2010年04月

2010年04月30日

 まだ見ぬ恋人。一生を共にできる人。以上!

ipsilon at 20:48コメント(2)トラックバック(0)ブログテーマ 
 それから数日の間、シンジは平穏な日々を送った。
 それは、ランコと2人で決めた、“お互いに冷静になる”という約束の日々でもあった。心は常に前後左右、そして上下にも揺れ動き、決して安らいでいたわけではなかった。だが、気持ちが心の中心にある軸から外れて、どこかに飛んでいってしまう、ということもなかった。
 それは、エクササイズとバイト、その合間にぽっかりとできた時間に湧いてくる、ランコへの想いを、必死にコントロールしようとする、シンジの心の戦いでもあった。
 もっとも、急激にエンジンをスタートして、アイドリングすらせずに、焼きつく寸前まで酷使した体を冷やすという側面も、その日々にはあった。

 もしも、シンジとランコを見ていた親切な人がいたなら、ここが“真の意味でのスタートライン”だよ、と教えることも出来たのかもしれない。しかし、それは叶わぬことだった。

 (あれから何日経ったんだ?)
あえて日数えることをしないで過ごしてきたシンジに、ようやくゆっくりできる、オフの日がやってきたのだ。
 部屋での珈琲と煙草漬けの生活は、一向にあらたまらなかったが、事件の夜からその日まで、酒だけは飲まずにきていた。

 「はぁー! 酒飲まないでいると、こんな頭スッキリするのかー!」
シンジは大きな声で独り言をいいながら、左手を動かし、ドミナントからトニックへとコードを変えた。
「やっぱこのコード進行、気持ちいいよなー。あれだ! ビジネス用語で言えば着地点か!」そういって、ギターをベッドに立てかけた。
 「トニックに戻ると不安定感が消える。んでもさー、サブドミナントからトニックにいくのも、いいんだよねー。サブドミナントからトニックは、どっちかっていうと憂鬱から安息。ドミナントからトニックはさ、情熱から冷静って感じかなー」
 シンジは卓上の音楽理論が、自分の心にどう響いてくるのかを、声に出して確認してみた。
 「指差し確認!! これ大事よねー。あはは」

 独り笑いしながらコーヒーカップを手に取ると、中は空だった。
「チッ! しょーがない、入れてくっか」
 コーヒーを入れてベッドに戻ったシンジは、譜面を開いた。
「んー、このリズムとかさー、目で確認すれば、ちゃんと頭に入って、体が勝手に動くようになるんだけどなー、耳で聞いて憶えようとすると、どうも体に入ってこないんだよなー。まあ、口に出してリズム刻めば、弾けるっちゃー弾けるんだけどねー。人間てけっこう頭悪いよなー。っていうか頭悪いのは俺か! あはは。というか面倒くさがり過ぎかなー」
 譜面のリズム譜をじっくり眺めてから、弾いてみる。
「ほらな! 簡単にできちゃうよー。なんかあれだなー、音楽も恋愛も似たようなとこあるなー」そう独りごちながら、ギターをスタンドに戻して、シンジはベッドに横たわり、組んだ両腕に頭を乗せて、足をブラブラと動かしはじめた。

(ランコ元気かなー? あのあと、また元カレとか来てなきゃいんだけど。ランコも色々考えてるのかなー?)
 シンジはふと、この数日の間に買ってきた写真立てに視線を投げた。そこには、『りふれいん』10周年の時に撮った写真が入れられ、シンジが写っているところから、少し離れたところで、ランコが微笑んでいる。
(あの写真があっての、ここ数日だなー。あれがなきゃ、衝動的に会いにいっちまっただろうな。目視確認ですね! あは。でも結局出てきた結論は同じかー。
 高校時代、親友が俺の知らないところで、Mクン(当時の彼女)のことを抱いたこととかさ、K子(元彼女)が、俺と同棲してたのに浮気したとかさ、どれも俺にとっては許せなかったんだよね。だから、俺が龍さんの彼女のランコを奪うなんて出来るわけがないし、絶対したくない。でも好きなんだよな、ランコのことは。どうしようもないくらいね。それは確実。ここんとこ何度も考えてみたけど、失いたくはない・・・うん)
 シンジは、大きな溜息を天井に向けて吐いてから、起きあがってコーヒーを一口飲んで、また横になった。
(どうすりゃいんだろ? わかんねー・・・。悶々の、悶々だぜー。先がないのに抱くとか虚しいし。それって体だけの関係かい? 快楽主義ですか? 愛もないのに抱くとかありえねーし。その逆はどうなんだろ? 女からしたら・・・。わかんねー。思考のドツボですな。やっぱりスッパリ忘れるか・・・、それがいいのは理屈ではわかってるさ。でもねー、会っちまったら無理なんだよねー。いっそのことこのまま会うのやめるかなー・・・。どうして頭と心は別の方向を向くんだろーねー。困ったちゃんですなー。)
 フーッ! 今度は大きく口をとがらせて大きく息を吐き出した。
(どっちの思いを優先すればいいんですかー!? 教えてー! 結局、指標かなー。俺が何を指標にして、先に進むかだよなー。でもその指標がわっかんねーんだよー!)
 グルリと寝返りを打ってランコのいるフォトスタンドを見るシンジ。
(白いスーツかー。貴方色に染めてくださいってかー。やっかいな色の服着やがってからに。ばかちんめー。愛が必用、それだけは確かか・・・、愛って何だ? 与えること・・・そう思えるな俺には・・・。かの偉大なエーリッヒ・フロムさんの言葉かー。“愛とは与えること”。俺には一番スッキリ出来て、納得できる言葉だな)
「少し寝るか・・・」

 思索に疲れたシンジはそのまま眠ってしまった。



ipsilon at 19:52コメント(0)トラックバック(0)私小説『真紅の恋』 
 散歩を始めてから撮った写真のマイベスト3を選んでみました。
ジャジャーン! 第3位「道」 4月26日撮影
IMG_2655







 写真を言葉で説明するのもアレなんですが、歩いていけば途中でこういう美しい発見がある! そういうことを感じて欲しい構図で撮ってみた1枚です。咲いている花も綺麗なんですが、使命を終えて大地に落ちた花の鮮烈な色の美しさときたら、なんたること! そう思ってもらえたら超嬉しいです(笑)

ジャヤジャジャーン!第2位「憩」 4月26日撮影
IMG_2649







 休まず歩くなんて無理! 時には休むことも必用ですよね。どうせ休むなら何もかもが美しい場所がいいな。そんな気持ちでシャッターを切ったかは憶えてません(笑)
 心の赴くままに撮った一葉です。

 萌黄とも若草ともつかない、黄緑の葉の色が私は大好きなんです。そして、苔色ともカーキとも言いがたい水面の緑。カーキって色は、とても言葉で表現できる色ではないんです。国防色と枯草色を脳内で混ぜて自分の持つイメージで瞼に写してみて見えた色。そんな風にいえるかもしれません。カーキという色だけで、研究書が1冊書けるくらい表現し難い色なのだと。

そして今週のビックリドッキリな第1位はコレ! 「命」4月30日撮影
IMG_2678







 ちょーぶっとい幹の木に息吹いていた小さな小さな葉です。
これを見つけたときの感動は言葉にはできません!
 道は続きその方向には太陽がある。そういう構図で撮ってみました。
って第3位と同じ構図ですね^^;
もちっと工夫しないとですね(笑)

散歩を始めてから撮った写真は、約36枚。プロでもワンロール(36枚)撮って、納得いく写真は1枚あるかないかなのだと、聞いたことがあります。なので、まぁ上々の成績というか自己満足度ですかね(笑)

おあとが宜しいようで^^/

ipsilon at 17:47コメント(2)トラックバック(0) 
 この2日半、綴った記事は、別段予約投稿でアップしたものではありません。つまり、書いたものを逐次リアルタイムで投稿したものです。それに費やした時間は、日課の散歩とシャワーやトイレ、食事以外の時間の全てでした。
 その時間、おおよそ30時間。よくもまあこれだけ頑張れたと自分でも関心する反面、やっぱり病気をかかえた心身でこんなことをすると、非常に危険な反動がくることを実感しました。

 「激震の部屋」を書き上げて、なんとかシャワーを浴びた私に、眠気はほとんどなかったのですが、「寝なきゃヤバイ」という意識があって、ベッドに入りました。ですが、予想していた通り寝れません。
 激しいイライラに耐え切れず、何度もベッドとPCの前を行き来しました。
 ランコと居たとき、あんなこともこんなことも出来た。そういったことを思い浮かべることは、輝かしい思い出の再現、懐かしも楽しく、時には新しい発見すらさせてくれる時間でもあるのですが、今現在の自分に立ち返った時、何も希望を見出せない、誰も信じられない自分を、痛いほど自覚してしまうのです。
 あまりにもショックな出来事で記憶を無くした人が、過去を必死に思い出そうとする苦痛に耐えかねて、悶絶する苦痛とでも言えば分かりやすいのかもしれません。そして、そうなった私が望んだことは、やはり「死」でした。

 多分、眠ることさえ出来れば、この「希死」をなんとか振り払える。そう考え、アロマキャンドルを焚いたり、できる工夫はしたんです。でも眠れない。希死はつのるばかり。たぶんその時見た光景はこんな風景だったのかもしれません。
IMG_2669

 漆黒の闇に横たわる、群青の川に輝く煌き。

 あそこに行ければ、楽になれる。あそこに行けさえすれば、もう苦しまなくてすむ。
 でも、心の奥底には、その超常的な光景に恐怖を感じてもいたのです。死への恐怖を。

 この写真は、昨日の午後、5時半頃に撮ったものです。
 公園の池が、陽光をキラキラと反射する光景があまりにも綺麗だったので、なんとか写真に収めたいと思って撮ったものです。
だから、現実の私の脳裏に焼きついている美しさとは別物です。
 
 晴天の青空に傾きかけた太陽、静かにたゆたう池の緑色の水面が斜光を反射してキラキラと輝く。その輝きは一瞬たりとも、その場所に留まることなく、私の心を打ち続けました。
 どうしてもこの光景を撮りたいと何度もシャッターを切りました。
でも、けっきょく水面で瞬く光を美しく捉えられたのは、この画像だけだったのです。
 カメラのレンズの機能と人間の目の機能が違うことは知っていましたが、これほどまでに違うとは思いもよりませんでした。人間の目や心、そして脳の働きの偉大さを、その出来事で知ったのです。

 閑話休題。

 とにかくも、希死に心を完全なまでに侵食さわれた私は、それを振り払うために、このブログにそのときの心を素直に書き綴るしか方法がなかったのです。
 書いた記事を読み返してみて、いかに自分がおかしくなっているかはすぐに分かりました。でも投稿しました。

 今日目覚めてその記事を削除して、この記事を書いているのですが、もうあんな記事は二度と書きたくない。そう思っています。

 かつてデザインの仕事をバリバリやっていた時、締め切りに追われて自分を酷使し、ずっとPCに向かい続けて作業した自己記録は36時間。入稿を済ませてベッドに潜り込んだ私は、またたくまに眠りに落ちました。
 
 そして今朝まで、身も心もボロボロの状態で、私小説を書き続けた時間は30時間。希死に襲われても当たり前だったのかもしれません。よくもまあ、この状況でそれだけ頑張れたものだと、自分を褒めてもいいと、思えるのです。

 ということ、で散歩にいってきます。

ipsilon at 15:34コメント(2)トラックバック(0)うつ病 

2010年04月29日

 ランコは街灯の下に座って、膝を抱えながら泣いていた。スポットライトの光に照らされたかのような姿は、早く来て、私を見つけて! 助けて! と訴えているかのようだった。シンジの足音に気づいたランコは、恐怖を感じたかのように素早く顔を上げて、音のする方に振り向き、素早く立ち上がった。

 「シンジー!!」
叫びながら駆け寄る彼女の足元からは、ペタペタという音がした。そしてシンジに抱きついたかと思うと、また恐怖が湧き上がってきたのか、待ち人が来たことで安心したのか、わんわんと泣き出した。
「怖かったー、怖かったよー、殺されるかと思ったー」
「遅くなってごめん。もう大丈夫、大丈夫だよ」
ランコを抱きしめ返すと、彼女の体がブルブルと震えているのが伝わってきた。
「怖かったー」
「どうした? なにがあった?」
「シンジー! 怖かったー!」
今はランコの身に起こった事を聞くべきではない。シンジはそう思った。
「とりあえず家に入ろう、ここにいてもあれだろ?」
その言葉を聞いてランコは少しだけ冷静さを取り戻したのか、泣き声が少しだけ小さくなった。しかし、肩を上下させながらの酷いしゃくりあげと、体の震えはまだ治まるとは、とても思えなかった。
「とりあえず、さっき座ってたとこ行こう、ここ道の真ん中だしな。クルマくると危ないから」
シンジが優しくそう言い聞かせると、ランコは泣きながらコクリとうなずいた。

 シンジはランコの横に立って両肩を持ち、なるべく彼女が落ち着きを取り戻せるようにと、出きるだけ体を密着させて、歩き始めた。ランコの足取りは不確実だった。体がグラグラ揺れるのを抑えられないようだ。シンジが自然に走らせた視線の先には、裸足の足があった。
 七分袖の白いワンピースのパジャマを着たランコと、上下デニムのシンジは、並んでゆっくりゆっくりと、街灯の下へ向かった。

 「ここで少し座って落ち着こう」
ランコはシンジの言葉に素直に従って、その場にしゃがみこんだ。シンジはすぐさまランコの前に移動してしゃがみながら、彼女の全身に視線を走らせた。
 街灯に照らし出されたランコは、とても酷いありさまだった。シンジは両手をランコの顔に当てて、少しだけ彼女の顔を上げさせてから、
「もう大丈夫、大丈夫だよ」と声をかけ、ランコの涙を指で拭った。
「怖かった・・・」

 唇の端は切れ、血が滲んでいた。鼻からも血が流れていた。その血は、もう固まり始めていたから、ランコがどれだけの時間、1人で恐怖の中にいたのか、シンジはすぐに感じ取った。
「怖かった・・・」ポツリそういってランコは、額をシンジの胸に当ててきた。
「よしよし、もう大丈夫だ。大丈夫だよ」
しゃくりあげるランコの肩の揺れが少しだけ小さくなっていた。

 パジャマは汚れ、髪には飛び散った血がこびりついていた。両腕には転んだ時に擦りむいたような傷が何箇所もあった。裸足の足は、恐怖に耐えようとしてだろうか、強く地面を掴むようにしながら、まだ小刻みに震えている。もちろんその裸足の両足も傷だらけだった。
 
 「あのね、元カレが来て暴れたの・・・」
ようやく恐怖が少し治まったのか、ランコがか細い声でそう言った。
「そうかそうか、怖かったな。もう大丈夫だから、もう大丈夫だから」
シンジはランコを抱いた腕に少し力を入れた。
「ごめんねシンジ。無理いって」
「なに言ってんだよ。平気平気。大丈夫だから。今は何も考えるな」そういいながら、ランコの髪を撫でた。
「少しは落ち着いたかい? 落ち着いたら部屋に戻ろう」
「うん・・・でも部屋たぶん滅茶苦茶だよ・・・」
脳裏に部屋の惨状が浮かんだのだろう。ランコはまた泣き出した。
「大丈夫。俺が全部綺麗に片付けてあげるから。いつまでもここにいるわけにもいかないだろ?」
「うん。一緒にいてね。どこにもいっちゃ嫌だよ」
「いかないよ。どこにもいかない。側にいるよ」
「うん」
2人はどちらからともなく立ち上がって、そこから20メートルぐらい離れた階段のところまで、トボトボと歩いた。

 さほど長く続く階段ではなかったが、上がりきるのに随分時間がかかった気がした。階段を登りきってすぐ右にドアがあった。
 部屋に入ったランコは、玄関から数歩上がっただけで、また激しく泣き出した。シンジは彼女から手を離したくなかったが、体を少し離してドアを閉め、鍵をかけた。取っ手には血が付いていた。
 シンジは靴を脱いで、ランコのいるところへと急いだ。

「あーん、牛乳こぼれてるー。これじゃー臭くなっちゃうよー。シンジー! 牛乳がー、じゅうたん臭くなっちゃうよー」と、激しく泣き叫んでいる。
「大丈夫、大丈夫。俺が綺麗に掃除するから大丈夫」
部屋の奥に荒れていない場所を見つけたシンジは、
「ランコ、あそこに行って、座ってな。座って待ってて」と、その場所を指差す。
「じゅうたんがー・・・」
ランコは、彼女にとっておぞましい空間を、ぴょんと飛び越えて、シンジの指差した場所へと走り、その場所で泣き続けた。
「じゅうたんが・・・」
「ランコ、いらないバスタオルどこにある? 教えて」
「あそこ」
泣きながら、バスルームに続く短い廊下を指差すランコ。
「わかった。ちょっと待ってろな。すぐ済ませるから」
そういってシンジはバスルームの方へ向かい、とりあえず手近にあったバスタオルを掴むと、恐怖の空間に戻った。

 紙パックの牛乳が倒れ、近くには割れたグラスと、食器の破片が散乱していた。思ったほど部屋は散らかっていなかった。牛乳を拭き取るために、散乱している破片を集めながらシンジは想像した。

 いきなりやってきたランコの元彼氏。ちょうどその時ランコはお風呂からあがり、パジャマに着替えて牛乳を飲んでいたのだろう。いきなり暴力を振るわれて、ランコは必死で外へ逃げた。だから部屋の惨状はこの程度で済んだのだろう。無我夢中で外へ走り出したから、部屋に戻ったときに見た光景にショックを受けたランコは、また泣き出したのだ・・・と。
 電話、電話はどこからしたんだ? 公衆電話か? 着信したときシンジは酔っ払っていたから、そのどちらから掛けたのか、判断がつかなかったのだ。いや、それ以上にランコの悲痛な泣き叫ぶ声に胸をえぐられたから、そんなことを考える余裕などなかったのだ。だが今はそんなことはどうでもいい。
 何度かバスルームと恐怖の空間を行き来して、バスタオルをゆすいでは絞り、ようやくじゅうたんに匂いが残らないだろうと思えるところまで漕ぎ着け、とりあえず端によけてまとめていたグラスと食器の破片の片付けに取りかかった。

 「シンジ。手切らないでね」
シンジが掃除する光景を眺めていたのだろう。ランコがそう呟いた。
「大丈夫。破片とかは台所の端にまとめて置いとくから、落ち着いたら後で片付けてね」
駄目だ。こんな冷静なセリフを今言ってどうするんだ! シンジは自分に苛立った。
「待ってな。もうすぐ終わるからな」
気が付くと、ランコの泣き声は耳を澄まさないと聞こえないくらい、小さくなっていた。

 「よしOK! つぎはランコだ!」
何度も廊下を行ったり来たりしたシンジは、もう大体部屋の間取りを覚えていた。綺麗なタオルはどこだ? あった! 脱衣籠の上に干された洗濯したてのタオルを見つけ、それをとってキッチンに行き、給湯器のお湯で暖めたタオルを用意して、ランコのところに戻った。

 「怖かったな。痛かっただろ。こんなに血だらけになって。いま綺麗にしてやるからな」そういって、シンジはランコの顔の血を拭っていった。ようやく落ち着いたのか、ランコも泣き止んだ。体の震えも止まっているようだった。
「怖かったな。もう大丈夫だぞ」
固まりかけた血は、なかなか落ちなかった。
「ちょっと待ってろ。もっかいタオルゆすいでくるからな」
「うん」
ランコの全身にこびリついた血をふき取るには、1枚では足りない。そう思ったシンジは、もう1枚タオルを用意して、急いでランコのもとに戻る。
「ちょっと熱いけど我慢してな」
2枚目のタオルが冷めないように、今度は少し熱めにしたのだ。
「顔に痣とかはないよ。腫れてもいない。大丈夫だよ。跡が残るような傷はないよ」
「うん」
顔の血を拭い取ったあとシンジは髪や腕、足にこびりついた血や汚れの処置にかかった。その間ランコは放心状態に陥っていたのか、何も喋らなかった。

 耐え難い恐怖を味わった人間がどうなるのか、シンジはよく知っていた。誰あろうシンジも、酒乱の父親の暴力に幼少の頃から、散々苦しめられてきたのだから。恐怖、放心、発散、それが過ぎなければ、安堵の気持ちなど湧きようがないのだ。ランコが味わった恐怖が痛いほど理解できたシンジは胸が締め付けられた。今は俺のことなんてどうでもいい! とにかくランコだ! 彼女を安心させてやらなくちゃ! シンジは胸中に湧いた幼い頃のことを振り払った。

 「よし、これでいい。つぎは傷の消毒だ。ランコ、救急箱ある? ランコ、、、ランコ、、、」
何も話しかけないと、放心状態から抜けられないかもしれない。そう思ったシンジは彼女が答えるまで彼女の名前を呼んだ。
ランコの虚ろな眼差しに少しだけ生気が戻った。
「あ、キッチンのとこ。棚の上」
「わかった。ちょっと待ってろよ」

 キッチンについたシンジは、血のついたタオルを洗いながら、辺りを見回した。あった! 茶箪笥の上に救急箱を見つけた。絞り終わったタオルをシンクの脇に置こうと思ったとき、シンジはふとドアの取っ手に付いた血を思い出した。救急箱を棚から下ろしておいて、玄関のところに向かう。途中、
「ランコ。鍵かけたかもっかい確認するからな」と、彼女に不安を与えないようにそう言った。
「よしOK!」
彼女に聞こえるようにと、大きな声でそういうと、再度キッチンに戻り、救急箱を手にランコのところへ。

 「おっし、消毒するよ、ちょっと沁みると思うけど我慢してね」
消毒液に浸した脱脂綿を傷に押し付けると、
「痛いっ! 痛いよー」とランコ。
「ちょっとは我慢しろよ。また沁みるよ」といってまた傷に脱脂綿を押し付けた。
「痛いよ」
傷の痛みを感じて声を出せるなら、だいぶ落ち着いたてきたのかな? とシンジは思いながら、時々ランコの表情を確認する。
「よしつぎ、反対側」、そういって、ランコの左腕をとる。
「痛い、痛いってばー」
「もっかい。沁みるよ。我慢して」
「痛っ!」
シンジはこんな状況だというのに、子供みたいに痛がるランコが、愛おしくて仕方なかった。
「つぎは足ね」
「うん」
足の消毒を始めると、ランコはシンジに覆いかぶさって抱きついてきた。
「おーい、重い、重いよー。しかも、頭に血が上ってきてるんですけどー」
「いいの」
ようやくランコは落ち着いてきたようだ。

 「よし終わり、これでOK」
パチン! と救急箱にラッチを掛ける音が響いた。
「んーん」
そう声をあげてランコはシンジにしがみついて来た。
「大丈夫か?」
「うん。元カレがきて暴れたの。あいつね、酒癖わるいんだ」
シンジはランコを抱きしめたまま、黙って聞いた。
「それが嫌で別れたんだけどさ、酒飲んで鬱憤がたまると、あたしのとこ来て暴れるの。最近来てなかったんだけどね」
しがみついてシンジの胸に、顔をうずめたたまま話すランコの声は、くぐもっていたけれど、声は振動になって胸に伝わってきた。
「怖かった。殺されるかと思ったよ」
「そっかそっか、でももう大丈夫だぞ」そういって、赤ん坊をあやすかのように、シンジはランコの背中をぽんぽんと軽く叩いた。

 それからしばらく、その姿勢のまま、ランコはその夜起こった出来事を話し続けた。シンジは時には黙って、ときには問いかけながら、彼女の喋りたいという気持ちが満足するまで話を聞き続けた。

 「もう、大丈夫」
ランコの口から零れたその言葉に、シンジは心の底から安堵した。
そして、ランコは顔をあげてシンジの顔を見つめながら言った。
「シンジ。ありがとね」
「うん」
「助かったよ」
「うん」
「シンジがいてくれて良かった。来てくれてよかった」
「うん」
「もう大丈夫。パジャマ着替えるね。これきったねーもん」
「だな」
ランコは普段の口調をとり戻しはじめた。

 「よしできたよー」そういって白い長袖Tシャツ、紺地に白いラインが3本入ったジャージに着替えたランコが、シンジのところに戻ってきた。
「ていうか、すげー漫画の量だなぁ〜!」
彼女が着替えている間、シンジは部屋を見回していたのだ。
「おー、凄いだろー、ほれ、ここにもあるぞ、ででーん!」そう言うとランコはスライド式の本棚を動かした。
「うひゃー! 話には聞いてたけど、ここまですげーとは思ってなかったよー」
「へへへー、どうだ、驚いたか!」
「うん、ビビッタ! マジでビビッタ!」
本棚には大量の少女漫画が整然と並び、部屋には、女の子らしい趣味の品々が溢れていた。

「よし、お茶でも入れるか。なんか喉渇いたよな」
すっかり元に戻ったランコが、そこにはいた。だが、キッチンには割れたグラスや、血を拭ったタオルがあることに不安を抱いたシンジは、
「あ、俺やるよ。まかしときー」と。
「おー、まかせたー。あたい紅茶ね」
「じゃー俺もそうしよーっと」

 シンジはキッチンへ行って、ヤカンに水を入れてレンジにかけたあと、ランコが見えるところに戻って聞いた。
「ピー! っていうのか? あのヤカン」
「いうよー」
ランコはテレビの前にしゃがんだまま振り向かずに返事をした。
「そかそか」
「シンジー、マドンナ見ようぜー、マドンナー」
そう言ってランコはテレビとビデオの電源を手早く入れていった。
「おう、いいねー。って俺あんまマドンン聞いたことなんだよねー。一枚目は持ってるけどね」
「すっげーんだよー、あの人はー。あたしのアイドルさー。一緒に見ようぜー」
「うん」
シンジがそう言うのと同時にヤカンが、ピー! と音を立て始めた。

 シンジが紅茶を入れ終わって座ると、ランコは膝まくらをせがんできた。
「紅茶こぼすと、火傷すっぞ」といいながら、シンジはティーカップを少し脇に寄せて、ランコがしたいようにできるスペースを作った。
「あーこの曲はねー、、、」と、ランコはしばらくの間、曲の解説をしたり、マドンナと一緒になって歌を口ずさんでいた。
「んーん、なんか眠くなってきたぞー」そういって眼をこすりながら、ランコはシンジのほうにクルリと寝返りをうった。
「寝れそうかい?」
「うん、だいじょうぶ、でもシンジのこと送ってくよー」
「いいよ、いいよ。寝るなら俺帰るよ」
「だめー。んとねー、朝早く親がご飯持ってくるからさー、泊めてあげれないの。ごめんね。まーた男連れ込んでーって怒られちゃうからさー。でもまだだめー、一緒にいろー!」
「はいはい、じゃー寝付いたの確認したら帰るね。何時ころ来るん? 親御さん」
「んー、わかんね。まぁまだ平気でしょ」
「てきとーだなー」シンジがそういうと、ランコが膝の上でクスクスと笑った。

 テレビの横にある窓から、レースのカーテン越しに差し込む日差しは、もう朝が明けはじめたとこを告げていた。シンジはランコの背中をぽんぽんと、軽く叩いて寝かしつけるような仕草をしながら、マドンナのビデオを見ていた。
 しばらくすると、ランコが寝息を立て始めた。シンジは手近にあったクッションに手を伸ばして、それをランコの頭の下にひいてみた。
「んーん」と声を立てはしたが、起きる様子はなかった。
「シンジー」と小さな声を出して、ランコはクッションの端を掴んで丸くなった。
(大丈夫そうだな。今朝は寒くないし、何も掛けないでも平気かな。日当たり良さそうだしな、この部屋)
シンジは、すやすやと寝息を立てるランコの愛らしい寝顔をじっと見つめながら、
「おやすみ」と言って静かに立ち上がり、玄関へと向かった。

 ドアを閉めれば中から鍵がかかるのを確認して、シンジは静かにドアを閉めた。

 早朝の空気は清々しいほど透き通ったいた。

ipsilon at 22:43コメント(7)トラックバック(0)私小説『真紅の恋』 
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