2017年03月29日

釈尊が探求した真実って、クオリアじゃあないの?

私がクオリアこそ生命そのものじゃあないのか? と気づいたのは随分前のことだ。
そしてそのことを私なりに伝えようとして書きはじめたのが【宇宙シリーズ】という小説。
もっとも【宇宙シリーズ】は、クオリア=生命の本質ということを伝えるために、光=生命という構図をとった。しかしそれではあんちょこ過ぎると考え、あえて光を「暗黒物質」というものに置き換えて物語ってみたものだったりするわけです。

しかし、書いているうちに、あれもこれもと欲が出て、メインのテーマが霞んでしまったことは反省すべき点だったと自己批判していたりするわけで。

ともあれ、生命の本質、釈尊が探求した真実とは、結局のところ「クオリア」なのではないか? と考えたのは私からすれば、相当昔ということである。

クオリア……これ、説明困難なんですよ。
ここが比較的わかりやすく説明されてますね。
少し長い記事だが、順をおってわかりやすく説明されているものなら、ここですかね。
リンク先の記事は(9)まであるので、なかなか読みごたえはあるだろうが、生命とは何か? という我々が抱える問題が根本的であるという意識がある方なら、思わず最後まで読んでしまうのではないだろうか。

私などリンク先の記事を読んでいて、結局はさ、クオリアなんて科学的にも論理的にも解明できないんだからさ、仏法でいうとろこ「あるがままに見ていけばいいだけ」だよねという言葉が脳内で繰り返されたんですがね。
乱暴な言い方をするなら、俺にはそう見えたんだから俺の勝手。それを誰がどう見ようとそんなことは問題ない! だって誰も同じものを同じように見て感じることは出来ないんなら、それぞれが自分が見て感じたことを信じればいいだけだからな! でもって、それぞれが感じたことを認め合えばいいだけ。それで世の中平和になるじゃん!! ということになろう。
もっともその見て感じたりするものが、邪見であったり錯覚であったりするから、世の中から騒乱がなくならないわけで……。しかも、その邪見錯覚に執着したり、見て感じたものを無理に統一しようとするからたちが悪いし、意見がぶつかりあって争うんでしょうがね。

差異を認めあえばいいだけ。
俺にはこう見えた! あたしにはこう見えたのよ!
そうか、それならそれでいいよな。違って見えようが問題ナッシングっ!
これでいいじゃない。認めあえば平和になるじゃん!
そのために必要なのはただ一つ、言論・表現の自由だけでしょ!?
だから共謀罪は駄目なんですよ!!


それはともかく、ではこの世界で最も普遍的な性質をもつものは何かと考えたとき、私が見つけ出したのは「光」だったのですよ。
例えば光速度不変の法則とかね。
だがしかし、現在では光の速度は減速させられることも実験証明されているんですがね。
しかしそうではあっても、光のもつ粒子性と波を同時にかね備え、粒子であるとも波であるとも言い切れない性質はまさに仏法の空に相通じているんだから、やっぱり普遍的なものの代表は光しかないだろうと考えざるを得なかったわけだ。
もちろん、「場の法則」などは、それよりはるかに空を理解するにはわかりやすい科学的題材だと思いますけどね。

それに、日蓮の御書にはこうあったのだから。
「人間は死んだら光を放つ(趣旨)」と。

多分、生きていても光を放っていると私は思ってますがね。
それを、あの人は神々しいとか輝いているとかいうんじゃないですか?
後光が差してるとかもいいますしね。
つまり、生命の本質は光だ。私は今でもそう考えざるを得ないと思っているわけだ。

人間の生命に限らず、生命の本質が光であるならば、人は決してといっていいくらい自分自身を知ることは出来ないだろう。
なぜかなら光速というのは、質量が無限大になるわけだから、人間が体内のどこかに光を内包しているならば、その部分は光速にあるわけで、その状態とは、質量無限大=ありとあらゆる宇宙の物質と同化しているということになるのだから、自分=宇宙になり、そこに自分など存在しえないからだ。

もちろん、意識(認識)という部分だけに限っていえば、自分は間違いなくここにあると感じ、そう結論することもできるのだが。
そういう観点で考えると、釈尊は生命の本質を探究したにしても、結果いえることは「あるがままを受けいれなさい」としか結論できなかったことには肯けるわけだ。

もちろん意識(認識)できる部分に関しては正しい認識をしなさいと言っているのだろうが。
それが八正道のまずはじめにある「正見」なわけだ。
もちろん正見といっても、クオリアのリンク先を読んだ方ならわかるだろうが、究極的にはすべては主観的でしかないのだから、自分が感じ、思い、認識したとおりのものをあるがままに受け入れるという方法しかないわけだ。

そして当然のごとく、クオリアという主観というのは個々人によって違うというか、自分が感じたもの以外(他人が感じたもの)を絶対に知ることができないということなのだ。
このことを遥か昔に気づいたのがソクラテスであり、「無知の知」として有名なあれだ。
当然、釈尊もそれに気づいたということが、多分仏の覚りだろう。イエスももちろん気づいたのだろうし、老子・孔子なども気づいたのだろう。
そして、近現代でいえば、それをきちんとした理論に仕上げたのがカントなわけだ。

wikiというのは嘘も書かれているが、でもそれなりの情報が記載されている。
そこなんかを読んでみると、クオリア探求は仏法でも行われていたことも触り程度だが書かれてはいましたよ。

ようするに仏法でいうなら、クオリアってのは「五蘊」を総合的にまとめたものということになるのだろう。

色・受・想・行・識。

色=ある現象を体験すること。
受=その体験の感じ方は個々人によって違う。つまり主観的である。正確にいうならば「的」という語句は必要ないかもしれないが。
想=その主観的感受性から導きだされる思いや想念(もちろん錯覚や邪見もある)
行=思った想念から起こした行為・行動。(もちろん無意識の行動もここに含まれる)
識=行為・行動した結果生命に刻まれる記憶。(いわずもがな、無意識に行なったことも記憶に刻まれる)

ときに我々はこの識という記憶を(悪)業とか呼んで嫌っているのだが、自分で作りだした識(業)なんだから、嫌っても仕方ないのですよね。受け入れるしかないの。
どうしても嫌だというなら、自分が刻んだ記憶を自分で書き換えて、自分にとって愉快であるとか価値的なものにすればいいということ。つまり「煩悩即菩提」がそれだろう。だから、書きかえには「厳しい自己批判はもちろんのこと、努力や自己鍛錬や自己訓練が必要」なのであって、煩悩がそのまま菩提になるわけではないわけだ。

ともあれ、すべては主観であり、かつその主観的なものは当然個々人で違う。
だったら、誰であっても、自分自身に生きる以外に方法はないでしょ。
こうなるわけだ。
でも、これを信じられる人、信じて実践できる人は本当に僅少なのが現実。


昨夜、ブッダイエスのことを学ぼうと思い、You tube で動画を観た。

ブッダも素晴らしいけど、キリストも素晴らしいですね。ひとりの人間として。
イエスの場合、あまりにも神格化、神秘化されすぎな部分はありますが、一人の人間という視点で見ると、えもいえぬ感動があると思いましたよ。無論、ブッダも神格化されているが、イエスほどぶっ飛んではいませんね。

なぜ殺されるとわかっていながら、イエスはエルサレムに向かったのか?
イエスが自分の身命を犠牲にして、民衆、ユダヤの司祭たち、ローマの権力者たちに悪事(嫉妬・怨恨などなど)を体験させることによって、人間の中にあるどうしようもない極悪を自覚させようとした。
人間の中に極悪はある。だが、わたしが体現して見せたように、赦しなさい、と。
そうすれば世界から一切の争いは消え失せる。天の国に至る(争いのない理想の世の中になる)と説いたのですね。
イエスがあそこまでして教えても、未だ人類は「許す(赦す)」ことがなかなか出来ないのでしょうがね。

私、エルサレムの神殿について露店で金儲けしてる連中のところで、イエスが大暴れする挿話大好きなんですけどね。はじめてこの挿話を知ったときは、「イエスさん、どうしたん? なんか癪に障ることでもあったの?」とか思ったんですがね。

でも真意はこうでしょう。
「てめーらこのやろう! 宗教を金儲けの道具にするんじゃねーよ!」というイエスの痛烈な批判だった。
そのカッコよさといったら、あるいみ爽快感すら抱いてしまうわけで。
でもイエスさん、暴力はいかんと思うよ! あくまでも言論でいきましょうよ! みたいなね。

イエスが大工だったというのも興味深いですね。
人間が文明の中で生きていくに際して、まずもって絶対的に必要な家を作る仕事ですからね。いわば、生きていくための根本・基盤ですからね、家は。
家を作るといっても、ただ作るのではないでしょう。その土地の性質、気候風土や慣習、周囲の自然環境や住環境、その家に住む人たちの気持ち。ある意味で匠な大工になろうとしたら、総合的にものが見えなければならないと言えるでしょうからね。

そうそう、ブッダの場合、「死者を出したことのない家から芥子をもらってきなさい」。イエスの場合、「これまで罪を犯したことのないものは名乗り出よ」という挿話。これも本質は同じことをいっていて、感動というか吃驚しましたよ。
ようは個々人が個々人の内面(体験)をつうじて考えれば、受けいれざるを得ないものは受け入れざるを得ないのであり、そういったことで他者を責める命を滅する(冥伏させる)ことができるのだという説きかたが同じとかスゲーな! みたいなね。

また、イエスにしろブッダにしろ、臨終のせまったときに口にした言葉が本質的には同じというのも凄いですね。

「わたしのことなど心配しなくてもよい。それよりも、あなた自身とあなたの子どもたちのことを考えて生きていきなさい」と。つまり、自分自身に生きなさい、と。
それをまた当時卑しいとされていた女性たちに言っているあたりは、イエスの中には男女平等の精神があったということですしね。

「法を依りどころとし、自らを依りどころとせよ。すべてのものはやがて滅びるものである。汝等は怠らず努めなさい」(大般涅槃経)



何にしても、ブッダ、イエス双方の動画でガンジーの言葉が紹介されているのがまた素晴らしい。
そう、ガンジーというのはありとあらゆる宗教を取り入れ、自分にとって素晴らしいと思うものは、宗派の枠を取り払い、「自分の信仰」を作りあげていった人だ。
つまり、一宗一派や一教祖がつくりあげた教義に拘るのではなく、自分は自分の立場で、自分の中に総合宗教を作りあげていったわけだ。

私はガンジーのような生きかたこそ、理想であると信じている。
むろん、釈尊もそういう生きかたを目指したのだし、日蓮にしてもそうなわけだ。
だから彼らは様々な宗教や思想のよい部分を、包摂していったわけで。


議題変わって――。
日蓮は攻撃的だったのか?

今のわたしは、ある部分ではそうだったと思っている。
ただしそれは言論の部分で攻撃的だったのであって、むしろ日蓮を迫害した浄土宗とか権力のほうが暴力という力を用いたという部分を見れば、彼らのほうがよほど攻撃的だったと結論している。

しかし法華経に説かれる「言辞柔軟」という語句に照らし合わせたとき、また八正道にある「正語」を鑑みたなら、日蓮は攻撃的であったと結論せざるを得ないし、そこに日蓮の限界、釈尊に及ばない部分があると私は見ている。
無論、言論・表現の自由という観点を加えてみれば、言辞はさほど問題にすべきものではないという面もあるのでしょうがね。

動画の中でもいわれているのだが、釈尊は相手が無茶苦茶なことをいおうが、一旦まず認めて受け入れてから法を説いたという姿勢。これこそ最高最善の人間の理想であると思うわけだ。
攻撃的であったか? を検証するにしても、日蓮一人を見て判断することは結果、不正確な判断に至ると思うわけだ。物事はすべて相対的であるのだし。

かくいう私など、もちろんまだまだそういう境地からはほど遠いわけだが、その境地への努力は怠りたくないと強く思っている昨今だ。

ipsilon at 11:33コメント(1) 

コメント一覧

1. Posted by 桜子   2018年01月19日 16:36
私頭悪いかな?

どこで池田先生から池田氏に変わったの?

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