2022年08月15日







 もしも、他人の痛みを自分の痛みとして感受できる想像力がともなわないならば、まかりまちがって、ゲームの論理で戦史をもてあそぶことになりかねない。一般の戦史研究家や軍事評論家とわれわれ平和教育にたずさわる者の立場の相違はこの点にある。
 平和教育が教師の側からの一方通行では成り立たないというのも右の理由からである。戦争の論理、人殺しの論理は “拳拳服膺” 式の注入教育で集団催眠にかければ事足りるであろう。(中略)だが、「抗議して生き残る論理」、つまり平和の論理は、個々の生命の尊厳を自覚し、他者に対する共感と責任の感覚なしには成立しえない。

 過去の戦争の傷をなめあっているだけでは、意味がないどころか、退嬰のそしりをまぬかれないだろう。戦争体験が即平和思想につながると思いこむのも早計である。体験は体験そして重たい意味をもつであろうが、それは客観化され、理論家され、思想の高みにまで鍛錬されていかないのだとしたら、「体験」は個々の肉体とともにやがて風化していくことは確実である。

 だから、戦争とはなにかという問題は、即人間とはなにか、という哲学的な問題にゆきついてしまう。


 (大城 将保『沖縄戦 民主の眼でとらえる「戦争」』)


 それなのに、何と長い間、お互いに日本人とアメリカ人は無駄な情熱を燃やし続けて来たのだろう。これは敗北だ。日本も負けたが、アメリカも負けたのだ。両方とも人間の尊厳に対して敗北したのだ。
 (曽野綾子『生贄の島 沖縄女生徒の記録』)

 人間の尊厳や、哲学的問題というのは、ようするに、人間的に生まれ、人間的に暮らし、人間的に死んでゆくということは、いかなることかを考えるということであろう。
 さらにいうならば、死んでいった人たちをも、人間的視点で見るということであろう。



 戦争は終わったのではなく、人間が勝手に終わったことにしているのだ。
 今でも、戦争のせいで苦しんでいる人がいるのだから。
 そしてその戦争の傷跡は、二世、三世にも及んでゆくわけだから。



 一人で何ができる……。そう思う人もいるだろうが、その一人によって為されることがあるのも、また事実だ。長岡省吾とは、そういう人であったのだから。

ipsilon at 23:29コメント(0) 

2022年07月30日

 最近のネットを中心とする言論空間を見ていると、辟易しかない。
 旧統一教会と政治家の繋がりを批判している人たちを見ると、その辟易は最高潮に達する。

 批判も当然必要だ。
 しかし、猫も杓子も批判、批判、批判という今の言論空間のありようは異常だと思う。
 日本人は感情論で動く傾向が強いので、暴力的ないし攻撃的な批判に走りがちなのは、解らなくもないが、度を逸し、何か大切なことを見失っているとしか思えない。

 つまり、日本人は憐れみの感情を失ってしまっているのだ。

 旧統一教会と政治家の繋がりを批判するのはいいが、それで何かが解決するのだろうか?
 わたしの答えは否だ。
 したがって、なすべき言論活動は他にあると思っている。

 すなわち、旧統一教会をはじめとする、宗教二世や三世たちが苦しんでいる現実に手を差し伸べるのが先だということである。

 現実に出来ることをやろうとせず、出来るかどうかわからない政治と宗教の関係の改革ばかりを叫んでいてどうなるんだ? という話だ。
 なぜ、こんな簡単な事実に気付けないのかと疑問である。

 まあ、言ってみれば、日本人の劣等性というのはそういうところにあるのだろう。
 現実に出来ることからはじめるべきなのに、やれ政治と宗教だ、防衛力の増強だと、観念的かつ抽象的なことを言うことで、さも自分は世の中のことや政治を正確に見抜いていると見られたい虚栄心が、いかに意味のないことかすら気づけないのだから。

 暴力的、攻撃的な批判には、憐れみの感情など存在しない。
 そこにあるのは、社会や他人を支配し、自分の思い通りにしたいという我欲しかない。
 あるいはまた、暴力的、攻撃的批判を発信することで、不安や恐怖から逃れたいという我欲しかない。
 
 しかし、そのような我欲、不安、恐怖の心理から発せられる言動は、スターウォーズのヨーダの言葉にあるように、
 「恐怖は怒りを呼び、怒りは憎しみを呼び、憎しみは苦しみを生む」というものでしかない。
 なぜかなら、そうした心理には憐れみの心がないからだ。

 憐れみの感情なくして、どんなに知性を働かせてみても、民主主義は機能しない。
 ルソーの『社会契約論』の根底には、憐れみの感情があるからだ。
 憐れみの感情なくして、アダム・スミスの言う「見えざる手」が働くはずもないのである。したがって、憐れみのない経済活動は最後には苦しみを生みだすだけである。
 夏目漱石の『草枕』でも、この社会には何かが足りない、それは憐れみであると書かれている。

 しかし、そのようなことを頭で理解している文化人、知識人であっても、昨今のsnsにおける風潮には影響されてしまうようだ。

 感情の回復こそ急務だと言い続けてきた宮台さんにしても、安冨さんにしても、ツイッターは旧統一教会と政治家の癒着ネタで埋め尽くされているからだ。残念至極である。

 結局のところ、一番偉いのは、現に被害にあり苦しんでいる宗教二世や三世に手を差し伸べてきた、被害対策弁護団の人々であろう。
 そうした彼らの口から、「我々の活動が力及ばず、山上容疑者のような人の出してしまったことが悔しい」といった内容が漏れたとき、ああ、自分はそういう問題に目をつぶり、見て見ぬふりしてきたかもしれない……と自省できた人がいったい何人いるのだろうか?

 ツイッターやsnsで、旧統一教会と政治家の関係を批判しまくることで、社会的問題が解決されると思い込むことより、今現実に苦しんでいる人に手を差し伸べる運動が増え、そういう機運が高まったとき社会問題が解決するのである。
 現実に目を向けず、政治や政治家の質が変われば何とかなるなどというのは、不見識極まりないと思うのである。他人が変わる可能性と、自分が出来ることをする現実性、どちらが確実かを考えてみればいい。
 どちらが有効かなど、考えるまでもないことであるからだ。

 しかし、この社会や日本や世界の人々は、現実に苦しんでいる人には目を向けず、政治とか経済とか云々、概念であり思考である可能性に目を向けて、それで世の中が良くなると思っているのだろう。

 そんな世界だから、わたしは人類に希望など抱いていないのである。

 最近のネット言論空間は、2ちゃんねるレベルに落ちぶれた、というのがわたしの見立てだ。
 そこまぜ低俗化したネットにWEB3.0とかメタバースとかいって期待するのも、もはや不可能であろう。

 必要なのは人間の倫理の改革であるということに気付き、努力している人は一体何人いることやら。

 しかし、この暴風雨のようなネット言論空間にあっても、自分と自分の身の周り、あるいは自分が関係していることに視線を注ぎ続けられる人もいる。成田 悠輔さんのツイッターはその意味で亀鑑であると思う。
 彼のツイッターを見ていると、自分をつらぬきつつ、ほんわかとした雰囲気で自分を見せていて、癒されるのだ。



 成田さんは物事を良く見抜いてると思う。
 要するに議論するにあたっては「why so ?」「so what ?」「ture ?」というプロセスを皆が共有することが目的であり、議論の勝ち負けとか結論を出すとかいうのが目的ではなく、現状そのように議論を導ける人が少なく、かつそのようなプロセスを見せる議論こそ重要だと理解している人が、全体の0.1%だという指摘はしごく的を射たものだと思う。
 先に述べた「why so ?」「so what ?」「ture ?」というのは、ようはアリストテレスの三段論法に見られる特徴なのだが、んまぁ、そういうこと知ったうえで、論理的に議論できる人はほぼいないというのは事実であろう。
 (現にわたしなど、今までそういう人に出会ったことがない)

 実際問題、何度もここで、「why so ?」「so what ?」がなければ論理ではないと述べてきたが、一向に伝わった気配を感じてこなかったのである。

 簡単にいえば、論理(議論)というのは、大前提、小前提、結論によって構築されておらねばならないし、かつまた、結論が大前提、小前提からズレていないか? という点検があって、はじめてまともなプロセスを踏んで組み立てられた論理であるということだ。
 欲を言えば、こうした論理構築にあたっては、更には、抜け洩れ、ないしは重複がないかを確認することも大事なのである。

 とまれ、簡単に言えば、大前提、小前提、結論は、それぞれ「why so ?」「so what ?」「ture ?」という項目によって関連づけられていなければ、それはもはや論理ですらないということである。

 んま、こんなことを知ったうえで、きちんと議論できる人は、成田さんが言うとおり、僅少なのは確実だろう。

 さらに踏み込めば、そうした議論をする基盤には、カント哲学があって、我々の感性、悟性、理性というものがどういうものかを知っていいるという前提も必要なのである。
 なぜなら、大前提、小前提、結論を論理的に語るには、概念化やカテゴリー分けが必須であり、それらは、感性、悟性、理性によって立て分けられた共通理解でなければ、議論の基盤が揺らいでしまうからだ。

 てなわけで、成田さんの言う、0.1%説には、非常に説得力があるのだ。


 余談だが、成田さん、この時なのかな? 収録後、宮台さんとはじめて食事にいって、いろいろ話したらしい。
 で、成田さん曰く「あの人(宮台さん)は、優しい言葉をつかって、みんなに教えようという気が毛頭ないだけなんだよね」と言っていて、笑ってしまった。
 わたしは宮台さんの言ってることが理解できるようになろうと、相当に勉強してきたので、成田さんの言う部分にも一理あると思うのだ。
 誰もが勉強すれば宮台さんの言ってることが理解できるようになれるとは言えないと考えるからだ。
 だからこそ、成田さんは教育とメディアが問題だと言ってもいるのだろう。
 しかし、他人任せはどうなんだろうと考え、なるべく多くの人に伝わる話し方を心がけている成田さんは、偉いと思うわけだ。

 宮台さんの、バカって言われるのが嫌なら勉強しろよ! という気持ちもわかるし、成田さんの優しさもわかるので、どっちが良いとか言えないんだけどね。
 でもまあ、ここまで教育制度が腐ってると、成田さんのやり方のほうが現実的だとは思うのだ。

 無論、そうなると、この人(成田さんのような人)に教えてもらえばいいやという甘えを生み、自ら勉強する気を起こさない人を大量に生むという結果もありえるわけで。実際、ここのところの成田さん人気というのは、そういう心情に支えられているのだから。

 どちらにしても、こういう問題は、痛し痒しなのであって、それぞれが主体的にどちらかを選ぶ以外に道はないのだろう。

ipsilon at 08:14コメント(0)随想 

2022年07月05日

 権力者が定期的に選ばれるようになると、政治は必然的に利害関係者による運営という形をとる。すなわち、政治生活(つまり政治権力への参加)にとくに関心をもつ比較的少数の人たちが、自由勧誘という方法で部下を調達し、自分や子分を候補者に立て、資金を集め、票集めに乗り出すようになる。大きな団体でこういう運営がない場合、どうしたら選挙がてきぱきとできるというのか。それこそお手上げというものである。この利害関係者による運営は現実の問題として、有権者を政治上の能動分子と受動分子とに分けることを意味するが、もともとこの区分が各人の自由意志に基づくものである以上、それは、選挙義務制や「職能」代表制、その他、このような事態の是正(つまりは職業政治家の阻止)を公然と掲げあるいは事実上狙った・どんな提案、どんな措置によっても、除去できない。
 (マックス・ヴェーバー『職業としての政治』)


 現にこうなってしまい硬直化しているのが、現代日本の政治状況だ。
 では、ヴェーバーの言っていることを除去するにはどうすればいいのか? 
 簡単である。受動的になってしまった有権者が能動的になり、硬直化した職業政治家たち(もはや政治家ですらなく政治屋・選挙屋になっている人や、新たに政治屋・選挙屋になろうとしている候補者)を落選させ、新たな政治勢力を政界に送り込むことだ。
 つまり、現在の政界に対して利害関係をもたない政治家を政界に送りこむのである。

 今の日本で、そのような候補者を一番多く立てているのは、れいわ新撰組である。
 既得権をもつ企業からの寄付ではなく、市民たちのボランティアや寄付に頼っているれいわの姿勢を見れば、そのような点は一目瞭然である。

 無論、れいわ新撰組であっても、いつかは利害関係をもつ政党になる可能性は否定できない。その点に関しては、ヴェーバーのいう通りである。だが、現時点でそうした杞憂は必要ないだろう。
 そうななったら、そうなったとき、今度はれいわに変わる利害関係のない議員を選べばいいだけだ。

 何にしても、政治において重要なのは、政治家の新陳代謝がつねにあることである。
 2世議員、3世議員、30年も40年に議員でありつづけ、沢山の利害関係を守る保身しか考えていない議員を落選させることである。
 そしてまた、利害関係で結びついた大企業と官僚と政治家の癒着というシステムをぶち壊して、あらゆる人が政治的利益をうけられるような流動性という新陳代謝をとりもどすことにある。

 人間の身体だって同じだ。新陳代謝ができなくなった身体は、やがて壊死するのだから。
 政治の世界も同じだ。現在の利害関係にしがみついている大企業と官僚と政治家の癒着という壊死を起こす原因に、選挙という医学的処置を施すしかないのだ。

 ふつう病気になれば、人間は病院に行くものだ。病状が悪化しても放置しておくような人はまずいない。選挙もそれと同じだ。日本という国が重病になってもはや入院や大手術が必要なときに、受動的になって選挙という病院にすら行かないとか、病気に例えて考えればありえないことだ。

 とりあえず、選挙に行こう!

 そして、現政権に利害関係のない候補者を選んで投票するのだ! 死に票になることを恐れるな! それこそ利害を求める感情であるからだ。利害関係のある政治的視点を捨てるのだ!
 受動的でありつづければ、日本の病気はどんどん悪化してやがて壊死するだけなのだから。

 政治の世界も「諸行無常」であらねばならぬのだ。
 現状維持を望むものは、やがて滅びるのである。

 先ごろ、音楽4団体が、自民党を支援すると発表した。
 もはや日本は救いようのないところまで来ている。音楽は文化であり芸術である。芸術とは真と美を追求し、利害関係を顧慮せず忖度もしないものである。そのような真と美を多くの人に届けんとする志を失った音楽には、もはや芸術性などないのだ。
 日本人は本当にどうしようもないくらい利害しか考えていない。
 そうした選択の結果、国が亡ぶことを知らないというのは、恐ろしい不見識である。

 今こそ、空気も情勢も読まない政治家が必要なのである!
 今こそ、空気も情勢も利害すらも顧みない投票行動が必要なのである!

ipsilon at 04:31コメント(0)随想 


ipsilon at 03:59コメント(0) 


 日本の子どもの7人に一人が貧困というデータがある。
 貧困、すなわち餓えほど人間性を奪うものはない。
 大人が餓えることも悲しいことだが、自分がなぜ餓えなければならないのかを的確に、あるいは政治的に分析できない子どもが、理由もわからずに餓えに苛まれることほど悲しいことはない。
 理不尽な餓えに苦しんだ人間が抱え込んだ、やりばのない怒りはやがて社会への復讐となって、無差別殺人などを生むことだろう。

 教育? 確かに教育も重要だ。
 しかし、餓えていて頭が朦朧とするような子どもがまともに教育を受けて学べるはずがないなど、考えればすぐにわかることだ。
 日本には、義務教育という制度がある。しかし、その義務教育というものは誤解されている。
 子どもが教育をうける義務だと。だが、それは間違いだ。大人たちや社会の側が、子どもたちに満足ゆく教育を受けさせる義務があるというのが、義務教育の意味だからだ。
 だから、教科書を無償配布しとけばいいとか、そんなレベルの話ではない。
 あるべき義務教育というのは、大人たちが、すべての子どもの衣食住と教育を満足させることにあるのだ。
 日本の教育環境がそうなっているかどうか、考えてみるがいい。答えは否である。

 高度に電子化され、社会はどんどん複雑化してゆくなかで、いまだに義務教育を小中学校だけに限っている日本は時代遅れな国である。
 高校も義務化、大学の半義務化くらい、やるべきである。
 大学にいけば借金を抱えざるを得なくなる、恐ろしい国ニッポン。

 そんな稚拙な教育制度から、優秀な人材など育つはずがない。
 稚拙な人間しか育たないなら、社会に優秀な人材が行き届かなく改革も進まない。権力者に媚びて社会の奴隷や社畜なることを厭わない、知恵も勇気もない人間が未来を引き継ぐことにしかならない。
 そんな状況をいまだに変える気がないニッポンの未来は絶望的だ。

 しかし、そんな教育への議論をする前に、やるべきことがある。
 子どもの貧困の撲滅である。
 心ある民間人が子ども食堂をやらざるを得ない気持ちになる国に未来などない。
 なぜ、政府がまともな政策を施さないのか理解できない。

 少子化が問題だと言いながら、子どもの貧困にさえ手を差し伸べない自公政権と、だらしないのない野党。
 少子化以前の問題にさえ現実的な対応ができない政治が、少子化対策などできるわけがない。
 今目の前で餓えている子どもさえ目にはいっていないのに、これから生まれてきくる子どものための議論や政策など、妄想のようなものだ。

 目を覚ませ!

 餓程悲しきはなく、餓程恐ろしきはなし。人肉を人に喰らわすは餓なり。バスチールを毀たしめしものも餓なり。
 愛国、忠君、其は君が説くに任す。
 願わくば陛下の赤子をして餓へしむる勿れ。

 (『國家と個人』徳冨蘆花)


 わたしが買い物に行くスーパーのレジには、子ども食堂用の募金箱が置かれている。
 しかし、民間の努力には限界がある。だって、その民間の人びとの大人たちだって、生活が苦しいというのが国民の約半数なのだから。
 しかし、政治はなにもしない。こんな国から、まともな人間が育つわけがない。

 餓えている子どもがいるのに、防衛費倍増だと!? 馬鹿なのか、阿呆なのか、狂人なのか?
 そういう政策を推し進めようとしている現政権は、ガダルカナル島で餓えている兵士がいようと、見向きもせずに食料一つ送らず見捨てて、名誉のために玉砕せよ! と命令するようなものだ。
 インパ−ル作戦を実施しようとしている現政権なんか、クソのなかのクソだ!

 一昨日買い物にいったとき、ベビーカーを押しながら買い物をしているお母さんを見かけた。買い物の途中で、足を止めて大きなタオルを赤ちゃんにかけていた。買い物していても子どものことを最優先していた。レジで計算を待つあいだ、そのお母さんはベビーカーを揺らして、赤ちゃんをあやしてもいた。何をやっていても子どもを優先しているその姿に、わたしは心を打たれた。



 水道橋博士が当事者となったスラップ裁判ももちろん問題だが、先ごろ国会を通過した「侮辱罪」もまた恐ろしい。「侮辱」という言葉の概念があやふやで恣意的に解釈できるからだ。しかも侮辱罪には教唆・幇助という恐ろしい内容を含んでいる。だから、権力者は、多数のデモ参加者を一斉に侮辱罪で訴えることが可能なのだ。ある意味では、水道橋博士の言っている、リツィートした4000人も一斉に侮辱罪で訴えることも可能だということだ。自分は何も発言していない。ただ水道橋博士のツイートをリツィートしただけ、PCやスマホでツイッター画面のイイネをポチっとしただけであっても、教唆・幇助となる可能性があるからだ。

 こんな恐ろしい侮辱罪を平気な顔をして通してきたのが、現自公政権である。
 なにが、新しい福祉・教育・平和を作る公明党だ。笑わせるな! 噴飯ものだ!
 教育基本法の改悪に賛成し、福祉への財源を減らすことに賛成し、核拡散防止条約への署名もしなかった与党にいつづける公明党。選挙が近づくと耳障りのいいことを言い、節電に協力した人にはポイント付与だ、笑わせるな。その裏にはマイナンバーカード取得と銀行口座のひもづけという義務を課してくるという狡猾な制度。そんな馬鹿げた政策を全力で応援する人たちは狂人だ。
 本気で節電に協力してもらいたいなら、何の箍もはめずにやるべきだ。なぜ、交換条件のような項目を設けるんだ? 本当に姑息で気持ち悪い、利害損得しか考えてない連中である。

 で、そうやって集められた個人データを監視し管理することすらできずに起きたのが、尼崎のUSBメモー紛失未遂事件である。行政からの下請けやデータ管理ソフトを設計する業者も、数十年にわたって90%が固定的であり、既得権益でしかないという事実。何か真新しいことをやっているように見えても、現政権のやっていることは既得権益を確保しつづけるという行為でしかない。
 こんな阿呆な構造やシステムを肥やすための政策が、節電におけるポイント配布だろうが。
 騙されちゃーいけないのだ!


 侮辱罪について詳しく知りたい方は、この動画を見てみるといい。
 ちなみに、動画で説明している米山氏は、水道橋博士のスラップ裁判を引き受けている弁護士でもある。

ipsilon at 02:31コメント(0)随想 
プロフィール

イプシロン(シンジ)

カテゴリ別アーカイブ
記事検索
最新コメント
ギャラリー
  • 小自分史(1)
  • Thank you my girl
  • 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
  • 勝利のアクビ
  • 一瞬の憩い
  • 笑顔は美しい
  • 4つ目の自分
  • 4つ目の自分
  • 3つの自分
  • アリイ 1:48 三菱零式艦上戦闘機52丙型(a6m5c)
  • ハセガワ 1/700 病院船「氷川丸」 竣工
  • フジミ 1/72 空技廠 零式小型水上偵察機(E14Y) 完成
  • ハセガワ 1/700 重巡洋艦「古鷹」 完成
  • スケッチ アミダラ女王
  • 静止した時間
  • 蝶
  • 祈り
  • チャム・ファウ
  • どこかのお家の猫ちゃん
  • 「みちくさ」
  • ザハロワは美しい!
  • デジ絵「星座と少女」(完成)
  • チュチュがじゃまだよ〜
  • アティチュード
  • 瀕死の白鳥
  • デジ絵「夏の風」(完成)
  • デジ絵「風」(完成)
  • デジ絵 ランカ・リー(完成)
  • 栗木さん 応援イラスト
  • イラスト「天使」
  • 水彩画 愛嶋リーナ 完成
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「graduation 」
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「アメジストの祈り」
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「初雪」
  • 水彩画 愛嶋リーナ
  • デッサン 愛嶋リーナ
  • 水彩画 アリスとネズミ
  • イラスト アリスとドロシー
  • イラスト 眠そうなネフェルタリ
  • スケッチ 微笑の国の人
  • なんでだろうう? と思うこと
  • スケッチ アソーカ・タノ
  • スケッチ ライオン
  • 3DCG X-Wing fighter
  • 3DCG X-Wing fighter
  • 3DCG 缶コーヒー"カフェバニラ"
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • スケッチ 騎士の左腕
  • アーソウカ、、だった!
  • スケッチ 懐かしのアイツ
  • ニャンとも言えない気持ち
  • 旧作 ペン画
  • デッサン ドイツ兵 in 1944
  • 水彩イラスト ニホンカモシカ
  • デッサン アフリカゾウ
  • 水彩画「水辺の豹」
  • 習作デッサン「豹」
  • 旧作 Gジャンガール
  • イラスト「蜜虫」
  • 「ネフェルタリと豹」下絵
  • イラスト「ネフェルタリ」
  • 水彩画 「装身具をといたクレオパトラ」
  • デッサン+色鉛筆 眼
  • スケッチ 「装身具をといたクレオパトラ」
  • 習作 ネフェルタリ 下書き
  • デッサン 眼
  • デッサン途中 布の研究
  • 旧作 F-4E"Phantom2 & F-5E"Tiger2"
  • 旧作 F-4E"Phantom2 & F-5E"Tiger2"
  • デッサン チャイナドレスの子
  • スケッチ クレオパトラ
  • 水彩画 死せるクレオパトラ
  • スケッチ クレオパトラ
  • デッサン 小野田寛郎さん
  • デッサン 猫
  • デッサン Diane Kruger
  • デッサン ベッキー・クルーエル
  • デッサン 中澤裕子
  • ベッキー デッサン
  • 萌えキャラ 線画 修正 その1
  • 萌えキャラ 下塗り
  • デッサン 杉崎美香 8時間目
  • 習作 フォトショップ 萌えキャラ風塗り
  • デッサン 杉崎美香 6時間目
  • 欝
  • 習作 水彩 その1
  • デッサン 杉崎美香 4時間目
  • 習作 小池栄子 その1
  • 習作 杉崎美香 その4
  • 習作 Face
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 杉崎美香 その3
  • 習作 杉崎美香 その2
  • 習作 その4
  • 習作 杉崎美香 その1
  • 習作 その2
  • 習作 その1
  • 習作 その1
  • 習作 その1
  • 好き好き大好き
  • 電話中
  • βズガイキング
  • モー様の絵 ハケーン!(笑)
  • Mクン 見っけた!(笑)
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ