2016年08月08日
ゲーテ『イタリア紀行(上)』忘備録(1)
ゲーテおじさんが好き勝手いう紀行文です。楽しみにしていた作品のページを繰りはじめました。
この約2年間のイタリア旅行で、ゲーテおじさんは自分自身を取りもどしたことは有名なエピソード。この旅行で、おじさんの生命にルネッサンスがあったからこそ、後の名作を残すことができたといわれている。
それまでのゲーテおじさんは、その才能から、請われてワイマール共和国での閣僚生活を10年間送ってきた。その間、人妻シャルロッテ夫人との恋をはじめ、やればやれほどゲーテおじさんを苦しめた政治家としての仕事にやつれ、芸術的想像力は枯渇寸前まできていたとさえ言われている。
しかしまた、この政治家時代に積み上げた膨大な知識が、ゲーテおじさんが本来の自分自身にもどったとき、最もおじさんをおじさんらしくしたと見ても間違いはないのだろう。
「もう政治なんてしたくなの! ないの、ないの! 逃げ出してやるー!」
ゲーテおじさんをバネに例えるならば、ワイマール時代はバネが圧縮されて縮みきっていく時代といえよう。そして遁走することを打明けたのは信頼できる秘書一人というあり様で、さながら夜逃げのように出立したこのイタリア旅行で、縮みきっていたバネがびよよ〜〜〜んと伸び、文字通り伸び伸びとした、本来の人間ゲーテに再生したといえよう。
人間には向き不向きがある。また、本物の苦労は人間を大きくするという見本がここにあるといっていいだろう。
イタリア旅行から帰ったゲーテが、政治の世界に戻ることは二度と再びなかったのである。
「誰があんな仕事なんかやるか! 頼まれたって厭だもんねー! あっかんべーだ! ペッペッ!」
とゲーテおじさんが言ったかどうかはわからない。だが、本来のおじさんは向日葵のように光へと向かって歩む自然児であるから、多分、言ったと勝手に想像しておくことにしよう。
午前3時に逃げ出した冒頭のシーンから、すでにおじさんがどれだけわくわくしていたかが伝わってくる。
しかしそこには自分を信頼してくれた親切な人たちへの感謝の気持(平易にいえば義理)を忘れていない一文が見られた。さすがはゲーテおじさんだ。
旅をはじめたおじさん、まるで子ども。
これまで興味をもって知ってきたことを、風景の中に見てゆく。お天気、山、それぞれの地域の風土や地質、その土地の人柄などなど。
この時点でゲーテおじさんが、いかに幅広いことに興味をもって学んできたかがすでに伝わってくる。
特に面白いのは、あの土地は玄武岩だとか、石灰質だとか、片雲母でできているだとか語るあたり。
すべての生命は大地から生まれるということを直感的に感じていた詩人ゲーテらしい一面なのだろう。
様々にうつりゆく山の天気にも、おじさん、興味津々なのである。
大気は大気の自由気ままさから、山の天候が移り変わるのではない。大気もまた、すべてを生みだす大地、つまりは山脈によってその生の形をきめているのだ! と感動を改たにするおじさん。
実に仏法的なものの見方なのである。
何事も単独で存在しているものなどない、そういう見方をするのがゲーテおじさんなのだ。
途中、馬車に乗りあう人、歳の市で見かける人々、そうした人間への観察眼も実に鋭い。
そして正直に、
「あのね、なんか変わった人に会ったよー!」
とか、
「この辺の人は貧相! きっといいもの食えてないんだ!」
とかなんとか子どもっぽく無邪気なのがおじさんのいいところ。もちろんそこには、その土地の食文化がいかなるものかを知っているおじさんの知識と、
「もちっといいもの食べればいいのになぁ……」
と思いながらも、その土地その土地の食生活や伝統を尊重する目線で眺め、干渉しすぎず、
「なんでもっといいもん食べないの?」
と質問する優しい眼差しもあるわけだ。
ほんといいおじさんだなぁと思うわけです。
であっても、
「でもおじさんは思ったんだなぁ、もっといいも食えばいいのに! って」
と、あくまで自分を曲げない頑固おやじ。
しかしそれは、あまりに貧相な民衆の体つきを見つづけてのおじさんの慈悲心なのだろう。
月は、ゲーテの生きた時代18世紀と変わらず、
僕らに微笑みかかけている。
そしていよいよイタリアの遺産、円形劇場に到着!
ゲーテ節が炸裂します!
けだしこういう円形劇場なるものは、元来民衆自身をもって民衆を驚歎せしめ、民衆自身をもって民衆を楽しませるように作られているのである。
「なんだ! なんか面白いことやってるらしいぞ!」
そうした声に引かれて沢山の人が集まってくる。
前に人がいて見えないと思う人は、それぞれに箱やらなにやらを持ち寄り、それに乗って見ようとする。
こうした民衆のあるがままの営みでスタジアムのような外周が次第に高くなっていく人垣ができた。
結局、スタジアムや円形劇場といった建築物は、元来、こうした民衆の自然な営みの形を模したものにすぎないのだ、とおじさんは見るのである。
そうだったのか! 目から鱗なのだ。
というよりも、そうした民衆主義でものごとを見るおじさんがスゲーよ!
と、わたしは感動しましたけどね。
なぜ、そういう見方ができるのか?
建物を建物として見るのではなく、そういう形になっていった奥底に民衆が求めた心があったと見れるのか?
ではここで、ご本人、ゲーテおじさんにインタビューしてみよう。
「どうなんですか?」
「現在の私としては、本でも絵でも与えてくれない感覚的印象が大事なのだ。肝要なことは、自分が元通りの世の中に関心を抱き、自分の観察力を試験し、自分の学問や知識がどの程度のものであるか、自分の眼が明澄純粋であるか、どれくらいのことを自分は束の間につかみうるか、自分の心情に刻印された皺を元通り消し去りうるか否か吟味することである」
「…………」
なんだかんだいって、ゲーテおじさんはやっぱり凄いのだ!
つまりは、すべては自分がどう感じているかだ、ということを言ってるのですがね。
そして偏見を正せとも、最後に言ってますがね。
とにかく、地名や人名がぞくぞく登場するので、ちゃんと調べながら読めば、非常に有意義ではあるだろうが、わたしはそこまでは出来ていない。
でも、建物などを見て歩きながら、おじさんが文句ブーブー好き勝手いうのが、なんとも楽しい。
「こんなとこに門作ってさぁ、馬鹿なんじゃないの!? これ作ったのきっと貴族だね!」
とか、
「ここにこういう形式の柱を建てたのは見事だね、調和がわかってる!」
とか、
「どうしてこんな柱ここに建てるかねぇ……阿保だね」
などなど、もうおじさん、言いたい放題!
でも、あくまでも自分の感覚を信じ、民衆の側に立ってもの言いをするおじさんが素敵!
先生は、学生との会話で、読書について、
「一流の本とはどのような本を指すのですか?」
と質問されたとき、こう答えている。
あなたが読んで素晴らしいと思った本が一流なのです。(趣旨)
――と。
なかなかどうして、われわれ凡夫は自分の感覚を信じることが難しいのだが、ゲーテおじさんを見ていると、先生のいわれたことを実践してるなぁと、つくづく思うのである。
まさに魔法の時間――Magic hour ! ピンボケだけどね!
この約2年間のイタリア旅行で、ゲーテおじさんは自分自身を取りもどしたことは有名なエピソード。この旅行で、おじさんの生命にルネッサンスがあったからこそ、後の名作を残すことができたといわれている。
それまでのゲーテおじさんは、その才能から、請われてワイマール共和国での閣僚生活を10年間送ってきた。その間、人妻シャルロッテ夫人との恋をはじめ、やればやれほどゲーテおじさんを苦しめた政治家としての仕事にやつれ、芸術的想像力は枯渇寸前まできていたとさえ言われている。
しかしまた、この政治家時代に積み上げた膨大な知識が、ゲーテおじさんが本来の自分自身にもどったとき、最もおじさんをおじさんらしくしたと見ても間違いはないのだろう。
「もう政治なんてしたくなの! ないの、ないの! 逃げ出してやるー!」
ゲーテおじさんをバネに例えるならば、ワイマール時代はバネが圧縮されて縮みきっていく時代といえよう。そして遁走することを打明けたのは信頼できる秘書一人というあり様で、さながら夜逃げのように出立したこのイタリア旅行で、縮みきっていたバネがびよよ〜〜〜んと伸び、文字通り伸び伸びとした、本来の人間ゲーテに再生したといえよう。
人間には向き不向きがある。また、本物の苦労は人間を大きくするという見本がここにあるといっていいだろう。
イタリア旅行から帰ったゲーテが、政治の世界に戻ることは二度と再びなかったのである。
「誰があんな仕事なんかやるか! 頼まれたって厭だもんねー! あっかんべーだ! ペッペッ!」
とゲーテおじさんが言ったかどうかはわからない。だが、本来のおじさんは向日葵のように光へと向かって歩む自然児であるから、多分、言ったと勝手に想像しておくことにしよう。
午前3時に逃げ出した冒頭のシーンから、すでにおじさんがどれだけわくわくしていたかが伝わってくる。
しかしそこには自分を信頼してくれた親切な人たちへの感謝の気持(平易にいえば義理)を忘れていない一文が見られた。さすがはゲーテおじさんだ。
旅をはじめたおじさん、まるで子ども。
これまで興味をもって知ってきたことを、風景の中に見てゆく。お天気、山、それぞれの地域の風土や地質、その土地の人柄などなど。
この時点でゲーテおじさんが、いかに幅広いことに興味をもって学んできたかがすでに伝わってくる。
特に面白いのは、あの土地は玄武岩だとか、石灰質だとか、片雲母でできているだとか語るあたり。
すべての生命は大地から生まれるということを直感的に感じていた詩人ゲーテらしい一面なのだろう。
様々にうつりゆく山の天気にも、おじさん、興味津々なのである。
大気は大気の自由気ままさから、山の天候が移り変わるのではない。大気もまた、すべてを生みだす大地、つまりは山脈によってその生の形をきめているのだ! と感動を改たにするおじさん。
実に仏法的なものの見方なのである。
何事も単独で存在しているものなどない、そういう見方をするのがゲーテおじさんなのだ。
途中、馬車に乗りあう人、歳の市で見かける人々、そうした人間への観察眼も実に鋭い。
そして正直に、
「あのね、なんか変わった人に会ったよー!」
とか、
「この辺の人は貧相! きっといいもの食えてないんだ!」
とかなんとか子どもっぽく無邪気なのがおじさんのいいところ。もちろんそこには、その土地の食文化がいかなるものかを知っているおじさんの知識と、
「もちっといいもの食べればいいのになぁ……」
と思いながらも、その土地その土地の食生活や伝統を尊重する目線で眺め、干渉しすぎず、
「なんでもっといいもん食べないの?」
と質問する優しい眼差しもあるわけだ。
ほんといいおじさんだなぁと思うわけです。
であっても、
「でもおじさんは思ったんだなぁ、もっといいも食えばいいのに! って」
と、あくまで自分を曲げない頑固おやじ。
しかしそれは、あまりに貧相な民衆の体つきを見つづけてのおじさんの慈悲心なのだろう。
月は、ゲーテの生きた時代18世紀と変わらず、
僕らに微笑みかかけている。
そしていよいよイタリアの遺産、円形劇場に到着!
ゲーテ節が炸裂します!
けだしこういう円形劇場なるものは、元来民衆自身をもって民衆を驚歎せしめ、民衆自身をもって民衆を楽しませるように作られているのである。
「なんだ! なんか面白いことやってるらしいぞ!」
そうした声に引かれて沢山の人が集まってくる。
前に人がいて見えないと思う人は、それぞれに箱やらなにやらを持ち寄り、それに乗って見ようとする。
こうした民衆のあるがままの営みでスタジアムのような外周が次第に高くなっていく人垣ができた。
結局、スタジアムや円形劇場といった建築物は、元来、こうした民衆の自然な営みの形を模したものにすぎないのだ、とおじさんは見るのである。
そうだったのか! 目から鱗なのだ。
というよりも、そうした民衆主義でものごとを見るおじさんがスゲーよ!
と、わたしは感動しましたけどね。
なぜ、そういう見方ができるのか?
建物を建物として見るのではなく、そういう形になっていった奥底に民衆が求めた心があったと見れるのか?
ではここで、ご本人、ゲーテおじさんにインタビューしてみよう。
「どうなんですか?」
「現在の私としては、本でも絵でも与えてくれない感覚的印象が大事なのだ。肝要なことは、自分が元通りの世の中に関心を抱き、自分の観察力を試験し、自分の学問や知識がどの程度のものであるか、自分の眼が明澄純粋であるか、どれくらいのことを自分は束の間につかみうるか、自分の心情に刻印された皺を元通り消し去りうるか否か吟味することである」
「…………」
なんだかんだいって、ゲーテおじさんはやっぱり凄いのだ!
つまりは、すべては自分がどう感じているかだ、ということを言ってるのですがね。
そして偏見を正せとも、最後に言ってますがね。
とにかく、地名や人名がぞくぞく登場するので、ちゃんと調べながら読めば、非常に有意義ではあるだろうが、わたしはそこまでは出来ていない。
でも、建物などを見て歩きながら、おじさんが文句ブーブー好き勝手いうのが、なんとも楽しい。
「こんなとこに門作ってさぁ、馬鹿なんじゃないの!? これ作ったのきっと貴族だね!」
とか、
「ここにこういう形式の柱を建てたのは見事だね、調和がわかってる!」
とか、
「どうしてこんな柱ここに建てるかねぇ……阿保だね」
などなど、もうおじさん、言いたい放題!
でも、あくまでも自分の感覚を信じ、民衆の側に立ってもの言いをするおじさんが素敵!
先生は、学生との会話で、読書について、
「一流の本とはどのような本を指すのですか?」
と質問されたとき、こう答えている。
あなたが読んで素晴らしいと思った本が一流なのです。(趣旨)
――と。
なかなかどうして、われわれ凡夫は自分の感覚を信じることが難しいのだが、ゲーテおじさんを見ていると、先生のいわれたことを実践してるなぁと、つくづく思うのである。
まさに魔法の時間――Magic hour ! ピンボケだけどね!