2017年03月29日

「牧口価値論とカント価値論の比較研究」渋谷仙吉

興味のある方は、以下URLをブラウザのボックスにコピペしてPDFのページを読んでみてください。
www.jacp.org/wp-content/uploads/2016/03/2009_36_hikaku_15_shibuya.pdf

論文の要旨はこういうことだろう。
カント価値論(真・善・美)は難解にすぎ学者向けすぎた。
それを庶民にもわかるようにするには、真を利(利害得失)とする必要があるとしたのが牧口。

しかし総合的に見れば、世の中には学者もいるし、庶民もいるのだから、どちらの価値論も必要だ。
そう提唱しているのが論文の著者、渋谷仙吉という人。
絶対数的には庶民ですがね。だから庶民が理解しやすくという牧口の思想展開には大きな慈悲があると思います。

カントのあらわした書物を読んで、価値論を理解することは一般庶民には困難なことだ。
だから真を利とした価値――つまり利害得失でもって――見させれば、庶民にも価値の意味がわかる。
そしてそうした利をもって価値を見させる視座に立たせたうえで、学者の立場といえるカントの価値論へと視点を進め、利から真を知る作業へと進む。
しかしその真は何かしらの価値を生む存在(行為・行動)ではなく、真はそこにただ存在するだけであるから、それでは価値は生み出せない。

しかるに牧口価値論(利)によりカントの価値論に辿りついたならば、また牧口価値論に視座を戻し、今度は真を知ったうえで、庶民が学者クラスの英知を働かせて、(大)善を作りだす運動をしていくべきだ。
恐らく、牧口の夢想した価値論の実際の運用とはそういう形だったのだろう。
そうい意味で見れば、戸田が宗門という宗教学者と庶民という僧俗和合を目指したことは、牧口の思想の現実化であったと評価していいだろう。しかし、それを池田氏と阿部氏の双方が破壊しあったわけだ。どちらが悪いとは私は見ていない。同罪であるだけだからだ。

だが、こうしたこと。
カント価値論と牧口価値論が循環し、真が利を高め、また利が真を再発見させるという循環サイクルこそ理想であるということをはたして創価学会総体が理解し理念として実践してきたかといえば、相当にあやしい。

いわんや、「利」――つまり利害得失ばかりを追い求めて真を蔑ろにしてきたであろうことは、もはや現実が証明しているといっていいだろう。

池田氏が学べ学べと絶叫のように叫んできたとしても、悲しいかな庶民は庶民であった。万般について、また思想哲学について学ぶ人は少なかった。
真の追及などどうでもよかったのだ。ただただ功徳やら福運やらというご利益があればよかったのであろう。
まあそれが庶民というものなのだから、それはそれで致し方ないんでしょうけどね。
かくいう私だって、そういう時期はありましたから。
でも、何度もこのブログで書いてきたが、私はある日突然、唱題していて「今は哲学を学びなさい!」という命令とでもいうべき声を自分の中から聞いて、そういう方向に舵を切ったのですがね。
むろん、その証拠は記事としてちゃんと残っている。

かといって池田氏が真を追求せよとばかり号令をかけていたかといえばそうではない。
とにかく学会は絶対だ、とにかく信じればいい、とにかく師弟だ、とにかく学会活動すればいい、とも叫んできたのだ。
どちらにしろ池田氏はやりすぎた、煽り過ぎた、発破をかけすぎたのだというのが私の今の見解だ。
もっとゆっくりとしたペースで学会は発展すればよかったのだろう。だがそう言ってみても、後の祭だろう。

さて、煽りというものの効果を仏法で見てみてはどうだろうか?

当然、煽りは焦りとスピードアップや効率化を生む。そしてそれは忙しいということを理由に無意識に人間的な心を喪失していく現象となる。
焦りは地獄。まあわたしも創価関係の書物からそういうことを学んだわけだが、その当の池田氏が激励という美名のもとに、一番会員を煽り、焦らせてきたということに気づいたとき、愕然としたわけだ。
会員の主体性などそっちのけ。「とにかく勝つんだ! 勝利だ! 勝たなきゃ意味がない! 負けることは惨めだ!」とね。

その煽りはもう常識を超えていて、あのような指導を日々繰り返し読んでいたら、これはもう自分の意思とは無関係に洗脳をされ、焦らされても仕方なかったのだろう。脅迫観念になってしまってもおかしくない煽りかたであっただろう。
もっとも、蛇足だが、人間に自由意思など存在しはしませんがね。

いやだからこそ、煽りが危険なのですがね。ヒトラーもそういうやり方をしたのです。煽り、人々の中に「このままではいけないのかもしれない……彼のいうとおりにしないと」という恐怖を生み出したのがヒトラーの手法であり、池田氏の激励は、それに近いレベルだったんだと思いますよ。

ともあれ、わたしがもっとスローダウンして、多くのことをするのではなく、数は少なくても質の良い生活を送るべきだと気づかせてくれたのは、エクナット・イーシュワランの『スローライフでいこう』という一冊の本との出会いだったのですがね。
このイーシュワランはガンジーの振舞いに直接触れ、教えなども受けている人だ。
まあ、まずわたしはガンジーの『獄中からの手紙』をお勧めしますけどね。
内容も素晴らしいのだが、それ以前に、獄中という過酷な環境にあって、こうも心安らかに思想哲学を同志と語れたガンジーの安心立命たる心のあり方に感動しますからね。内容なんてすっとぶくらいのものでしたよ。

究極、瞑想にしろ、内観にしろ思索にしろ、つまらない考え事にしろ、普段の生活にしろ、余裕をもって、ひとつひとつ丁寧に行ない、「一点集中」することだけが大事なんだというのが、その本から学んだ最大の収穫だったのですがね。
それは唱題においてもそうであったことは、いうまでもないだろう。

本を読むときは本だけを読む。音楽を聴きながら本を読むとかいった「ながら」を自分の生活の中から一掃する努力をしてきたのだ。
それはもう大変でしたよ。今では身についてしまったが、はじめは音楽を流しながらなにかしていないことに強烈な違和感を抱いたりもしたが、続けていくと、無音というか自然にそこで鳴る音以外ない環境で読むほうが、内容をきちんと把握できるようになってきましたけどね。
まあ、煙草だけはいまでもどうしようもない悪癖なんですがね。


ともあれ、そもそも仏教というのは一見すると矛盾をはらんだ教えである。なぜなら、仏教はTPOに合わせてその場その時、そこにいた人物に見合った説き方をしている物語挿話形式であることを見れば、それは一目瞭然なことですがね。
だから仏法を実践した池田氏の発言を纏めて読むと、明らかに矛盾する発言があっても異常なことではないが、それを指標として実践・行動としてきた会員たちは、どうも「極端」であったとしか言えないだろう。もちろん利害得失ばかりを追い、真実など顧みようとしなかったというような形で極端であったのだ。

だから私は、三代会長が悪いのでもなく、会員たちが悪いとも思っていない。どっちもどっちであり、究極的には、多くの会員が「主体性」というものを失っていると見ているだけのことなのですがね。
随自意。仏法の根幹を忘れて、仏法者であるとかいってもね……。
でも少なくとも私は、主体性のないロボットにはなりたくないと考えたから、さようならをするわけだ。
自分の頭で考え、自分で決めて、自分の道を征こうということだ。

日蓮はいっていますがね。
行学の二道をはげみ候べし、と。

だがしかし、こうした日蓮遺文のたった12文字すらきちんとしてこられなかったのが、学会であったのだろう。
行行の二道を歩んできたのが学会。学ぶとしても池田氏の指導と学会指導からしか学ぼうとしない偏狭さ極端さが、創価を社会的に非常識な人間集団にしたのだろう。

まあ私はさようならをしたからいいのだが、どんな形になろうと学びを通して、いかなる価値を生むのが最善か? を考えるために、またこういう記事は書くことがあるやもしれないが、それは別に誹謗中傷でも、謗法でもないと考えている。
そう見える人にはそう見えるだけのことである。

私が出来ることは、自分のやってきたことを発信というか、告白することだけなのですからね。

ちなみに故人は敬称を略し、生存者には敬称をつけている。
別に呼び捨てにしてもいいだろという見下しなどではないことをお断りしておきます。


(追記)
今朝、起き掛けに気づきました。

カントの価値論、牧口の価値論、その双方が必要という卓見は、仏法でいえば、六識側からの改革(命の洗浄)と九識側からの改革(命の洗浄)が必要ということになる。

一応、池田氏の指導にはそういうことがはっきり明言されていて、その典型が、政治権力側からの改革=九識側から、庶民の草の根側からの改革=六識側からの改革だということ。
無論、すべては当てはめであるから、この論理はあらゆる項目に適用することができる。

組織の場合、上意下達と下意上達が必要になり、
日蓮仏法にあてはめれば、自行の唱題が九識側からの命の洗浄にあたり、化他行は六式側からの命の洗浄にあたる。

多くの宗教が化他を重視するのは、六式側からの洗浄のほうが、生命が清らかになったことを本人が感じやすいという理由に過ぎない。
だが、意識層=六識側、無意識層=九識側という生命は、無意識層が8割〜9割だということを考えれば、正しい本尊、正しい戒壇、正しい題目ということがいかに重要であるかは理解できよう。
いわば勤行・唱題というのは、意思をもって無意識層に働きかかける瞑想(命の洗浄)といったものなのだから。
その瞑想の正しい仕方さえ探求せず、学びあうこともなかったのが創価ですよね。
だから正しい本尊がなにかもわからないから、思考停止して、執行部の会則変更に素直に従えてしまうわけだ。

そうした三大秘宝すらきちんと理解せず、外道のように、なにか自分の外側にある偉大な力(創価執行部認定の曼陀羅御本尊)から御利益を受けたいというような姿勢で、利他ばかりを重視していたなら、仏法を行じているとはもはやいえないわけだ。
執行部が認定した本尊に功徳を求めるということは、すなわち執行部を信仰の対象とする、外道信仰に他ならない。

本尊とは自らが納得し、自分の主体性をもって選びとるものであるからだ。
それを内道というのだから。

この御本尊まったく他所に求む事なかれ、ただ法華経を保ち南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉弾におわします成り(日蓮)

ここでいわれている法華経とは、正確にいえば「法華経の心」であり、生きとしいけるものが幸福でありますようにという慈悲心である。

しかし創価はどうだろう?
日顕撲滅とか、共産党は悪だとか、下手をしたら阿部氏を呪い殺すような祈りをしてきたんじゃないですか?
それは日顕氏に限らず、創価に反逆者・仏敵と認定された人たちに対してもそうでしたよね。
でありながら、一切衆生の幸福を願っているとか、世界平和だとか、恥ずかしげもなく言えちゃう厚顔さはなんなのでしょうね。
釈尊が説いたといわれる経典には、まずはじめに怒りや怨みを捨てろ、つまり地獄界から離れろと教えていますが、創価はここをどう説明するんでしょうね。

池田氏の場合、「反転攻勢」などという美辞をつかって宗門への怨み辛みを散々ぶちまけてきたわけだ。
無論、阿部氏側も、怒りにまかせていきなり破門勧告を送りつけたりと、どっちもどっちですがね。
双方とも、怒りに呑み込まれ、いつまでも相手を敵としか見れなかった。
殺人鬼のアングリマーラさえ正しい教えに導いた釈尊、また「相模守殿こそ善知識よ平左衛門こそ提婆達多よ念仏者は瞿伽利尊者・持斎等は善星比丘なり」と捉えた日蓮とは雲泥の差ですよね。
それで日蓮仏法を正しく継承しているのは創価学会以外にない! とか言える厚顔さはなんでしょうね。
だから私などは最終的には外道信仰に陥っている創価の人であろうと、そういった人々を瞿伽利尊者として敬える自分になるつもりだが、自身の内的信仰においては、外道信仰を自分に認めるわけにはいかないだけである。

悪知識に身を浸していたら、自分も悪になる。
だから離れるというのが、端的な理由ですがね。

池田氏は指導でこのようなことをいっている。
自分の外側にある悪を責めて、自分の内側にある悪を滅するのです、と。
おやおや、仏法は内道ですから、自分の外側に悪があると思うこと自体、完全に仏法に違背する外道ですがね。
庶民にわかりやすく指導したかったからそういう言いかたになったのは理解できますよ。
でも間違いを教えちゃあいけないでしょ。


日蓮にしても、釈尊にしても、そういう外道の祈りはしてないと思いますけどね。
私などがそう言えば、日顕や共産党をも救ってあげたいという慈悲で祈っているんだと言いわけするのだろうが、本当にそういう心で祈っていて心が変わったならば、言動も慈悲深くなるわけだが、一向にそうならないのはなぜだろうか? 本心からして彼らに怨念をもっているからでしょ。いやそれ以前に意識の部分すらそうだからでしょ。簡単にいえば感情という虚妄にだけしがみついてるだけのことですよね。
無意識層にある原体験を変えていくのには時間がかかるから致し方ないとしても、せめて意識くらい改革すればいいのに、感情論でものを言わなければいいのに、それもしてこなかった。
惨憺たるものじゃないですか……。

一応、池田氏は、「嫌いな人の幸福も祈っていきなさい。少しづつでもいいのだから」とも言ってますが、創価会員同士でさえ、口汚く罵り合う現実はどう説明するのですか? それも何年にもわって。もうそれは怨念のレベルですよ。
そう言えば、学会員だからって完璧じゃあないからねと言いわけするんでしょ。
創価は自己正当化ばかり。だから、さようならなんですよ。

そもそも日蓮の誓願というのは、見返りを求めないものである。無償の慈悲です。
簡単にいえば、叶わないと理性的に判断していても、そうするんだ、そう信じ抜くんだという誓願ですよね。
なのに、努力すれば叶うことを願掛けのように祈っていること自体、日蓮仏法ではないわけだ。
100項目願いを書いて、やれいくつ叶ったとか。お百度参りと同じじゃあないんですか?

創価は絶対である、公明を信じればいい、池田氏の指導はすべて正しい。
楽でいいでしょうが、そういう信は、いわば自分の外側から得たもの(知識)を拠り所としていますよね。
だから外道なんです。

あらゆるものを疑い、自分のしてきた、、、、、、、「体験」や「思索」だけを頼りとし、それで自分の中に残った「これは信じられるかもしれない……」というものを信じようとする。
さて、そのときに内面に起る恐怖。これがいかなるものか体験したことはありますか?
これは信じられると思うけど、もしも間違ってたらどうしよう。でも自分としては精査し尽してきて残ったものだし、でももし間違ってたらどうしよう。この恐怖、この臆病に負けない人こそ、心の王者だし、まさに内道をゆく人じゃあないのですか?

日蓮はいっている。
臆病にては叶うべからず――と。
自分が信じたものを信じきれるか、が大事なのではないだろうか。
創価はそういうことも教えていない。学会と師匠を信じればいいといったレベルだ。
それでもって「信」こそ大事なのだと絶叫してきただけでしょ。

スターウォーズのヨーダでさえ、こいうことは言ってますがね。
「これまで学んできたことを捨てるのだ」と。
それにさえ執着するな、と。
もちろん捨てちゃいけないこともあるんですがね。
つまり精査し続けていくことが大事だと。
捨てるべきは、先入観・固定観念・偏見だと。

苟日新、日日新、又日新(大学)
(まことに日に新たに、日に日に新たに、また日に新たに)


学んだことさえ捨てる。
そういうことを本当に理解し実践しようとしていたのは、創価の中では、牧口だけだったのかもしれませんね。

それが「今日より明日へ」という言葉でもあったのでしょうがね。

だから私は創価を捨てるんです。
ポイっ!

ipsilon at 19:54コメント(0) 

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