2017年10月06日

何度も何度も記事に埋めてきた曲。自分の目指すところに迷いそうになると聞いて励みにしている曲。
だから、自分の言葉で訳してみる。



今もしも、君がしてきたことへの代償で
少し落ち込んでいるなら
未来が来るのはずっと先だろう

走りだしたいのに
何とかそこに留まろうともしてる
どっちに行こうか決められないから

わかるよ、そういう躊躇ためら
でも僕は置き去りにされるのなんか気にしない
みんな競走しながら生きてるけど
僕が求めてるのは心の平穏を得ることなんだ

yeah !


今、君は登っている
会社のはしごの頂点に向かって
はやく辿りつけるといいね
来る日も来る日も気がつけないけど
こんなことが望みじゃなかったって
そんな日が来たときは手遅れなのに

ためらう気持ちはわかるよ
でも僕は置き去りにされるのなんか気にしない
みんな競走しながら生きてるけど
僕が求めてるのは心の平穏なんだ


前を向こうよ!
前を向くんだ!
yeah, yeah, yeah, yeah


今、誰もが一方的にアドバイスばかりするけど
僕にとっては過剰すぎるし、意味なんてない
多くの人々が生きてるって見せかけてるけど
そうする前にすべきことがあるんだ、ちょっと待ってよ

ためらう気持ちは理解できる
でも僕は置き去りにされるのなんか気にしない
みんな競走しながら生きてるけど
僕が求めてるのは心の平穏を得ることなんだ


前を向こうよ!
前を向くんだ!

前を見て!



前を向いて! は、競争することで自分の後ろに誰かがいることを確認しようとしてる悲しい姿へのメタファーですよね。
そうじゃなくって、君が進みたい方向を見るんだ! ってね。
もちろん、一番の歌詞にもかかっていて、自分のしたことへの後悔(過去)ばかり見るなって意味もあるんでしょうけどね。

だから、take a look ahead には後悔しないように生きよう!
そういう選択を take(掴み取れ)とも歌ってるんでしょうね。


ipsilon at 03:41コメント(0) 


今日は映画評論家の町山智浩さんが、『FAKE』という映画を紹介した音源を紹介したい。

ちなみに町山さんは私の尊敬する一人だ。
映画を作る意味(表現することの本質)をよくわかっており、また映画というジャンルを突き詰めていったことで、政治、経済や社会といった世の中にある全てが繋がっているということに気づき、映画評論家ではあるが、社会全般に対してメッセージを放ち続けている人だ。

ではこの『FAKE』で森達也監督は何を伝えたかったのか?
多分こうでしょう。
白黒思考のような極端な思考が社会を息苦しくしている。
そして、そうした白黒思考を最も助長しているのが「メディア」であり、また多くの民衆がメディアに翻弄され、ちょっと前までは絶賛していたのに、問題があると報道されると、すぐに世論が裏返り、いきなり批判と罵倒をしてしまう現象も社会を息苦しくしているのだ、ということなのだろう。

では、そうした極端にならないにはどうすればいいのか?
一人一人が自分にとっての真実はこれだという信条を持つことだし、そうした個人的な信条を尊重しあうことだろう。
多分、私が出したこの答えらしきものは間違っていないだろう。
なぜなら森さんは町山さんが言うとおり、一貫して「真実はひとつではない」と発信してきた人だからだ。
しかし、人によっては真実は一つであり、事実は人の数ほどあると言う。実際、前記事に埋めた動画内では一般の方がそう言い、「森さん、『真実はひとつではない』なんて言わないようにしてください」と噛みついたりもしている。

そうした会話を聞いていて、私は悲しくなった。
言葉であれこれ定義することが大事なのではなくて、森さんが伝えたいことの本質をこの方は読みとれないのだな……と。
しかしまた、その方もいつかそれがわかる時もあるのだろうな。ちょっとしたすれ違いなだけ。この時はこれはこれで仕方ないことだなと思ったわけだ。人は感情的になると、言葉狩りに走りもするのだから。かくいうわたしだって、未だそういう癖を直し切れていないのだし。

でも大人な森さんは、言われたことに一切抗弁せず、黙って聞いてたのも印象的だったのですがね。
そもそも、森さんは人が話しているあいだ、一切口を開かず、人の話の腰を折らないという振る舞いが素晴らしいなと、前の記事に貼った動画を見ていて感心したんですがね。

なににしても、皆がみなを尊重できる社会になるといいですね。

また、わたしもかつては完璧主義だったし、白黒思考だったので、森さんの伝えんとしたいことはとても納得できる。
ともあれ、やっぱり町山さんは人格者だ。であり、辛口というか馬鹿正直で汚い言葉や暴言も多い。でもだからこそ人間味があって私は大好きな映画評論家なんですけどね。
ということで彼の話す音源をもうひとつ埋めておきます。


ラスベガスの銃乱射事件があって、急きょ予定を変更して銃社会を描く映画を紹介する、今を生きる姿勢、素晴らしいですよね。
というか、映画の評論なんて漫才みたいになっていて、話している内容がほとんど銃社会への警鐘であるところが町山さんらしい。
いえば、町山さんも宮台さんと似ていて、すぐにクズとかクソとかバカとか言うんですけど、まあそれは半分冗談、半分本気だっていうユーモアのあるタイプですね。
嫌なことを顔をしかめて話すと、どんどん空気が濁り深刻になる。だから嫌なことを議論したりするときに限って、ユーモアを放つってことですよね。
極端にならないための智恵といっていいでしょう。

何も出来なくても知ることはできる。知ってさえ何もできないことも多い。でも知ったことを誰かに話していくことはできる。
そうした対話を通してのみ、社会の世論が傾き、少しずつ少しずつ良く変わっていくのだろう。
そんな思いで記事を書いてみた。

ipsilon at 00:12コメント(0) 

2017年10月03日

本来なら、わたしがわたしの言葉で語るべきだが、このことは脳内でなかなかうまく言語化できていなかったものを、映画監督の森達也さんが見事に言語化している動画を見て、感銘を受けたので、その動画を紹介したい。


全編で二時間以上ある動画だが、冒頭の35分だけ見ても十分にポピュリズムの危険性は理解できるので、是非見ていただけたらと思う。
テント村での会話なので、周囲の騒音があるので、全編見るのは結構大変であろうし。

では、生物として弱い人間が集団を作るにさいして、いかなることに気を付ければいいのだろうか?
わたしの思う答えはたったひとつだ。それぞれの人が確固たる自分自身を作り、それを持つことだ。
しかし、かといってその自分という概念で、他社を排除するようなことはしないということだ。
確固たる自分をもちつつ、他者や環境に対して寛容であることだ。

ようは、宮台氏がたまに述べる「共通感覚をもった共同体をどうやって作っていくかが課題だが、その方法は僕自身もまだよくわかっていない」と述べているような集団を作ることに、わたしは賛成だということになる。
宮台氏のいう「共通感覚」というのは、共通利害や共通目標や共通概念ではないのだ。感覚であり皮膚感であり、まずは見て感じられる範囲のことなのだ。もちろん、見える範囲が見えるようになったなら、見えない範囲を想像する力も必要ではあるのだろうが。
別の言い方をすれば、相互に同情しあえる感覚をもったコミュニティーと言えばいいのかもしれない。

非常に残念なことに、アメリカはラスベガスで、米国史上最悪の残忍で残酷な銃乱射事件が起きた。
しかしまたこれもまことに残念なことに、事件が起こってから、被害者に同情できないといった発言がされ、今度はその発言を糾弾する発信がされた……。
また、事件の起こったときにステージにいた出演者は真っ先に逃げたと、そのアーティストを臆病者呼ばわりする発信もあり、様々なことで人々が罵り合い炎上しはじめている。

被害者に同情できない人だっているだろう。そういう思想を持つことも自由だ。しかしそれをわざわざ被害にあった方の周囲が見れる場所で発言する必要はないだろうに……。
すべての自由は保障されなければならないというリベラルな思考には、こうした恐ろしさがあるといっていい。

誰だって自分が一番可愛い。銃撃されていると気づいて逃げ出したからといって責められるべきことなのか? 誰にだって恐怖のあまり、真っ先に逃げ出す生命はあるんじゃないですか? なぜそういうことを汲み上げて「相当に恐かったんだろうね」と同情することができないのだろうか?
正義のヒーローよろしく、自分の命さえかえりみず、まずはそこにいる人々に避難を呼びかけるべきだという思想は、あまりにも強い規制や規則を求める姿勢である。言いかえれば、極右的であり、保守的だといっていいだろう。
だから、私は極右もリベラルも極端に過ぎるのて実際的でないと思っている。双方の思想のいいとこどりをする中道が理想だと思っている。
自由というのは責任を伴うものだと考えているからだ。
思想・信条・言論の自由は保証されているが、他者との関係性を顧みて、言うべきでないことを言わない忍耐力をもっているのが、本当の自由人だと思うのだ。

こうして記事を書いているわたしだって、他人のことをあれこれ言っているのだから同罪かもしれないが、それにして自己本位すぎる発信は悲しいことだ。
「思ったことをその場で発信できるメディア――インターネット――の普及がより人々の恐怖や不安、ひいては怒りを煽れるようになった」という森氏の言葉がそのまま現実になっているわけだ。

また日本のメディアは、なんでも「テロ」という標語をつけて発信したがるというのも、今回事実としてあらわれた。
ISの声明が云々……と記事で発信されていたわけだから。

わたしはわたしなりに考え、最も信頼できるだろうというBBCの報道を読んで、頭の中を整理しましたがね。

しかし、そうしてみると、ああこの犯人は集団化する社会の中で孤立化し、自分が異物であると感じ、しだい次第に世間一般への怒りが生まれ、それが病的なまでに膨らんでしまったのだろうなと思えた。

かくいうわたしだって危ないものだ。
長い引きこもりの間に感じた異端さから、世間に恨み辛みが増して、こんな世界ぶっ壊れてしまえばいい。みんな死ねばいいと思い、実際にそういう言葉を吐いたことなど、一度や二度ではなかったですからね。
だからといって、無差別殺人を肯定しはしないが、犯人が陥っただろう異常な心理状態は理解できる。

しかし私の場合、どんな悲惨な境遇になろうと生命尊厳という信念をある程度のあいだ持ち続けてきたから、無差別殺人をしないで済んでいるだけなのだろうし、軍事オタクからはじまった戦争やそれにまつわる殺害というものをつらつらと見てきたことで、殺される人の立場も曲りなりに理解していたから、無差別殺人をしないで済んだのだろう。

結局のところ、集団主義やポピュリズムを考えていくと、自分(各個人)はどのように生きていくのか? を問わざるを得ないのだろう。
森さんの言うとおり、集団主義に陥り、悲しい出来事が起こるのは、しょせんわれわれ一人一人の責任なのだから。

ヒトラーが編み出した大衆操作をすべて悪いものとわたしは見ていない。
しょせん人というのは、多かれ少なかれ洗脳しあって生きているのだから。
であるならば、よりよい洗脳をしあえるような発信をしていきたいものだと思うのだ。

ipsilon at 22:18コメント(0) 
司馬遼太郎原作の『関ケ原』が映画化され、話題になっている。
そのことに関して、ネット上では「あれが完全映画化? 『葵 徳川三代(かつてNHKが制作した大河ドラマ)』にはとうてい及ばない」などという手厳しい感想を述べている人もいたが、映画を未見なわたしでもそう思った。
というよりも、大河ドラマのように何十時間にわたる描写がされたものと、わずか149分の作品を比べても仕方がないと思ったのだ。

しかし、混迷する現代世界、特に日本を考えるうえで、司馬が描いた関ケ原と徳川家康について考えてみることには価値があると思う。
そういう意味では、『関ケ原』の映画化は、good timing なのではと思うのだ。
もっとも、わたしの考えでは、関ケ原と家康だけを見るのでは、家康の偉大さはわからないという意見なのだ。
余談だが、欧米映画であれば、最悪の事態で人はどう生きるべきかを訴える『ハクソーリッジ』や『ダンケルク』という作品が制作され、話題になっていることも今の時代を写すひとつの鏡といえると思っている。
この二作品は、「どんな状況にあっても、人が人の命を救うことは尊いのだ」ということがテーマになっているのだし。
映画『ダンケル』にあっては、結局のところ、それが例え戦争であっても、人の命を大切にした陣営が勝つということが垣間見れるわけだ。
日本のように「生きて虜囚の辱めを受けず」なんてことを強制する人命軽視をしていたら、何にでも負けるとも言えるのだろう。

ともあれ、日本の歴史全般にあって、関ケ原と家康というのがどういった意味をもつのかを、今考えてみることは非常に大切なことだと思うのだ。

日本の歴史は血塗られている。
ある程度の統一国家のようなものが出来てからというもの、血染めのクーデターが繰り返されてきたわけだ。
古くは中大兄皇子らが政敵である蘇我入鹿を暗殺したことに伴う大化の改新にはじまり、幕末維新、あるいは太平洋戦争まで、日本という国は常に武力や暴力によって変革されてきたといっても過言はないだろう。

もちろん、徳川家康とても武力を用いたことを否定しはしない。
しかし、 司馬の『関ケ原』を読むだけであっても、家康という人物がいかに武力の行使は最後の最後の手段と考えていて、実際にそうした行動をとってきたかは感じられると思うわけだ。
(ちなみにわたしは、この作品を二度読んでいる)

そうした家康に、調略とか狡猾な人身掌握にたけ、狸爺であって、小憎らしいと感じてしまうのも、これはこれで仕方がないとも思う。
しかし、よーく家康を見ていくと、彼はD・カ−ネギーが筆をふるった名著『人を動かす』にある人の心を掴む術で、武力を用いづに平和(均衡)を作ろうとしていたことが見えてくるのではないだろうか。

『人を動かす』の簡単な内容は以前記事にしたことがあるので、これが幾分かの参考になるだろう。


わたしが書いた拙い記事だけを参考にと言われて困ってしまうのだろうが、ともあれ、ひとまず妥協して頂いて、そこに書かれていたことを家康が実践していたかを検証して見ることも価値のないことではないと思う。

そうしてみると関ケ原にしても、大阪の陣にしても、よく家康の心理を読み解いてみれば、本当はやりたくなかった戦だと見えてくるはずだ。
また、良し悪しは別として、家康は江戸時代という約300年間、騒乱のない時代を築いた事実にも注目して欲しいのだ。

無論、鎖国など様々な政策がすべて良いなどとわたしだって思ってはいない。
また、幕末維新を見ればわかるのだろうが、あまりにも長い期間平穏な世の中だったがために、外圧という危機や内乱という危機に対処できなくなる、いわゆる平和ボケ――危機管理に対する鈍感さを日本全土に招いた――という一面もあるだろう。

しかし、日本の歴史の中で、平和や平穏、または均衡を極力非暴力で取りもどした人物は徳川家康くらいしか見当たらないのだ。
平穏だったがゆえに、様々な伝統文化が勃興した事実も忘れてはいけない。それまで敵を殺すための武道や剣道が、心を制御する鍛錬に変わっていったのも、平穏だったがゆえであることも知って欲しい。
「剣禅一如」などといった思想を生みだした柳生宗矩など、その典型といっていい剣豪なのだし。

翻して言えば、幕末維新で人気のある、高杉晋作にしろ、はじめから奇兵隊という武力を用いる方法に走っているし、新選組もまたそうである。
幕末維新の中では、勘違いされている部分もあるが、家康と同じように武力の行使は最後の最後と言う思想をもっていた西郷隆盛でさえ、家康ほど非暴力で事を為せなかったわけだ。いわんや最期は多くの人が知るとおりである。
明治以降の日本政府や国民の支持を見ても、家康のような手法――D・カーネギーが唱えた人心掌握術――を用い、実績を残した人は、ほとんどいないと言っていいだろう。
もちろん、そうした傾向は現代も息づいており、先の安保法制にしろ、特定機密保護法にしろ、共謀罪にしろ、力によって平穏を作ろうとする動きであることは否めないだろう。
少なくとも、それらが人の心を掴み、各人の自律能動性によって導き出されてきたものでないことは確かだろう。

そうなる原因を端的に考えれば、ポピュリズム、集団主義というものだろう。このことは非常に重要なことだが、今回はそれに触れるのは止めておきます。

そんな訳で、今だからこそ、司馬遼太郎の『関ケ原』の原作を読んだり、映画を見たりして、考えて欲しいなどと思うのだ。

もっとも、かくいうわたしなども、いまだ凶暴なところが拭えず、信長、秀吉、家康の三人だったら、信長が超カッコイイじゃん! とか思っちゃうところもあるんですがね。でも本願寺での虐殺とか、すぐに家臣や人質に自決させる性格は嫌いなんですけどね。
しかし、今回こうしたことを考えてみて、家康という人物をもっと知りたくなったことは確かなのだ。


歴史を正しく認識するのは案外と難しい。
司馬の作品にしても、吉川英治の作品にしても、架空の人物というのも登場しますからね。真田十勇士など、江戸時代に作られた架空の人物だらけですからね。
だから、関ケ原と徳川家康を真面目に知ろうと思うと、大変な苦労が必要になる。
それでも片鱗を知り、何かひとつでも世のため自分のためになることを考えてみることに価値はあると思うのだ。

ipsilon at 14:02コメント(0) 

2017年10月02日

《正義》とは、《法》ではない。人間が普通言うところの《秩序》でもない。《正義》とは、《正しくあること》――《均衡》、《釣合いを正すこと》なのだ。

エルリックやエレコーゼの世界観では、物語の一部として語られてきたことが、『ルーンの杖秘録』では実に短い文章で語りつくされていた。
あまりにもあっさりしているので、エルリックなどを読んだことのない人は通り過ぎてすぎてしまうかもしれないが、おそらくこれは、この作品に数ある文の中で、ムアコック渾身のセンテンスといって過言はないだろう。

単語の意味をしっかりと理解していないと、ムアコックの伝えんとしていることは理解できないだろう。
「法(Law)」は、それ自体はなんら能動的とはいえないものだ。
法は守られたり、破られたりすることで、法がもつ意義があらわれてくるのだから、法=正義とはいえないわけだ。

「秩序(order)」は、ようするに筋道、順番が正しいことだ。
料理をするに際しては秩序がいる。食材を集め、それを加工し、加熱や調理、味付けを行い、最後に盛り付けるといったように。
ようするに秩序とは正しい(であろう)順番のことだ。
しかし、正義は正しい順番などでないことなど、少し考えてみれば自明の理であることには気づけるだろう。

したがって、正義とは「釣合いを正す」ことになるわけだ。

言葉というのは、各個人が育ってきた環境によって語義が身勝手にイメージされている場合が多い。
そしてそうした偏ったイメージを正していくために役立つひとつに、外国語にしてみるという方法がある。
もちろん人々が、外国語を習うのは生活のためであり、コミュニケーションのためが目的であろうが、翻訳してみることで、それまである言葉にもっていた間違ったイメージを正すということにも役立てられると思う。

be,do,have――。
例えばこうした単語を学ぶことも重要だといえるだろう。

be とは“ある”ということだ。
do とはそこでなにかを“行う”ということだ。
そして have とはそこで何かを“持つ(所有する)”ということだ。

さて、これらのどれが幸福であり、あるいは正しいのかを考えてみることも無価値なことではないだろう。

ただそこにあるのであれば、失うものもない、また得るものもない。だが、得るものがないということは失う心配や恐怖とは無縁なのである。また、そこに無いと思えば、ないものが欲しくなるという欲望が必ず生まれるのだ。
だから、失うものも得るものもない、あるいはすでにそこにあるもので十二分に満たされていると見ることこそ、「ありのまま」と言えるのだろう。
こうしたことから、“ある”、特に自分が今ここに存在しているということが、最高の幸福であることは理解できよう。

しかし、あるだけでは正義とはいえないわけだ。
なぜかなら、そこにあるということを証明しているのは他者であり、なかんずく環境であるからだ。
そこで登場するのが“行う”ということなのだ。
もっとも、この行うは、ムアコックの言っているように、法を守ることが正義などではなく、いわんや秩序を守ることが正義でもないわけだ。

あまりにも法に照らして厳格であるならば、おそらくこの世に正義の人など一人もいなくなるだろう。
誰でも、一生のうちに懲罰されないような軽犯罪や、悪事を無意識に行っているからだ。
こういうことを考えずに、「とにかく法を厳守すべきだ!」などと言っているのはナンセンスとしか言いようがない。

『ガリヴァー旅行記』にはあらゆる悪が消滅して善しかない世界が描写されているが、法を厳守した正義とはこういう世界であろう。
悪と対比することで善の意味を理解し、見いだせたのだが、悪がなくなり善だけになったがために、善そのものがどういうものかすらわからなくなった……。それが『ガリヴァー旅行記』で語られる世界だ。
悪はとことん滅するしかないんだ! などと絶叫している人は、是非『ガリヴァー旅行記』でも読んで欲しいものだ。
もちろん、ユートピアというのも、そういう世界だ。言えば、お花畑な思想もそういう世界観といっていいだろう。

また、やたらと秩序を持ち出す人もいるが、これもまた正義ではない。
病院で診断の順番を秩序だって待つ。そのとき、後ろに並んでいた人が急変して倒れた。
それでも秩序――つまり順序や筋道――を優先するべきなのか? それが正義といえるのか?
違うでしょう。倒れた人、危急な状態にある人を先に診断し治療するのが正義ではないですか?

映画『スター・ウォーズ』なども、こうした概念をうまく表現しているだろう。
ジェダイ・オーダー。(order=秩序)
しかしそのジェダイ・オーダー(評議会)というのは、あくまでも秩序であって、正義だとまでは言えない。
だからジェダイたちは映画の中で、互いに「May the Force be with you」と言い合っているといったように。
そう「be(あること)」こそ、最も正義に近いからだろう。Force は意訳すれば「叡智」といっていいだろう。

つまり正義とは、生きとしいけるもの、みなが生きていける均衡、バランスを正していくことだと言えるのではないだろうか。


というか、『ルーンの杖秘録』を読み終えて、「次はなにを読もうかなァ」とパラパラとめくったムアコックの『火星の戦士 野獣の都』のあとがきに、素晴らしい一文を見つけ、今はその言葉が与えてくれた感動に浸っている。

一人の人間が、それがいかなる者であろうとも、状況を救ったためしはない。ヒーローといわれる人々は、状況がみずから正すのを助ける人々のことなのだ。

なんと含蓄のある一文であろうか。
ようするに、ムアコックの思う do というのは、こういう事なのだろう。

自分が相手を思って何かをしたから、相手を救えたのではない。そんな風に思うのは単なる傲慢である。
むしろ、相手によって自分が正されていく人と、正されたことによってその人が見せる振る舞いが、ヒーロー、ヒロインなのだと。
もちろん、相手によって正された自分が、相手自身を救うという相互作用があることは、賢いかたなら気づけるのだろう。

ただ、ムアコックの作品の場合、正された人が必ずしも幸福になっていくのではなく、散々苦渋を舐めさせられ、苦悩し悲惨なことになり、ひどい場合は殺害されてしまうから、作品に込められた本質を読み解くのはなかなかに難しいのかもしれない。まあ、スターウォーズもそのように暗い話だし、銀河英雄伝説だって、主人公が悲惨なことになっている訳だが、現実ってのはそういうものでしょう。
例えば、ガンジーであれ、キング牧師であれ、JFKであれ、暗殺されているんですからね。

このように、正義に生きた人々の多くは、外側から見れば悲惨なことになって、とても幸福だったとは見れないからこそ、本当の幸福とは何か? ということに多くの人は気づけないのではないだろうか。

ipsilon at 17:44コメント(0) 
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