どうも、三日ぶりです。一平です。




言い訳タイム発動!! 



いやぁ、ここんところ忙しかったんですよ。ぼちぼち。


でも、忙しくて、時間が作れなくて、ブログを更新しなかったわけではありません。



考え事をしていました。



別に考え事をしながらでも、ブログは書けるのですが、どうしても、その考え事を文章にしてからでないと、過去の話とか書けないなと思っていまして。





2月になって、もう14日が経ちました。



あっ、バレンタインデーだ、どうでもいいけど。本当に。






それで、その考え事ですが、なかなか纏まらないんですよね。


思いや考えを整理して、言葉にすることは得意としていますが、色んな人達から、色んな事を聞いてて、色んな考えが思い浮かんだんです。





ブログやtwitterやFacebookや実際会って、2月になってから色んな話を聞きました。



悲報や朗報、近況や悩み事。本当、色々聞きました。


それをすぐにでも消化できるほど、俺の頭は良く出来てないので、一つ一つを噛み砕くのに時間を要しました。





さて、今も考えながらカタカタとキーボードを打ってるんですが、まず言いたい事としては、最近自分の中で変化が現れました。



その変化も、フワフワしたもので、実に形容し難いのですが、自分が変わったように思えてならないのです。



地に足が付いたと言うところでしょうかね。



そして、「安心」とか「幸せ」と言うより、「安寧」を実感しています。



余裕が出来ましたかね。さっき噛み砕くのに時間を要したとか言ったくせに笑






俳優で、演技をする一種の傾向で「憑依型」と言うものがあります。


演技が始まると、役柄が魂魄のようなものになり、憑依されて、そのものに成り切る。と言う演技の仕方です。




俺は演技するような仕事に就いてはいないのですが、人から話を聞くときに、なんとなく、その話してくれる人の側に立って聞くことが多いです。


綺麗事かもしれませんが、その人の立場になって考えます。


そうすると、話を聞いて、心が痛むこともあります。


何故なら、話している側の心が痛んでいるから。




俺は、それを正しいと思っていました。



痛みを共有している気でいました。



それが正攻法なのだと思っていました。






でも、最近は違います。




どんなに痛みが分かったとしても、どんなに痛みを共有したとしても、その人の痛みは知ることも、経験する事も、安らかにする事も出来ない。



それは何故か。



「その人と、俺は、違う個体だから。」




そして、俺が痛んだとしても、傷付いたとしても、血や涙を流しても、なんの意味も無い。




それは何故か。




「自分を大事にしなければいけないから。」










今年、一番最初の記事で「ポジティブに生きよう。」と宣言しました。


勿論それを目指しました。



でも、どんなに宣言したとしても、その言葉一つで、今まで30年間培ってきた性格や価値観などが一変すると言う事は在り得ないのです。



多分、俺が思うに、人が何か変わる時と言うのは、自分で何とかするより、自分以外の誰かの影響で変わっていくものなのだなと知りました。


それは、良くも悪くも。






そして話を戻しますが、2月になり、色んな人の「人生」とまでは言いませんが、経験や生き方や、今歩んでいる道を聞きました。





多種多様だなぁ。と思いました。



当たり前だ。みんな違うのだから。





まぁ、嬉しかったのは、色んな辛い経験があったとしても生きているのは確かだし、「幸せだ。」と言う発言も多々聞けた事ですね。




俺は、その発言を聞く度に、嬉しいと思いながらも、どこかで嫉妬していました。


羨んでいました。



でも、今は嫉妬してません。




それは俺自身が安寧を感じているからです。



自分を大事に出来ているからです。



自分の幸せも願っているからです。





それは俺が頑張ったからではなく、多くの人のお陰です。




元来短気な方ではなかったのですが、日々にストレスをあまり感じませんし、苛々する事もなくなりました。




夜もしっかり眠れていますし、嫌な夢を見る事もなくなりましたし、目覚めたら襲う焦燥感も無くなりましたし、やるべきことはやっていますし、たまに自分を甘やかせてますし。




16歳から止まっていた、時間も、ようやく動き始めました。



そう、ようやく。











昔から、明るい曲を聴くと淋しさを感じていました。


希望にあふれた歌を聴く度に、そんなに上手くいくはずがないと思っていました。


自分の幸せなど、ありえないと思っていました。








人間、まぁ、このブログを読んでくれている人の平均年齢が仮に30歳だとして、30年生きていると多分、誰かの死別を味わったことがあると思います。


勿論、俺も体験したことがあります。




ある、死別で、俺は心から願ったことがあります。



俺の命とか、未来とか、幸せとか、そんなもの全て棄てていいから、生き返ってほしいと願ったことがあります。


まぁ、そんなことは出来るはずもなく、その人は生き返りませんでした。


その時、改めて、神様なんていないなと思いました。



ただ、その人の死によって、今生きている人全員の幸せを願いました。自分以外の。






そして、大人になって、立派に生きると思っていました。


立派に生きて、誰かの役に立つと思っていました。


と言うか、誰かの役に立ちたいと思っていました。


だから俺は、教員を目指しました。


自分が高校時代苦労した分、似たような境遇にいる生徒を救いたいと思っていました。



「救いたい」なんて烏滸がましいのですが、まぁ、若かったので。



でもまぁ、教師になると言う夢も破れ、どうして生きているのか悩み続けた時期もありました。


自棄になって薬や酒に溺れた時期もありました。



ラリって4階から落ちたこともあります。



ボロボロの、泥だらけの人生でした。





でも、今思うと、それも必要な時期だったのかもなと思います。


すげぇ辛かったけど笑







本を読むことは嫌いではないので、色んな知識を身に付けようと思いました。


その知識が役に立ったこともありましたし、そうでもない時もありました。


それに、知らないことは山ほどありますしね。


全知全能もまた、無理な話なので。












さて、いつも以上に内容が右往左往していますが、何が言いたいかと言うと、「変わった」と言う事です。




以前にも書きましたが、俺は、神様になりたかったのです。


無力なくせに、神様になりたかったのです。


神の子イエスのように、自分の血で、誰かの罪や傷を拭いたかったのです。




それは、分かってましたが、無理でした。




だって俺、神の子じゃねぇもん。













そして、自己犠牲を止めました。


「止めた」と言うより「しなくなった」の方が正確ですが。




そう、新劇場版のエヴァンゲリオンのミサトさんの言葉のように



「行きなさいシンジ君!誰かのためじゃない!自分自身の願いのために!」



と言ったところでしょうか。




俺は強欲なので、願いは二つあります。



一つは、誰かが幸せになる事。


もう一つは、自分が幸せになる事。




どちらも願います。












さて、最後に言いたいことがあります。



今、死にたいと思っている方。

今、絶望の淵にいる方。

今、どうしようもない迷路に迷っている方。




自分を殺してみてください。

絶望から這い上がろうとしてください。

正しい出口を模索してみてください。




「やれっ!」って言われてすぐ出来るほど人間ってすぐ行動に移せないと思います。


ただ、しようとしないと、いつまでもそのままなんですよ。


例えば、誰かが手を差し伸べたとしても、その手を掴まなければ、意味が無いんですよ。







俺がどれくらいのレベルで辛かったのか、誰かと比較することは出来ませんが、そんな俺でも、安寧した今が訪れているわけで、去年の6月5日に死ななくて良かったと思っています。




俺以外にも、死にたいとか、絶望しか感じないとか、迷ってると言ってた人間でも、生きてて良かったと聞くことも少なくありません。



生きてたら、何かしらあるんですよ。


絶対とは確約できませんが、きっと。



そうです、俺は綺麗事を並べる、偽善者です。

詐欺師と大して変わりません。


自分の欲のために生きてます。



だから、あなたも自分の欲のために生きてください。












そんな人間が、一人でも増えますようにと、切に願います。




そのために、俺は、生きています。





















































もしも暗闇が君を包んでも、私が君の瞳になる。
もしも哀しみで言葉失くしても、私が詩にして伝えるから。