2007年01月01日

新年のごあいさつ

ブログ年賀状2007

2006年09月24日

おしらせ

56f9967c.jpg個人的な事情から、本日をもちまして、livedoor Blog での更新を中止いたします。

とりあえずは、毎日更新というわけにはいきませんが、gooブログ「一風斎の趣味的生活/もっと活字を!」にて、気が向けば音楽記事を掲載するつもりです。

長い間のご愛読を感謝いたします。

2006年9月24日
一風斎啓白

番外編★オーケストラ伴奏でシューベルトのリートを聴く。

5ea20e02.jpgAnne Sofie von Otter
Thomas Quasthoff
SCHUBERT
LIEDER
with Orchestra
Chamber Orchestra of Europe
CLAUDIO ABBADO
(DG)


このアルバムでは、1枚目第1曲の『ロザムンデ』からの「ロマンス」を除いて、シューベルトの代表的なリート(『ます』『糸を紡ぐグレートヘェン』『夜と夢』『魔王』、歌曲集『冬の旅』から「道しるべ」、同じく歌曲集『白鳥の歌』から「彼女の肖像」「セレナード」など)に、彼以外の作曲家の編曲によるオーケストラ伴奏がつけられています。

ここでその作曲家の名を挙げれば、B. ブリテン (1913 - 76)、J. ブラームス (1833 - 97)、M. レーガー (1873 - 1916)、H. ベルリオーズ (1803 - 69)、F. リスト (1811 - 86)、A. ヴェーベルン (1883 - 1945)、J. オッフェンバック (1819 - 80) と錚々たる人びとが登場し、オーケストレーションの腕を競います。

特に、ブラームスは、シューベルトを敬愛してだけあって、曲や歌詞に合わせた編曲を行っています(結果として、非常に手堅いものにはなっていますが、それはブラームス自身の個性というものでしょう)。

以下、収録曲順に、小生が面白いと思ったものを、適宜述べていきます。

ピアノ五重奏曲(第4楽章のテーマ)でも有名な『ます』は、 B. ブリテン編曲のオーケストラ伴奏で、「泡立ち渦巻くような反復するピアノ音型」を木管楽器に置き換え、ちょっとユーモラスな作品に仕上げられています(アンネ・ゾフィー・フォン・オッターの歌唱も、その雰囲気をよく伝えている)。

『エレンの歌第二』は、J. ブラームス編曲のオーケストラ伴奏。
この曲での伴奏の特徴は、ホルン4本とファゴット3本のみによる、角笛のような効果。
その歌詞(W. スコットの『湖上の美人』から)の冒頭「狩人よ、狩りを忘れて憩え!」、最後の一節「狩りの角笛がおまえを目覚めさせることはない。」からも分るように、この歌の世界を生かす効果となっています。

聴き比べができるのが、ベルリオーズとレーガーによる『魔王』。
前者は女声により、後者は男声(バス・バリトンのトーマス・クヴァストホフ)により歌われていますので、基本的に音声帯域が違い、調性が違っていますが、ともにダイナミックなオーケストレーションであるのは、ゲーテによる原詩に負うところ大でしょう。
ディナミークの振幅は、時代が新しいだけあって、レーガーの方が大きいのですが、背後に聞こえる嵐を表す音型を、ともに弦楽器に任せているのは面白い共通点。
聴き比べによって、その他にも、さまざまな発見ができると思います。

意外だったのが、ヴェーベルンの手による伴奏オーケストレーション。
12音技法の開拓者ということで、突拍子もないオーケストレーションが付けられているかと思いきや、後期ロマン派風の、楽器の音色を緻密に生かした伴奏編曲でありました。その点では、レーガーのものと変わりがありません。

ここで最後にオッフェンバックが登場するのは、意外な感もありますが、曲が軽い、例の『白鳥の歌』よりの有名な「セレナード」(「秘めやかに闇を縫う わが調べ…」との訳詩あり)ですから、ごくお気楽に聴けるサロン音楽っぽい編曲になっています。

ということで、シューベルトのリートの愛好者にも、それぞれの編曲を行なった作曲家に興味のある方にも楽しめるアルバムになっています。
休日の午後にでも、ブランディーを入れたアフタヌーン・ティーでも飲みながらお楽しみください。

2006年09月23日

「弦楽器」特集(24) − K. ペンデレツキ『ヴィオラ協奏曲』

59a472be.jpgKRZYSZTOF PENDERECKI
THRENODY OF THE VICTIMS OF HIROSHIMA
VIOLA CONCERTO
NACY VAN DE VATE
CHERNOBYL
CONCERTO NO.1, FOR VIOLIN AND ORCHESTRA
(CONIFER)


ポーランド人現代作曲家のクシシュトフ・ペンデレツキ(1933 - )の作品は、『ヒロシマの犠牲者の追悼のための―哀歌』(1959 - 60) に聴かれるように、12音技法やトーン・クラスターといった前衛的音楽技法や刺激的な音響で知られています(このアルバムにも収録されている)。

しかし、1970年代に入ってからは、いささか作風が変ってきました。
1983年に作曲された『ヴィオラ協奏曲』も、その例外ではなく、前衛的な音楽技法は背後に退き、どちらかといえば、かなり古典的な/保守的な作風のものになっています(トーン・クラスター的な音響は出てくるが、オーケストラによるフォルティッシモのトゥッティという感じに近い)。

その原因が、ご本人の加齢によるものなのか、それとも、宗教的な要素が前面に出てきたのかは定かではありません。

ペンデレツキの音楽は、当初からかなりの宗教性を持っていたように思えます。
『ヒロシマの犠牲者の追悼のための―哀歌』や『怒りの日』(1967。アウシュヴィッツ記念碑除幕式に演奏された楽曲)も、人類の原罪ともいえる戦争やジェノサイドの犠牲者を追悼するという、かなり宗教的な動機があったのでしょう。
また、よりカトリシズムを明瞭に出したものには、『ルカ受難曲』(1963 - 66) を挙げることもできます。

これらの作品に聴かれた宗教性は、その技法の先鋭性も相まって、攻撃的な性格すら感じさせますが、そこに流れていた哀切な感情や抒情などは、1970年代以降の作品にも聴くことができます(宗教性とは言っても、A. ペルトのような、ある種、土俗的なものではない。カトリシズムという「世界宗教」的、あるいは、より普遍的なもの)。

その一つの例が、この『ヴィオラ協奏曲』。
冒頭のチェロの独奏による序奏から、すでに哀切な感情が込められています。
チェロの演奏に徐々にオーケストラが加わり、感情が高まっていったところで、初めてヴィオラが登場します(ヴィオラ演奏は Grigori Zhislin。ロシア人ヴァイオリニスト/ヴィオリストだそうです。オーケストラは、Szymon Kawalla 指揮のポーランド放送交響楽団)。

ヴィオラの音域特有の、やや沈んだ音色が、哀切な感情をとつとつと(あるいは落ち着いた口調で)語るのに合っているのではないでしょうか(チェロだと沈んだ感情に流されやすいし、ヴァイオリンだと感情を流麗な形にしてしまいやすい)。

鐘の音が突如響き渡るのも、この楽曲の特徴の一つ(演奏開始後4分10秒ほどのところと、9分50秒ほどのところの2か所)。
この突然の鐘の音も、トーン・クラスターのような突き刺さるものではなく、宗教的な何ものかの「啓示」を感じさせます。

ということで、小生好みの現代音楽として、
(お勧め度★★★★☆
にします(最後のは半分、つまり3.5ね)。

*記事を書き終わって気付きましたが、去年の6月29日にも同じ楽曲を扱っています。けれども、読み直しましたら、かなり違った観点から書かれていましたので、そのままにして掲載いたします。悪しからず。

2006年09月22日

「弦楽器」特集(23) − 武満徹『三面の琵琶のための《旅》』

fc1d2b74.jpgTORU TAKEMITSU
In an Autmun Garden for Gagaku
Voyage for 3 Biwa - Excerpt from "Autumn"
10th Step Variation from "November Steps"
Eclipse
Music Department, Imperial Houshold
Kinshi Tsuruta - Katsuya Yokoyama
(DG)


武満徹 (1930 - 96) の日本の楽器とオーケストラのための作品には、出世作の『ノヴェンバー・ステップス』(1967。琵琶と尺八を使用)がもっとも有名でしょうし、
それと同じ楽器構成の『エクリプス(蝕)』(1966) や『秋』(1973) などもあります。

これらの楽曲は、『切腹』や『怪談』などの一連の小林正樹監督作品の映画音楽として、テープ音楽の素材として、日本の伝統楽器を使ったことから始まっているのは、よく知られているところです(『怪談』の音楽は、J. ケージが絶賛したという)。

つまり、日本的な音色が音楽に必要だった、という理由がやはり大きかったのじゃあないかしら(これらの映画や大河ドラマが、時代劇だったことを想起)。
その過程で、横山勝也(よこやま・かつや。1934 - )の尺八や鶴田錦史(つるた・きんし。1911 - 95。薩摩琵琶演奏家)の琵琶に出会ったことが、今度は武満の音楽を変えることにもなっていく契機となった、というわけです。

ですから、武満の伝統楽器の使い方は、いわゆる現代邦楽とは異なるものがあるのね。

そこで、琵琶だけのアンサンブルによる『三面の琵琶のための《旅》』(1973) を聴いてみようというわけです。

現代邦楽が、どうしても楽器の制約や、従来の約束事に縛られる傾向があるのに対して、クラシカル系の作曲家が伝統楽器を使うと、いい意味で「無茶」をやってしまう(たとえば、従来の邦楽では、琵琶と尺八のアンサンブルというものはなかった)。

この『三面の琵琶のための《旅》』でも、従来の琵琶の演奏方法をそのまま生かしている部分と、武満の「無茶」の部分とが入り混じっています(後半「声」が入ってくるところ辺りからは、従来の薩摩琵琶の演奏法が大きくでてくる)。

特に、冒頭の単音を積み重ねていく部分などは、従来の琵琶曲にはなかった点でしょう。ここでは、尺八の歌口から洩れる息が、風のような自然音に聞こえるように、琵琶の「サワリ」(弦自体のノイズや、バチで胴体を叩いたときのノイズ) が、効果的に使われています。

しかも、それが3面の琵琶から、聴く側にとってはランダムに出されることによって、白砂に点在する巌のように、抽象的であると同時に、精神を形象化したようなイメージを与えます。
小生は、仙崖義梵(1750〜1837)の『◯△□』を思い浮かべるのですが、いかがでしょうか。

ということで、舌足らずの説明となりましたが、
(お勧め度★★★☆☆
にします。

2006年09月21日

「弦楽器」特集(22) − A. ペルト『チェロ協奏曲〈プロ・エ・コントラ(賛と否)〉』

790f60bf.jpgARVO PART
Cello Concerto "Pro et Contra" - Perpetuum Mobile
Symphony No. 1 "Polyphonic"
Symphony No. 2 - Symphony No. 3
The Bamberg Symphony Orchestra
Frans Helmerson, cello - Neeme Jarvi, conduct
(BIS)


バルト三国の一国、エストニア出身の作曲家アルヴォ・ペルト(1935 - )の経歴に関しては、本ブログの『タブラ・ラサ』の記事から引きます。

A. ペルト は、バルト三国の中で最も北にあるエストニア(生まれた当時は共和国として独立していたが、1940年にソ連領となる)の生れ。

首都であるタリン(フィンランド湾を挟んだ対岸にフィンランドの首都ヘルシンキがある)の音楽院で学びました。卒業後は放送局のレコーディング・ディレクターとして働くかたわら、作曲活動を行ない、1961年に作ったオラトリオ『世界の歩み』で、モスクワの作曲コンクールに優勝。

以後、新古典主義や十二音技法、ミュージック・セリエルなどに基づく作曲を行なうが、長い休止期間(ただし、この期間に『交響曲第3番』が作られている)を挟んで、現在のような作風にたどり着く。いわゆる「ティンティナブリ(「鈴の音」の意味)様式」です。

1980年には、妻子と共にオーストリアに亡命。オーストリア国籍を取得。その後、ベルリンに引っ越して、 以来ずっと定住しています(現在はオーストリア人作曲家といわなければならないのね)。

1966年作曲のこの『チェロ協奏曲〈プロ・エ・コントラ(賛・否)〉』は、「ティンティナブリ様式」以前の作品。

世界的に著名なロシア人チェリスト・G. ロストロポーヴィチに献呈されているこの作品は、バロックのようなパートと、前衛音楽のようなパートとが、コラージュされています(おそらく、どちらかが「プロ〈賛〉」であり、どちらかが「コントラ〈否〉」なのでしょうが、それを判断するのは難しい。
というのは、後の「ティンティナブリ様式」を考えると、バロック部分が「プロ」であるでしょうが、それまでの12音技法やミュージック・セリエルからの影響を考えると、そう簡単に結論づけていいのかどうか、今一つ分らない点があります。

それはともかく、楽曲を聴いてみましょう。
全体は、3楽章に分けられていますが、かなり特殊なバランスになっています。
それは、第2楽章「ラルゴ」が30秒程度と、異様なほどに短いということです。

第1楽章の冒頭、トゥッティによる短い和音演奏に引き続いて、オーケストラが壊れたんじゃないか、と思わせるトーン・クラスターのような刺激的な音が鳴らされます。
その後は、超弱音によるチェロの演奏が始まりますが、オーケストラも含めて、完全な無調の音楽(12音技法やミュージック・セリエルからの影響)。
献呈されたロストロポーヴィチも、やり難かったでしょうね。

第2楽章は短いものの、大バッハの引用まがいの擬バロック。
気分の上では、フェイントを喰らったという感じを受けます。

第3楽章「アレグロ」は、ミニマル音楽的な小フレーズが、何度も繰り返され、その都度、変容を遂げていくというスタイル(ちょっと、M. フェルドマンを連想する)。
それが、また擬バロックの終止形で終る、というのだから、かなり分裂症気味の楽曲です。

作曲意図は、サブ・タイトルにもあるように2つのもの(バロックと前衛)の対立、ということなのでしょうが(その対立が、自分の中にもあるよ、というペルトの告白/表明)、お前はどちらにつくんだ、と言いたくなるような結果でありました(まだ、この当時は、彼自身も悩んでいたんじゃあないかしら)。

ペルト独自のスタイル「ティンティナブリ様式」を生み出す直前の、過渡的な作品といえるでしょう。

ということで、厳しい評価になりますが、
(お勧め度★★☆☆☆
であります。

2006年09月20日

「弦楽器」特集(21) − U. スルタン・カーン 『月光のラーガ』

b9733065.JPGWorld
Music
Library
Ustad
Sultan Khan,
The Art of
Sarangi
(KING)


世界の弦楽器には、いろいろなものがあります。
今回はその中でも、北インドから周辺諸国に広く分布している弦楽器、サーランギー(sarangi)をご紹介。

インドというと、どうしてもシタールを思い出しますが、あちらは撥弦楽器(はつげんがっき:弦をバチや指で弾いて音を出す弦楽器)。こちらのサーランギーは、弓で弦をこすって音を出す擦弦楽器(さつげんがっき)です。

日本の楽器で喩えれば、三味線や筝が撥弦楽器、胡弓(こきゅう)が唯一の擦弦楽器になります(西欧なら、ギターやマンドリンなどが撥弦楽器、ヴァイオリンやヴィオラ、チェロ、コントラバスなどが擦弦楽器)。
ちなみに、サーランギーは、胡弓や二胡のように、楽器を膝に立て右手の弓で弾きます。

北インドのサーランギーは、各国の中でも、最も複雑な形態・構造をもっていて、丸太を四角く刳り貫いた胴に皮の反響膜を貼り、3〜4本の主奏弦と10〜40本の共鳴・残響弦を持つもの(ジャケット写真参照。ネパールのサーランギーは、形も小さくて、もっとシンプルな構造のようです)。

「100色の響き」という意味を持つ楽器らしく、太いガット弦の音とともに、共鳴弦の音が複雑な音色を醸し出します(また演奏も、ウナリを多用するので、これもその効果を強調している)。

さて、この『月光のラーガ』(Raga Chandrakauns) ですが、演奏は、サーランギーがウスタッド・スルタン・カーン、タブラという打楽器がファザル・クレシ、タンブーラという4弦の弦楽器(シタールに形は似ているが、ドローン専用の伴奏楽器)が松本泉美(まつもと・いずみ)です。

冒頭から20分間ほどは(演奏時間50分程度)、サーランギーの独奏ですので、この楽器の音色の多様性を聴くことができます。

タブラとタンブーラの伴奏が入ってくると、いかにもインド音楽という雰囲気が漂ってくる。
無拍ということではないのでしょうが、複雑な混合リズムですので、時間がゆるやかに流れていく、という感じが濃厚になります。小生、インド音楽の愛好者というわけではないのですが、このようなゆったりとした時間感覚が、愛好者には堪らないところなのでしょう。

インド的な時間感覚をより強調しているのが、その旋律。
ラーガと呼ばれる旋法によって組み立てられた旋律は、ウナリやヴィブラートによって無限に引き続くような気分を与えます(まず、音楽の形式や構造が分らないことによるのでしょう。おそらく、西欧音楽のような「終止形」はないんだろうね)。

ともあれ、1日の時間によって違っているラーガの内、この曲は「夜」しかも「月の出た夜」に演奏されるラーガのようですので、これからの季節の月を見ながら、曲を聴くのもよろしいのではないでしょうか。

ということで、
(お勧め度★★★☆☆
になりました。

2006年09月19日

「弦楽器」特集(20) − G. アンタイル 『弦楽オーケストラのためのセレナーデ』

16300558.jpgAMERICAN CLASSICS
George
ANTHEIL
Ballet Mecanique
Philadelphia Virtuosi Chamber Orchestra
Daniel Spalding
(NAXOS)


「音楽の不良少年/悪ガキ」"The Bad Boy of Music" (1945年に発表された自伝のタイトルでもある)ジョージ・アンタイル(1900 - 59)、1948年の作品です。

弦楽オーケストラのための作品というと、英国の〈ミニアチュア〉を思い浮かべたりしますが、アメリカのそれはやはり一味違っている。
とはいっても、ちょっと素っ頓狂な感じがあったり、明朗闊達ではあっても、何とはなしに英国の〈ミニアチュア〉をも連想するところがある。
これは弦楽オーケストラのための作品だからなんでしょうか。

しかも、アンタイルの音楽としては、比較的よく聴かれる『ジャズ・シンフォニイ』(1923) や『バレエ・メカニック』(1923 - 24年作曲。1953年改作)とは、まったくといっていいほど異なっていて、作曲者を知らないで聴くと、とてもアンタイル作品とは思えないくらい。

以上の特徴は、やはり作曲された時期と関係あるようです。

アンタイルが、上述したように「音楽の不良少年/悪ガキ」を自称し、ウルトラ・モダニストとしての悪名をほしいままにしたのは、1920年代のことだったようなのね。
この時代には、パリに滞在し、J. ジョイスや E. パウンド、W. B. イェーツなどの文学者、E. サティや P. ピカソらと交友関係を結んでいた。
こういう雰囲気の中にあったのだから、前衛的な作風をより進めていったのも無理はないのかもしれない。

しかし、1930年代に入ると、新ロマン主義や新古典主義を取り入れ始めました。
これは、時代がきな臭くなってきたこととも関係があるのでしょう。
何しろ流れは、「前衛」の時代から、「人民」「大衆」の時代に移っていったんだから(ナチスは「大衆」のルサンティマン ressentiment を組織化してのし上がっていったし、アメリカのニュー・ディール政策もポピュリズムの色彩が濃い)。

というわけで、かつての悪ガキもお行儀がよくなって、1930年代以降は、作風も「穏健」になり、1940年代にはオペラや映画音楽の作曲家として人気を集めていったのです。
そのような中で書かれたのが、この『弦楽オーケストラのためのセレナーデ』。
全3楽章の、耳に優しいセレナーデです。
第1楽章は明朗なアレグロ、第2楽章は落ち着いたアンダンテ、第3楽章はやや苦みのあるヴィヴォ。

『ジャズ・シンフォニイ』 や『バレエ・メカニック』は、ちょっと遠慮を、という方は、最初にこのような作品をお聴きになったらいかがでしょうか。

ということで、
(お勧め度★★★☆☆
にしましょう。

2006年09月18日

「弦楽器」特集(19) − D. バチェラー 『ムッシュー・アルメイン』

5ef9e68b.jpgROBIN IS TO THE
GREENWOOD GONE
ELIZABETHAN LUTE MUSIC
PAUL O'DETTE・LUTE
(nonesuch)


エリザベス1世と、それに続くジェームズ1世の治世は(1558 - 25)、「イギリス・リュート音楽の黄金時代」だったようで、ダニエル・バチェラー(c. 1574 - after 1618) を始め、トマス・キャンピオン(1567 - 1620) やジョン・ダウランド(1563 - 1626)、アンソニー・ホルボーン(1545 - 1602)、フランシス・ピルキントン(c. 1565 - 1638)といった作曲家たちが、多くのリュート曲を作っています。

リュートは、中世から、ルネサンス、バロック時代まで、西洋でよく用いられた撥弦楽器で、日本や中国の琵琶とも祖先(アラビア圏の「ウード」)を共通にしているといわれています。
今日では、多くのリュート曲が、ギター曲に移し替えられて演奏されていますので、元々のギター曲と思われている楽曲もあるかもしれません。

ちなみに、この『ムッシュー・アルメイン』は、村治佳織のギター演奏会でも、開始曲に使われることが多いようなので、タイトルは知らなくても聴いたことのある人もいらっしゃるかもしれません。

さて、作曲者のD.バチェラーですが、その伝記的事実はあまり知られていません。
リュート奏者としては、「女王陛下の私室宮内官の1人」として、1605年から18年まで活躍したこと、作曲家としては、イングリッシュ・コンソート形式(English consort/Morley consort: 器楽合奏に、弦楽器と管楽器というように、異種類の楽器を混ぜる形式)、の成立に重要な役割を果たしたこと、などが知られているだけです。

作品は、1588年に出版された "Walsingham Consort Books" に、前記のイングリッシュ・コンソート形式による "The widowes mite" が、R. ダウランド(J. ダウランドの息子)が1610年に出版したリュート曲集 "Varietie of Lute Lessons" にリュート曲が、同年出版の "A Musicall Banquet" に "To Plead My Faith" という歌曲が、それぞれ残されているそうです。

リュートはギターに比べると、音量は乏しいものの、複弦を持っているため響きの柔らかな音がします。
この『ムッシュー・アルメイン』(「アルメイン」は舞曲のなまえ)も、シンプルかつ典雅な旋律で、しかも刺激的な音があまりしませんので、まるで子守唄のように、心を落ち着かせてくれるようです。
曲自体の展開は、テーマと変奏曲ということになるのでしょうか。
短いテーマですが、そのテーマが絶妙な変化をみせてくれます(おそらくは、演奏者にアド・リブとして任されていたのではないでしょうか)。

演奏のポール・オデットは、17 世紀英国音楽の発掘と演奏法の研究家としても知られ、このアルバムでも、D. バチェラー以外にも、A. ホルボーン、グレゴリー・ヒューイット(1550 - 1617)、トマス・ロビンソン(fl. 1589 - 1610)といった珍しい作曲家の作品が含まれています。

おやすみになる前に聴くには、絶好の1枚ではないでしょうか。

ということで、
(お勧め度★★★☆☆
にします。

2006年09月17日

番外編★ MJQ の "THE COMEDY" を聴く。

62452a71.JPGTHE
MODERN JAZZ QUARTET
THE COMEDY
(ATRANTIC)


今回の日曜日恒例「お気楽」シリーズは、ひさびさのジャズの登場です。

MJQ の数あるアルバムの中では、特に傑作とはいえませんが、ちょっと面白い仕掛けがあるので、これを取り上げてみました。

というのは、このアルバムの全7曲が、すべて「コメディア・デラルテ」 に関連づけられているんです。
まずは、「コメディア・デラルテ」って何という方のために、定義から(別に学術論文じゃあないんですけどね)。
「コンメディア・デッラルテ(Commedia dell'arte)は、仮面を使用する即興演劇の一形態。16世紀中頃にイタリア北部で生まれ、主に16世紀頃から18世紀頃にかけてヨーロッパで流行し、現在もなお各地で上演され続けている。」(Wikipedeia より)

さて、アルバムはと見てみれば、

 1.スパニッシュ・ステップス(Spanish Steps)
 2.コロンビーヌ(Columbine)
 3.プルチネルラ(Pulcinella)
 4.ピエロ(Pierrot)
 5.ラ・カントリチェ(La Cantrice)
 6.ハレルキン(Harlequin)
 7.ピアッツァ・ナヴォーナ(Piazza Navona)

となっております。
この内、第1曲の「スパニッシュ・ステップス」(『ローマの休日』で有名なスペイン階段)と第7曲の「ピアッツァ・ナヴォーナ」(同じくローマのナヴォナ広場)という「コメディア・デラルテ」の行なわれた場所を例外として、他はすべて登場人物というわけ。

簡単に説明すると、
 コロンビーナ:インナモラータに使える女の召使い。アルレッキーノの恋人。
 プルチネルラ:猫背のだまされやすい男。
 ピエロ:「コメディア・デラルテ」ではペドロリーノ。道化役。
 ラ・カントリチェ:女性歌手。
 ハレルキン:道化役。
 
さて、こういった登場人物が出てくるとなると、どうしても、A. シェーンベルクの『ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)』(1912)や、I. ストラヴィンスキーの『プルチネルラ』(1919 - 20) を連想してしまいますな(もっとも、MJQ にそれを思い出させる要素はないけれど)。

これも、20世紀初めのロシア・アヴァンギャルドが、18世紀には衰えていた「コメディア・デラルテ」に注目したのが始まりでしょう(演劇の「身体性」や、演出家メイエルホリッドといったところは、省略ね)。
それが、シェーンベルクやストラヴィンスキーにもつながっているというわけ。

とはいえ、そんなことは、忘れても一向に差し支えのないアルバム "THE COMEDY" です。
安物でも結構ですので、vino rosso でもクイクイと呑みながら、お楽しみくださいまし。