2018年11月27日

 それはゲーテが『イタリア紀行(下)』のなかで、自分を見つめていった言葉だ。

 素質は十分にありながら作成し成就したものはいくらもないという結果になっている。精神力の強制によって無理矢理になされるか、幸運と偶然とに支配されて成功したり失敗したりする場合は別として、事物を十分に熟慮してなさんとする時には、いつも私は恐ろしくなって、やり遂げることができなかったのだ。もう一つのこれに近似した欠陥は、仕事や業務に対して、私がそれに必要なだけの時間を十分に費やそうとしなかったことである。私は短時間に非常に多くのことを考えかつ結合し得る天与の幸を享受しているために、一歩一歩事を進めるということは、私にとって退屈で堪らないのである。だが今や自らを匡正きょうせいすべき時がきたのではないかと考えている。


 そう長い文章ではないが、ゲーテが自分を真摯に見つめて紡ぎだした語句の隅々には、鮮烈さが漲っているといえるだろう。素質というのは才能とは違い、誰にでも備わっているものだとわたしは読んだ。よく才能は自分のなかにあると捉えられがちだが、わたしはそうは思わない。才能とは他者と関わっていくなかで、互いの中から引き出しあい、または引き出されていくものだと信じている。しかし素質は個々人誰のなかにでもあると思う。
 また、後半部分でゲーテは「天与の幸」という言葉をつかっているが、これも天才だけに与えられたという意味ではないだろう。誰しもに天から与えられた幸、すなわち生命とか生きているという幸運が与えられていると読むべきだろう。生きているからこそ考えることもできるし、考えたことを実行することもできるのだから。
 それからまた、前半部分で彼が「運命」の存在を肯定していることもわかろう。「精神力の強制によって無理矢理になされるか、幸運と偶然とに支配されて成功したり失敗したりする場合は別として」という部分がそれだ。
 しかし、自分の頭で考え、自分でそうしようとするということは、時間さえかければ、あるいは一歩一歩地道にやりぬいていけば必ずできると気づき、確信しているわけだ。天才といわれるゲーテにしてこの反省である。
 人生にあって最も大切なことは、時間がかかっても一歩一歩地道に、コツコツと事に取り組むことなのだ。

 なぜそいう地道な努力が退屈かといえば、人間は誰しも今やっていることに集中せずに、これをやることによって未来にこうなるかもしれないと恐れたり、あるいはこれをこうやるためにはこれだけの労力が必要だと考えてしまいすぎるからだろう。それが恐怖や退屈、あるいは面倒くささの正体だ。未来に対して考え過ぎたり、思いわずらったりするからだ。取りこし苦労が恐怖や退屈や面倒くささを呼び寄せるのだ。
 そんなわけで、このゲーテの言葉を読んでからは、「地道にやるしかない」とか、取りこし苦労をしている自分を見出したときは、「考え過ぎない、思い煩いすぎない。とりあえずやるんだよ」と自分に言い聞かせている。

ipsilon at 00:00コメント(4) 

2018年10月14日



A wall of denial is fallin' down
拒絶の壁が落ちてくる
Wo it's fallin' so hard down to the ground
おお、それは凄まじく落ちてきて、地面に打ちのめす
Never new somthing so strong
それがどんなに辛いことかは
Could be washed away by tears
涙で洗い流されるまでわからない
But this wall of denial was just build on fear
しかもこの拒絶の壁は恐怖によって作られている

We've all had our demons
俺たちはみな悪魔を飼っていて
From the garden of white lies
そいつは純潔に見える嘘の園からやってくる
Dressed them amused them
着飾って、楽しそうにして
Pullin' wool over our eyes
柔和なウールで俺たちの目を覆いながら
Go so far as to love them
しかも俺たちはそれを愛しさえして
To keep from letting them go
手放そうともしない
All the while they were killing' us
そうして悪魔は俺たちをずっと殺しつづける
But we couldn't let it show
けれども、俺たちゃそれに気づけない

No matter what the trouble
問題がどんなであろうと
We carry' round inside
俺たちはそいつを心に携えて
We're never safe from the truth
真実から遠ざかっていて、安心なんてできやしない
But in the truth we can survive
俺たちゃ、真実なしで生きるなんてできないんだから
When this wall of denial comes tumblin' down
そんなとき、この拒絶の壁が崩れ落ちる
Down to the ground
大地へと

Simple things in life bring the greatest pleaseure
人生にあるシンプルなことが最高の喜びを与えてくれる
A smile, a kiss, a Little baby's laughter
微笑み、接吻、赤ん坊の満面の笑み
It makes no difference if we run away in fear
それは恐怖を手放すことと変わらない
The little things in life hold as so near
わずかなことが人生を身近なものにするんだ

No matter what the trouble
問題がどんなであろうと
Wo we carry' round inside
おお、俺たち悪魔を心に棲ませたまま
(We're)Never safe from the truth
真実から遠ざかっていて、安心なんてできやしないんだ
But in the truth we can survie
真実なしで生きるなんてできやしないんだから
When this wall of denial comes tumblin' down
そんな気になったとき、この拒絶の壁が崩れ去りはじめるんだ
Yeah this wall of denial must tumble down
そうさ、この拒絶の壁は必ず崩れるんだ
Down to the ground
大地へと


この曲の歌詞に込められた意味を読みとるのは相当に難しいだろう。
なぜならこの曲には、彼レイヴォーンが麻薬を断つ禁断症状と戦っていたことを知っていなければならないからだ。

したがって拒絶の壁というのは、いい換えれば自分の思い込みや、身勝手な考えや身勝手なものの見方、つまり身びいきな思想や見解といっていいだろう。
そういう身勝手な思想や見解はすべて恐怖から起こる。
そういう恐怖を追い払うには真実を知ることが一番の早道だ。そういう歌詞だ。

結局のところ、そう見ているのは――ものを歪めて見ているのは――自分だということが真実に気づくということなわけだ。

麻薬が欲しかったんじゃない。酒が欲しかったんじゃない。煙草が欲しかったんじゃない。彼が心の底から本当に欲しかったのはシンプルなもの、微笑、キッス、赤ん坊の無邪気な笑顔、そういうものだったということ。なのに自分に嘘をついて、あれが欲しいこれが欲しい、こうなることは自分にとっての幸福だと自分に嘘をついていたと気づいたということだ。なぜ自分に嘘をつくかといえば、シンプルなものこそが最高の幸福を与えてくれるということを信じられない恐怖心だということだ。

そういうふうに真実から目を逸らすことを「拒絶の壁」と歌っているというわけ。

しかし、そういう真実を知るためには――「涙で洗い流されるまでわからない」という一行が非常に重いわけだ。
本当のどん底に堕ちなければ、つまり絶望を甘受しなければ、人間というのは愚かなもので、自分についている嘘にさえ気づけないってわけだ。


ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょになめなければだめなのよ。
というのは、作家、須賀敦子が結婚してすぐに義母に言われたひとことなんだとか。
ラジオでそういう話を聞いたとき、衝撃をうけて、今でもよく覚えている挿話だ。

まあ、そういうことだ。
なんの屈託もなく無邪気に笑いあっていられる。それこそが最高の幸福だと気づくまでは、散々ぱら辛い思いをしないとならないってわけだ。

けれども人はみな、辛いことを避け、楽しくて気持ちがいいことばかりを求め、本当に自分が求めているものを見ようともしないし、そうやって自分に嘘までついて生きながら死んでいるってわけだ。
なかには自惚れからなのか、自尊心からなのか知らないが、他人をネタにして自己正当化してまで、正しく生きてるとか思い込んでいる人もいるってわけだ。
カッコ悪いと思うけどね、わたしからすれば。


まあここ最近、訳してみた楽曲は In step というアルバムの曲だ。
このアルバムは彼がまっとうな人間になるために運んだ地道な一歩一歩のステップの集大成という意味がある。
もちろん、普通に訳して「足並みをそろえる」という意味に受け取ってもいいのだろうが。
自分勝手に歩くのが人生ではなく、自分と自分を囲む人と足並みをそろえて歩くことが、本当に人生を歩むことだと考えたっていいわけだ。自分だけで生きてるわけじゃない。様々なものに囲まれ、そうしたすべてと共に歩んでいるのが人生だと思ったっていいだろう。

最後を飾る楽曲は、まっとうな人間になった彼が新しく迎えた奥さんに贈ったまことに美しいインストナンバーだ。
静かな川の流れの美しさを思わせる。わたしにはそんな風に聞こえるんだけどね。


Riviera Paradise / Stevie Ray Vaughan and Double trouble

ipsilon at 12:54コメント(0) 


Caught up in a whirwind

つむじ風に捕まって
Can't catch my breath
自分の息さえ掴めない
Nee deep in hot water
熱湯に膝まで浸かり
Broke out in a cold sweat
突然の冷や汗
Can't catch a turtle
亀さえも捕らえられない
In this rat race
火の車のような生活
Feels like I'm losin' time at a breakneck pace
猛烈な早さで時間を失っているみたいだ

Afraid of my shadow
自分自身の影に怯え
In the face of grace
優美な顔をしながら
Heart full of darkness
心は真っ暗で
Spotlight on my face
スポットライトを浴びている
There was love all around me
周りにあるのはすべて愛なのに
But I was lookin' for rivenge
俺はそこに復讐を見ていた
Thank god it never found me
神に感謝だ、俺だけでは決して見つけられなかったから
Would have been the end
きっと知らないまま死んだことだろう

(I was)wallkin' the tightrope
俺は綱渡りするように生きてきた
Stepin' on my friends
友だちを踏み台にして
Wallkin' the tightrope (it) was a shame and sin
綱渡りの人生、それは恥と罪まみれだった
Wallkin' the tightrope between wrong and right
綱渡りの人生、それは善と悪かのどちらかを選ぶということ
Wallkin' the tightrope both day and night
綱渡りの人生には夜も昼もなかった……

Lookin' back in front of me
過去を振り返ってみれば
In the mirror's a grim
鏡に映った顔は惨忍だ
Through eyes of love I see
愛の眼をとおして見たとき
I'm really lookin' at a friends
友だちがありのままに見えたんだ
we've all had our problems
俺たちはみな問題を抱えている
taht's tha way life is
人生を生きることに
My heart goes out of others
誰かに同情したからって
Who are there to make amends
その罪を償えるわけじゃないのだから

We've been wallkin' the tightrope
俺たちはみな綱渡りの人生さ
Tryin' to make it right
善くしようと挑んでる
Wallkin' the tightrope every day and every night
どの昼もどの夜も綱渡りさ
Wallkin' the tightrope bring it all around
あらゆるものに突っかかる綱渡り
Wallkin' the tightrope from the lost to found
失うことで見つけ出せる綱渡りだ
Wallkin' the tightrope stretched around the world
世界中を薄っぺらにしちまう綱渡りをしてるんだ
Wallkin' the tightrope save the boys and girls
けれど、綱渡りしながら、子どもたちを救っていこう
Wallkin' the tightrope let's make it right
けれど、綱渡りしながら、善くしていこうじゃないか
Wallkin' the tightrope do it do it tonight
綱渡りをするんだ、今夜からすぐに、すぐにだ
Wallkin' the tightrope
綱渡りの人生を


この歌詞の真意が読める人はそうとうに賢明な人だろう。
善と悪、愛と憎悪、相反するように見えるものの本質は実は同じだと気づいている人にしかわからないだろう。

しかし真理はそうであっても、結局のところ世の中で生きるとか世の中を善くしたいと思うなら、やはり善と悪のどちらかを選ばざるを得ないという皮肉な苦しさ、誰の人生にも降りかかって苦悩を歌っているわけだ。

つまり、善悪は本来は一如であるという真理を知らないで自分勝手に他人を善だ悪だ決めつけるのではなく、知ったうえで自分の行く道を選ぶのは違うということだ。
だからスティーヴィーはそういう選択の罪は、自分だけが背負うもので、誰かに同情されたり、誰かにそうした罪を償ってもらえるわけじゃないと歌っているわけだ。
したがって、前半に出てくる「恥と罪」ってのは、そういうことさえ知らずに自分勝手に他人を善だ悪だと見てきたことを指して過去の自分を恥じているわだ。
なんと謙虚なんでしょうねぇ。

スティーヴィー・レイヴォーンはこのとき34歳くらいかな。
この曲が発表されたのは1989年。29年も前のことだ。彼がヘリコプターの墜落事故で亡くなったのは、その翌年1990年のことだ。

当時からずっと、ガキくさい思想しかもたなかたわたしには、この曲の歌詞の意味は全然わからなかった。
今なら、その意味が芯からわかるのだが、それまでに25年以上の年月が必要だったというわけだ。


友人のために私がしてあげられる一番のこと、それは、ただ友人でいてあげること。
(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)


ipsilon at 10:51コメント(0) 

2018年10月13日

自分勝手な思い込みと、自己都合の常識でしかものを考えられないとこうなる。

ルソーの『人間不平等起源説』でも読んで勉強すればいいのにね。こんなくだらないこと、自信満々に書くくらいならね。

そもそも、「不平等」というものは自然状態には存在しないんだよ。
ヒトが一人きりで生まれて死んでいくなら、そこには病気だの不平等なんて発想すら起こり得ないことすら知らないわけだ。
なぜなら、比べるべき存在がなにもないからだ。

だから、人間にとって平等や不平等が問題になるのは、ヒトとヒトが関わり社会を形作ることによって、自他の差異に気づき、そこに平等や不平等という概念が生まれてはじめて平等だの不平等というが想念が起こるということだ。
重い病気で長く生きられないとしても、誰とも比べることなくその人自身が自分だけ見ていれば、何の不都合も不平等も存在しないということだ。
重い病気だと判断するには、病気でない人という概念が必要だが、そもそも、どういう状態をさして正確に、「この人は健常です」と決めるんだ? 誰が決めるんだ? お前か? だったらお前は神だな。人を評価し判断し裁いてるるんだからな。それも偉そうにな。
病気で長いこと生きられないって、なんでお前が勝手に決めてるんだ? そもそも、われわれが普段使っている社会的時間の概念でお前は人の寿命を勝手に量るのか? 傲慢きわまりない!!
時間さえ相対的なものであるとアインシュタインが見出したこと知らねーのか? ど阿保。
人間の内的時間をお前が勝手に読みとって長く生きられないとか決めてんじゃねーよ、馬鹿が。
ほんと、頭くんだよ、こういう傲慢の極みみたいな奴はさ。

ていうか、馬鹿にちゃんと説明すんのメンドーだから、たまたま運が悪かっただけって書いといただけだわ。

ともあれ、それだからこそルソーは、本来自然状態にあれば平等も不平等もないのだから、社会を作ることによっても、なるだけそういう自然状態を維持できる方法として、一般契約という思想に重点を置いて『社会契約論』を著したわけだ。

無智なくせに知ったかぶって、そもそもヒトが不平等に生まれてくると思い込んでるなんて、馬鹿丸出しだわ。

とりあえずwikiでも読んで勉強しとけや。一応、以下に引用しておくがね。

元来人間は自然状態においては言語、教育、階層は何もなかったためにそのような社会階層では不平等は存在しなかった。しかし人間が改善能力を発揮し、相互に協力するような理性を獲得すると社会に不平等な階層が生じるようになった。

まあそういうことだ。
平等不平等はもとより、ようするに差別というのは、言語を使うことによって生まれたものなわけだ。
そういうことすら知らないで、現世に限っていえば云々、だから三世の生命観がなんちゃら……馬鹿丸出しだわな。


そもそも仏教の起こりには、俗世間、つまり社会から離れて、自然状態になることによって自由で何ものにも縛られない境地に至る、出家が基本だったわけだ。したがって、法華経の題号もそうなっている。
「清浄な白い蓮華」とは、俗世に染まらないという意味だからだ。

しかし俗世の人びとも、われわれも凄い境地になりたいとかいうから、仕方なく在家信徒も認めるというかたちで大乗仏教が起こったわけだ。だから在家というのは、これこれこういう戒律を守ることで云々という形式主義がはじめからあって、その弊害が、やれ本尊だ成仏だ功徳だといった形式に拘るようになってしまったということだ。
そもそも仏教は――すなわち出家するとは――あらゆる執着、とくに俗物的な執着から離れるということなのだから、在俗のまま現世利益だのに執着していくような大乗仏教が、本来の仏教とはかけ離れた杜撰なものになっていったのは、真面目に考察すればすぐにわかるというものだ。

俗世信徒のほうが偉いだの、やれ民衆仏法だのと、馬鹿らしいにもほどがあるというものだ。
そもそも仏教は、俗に生きることから離れ、あるいは俗世間に生きながらも、決してそういう世間の泥にまみれない生き方をする教えなわけだからね。
したがって、政治に関与するということなど、俗物になりきるに等しいわけだ。
だから、選挙支援なんてやってる団体は仏教教団でもなんでもないんだよ。
仏教徒だと宣いながら、政治や時事問題ばかり発信してる人も同様だ。そんな人は仏教徒でもなんでもない。


だいたいにおいて、仏の智慧ってのは「無分別知」なんだよ。
あれとこれとか、善と悪とか、病気と健常とか、長いとか短いとか見ねーんだよ、馬鹿が!!!

ただそこにいのち――。

そういう風にしか見ないんだよ。阿呆が。
まあ、かくいう俺も、人を阿呆扱いしてるんだから、分別知でものを見てしまってるおたんこなすだけどな。


もともと片腕がなくて生まれてきた人は、そういう状態がその人にとって普通であり、ありのままなんだよ馬鹿が。
だが社会ってのは残酷で周囲の人間は彼を見てこう言うわけだ。
「お前変わってるな、他の人はみんな腕は二本あるんだぜ。おまえおかしいし、不幸だな」ってね。
そういう心ないことを言う馬鹿ばっかだから、もともと片腕で生まれたことがその人にとって普通なことなのに、周囲の声によって自分がまるで不完全であるという卑屈さを身につけてしまうというわけだ。
だから、俺なんてほとほと社会が嫌になってるんだよ。

生まれつき目が見えないのは不幸かい? 違うだろ。
その人にとってはそれは普通のことだからな。
ところがだ、見える連中が差別して見えないことが不幸だと炊きつけてんじゃねーかよ。
うつ病だのなんだの、発達障害だの、統合失調だの……なに勝手に他人を不幸に見て言いがかりつけてんだよってことだ。それがいまのクソみたいな人間社会だってんだよ。

そういうことに気づけってんだよ、馬鹿どもが。
LGBTがどうのも同じだ。

乙武さんは不幸なのかい? 違うだろ。彼にとってはあれがありのままの彼なだけだろ。
違うのかい? 違わねーだろうが。

病気で長く生きられないない人は不幸だとか勝手に決めつけてんじゃねーよ、差別主義者が!!
マジでムカっ腹立つわ。


D・ソローが言ってるのが真理だ。

人生は、地球上で過ごした年数で測られるのではない。
どれだけ楽しんだかで測られるのだ。

人の運命を決定するものは、その人が自分自身を、いかに理解しているかということである。


お前が勝手に他人の幸不幸をはかるなってことだ。
そもそも、法華経にある如来寿量品で説かれてるのはなんだ? 

命ははかりがたい、誰にもはかれない、それほど尊極なものだってあるんじゃねーのか?
そういう法華経に帰依して日蓮仏法云々言っていながら、法華経にある意味も日蓮の真意すら読みとれていないで、我こそは日蓮仏法の正しい信徒で、三世永遠のなんちゃらだとか言ってるんだから、笑うしかないってわけだ。

日蓮曰く――。
命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆえぞかし(可延定業御書)

この『可延定業御書』も、文にある「一日なりともこれをのぶるならば」ばかりを強調して誤解を招いているが、日蓮の真意は「一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆえぞかし」と言っている文脈を読めれば、自他の命を比較して、長い短い、そこから幸不幸を見るような教えが法華経ではないことくらいわかりそうなもんだが。

したがって、寿量品の自我偈のはじめは、「自我得仏来」となっており、自分が自分の命や運命をどう見るかで――ソローの言葉と同じように――幸不幸が決まるとあるのだし、そういうものの見方を皆に教えてあげたいという一文「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」で終わっているわけだ。
毎朝夕に読んできたんじゃないのかい? それでも正しく寿量品の真意すら知らないとか、どんだけ似非仏教徒だったんだろうな……。

こういうことも知らずに、自分勝手なことを言ってるというわけだ。
日蓮や仏教さえ自己正当化するために利用してやがるというわけだ。

ちなみに、『可延定業御書』には、真蹟があるそうだが、日付が記されておらず、いつ誰に書かれたかがはっきりしていない御書だそうだ。 

ipsilon at 09:54コメント(0) 

2018年09月26日



Day by day night after night
ごと夜ごとに
Blinded by the neon lights
ネオン灯で盲目にされてゆく
Hurry here hustlin' there
ここで急かされ、あそこで騙され
No one's got the time to spare
時間に予備なんてありゃしないのに
Maney's tight nothin' free
金に縛られ、自由はない
Won't somebody come and rescue me
誰も助けになんか来てくれない
I am stranded caught in the crossfire
十字砲火につかまって立ち往生さ
Stranded caught in the crossfire
一斉攻撃されて膠着状態さ

Tooth for tooth eye for eye

目には目を、歯には歯をと
Sell your soul just to buy buy buy
良心を売って、かわりに買って、買って、買いまくる
Beggin' a dollar stealin' dime
あぶく銭を求め、はした金を盗む
Come on can't you see that I'm Stranded
なあおい、立ち往生してるのが見えないのか!?
Caught in the crossfire
十字砲火に捉まってるんだ
I am stranded caught in the crossfire
一斉攻撃につかまって膠着状態なのさ

I need some kind of kindness
何らかの親切が必要なんだ
Some kind of sympathy oh no
違う、同情じゃあないんだ
We're stranded caught in the crossfire
俺たちは十字砲火につかまって立ち往生したままなんだから

Save the strong lose the weak
強きを助け、弱気を挫く
Never turning the other cheek
厚かましさは決して無くならない
Trust nobody don't be no fool
誰も信じられないからって馬鹿になることはない
Whatever happened to the golden rule
何が起ころうと、黄金律でいくんだ
We got stranded caught in the crossfire
俺たち、十字砲火につかまって立ち往生なんだ
We got stranded caught in the crossfire
俺たち、一斉攻撃につかまって膠着状態なのさ
We got stranded caught in the crossfire
俺たち、喧々諤々にかまけて行き詰ってる
Stranded caught in the crossfire help me
四面楚歌なんだ、助けてくれ!

※黄金律 あらゆる宗教哲学にみられる垂訓。キリスト教でいう「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」や、仏教にある「自業自得果」のこと。

敬愛するスティーヴィー・レイヴォーンの曲。
彼はコカイン中毒になり、肺にコカインの結晶ができて、それが肺を突き破って死にそうになった。
大好きな音楽で食えるようになり、金に溺れ、欲に溺れてはじめて見た地獄。
この曲は、そこからリハビリして復帰したときのアルバムにある。

薬物による禁断症状との闘争や禁酒はもちろん、最晩年は喫煙にさえ挑みながらの生活のなかでキリスト教に目覚めていったのだそうだ。
歌ではとくに金に対する欲が歌われているが、ようするに我々はあらゆる欲望に絡めとられて、それの十字砲火に晒されているんだと伝えたかったのだろう。

そこから自由になるのは、そんなに難しくない。
黄金律に従えばいいだけ。そういうことなのだろう。
それは、同情ではない何らかの親切なのだろう。

【親切】親切は、「親を切る」という意味ではない。 「親」は「親しい」「身近に接する」という意味で、「切」は刃物をじかに当てるように「身近である」「行き届く」という意味がある。 つまり、身近に寄り添い、行き届くようにすること。相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。


でも、本当の黄金律(親切)っていのは、思想宗教にあるものとバーナード・ショーの言葉、「人にしてもらいたいと思うことは人にしてはならない。人の好みというのは同じではないからである。したがって黄金律というのはないというのが黄金律だ」を併せたものだろう。

つまり、顕在意識としてあらわれる差異を認めあい、無意識が訴えてくる部分は宗教にある黄金律に従えというわけだ。

人それぞれの趣味嗜好、考え方の違いを認めあいつつ、痛いとか寒いとか暑いとか、腹が減ったとか眠いとか怠いとか、トイレに行きたいとか、そういう誰もに共通する部分で助けあっていけと。
あれこれ言葉で凄いことを言っても、ありあまるほど金を与えても意味はない。寒いといってる人に外套を貸してあげるとか、腹ペコな人に弁当を差し入れしてあげるとか、痛がっている人の患部をさすってあげるとか、そういうのを本当の親切というのだ。
ネットで何ができるんだ? わたしがそう言うのはこういう意味だ。
俺のなにがわかるんだ? そう言ってきたのもそういう意味だ。

こんな簡単なことがわからないのが人間。だから人間に絶望してしまうのも仕方がないってわけ。
こういうことがわかって、まだ身近に家族や友人がいるなら、彼らに親切できるうちにしておくことだろうね。いない人は、そういう関係を維持していける友人を見つけ出すといいのだろう。簡単ではないが。
なにしろ、時間に予備なんてないからね。そのときできる親切を金や欲望という天秤にかけて、躊躇することのないように。

前のアパートにいたとき、大家さんが、おにぎりを差し入れてくれたことがある。
そのとき感じた気持ちとありがたさは今も忘れがたい。
ラップに包まれた温かいおにぎりを受けとったとき、あまりのありがたさに、両手で大事そうに持って、頭のうえに差しあげて「ありがとうございます」と頭を下げたものだ。

辛いときに、そういう同情じゃない何らかの親切をうけてみて、生きることにあって何が一番大事でありがたいものなのかがはじめてわかるんだろうがね。

わからない人は、ゴーゴリの『外套』とか読んでみればいい。
アカーキイ・アカーキエウィッチの抱いていた幸福は、物の溢れた日本にいれば瑣末なものに見えよう。でも、彼の寒さを癒せた人は誰もいなんだよ。幽霊になるあたりは、些細に見える幸福にすがることが本来の人間のありかたなのに、それを馬鹿にするような人のためにユーモアたっぷりに描いたんだろうがね。そして、そんな彼が書き残していったものがある意味、永遠に残ったというわけ。誰にだって永遠に人のためになることが出来る。そういう喩え話じゃあないのかい?

『外套』に託された文脈が読みとれる人なら、ドストエフスキーの『虐げられた人びと』も読んでみるといい。
『罪と罰』とかより、よほどドストエフスキーの人間的優しさが溢れているから。

こういうことがわからないから、社会はクソだし人間はクソなんだろ。
イヌやネコを見てみろっての。痛いんだろうなと思うと舐めてあげたり、何も出来ないのに、種を超えて息絶えそうになってるやつの傍にいて見まもってあげたりしてんだろうが。
一方の人間はどうだ? 電気代が払えなくなったからと電気止めて、老いた人を熱中症で殺したり、こともあろうに命の介助をする病院の空調が壊れたのに、酷暑なのがわかってるのに、患者をそのまま空調のきかない部屋に置いておいて、殺したりしてんだろうが。昔の話じゃないよ、今年の夏の話だ。



今できることをする。それ以外に生きている意味なんてありゃあしないのさ。

ipsilon at 15:22コメント(2) 
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