2008年09月

2008年09月05日

 めぐる四季の景観の中で最も色彩溢れる秋。校舎と車道を繋ぐ、その学校独特のスペースには、あれほど鮮やかだったモミジの葉が濃い臙脂(えんじ)色に染まって散らばっていた。文化祭の喧騒と熱情は紅葉の終わりのようにあっというまに冷め、そこにあったのは、やがて誰かに凍てつく風を運ぶ木枯らしと、誰かに秋の実りを与える残り香だった。

 そのスペースに佇む何人かの高校生は家路を辿ることをもったいながるように声をあげながら、各々に明日までの別れの言葉を投げかけあっていた。
 そこに居る7,8人の生徒は校門を出ると二手に分かれるのが常だった。北に家がある人。南に家がある人。そんな事情があって分かれるのだが、それは世の常とでも言うかのように上手く半々に分かれるということはなかった。北に家路を辿る人は少数派だった。

「ねえねえ、たまにはMクンが帰る方向でも回り道して帰らない? だってさ〜、いつだってMクンは1人で帰ってるからさ〜」とその一団にいた私は言った。
1人家路に向かうMクンの寂しそうな姿にみんながナニカを感じていたかはわからない。
「あ、大丈夫ですよ〜、慣れてますから〜」と、Mクンは少し照れた感じで遠慮の意思表示をする。そう言いながらMクンは少し長めのスカートに隠れた膝を軽く鞄で叩く。
 Mクンは私の2コ下の視聴覚委員だった。ボーイッシュな照れ屋さんというか、なにか得体の知れない静寂感をもつ女の子だった。その得体の知れない静寂感は、ショートカットにしたMクンのブラウスの襟元から見える首筋から、なんとはなしに漂っている気がした。
 そんな自我世界に浸っていた私を現実に引き戻したのは“カノジョ”のTちゃんだった。
「先輩優しいな〜」
いつものように屈託のないTちゃんのハキハキとした声がした。
「だっていつも1人じゃ寂しいんじゃないかと思ってね」
「でも回り道すると帰るの遅くなっちゃうよー、私家遠いし・・・」とK子。
「まあそうだけどさー・・・」と私。

 どうした事なのか、私の記憶はここから先がハッキリとしない。この後ショッキングな出来事があった訳ではない。それなのに、この日の顛末がどうなったのかすら思い出せない。ただ思い出せることといえば、それがひとつの恋の終わりであり、ひとつの恋の始まりだったということだけなのだ。

 私がMクンを好きになったのはいつ頃だっただろうか。視聴覚委員の中に足を踏み込んだころだったのだろうか。ただ、うすぼんやりと浮かぶのは視聴覚室で見かけた、高校生にはにつかわしくない大人しさや、いつも1人で家路に向かう寂しそうな後ろ姿だった気がする。
 Mクンがキャピキャピしていたところを見かけた記憶はない。だけれども、彼女は視聴覚委員の活動や、文化際実行委員の中でいつも見かけていたし、言葉も交わしてはいた。
 そんなMクンの魅力はなんといっても笑顔だった。普段大人しくて無表情ともとられかねない静寂感をもった子だったから、Mクンの笑った顔は本当に私の心を癒した。ああ、この子もこんな顔をする時があるんだと嬉しく思ったし、考えてみれば私はMクンを笑わせるようなことばかりしていたのを思い出せる。きっとそれは、私が気付かぬところで芽生えたMクンへの恋心からの行動だったのだろう。そしてそれを私以上に敏感に感じ取っていたのは、私に密かに恋心を抱いていたMクンだったし、誰あろうTちゃんだった。

「Tちゃんごめん、俺Mクンのことが好きみたいなんだ・・・」いつだったか、学校の帰り道で私は素直にTちゃんにそう告げた。
「気付いてたよ・・・」とTちゃん。
「え・・・・・・」
「私そんなに鈍感じゃないよ」
「・・・・・・」
「いつだったか皆でMクンと一緒に帰ろうっていった事あったでしょ」
「うん・・・」
「あの時気付いた」
「そっか・・・」
「だから、いつかこういう日がくるかもって思ってた」
「だってMクンいつも1人で寂しそうだから・・・」
「・・・しかたないよ」Tちゃんは自分を納得させるようにそう言った。
「だってTちゃんにはK子もいるし、Mちゃんもいるからさー」愚かな私はそんな事を言った。

 “カレシ”と女友達は違う。そんな事すら分かってか分からずか別れの言い訳にする私にTちゃんは辟易しただろうか? それでもTちゃんは私の前で最後まで屈託なく振舞ってくれた。Tちゃんは、やがて来るかもしれない別れに怯えながらも私から離れられないでいたのに、私は実にあっさりと彼女の前から去ってしまった。それゆえ、Tちゃんへの罪悪感は今も消せない。
 だけれどもあの時、私にはどうしてもMクンを放っておけない気持ちというか、どうしようもなくMクンに惹かれる気持ちがあったのだ。その気持ちが何なのかに気付くのはまだ先のことだったけれど、それは私が幼い頃から抱えていた“孤独感”だったし、それは得体の知れない静寂感という名の、Mクンが抱えた“孤独感”でもあったのだ。

 そう、私も彼女も心のどこかに孤独を抱え、どこかで惹きあっていたのだ。



ipsilon at 01:46コメント(0)トラックバック(0)高校時代 

2008年09月04日

 書きたいことが山のようにある。表現したいことも山のようにある。さる方から頂いた手紙へのお返事も書きたい。久しぶりに狂った様に絵も描きたい。でもなんだか考えがまとまらない。ブログには書いていない部分で自分にいろいろと変化も起こっている。だからなお更自分のしたいことが自分でよく分からない。変化の最中に自分を見出すのは難しいようだ。ならば日記がわりに最近のことを纏めてみようかと試みる。

 私が順風満帆に走っていた頃は、本ばかり読んでいた。ここ最近綴っている高校時代は正にその時期にあたる。栗本薫、小松左京、有吉佐和子、眉村卓、星伸一、赤川次郎、三浦綾子、筒井康隆、灰谷健次郎、夏目漱石、野田昌宏、山本周五郎、山崎豊子などなど、当時日本人作家はこの辺りを読んだだろうか。本の虫のきっかけになったのは、栗本薫だったから、海外作家の本はSFばかり読んだ。I・アシモフ、R・A・ハインライン、A・C・クラーク、ジュール・ヴェルヌ、S・キング、H・G・ウエルズ、マイケル・クライトン、フィリップ・K・ディック、フレドリック・ブラウン、レイ・ブラッドベリ、マイクル・ムアコックなどなど。どちらかと言えば純文学はあまり読まなかった。それでも本当に良く読んだ。確実に週に1冊は読んでいただろう。退屈な授業をする教科の時間にはたいがい教科書の内側には文庫本があった。たったの2駅しか乗らない電車の中でも貪るように読んでいたし、時には電車を降りずに行ったり来たりする電車の中で読書に耽ったこともあった。
 難しいことを理解してやろうと勇んで、アインシュタインの相対性理論の本を読んだのもその頃だった。分かったような分からないような感覚に包まれながら、なにやら世の中には面白いことを考える凄い人がいたということを知った。

 つい最近読んだ本の中にこんな言葉があった。「本を読んでいる人は生き迷わない。本を読むことで自分と向き合い、人生のレールをきちんと修正しているから」と。この言葉にはハッっとさせられた。自分の身に引き当てた時、この言葉が真実だと思えたからだ。
 私にとって長く暗いトンネルともいうべき鬱という状況が続いている昨今は、あまり本を読まなくなっていた。読んでも趣味の専門書ばかりで、自分に引き当てて考えてみるような本はほとんど読んでいなかった。ところがこの1ヵ月、そういった本ばかり読んだものだから、自分にいろいろと変化が起こってきているのだ。
 この感覚とか、本を読んで変わってきた部分を説明するのは、私には少しばかり難しいことなのだが、とにかく焦らなくなった気がするし、いまの自分を嫌悪せずになんとなく許せるようになってきているのだ。

 太宰治の『人間失格』、西山明の『アダルト・チルドレン(AC)』に出会ったことには大きな意味があった。とくにAC
 この本は鬱という症状にだけ必死だった私の視線を大きく変えた。つまり、私はACだということに気付いたのだ。何を今更というかもしれない。しかし、それまで曲りなりにでも順調に歩んできていた20代の中頃に、鬱病になり会社をドロップアウトしてから先、どことなく鬱持ちだからという事だけでは片付けられない漠然としたナニカが人生を狂わせているということには気付いていたものの、その正体が分からないでいたのだから仕方がない。
 これは、小さな病気や症状にひとつひとつ名前をつける最近の科学や医学の害に私が陥っていたのだとも言える。木を見て森を見ずといえば更に分かり易いのであろう。

 西山明の『アダルト・チルドレン(AC)』に登場する、冬子(仮名)という女性の体験記はまるで私の転落人生を、彼女が女優になり私に変わって目の前で演じているかのようだった。「自分のことが書いてある!」そうとしか思えなかった。男女という差はあっても本質的な部分は私の人生を鏡に写したかのようだった。
 自分の惨めな歩みや姿を見せ付けられることは甚だしい苦痛を私に強いた。しかし、眼を背けてはならかったし、背けることも出来なかった。重篤な状態で体のあちこちに管を通され、今にも息絶えそうな苦痛に苛まれながらも、意識だけは異様なまでにクッキリと輪郭がある。そんな苦痛に鞭打たれながら私は本を読み続けたのだ。
この苦痛に耐えれば自分がナニモノなのかが知れるかもしれないと。

 そして、私は知った。自分が紛れもないACだという事を。これまでの人生で抱えていた、置き場所を無くしていた気持ちがどことなく収まる場所を見つけてくれたような気がしてきた。それが今後どんな風になっていくのかは今はまだわからない。だけれども、こうして本を読むことで今までバラバラになっていた自分の気持ちが少しずつ正しい場所に戻り、一枚の絵が描き出されるのではないかと思っている。そして、出来うればそれが端正な自画像であることを私は望んでいる。

 思えば、私は昔から激情家だったのかもしれない。あまりにも感情を抑えられない自分になんとなく気付いて、トルストイの『人生論』から読み取った「感情を殺して理性で生きろ」という言葉にしがみついたのかもしれない。そうしなければ自分も他人をも鋭い刃で傷つけてしまうことに、子供時代になんとなく気付いたのだろう。
 しかし、振り返ってみれば、実に感情的に生きてきた人生だった。ドラマよりもドラマチックでなおかつ過酷だった。それに纏わる退廃感や破滅感といった滅びの美に惹かれ溺れていたと、我ながら苦笑を禁じえない。そうして、そういった思い出に浸るというナルシシズムを愛していた。さすがにここまで自分のことを自分で知ると気味悪さと気恥ずかしさで赤面してしまいそうだ。
 でも、そんな自分がやっぱり好きなことには、もうどういう手の打ちようもない。かつて自分が味わった恍惚感や深い悦楽をまた味わってみたいと思ってはいけないのだろうか? それをこの先の夢や希望にしてはいけないのだろうか? 今はそんな悩みという名の建築材料を目の前に置きながら、それをどう建造したものかと模索している。はて、どんな建物が出来上がるのであろうか? それはまだ誰にもわからない。できればスペインの風を孕むグラシアの散歩道だったり、私や人々が幸せに暮らす姿が見えるようなサグラダ・ファミリアのようであって欲しいと切に願うのだ。



To touch the sky
A dreamer must be
Someone who has more imagination than me

To reach the stars
A dreamer must fly
Somehow he must live more of a lifetime than i
For sands of time won't wait
And it may be too late

Now is the hour and moment
Don't let the chance go by
Your ship is sailing with the high tide
And all your dreams are on the inside
On the inside looking out, on the inside looking out
Looking out, looking out, looking out

To change the world
A dreamer must be
Someone who has more determination than me

To free his soul
A dreamer must fly
Somewhere he must find a better reason than i
The hands of time won't wait
And we may be too late

Now is the hour and moment
Don't let a day pass by
Your shipis sailing with the high tide
You could be standing on the inside
On the inside looking out, on the inside looking out
On the inside looking out, on the inside looking out
Looking out, looking out, looking out

内なる世界に身を置いて外なる世界を見ることを忘れてしまった私へ・・・

ipsilon at 06:30コメント(0)トラックバック(0)AC(アダルトチルドレン) 

2008年09月03日

 社会は厳しい。しかし努力すれば認めてもらえる。これは学校で勉強した結果が評価されることより遥かに満足感がある。そんなことを知ったのは、社会人になる前に経験した、あるイタリアン・レストランでのウェイターの仕事を通してだった。元来、“戻る”といった事が大嫌いな私なのだが、このレストランだけは別だった。つまり、いわゆる“出戻り”をしてまでそこで働いたし、そこは私が唯一出戻ってまで求めた至福の場所だったのだ。

 レストランで知ったことは本当に沢山あった。私が人間というものを好きになるのには、ここでの経験が非常に大きな役割りを果たした。誰も彼もが厳しくもあったが、と同時に優しくもあった。
 K店長。神経質でその叱り方に背筋が凍ったのを思い出す。でも人を褒めて認める時のあの優しい笑顔と頷く仕草には本当に癒された。
 競馬好きで、陽気な調理長。この人はめったな事では怒らなかった。当時高校生でありながら私がシンボリルドルフを知っていたのはこの人のお陰だろう。
 副調理長は良く不満を顔や態度に表す人だったけれど、根は優しい人だった。出戻った時には調理長になっていのだけれど、私と共通の趣味だった軍用機のレーザーディスクをビデオにコピーしてくれたりして、意外な優しさを感じさせてくれた。
 ホールスタッフ・女性社員のIZさん。スケバンのように男勝りでとにかく負けず嫌いの人だった。小さな体をキビキビと動かしながらも、どこかバタバタ感のある人だった。おっちょこちょいで失敗して、1人悔し泣きしていた姿を見た記憶がある。普段は厳しくて明るいけれど、生真面目で純粋な人だったのだろう。
 見た目からしてのんびりした雰囲気のICさん。でも確実な仕事や面倒見の良さでは誰からも高く信頼され評価されている男子大学生アルバイターさんだった。この人がいれば、満席だったりお客の回転が早くても大丈夫、という安心感があった。
 仕事はこのおっかなくもあり愛らしくもあったIZさんと、バイト経験の長い大学生のICさんに殆ど教わった。思えば、IZさんとICさんは私にとっては飴とムチという様相のあるコンビだったのかもしれない。
 同じくウェイターだったビートルズ大好きなTさん。あまりにもビートルズが好きで、ジョン・レノンが撃たれた日に学校を休んだ話とか、どの曲も好きだけれど、今聞いている曲が一番好きだと語り、今を楽しむ大切さを教えてくれた。
 あまりの天然娘っぷりでどう接したらいいのか悩まされたHさん。でも、とてもお茶目で可愛らしかった。彼女が辞める日の事は今でも良く憶えている。

「えーん、イプちゃ〜ん(私)、今日でお別れだね〜 悲しいね〜」
と漫画のように泣く仕草をして、両手で眼をこする仕草。
思わず笑いそうになる天然っぷりに堪えて
「そうだね〜」と冷静な私。
「えーん、今日でお別れなんだよ〜、悲しくないの〜???」
今度は、少しふくれっ面だ。
「いや、悲しいけどさあ〜、うん・・・悲しいよ〜」
「全然悲しそうじゃないじゃん・・・泣いてやる〜」とHさん。
どうするのかと思いきや、話していた近くにあったゴミ箱の側にしゃがみ込んで
「えーん、えーん」と始める。
「わかった、わかった、ごめん、ごめん」と一緒にしゃがみ込んで泣き真似をする私。
 彼女のとった行動が冗談なのか本気なのか私には分かりかねたけれど、周りを明るくする彼女が居なくなってしまうのは、実は本当は私も寂しかったのだ。その気持ちは通じたのだろうか? それは定かではなかったが、刹那、
「さ、お仕事、お仕事〜」と彼女はあっけらかんとして、スキップしながらホールに出て行ってしまった。
 Hさんほど不思議で、魅力的な天然娘に会ったことは、後にも先にもない。私には彼女に対して、ほんのりした恋心はあったけれど、打ち明けることはしなかった。私には同じ高校に彼女がいたという理由もあったけれど、なぜっ? て改めて聞かれたら“どう接すればいいかわからなかったから”と答えただろう。でも付き合ってみたならば、さぞかし面白可笑しい経験が山ほど出来たのだろうなと思い描くだけで楽しくなってくる。Hさんはそんな人だった。

 そして、調理場の女性調理師Oさん。(うっかり名前を失念してしまった)
この人からは様々なものを学んだ。強さとか、人のあしらい方とか、笑顔とか。小さな体でそれこそキビキビ、ハキハキと仕事をしていた姿を今でも眼に浮かべることが出来る。いつも冗談を飛ばし。機嫌が悪いと「ごめん!いま話しかけないで!」と笑う。もちろん私にはそれがなんの合図か分かっていたので
「あ、お腹減ってますね!」とツッコミを入れて笑い返す。
「そうそう、お腹が減るとイライラするからね〜」とまた笑うOさん。
実際には調理場の人間関係や、ホールとのコンビネーションでイライラしたこともあっただろうに、そういう事はつゆひとつ見せず、イライラするのはお腹が減ってるせいと言って笑いにしていた素敵な人だった。

 とにかく私はそこで、出戻りの時も含めて様々な人と出会い、様々な収穫を得た。仕事も必死に憶えた。なぜなら、仕事が一人前に出来て初めて人間関係に深みが生まれることに気付いたからだ。親しくなれば、仕事が終わってから皆で遊びに行くこともあった。

 今では何もかもが懐かしい思い出ではあるが、そこで過ごした時間は本当に充実していたのを昨日の事のように思い出せるのだ。

ipsilon at 23:37コメント(0)トラックバック(0)高校時代 

2008年09月02日

 私の初めてのアルバイト経験は郵便局での年末年始の郵便配達だった。郵便物で重くなった自転車を漕いで必死に坂道を登った。後ろの籠にある郵便物から先に配れと教わったのに、面倒がって前籠から配ったせいで、その坂道で自転車はウイリーしてしまい郵便物が道に散らばってしまった。教わった事をキチンとやることの大切さを学んだ。ちょっと笑えるエピソード。
 一番苦手だったのは書き留めの配達。チャイムを押してハンコをもらうだけなのに、どんな人が出てくるのか? と異様にドキドキしたものだ。なにかあって怒られたらどうしようとか、ありもしないことに怯えていたものだった。とにかくあの頃は親や教師といった大人以外との接触が極端に少なかったから、大人との接触がなんとなく恐かったのだろう。
 しかし、郵便局のアルバイトで何よりも私を苦しめたのは孤独だった。配達先がわからない物があっても高校生なりの責任感で必死になって配った。それでもどうしてもわからない郵便物は局に持ち帰り、教師役の局員さんにすまなそうな顔をして、事情を話す。迷惑そうな顔で「あーここかー、ここはこの前教えたじゃん。あそこを曲がってどーたら・・・」と局員さんは早口で失意を表現する。そして最後には「まぁいいや、俺やっとくわ」と匙を投げられる。教わったことが出来ない自分を責めたし、再度教えてくれなかった局員さんの態度が悲しかった。そんなことで、郵便局のアルバイトは1度しかやらなかった。

 そして次に私が選んで面接に行ったのは、自分を活かせると思えたアルバイトだった。履歴書はどう書いただろうか? 求人は何で見つけたのだろうか? まったく記憶がないのだが、それは面接にいった場所で衝撃的な事があったからなのだろう。
 私は3年間書き溜めたずっしりと重いアニメの紙動画や、セル動画、スケッチブックなどを携えて面接に向かった。学校が終わってからだっただろうか? 一度家に帰って私服でいったのだろうか? このあたりの記憶も薄弱だ。
 とにかく私が憶えているのは、そこで私が非常に認められたということだけなのだ。どかんとテーブルに10センチほどに山積みされた動画を見た面接官だった人の第一声は驚きの声だった。

「うわ! 随分描いたんだね〜!」
「はい」
「じゃ、ちょっと見せてもらうね」
「はい」
 面接をしてくれた人は別のスタッフに声をかけ始めた
「ちょっと〜、○○、○○、こっち来て〜」

仕事の手を止めてスタッフの何人かが私と面接官のところにやってきた。
私のまわりに小さな人垣が出来た。
「へぇ〜」
「ふ〜ん」
「ほぉ〜」
そんな声がその場に溢れた。
私には、まだその声が関心なのか無関心なのかが分からなかった。
「これは全部1人で描いたの?」
「はい」
「う〜ん、キャラは動かしてないんだね〜」
「・・・」
「でも、これだけ描けたらすぐ出来るようになるよ」
「まあそうだよね〜」
「いや、凄いね!」
スタッフの人たちの口から出る言葉が私への関心であり感嘆であることが、次第に分かってきた。

 そんな時、履歴書に眼を通していた1人のスタッフがとんきょうな声をあげた。
「ああああああ・・・17歳かぁ・・・」と。
つまり、それは私を雇うという事は就労規定に違反してしまうということだった。
 私にはスタッフの発した言葉の意味をその時はすぐに飲み込めなかったのだが、面接官がそれを丁寧に説明してくれた。そして、非常に残念がってくれた。
「これだけ描けるんなら明日からでも来て欲しいし、いますぐ即採用なんだけどね」
「あーもったいないなぁ、なんとかならないの?」と別のスタッフ。
「・・・やばいだろう」とまた別のスタッフ。
「もう少しで誕生日かぁ・・・残念だなぁ」
「・・・」
「まあ今回はどうしようもないけど、良かったら18歳になったらとか来年になったら是非また来てみてくれたらいいよね」
「まあそうだね・・・」とスタッフ達。

 私は自分がこれほどまでに認められたのが嬉しくてしかたなかった。部活の友人達の無視や嫌がらせに耐えて必死にひとりぼっちの部活をしてきたことが報われたと嬉しかった。飛び跳ねて喜びたいほどの気持ちだった。
 結局は就労規則により不採用とはなったが、それでもスタッフの人達は私に優しかった。
「あ、良かったらどういう風に仕事しているか見ていく?」と声をかけてくれ、社内を見学させてくれたのだ。

 そこでは、名々が自由な服装で動画を描いていた。背広を着るサラリーマンにはなりたくない。なんとなくそう思っていた私には、そこは理想の職場に見えた。自分の夢がここにはある。そんな風に思ったかもしれない。その情景は今はセピア色の思い出ではあるけれど、とても温もりのある情景なのだ。その後働いたどんな職場の思い出よりも郷愁を誘う光景にすら思えるのだ。

 もし、この時採用になっていたなら、私の人生は今とは全く違ったものになっていたかもしれない。おそらくそうだろう。どうしても絵の道に進みたいと、親を説得する材料にもなり得たかもしれない。そう思うととても儚く悲しい思い出でもある。

 なぜ、18歳になってから、そこをもう一度訪問しなかったのか? それだけは今でも後悔している。しかし、結局はエレキギターを買うお金が欲しいという焦躁感で私は別のアルバイトに就いてしまったのだった。

ipsilon at 23:17コメント(0)トラックバック(0)高校時代 

2008年09月01日

 「GUILTY or NOT GUILTY」それを決めるのは何であろうか? 一般的に考えてみればそれは法律であろう。つまるところ、人が人を裁くこと=「GUILTY or NOT GUILTY」なのだろう。
 しかし、世の中には「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言った人。福沢諭吉もいる。 これは先ほど出した結論に反する言葉だ。人に上下がないのであれば、人が人を裁くなどということなど不可能なのだから。いや、平等な立場にたった人間同士が裁判という場所を借りて罪の是非を問うのだから、そこに上下関係などないと言う人もいるのだろうが、それは間違いだ。なぜなら、被疑者にどのような是非が下されようが彼はそれに従わざるを得ない状況にあるからだ。つまり、裁判をするという事自体に既にパワーバランスがあり、一方が一方に隷属せざるを得ない状況があるのだから。

 しかしこれは、被疑者が下された判決に従うかどうかとは別の問題である。例えば彼が有罪になり、いくばくかの刑期を過ごさざるを得なくなったとしたならば、確かに彼はその間、いくばくかの身体的自由を半ば奪われ拘束されるだろうが、彼の精神的自由が拘束されることはない。もちろん、いささか世間で起きている情報を得る自由などは拘束されるだろうが、彼が犯したかもしれない罪に対して是か非かを選ぶ精神的自由までは奪い得ないのだから。

 世界ではこういったことが日常的に行われている。不可思議であるし、無意味さを感じる。

 私は僅かな人生の中で、何度か行政や司法の場に足を運んだことがある。行政は警察機関、司法は裁判所と言い換えることが出来よう。どちらも、その機関の建物に入ること自体にパワーバランスを感じた記憶が生々しい。

 ある人・Aが逮捕され身柄を拘束された。無論本人は私に連絡など出来ない。だから私はAの知人から連絡を受け、彼に接見しに行った。
 接見する場所まで警察官に先導され、その場所まで歩く。必要のない荷物は持ち込めなかったように記憶している(荷物検査を受けた記憶がある)。真夏を少し過ぎた辺りだっただろうか。その場所は異様に蒸し暑かった。そこで必要とされるだろう設備しかない無機質な空間だった。私はそこで人口の壁とアクリルの板を隔ててAと対面した。壁の向こうには警官が待機し、警官は時々時計を見る意外、なんとなくぼんやりとして彼の業務を果たしていた。壁のこちら、私がいた側に警官はいなかったが、それは接見室へ辿り付くまでの何重かの扉と鍵がいかに頑丈であるかを物語っていた。

 ある人・Aの情状酌量の為に、私は証人として出廷したことがあった。
 その日、傍聴席は見学の学生で埋まっていた。被害者の親族は被疑者に会いたくないということで欠席した。被疑者・Aの家族はもちろん出廷していた。
 形式にのっとり裁判は開廷された。そして私が証言台に立つ時間がやってきた。出廷前に署名していた宣誓書を読み上げ、証言が始まった。
 それは裁判中の秩序を維持するためなのだろうが、私に発言が許されたのは裁判官からの質問に答えることでしかなかった。むろん時間割の最後に、証人である私の趣旨を述べることはできた。しかし、裁判官との質疑応答の後に趣旨を述べるという時間割自体に私はパワーバランスを感じたのを強く記憶している。
 つまり、証人がどんなに情状酌量を思ってその場に立ったとしても、裁判官の質疑によってその意思をそぎ落とされかねないという印象を受けたということだ。

 ある人・Bが言っていた。
 「裁判なんて当てにならない。裁判官も人の子。重大な判決の朝、妻と夫婦喧嘩でもすれば、判決は重くなるもんだよ」と。

 ある人・Aは結局有罪となった。執行猶予なしの実刑であった。
身柄は警察から拘置所へと移った。そこは高い壁に囲まれた施設ゆえなのか、接見室の重苦しさは、警察の接見室よりいくぶん和らいだ雰囲気があった。私がそういった設備に慣れてしまったせいかもしれない。単純に建物が古く、いくばくかの木造で作られた部分がなんとなく空気を癒していただけかもしれなかった。人間の心が有機的なもの無機的なのもでうける印象がこうも変わるものか、と思った記憶がある。

 ある人・Aが刑期を終え出所した。むろん私は刑務所というものがどんなものかは知らない。Aが何県の何刑務所で刑期を過ごしたかさえ、知る術がなかったのだから。そして、私と再会したAが私にこういった。

 「俺は悪いことをしたとは思っていない。ただ、運が悪かっただけ。俺と同じことをして運良く捕まらない人もいる。刑務所で知り合った人の半数以上は悪いことをしたと思ってないんだよ」と。
そして、こうも言った、
 「だからもし、また困った状況になったら、同じことをすると思う」と。
 ある人・Aが刑務所に入ることになった理由は家族という「大切なものを守るたの」行動だった。

 こんな体験をした私は「大切なものを守るため、犯す罪は是か非か!?」と聞かれれば、是も非もないと答えるだろう。表面的に見れば、刑期を勤めることでAは社会的責任を果たし、社会的制裁を受けた。つまり、是であった。しかし、罪の意識を生めないこの社会構造とは何であろうか? 是非を問うたところでそこに意味など見出せないと思うのは私の視野狭窄であろうか? 結局、私が見た1例では、身体的・精神的双方に置いて人が人を裁くことは出来なかった。Aの言によれば刑期に服した人の半数以上はそうだということだ。何と虚しい世界で私たちは生きているのであろうか。

 だがもし、死後の世界があるのなら、Aは何らかの形で自身が犯した事への報いを受けざるを得ないだろう。私は証言台でそういった筋の趣旨を述べた。その世界には因果があり、原因にみあった結果がもたらされるであろうから。しかしそこで下される罪の是非は本人以外知りえないことなのだろう。いや、その本人ですら知りえないのかもしれない。

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