが高くなってしまう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかし、明石と淡路島の間に、中量・大量の公共輸送機関(たとえば、鉄道(モノレール)など)が通るとなると話は変わってくる。
インフラを整備すれば、自然と緑の豊かな淡路島は住環境としても申し分ない。
ベッドタウン化できれば、転入者が増えることになり、各市の税収も増える。
安価な公共交通手段ができれば、阪神地区まで陸路30~60分という地の利を最大限に生かすことができる。ちょいと淡路島百景の夕日を見に来るなんてこともできるようになる。
飲酒運転が厳しく取り締まられているが、島内の公共交通の整備が進めば、神戸から淡路島まで飲みに来るなんてことも可能になるかもしれない。
夢物語だろうか?
明石と淡路をモノレールなどでつなぐことを、真面目に考えてみる価値はないだろうか?