2017年03月27日

さようなら、創価学会。

わたしが歩きたいのは仏の道である。
創価の大道でもないし、池田氏崇拝の道でもなければ、三代会長崇拝の道でもなく、また、曼荼羅への唱題行を通じて他力本願的に願いをかける、お縋り信仰の道でもない。ましてや創価公明信仰などでは決してない。
わたしが歩きたいのは仏の道なのである。
したがって、その道を誤らせたり、迷わせるものから離れることにしたのだ。

この結論に至るまでも簡単ではなかったですがね。
三年、四年と真剣に、それこそ真剣に思索してきたわけだから。ある意味、世間から自分を乖離させてまでそうしてきたんですからね。いえば苦行をしてきたとさえ言える。

日蓮本仏論。嘘だと気づきました。
創価は嘘を教えてくれました。

そもそも本仏といったものを立てることで、全衆生に開かれていた仏法を閉じさせ、特定の人物を崇拝し、信仰の対象にするという一神教のキリスト教的――つまりは外道信仰――に陥ることに気づいたからだ。

池田氏や戸田、牧口からも様々学びましたが、すべてが正しいとは思っていません。
正しいことも言っているが、それと同じかそれ以上に、誤った思想哲学を作りだして、それを人に弘めた事実は否めないでしょう。

そもそも創価の歴史をよく眺めれば、牧口からして大きな誤りを犯していると気づいた。
価値論だ。
カントの「真・善・美」を「利・善・美」にしてしまった時点に、もう既に禍根があったといっていいだろう。

真実など知らなくていい。真実を知ったところで、それを活かせなければ意味がない。だから真ではなく利である、と。
一聴すると、正しそうに聞こえる。だが誤りだ。

そもそも考えてみるがいい、真実を知らずして、どうやってその真実を利として活かしていけるのだ?
不可能だ。ここにカラクリがあるわけだ。

いやそれ以前に仏法に説かれる三諦は、空・仮・中であるが、これはいいかえれば「真理・慈悲・智慧」であるのだから、牧口がカントの「真」を「利」に変えてしまったことは、根本的な誤りとさえいっていいのだ。
もっといえば、最終的には仏法は真理も慈悲もすべて智慧という中道一実として顕れるのであるし、それを日蓮は七文字の題目(曼陀羅)として顕したのですからね。
だから、一応は三大秘宝と説かれるが、集約すれば一大秘法になるわけだ。
いえば執行部が行った会則変更では、この一大秘宝という言葉も今後使用しないと、いわば一大秘宝を否定するようなことをいい出したわけだ。

つまり三大秘宝の本門の本尊とは真実のことであり、本門の戒壇というのは慈悲であり、本門の題目とは智慧のことになるわけで、真実も慈悲も集約すれば、本門の題目である七文字に含まれるということになるわけだ。つまり本尊を知るとは、宇宙の真理を自覚することにほかならない。
しかし牧口はそれを捨てたわけだ。いくらすべてが本門の題目に含まれるといっても、あまりにも乱暴なやり方であり、いわんや末法の衆生が正しい信心に辿りつくためにと考えたならば、あまりにも無謀だったといえよう。
そして学会もまた本尊(真理)というものを蔑ろにしてきた。
だから簡単に会則変更で本尊義という宗教組織にとってもっとも大事な部分をころころと安易に変えられるのだ。そういうレベルが創価教学だ。

牧口自身は、類まれな努力を重ね、真を知ったのであろう。しかし知ったとしても、それを現実に活かすためには、知っただけでは駄目なんだと気づけたからこそ、そう言えたわけである。

だが、真実を知りもしない一般人が牧口の言うことをまに受けて、価値論を取り入れたとしたならば、当然のごとく真を知ろうとしないまま、利を追求しようとすることになる。
ここに創価学会という教団・組織がはじめから崩壊する萌芽があったのだ。

真を知らず利ばかりを追い求めるとは、すなわち「現世利益」重視主義である。
その後、学会の歩んだ歴史を見れば、学会がいかに真に疎く、現世利益ばかり求めていく形になっていったかなど、明瞭なほどに読みとれる。
様々な嘘、改竄、ありえない路線変更などなど、枚挙にいとまがない。

原田会長の「財務こそ大善」などといった発言は、その典型だ。
もちろん、それは池田氏の代にもあったことだし、戸田の時代にもなかったとは言えない。

しかし牧口の思想は思想として高い評価はできる。
彼が、個人として自分はこういう思想哲学をもって生きたいんだと思い、自分の志に心底共感してくれる同志しか求めなかった姿は、ある意味ではガンジーと相通じる部分があるからだ。
だから牧口は宗門と一緒になることを強く忌避した。

しかし、それでは現実に仏法は興隆しないと考えたのが戸田だ。
その後の歴史は今さら語る必要はないだろう。

そして戸田が開いた僧俗和合を、ある意味で破壊したのが池田氏だ。
もちろん、阿部(日顕)氏側にも落ち度はあろうが、どちらかが一方的に悪であると決めることなど、仏法に照らして考えれば、それはおかしいと簡単に気づけることだ。
簡単なことなんだな。気づいてしまえばね。

結局、仏の道というのは――
釈尊とはいかなる境地にたっしたのか? 釈尊が観心した世界とはいかなるものかを、個々人が個々人の立場にあって追求することに過ぎない。
これを仏教用語的にいえば、それは小乗の考え方だとなる。自分だけ救われれば他人はどうなってもいいという利己的思想だ、となるわけだが、本当にそうだろうか?

そもそも釈尊は自他に境はないと説いている。
であるならば、自分個人が救われれば他者も救われることになる。
この論理から考えれば、大乗の思想というのは、自分と他人は違う存在という、釈尊の教えに根本から逆らったものであることなど、簡単に読みとれるわけだ。

それに釈尊は衆生を「救う」ために法を説いたのではない。いおうと思えば、救うという言いかたもできるが、正確にいえば、衆生があらゆる執着から離れ、正しくものを見て「自由」を得られるようにと法を説いたのだから。

そもそも、大乗仏教はそんなに優れているのですか?
そんなことはないですよ。
小乗と大乗の違いとは、
小乗=個人が真実の自由への覚醒を目指す。
大乗=個人だけでやると時間がかかるから、みなで真実への覚醒を目指すために、智恵を出し合っていこう。
という違いに過ぎない。
しかし大乗には問題点が多い。誤解や偏見、先入観をもちあい依存しあい、結局は自分で自分を厳しく見つめることから離れていくという面だ。

だが、仏法の歴史はそこさえ歪め。
小乗は自己中、大乗は多くの人を救済しようとしているから、大乗のほうが偉い、みたいに論理を歪曲し、本来歩くべき仏の道を形骸化させてしまったのだ。

簡単にいえば、小乗とは、個人が釈尊の辿りついた境地にいたるためにはどうすればいいかと、思索し、瞑想し、自分の生命を内観していくこと。
大乗とは、そんな面倒なことをしないで、釈尊そのものを信仰の対象にして、拝むことで、誰もが釈尊の境地に辿りつけるのではないか? ならそのほうがいいだろうという運動であるだけだ。

だから、大乗運動というものには、はじめから問題点があったのだ。
瞑想も、思索も、内観もせずして、ただ釈尊を拝めば、釈尊と同じ境地になれるわけがないからだ。
感応すれば釈尊と同じ境地になれる。そうとも言えるが、では正しく感応する方法を教えているかといえば、少なくとも創価ではそういうことは教えていない。

そして創価が教えてくれた信心だとか教学というのは、ことごとくこの大乗方式なわけだ。
これでは20年信心しようが30年信心しようが、覚りなど決して開けることはないと気づいたのだ。

創価にいて、唱題のときに瞑想し、思索し、内観しなさい。そう教わった人、いるんですか?
恐らくいないでしょう。
わたしはいわゆる二世で、生まれてこのかた創価にいたが、そういうことを教えてくれた人は、唯の一人もいませんでしたからね。
むろん、言うまでもないかもしれないが、そういう瞑想・思索の正しいしかたは天台の説いた「止観」であるわけだが、創価はその点を完全といっていいくらい無視している。
むしろ戸田などは、天台流の講義をやって罰をうけたなどと言って、止観を顧みていくことを怠った部分さえあるわけだ。

日蓮がどのように止観し自分を内観したかなど、誰にも知る由はないが、少なくとも日蓮だって天台から学び、止観を活用したであろうことなど、当然あったことといっていいだろう。

仏教の歴史を見てみればいい。
天台にしろ、竜樹にしろ、日蓮にしろ、まずは徹底的に瞑想、思索、内観、そして膨大な経典を学ぶことによって、自身が真とはなんぞや? 釈尊が内観した真実の世界とはいかなるものか? を徹底的に追及したんですよ。
三人が辿りついた境地は同じ。でもそれを論理や形あるものとしてあらわしたら違うものになった。
天台は一念三千、竜樹は空(くう)、日蓮は題目と曼陀羅本尊になったということ。
だが三者が辿りついた境地は本質的には一致している。空がそれだ。

でも創価では、そういうことをほとんど教えていない。
創価が教えてくれるのは、日蓮信仰と池田氏(三代会長)崇拝。
そして「現世利益」だ。
ここに仏法としての根本的誤りというか、過誤があるのだ。

愚かな人はわたしにいった。
そんなに政治を変えたければ、立候補しなさい、と。

立候補して議員になった瞬間、わたしは庶民の立場を離れ、否が応でも議員、すなわち権力の側に立ったことになるんだ。
だからそういう立場で庶民のためにということは出来なくなるのが必然なんですよ。
そういうことすら考えられずに公明を応援していればいいというのが、創価脳でしょ。

議員を生みだせば生みだすほど、庶民である我々の立場が権力者に犯されて、自分たちが苦しむことになることすら気づかず、議員を生みだしてきたのが創価ですよ。

だが、賢明なガンジーは言っている。
今日からは政治とかなんとかに一切頼らず、自分を頼みにして生きていきなさい(趣旨)と。

教団も同じだ。
諸行無常の世界にあっては、組織は必ず形骸化する。
教団を作った瞬間にもう形骸化ははじまっているのだ。
いかなる組織も、諸行無常の法に逆らえず、形骸化することは避け得ない。
いくら池田氏が、創価だけは形骸化しないとか豪語しようと、それは諸行無常の法に反する豪語でしかないからだ。
そのことに気づけば、歩くべき道はひとつしかないと気づける。

かつて、天台や竜樹、日蓮がしたように、釈尊が内観した真実の世界とはいかなるものか? を自分なりに探求し、出来るかぎり体得・体現し、そうして見た世界を、知りえた世界を、知りたいと思う人に伝え残していくことである。
それが、仏の道である。
いいかえれば釈尊の境地を自分の中に甦らせるという実践である。

いわば、日蓮仏法とは、日蓮の心眼をお借りして、釈尊が極めた最高善の境地を自分の中に観て、そこから智慧を得て、瞬間瞬間に見合った行いをしていく才覚を身に着けるということになる。
だが理想は、日蓮さんの心眼をお借りしないでもそういうことが出来る自分になることであるわけだ。
まあこれは末法の今では相当に難しいであろうが、不可能だとは言えないだろう。
参考にあげたリンク先をお読みになればわかるが、その方など、曼荼羅御本尊も釈尊の到達した境地を垣間見るための「指標」であると言っているわけだ。
もちろん、他にもこのような境地に至った人がネット上で発信をしていることなど、意外なくらい多い。
ようは御本尊すら絶対視していないといっていいだろう。
だから現実的には、御本尊を絶対視するのではなく、日蓮さんにはそう見えたのか……でも俺にどう見えるかは俺自身が確かめるしかないよね。一応今は、日蓮さんのこの曼陀羅を参考というか指標としてね、といったような真剣な思索の唱題こそ正しいといっていいだろう。

だからといって、自分が観たように人にも見えるのだというようなことを言うべきではない。
そういうことをすると、「そうか、そんな風に見えるのか」とか「そう見えるようになることが信心がある証拠か」などと先入観を持ってしまうのが愚かな人間というものだからだ。
だから、本来小説『人間革命』で描写されたような、戸田が唱題していて御本尊が大宇宙に見えたなどという表現はするべきではなかったともいえる。それこそ桜梅桃李であり、人それぞれ観えるものは違うであろうからだ。

間に人をかいすな。そう考えれば、天台にしろ竜樹にしろ日蓮にしろ、釈尊の間にはさんではならないのだ。
もちろん、釈尊の境地に達するための参考として天台などの思索したものを助けとすることはかまわないだろうが。

するってーと、あんたは釈迦本仏論かい?
そうといえばそうなるが、釈迦本仏論といったところで、それは特定の個人を信仰の対象とするのでもなければ、個人崇拝でもない。

そもそも釈迦というのは目覚めた人という意味ですからね。
人間として生まれて、もっとも人間らしく生きる生きかたに気づき、死ぬまでそういう生きかたを貫く人のことなのだから、偶像崇拝でもなんでもない。
釈迦以前にも目覚めた人はたくさんいたであろうし、釈迦以後にもいた。現在だって世界を見わたせば、そこいらじゅうに目覚めた人はいるだろう。そういうことだ。人間として最高最善の生きかたをしている人に釈迦と「名づけた」だけなのだから。
だが日蓮本仏論はそうではない。あれは日蓮崇拝に過ぎない。

じゃあ曼陀羅御本尊の意味は?
あの曼荼羅は、日蓮が内観した釈尊の生命の状態を顕しているのだから、それはそれで意味があるのだ。
だからといって日蓮の顕した曼陀羅が完璧で、絶対に間違いがないかと問えば、間違いないとは言えないだろう。

結局、今のところは、日蓮が顕してくれた曼陀羅をもとに、わたしはわたし自身を内観し、これこそ真実であるというもの(釈尊が辿りついた境地)を、自分の中に観て信じることでしか、わたし自身に安穏は訪れない。

そう気づいたということ。

そして、わたしにとって創価学会とは、いまや、そういう生きかたの邪魔をするものでしかないということだ。
だからといってわたしは創価を恨んだりはしませんけどね。
なんだかんだいっても、今のこの段階に辿りつくには、創価から学んだことも多いのだから。

さようなら、創価学会。
いまは素直にありがとうとさえ言えないのが正直なところですよ。

なににしても、この短い記事で全てなど語ることはできないのです。
その点は、読者には申し訳なくも思うのですが、致し方ないでしょう。

参考その1
参考その2
参考その3
参考その4

犀の角のようにただ独り歩め(釈尊)

ipsilon at 16:36コメント(68) 

コメント一覧

1. Posted by いつも読んでます   2017年03月28日 16:16
僕は創価学会三世なんですけど、信心は正しくないのですか?僕はよくこのブログを参考にしています。今の創価学会、選挙など、色々と疑問があり、ここのブログに辿り着きました。また勤行や題目は好きです。題目あげた後は六根清浄というように感覚がスッキリする実感があるからです。また頭では想像がつかない祈りが叶った経験もあります。偶然と言えば偶然なのかもしれませんが。僕はいつもこのブログを楽しみにしていました。俗にいう創価学会員の視点ではなく、この世界をもっと俯瞰して法を説いてるような、このブログはとても素晴らしいと思いました。創価学会から、さよならして仏の道へ行くと書かれていましたが、どんな方法の修行なんでしょうか?題目はもうあげないですか?
2. Posted by イプシロン   2017年03月28日 18:03
いつも読んでますさん、こんばんは。

信心は正しくないのですか? という質問ですが、これ、なかなか答えるの難しいんですよ。信心という言葉にどういう意味を見ているのかで、変わってしまうからです。

つまり、正しい御本尊、正しい題目を選びとり、正しい姿勢(一念)で唱題しているなら、正しい信心なのです。それが私の思う正しい信心です。正しい御本尊、正しい題目、正しい唱題とはつまり、三大秘宝といっていいでしょう。
自分が正しい信心をしているかを点検できるのは自分だけ。そういうことかと思いますし、私はこれからもそういう信心をしていこうと思っています。
ちなみに私の思う正しくない信心とは外道信仰であり、願掛け題目であり、題目を魔法の呪文のように唱える信心です。

私自身、三大秘法にそった唱題をしてきて、いつも読んでますさんが仰るようなスッキリ感という信仰体験もし、自分のしていること、自分の心、あるいは自分の周囲(環境)がありのままに見えるようになってきたので、この信心、つまり日蓮仏法自体は正しいと今でも信じています。

想像つかなかったことが叶った。これは正しく信心されてきた証拠でしょうね。私にも経験があります。私の場合、心の病で無意識に数字を数える癖がありました。長い間、その無意識にしてしまう行為が厭でいやで随分と苦しみました。
しかし、ある日気がついたんです。
「あれ? そういえば最近は数字、数えることなくなってる!」と。
末法の功徳は冥益といわれる由縁でしょう。
ただ気づいてしまうと、また数えるようになったらどうしよう……などと人間は考えるもので、そこから不安が起ったりもしますけれども。でも、今でも数字を数える癖は治ったままですよ。

そういう意味では幸福であることとか功徳に気づかずに理由はよくわからないがスッキリした毎日をおくれている。そういうのが末法の本当の功徳なのかと思うのです。

3. Posted by イプシロン   2017年03月28日 18:04
さて、仏の道への修行は、具体的にどんな方法かという質問ですが、ひとことで言うなら、「徹底的に自分と自分の置かれている環境を厳しく見つめて、ものごとをありのままに見て、それに見合った行為・行動をしていける自分になる」ということになるかと思います。
具体的には明鏡である御本尊に自分を写し、自分で自分を厳しく見つめ、自分を完全にコントロールしていくことです。それが本当の自由だからです。

このブログへの賛意のコメント、大変嬉しく受け取りました。
ありがとうございます。

今後どうするのかは、今は決めていませんが、何か発信したいことがあれば、きっと記事は書くことと思います。

余計なお節介ですが、疑問をもつことはいいことだと思いますよ。とにかく信じていればいいという人もいますが、それは妄信でしかないからです。
疑い、自分の頭で考えることで、結果、高い次元の真実を発見できるからです。
信と疑は表裏一体ですからね。信だけでも、疑だけでも真実には到達しないのですから。どちらも必要だとわたしは確信しています。偏らないことが仏法の根本の教えですしね。
いつも読んでますさんが、そうした生きかた、自分の頭で考え、今ここにいる自分自身に生きていく道を歩まれることを心より願っています。

重ねまして、ありがとうございます。
4. Posted by いつも読んでます   2017年03月28日 20:42
ご返事頂きましてありがとうございます。自分の置かれた環境や現実に対して真剣に取り組んでいて、仏法に対してすごく探究心が凄いと思いました。創価学会の枠を超えて、この世界とは、生きる事とは?死ぬ事とは?感じたままの記事がとても新鮮で360度からこの世界を見回してる感じです。360度じゃ足りないかもしれませんが。本当にイプシロンさんは仏法者そのものだと感じました。正しい信心とは?自分もまだまだわかりません。生きてる間に悟れるかもわかりません。
でもきっと「自分らしく生きる」それ以上でもそれ以下でもないですよね。
5. Posted by イプシロン   2017年03月29日 10:16
いつも読んでますさん、おはようございます。

褒め過ぎですよ。
私などより遥かな広く深く仏教・仏法を探求されている方々は沢山いますからね。
いえば、私などそういう方々などが思索して発信しているものを縁として自分なりに思索して自分が納得できる自分なりの回答を引き出そうとしているに過ぎないのですから。

私、ある時、こう質問されたことがあるのです。
「悟りってなんだろうね?」
こう答えました。
「悟れないということを悟ったことを悟りというんじゃない? 仏法は無上道。限りない探求なんじゃないの? 間断なき探求なんじゃないの?」と。
本来仏教では無限を無間と表記しますよね。だから間断なきが釈尊の伝えんとした努力の仕方なんだと思うのですよ。限りない努力という言葉だと、なにか限界まで努力しなければいけない印象を抱きがちですが、間断なき努力であるなら、今自分に出来る範囲という中庸(中道)さがあって、楽しく努力し続けていけばいいのかと思えるのではないでしょうか。

ですから悟れなくともいいと思うのですよ。
釈尊の振舞いを見ていてもそう思ったものです。
悟りを開いてからも釈尊は弟子から学んでいたりするので。
人間というものは悟ったなどと思ってしまうことで、まだ悟っていない人を必ずといっていいほど見下す慢心を起す生きものでしょうし。
ゆえに、悟れないと知りつつも悟りへの道を歩むのが仏道なのだと私は理解しています。

だとしたら悟りとは、生涯向上心を忘れず、何があっても断定し決めつけないという柔軟な心であろうと努力することといい換えられるのではないでしょうか。

仰るとおりですね。「自分らしく生きる」それ以上でもそれ以下でもありませんね。

お互い、柔軟な心で今を生きていきましょう!
ありがとうございます。
6. Posted by 自分ファースト   2017年07月24日 18:41
このブログ、最初から最後まで読みました。
思索・研鑽、半端ではないですね。

さて、
「ある意味、世間から自分を乖離させてまでそうしてきたんですからね。いわば苦行をしてきたとさえ言える。」
が気になりました。

仏の道は世間から乖離しなくてもいいですし、思索・研鑽しなくても開かれていると思います。
もちろん、創価学会や公明党はどっちでもいいです。

今のままで十分仏さまですよ。
7. Posted by イプシロン   2017年07月24日 19:18
自分ファースト さん、こんばんは。
最初から最後まで読んで頂けただなんて、本当に嬉しいです。ありがとうございます。

さて、世間から乖離や苦行についてですが、これ、
簡単に言えば、自分ファーストさんが仰るように、思索・研鑽しなくても仏の道は開いていますし、資質に恵まれた人であれば、思索・研鑽しなくとも、自然にその道に入れる人はいるようです。

ただ、わたしの場合はそうではなかったようです。
人様から見れば苦行と見えることをしなければ、多分、今の自分にはなれなかったでしょう。

中道という言葉には「それぞれにあった」という意味あいもあるのです。仏教説話にもそういうことを語っているものがあります。苦行第一の魔訶迦葉と釈尊との対話の経典です。

以下、古い記事からの抜粋になりますが――。

仏教の「中道」というのは、それぞれの人のいい加減を発見することです。
魔訶迦葉(まかかしょう)は、「苦行」が得意な弟子でした。ほかの人からみたら、それは困苦にしか見えません。しかし、彼にとって苦行は愉しいことなのです。苦行をすることで様々な智慧を得ることができたのです。
常識で、一般論で、また我見で、その人の姿が苦しそうだと判断できても、当人にとっては愉しいことであるかもしれないのです。相手が何を欲しているか、相手が何を愉しいと思っているか、そうしたことを弁えずに、「正義」という名の我見を押しつけることは慈悲でも、本来の中道精神でも何でもないのです。
それぞれの人にあった、それぞれの中道があるのです。

ありがとうございます。
8. Posted by 自分ファースト   2017年07月24日 19:52
もう苦行しなくていいですよ。

でも、苦行が楽しいなら苦行ではないのかも。
9. Posted by イプシロン   2017年07月24日 22:26
自分ファーストさん、こんばんは。

優しいお言葉、ありがとうございます。
別の言い方をすれば「発見」の楽しみを求めてきたのかもしれませんね。

でも発見するまでには、どうしても苦行というか、苦悩――疑問に思い、考えて、また疑問に思い、また考えて――というものが避けれなかっただけなのだと思っています。
10. Posted by 自分ファースト   2017年08月12日 17:35
2008.7.30からのブログを読み、もう、今さら変えようがない部分がイプシロンさんにあることもわかりました。
おそらく年齢は50過ぎでしょうし。
ただ、このブログのタイトルは良いですね。
これは変えずに残してほしいです。
ブログの紹介文で「引きこもり」とありますが、現在もそうでしょうか?
仕事はされていますか?
このブログ、筆者の内面が出ているので、その筆者はどんな人物か、と思いまして。
人間関係の継続も難しいこともわかりました。
ただ、イプシロンさんから離れていった人たちに言いたいのは、このブログを最初から読んだ上で離れていったのか、と言いたいですね。
一読者として言うと、ブログ初期の方がご自身の苦悩に素直に向き合っている印象を受けました。
今は、勉強すればするほど、今の自分を補強する材料にしているように感じました。

不躾な感想、失礼しました。
11. Posted by イプシロン   2017年08月13日 16:43
自分ファーストさん、こんにちは。
不躾ではないですよ。お気になさらずに。

今のブログタイトルは二代目なんですよ。開設当初は『夢鬱つ……』だったんです。タイトルを変えたなりゆきも書いてありますよ。

今もほぼ引き籠りですよ。よって仕事もできてません。

例えば、わたしと直接会ったりした人たちであれば、過去の記事をある程度読んでいた人は多いです。しかしそこで私と関わるには相当の覚悟がいると思っていたとしても、彼らは離れていったのです。しかし、私は私の出来る範囲で、その点にまで気をつかって「言葉遣いひとつで激怒するような時もあるから、気をつけてください」とまで警告さえしてきたんですよ。

病気がいつまでも治らない主な原因はそういうところでしょうね。病気なのに周囲にあれこれ神経を使わざるを得ないからです。今もそれは変わっていません。

仰るとおり、今は自分の苦悩のことさえここに書けないのです。書けば「またイプシロンは愚痴かよ」とか「病気を言いわけにするな」とかいって責め立てられるからです。これまで散々そういうことをされて来た事実にもとづく見解です。現に今年もそういうことがあったわけです。

ただし、カント哲学を知ったことで、所詮すべては主観であり、他人や環境は自分が作りだして印象にすぎないと気づいたことで、自分のものの見方を楽観的にしていけばいいと知っているので、今は昔のように感情的な記事は書かないでいられるのです。しかし、それで全ての感情を清らかにできるわけでもないのですがね。
12. Posted by イプシロン   2017年08月13日 16:51
感想を頂いて、強く思うことは「人は変われる」ということです。
私自身、死にたい→生きるんだになり。
創価のなかで自己再生を→創価ほどおかしな団体はない。
そう変わってきたのですからね。いわば180度の転換をしてきたわけです。

むしろ私よりも、多くの世間の人たちのほうが、よほど変われていないし、一生涯自分の思い込みで生きているといえるんだと思いますよ。すべては主観なんだということさえ、受け入れられない人がほとんどですからね。

そういう意味でいえば、変われない人たちだったから、変われる私から離れていかざるを得なかっただけなんですよ。

また、今の自分を補強しているように見えますでしょうが、私からすれば、自分というものを無にしようとしているだけですよ。すなわち「空」であろうとね。
しかし、そもそも「空」自体がいかなるものかを、またカント哲学を理論的にさえ理解していない人がほとんどなので、私がどうしたいのかを見抜いている人は、多分、一人もいないと思いますよ。
14. Posted by 使者   2017年09月30日 13:50
よく、たどり着かれました正解です。
これを読んでいただいけるか、わかりませんが、イプシロンさんは本が好きそうにみえますので、ぜひ、手に取ってご覧になられてください。
イプシロンさんに覆われていた、雲が、たちまち消えてゆくでしょう。
 
「黎明  葦原瑞穂著  太陽出版」  
 
 
「我を極める  五井昌久著  白光出版」
15. Posted by 使者   2017年09月30日 14:00
「我を極める」より、
 
「やっぱりどうしても、人間は大神様のみ心の中で一つのものなのだ、と知らなければいけません。神様のみ心は目に見えない。相対ではなく絶対であって、宇宙に偏満している。それを人間が人類として形に現して、各々の場で自分の天命を果たしてゆくのです。天命を果たしてゆくようになると、自然にみんながつながり合い、助け合うことになって、神のみ心である大調和世界をこの物質の世界に実現することになるわけです。大調和の、完全な世界をこの地球界に実現してゆくために、われわれが生まれているわけです。誰も彼もその目的に生まれてきているわけです。
 
人間の生きている目的というのは、大生命の理念といいますか、神のみ心をこの地球世界に現すために、自分たちの一人一人が生きているんであって、ただ単に自分の肉体生活の満足を得るためだけに生まれているんじゃない。人間各自が自分の肉体生活の満足だけを得るために生きているとするならば、その人はやがて破滅する。自分の肉体の自我を満足させるために、権威と地位を利用して、自分の勝手放題なことをした人は、最後には刑法にさらされて恥ずかしい目を見て、悲惨な姿になりますね。おごり高ぶった実業家、おごり高ぶった政治家、おごり高ぶった宗教家、おごり高ぶっている知識人、等々、おごり高ぶっている人たちはみんな末路が悪いです。おごる平家は久しからずです。
 
中略
 
人間はいかに生くべきか、というこの課題に対する答は、いかに自分が人類の調和のために役立っているか、人類の調和のためにどれだけ自分が役立つような生き方が出来るか、生き方をしなければならないか、ということになります。」
 
 
続きは本文で。
 
イプシロンさんの天命がまっとうされますように。
16. Posted by イプシロン   2017年10月01日 16:27
使者さん、はじめまして、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。

また、書籍の紹介にも感謝しております。
さっそくアマゾンで調べました。なかなかボリュームのある本のようですが、機会を作って読みたいと思います。

仰るとおり、この世界にある真理は引用して頂いたものだとわたしも思っています。
神、仏、またそれらの名前、言葉による表現は異なっても、あらゆる思想・宗教が同じ真理を目指しているのが、ひとつの証明になると思っています。
もっとも、そこに辿りつく道を歩き続けること、すなわち天命に生ききるということは、気づくこととはまた違った厳粛さがあるのだとも思っています。

端的にいうなら、仰るとおり天命とは「調和」のために、自分はいかにあるかということなのでしょうね。

拙い返信ですが、過分にわたしを見てください、優しい言葉と励ましをくださったこと、誠に感謝しております。

ありがとうございます。
使者さんもまた、天命をまっとうされますように。
17. Posted by 使者   2017年10月01日 23:28
黎明 葦原瑞穂著 より


天命

私に 想い出させてください

永遠の 時の中で

この美しい碧(あお)い星が 金色の光と成るときに

あなたに願って この世界へ来たことを



あの頃は すべての出来事が そこに在ったけれど

来て見れば 気の遠くなるような歳月

ひたすら待ち続けた時が満ちて

今 あなたに出逢った

私に 想い出させてください

あなたが伴にはたらいてくださることを

無限の 愛と力と叡智が

私たちの中には何時も在ることを



この美しい碧い星が 平安と愛で満たされるように

どうか 私たちをお使いください



(この詩の後の4ページ目なのですが、小さな英語の文字でこのように書かれています。)


“This book is dedicated to the people who awake to their calling.”
「この本(黎明)は、使命に目覚めた人々に捧げられています」
 
『黎明』葦原瑞穂著・上巻P4より
(日本語訳:Tさん)


(文字が小さ過ぎて、非常にわかりにくいですし英語なのでさらにわかりにくいのですが(笑)。)
18. Posted by 使者   2017年10月01日 23:30
おっしゃる通り、中々ボリュームがあり読むのが大変でした。また、序章の10ページ目に、


「自分とは何でしょうか

なぜ 意識というものが在るのでしょうか

どうしてあなたは 今ここにいるのでしょうか

人生には目的があるのでしょうか

私達の生活している この世界の本質は一体何なのでしょうか

世界は何のために存在しているのでしょうか



本書では、これらの人類にとっての永遠のテーマに、真正面から取り組みます。この目的のために、様々な専門分野の多くの知識の中から、それぞれ単独ではほとんど意味を成さないでいたり、その背景を理解することが難しかったテーマを、分野を超えて関連させることから始めて、その背後に浮かび上がってくる、人間の意識と宇宙の驚くべき仕組みを探っていきます。……。」
(とありますが、それぞれのカテゴリーが一望のもとに理解できるように、配慮されていて、すごく、わかりやすいです、膨大ですけど…(笑)。続きはぜひ本書で。)

私達の天命がまっとうされますように。
19. Posted by 使者   2017年10月02日 00:32
何度も申し訳ございません。


「その背後に浮かび上がってくる、人間の意識と宇宙の驚くべき仕組みを探っていきます。」


人間の意識と宇宙の驚くべき仕組み…、とは…。
ちなみに、目次です。ご参考までに。

上巻
新版によせて

序章
第1章 世界という幻(1)見えているもの (2)聞いているもの
第2章 物質の世界
第3章 表現媒体
第4章 人間
第5章 普遍意識
第6章 創造の原理
第7章 地球生命系
第8章 誕生と死
第9章 アストラル・レヴェル
第10章 メンタル・レヴェル
第11章 生れ変り
第12章 地球の変容
第13章 大師
第14章 潜在能力(1)病気治療(ヒーリング)、(2)霊視能力(3)空中浮揚、(4)瞬間移動、(5)物質化現象、(6)その他の潜在能力
第15章 チャネリング

下巻
第16章 善と悪
第17章 地球の先住民
第18章 光と影の識別
第19章 音楽
第20章 地場調整
第21章 ピラミッド
第22章 日常の生活
第23章 霊的向上の方法と瞑想
第24章 教育
第25章 宗教
第26章 占星学
第27章 新しい時代の地球
終章


ちなみに、葦原さんは、第23章の「霊的向上の方法と瞑想」の文章の最後の一文を入れて、黎明は完成したと、ご友人に語られていたそうです。
ご参考までに…。
20. Posted by イプシロン   2017年10月02日 14:51
使者さん、こんにちは。

『黎明』のさらなる紹介・推薦ありがとうございます。
お時間をつかい、目次や感動された部分まで引用してくださり、ありがたく思っています。

Amazonのレビューにも、本書の内容を抜き書いていらっしゃる方がいて、その一文を読んだだけで、『黎明』の伝えんとしている内容がいかなるものかは、それなりに正確に把握できているつもりです。

世界全体が幸福に成らないうちは、個人の幸福はあり得ない。自我の意識は個人から集団、社会、宇宙と次第に進化する。新たな時代は、世界が一の意識に成り、生物と成る方向にある。正しく強く生きるとは、銀河系を自らの内に意識して、これに応じていくことである(宮澤賢治)

宗教思想の伝道者となる者は、その思想以外の祖国を持てない。人が幸福に浸るのは地上においてではないし、正直に成るのでさえ地上においてではない。人が人間にとって何が偉大であるかを識り、高貴に到達して、ほとんど全ての個人の卑俗を超越するのは、彼岸においてである(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)

今わたしが辿りついた思想は、単一の宗教宗派に拘っていては幸福になれないというゴッホのいう部分です。言い方をかえれば、自分自身の信仰をもち、それは宇宙との一体化であり、森羅万象に敬意をあらわせる自分になることだと思っています。

でも、ゴッホのいう彼岸に到達するのは本当に本当に困難なのかと。一日一回はまずもって怒ったり(不機嫌になったり)していますので。恥ずかしい限りです。

ですが、そこを日々目指し続けることは出来ると思っています。
葦原さんが『黎明』で伝えんとしたいのは、宗教という枠だけに留まっているうちは云々ということもあるのでしょうね。

したがって既存の宗教にある使命というのは、可能なことと不可能なことを見極められる自分になるための道具だと言えると思うのです。
そしてその先にあるのが自分の信仰なのだと。
21. Posted by イプシロン   2017年10月02日 15:14
ですから、本当の使命に気づくために最も邪魔なものは、われわれが自分の中にかってに作るシンパシーとかファン心理なのでしょう。
その典型が「師弟」であり、特定の人物(例えば教祖)への心酔なんですね。師や教祖の教えに執着しすぎるゆえに、終生、自分の信仰を持つ方向に進みづらくなるということがその理由かと思っています。

葦原さんはそうしたことを踏まえて、プロフィールや写真を一切公表していないということだけでも、わたしは本物だと感じ取りました。むろん、葦原というのもペンネームだそうで。これは「中つ国豊葦原瑞穂の国」から取られたものなのでしょうね。

これは日本の美称でもありますが、本来的には神によって祝福された国という意味であり、それを大きく解釈すれば、使命に目覚めた人が宇宙と一体化しながら生きていく国という意味になるのでしょう。

不思議なことですが、こういった思想は世界中にあり、J・R・R トールキンも『指輪物語』の世界に「middle earth」つまり中つ国と名づけていますよね。わたしの学んできた仏教も「中庸・中道」を重要視し、いわゆる「空」なども、一種その典型かと思うのです。
また、多くの作家が「調和」「均衡」こそ最重要だとも書き残していますよね。

また、紹介してくださった英語の文章。ここで「Calling」が使われていることは素晴らしいと感動しました。

使命に目覚めるといっても、自分一人で目覚めるものではなく、目覚めるためには何らかの縁(誰かが残してくれた著書やそこに秘められた符牒や草花な動物といった自然といった環境)というものが絶対的に必要なのであって、単純に自分の中からawakeするのではなく、目覚めを起こさせる(awakeさせる)呼び声(calling)というものが必要なのだということを葦原さんは伝えたかったではないかと。
22. Posted by イプシロン   2017年10月02日 15:21
個人的に、それなりの本を読んできて思うのは、そういったcallingというのは「絶望すること」だと思っています。

不思議としかいえませんし、個人的体験なのでなかなか理解してもらえないのですが、一度絶望してから世界にあるもの、残されたものを見ていくと、多くの人々がcalingしている言葉を残していってくれているんですね。ただわれわれは、偏見や先入観に蝕まれすぎれおり、そういったサインにほとんと気づけない場合が多いのだと思うのです。

例えば「霊的向上」という言葉に騙されるのでしょう。「霊」という言葉だけに騙され、真面目に検証しようとしないわけです。
ならば自分の中で霊的向上=Ascension(上昇)と翻訳しなおせばいいだけだと思うのですがね。自分が納得できる言葉に置きかればいいと思うのです。
Ascension=自分と自分のいる環境に対して、今いる次元より高い次元の意識をもつと考えればよいのかと。

こう書いてしまえば簡単に思えるのですが、誰にしろ実践は難しいのでしょうが。

ともあれ、丁寧かつ御親切なコメント、ありがとうございます。貴重な時間をつかって頂いたこと感謝します。

蛇足になりますが、せっかく使者さんが『黎明』を紹介してくださったので、お礼とまでは言えないでしょうが、これまで読んだなかで、個人的に最も価値あると思えた作品を紹介させて頂きます。

それは、ルソーの『エミール』です。すでに既読なのでしょうけれど。
使命に目覚めるためには縁が必要ですが、その縁が身近にあることに気づける人格を持つのに最も大切なのは教育(education)だと確信しているゆえです。
23. Posted by 使者   2017年10月02日 23:29
素晴らしいです。
的確なる評価に鳥肌立ちました。
イプシロンさんはいろいろ、よくご存知ですね。
お互いに、この地球上での役割を成就したいものです。

序章の中の一文を紹介させていただきます。
「…結論から先に言えば、私達が現象として抱えている問題の一切を消滅させるただひとつの方法は、私達のひとりひとりがこれまで主に使っていた肉体感覚や感情の意識レヴェル、そして論理的な思考の意識レヴェルを超えた、宇宙全体を一度に把握することのできる、本来の意識状態を取り戻すことにあります。詳しいことは本書の各章で随時述べていくことにしますが、こうした本来の意識状態への移行は、地球人類の進化の一過程として、既に始まっていることなのです。
24. Posted by 使者   2017年10月02日 23:59
続き

この宇宙全体を一度に把握する意識のことを、本書では今後『普遍意識』と呼ぶことにします。この普遍意識は、これまで数千年間の地球の歴史に限ってみても、人類の進化の魁と成った様々な人達を通して顕れてはいたのですが、周囲のほとんどの人達は、それを自分達の制約された意識状態に映して判断することしかできなかったために、普遍意識について理解することは勿論のこと、その存在についてさえ、なかなか知られることはありませんでした。普遍意識は、様々な分野で先駆的な仕事をした天才達の意識であり、宗教家の言う悟りの体験でもあります。……」

いろいろ引用していて、押し付けみたいになっていて、まだまだ自分も未熟だなと感じますが、イプシロンさんにとって良いきっかけになればと思います。

五井昌久さんも、普遍意識を顕現されている方なので、五井昌久さんの著書も、めちゃくちゃ参考になるかと思います。

ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサムガテー、ボーディー、スヴァーハー
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、悟りよ、幸い在れ)(「バウッダ」中村元 小学館) 黎明 第23章 霊的向上の方法と瞑想より247p

25. Posted by 使者   2017年10月03日 00:03
「エミール」、頑張って…、読み…、ますん(笑)。

映画になってませんかねぇ?(笑)
26. Posted by イプシロン   2017年10月03日 12:36
使者さん、こんにちは。

いえいえ、押しつけだなどと感じておりませんので大丈夫です。また良いきっかけであり、こうして様々なことをお話できる機会を頂けたことに感謝していますので。

わたしの思う天命というのは、実は今ここでやっているようなことだと、少し前から感じてもいるので、変に気を使わないでください。

もちろん理想は、このようにネットや文字だけのコミュニケーションではなく、普段の生活や日々の暮らしのなかで、それとなく交わされる会話のなかで、色々な人が自己啓蒙する縁になっていきたいということなのですがね。

ともあれ、そうした自分になるためには、一つの物事を多角的に話せる自分になるのが先、そう思って、今回も自分なりにですが、様々な角度からお話させて頂いたに過ぎないのです。

『普遍意識』という言葉もいい換えることで、しっくりこなかったものが、しっくりくることもありえるわけで。語り部という視点で言えば、比喩の天才アリストテレスから学ぼうとしているとでも言えばいいのでしょうか。

人間というものは自分が体験した出来事で物事を理解しようとするものゆえ、その人が体験したものに合わせて語れる自分になりたいということですね。
しかし、結局のところ自分の体験したことからしか人間は真実を語れないものでもあるので、わたしはわたしの言葉で必死に語ろうとしているに過ぎないのですが。
27. Posted by イプシロン   2017年10月03日 12:37
例えば『普遍意識』はドイツ語の「ゲシュタルト」といい換えることも出来ると思うわけです。ゲシュタルトとは、百や二百の部品が寄り集まって出来る一つの統一的概念ではなく、わたし=宇宙という演繹的な統一概念のことであり、普遍意識がいかなるものかを説明するにはとても都合がいいと思うのです。

実際にテッド・チャンという作家は小説の中でこのゲシュタルトという概念を説く物語『あなたの人生の物語』を書いて、2017年映画化され公開され、多くの人の注目を集めていたりします。(映画タイトルは『メッセージ』)

このように、使者さんが教えてくださった『黎明』にある「普遍意識」は、違った角度からではあっても、すでに人々の注目を集めており、言ってみれば人々が半ば無意識にでも「普遍意識」への道を模索していると見ることも出来ると思うのです。

テッド・チャンの『あなたの人生の物語』は、わたしも原作を読みましたが、素晴らしいの一言に尽きました。SF小説という形態をとってはいますが、端的にこの宇宙と人間の意識の関係を見事に語っていました。

また『普遍意識』をカント哲学の言葉でいい換えれば、「共通認識」と言え、それをまた「悟性」とも言えるわけです。

もちろん、こうしたワードのどれが誰に響くかはわたしには見当もつかないのですが、ひとつの真理を伝えるのにひとつの表現法ではなく多数の表現を持つ方が、多くの人に伝えやすいと思うわけです。

無論、葦原さんもそのように考えたがゆえに、様々なジャンル、様々な事柄について著作で触れられたのではないかと。

28. Posted by イプシロン   2017年10月03日 12:46
しかし、普遍意識にしろゲシュタルトにしろ、真理はひとつという答えに辿りつき、また科学の分野でもガリレオとアインシュタインの科学を統一しようとしてきた事実などを見ても、人びとがいかに統一された真理を半ば無意識に求めているのかは、感じとれるというのは、興味深いですね。

ともあれ、わたしもまだまだ未熟です。生涯学ぶしかないようです。

また『エミール』ですが、残念ながら映画化はされていないと思います。小説ではありますが、エッセイでもあり、なにしろ膨大な範囲に言及しているので、容易に映画化できないのかと。

ですが、ユーチューブで検索して頂ければ、「100分de名著」という番組で5回にわたって取り上げられていますので、端的に内容を知ることはできます。もっとも、番組内容は相当に端折っていますし、いささか乱暴に、わたしには見えたのですが、それでも一聴の価値はあるとは思います。

一応、わたしが読了した感想も、記事にまとめてありますが、非常に長文で煩わしい思いをさせてしまうかもしれませんが、カテゴリーからすぐに読めるようにはしてあります。

ともあれ、様々な心遣い、誠にありがとうございます。
29. Posted by 使者   2017年10月04日 22:51
イプシロンさん、お疲れ様です。

地図のある場所は、2か所、伝えさせていただきました。
その地図を見つけ、手に入れ、実際に歩むのはイプシロンさんです。もちろん、歩まないのも、肯定します。

自分は長年、狭い狭い偏った世界、(どこかの宗教団体ですが…(笑))で、人を批判し、責め裁き、自分を批判し、責め、裁いていました。
愛と調和、真理、善、美、優しい心、思いやりの心(神のみ心)から外れることをするが故に、苦しみが自分に返って来たのです。

しかし、この苦しみの出来事も、自分が自分で設定し、自分みずからの身で経験することにより、学ぶべき課題だったのです。


そして、幸運にも、世界は愛と調和で成り立っていることを先ずは霊的知識という地図で知り、それを自分が実際に歩むことにより、世界が一変したのです。(まだまだ修行中の身ですが。)
書店にある地図も、そうですよね。地図で想像するよりも、地図を片手に実際のその場所に自分の歩みで行くのとは、経験値が全然違いますよね。

実は、イプシロンさんに歩んで、偶然気がついて欲しかったのですが、
五井先生は「空」を完全に把握されています。その著書も、実は多数出ています。

それはさておき、来世ももちろんありますけど、今世でぜひ、解脱を射程に入れていただいて、あなたの役割を成就されますことを、心より祈ります。ではまた。
30. Posted by イプシロン   2017年10月05日 13:53
使者さん、こんにちは。

わたしにも似たような過去があります。宗教のドグマでもった偏見、先入観で判断し、評価し、見下し、極端な批判をし、人や社会を責めてきました。そしてそうした狭小な無慈悲さが自分に返ってきて、自殺未遂にまで行き着いた人間ですから。

そしてもちろん、使者さんと同じように、そうした絶望的なめに遭ったことこそ、本気で真実とは? を探求できる動機になってきたんです。
なんだかんだ言っても人は体験からしか学べませんし、本当のところ体験したことしか信じられない生きものなのでしょう。

さてさて、使者さんが気づいてほしかったと仰る五井さんと解脱に関して、少しお話させてもらいます。

なぜ私がコメントのやり取りで五井さんに触れなかったのかといえば、自分自身が体験してきた宗教の持つドグマゆえと言えばわかっていただけるのかと思います。

もちろん、五井さんについては調べられる範囲で調べました。世界各地に「世界人類が平和でありますように」というマントラといっていい言葉を弘めた貢献など言い尽せない素晴らしさがあると思いました。また、ユーチューブには五井さんの法話を収めた動画があることも知りました。しかし、使者さんとやりとりしてきた短い時間で全てを視聴できたわけでもなかったからです。

また何よりも、使者さんご自身語られているように、結局のところ世界にはひとつの真理しかないとしても、その真理を語るべき言葉は自分の体験から発するものでなければ、何の価値もないとさえ言えると思っているからです。

宗教という視点でいえば、私はわたしの学んできた日蓮系や釈尊から学んだ体験を話すことでしか真実を語れないし、またそういう方法でのみ真実が語れるものと確信しているからです。
31. Posted by イプシロン   2017年10月05日 14:12
かつて創価、現在日蓮系でありつつ、釈尊が説いた本来の教えでしか私は語れないし、また語る資格もないのです。

そう考えれば、五井さんが開いた白光真宏会という宗教をわたしが語ることなど出来ないわけです。
それに、私が今最も求めている釈尊の仏教というのは、そもそも宗教ではなく、「哲学」ですから、宗教である白光真宏会について語ることは出来なかったのです。

このことは空観でお話すれば使者さんなら理解できるのでしょうね。
こういうことです。宗教という一面からでは空観(使者さんの言う解脱)は得られない。かといって非宗教の立場からでも空間は得られないということです。つまり、正しく空観に達するためには、宗教と非宗教の双方が必要だともいえるし、どちらも必要ないともいえ、その双方を融合した視点、つまり私が使った言葉であれば「哲学」を持つことが望ましいのだと。しかしそうした選択は個人個人に任されているということに他ならないからです。

ゆえに、いい換えるなら、「空」とは「個々人が個々人の立場で自由を得る」ということに他ならず、また「自分らしく生きる」とも「自分の哲学を持つ」とも言えるでしょう。

使者さんは、偶然気づいて欲しいと仰りましたが、空観や正しい哲学を理解されているなら、偶然の気づきなど存在しないことも、恐らくご存知なのではないですか?
気づきとはあくまでも個々人の内側で起こる内発性だからです。もちろん使者さんが私の気づきの縁にはなれるのですが、使者さんが私に気づかせることは絶対に出来ないですよね。なぜなら、私にとっての気づきという行為は私の内側(心)でしか起りえないからです。
32. Posted by イプシロン   2017年10月05日 14:25
釈尊の言う、「人は変えられない。変えられるのは自分と環境だけ」という教えを考えてみれば、ご理解頂けるのかと。
また偶然というものも存在しませんよね。選べる自由はあるのですが、選べる範囲は自ずから決まっているからです。選んでいるようで選んでおらず、偶然のように見えて必然なんですね。従ってすべては必然なのですが、選べる範囲が非常に大きいので、われわれは幻想を抱き、偶然があるとか、自由に制限がないとか、自由意志はあるなどと勘違いしてしまっているわけですよね。

また、私が今辿りついている哲学ですと、解脱することに意味は見いだせないのです。釈尊が悟りを開いた後も学び続け、向上し続けたというのがその理由です。これを空観で考えても同じ答えがでました。解脱してもいいし、しなくてもいい。大事なのは解脱にあるのではなく、死ぬ瞬間まで努力を怠らず、人格的向上を目指すという生きかただと確信しているからです。

使者さんが「空」という一語だけで伝えんとしたこと。実はこれにも弊害がありますよね。正しい空観とは、空だけを目指すのではなく、空・仮・中の三つを見て、総合的に物事を見るというのが正しい空観だからです。つまり「空」というのはキリスト教でいうところの父と子と精霊の三つは切り離すことが出来ないという三身一体と同じ原理を「空」は持っているからです。
そして、この正しい空観を現在使われている言葉で正確に言おうとするなら、龍樹の説いた中観という言葉になるでしょう。

ともあれ、勘違いして欲しくないのは、私が知識をひけらかそうとしてこうしたことを話しているのではなく、使者さんの知識を見下しているのでもないということなのです。
どだい、この限られたスペースとこれまでやり取りしてきた時間では、互いの思想を正しく理解しあうことは難しいのではないかと伝えたいがために、長々と知っていることをお話させて頂いただけなのです。
33. Posted by イプシロン   2017年10月05日 14:35
しかし、これまで私がここに書いてきたことを読まれて、使者さんが不愉快になられてしまったなら、それは謝ります、謝罪しますよ。それはひとえに私の言語表現力の未熟さですから。

ともあれ、私は私の立場と経験から、私なりにですが「空」を学び、空観ひいては中観とはいかなるものかは理解しているつもりです。しかし、理解と哲学や知識と智慧は違い、また理論を正しくしったからといって中観でものを見たときに心身で感じるようないわゆる神秘体験をしていなければ、「空」を理解したとは言えないとも思っています。
あるんですがね、私にも、極僅かですが神秘体験は。

ですがこの神秘体験というのは、われわれの肉体や肉体感覚が個々人で違うので、それが正しい「空」の神秘体験だとしても、絶対に他人に理解できないものですよね。したがって、そうした神秘体験の話をすると、多くの人はオカルトだとかスピリチャリズムとしか受け取らないのもまた現実なのかと。

そうしたことから、「空」や解脱というものは、究極的な個人的体験なので、伝えることも、気づかせることも出来ないというのが、私がこれまで学んできた確信のなかの確信なのです。
もちろん、「空」がいかなるものかを感得した人は世界に沢山いて、
「だいたいこんな感じだよね?」
「そうそうそんな感じ。でも言葉では伝えきれないね」
「というか俺たちは決して同じ体験なんてできないから、だいたいそんな感じというレベルでしか理解しあえないよな」
といった状態しかわれわれは共通体験できないと思っています。

ソクラテスの言った「知識は伝えられるが智慧は伝えられない」という名言がこうしたことを明確に証明しているのではないですか?
34. Posted by イプシロン   2017年10月05日 14:47
人類が言語や文字を発明してから、数多くの人が自分の体験したことをそれでもって伝えようと努力してきたことか。なぜそこまで努力したのか?
文字や言葉では絶対に伝えられないからこそ、必死になって書いて書いて書きまくったのではないでしょうか?

文字や言葉だけで「空」が悟れるなら、とっくに多くの人が悟り、学術として確立されたでしょうね。

ともあれ、使者さんには大変に感謝しております。
こうした「空談義」なるものが出来る人に出会うことなど稀のなかの稀ですからね。
使者さんと対話しながら、私は私の立場で学び、実は人生の一大転換ともいう気づきをひとつ得ました。

いまその気づきがなんであるかは語りませんが、いつか記事にするつもりです。

ともあれ、そういったことで、使者さんにはとても言葉では言い尽くせない感謝をしています。
ありがとうございます。

結局のところ解脱とは、言葉や行為にしたところで、絶対に伝わらない中観という正しいものの見方を、一生涯努力し、伝達法を向上させながら、伝えんとしていこうとする「心」なのではないでしょうか?
絶対に伝えれらないとしても、いつか相手自身の内発性によって相手自身が気づくときがくると信じて。伝えられないという絶対的真実にある絶望感を乗りこえて。そういう「覚悟の心」が解脱なのではないでしょうか。
35. Posted by イプシロン   2017年10月05日 14:57
余談の余談ですが、「空」、空観、中観を私の立場で語った自作小説もこのブログに掲載してあります。その最終話を読んでいただければ、コメント欄に書いた論理的な思想ではなく、感情的な面で「空」をどのように捉えているかは、感じて頂けるのかと思います。

http://blog.livedoor.jp/ipsilon/archives/cat_50345.html

ひどい長文になってしまいました。最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
36. Posted by 使者   2017年10月05日 19:18
イプシロン全然不快にならないですよ。なぜなら、本当は我々は、ひとつだからです(笑)。手で例えると、人差し指がイプシロンさんで、薬指が僕だからです。本体は同じなのです。

五井昌久をきいて、白光真広会、自分とは違う宗教。実はこの発想は、やはり悪しき宗教の悪い癖が、残ってらっしゃいますね。僕も創価でしたから(笑)、この悪い癖が取れなくて、取れなくて…(笑)。

そうではなく、イプシロンさんもおっしゃっていましたが、宗教はひとつなんです。
五井先生がおっしゃるには、昔は交通が発達してなかったから、神様は様々な場所に化身、または各偉大なる魂たちを遣わせて、その時代時代の人達を救ってきた。それが、いつの間にか、いわゆる覚者じゃない弟子たちが、自分達の教えがすごいんだと、争って来て、今日がある。宗教は様々あっていいんだ。それぞれに縁があり、救われがある。争う必要はないんだ、と。
でも、どうしても長年やってきた宗教が、邪魔をしてしまうんですね。だから一度、覚えたことを全部、取っ払らわないといけない。でないと、前に進めないですね。
でもまあ、歩みは人それぞれなので、イプシロンさんを肯定いたします。
覚者は、
どんな人でも全肯定と葦原さんは言われてました。

37. Posted by 使者   2017年10月05日 19:18
補足ですが、まあ、ご存知だと思いますが、もちろん覚者は、五井先生だけではありません。
ミラレパ大師、シャンカラ大師、霊鷲太母大師、クートフーミ大師、モリヤ大師、シュリ・サティヤ・サイババ大師などなど。もちろん釈迦大師、イエス大師…。黎明では、○○大師という表現で、普遍意識を顕現された人達を、ところどころで紹介されています。(が、葦原さんは、それぞれの大師にあまり関心を持たない方が良い、とおっしゃっています。理由は、自分の実際の霊的成長には何もならないから、と書かれていました。)
葦原先生は、「上の方の方々」と独特の表現をされていましたが、普遍意識にも、太陽系レヴェルの普遍意識、銀河系レヴェルの普遍意識などと、ヒエラルキーがあることをおっしゃっていました。
まあ、調べましたが、やはり大師クラスは、素晴らしい方々というのは間違いないですね。

ちなみに、僕の持っている情報では、現在地球上で肉体を持たれている覚者で、日本人が比較的逢いやすい方は、西園寺昌美先生と、マータアムリタナンダマイー大師らしいです。

マーターアムリタナンダマイー大師は、インドの聖者さんで、「アンマ」と慕われていて、毎年日本に来ています。「アンマ来日プログラム」で検索すると出ます。僕も、アンマのダルシャンを受けましたが…(笑)。アンマの逸話は泣けますよ〜。

もちろん、名前の知られていない、大師クラスの、上の方の方々が、地球に入られていて、いろいろ地球人類の意識を高めるために、働いているとのことです。そんな情報は、黎明にあります(笑)。
38. Posted by 使者   2017年10月05日 19:27
あと、パラマハンサ・ヨガナンダさんの「あるヨギの自叙伝」で、大師クラスを教育する大師が存在していて、マハー・アヴァター・ババジ大師もいるらしいです。

ちょっと寄り道して、調べても良いですよね。

39. Posted by イプシロン   2017年10月05日 23:02
使者さん、こんばんは。
早速のコメント、ありがとうございます。

仰るとおりですよ。学会二世であるという長い信仰体験ゆえ、他の宗教団体に対して、生理的なまでに否定感情が現れたというのは。
見事なまでに見抜いておられ、改めて使者さんが正視眼を鍛えられた方だと感銘を受けました。

でもこの、原体験からくる生理的ともいえる拒否反応が「今」はまだ拭えておらず、拭う努力をここ数年ずっとしてきたことは事実なんですよ。

しかし、五井さんの場合、wikiにある情報を見ただけでも、五井さんの志に反し、今は宗教として五井さんの思想を受けつぐ団体と非宗教として受け継ぐ団体に別れてしまっているのを知り、非常に残念に思ったのです。もちろん、そうした団体間に反目がないのならそれでいいのですがね。

そうしたことゆえ、あえて五井さんのお話には触れないでいた部分もあります。
使者さんが仰るとおり、私は人差し指で、使者さんが薬指という感覚もすでに私の中にはあるのですが、ここを見る多くの人のことに配慮するならば、宗教色の濃い話はしないほうがいいかなとも考えたのです。宗教がある種の自尊心になっている人も多いでしょうし。

また、私自身が宗教団体の指導を馬鹿正直に信じてしまい、そのことで自殺未遂までいったという経験があるからなのでしょうね。そういう考えから未だに脱却できていないだけかもしれませんが。

それでも随分と書籍などから学び、宗教の壁は取り払おうと努力はしてきたのですがね。
なので、最近はキリストのドキュメンタリーを見て涙を流したりもしています。

実は元オウム真理教の(現 ひかりの輪代表)上祐史浩氏の最近の講演の動画なども見ています。そして、彼がオウムで犯した犯罪を顧みて、正しく仏教を学び直し、今は相当に正しい仏教の道を歩んでいることを知り、感動もしたのです。
40. Posted by イプシロン   2017年10月05日 23:20
しかし、私がそうして感じた素直な感想を記事にすれば、場合によっては「お前は反社会的なクズだ!」と誰かを怒らせ、また閲覧者の中にオウム事件で被害を受けた人がいて、その方が怨みを捨て切れていなかったなら、そうした方々の中に「怒り」を湧かせることになるだろうと考え、記事にしなかったのです。

貪瞋痴の瞋はサンスクリットを正確に訳すなら「嫌悪」とするほうが適切だと上祐氏は言っていました。物凄く納得しました。私自身、人間は怒る前にまず嫌いだという感情が湧くことを体験から知っていたからでしょう。無論、脳科学でもそうしたことが証明されていることも知っていたからでしょう。
(情報はまず感情脳に伝わるという実証です)

おそらく、使者さんと二人だけでお会いしてお話したなら、今のわたしは大体どんなものも受け入れられると思います。
しかし、こういった場所――不特定多数の人がなんとなく見ることの出来るネット空間――では配慮の意識をもって発言したほうがいい場所であると思えたのですね。

自由に何かを言うということは難しいですね。何かを発信するためには、自分だけ存在すれば出来るわけでなく、自分が見聞きした縁(事象)が絶対的に必要なわけですから。そしてそう考えると、「ああ、やっぱり自分なんてありはしない」、と使者さんが仰ったところの人差し指と薬指の概念が頭に浮かぶわけです。

ともあれ、今は使者さんに感謝の気持ちしかありません。私がまだ知らなかった道をいくつも提示してくださったのですしね。
未だ私も未熟なのです。しかしその未熟さを含めて、今は受け入れて頂けたらと思うのですが。

いつも御親切、ありがとうございます。
41. Posted by 使者   2017年10月07日 07:09

 霊的な衝動に駆り立てられていない人々が、
 あなた方をあざ笑ったり、
 あなたの行動を漫画的に真似したり、
 あるいは妨害をしたりするかもしれません。
 しかし、勇気を挫かれたり、
 このような人を憎んだりしてはなりません。
 怒りに負けてはなりません。
 一人ひとりの人間に内在する神を
 常に捜し求めなさい。
 そうすることは、
 あなたに平安と不屈の精神を与えます。
 「多」なるものの真実である唯一者に、
 常時注意を払いなさい。

          ― サティヤ サイ ババ


サイ・ババの教えは愛と神を中心とするもので、父なる神のもと人類は皆兄弟であり、すべての存在には神が内在しているがゆえに、すべての人を等しく愛し、助けるようにと説いている。

サイ・ババがよく説く教えには次の4つがある。

「カーストはただ1つ、それは人類というカースト。宗教はただ1つ、それは愛という宗教。言語はただ1つ、それは心という言語。神はただ1つ、そして、神は遍在」
「すべての人を愛し、すべての人に奉仕せよ」(Love All, Serve All)
「つねに助け、決して傷つけてはならない」(アヒンサー(非暴力)の思想)
「愛(プレーマ)は私の姿、真実(サティヤ)は私の息吹、至福(アーナンダ)は私の糧、私の人生が私のメッセージ、拡大が私の人生、愛に理由はなく、時を選ばず、生じることも滅びることもない」
また、人間の苦楽はすべて過去生における行いの結果であり、根本的にはカルマすなわち業の因果からは逃れられないが、本人の善行と神の意志によりその結果を変えることができるとも説く。


西園寺昌美先生は、「善をなそうとするより善人であれ」。また、「想いの残像 西園寺昌美」で検索すると、我々がなすべきヒントがあります。
これら情報から、何かを感じ取っていただければ…。
42. Posted by 使者   2017年10月07日 07:12
仏陀は、様々な霊性修行をし、様々な場所を訪れ、様々な書物を読み、様々なグルのもとを訪れました。

しかし、その一切は無駄だったということを悟り、それから神の贈り物とは何かということを探求しました。

神の贈り物を正しく使うとき、人は平安と幸福を味わうことができます。

たとえば、神は人に口を与えました。

人は他の人々に神聖な言葉を話すことによって、口を正しく用いるべきです。

そうすれば、人々は理解を得ることができます。

仏陀は、「私はこれをすべきか、すべきでないか?」と自問しました。

神は人に、五感と、五つの生気、すなわち、プラーナ、アパーナ、ヴィヤーナ、ウダーナ、サマーナを贈りました。

空間(アーカーシャ)は意識です。

風は光輝です。

火は生命です。

皆さんはこれらの神の贈り物を正しく使っていません。


仏陀はまず、口は、気高い真実の言葉を、穏やかに、甘く話すために与えられたということを悟りました。

それから仏陀は、「私は甘くて他の人々の役に立つ言葉を話していただろうか、それとも、私の利己的な目的のために話していただろうか?」と自問しました。

そのことを徹底的に調べた後、仏陀はすべての書物を処分しました。

書物は役に立たないと悟ったからです。
43. Posted by 使者   2017年10月07日 07:13
それから、仏陀は菩提樹の下に座りました。

仏陀はまず、サムヤク ヴァーク〔正語〕の重要性を悟りました。

そのため、仏陀は、「神聖で、気高く、人の役に立つ、真実の言葉だけを私が話しますように」と祈りました。


それから、仏陀は目を閉じました。

目は世界と神を見るために与えられています。

しかし、仏陀は、「私は自分の目を、非真なる移ろいやすい世の中を見るために使っていた。神を見るためには使っていなかった」と悟りました。

仏陀は、悲しみに満ちたこの世のくだらなさに愛想をつかし、この世はあらゆる悲しみと苦しみの源であり、幸せの源ではないと悟りました。

こうして、仏陀はサムヤク ドルシティ〔正見〕の価値を悟りました。


正語と正見の重要性を悟った後、仏陀は、正しく話すこと、正しく聞くことについて自問しました。

そうして仏陀は、「私は人の役に立つ言葉を語っていなかった。ゆえに、私の人生は無駄に費やされていた」と悟りました。

他人を助けることは功徳であり、他人を傷つけることは罪深いことです。


次に、仏陀はサムヤク シュラヴァナム〔正聞〕の重要性を悟りました。

こうして、仏陀は、自分は善を見て、善を聞き、善を話すべきだと感じました。

それから、仏陀はこれらすべての根本的な基盤はサムヤク フリダヤム〔正心、正しいハート〕であると悟りました。

もし善良なハートを持っていれば、あなたは正語も正聞も正見も持ちます。

ハートは、発電機と、発電機から生じて耳と目と口を働かせている電力に喩えられます。
44. Posted by 使者   2017年10月07日 07:16
最後に、仏陀はサムヤク バーヴァム〔正思〕という結論に達しました。

あらゆる物事にとって、思いは重要です。

もし善い思いを持っていなかったら、正語も正見も正聞も持つことはできません。

バーヴァ シュッディはグニャーナ シュッディへとつながります。

すなわち、思いの清らかさは英知の悟りへとつながります。

書物を読んでも英知(グニャーナ)は悟られません。

このようにして、仏陀は、正語、正見、正聞、そして、正振〔正しい振動〕を獲得しました。


最終的に、仏陀は、「どうすればこれらすべてを社会と世界にとって役に立つものにできるだろうか?」と自問しました。

そして、仏陀はサムヤク カルマ〔正業、正しい行い〕の必要性を悟りました。

善良な仕事をする代わりに、もし皆さんが世間のことを考え、世間についての情報を集め、世俗の活動に従事しているなら、その一切は役に立たないものとなります。

サティヤ・サイ・ババ、釈迦を語るより。
45. Posted by 使者   2017年10月07日 07:18
 神はこの世で
 数多くの仕事を行いますが、
 神が何をするにせよ、
 それはひとえに
 信者に幸せを与えるためです。
 神は何の欲も持っていません。
 まったく何の欲もありません!
 神にはただ一つ望みがあります。
 それは、
 「サマスタローカー(ハ)
 スキノー バヴァントゥ」
 (すべての世界のすべてのものが幸せでありますように!)
 というものです。
 ― サティヤ サイ ババ


余談ですが、ミラレパ大師のwikiも中々泣けますよ。
何かに気づいていただければ…。
46. Posted by イプシロン   2017年10月07日 13:00
使者さん、こんにちは。

コメント頂いた内容は肯定しますよ。でも釈尊が悟ったのはもっと単純であったと思っています。
本当は言葉にできるものではありませんが、あえてするなら「ありとあらゆるものが平等である」という一点かと。

言い方をかえれば、宇宙を一つの統合体とした見た(ゲシュタルトした)ということかと。
以前にもここでお話ししましたが、そういうことかと。
太陽があって、火星があって、ほかの銀河があって、そこには様々な星があって、星には無生物と生物があって云々というように、われわれが宇宙と聞いて定義する概念はそういうものでしょうが、釈尊は宇宙を宇宙として見たのでしょうね。宇宙のすべてを同時に見たといったほうがわかりやすいでしょう。
それこそが釈尊の悟り(平等大慧)だったのでしょう。

なぜかなら、全てが統一された一つのものであるなら、悟り以前に自分が見ていた事象の一つ一つは統一された宇宙の一部一部であり、その事象、または事象を見て思い抱く気持ち(概念)はたった一つしかないと気づいたんでしょうね。
その概念とは感謝であり、歓喜であり、幸福感だったことでしょう。

使者さんが書いてくださったサイババの言葉などは、そうした悟りを得るために必要な方法(原理)だと言えるでしょう。同様に、縁起、空観もそうした悟りを得るためのツールであり、そして瞑想(考えつける限り徹底的に論理的思考をする)こそ悟りを得る方法論である、と。

しかし悲しいことに、人類は釈尊が悟ったものが「平等大慧」であると気づけず、縁起であり、空だと勘違いしてきたわけですね。特にその多くは仏教を学ぼうとしてきた弟子たちであり、悟りから離れることを世界に広めたのは、悲しいことにこうした弟子といって間違いないでしょう。
47. Posted by イプシロン   2017年10月07日 13:15
ですが、われわれ一般人がいきなり宇宙を統一体として見る瞑想修行をしなさいと言われても、困ってしまうわけです。

そこで釈尊が考えたのが、だったら自分(我)とはなにかを徹底的に考える瞑想をしなさいと教えたのですね。これなら、誰もが必ず実践できることだからです。故に、正しい仏教観で見れば、現在多くの宗教で礼拝の対象とされている本尊や対象物(日蓮系でいえば曼陀羅御本尊)すら、実は悟るためには必要ではないのです。もちろん、深く瞑想するためのツールとして本尊を崇め、悟りに近づくために本尊を活かしてもいいのですが、そうした昨今の宗教は釈尊の思った本尊観すら理解できず、どの本尊が正しいのか? という論争に明け暮れ、しまいには争いを起こしてきたわけです。

さて、では自分とはなにか? を考えるとはどういうことでしょうか? こういうことなのでしょう。
自分を定義づけているものを自分にとって重要な順に定義していく思索だと。
自分とはこの意識である。また意識が宿っているのは肉体である。この肉体は父と母にもらったものであるが同時に究極的に見れば、物質である。そうした物質は宇宙の隅々まで偏在しているすべてのものだ!……といったように。

そうして思索していけば、自分とは、自分を定義づける関係性がなければ定義づけられないことに気づき、かつ、宇宙のすべてのものが自分なのであれば、いわゆるわれわれが普通思い描く、個体としての我など存在しないし、自分=統一してみたときの宇宙そのものだと気づけるわけです。つまり「諸法無我」であるという悟りに到達するわけです。
そして、そうした思想を縁起と名づけたわけですね。
48. Posted by イプシロン   2017年10月07日 13:37
しかし、われわれが普段の状態で一つ一つの事象を見ていくと、宇宙は統一体にはまず見えないわけです。しかし釈尊はそれを知っている。その「諸法無我」に人々に導くためには、そうした一つ一つの事象というのは統一宇宙の動きの一つ一つだよ、つまり「諸行無常」を説いて、究極の悟り「平等大慧」に導こうとしたのでしょう。

ですから釈尊の悟りを順番に言えば、「平等大慧」「諸法無我」「諸行無常」になるでしょう。多分、釈尊自身はこれらを同時に悟ったのでしょうけどね。なぜなら仏教の悟りは演繹的だからです。
使者さんが書いてくださったサイババの言葉は帰納的といっていいでしょう。

とはいえ、このように論理的に完全に近い説明ができてもほとんど意味はないわけです。大事なのは体感的悟りであって、宇宙=自分であり、すべての事象事物は同様に重要であるという平等観を悟ったときに感じる感覚を瞑想によって、五感と意識で感じなければ意味がないですし、理解したとも言えないのです。これが瞑想による、いわゆる神秘体験と言われるものですね。

もちろん、釈尊の悟りは時間も空間も関係ありません。ですから、過去も現在も未来も同様に重要なのであり、われわれが普段意識している、過去→現在→未来という時間の流れから導きだされる、今ここを生きることが最重要ということにはならないわけです。

しかし、そういう言いかたをしても、悟ってない人には理解すら不能だから、そういう時間感覚で生きるなら、今ここを大事にするといいよと教えるしかなかったわけです。
したがって、悟った人からすれば、自分や世界の未来もすべて見えるんですね。自分が何時だれと結婚し、いつどこで病気になり、いつ家族が増え、その家族がどうなり、いつどこで自分が交通事故に遭って死ぬとかが。
49. Posted by イプシロン   2017年10月07日 13:45
だから釈尊の仏教は忍耐や覚悟をもって生きることを勧めているのです。例え殺害される未来が見えていても、それが避けられないと知っていても、生きることを放棄せず、その日まで仏道修行に励み、あるいは日々の生活を楽しんでいきなさい、と。

目連尊者の説話を詳しく知っていれば、こうしたことは理解できるはずです。それは同時に自分がそれまで行ってきた行為、あるいは今ここで行っている行為が業となって現れたと理解し、受け入れるということでもあるわけですがね。業とは正しく訳せば行為ですからね。
しかしわたしは過去世の業は信じません。今世だけの業しかないと信じています。

また来世も信じていません。正確に言えば、過去世や未来世があるかないかは個々人が好き勝手に考えていいんです、有るとも、無いとも。
しかし、今この肉体を伴った生を充実させたいなら、過去世も未来正も無い、今ここに生きている自分が死んだらそれで終わりと考えたほうが、一瞬一瞬が尊いものに見えてくるからです。毒矢の譬えですね。死んだあと、生れてくる前というわからないことをあれこれ考えるのは意味がないという思想です。

こうして今私が語ったことは、苫米地英人氏が論理的に語っていることでもあります。
ネットを利用できる人ならだれでも見れる講演動画という範囲でいえば、彼の論理が最も正しい仏教観を語っていると思いますよ。

https://www.youtube.com/watch?v=m3Ky7O7RkNQ

長い動画ですが、よかったら見て(聞いて)みてください。
50. Posted by 使者   2017年10月07日 13:53
仏陀を語るで、サイババ大師が語られたことは、もちろん1側面ですね。

制限された自我意識で、あれこれ考えてしまうと、
疑問など無限ですので、解脱に至る「奇しき今」を逃してしまうと、葦原先生も書かれていました。

葦原先生が書かれていたヒントは、「普通意識が自覚に至る」でした。

知識に捉われて、知識で満足してしまないように、お互い気をつけたいものです。


喜びの時も苦しみの時も、
常に神を想うべきです。
もし、幸福と至福を
手に入れることを切望するなら、
神だけを求めるべきです。
自分の問題を
あまり心配してはいけません。
もし、神への愛を持つならば、
瞬時にしてあなたの問題は
すべて消えてしまうことでしょう。
あらゆる問題は
過ぎゆく雲のようなものです。

     ーサティヤ サイババ
51. Posted by イプシロン   2017年10月07日 13:58
もちろん、過去世や未来生があると考えてもいいのです。それは自由です。しかしそうすることで人間は、恐ろしい思考に陥ることがあるわけです。

未来世があるのだったら、今極悪非道なことをやってる人を生かしておくことは、その人に悪業を積ませることになるし、世の中すべてに悪影響を及ぼす。だったら今すぐそいつを殺してやったほうが世界すべてにとって有意義だ。ならばあいつをポアせよ! という思考ですね。あるいは、だったら相手が嫌がろうが何だろうが、強引にでも折伏しろ! とこうなるわけです。

ゆえに、釈尊は霊魂や魂を否定し、未来世もあえて否定したのです。
正確に言えば、過去世や未来世があるかは誰にもわからないと知っていても。

ですから、ある意味でいえば日蓮の思想は非常に危険だと断言できますよ。御書には未来世はあると信徒に語っているものが残されていますからね。しかしそれは多分、今この人にはこういってあげたほうがいいだろうというTPOがあったのでしょう。
最近、肉親を亡くしたような理性では受け止められない感情状態にある人に、論理的な話をしても慰めの一つにすらなりませんからね。

すなわち、ある意味では、この娑婆世界で生きるには「時を知る」ことが最も重要だと考えています。
もちろん、ここでいう時とは相手の機根、相手がどの程度悟りを理解しているかを鑑みて話すということですが、残念なことに創価でいう「時を知る」は、今は選挙だから選挙の戦いをすべきだといった、組織にとって都合のいいことを知るというように歪曲されていることはご存知の通りかと思います。

コメント、ありがとうございます。
54. Posted by 嵯峨   2017年11月22日 22:49
疲れたら気楽に創価学会のかたとお話でもしてみてください。ご自身を二つにも三っつにも解離させて苦しまれているように見えます。 最近更新がないので心配しています
56. Posted by 嵯峨   2017年12月01日 09:09
自分の祈りを叶えるための、願いを叶えるための信心です 法論のための信心ではなかったはずです 御本尊に祈っていますか?
57. Posted by イプシロン   2017年12月14日 10:51
自分ファーストさん、こんにちは。

うーん、人間関係が嫌になったのではないのですね。
私が気づいた思想が学会の思想とは正反対であり、かつまた私の気づいた思想を世の中の多くの人が、受け入れられないだろうことで、孤立してしまっているだけです。

人は承認(共感)されることで幸福を感じるものですからね。承認されていると思えない=孤独であり孤立です。

孤独であっても、自分で自分を承認すれば(信じれば)いいのですが、現実的にはこれは最も困難なことだとは思います。

今は法華経が全てだなどと思っていません。
なににしても、こうして心配して声をかけてくださったことが、何より嬉しかったです。
ありがとうございます。

色々と考えてしまってお返事が遅くなりましたが。
58. Posted by イプシロン   2017年12月14日 11:05
嵯峨さん、こんにちは。

あなたは本当に失礼というか、人の気持ちのわからない人のようですね。
創価にさよならだという記事を書いてる人に向かって、云々いう。
それで相手がどういう気分になるかという想像力がきっとないのでしょう。

例えそうした行為をしたとしても、客観的かつ理性的な会話になるのなら構いません。
もっとも、客観的な会話などありえませんけどね。この世界で交わされる会話は全て主観と主観のぶつかりあいに過ぎず、共感や妥協ができる場合は、互いの主観が似通っているということに過ぎないのですがね。
(そもそも、こういう論理があなたは理解できないでしょうがね)

しかしそれにしても、どうなんでしょうね、あなたのコメントは。

他人に向かって、「ご自身を二つにも三っつにも解離させて苦しまれているように見える」――つまり俺からみたら、あんたは精神分裂状態だ(統合失調状態にあるように見える)と言い放てる神経が私には理解できません。

更新をすれば、あなたの言ってることはおかしいと言われ、更新しなくてもやっぱりあなたはおかしいようだから心配だと宣う。わたしが何をやってもアレコレと不愉快になることを言ってくる。

そんなことの繰り返しなどせず、自分のなすべきことをやっているという記事でも、ご自分のブログに書かれたほうがよほど価値的ではないんでしょうかね。
60. Posted by イプシロン   2017年12月17日 18:48
自分ファーストさん、こんばんは。

不思議なものですね、ここ最近、フルガムの本を読みなおしはじめたのです。

どうやっても切り倒せない木を怒声で倒す原住民がいる。つまり、言葉はそれぐらいの力(ときには暴力)になるとか、エッセイがやわらかい語り口で心が癒されました。

冒頭の一篇は、洗濯と洗剤のおはなしでした。
洗濯機、乾燥機、電化製品、電子機器云々、随分便利になったけれど、人間の心を洗濯できる洗剤がない。誰か作ってくれないものだろうか、なんて一文で終わっていました。

最近どこかで目にした言葉でいいものがありました。

違いは認めあい、同じは分かちあっていけばいい。
そんな言葉でした。
フルガムもそんなことを言っていました。蜘蛛も人間も生きるために苦労している。そして壮大な失敗をし、そこから学ぶ、と。
厖大な時間をかけて巣をつくっても、人間がひっかかり一瞬にして壊される。
けれど失敗を失敗と言わず、冒険だと思えばいいのだ、と。

あたたかい考え方ですよね。

心配りのコメント、ありがとうございます。
62. Posted by イプシロン   2017年12月31日 12:06
自分ファーストさん、こんにちは。

今年は色々と声をかけてくださり、ありがとうございました。

そうですね、引きこもりね。
そうできればいいですね。

嵯峨さんにしろ、ちよさんにしろ、それぞれが納得できる生きかたをされればそれでいいんじゃないですか。

わたしは無理に変わらなければいけないとも思ってませんよ。
それに、かなり意地悪な言い方ですが、どんなに心配していても見ているだけなら、それは心配しなかったのと同じだと思ってます。

心配しているというのは、自分ファーストさんのように、少なくとも言葉にして自分の気持ちを伝えようと行為したかということを指すものだと思ってます。

コメント、ありがとうございます。
良い年を迎えてくださいませ。
64. Posted by イプシロン   2018年01月02日 10:01
自分ファーストさん、あけましておめでとうございます。

年始のお忙しいなか、あたたかい言葉をかけて頂き、本当に感謝しております。

ブログこそ法華経。
素晴らしい感受性だと思います。その通りだと思います。
単なる日記や自分史といえばそうなんですが、少なくともわたしはここで自分のやってきたことを書いてきたつもりなんですね。

自分に嘘をつかず、良し悪しは別として、誠実に誰かに何かを与えようとしたら、そうするのが一番だと思ったからです。

励ましの言葉、本当にありがとうございます。
68. Posted by イプシロン   2018年02月21日 09:39
自分ファーストさん、おはようございます。

ぼちぼち、やってますよー。

え、落ち込む必要はないのでは?
生きてるだけで素晴らしいんですから!

記事にはマイナス感情を誘引するようなことは書いてませんが、わたしも色々あります。

引越しの件で嫌な思いをしたこともありました。
今も、円形脱毛、3、4箇所あります。
連日の掃除で、手荒れ肌荒れもあります。
埃やら洗剤のせいでしょうね、一部かぶれもあれば、じんましんが出て夜痒くて寝れないとかもあります。

でも、ずべて楽観的に見るようにしてます。
すべては生きている証なんだもんねーみたいに。

コメント、ありがとうございます。
69. Posted by 使者   2018年08月26日 10:00
光の手をつながう
五井昌久

人の世に嘆きが充ち

世界が我欲で暗黒になり

争ひの波で人類が崩れさうな時

必ず輝く光が生まれてくる

その光が仏陀と云はれキリストと云はれ救世主と云はれた

光は光を生み

智慧を生み力を生み出し

此の世界の闇を照しつゞけてゐる


今 地球を覆う業(カルマ)集団の暗黒の息吹は

思想となり 水爆となり

はては大天変地異をひき起こさうとする

一人一人の我欲の中に

国と国との利害の陰に

魔王があやつる業(カルマ)の波が

急速調で烈しい渦を巻き起こす



あなたよ あなた方よ

人類の一人一人よ

黙って彼等のするがままにしてゐてはいけない

あなた方は叫ばなければいけない

呼びつゞけなければいけない

かうしたときに必ず照り輝いてくれる救世の光明を

それは星の世界からの救護の光明か

大愛絶対者の守護の大光線か



あなたの背後にも天使がゐる

あなたのうちにも光がある

背後の天使と手をつなぎ

うちなる光を発光させ

大きく十字につながって

大光明を地球の上に輝かせなければいけない

白鳥の様に舞ひ降り舞ひ昇る

光の天使たちが

やがては天地を光の階段(きざはし)でつなぎ

紫金(しこん)に輝く大光明を

御身等の中心に迎へようとしてゐるのだ



あなたよ あなた方よ

人類の一人一人よ

地上に業(カルマ)の波が絶え

天が真直ぐ地に写る日を

みんなの光で一日も早く呼び寄せなければいけない



(『ひゞき』所収)
※仮名遣いは原文に従っています。
70. Posted by 使者   2018年08月26日 10:11

葦原瑞穂



私の探しているものですか

それは形の有るものではありません

形の有るものは それ本来の姿ではないのだから

それは名前の有るものでもありません

名前の有るものは 本当は そこにはないのだから

真理と愛と叡智と

これらの言葉が 世の初めに発した響き

これらの言葉の 内に携えている光

これらの言葉の 源に在る力


限りなく美しく この上なく崇高な海のように

激しい嵐の中にも

荒れ狂う高波の下にも

静かにそれは拡がっていて

宇宙の一切を包み込んでいるのに

ひとつの原子の中にも その総てが在るもの

久遠の昔 そこから私はやって来て

永遠の時を掛けて 私はそこへ還って往く

それが 私の求めているものです


71. Posted by 使者   2018年08月26日 10:26
魚が必要とするすべてのことは

自己を忘れて水と一体化することだ



人が必要とするすべてのことは

自己を忘れて道と一体化することだ



(『荘子』より)
72. Posted by 使者   2018年08月26日 10:59
人間と真実の生き方


人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、運命と現われて消えてゆく時に起こる姿である。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心を常に想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである。



世界平和の祈り

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完(まっと)うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます



この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。







世界人類が平和でありますように。





己が幸願う想ひも朝夕の世界平和の祈り言の中


世界平和祈るは神のみこころのひゞきにあれば祈る楽しさ

昌久
73. Posted by 使者   2018年08月26日 11:22
黎明
葦原瑞穂著
第23章 霊的向上の方法と瞑想 より

中略

それではここで、瞑想と共によく用いられる、マントラと呼ばれる行法についても簡単に触れておきましょう。マントラというのはサンスクリット語で、「マン」は言葉、「トラ」は道具という意味があり、両方合わせて「言葉を用いる道具」となるわけです。明確な意志を持って使用した言葉と言うものは、想念や具体的な行為と同じように自然界に対して影響を与えるものであり、人間に内在する神の創造力を発動させるものであると言う大原理がマントラの基本になっています。

中略

仏教にも「南無阿弥陀仏」を初めとして色々なマントラがありますが、ここでは般若心経に含まれているものを、原語のサンスクリットで紹介しておきます。


「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサムガテー、ボーディー、スヴァーハー」

(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に全く往ける
者よ、悟りよ、幸在れ)


続く
74. Posted by 使者   2018年08月26日 11:38
つづき



真理を表す言葉を含むマントラは何であれ、宇宙の中心と繋がる力を持っているものですが、前述した個人的なマントラと同じように、一般的なマントラの中にも、それを地上に降ろした人と背後霊団との契約に因って、そのマントラを唱えることで自動的に背後霊団とチャネルし、その人を通して地上に光が放たれるようになっているものがあります。これは真理を深く理解したり、瞑想その他の専門的な訓練を必要とする行法を実践することがなかなか難しい、ごく普通の人であっても、このマントラを唱えながら日常生活を調(ととの)えていくことで、自らの意識を向上させるのみならず、世界への霊的な奉仕ができるように配慮された、最も簡単かつ確実な行法です。本章の最後に、このような契約されたマントラをひとつ挙げておきましょう。



「世界人類が平和でありますように」








黎明 下巻
「第23章 霊的向上の方法と瞑想」より
75. Posted by 五井昌久   2018年08月27日 00:52
5 使者さん、素晴らしいコメントです。

イプシロンさんの反論を待ちましょう。
76. Posted by 使者   2018年08月27日 22:23
反論とか、そんなんじゃないんです。
みんな兄弟姉妹なんです。
もう争うのはやめませんか。
あいつがどうの、こいつにこんなこと言われた…、
…そんな小さなことに囚われていては、自分の本当の力は出せません。
なぜならば、仏の御心に反していることをしているからです。

みんな、本当はひとつなんです。ひとりの大きな人間なんです。
手が足にケンカふっかけているようなものです。
あなたがイプシロンさんにをやっつけることは、自分をやっつけていることなのです。
逆に、イプシロンさんが、あなたをやっつけるのも、イプシロンさん自身を傷つけていることなのです。

1番の模範解答は、相手の幸せを祈ることです。
それを繰り返していれば、いずれ仏の法則に乗ることでしょう。調和し、何も怖くなくなるでしょう。今まで、言葉だけだった、解脱を体験できるでしょう。
お釈迦様は、
「生きとし生けるものが平安でありますように」と祈られています。

人を批判して、悪口言って、人を馬鹿にしていて、仏の境地に往けるわけがない。幸せになれるわけがない。なぜならば、それが自然法則であり、宇宙の法則だからです。
人に投げた憎み恨みは、自分に返ってきます。
人に投げた、幸せの想いは、自分に返ってきます。

どうか、あなたも、目の前に起こるどのような不調和な現象をも、巻き込まれずに、調和、幸せを祈れるあなたでいてください。
あなたの幸せと、平安と、天命がまっとうされることを祈ります。
また、同時に、あなたの悩んでいること、苦しんでることが、苦しみ少なく、痛み少なく、速除苦悩でありますように。

すべての世界の、すべてのものが、幸せでありますように。(サティヤサイ ババ)
77. Posted by 使者   2018年09月01日 04:58
葦原瑞穂著

黎明 下巻 終章 p329 3行から


『本書(黎明)は必然性があって記されたものではありますが、このように外側から過剰な情報を提供することには、マイナス面もあると言うことをよく理解して頂きたいと思います。本文の中で繰り返し注意してきましたように、知識として受け取られたものは、心の中に様々な固定観念を造り出して、普遍意識の顕現を却って妨げてしまう場合がありますし、また釈迦大師が、宇宙の起源について質問をした弟子に「毒矢の譬え」、つまり毒矢に射られた人が、その毒矢を抜き取る前に、それを射た人のカースト、姓名、身長、体重、皮膚の色、住居を、またその弓、矢の柄、矢の羽を問い、調べ、知ろうとして議論しているならば、その間に射られた人は毒が回って死んでしまうという話(「バウッダ」中村元 三枝充直 共著 小学館)でもって答えたように、現象世界は無限の表現を取りますから、そこから生じてくる疑問にも際限がなく、それらの幻を追及している間に、解脱に至る「奇しき今」を逸してしまうからです。普遍意識では、あらゆる問題を正確に把握することができる上に、総ての答が自分の内に「既に在る」状態のため、考える必要すらないのに対して、制約された現象我では、どんなに考えたところで正しい視点を持つことはできませんから、無駄な努力のために時間を浪費するのは、決して賢明な選択ではないと言うことになるわけです。』


という風に、黎明の著者が「知識」に対しての警告を発しています。この文章をご覧になられている方々、どうかご参考にされたし。。。
78. Posted by 五井昌久   2018年10月06日 02:01
素晴らしい!

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イプシロン(シンジ)

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