2011年01月

2011年01月31日

おっし、こんな時間になってしまったけど、
今日も、散歩以外はすべてやり切った。
かなり爽快な気分だ。


朝夕の勤行+唱題80分。
新聞、先生の本『第三の人生を語る』を読み、
御書は『諸宗問答抄』を拝読した。
もちろん、食生活にも注意を払えた。


もう何ていうか、嬉しい。
さっきまで悩み苦しんでいたことを、どう前向きに捉えればいいかが、
御書に書いてあった。
ほんと恐いです。というより不思議です。
こうまでもピタリと自分の悩みを解決する出来事が起こるのが(笑)
御本尊の力ってほんとうーーーに凄い!



ある日、私は大きな悩みに直面して
尊敬する同志の先輩に話を聞いてもらったことがあるんです。
その時、先輩はこう話してくれました。
「あのさぁー、文字で全てを伝えるのなんて無理」と。
私は猛烈に反発したんです。
「そうかもしれないですけど、そうやって諦めたくないんです」。
大体、こんな内容の会話をしたことを明瞭に憶えています。

明るい照明に照らされたファミレスを出て
ひとり夜の道を自転車で家路を辿りながら
泣き出したいくらい悲しい気持ちだったことが懐かしいのです。
一応、言っておきますが先輩に怒りは湧きませんでしたよ(笑)

話し合ったことは頭では納得出来るんだけど、
心の奥底では納得していなかったという感じだったのです。


それから、事あるごとに色々「文字や言葉」について考えてきました。
そして少しずつ、自分の思いは決して間違ってなかったと、
最近思えてきていたんです。
無論、先輩が私に伝えたかった「心」も、今はちゃんと理解できています。

つまり、今の私が「文字」について思うところはこうなんです。
先生が激務の中で我々やその先の世代の為に
「文字」を残してくれている意味。
それは先生の中にある全ての「心」を伝えきりたいからなのだと。
今日、『諸宗問答抄』を拝読して、それを確信しました。


御書にはこうありました。
『文字は是一切衆生の心法の顕れたる質(すがた)なりされば人の書ける物を以って其の人の心根を知って相する事あり、凡そ心と色法とは不ニの法にて有る間かきたる物を以って其の人の貧福をも相ずるなり、然れば文字は是れ一切衆生の色心不ニの質(すがた)なり汝若し文字を立てざれば汝が色心をも立つ可からず』と。


つまり、突き詰めて言えば、「文字」を連ねて書く文章というのは
その人の心身そのものだという事だ。
厳しい捉え方をすれば、「文字(言葉)」を蔑ろにする人は
自分自身や他人の色心を蔑ろにしているという事でなのでしょう。

御書の中で、この文は禅宗を破折するところで出てくるので、
文字を蔑ろにすることは極端に捉えれば「天魔の所為」ってことでよいのでしょう。

私は、これまで大体↑こういう考えで色々な文章を読んできました。
「それは間違いじゃないよ!」と
大聖人に言ってもらえたのが今は本当に嬉しいのです。



別のある日、
同じ先輩と文字や言葉のことでまた話す機会がありました。
その時の会話はこんな感じだったのです。
私:「だってさぁー、その人の話す言葉はさぁ、その人の心の現われじゃないですかぁ!」
先輩:「んーまぁー、最終的にはそうなんだけどねぇ」と。
(イヤッホー! 先輩に認めてもらえたぁー!)
と、まぁ私はかなり嬉しかったりしたのです。


世の中には、どもる人もいますし、病気のせいで上手に話せない人もいますし、
聾唖の方もいらっしゃいます。
でも、私はそういう方とでも「心」を通じ合えると思ってきました。
実際に学会活動を通してそういう経験もしてきたんです。
そして不思議なことに、ここ数日、その部員さんとの間にあった、
「伝わった」と感動した出来事をなんとなく何度も思い出していたんです。
(あの時は本当に嬉しかったなぁー)と。
この時は、文字ではなく「祈りと行動」が伝える術になったんですけどね。


確かに、先輩に教わった、「文字(言葉)」が全てという見方をすると偏見が生まれるということは、
こういう経験から考察しても理解できます。
でも、やっぱり人間が「心」を伝える術として
「文字」は重要だと改めて認識し、確信できたことが
何より嬉しいのです。
先生も「言葉」を大切にしなさいと仰っていますからね。

御書は、こういう日常的な些細な悩みも
竹を割ったように教えてくれるので本当に有り難いのです。
しかもその時悩んでいる事をスパっと解決してくれますからね。
感謝感謝なのです。



これでも私は、文章の書き方という本を数冊読んだり、
仕事でライティングもしてきたんです。
そのわりに、おかしな日本語を使いますけどね(笑)

でもそうやって、なんとかして「心」を伝える手段を磨こうとしてきたことに
とても大きな意味があったことが解って嬉しいのです。

回りくどくて、「だが」とか「しかし」とか「すなわち」とか
そんなんばっか使っている下手な文しかまだ書けませんが、
これからも日々努力していこうと思った明け方なのでした(笑)


生きていると色々な事があります。
でも嫌なことに抗って、もがけばもがくほど苦しくなるんです。
抗えば抗うほど前に進めなくなるんです。
だったら、嫌なことも素直に受けとめた方が楽に前に進めるんです。

怒らない自分になるぞー!
怒らない自分になるぞー!
怒らない自分になるぞー!

怒らないこと、それは勇気です。
怒ろうとする弱い自分に負けない心が勇気なんです。



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ipsilon at 05:42コメント(0)トラックバック(0) 
今日はまだ全て終わらせていません。

物凄く心身共に疲れていたので、
思い切って夕方から満足するまで横になっていました。

疲れてしまった原因はハッキリと認識しています。
怒ったからです(笑)。
怒るという行為は大量のエネルギーを消費するのです。
だから疲れたのです。


でもあながち誤った方向には行っていないようです。
明日の会合は中止という連絡を聞いてそう思いました。
(ああ・・御本尊様ありがとう。俺がこんな疲れてても無理するのを
良く知っていらっしゃる。有り難い。
この機会にちゃんとペースを取り度して、元気になります)
そんな思いを抱きながら、ベッドで何度もありがとうと呟いていましたからね。


実は2日前に「ここ3か月の体験〜奇跡〜」を書いた時、
私は猛烈に怒っていたのです。
自分を飾るような記事を書きたくない、
あの体験記はそう思って一度は封印したモチーフだったのです。
それだけならまだ良かったのですが、
自分の外側に向けて怒りを放ってしまったことも、
今は猛烈に反省しています。


記事を書きながら、
(ああ、やっぱり投稿するのはやめようか・・・)
何度もそう思いました。
ですが、結局は怒りを抑えることが出来なかったのです。


色々なことを色々な方面から、何度も考察しました。
考察したことを全て誰かに話しても、
全てを理解できる人はいないと思います。
まぁ、誰しもそういう世界で毎日を送っているので、
それは仕方のないことでしょう。

突き詰めて言えば、
結局弱い私が怒りに負けただけという事なんです。
(いや、良かれと思って自分に素直になっただけだし・・・)
と、言い訳しようとも・・・。


ここまで読んで、何のことやら?・・・と読者は思うのでしょう。


簡単に説明するのは難しいんです。
怒りが湧いたことに、その時直接対処すれば良かったのかもしれません。
でも、そういうことも出来ませんでした。

端的に言えば、
私はこのブログで起こっていることに責任を持ちたいということなんです。
しかし、ここはネット上です。
全ての責任を私が取れない事も起こってくるんです。
今回私が怒ったのはそういう点です。

世の中には、自分の力ではどうにもならない事があるんです。
まぁ、私の目線、私の思考でそう思ったに過ぎませんし、
そんな小さなことを気にして・・・と、笑われることでしょう。
でも、私はそういう事を気にするのです。
そう、私はありえないくらいの「深読みマン」なのです(笑)。



さて本題。
ちょっと想像してみてください。

私のブログに来た人が、
悩みを打ち明け、その後、
私のリンク集を辿ってどこかのブログに飛んだとしましょう。

その時、その悩んでいる人が抱えている事について
強く訴えている記事があったとしましょう。
もし、その人がその記事を見て
(あ・・・私はまだまだ駄目なんだな・・・)
と、自分を責めたり否定的になってしまったとします。

しかし、私ははそれを押しとめる手立てが存在しないんです。



「ここ3か月の体験〜奇跡〜」の中で
文章の繋がりが少しおかしくなるのを承知で
私はこういう文章を入れました。

『だから、このブログを始めて
自分からリンクの申請やフレンド登録も一度もやっていないんです。
無論、頼まれれば快く引き受けましたけどね。』と。


つまり、私が自分からリンク申請やフレンド申請を
してこなかった理由は、
そういう事なんです。


私は、自分の書いた記事や思想を批判中傷されたなら、
ここまでは怒りません。「死ね」って直接言われても怒りませんでしたからね。
なぜなら、ここに反撃の記事も書けますし、
相手に文句も言えますからね(笑)。
まぁ、そんな事はしませんけどね。
去るものは追わず、来るものは拒まずがモットーなので。

ですが、私のブログで悩みを相談してくれた人を
重い気持ちにさせてしまうかもしれない事には
やり場のない怒りを感じたのです。

繰り返して言います、それを私の力ではどうすることも出来ないからです。

私のブログから飛んだ先にある記事に触れて
悩んでいる人が、マイナス思考になるとは言いきれませんし、
もし、悩んでいる人の悩みの核心を突く記事がそこにあり、
よし! 頑張ろう!と思えることもあるかもしれません。

ですが、その逆もまたありえると言うことです。


どんな悪辣な文章であっても、実は真髄は人を励ましたいという記事もあります。
どんな記事を見ても
屁でもない! と跳ね返せる人はいいのです。
ですが、悩んでいる人というのは、
そういう風なプラス思考をすることが出来ない事もあるのです。


でも、もういいのです。
私は私の中で気持ちに整理をつけたので。
私の周りで何が起ころうと、
御本尊に向かって祈っている限り、
悪いことは起きないと思いなおしたからです。


私は、このブログに
悩みらしきものを書いてくれた人、1人1人に、
幸せになれますようにと、朝夕、題目を送っています。


こんなヘタレで拙い私のブログで知り合ったとしても
それは何か縁があるからです。
全ての出会いを一期一会だと思い最大に大切にしたい。
師である池田先生はそういう心の持ち主です。
だから、私もそうありたいと思うのです。
それだけのことです。

だれも恨んだり、憎んだりしたくない。
それだけなんです。


色々考えた結果、気付きました。
(あぁ俺は、自分の思い通りにいかないことに怒りすぎだ・・・)と。
結局は自分が可愛いだけじゃないか・・・と。


何度も何度も自分に言い聞かせて行こう思う。
『許す』こと、『責めない』こと、という
自分自身で見つけた教訓を。


もっと大きな人間になるのだ。自分。



間接的な表現ではあっても、
関係各位に不愉快な気持ちを抱かせる記事であること、
心より深くお詫び致します。
今後、このようなことが無いように気をつけてまいります。
せっかく縁あって出会った人を晒し者にするような記事・・・。
最悪ですよね。ごめんなさい。本当に申し訳ないです。
ご理解、ご容赦くださると、あり難き次第です。



よし! この歌のように、
いろいろ過剰な感情を沸かせて誰かを傷つけるかもしれないけど、
許してくださーい! って御本尊に謝ってきます!^^



今日であった全ての人と出来事に深く感謝して。
ありがとうございました。


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2011年01月30日

今日も勝利。

朝夕の勤行+唱題100分
散歩以外は全てやり切った。
起きた時間が遅すぎて散歩は断念しました。
自分で決めたことがやり切れないときもある。
だが、優先順位や取捨選択がキチンと出来ればそれでいいのだ。


今日は唱題会に参加した。
会場に向かいがてら、部員さんの家を訪ねたり、携帯に連絡を入れた。
2人とも都合があって参加は出来なかったが、
「一緒に戦おうよ!」という芥子粒のような思いを
何度も積み重ねて送っていけば、
いつか必ず参加できることだろう。
薄紙を一枚一枚剥いで、相手の心を軽くしてあげて、
相手の仏性に一歩一歩近寄るしかないのですからね。


御書は『本尊問答抄』を拝読した。
内容は、法華経の題目(南無妙法蓮華経)と各宗の本尊、
どれが一番優れているかを、問答形式で記し、
真言宗を特に厳しく破折された書。

私の家系は真言なので、いつにも増して真剣に拝読した。

いわゆる四箇の格言。
この四箇の中で真言は一番先にあげられている。
真言亡国と。

最初にあげられているということは、
一番罪深いということだろう。
それを示す言葉として、御書にはこうあった。
1人2人であっても真言の強信者は国を滅ぼすと・・・orz。

また「還著於本人(げんちゃくおほんにん)」という文を引いて、
自らが行った(過去世の)悪業は結局自分の身に還ってくるとご教授くださっている。


つまり、私の場合、
うつ病だとかで苦しむのは、過去世の自分の行いに原因があるということ。
しかも真言家系ということを鑑みると
多分、私は相当悪いことをしてきたのでしょう^^;テヘ


だーが、大丈夫!
なんたって宿命転換できるこの仏法を保っているのですから。
「一番苦しんだ人(重い宿業を持っている人)が一番幸せになる権利を持っている。」
そういうことですから、
頑張って信心をやり抜けば、私は凄く幸せになれるということですからね。


どちらにしても「宿業はかり難し」です。
家系が真言だからといって恐れることは、何ひとつないのです。
そういう宿命、宿業を持っている。
そのことで、うつ病とかで苦しんできたのですが、
それとて転重軽受(重い業を軽く受けること)が出来るのですし、
そういう宿命や生命の傾向性があることを知っていれば、
何があっても絶対に油断すべきではない!、と
自分で自分の思考や行動に注意を払えるという利点があるんですからね。

真言亡国の宿業を、悲観主義で考えれば悲惨です。orz プーです。
ですが、楽観主義で考えればこうやって
生きるための知恵に出来るってことです。
これが「全てを希望にかえる仏法の智慧」だってことです。


私はこれまで自分の中に湧く
他者への嘲りが許せなかったんです。
例えば、悲しい状況で普通だったら一緒に泣いてしまう場面で
どこからともなく相手をせせら笑っている心が湧いてきて、
そういう自分を許せなかったのです。
激しく自己嫌悪しました。
嫌で嫌でしかたなかったんです。

でも最近はそういう湧いてくる心も許しています。

だって、湧いてきちゃうんだもん。仕方ないでしょ(笑)
「おなら」じゃないですけど、出物腫れ物ところ嫌わずみたいなもんなんですよ^^
勿論、嘲りの心が湧いたなら、速攻で胸中唱題しますけどね。

でも、あんまり無理してないんです。
そのうち出なくなることを知っているからです。


自分を嫌ったり、自分を悲劇の主人公に思っても
あまり意味がないんですね。

それだったら、あらまぁ〜そんな気持ち湧いちゃったの
ま、しょうがないよね。ナムナムナムナム〜と
胸中唱題して心を穏やかな状態に戻せばいいだけなんです。

言い方を変えれば、まずは自分自身の全てを愛するということ。


この仏法を学んだり、実践するのは結構大変です。
勤行しろ〜! 題目あげろ〜! 活動しろ〜! 体験発表しろ〜!
教学を学べ〜! 新聞読もう〜! さあ戦おう〜! などなど
やらなきゃいけにあことが山ほど出てきますからね。

ですが、まず一番に大切なのは自分を愛して
自分の全てを許すことなんですね。

色々な活動をする中で、
私の場合であれば、人を嘲る心が湧いて
その度に自分を責めてたら、苦しくてしかたないってことです。
つまり、↑こうやって自分で自分を破壊するのが
真言亡国の人の持つ宿業ってことです。

時にはそういう嘲けりが他人への怒りになって爆発することだってありえます。
でも、自分を愛して、
よしよし、変な命でてきなた、題目あげてあげるから
ひっこみなさい^^ とやってあげれば、
他人にも優しくなれるってことです。

逆の言い方をすれば、
他人に怒らないようにすることが自分の成長へと繋がっているということ。
つまり、他人の為にやってることが自分の幸せになるってことです。


自他共に(自分が)幸福になるためのカギはここにあるのでしょう。
嘲りの命は、誰かに出会う(「縁」すること)によって出てくるんですね。
だから沢山の人と出会えば出会うほど、
私は早く幸せになれるということです。

そういう法理を知っていれば、
他人に優しくなれるってことです。
ムカツク人にも感謝できるってことですね。
むしろ、ムカツク人こそ、私を一番幸せにする人なんですね。


毎日、記事の最後に書いている言葉は、
そういう気持ちを忘れないための自分への諫めなんです。



てなわけで、今は別れた彼女にだって
心の底から「ありがとう」って言えるんですよ(笑)



今日であった全ての人と全ての出来事に感謝して。
ありがとうございました。


今日は、笑いモードで記事を書いてみました。かはは。




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2011年01月29日

ちょっと体験を書いておこうと思う。


ここ最近の読者の方は、
私がバリ学会員という感覚で見ているのだろう。
しかし、ほんの3か月前までは、完全な退転状態だったのだ。

というより、ここ数年間完全に引き篭もり
毎日死にたいと考えていたのだ。自殺未遂もやっている。
嘘だと思うなら、私の過去の記事を読んでみてもらいたい。
酷い記事ばかりだ。本当に酷い記事だらけなのだ。
死にたくなったとか、あれがムカツク、これがムカツクとか
人の悪口だとか批判中傷ばかり書いていたのだから(笑)
独白というカテゴリーの記事を読んでもらえば、
私がどれだけ酷い状態だったかわかるはずです。

そんな私がここまでこれたのは、
ひとえに御本尊を信じ抜いて日々唱唱に挑戦してきたからだ。

しかし、簡単に題目をあげられるようになった訳ではない。
完全引き篭もりだった約3年間は
仏壇は埃だらけ、もちろん仏壇の前に座ることすら出来なかった。
だから、三唱すら出来なかった。

両親が亡くなり、天涯孤独の身。
そんな状態で重度のうつ病と自律神経失調症になり
人間不信に陥り、対人恐怖症にさえなっていた。
外を10分歩くだけで、むこうずねが痛くなり、
腰や体中が痛んだ。人が近くにくると動悸がしたから乗り物にも乗れなかった。

体力だって本当にズタボロだった。
だから、光熱費を払いにいけなくて、電気やガスが止まったりもした。
部屋だってゴミ屋敷状態だった(笑)
そういう記事は過去記事に山ほどある。

少し体力がついた頃に、バスに乗って出かけただけで
その後は1日中横になってしまうくらい疲れたし、
バスの中で立っていることさえ酷い苦痛を感じた気憶が鮮明だ。


うつ病というのは、簡単にいえば、
頑張りすぎたことによってなる病気だ。

酷いうつ病になると、プラス思考が全く出来なくなる。
そして、そうなっているということを
自分で認識できていない。
この、「自分の状態を認識出来ないところが
うつ病の一番恐ろしいところ」だ。


だから、どんな励ましもマイナスにしか受け取れなかったし、
マイナスに受け取るなと叱られても本人はなぜ叱られたかが分らずに
怒ってしまっていたのだ。
だから、厳しい指導や激励などされようものなら
猛反発したし、激しい怒りが湧いた。
(俺の苦しみのひとかけらも解りもしないくせに・・・)と。
(同苦、同苦って散々聞いてきたけど、誰も同苦なんてしてくれないじゃん。
というか出来ないだろ、どんだけ俺が苦しいか理解できないんだからな・・・)と。
本人はそれでも頑張ろうという意識はあるのだが、
自分がマイナス思考しかできなくなっていることに気付けないから、
思考は全て負のスパイラルになってしまったのだ。


私がいた地獄はそういう地獄だった。


そんな地獄にいて、
身近に介助してくれる人がいない状態で
薬も一切飲まず、医者にも一切かからず、話し相手すらおらず
ここまでこれたということは
実は奇跡に近いことなのだ。

一時期、全く喋らなかった事で声が出なくなりましたからね。


芸能人で、1人でうつ病を治したという人は
高木美保しかいない。
しかし、厳密に言えば彼女はひとりではなかった。
両親も健在だったし、引越し先では友人も作ったのだから。
だが、私には友人もいなかったのだ。

確かに同志は励ましてくれた。
だが、うつ病回復のための生活面での支援者は誰もいなかったのだ。
「甘えるな!」そう言うのだろう。

だがそれは間違いだ。
重度のうつ病のような患者には
生活面での支援者がいなければ
ほとんど回復の可能性がないと言われているのだから・・・。
ようするに私は絶望的な状況にいたのだ。
例え家族が支援しても、何度も再発して苦しんでいる人は山ほどいる。

言い換えればこうだ。
家族や生活面での支援者がいないうつ病患者の場合、
90%以上いや、ほぼ100%に近い確立で
回復が不可能だという医学データがあるということだ。

万が一、回復できたとしても
うつ病は再発率80%という病気だ。
こういうデータを見ると不安になるかといえば、そうでもない。
もう今は何も恐れていないからだ。ふーん、という感じだ(笑)


病気だった期間、様々な「病気からの再生」の映画やドラマやドキュメンタリーを見たが、
たった1人で回復した映画やドラマなど1本もなかった。
どの映画でも、患者を支える家族や友人がいた。
だが私にはそういう人は存在しなかったのだ。
(もっともそんな孤独なドラマや映画は観ててつまらないから無いに決まってるんだけどね:笑)

だが私はこれだけ絶望的な状況から抜け出したのだ。
薬の力も、生活面での支援も、医師に相談することもなく
たった1人、自分の信力で。


たいしたことねーじゃん。
そう言う人は、うつ病になったことのない人だろう。
そして、本当の孤独がどれほど過酷かも知らない人だろう。


ともかく、今の私の状況は
奇跡に近いのだ。

それを起こしたのは何か?
私の信力と御本尊の力であることは言うまでもない。



私は学会2世だ。
だから、活動を始めた20代の頃には御本尊への「信」はかなり強かった。
その後活動した15年くらいの期間によって「信」はどんどん強まった。
しかし、そんな私であっても、御本尊の前に座れず
毎日死にたいと思っていた時期があったのだ。
しかし、御本尊の前に座れさえすれば
絶対に病気は治せるという確信はあった。

だから、医者にも行かなかった。
薬も一錠たりとも飲まなかったのだ。


御本尊の前に座れるようになるまで、7ヶ月かかった。
その期間は絵を描き、模型を作り、公園を散歩して
少しずつうつ病と戦ってきた期間だ。
いわば好きなことをしながら、自然の持つ癒しの力を借りたということだ。

そうして7ヶ月経っても、
あげれた題目は1日5分だった。
御祈念なんてまったく出来なかった。
ただ題目を唱えているだけ。
心の中は全て雑念だった。

2週間5分の唱題を続けて
ようやく勤行が出来るようになった。
それでも朝の勤行だけだった。唱題は10〜15分。

朝夕の勤行と20分の唱題が出来るようになるまで約20日かかった。
その辺りから、体調も精神状態も変わってきた。

5分の唱題から始まった信心は1ヵ月後、
朝夕の勤行と1時間の唱題になった。

2ヶ月目はそれを維持した。

しかし2ヵ月半経った頃、魔に襲われて10日間何もできなくなった。
また5分からやり直し、ここ最近は70〜80分の唱題になった。


私がうつ病で苦しんできた期間は都合7年にもなる。
それがなんと、3か月で普通に暮らせる状態になり、
会合に参加し、プラス志向しまくっているのだ。

会合だって5、6年出れなかった。
そんな私が今月の座談会では司会をやり、学会歌の指揮を執っているのだ。


御本尊の力は偉大だ。絶大だ。
確信して唱えさえすれば全てが善転する。

人の為に尽くさせてくださいと15分祈れば、
財布を拾い、交番に届けるという良いことが出来たりもした。
何でも叶う。本当に何でも叶う。
それでもまだまだ悩みは尽きない(笑)。


こんな経験をした私が今思うことは、
形式ばった激励をなるべく避けたいということだ。
全ては自分の経験したことから話すべきだ。
強くそう思うようになった。
御書を引くのも良い、先生の指導を引くのも良い。
しかし、それは自分の身を高価な服で飾り立てて
ほら、こんな風になれるんだよ!と言っているようなものだ。
励ましのメインはあくまでも自分の体験や自分の言葉ですべきものだ。
むしろ服など脱いでしまって、こんな俺でもちょっと立派になれたよん☆
くらいの朗らかさで良いとさえ思う(笑)


本当に辛い状態にある人は
激励してはいけない。そういうことも身をもって知った。
ただただ優しく接して心を軽くしてあげなれば
本人の力を殺してしまうのだから。

優しく接するということは、同情ではない。
労わりであり、慈しみだと思っている。

何の偶然かわからないが、
今日読んだ先生の『女性に贈る言葉365日』の今日付けの言葉はこうだった。


「何を悩んでいるか。何を望んでいるか。皆の心を知り、皆が安心して頑張れるように、一人一人を、きめ細やかに励ましていく。心の重荷を取って、軽くしてあげる。楽しくさせてあげることだ。」と。


私は一応(笑)、池田門下生のつもりだ。
だから、先生の言葉どおりに進むのです。


まぁ、ぶっちゃけて言えば、本当のところ私は
どんな時でも「笑い」がある時間を築くのが好きなのだ。
でもそれが「ふざけ」に見えてしまう時もあるのかもしれない。

常に人を笑わせたい。
私の奥底にはそういう気持ちがある。
でもそれは決して「ふざけ」の気持ちではないのだ。


私がネットで本気で笑い取りモードを発揮することは
最近はめったにはない。
なぜならブログなんかの場合、チャットのように
リアルタイムで相手の反応を読めないからだ。
少し言いすぎても謝れるチャットとブログは違うのだから。


どんなことで悩んでいるのか?
文字面だけみて判断するのは難しい。
私のブログのようにコメント認証を行わず
非公開でのコメントの投稿を禁止しているブログの場合は特にね。
書き込む人が、衆人環視のもとで言いたくないことを書かないのは普通ですからね。
それは当たり前だし、普通なんです。
誰だって悩みを話すのは恥ずかしいという気持ちがあるんですからね。
ましてや物事を真面目に考える人なら尚更です。
それゆえ、悩みや質問を書くのだって、相当勇気がいるんです。
だからって、いきなりメールする人もいないですしね。

それゆえに、書かれていない部分を読み取って
私はお返事をしているつもりなんです。
これは今までずっと心がけてきたことです。

だから形式的な激励は避けているのです。
相手が何を知りたいのか?
それを教えることが相手にとって本当に良いことなのか?
教えたことが負担になってしまったら意味が無いとか。
色々考えるのです。

まぁ、書いていない部分を読み取ることに失敗して、
誰かを傷つけてしまったこともあったかもしれません。
ブログで交流した人にさりげなくメッセージを送る記事を書いて
傷つけてしまったこともあります^^;
でも少なくとも、私は私の責任において行動しているつもりです。

ネットを見ていて思うのは、
批評・批判が多い。
そして自分の言葉で語っていないということ。
つまり、私に言わせれば、それ無責任だということです。


まぁ1億総評論家みたいな時代ですし、
どんな記事を書こうが、書く人の自由なのですが、
とにかく他人の言葉を引用しての記事が多いことは確かです。

直接顔を合わせてならそういうのもいいでしょう。
相手の反応や空気で、いくらでもフォロー出来ますからね。
ですが、ネットではそれが出来ないのです。
悪気のない言葉を書いたつもりでも、
言葉は容易に誰かを傷つけてしまうのです。
だから、このブログを始めて
自分からリンクの申請やフレンド登録も一度もやっていないんです。
無論、頼まれれば快く引き受けましたけどね。


うつ病が酷かった頃、
私はうつ病に批判的な言動を見る度に
激しい怒りを燃やしました。
別に私の悪口が書いてあった訳でもなく、
見ず知らずの人のサイトでしたが、
何度も何度も嫌な思いをしました。
何度マウスを机に叩きつけたかわかりません(笑)
ようするに良くなりたいと思って前向きになろうと思って
うつ病の情報を集めようとする度に嫌な思いをしたということです。

そういう経験をしたので、
ここ最近は人を落ち込ませるような記事や
批評・批判はなるべく避け、否定の言葉を使わないように気をつけています。

過去、自分で散々やってきたそういう記事を読んだ時の
(俺・・・キモイ・・・・)
と思った気持ちは忘れられません(笑)
そういうことを忘れないために、
記事は1度たりとも削除したことはありません。
駄目な自分も自分だと認めているんです(笑)


明るく、楽しく、元気良く、全てに感謝^^
苦しみにもありがとうを言える記事を毎日書いていきたいと
思っちょります^^



世界最高のジャパニメーションの中でも
最高の癒し系アニメ『ARIA』はいいですよ〜。

見ないと、デコピンするからね〜(笑)
ぶいにゅ〜☆
とアリア社長も言っております。


とにかく、過ぎ去った過去などどーでもいいのです。
そして、訪れるかわからない未来のことを心配しても仕方ないのです。
「今」というこの一瞬だったり、ひとときの時間を
ひたすら一生懸命に生きたい私なのです。

ぶぶ、ぶーいにゅ☆
とアリア社長も言っております。




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ipsilon at 06:03コメント(2) 
今日も勝利。

朝夕の勤行+唱題80分。
その他も全てやり切った。
御書は『下山御消息』を拝読し終えた。


いつもであれば、御書を拝読していると、
様々な感情が沸くのだが、今日はほとんど感情がさざ波立たなかった。
御書を拝読する前に癒し系音楽を聞いたからだろうか?

今、ブログを書いていても
これといって書きたいと思うことが思い浮かばないほど
無欲で心がどっしりと安定した状態だ。
これほど穏やかな気持ちになったのは久し振りだ。


ちょっと前など、あれを書こうか? これを書こうか?と
一日中考えていたこともあったというのに。

別にネタがない訳ではないのです。
過去のネタなら腐るほどあります(笑)
でも、過去ネタを書く気にならないのです。
今のことを書きたいのです。

でもそう思っても、何の不満も不安も、考えたい事も思い浮かばないのです。
別に頭がボーっとしている訳ではありません(笑)
満たされているという感じです。


これまで味わったことのない感覚です。
ずっと信心を頑張ってきた変化は日々感じていましたが、
今日は格別です。

「ながら族」をやめて一点集中を心がけるようになってから、
呼吸が深くなり、ゆっくりになり、
脈拍も遅くなったことには気付いていました。

これ、凄いことなんですよ。

栗木君は、酸素の少ない高山で
意識的に消費する酸素を少なく出来る(意識的に脈拍を下げられる)
特技を持っているのだそうです。
これは、苦しいことをそのまま受け止めて
それに心から感謝することで出来るんだそうです。

医師が付きっ切りで機械を体中につけて
測定した結果なので、これは医学的に証明されたことだそうです。



ここ1週間くらいの私がそうなのかは、
もう少し様子を見てみないとなんとも言えませんが、
まぁ間違いなく題目による功徳でしょう。


『スローライフでいこう』を読んで、
私が思った仏界というのは、
実は心が停止した状態だと考えたのです。
心は停止しているけど意識はある。
そういう状態になると仏界が覚知できるんだと思うんです。
私的見解なので、本気にしないでください。
でも、多分あってると思います。


簡単に言えば、仏界はマイクロスリープ状態になって、
大宇宙の生命と一体化しているということだと思うのです。
もっと簡単にいえば、起きながら寝ている状態だということです。

人間は極度に集中すると周囲のことが全て感じられなくなります。
誰でもそういう経験をしたことはあるでしょう。
つまり、そういう状態で題目を唱えているときには、
間違いなく仏界が湧現しているんだと思います。


私は本屋さんに行って、物凄く興味を引かれる本を眺めていると、
MP3プレイヤーで大音量で鳴っている曲が
全く聞こえていない状態になることがあるんです。
あとで、その本を読んでいたときに、
どの曲がかかっていたかを思い出そうとしても
全く思い出せないのです。

アインシュタインやエジソンは、
そういう面が物凄く強かったのだそうです。
「他人の家に」パーティーに呼ばれて行ったアインシュタインは
パーティー中に、研究のことに没頭してしまい、
こう言ったんだそうです。
「すみませんが皆さん、明日私は大事な論文を纏めなければいけないので、
今日のところは、もうお引取りください」と(笑)。

エジソンは実験に没頭するあまり、
何度呼ばれても振り無かなかったんだそうです。
ようやく気付いて振り向いた時には
「自分の名前を忘れていた」と言ったそうです(笑)


人間の目(視線)は、
絶え間なく動いているんだそうです。
まるでレーザービームのような速さで動いているんだそうです。
ですから、視界にあるもの全てにピントが合っているんです。

そんな機能のある目で、同じ部分をじっと凝視しているという行為は
肉体にとっては不自然なことなのです。
脳にも目にも負担がかかりますからね。
(ですから本を読むと疲れるんです)

題目をあげているとき「妙」の字を凝視してますよね。
口からは声を出し、その「妙音」が体の内と外から全身を包んでいます。
(音になったものは耳や皮膚や毛穴から、振動になったものは筋肉や骨に響いているはずです)
そういう状態で精神統一して真剣に祈っていたら、
祈りが叶わないはずは無いですし、
骨の病気だろうが内臓の病気だろうが心の病気だろうが、
治るのは当たり前なんです。

そして、真剣になった瞬間、ほんの数秒であっても
マイクロスリープ状態になっていてもおかしくないと思うんです。
1時間唱題すれば、結構な時間マイクロスリープしているはずです。

これは凄く難しいんですけど、
ご記念しながら雑念を払いのけ、自分で自分を観察すると、
題目のヤバイくらいの凄さは体感できるはずなんです。
あげてる瞬間にね。

私の場合、文字が滲んできて、
物凄く気持ちよくなりました(笑)
それでもご記念はきちんと意識できるんです。
というかご記念のこと以外は意識していませんでした、その時は。

必死に目を開けたり、目に力を入れても
どうしても文字が滲んでいくんです。
でも、凄っい気持ち良いし、
意識はご記念のことに恐ろしいくらい集中していて心が凄く穏やかなんです。


こういう題目があげられた後は、
今の時間みたいに、無欲(無私)に近い感情でいられるのだと思います。


体はどこもリラックスしていて、どこにも力は入っていない。
声が一番楽に出せて、且つ声が一番響く首の角度と、自然な目線。
それにあったご本尊の高さ。

ありとあらゆるものを最良の状態にさえしておけば、
少なくとも、雑念の少ない題目を上げられます。


ご本尊の高さとか、一度御安置してしまうと、そのまま何年もチェックしない。
そういう方は多いと思います。
私は一時期、執念深いくらい微調整しました(笑)

心も体もリラックスして、
一番響く声(音階:多分Aメジャー辺りではないかなぁ)が
一番楽に出る姿勢で題目をあげる。
もちろん唱えるスピードも大切です。
あまり早いと、雑念が湧きまくります。
生命のスピードが速い状態は怒りの生命状態だからです。

ちなみにAメジャーという音階は人間が一番心地よく思う音階です。


個人個人、一番安らぐスピードもあるはずです。
ご記念にしても同じです。
一語一語噛み締めるようにご記念して、
ご記念の「文章」の意味が明瞭に意識に埋め込まれていくスピードがあるはずです。


せっかく題目をあげているんですから、
最高の状態であげられる環境作りや
姿勢の見直しは大切だと思います。

適当な姿勢や適当な体勢で上げているのが癖になると、
直すのも大変なんです。

日々、チェックして習慣になっているおかしな姿勢を
正していくことは価値的ではないのでしょうか。

唱題根本ですから、これはかなり大事なことだと私は思っています。
上げればいいってもんじゃないですもんね(笑)

最高の題目ですから、最高の姿勢でやったほうが価値的ですよね^^



IMG_3900

今日は久し振りにカモ隊長をゲッツ!(笑)
元気にしてました。

初冬に渡ってきていた「キンクロハジロ」たちが
どこかに渡っていってしまいました。
水鳥が少なくなってなんだか淋しい風景でしたが、
常駐組のカモ隊長とその仲間がいてくれるので、
ま、いいか、という感じです。

IMG_3902

ヘドロの除去作業をしているせいで、池の水位が下がってるんです。
ハジロ達はこのせいでどっかにいったのかもしれませんけれどね。

でもまぁ、何にしても
私に出来ることはないんです。
彼らは彼らの強い生きる本能に導かれているから大丈夫でしょう。
がんばれ〜! 水位が下がったくらいで負けるな〜!
と一応応援しときましたけどね(笑)


今日であった全ての人と全ての出来事に感謝して。
ありがとうございました。






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