2018年07月11日

なぜ自由がそれほど重要なのか?

ルソーの『社会契約論』を読めば、自由の重要性に気づける人は気づけるだろう。
だが、それで自由の貴さを知れたとはいえないだろう。

自由の重要性の意味を知るためには、やはり古代ギリシャ、ローマ帝国に学ぶのが早道だろう。
実際、『社会契約論』の後半部で、ルソーはそういう話をしているからだ。

では古代ギリシャというのはどんな文明だったのだろうか?
まずそこから考えていきたい。

ギリシャといっても、現在われわれが思いえがくような国境線があって国家をなすというものではない。
古代ギリシャはそうではなく、都市の周囲を城壁でかこんだ都市国家(ポリス)であったと考えればよい。
だから、現在でいうギリシャを指す辺りには、いくつかの都市国家が併存しており、いわゆる古代ギリシャといえば、都市国家アネナイのことを指すと考えればよい。

アテナイからほど遠い場所には、現在のギリシャからブルガリア、トルコ、シリア、イラク、イラン、イスラエル、エジプト、アフガニスタン、パキスタンあたりまでを制圧したアレクサンドロス3世(大王)を輩出したマケドニアという都市国家もあったという具合だ。

都市国家という規模を想像すれば、アレクサンドロスの大遠征がいかに壮大なスケールだったかは容易に想像がつくのではないだろうか。彼の軍が広壮な範囲を制圧できた理由には、敵軍が傭兵軍であり、彼の軍が自軍だったというのが大きな理由のようだが、その話はひとまず置くが、他にはアレクサンドロスの家庭教師がアリストテレスだったというのもそうした大偉業を為せた原因の一つであったのだろうが、今回のお話しはむしろそっちに関係する。
ともあれ、これで古代ギリシャの都市国家というものの概略は掴めたことだろう。

ではなぜ、そうした古代ギリシャ文明と自由が関係するのか?
ズバリいえば、古代ギリシャ人の生き方に原因があるのだ。
ルソーは『社会契約論』のなかで、彼らは自由を求め、その自由――余暇といいかえてもいい――をもって思考、思索し哲学を完成させてゆき、最終的に知性による文明を育んだからだ。そうした哲学者の代表格をあげれば、ソクラテス、プラトン、アリストレテスが思い浮かぶし、これらの名前を知らない人は少ないだろう。

ただし、古代ギリシャ人が得た自由は、奴隷をつかって生活し、それによって得た自由だったということを忘れてはならない。ルソーもしっかりとそのことは指摘している。
つまり、ギリシャ人というのは、仕事をして生きていくなんて馬鹿のすること。生活のための仕事は奴隷にやらせて余暇をつくり、俺たちはその余暇を自由に使って、ものごとを考えたいんだ、哲学して生きていきたいんだという暮らしを実現させられたということだ。

これを逆説的にいえば、余暇をもち自由な時間を思想・哲学、あるいは宗教の探求というものに費やして行かない限り、文化文明国家というものはやがて衰亡するしかないことを物語っているわけだ。
そう、これが自由の重要さなのだ。

先に少し述べたアレクサンドロスの大遠征は、軍事的側面だけ見れば野蛮にも見えよう。しかしそこには文化文明を飛躍させる原因があったのだ。それが、四大文明の三つまでを含む広大な範囲が激突し、一つに収斂したという事実だ。
つまり、メソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明、ギリシャ(ヘレニズム)文明が衝突し、各文明が融合しあい、さらに高い文化、文明が形作られたというわけだ。
こういうところに「対話」や「交流」の意味があることは容易に想像ができるだろう。

宗教にしても、ユダヤ教、キリスト教が生まれた背景には、こうした文明の衝突と融合による思想・哲学の発展があったと見て、まず間違いはないわけだ。
それと比較すると、こうした文明の衝突のなかったインドで起こった仏教が案外ともろく衰退してしまった理由もわかるような気がするだろう。

そしてまた、こうした観点から見たとき、グローバル化した現在のなかで、人類が生きのびてゆくためには、先述したような、衝突と融合こそその手立てだということも推察できよう。だが、昨今の世界はそれとは反対に動き、それぞれが孤立しようとする方向に進んでいるというわけだ。


ではなぜその古代ギリシャ文明が滅んだのか?
ズバリいえば、文明の進歩が富裕層と貧困層の差を拡大させ、富裕層が政治腐敗し、専横化し、利権を求めてそれらを奪いあうようになり、結果自滅したというのがその原因だといわれている。

もはや衰亡が見えはじた頃アテナイに現れた、アレクサンドロス以上に有能だといわれているペリクレスの英知によってギリシャは再勃興し最盛期を迎えはしたが、有能な後継者に恵まれるはずもなかったというわけだ。こうしたことから、いかに優れた君主が現れても後継者が育たない専制制よりはまだ共和制のほうがましだということが、すでにこの時代(紀元前500年頃)にははっきりしてしまったというわけだ。


そうした背景があって世界史に登場してくるのが、ローマ帝国というわけだ。ちなみに、ギリシャとローマをあわせた文明はオリエント文明と呼称されている。そういう文明が形成されはじめたのが紀元前750年頃のことだ。
したがってローマ人はギリシャの衰亡を眺めて、違う道を選んだともいえるが、彼らがローマらしいやり方選んだ要因は、ローマの風土や彼らの気質にあったと見るほうがよい。

四つの丘を中心とした都市国家。丘があるために居住域は狭く、いきおいその周辺の田園で牧歌的な生活を営むことを好み、自給自足のために農耕や労働を尊びながらも、余暇も求めたという彼らの気質がのちのローマの繁栄を築いた最大の要因だったといわれているからだ。

こうしたことから、ローマ人は当初は都市よりも田園を重んじ、その田園生活者たちが氏族、やがて民族、そしてクリアという社会集団(現在でいう自治共同体)を形作っていったそうだ。
また同時に、平民は平民の、貴族は貴族の共同体ももち、軍隊は軍隊でケントゥリア(百人隊)という共同体をもち、それらが相互に影響しあい、それらが集会を開き、(都市部に住居した賤民や奴隷を除いて)ほとんどの市民が政治参加するという政体をつくりあげていったのだとか。

もちろんそこには、初代王のロムルスをはじめとする歴代王の優れた統御もあったのだろう。
今でいう、国政調査や住民登録などを取り入れて、自治団体のほとんどが政治参加できる形態を整えたのには、王の力もあったのだろう。また、自国を守るための軍事的な理由、その後ナポレオンによって行われるようになった徴兵のための戸籍による管理という側面があったことも見逃せないだろう。
ちなみに、日本が戸籍制度をはじめたのは明治になってからである。

もちろん、ローマとて時代の変動と無関係であったわけではなく、住民の移動、階級間の移動、、貧富の格差の変化、版図拡大にともなう新たな民族や人民の増加などなどがあって、政治に直接参加するための自治団体の維持管理が時代によって変化させざるをえなかったわけだ。

比較的余暇をもち、政治的な事柄に造詣のある貴族を集めて、助言者として元老院を作るとか、元老院が世襲制になったり権威化したことで、平民の権利を守るために護民官を立てたりと、制度はそれこそ変化変化の連続だったわけだ。そしてこの辺りにこそ、ローマがローマたりえた、時代を見すえた柔軟性と果断な実行力という英知があったことが見えるわけだ。

版図の拡大による帝国人口の増加、被征服者への融和政策やローマ市民権を与える特約、それらによる政治参加など、属国などへの政策も非常に優れていたわけだ。
版図拡大によって、紛争地や蛮族の侵入が遠隔になると見れば、ローマ軍の一部を遠隔地に置き、政治的な権限をもつ人員や設備を配置し、紛争勃発時にすぐさま本体であるローマ軍が駆けつけられるような道路の整備、それによる情報伝達の高速化と、ローマを学べば学ぶほど、こうしたことが現代でも通用することがわかってくるのだ。

地方へのローマ軍の派遣は、現在でいえば、在日米軍であり、在韓米軍であり、かつての在独あるいは在比米軍であり、世界各国に拠点をおくアメリカのやりかただし、世界の国々が外交関係のある国に大使館を置くのもローマがその始祖というわけだ。民間に目をやっても、水道、公共施設の建築云々、ローマを始祖とするものは、それこそ沢山あるわけだ。


ともあれ、これまで述べてきた部分で、それなりに余暇と自由がなぜ大切なのかは、おおよそ理解できたことだろう。
つまり、逆説的にいえば、政権支配者や団体の長として、自分たちの利益だけ考えるなら、国民や団体の構成員に余暇を与えずにおけば、それらの人々はものを考える時間がないので、愚鈍にとどまり、いかようにでも支配できるというわけだ。

国民には暇がないくらい働かせて、過労死しようが適当に誤魔化せる。
あいつらは働かせておけば、考える暇もなくなるしな、と。あいつらを誤魔化す手立ては富裕層の暇のある連中から智恵を拝借すればよろしい、と。
先ごろ衆参を通過した、労働基準法改正など、そういう思惑があることを見抜いておけば、騙されないというわけだ。なにが高プロだ、何が自由な働き方だ、笑わせるな!。
足るを知って、騙されないように生きる。国民にとっての幸福はそこにあると、わたしは思っている。
今やその足る生活さえ危ぶまれてきているようだが……。

宗教も同様だ。やれ広宣流布だ、やれ勝利だ、やれ戦いだと、「励まし」という美辞麗句や「ありがたーい先生のご指導」をとおして会員を鼓舞し、会員がものを考えている暇をなくしておけば、執行部の思いのままになるというわけだ。それが創価学会というものだろ。

ちなみに英語の School (学校)の語源は、ギリシャ語の scholē(余暇)だといわれている。
まあ、余暇があっても「退屈だー」とかいっていたり、余暇を自己の精神的向上に使わずに、肉体的享楽や官能的な欲望の充足に費やしているなら、余暇も自由も無駄なのでしかないのだ。

精神的な向上とは、すなわち自己を知り、やがては解脱へと導く知性の昇華でもあるわけだ。
というか、知性を向上させることによって、人間はどこまでいっても不完全であり、解脱になど絶対に達せない、成仏などできないということに気づき、神や仏としてでなく、「人間として崇高に生きる」道に辿りつくというわけだ。
つまり、そういう境地に辿りついた人の「内面を指して」仏教では仏というのだが、それは決して神秘的な存在になったというのではなく、「人間としての最上の生き方を見出したひとりの人」であるということなのだ。


どの時代の精神的に優れた人物を見ても、自由な余暇を何ものにもまして貴いと考えている。誰の場合にも、自由な余暇は、その人自身の価値と等しい価値をもつからである。「幸福は余暇にある」とアリストテレスは言い、ディオゲネス、ラエルティオスの報告によれば「ソクラテスは余暇を人間の所有するもののなかで最も素晴らしいものと讃えた」。アリストテレスが哲学的な生き方が最も幸福な生き方だと説いたのも、この趣旨に合致したことである。のみならずアリストテレスが『政治編』で述べた「幸福な生き方とは、活動の展開が妨げられずにおこなわれる生き方である」という言葉、すなわちこれを根本的に訳しなおすと、「種類の如何を問わず自己の特技を何ものにも妨げられずに発揮できることこそ窮極の幸福である」という意味の言葉、したがって「才能を授かり才能に生まれついた者は、この才能に生きることが最も美しい生き方だ」というヴィルヘルム・マイスターにあるゲーテの言葉とも一致したこの言葉も、やはりこの趣旨に属する。
ショーペンハウエル『幸福について ―人生論―』



この記事で述べたような、古代ギリシャの哲学を土台にして自己の精神性を高めていく方向づけをもつ人のことを「人文主義者(humanist=ヒューマニスト)」という。またそうした思想自体を humanism=ヒューマニズムという。
昨今では人文主義のことを「人間主義」とも呼んでいるが、これは語弊を招きやすい。なぜなら人間主義は正確にいえば人間中心主義だからだ。世界は人間だけのものではないからだ。

では宗教で世界を見ればいいか? どうだろうか。
これには一種の危険性がある。なぜかなら、宗教は究極のところ、精神性のその奥にある魂の救済を目的にしがちだからだ。人間は魂だけの存在ではないからだ。
したがって、魂、精神、肉体すべてに視線を向けた思想哲学こそ、最良といえるのだ。
マックス・ウェーバーも宗教とはそういうものであり、だからこそ比較的物理世界の秩序を保とうとする政治の倫理とは対極にあるので、相いれないと断じているわけだ。

宗教の場合、この点を吟味していないものが多い。だから「殉教」だとか「殉難」だとかいって、肉体を不浄で穢れたものと見ている場合が多いのだ。
例えこの身が朽ちようとも、法のために尽くすとかいう狂気を育てやすい危険をもつのだ。

肉体が健康でなくて、どうして溌剌とした思考や思索ができよう。肉体が病めば心は欝々として明朗な気分さえ損なわれる。そんな状態で精神性を高めよとか、根性論であり、べき論にすぎない。
それに気づいたからわたしは決して無理をしないことにしたのだ。
ローマ人が労働(運動)を好みかつ余暇も求めた。こうしたバランス感覚だけが、健康な肉体と健康な精神を宿すといってどんな不安があろうか。

けれども、宗教として見るなら初期仏教は違った側面をもっている。だからわたしなどは初期仏教を哲学だと見ている。ただし、初期仏教すら、肉体は不浄だと説いている部分があるので、そこは注意がいる。

自分の体に悪さをしないように。
体を大切に守りなさい。
人は心ばかりでなく、体もある。
その体を傷つけたり、ないがしろにしたり、痛めつけないように。
よい行いをするときでも、そこに自分の体がなければならいのだ。
だから、自分の体をよい行いのために使いなさい。
悪い行いをするならば、自分の心ばかりでなく、
自分の体も汚したことになる。
言葉、心、体。そのどれも傷つけないように。

『ウダーナヴァルガ』


最後の一行を「言葉、心、体」と訳しているのは鋭い。
仏教用語だと「身、口、意」とされている場合が多いが、口ってのは身に含まれているのだから、仏陀の精神を正しく伝えようとするなら、「言葉、心、体」であるべきだから。
口と記述されそう訳された理由には、もともと仏教は口承口伝によって広まったという経緯があるからだろう。


言葉が乱暴な昨今。批判や非難はすれど、それよりましな考えさえ提唱せず、ただ漫然と日々に批判と非難にあけくれる。それが憎悪や妬みや嫉み、ひいては怒りであることすら自覚できない人が多すぎて、世俗に対して絶望的な気分になる。批判や非難だけで終わってしまうというのは、結局のところ起きたことに反応することは出来ても(そんなことは動物だって日常的にやっている)、起きたことに対して自分はこう考えるという思想がないし、自分のなかに思想を育てようとしていない愚鈍さの表れなのだろう。

あれこれいってみたとしても、しょせん借り物の思想、日蓮がそういっていたからとか、歴代会長の指導にそうあるから。池田先生がそういってたからというレベルってわけだ。自分の頭で考えていないし、自分の考えもない。まるでロボットというわけ。だからAIとかにも期待しちゃうわけだ。
自分の頭で考える楽しさ、そうして自分の思想を築いてゆく楽しさ、そういう愉楽を知ったら、AIが世の中を良くするなんてこれっぽちも思わなくなるはずなのだ。なぜなら、そうやって自分の中に楽しみを見出せば見出すほど、自分の外にあるものなんて、生きるに足るだけあれば十分だと確信できるからだ。
だから賢者は孤独を愛するというわけだ。自分の内面の楽しみを邪魔されたくないからだ。もちろん互いに内面の愉楽を高めあえるような友人関係であれば、歓迎します! ということなのだ。

少なくとも批判、非難だけで終わらせる振る舞いはすまいと決めているわけだが。
できているかどうかは知りません。だがまあ、このブログを見ればそれは読み取れるだろう。

毎日毎日ツイッターとかで、政治や宗教団体の批判してる人たちは、自分の内側に楽しみを見出せてないから、批判や非難を繰り返して、賢くなった錯覚を喜んだり楽しんでるわけだ。
いい加減にそういう自分の馬鹿さ加減に気づけばいいのにね。


やれ御本仏だの、前世だの来世だの宇宙生命論だの、宇宙意識だの。馬鹿なんじゃないかと。
生命なんか存在しません。あるのは生命現象だけ。ただの事象。だから魂もないんですよ。あるのは情報とエネルギーと物質が併存する「場」だけなの。その場のことを魂と呼ぶのは人の勝手ですがね。でも本当のところは、場に一時的に生命現象が現れてるだけのこと。

福岡伸一さんとか賢いですわ。
生命現象とは情報とエネルギーと物質を互いに交換しあってるだけってとこに辿りついてますからね。
そういう現象が起こるすべての時空間のことを場というんですよ。

磁石のNとS。離れていてもある画像を通して見るとあら不思議! 磁気がNとSを繋ぐように線状に見える。なぜ磁気がそんな風に現れるのかって。NとSの間に、情報とエネルギーと物質をやりとりする場が存在しているからだ。それまで何もなかった場に磁石をおくことで磁場が出現するというわけだ。何もなかったというと語弊があり、何かが現れるとそれに見合った反応を起こす場(縁起をおこす場)が存在していると考えればいいわけ。

人もまた同じ。たまたま偶然にその場に現れただけのこと。ただ人の場合は、情報とエネルギーと物質のやりとりが究極的に複雑になって意識とか意志らしきものを具えただけのこと。

だから肉体的結合を失えば、ただバラバラになるだけのこと。宿業を来世に持ち越すとか、個人としての魂だとか、輪廻転生とかしないんだってば。馬鹿らしいことを信じたい人はいつまでも信じてればいいんのだが。

まあ、この考えを信じれば、今の自分に起っている奇蹟のなかの奇蹟のような状態がまたいつやってくるかはわからないのだから。この考えを信じれば、個体としての人が、どんな馬鹿であれ阿呆であれ、どれほど尊極かはわかるんじゃないかな。

鋸で材木を切るのも、情報とエネルギーと物質のやりとりをしてるだけ。鉄のほうが固いから、物質的なやりとりという面では材木が切られるという結果になるだけ。だからといって鋸に変化がないわけではない。鋸も徐々に刃こぼれを起こすわけだ。化学変化も同じだ。情報とエネルギーと物質のやりとりをしてるだけ。人も同じ。情報とエネルギーと物質のやりとりをしてるだけのこと。ただ人の場合、やりとりしても意識だなんだが定着しつづける一風変わった事象なだけ。
つまり「法」というのは、情報とエネルギーと物質のやりとりをしてる場があるということ。

仏教は情報とエネルギーと物質を、有、無、空だとかあるいは地水火風空だとか、仏法僧だとか、真理、慈悲、智恵などといい表わしてるだけのこと。キリスト教は父と子と精霊ってので「場」をいい表わしただけのこと。
日蓮の場合、そういう場を主師親の三徳だとか相当に捻じ曲げていっただけのこと。
言葉(情報)、心(エネルギー)、体(物質)、これだって情報とエネルギーと物質のやりとりじゃあないか。
犯罪学では、誰かがある部屋を通り抜けると、必ず物質的な証拠を残すって実証されてるわけで。
けど、情報やエネルギーは感知しにくいから、現実の犯罪捜査の場合、状況証拠や推理ではなく、何よりも物的証拠が重視されてるだけでしょ。

だったら、出来ればより清らか言葉と穢れなき体と徳あふれる心で他者と関わるのが一番いいよね! と説いたのが仏教の究極の教えなわけだ。まあ、あたりまえな結論だよね。

ipsilon at 05:54コメント(0) 

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