2017年04月17日

村尾行一『牧口常三郎の「人生地理学」を読む』を読んだ

創価学会のことをそれなりに知る人なら、牧口常三郎という人が初代の会長(学会創立者)であることはご存知なのだろう。
しかし、現実に私のように二世などであり、長いあいだ会員であることが当たり前だった場合、むしろ牧口の思想をきちんと原典から学んでいないというパターンに陥っている場合が多いのではないだろうか。

何事にも源があるわけで。
その創立者の精神を忘れたり、後世の弟子などがその精神を蔑ろにすることで、企業にしろ国にしろ滅亡してきた歴史を、我々はもっと重く考えるべきではないだろうか。

しかしそれもまた致し方ない部分もあろう。
なにしろ『人生地理学』にしろ『創価教育学体系』(価値論)にしろ、大著ですからね。
しかも、言葉遣いが明治の言い回しであることから、現代人が一読してその意味を正確に理解するだけでも大変な側面もあるのだから。
だが、そうしたことは、学ばざる自分の怠惰を正当化する言いわけでしかないのだろ。

そうして考えれば、原典を読む前に知識人であり、なおかつ牧口と直接親交のあった村尾の言葉に耳を傾けることには、それなりに有意義であるのではないだろうか。

もちろん、出版社が潮出版という学会の外郭団体なのであるから、著述は学会への賞賛がほぼすべてであることは言うまでもない。
しかし、こうした本が今でも読めるというのは、潮出版社あってのことと思っているし、そうしたことに私は感謝を忘れることはない。

ただ昨今の佐藤優氏を起用した行き過ぎた学会賛美とは相当に色合いが違うことは確かであるし、村尾のものの見方はとても正確であることだけは伝えておきたい。
だから、むしろ今こそ読むべき一冊だといえるだろう。(本書の発行は1997年)

ともあれ、小難しいことをいっても仕方はないのだろう。
大事なのは数点に収まると思ったからだ。

・『人生地理学』と『創価教育学体系』は表裏一体をなすものであり、どちらか一方だけでは、極端な思想に陥りかねないということ。
・『人生地理学』は庶民に縁起(すべては関係性でなりたっている)ということを、あらゆるジャンルをとおして牧口が語った内容。そして『創価教育学体系』は今度は庶民ではなく、学者、知識人、指導する立場にある人に縁起をいかに生かしていくべきか、またそうした活かし方を教育に盛り込んでいくべきかという立てわけになっている。
(ゆえに、表裏一体なのだと。しかしそうしたことに牧口自身が気づいたたのは、両著がほぼ完成するころであったというところに重要な意味がある。つまり「真」は「利」を生む努力をしていくことで到達するものである、という体験則から、「真」よりも「利」を重んじるべきだと、牧口自身が体現したわけで、それは単なる卓上の論理ではないということ)
・究極、すべては関係性でなりたっている。であるがゆえに、その人がよいと思うことを自分で選びとっていくことが基本的に絶対的な幸福であるという結論。

こうした3点に集約されるだろう。
いやもっと言えば、村尾も本書の中で言葉にしているが、池田氏、戸田、牧口、それぞれ偉大でダイナミックな人であるし、偉大な思想家であり実践家であるが、彼らの奥にはそれ以上に偉大な日蓮、釈尊の「魂」が内存していることを見逃すべきではないと語っている部分だろう。

狂信・妄信する学会員は、学会が凄いという言葉は何百回も言うが、日蓮とか釈尊が凄いと言わない部分を柔らかに村尾は指摘し、1997年当時であっても、学会が源から遠ざかっていることを言外に嘆いていたのかもしれない。

ともあれ、私ごときが説明できるようなものではない。
各人が意志をもって学ばれることを期待したい。


創造とはすなわち自然の存在の中から人生(人間生活)に対する関係性を見出してこれを評価し、さらに人力を加えてその関係性を緊密化し増加させることである。全く人工をもって自然の配列を改め特殊の配列となし、もって人生への有益性をさらに加えることである(『価値論』牧口常三郎)


この一文に牧口の思想哲学のすべてがあるといって過言はないだろう。
すべては関係性なんですよ。いかなる有益な関係性(つまりは信頼関係)を構築するかが価値創造だということです。

自然の配列を改めるといっても、核や放射能を生むものを作るのとは違う。また遺伝子操作といったものでもない。
樹木を加工し、紙となし、衣服の繊維となし、また机や椅子となすといった加工のことである。

だから、村尾はわざわざ戸田の遺訓である「原水爆禁止宣言」を全文にわたって引用していた。
創価にはこうであって欲しいという切なる願いだろう。
その創価公明が安保法制をはじめとする軍国主義の道のアクセルを踏んだのを見たら、村尾はどんなにか嘆くことだろう。

戸田は宣言の中で明確に言っている。
なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利を脅かすものは、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります――と。
武器を使用しての自衛? 笑わせないで欲しい。
例えそれが核兵器でないとしても、他人や他国の生存を脅かしかねないものであることなど明々白々なことだからだ。

いまさら言うまでもなかろうが、日蓮の著した『立正安国論』は、まさにこのことを述べているわけで。
いかなる人にも生存の権利があるんだということを認識し、確信しないで死んでしまったら、次に生まれかわったときに、良いも悪いもわからずに殺人を犯す可能性の因を作ることになる。だからまずは殺すなかれというのが日蓮の思想の根底なわけで(もちろんこれは釈尊の思想でもある)。
幸か不幸か、人間というのはそういったことを認識し知覚できる唯一の動物種なんですよ。
だから、動物のように、腹が減ったからといって無暗に同族を殺してはいかんとしてきたのです。

言えば、広宣流布というのはその次であるし、もっといえば広宣流布とは「いかなる人にも生存の権利があり、それを誰人にも犯されるいわれなど、どこにもない」ということを宣揚していく運動のことである。
のだが、何やら昨今はそれを捻じ曲げて、創価が人々や世間から偉大に見られるようにとかいった見栄だったり、教義だの本尊だのをもちだして、箸にも棒にもかからない自己正当化の議論を熱くやっているようですがね。

まあここでいう生存権の主張にはパラドックスがあって、あまりにも強く自己の生存権を主張すると、それはそのまま他者の生存権を侵害するという構図があるのですが、それに気づけない人が多いわけだ。
日本の主権やら生存権を守るために、安保法制は必要なんだ。
そうですね、そうすることで日本の生存権は高まったかもしれない。しかし、軍備拡張した日本の振舞いを見た相手(中国や韓国、特に北朝鮮が今そうなっているわけでしょ)は、日本があんなことをしたから、俺たちの生存権がおびやかされたと感じるわけだ。
だからこそ、ガンジーの非暴力主義しかないのです。
北から日本に核が発射されたとしてもね、それは自業自得なんですよ。
創価の人はよくそう言ってきたでしょ。何が起こっても自分の責任だと受けとりなさい、とね。
だったら、北が核を撃ってきたとしても、そうなる原因は日本人の振舞いにあったというのが仏法のものの見方ですよ。違いますか?
言えば、日本がアメリカのケツをペロペロ舐めて軍産路線に舵を切ったしっぺ返しですからね。
そういう因果さえ見れずに、北朝鮮は頭がおかしいとか言ってる学会員もいますけどね。
まあ、何でも人のせいにしてると楽に生きられるのでしょうから、その気持ちもわからなくなはいですがね。

冷酷な言い方をすれば、地震災害や原発事故も、自分たちがやってきたことのしっぺ返しを受けてるだけですよ。仏法の厳しい因果で見ればそういわざるを得ないわけで。
被害に遭った人に哀悼を……。それもいいでしょう。
でもね、そうなった原因の一端は俺にもあるんだ……と自覚し反省するのが仏法者としてまず先にすべきことでしょ。
それもしない。むしろ原発は再稼働する、被災者への支援は打ち切り、いまだ放射能ガチ漏れの地域に帰宅させて、座談会開催おめでとうとかさ、もはや狂人のなすことだということですよ。
誰もまっすぐにこういうこと言わないし書かないから、私が憎まれ役になって言ってるだけですよ。

また村尾はこうも言っている。
貴方たち独特の表現があります。それは
「頑張ってますっ」です。
一般的には「頑張ろう」とか「頑張ってください」です。要するに相手に向かって言うのです。(中略)
これは「一人立つ」ということを庶民的に、しかも簡潔に表明した言葉遣いです。


つまりは、他人を激励することが使命だなどと思い勇んでいるという昨今の学会員の姿は、もはや村尾の褒めたような人たちではないということだ。
この点を鑑みただけでも、池田氏のなした功罪は大きいと言わざるを得ないと私は思っている。
「とにかく激励だ!」
そうやって言いまくってきたことで、会員は「主体性」を失い、他人を励ましていくことが価値創造であると勘違いし、思い込んでしまったということだ。

冷静に考えてみれば、言論出版妨害事件など、意図的ではなかったにしろ、池田氏が大きく牧口の思い描いた思想――ようするに、表現・言論の自由を死守する(むろんこのことは池田氏自身も学会の基本理念として声だかに叫んできたものだ)――から逸脱した実証となって顕れたのだろう。

だが、自分たちのやってきた言論出版妨害事件さえ、狂信・妄信会員たちは正当化して見ているのだから、共謀罪の恐ろしさになど気づけるはずがないんでしょうね。
言論出版妨害事件だけを見ても、俺たちを悪くいうような表現・言論の自由は認めないという独善に満ちたスタンスなのだから……。

ただ、池田氏個人の行いを見ていくと、言論出版妨害事件を深く反省し、正式に謝罪し、その後「創共協定」へと舵を切った部分は誠実で実直な振る舞いだといえる。
だが、その池田氏の思いを踏みにじって、創共協定を事実上無効にするような動きをした人間が学会内、あるいは公明党内にいたわけだ。
そしてそうした思想を受継いでいる者が、今の執行部なわけだ。
だから、学会はいつまで経っても共産党攻撃がやめられないのだろう。

ただここにも面白い出来事があって、池田氏側にしろ共産党側にしろ、双方を歩みよらせる縁があったという不思議さがそれだ。
仲介した人物、作家、松本清張の存在だ。
当事者双方がどうにかしようとしたのではなく、そこには松本清張という縁があって、ある意味では勝手に創共協定ができあがったという妙なる法の働き(すべては縁起によって起こるということ)を、私などはそこに見ているのですがね。

もっとも先に述べた独善的な振る舞いというのは、心理学から見れば弱者の強がりであって、自分に自信のない人間というのは、外に敵を作りだして自己正当化するという修羅の生命の現れにすぎないのですがね。
アメリカのやりかたがその典型。中国もしかり、日本にもそこかしこにありますね。
ネット上にも沢山ありますね。いつまでたっても喧嘩や悪口がやめられないとかね。
結局は、自分のやってることに自信がないだけなわけで、見ていて可哀想になるんですがね。

もっともそういった手法を取らないと、纏まれないのが国家であり、政治なんですね。
だから政治はある意味、必要悪そのものなんですが、それに気づいていない人は多いようですね。

前記事で引用したが、イーシュワランの言葉には、こうしことがよくわかっている表現がある。
「喜び」とは――
心が乱れず、自分に対して静かな自信を感じていられる――と言っているわけだ。
つまり歓喜とは「自信」のことなんですよ。


ともあれ、誰かを敵視した人たちが集まる。そういう仲間意識ではない仲間意識をどう作っていくかで、地球は滅亡するのか生きのびるのかが決まるのでしょう。

その意識が、願わくはコスモポリタン思考――全世界の人々を自分の同胞ととらえる思想。世界市民主義・世界主義とも呼ばれる――であることを私は願っていますけどね。
だからといって人類がひとつの国家をつくればいいということではないんですがね。

むしろそうしたことをすると、それは究極の国家主義(独裁主義)になるわけで。
だから、カントの著した『永遠平和のために』にあるような、多数の国家が存在し、それらが良き方向で切磋琢磨しあいつつ、それぞれの地域性や慣習に見合った「主体的」な国づくりをしていくほうが望ましいわけだ。

村尾はこうした競(競い争うのではなく、競い共に走ること)こそ重要であるなどと言ってましたがね。
そしてこれはルソーの『エミール』での教育論を私に思い起こさせた。
健康な体を作るためなのだからといって、徒競走をさせようとしても子どもはなかなかやらない。
だから、勝ったものに景品を与えるという餌でつる教育がいる。
しかし、その後が大事であって、勝ち取った景品を一人占めするのではなく、共に走った友だちと分かちあう精神を次に教えていくのだ、と。

一位になれたという原因をよく見れば、一位になれなかった人がいたからなれたという事実を自覚させるということですよね。
ようするに牧口のいう「利」とは、こういう利のありかたなわけなんでしょうがね。
ようするに功徳というのもそういう餌なんですよ。
功徳をうけたことを利己的に喜んで誇る。こんなことをするのは愚痴の行いなんですよ。
功徳はあくまでも方便。その先にあるのは、そうした功徳を感じられたのは、自分以外の存在があるからだと自覚することが重要であり目的なわけで。
それこそが本当の功徳なのだろうが、まあほとんどの学会員はそういうことに気づいておられないようで。


ともあれ、コスモポリタン思考というのは、個々人においても理論的にはあてはまるわけで。
各人が自分とは何者かを自覚して、各人の長所を生かし、互いに支え合っていけばいいだけだろう。
それを「こうあるべき」などと言いきってしまうような創価思想には、もはや害毒しかないとしか思えないわけだ。

まずは目の前の一人を大切にするということなんでしょうけどね。

ipsilon at 18:02コメント(0)  

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