2011年02月

2011年02月17日



イチロー、言わずと知れた日本人の超一流プレイヤー。
2010年のシーズンには、MJBで10年連続200本安打記録を達成した。

一流の世界で10年という期間、一流の成績・結果を残すことは容易ではない。
サラリーマンだって10年続けるのは大変なことですからね。


今日はそんなイチローと松井の対談から学んだ話を書いてみる。



イチローという人は、信じられないくらいの完璧主義者。
自分に完璧を求め、他人にもある程度完璧を求めるから、
「生意気だ」などと誤解を受ける部分もある人だけど、
自分という軸がブレないところは、やはり凄い。

だが、生意気に見えるイチローの心の内側にはいつも
他人と何かを共有したいという気持ちがあるのが対談を見ていると
伝わってくる。

試合でチームが勝てないと、インタビューであからさまに不機嫌だったりしする部分にそういう面が垣間見える。
こう言えばわかりやすいのかもしれない。
自分に厳しく、他人にも厳しい、と。
ただし、他人への厳しさは誠実さを貫くことにあるように、私には見えた。

彼の一見生意気に見える表面上の振る舞いだけではなく、
そういった彼の内側に気づいている人は
イチローの人間性に惚れるのだと思う。



対談を見ながら私は唸ってしまった。

あー、イチローくらい精神力の強い人でも
動悸や吐き気という「うつ症状」の中で(胃潰瘍になって休場したこともありながら)
試合に出続けていたんだなぁと。
動画の中で彼はそれを「自分への怒り」と言っていた。

これ、凄くわかるんです。
自分を追い込むという言葉が一番わかりやすいかな。
ようするに、そういう人というのは
常に考えているのだと思う。


「そこまで考えなくてもいいよ。色々考えすぎ。深く考えすぎ。
普通の人はそこまで考えてないよ」
事あるごとに私が人に言われてきた言葉だ。
つい最近も、同志の先輩にそう言われた(笑)。

それ故にイチローが考えるタイプなのは、なんとなく空気で感じ取れた。
でも、それを確信したのは対談の別の言葉だ。


それはこの言葉だ。

『今まで見えないところが見え始めた。
「打てる」と思える感覚の場所が増えた。
ボールを見て「打つのは厳しい」と判断する。
けど、体は「打てるぞ」と信号を送る。』

イチローが10年ものあいだ、成長しつづけ
安定した結果を出せた秘密はここにあると思う。
つまり、イチローは心(生命の深い部分)を鍛えている選手だったということだ。

生命は2重構造であるという話は前にも記事を書いた。

ようするにイチローは、
その基盤になっている生命を鍛えているから、
『体は「打てるぞ」という信号を送ってくる』ということだ。


これは全てに通じる。
例えばギターだってそうだ。
何百回弾いてもうまく弾けない部分。
そういう部分を、つねに「意識して考えながら」弾いていると、
ある日、「あれ? 俺これ弾けるんじゃね」と体が訴えてくるということだ。

でも、そこまでくるまで
諦めないで練習する必要があるんですけどね。
しかし、そこまでくれば後は簡単なのだ。
なぜなら自然に出来るようになってしまうからだ。

でも、大概の人は体から「あれ? 出来るんじゃね!」とシグナルがくる瞬間まで
努力を続け、その部分を「意識し考え」続けられないんですけどね。


これは信心においても同じだ。
惰性の信心ていうのは、あくまでも惰性なのだ。

常にフレッシュで「今何をすべきか?」を
自分に問いかけ続けて「考えている」人は
成長も早いし、わずかなシグナルも見逃さずに
功徳やチャンスを自分のものに出来るということだ。

もっと言えば、
生命の基盤である境涯が高まり訴えてくる「出来るんじゃない!」
というシグナルとこれまでの感覚(生命の表層)が訴える、
「これはちょっと厳しい」という間にあるズレを
「考える」ことで一致させられると言えよう。

そう、その基本になっているのが「考える」という行為なのだ。


でもね、これは大変なんです。
口で言うほど実行するのは楽じゃないんです。
だって誰でもそんな事ができたら
野球界はイチローみたいな人だらけになっちゃいますからね(笑)。

ですから、御書にはこうあるのでしょう。
「億劫の辛労を尽くせ・・・」と。
ようするに、それぐらい常に「考えろ」ということでしょう。


私はイチローからはそういう事を学び、
これまでの「何にでも真剣勝負で考える」という自分のスタイルが
間違ってなかったことを確認できた気がするのだ。



信心で言えば、これは「誓願の祈り」に相通じることだと思う。
「俺はこうなるんだ!」
「こうなって見せます!」
「これをやり切ってみせます!」

そういう祈りでなければ、自ら「考えない」ということだ。

「こうなるといいな」
「絶対こうなるはずだ」
なんて祈りは「考える」ことを誘発しない。
何故なら、他力本願的祈りだし、随他意の祈りだからだ。


日蓮仏法はあくまでも、
随自意である。
本因妙で無常道の祈りが基本である。
そういう事を決して忘れるべきではない。

そのうえで、今の自分は何をするのがベストかを
常に「考え」、「自己分析」を怠らないことだ。
言い換えれば、「自分を見つめなおす」ということこそが
大切だといえるのだろう。


この信心と御本尊の功力は絶大なのだから
そうすれば、誰でもイチローのようになれるということだ。
もちろん現実面での努力が大事なのは言うまでもありません。

結局は、
「信念の人」であり
「努力の人」であり
「忍耐の人」であれということだろう。



考えることを止めるな。そんなことはQUEENだって歌にしてる。
まぁこの歌詞の場合、理性って言葉のがしっくりくるんだろうけどね。


今日出会ったすべての人に感謝して。
ありがとうございました。

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ipsilon at 04:15コメント(4)トラックバック(0) 

2011年02月16日

私にとってこのブログをやる意味というのはかなり重要なのです。
というよりは重要だったと言ったほうが現状には適っているだろう。


そもそも、このブログを始めた動機は
「生きるべきか? 死ぬべきか?」を自分自身に問うために始めたものですからね。

ブログを始めた時のタイトルは『夢鬱つ・・・』だった。
このタイトルの頃からの読者は
恐らく、間違いなく2人いることは知っている。

その人達にとってこのブログの更新は
「とりあえずシンジ、今日も生きてるな」という
私の生存確認になっていたことだろう。


ブログの執筆は激痛の連続だった。
生まれた時からの記憶を探り
ありとあらゆる嫌な思い出を見つめなおさなければいけない作業だったからだ。

勿論、楽しい記憶もあった。
がしかし心の病が今ほど回復していなかった頃の私は
そういう楽しい記憶すら、
今の自分を卑下する材料にしかなっていなかった。

色々なことに気づき
いったいどれくらい泣いたかわからない。


自分史を書き上げたのは2010年の5月の終わり頃のはずだ。
この辺りの自分史執筆は
近々の出来事を見つめなおしたゆえに
心の痛みは激痛なんてものでは無かった。


ブログを初めてから
何度も何度も「死にたい病」に襲われ
死に場所を探した夜さえあった。



でも全て乗り越えてきた。



ブログ村に登録したのは
絵を描き始めてからしばらくしてからの事。
貪るように描いた。これでもかと描いた。
この時期に考え、自分を見つめた期間も価値的だった。


その間、ネット上で2人の友人ができ、
励ましたり励まされたりしながら歩んできたが
今はその人達とは無縁になってしまった。


今ではそうは思っていないが、
その頃は絵を描くことに対して限界を感じていた。
だから、それまでの趣味だった模型を作ってみた。
そこでも様々な自分への発見があった。
ここまでの期間約7ヵ月。


確か、半年過ぎたあたりで
ブログタイトルを変えたはずだ。
つまり、「生きよう」と決めたということだ。
そんな事は一言も説明しなかったけどね。


私が信心に立ち返るまでには
そういう7ヵ月間があったのだ。
それこそ死にもの狂いの努力をした7ヵ月間があったのだ。

ここ最近の読者はそういうことを知らない人が多いのだろう。
ここ3ヵ月の記事だけ見て私という人間を判断している人が
多いのだと思う。

勿論、そうじゃない、心ある人が数人いることも知っている。
その数人のうちの1人の方は、今、私の大切な友人になっている。
ネットで知り合った、友人の中では
かつてネカマをしながらネトゲ三昧だったころ知り合った
親友に近い存在にまでなっている。


ネトゲで知り合った親友がかつてこんな事を言ったことがあった。
「うちの旦那とかさ、別に稼ぎがいい訳でもないし、顔も全然好みじゃないんだけどね、友達が事故ったとか聞くと、私の事ほったらかしにしても友達の様子見に行くの。なんで結婚したかっていうとさ、そういう友達思いのとこがいいなと思ってね」と。

彼女は私ともし連絡がつかなくなったらどうする?と聞いたときはこういった。
「探す!」と。

「でも、あたいがどこに住んでるかもわからないじゃん」
「それでも探す、なんとしても探す、絶対探し出す!」と彼女は言った。

「でもどっかで死んでるかもよ」
「ダメ、そういうのは絶対に許さない」と。


たかがネットでも、人を思いやれる人は思いやれるんだ。
私がもう一度生きてみようと思い立ったのには
その時の出来事が強く影響しているのかもしれないと
今になって強く思う。

後にも先にも、私のことを、
ここまで思いやってくれた言葉を聞いたことはない。
勿論、リアルでもそこまで言ってくれた人はいない。


こういう出会いを経験した私にとっては
ネットやブログを更新するということは、お遊びではない。
ともすればそういう気持ちが強くて
リアルを疎かにしている風もあるのかもしれない。
しかし、リアルで私の周囲にいる人の何倍も
ネットで出会った人のほうが
私を励ましてきたことも事実なのだから仕方がない。

それゆえに私は、このブログに対して真剣なのだ。



現実に手を差し出せる場所にいても、どんどん離れ、見て見ぬフリをする人。
頼まれたわけじゃないのに、他人を思いやるネットで知り合った人。
さて、どちらが有益な人間関係だろうか?
考えるまでもない。後者だ。


リアル=利害関係がある。
ネット=利害がほとんど存在しない。
それゆえに起こりえた現象かもしれないが、
それでも現実に私に力を与えたのはネットなのだ。


わが地域こそ浄土。そういう言葉があるが、
浄土という言葉に対する視野を自ら狭める必要はない。
そもそもわが地域とは「地球」であり「世界」ですからね。

世界のあっちこっちに行ってみたい。
でもそれは物理的になかなか難しい。いいや違う。
わが心でそれを感じようとしていないからそう思うだけだ。
日本の東京にいたってエジプトに心を飛ばすこともできれば
エジプト料理を楽しんでエジプトを知ることだってできる。
全ては一念の中にあるのだ。

そうやって東京にいながらにして
世界を浄土と見るのが日蓮仏法だ。
御書にはそうあった。それが御本仏のいう浄土だ。


自ら学ばない者はそういうことも知らず、
環境に左右され、狭い浄土に執着する。
実に勿体ないことだ。


道路脇に立つ街路樹1本を見たって
そこに大自然を感じようとすればできるのだ。
家の外壁だってそうだ。
これはどこの県から運ばれてきたんだろ?
そんな風に思うだけで東京に居ながらにして
世界を垣間見れるのだ。


人間は本当に愚かだ。
なんでも目に見えるもので判断しようとする。
そんな生き方は、勿体ないと思う。


最近の私は、知らない人の家の敷地に立つ1本の木。
その木の枝ぶりを見ただけで、
自然や地球の営みを感じることができる。
私はそういう生き方を勧める。
「木を見て森を感じる」とでも言えばいいだろう。



私にとってこのブログの意味は
私が真剣になり、高めようと思えばいくらでも高められるものなのだ。

ただ、ここ最近は、
その意味を見失いがちだった。
ちょっと辛辣な言い方をすれば
創価学会員という枠でネットを見てしまうという遇を犯していたということだ。
私は私自身の目で物を見れば良かったのだけどね。



しばらくは、そういう事を考えてみたいと思っている。
ブログの存在意義を見つめてみようと思う。
日々勝った負けたを綴ることや
今日何をしたという次元で記事を書くことへの
動機付けも「どうなの?」と感じ始めている。
そんな事は自分の内側でやればよい事だしね。
誰が見ていなくとも御本尊は全て見ていますから、
それでいいのです。

かといって、学会指導を引っ張り出して
どーのこーのという記事を書く気にもならない。
そんなものは個人個人が学んでいけばいい事だからね。

自分がした活動報告をして自分を飾る気にもならない。
そういうブログはそこいらじゅうにあるし、
今更私がやるべきことではないのだ。

私には私のすべきことが必ずあるのだ。
それを探す時期に来ているのだろう。


生命論の探求もほぼ満足いくところまで行き着いた。
これ以上理論観念をいじくり回す必要も感じていない。


新しい扉を開く時というのは
いつも苦悩するものだ。
今、まさにそういう時期に来たのだろう。




懐かしの親友が別れの時に送ってくれた曲でも
久しぶりに聴くとしよう。
とはいってもアーティスト自身が歌ってるのは
you tubeにはないけどねー。




結局、私がしたいことは
このブログを通して自他共に
人間性を磨く場所にしたいということなのだろう。

そう、私が求めているのは
魂が火花を散らすぶつかりあいなのだ。


今日出会ったすべての人と出来事に感謝して。
ありがとうございました。


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ipsilon at 00:11コメント(3)トラックバック(0) 

2011年02月14日

7,8年使っていたPCが壊れました。

ちょっと前からブルースクリーンを連発して
四六時中落ちてたのですが、
騙し騙し使っていたんです。

そろそろ寿命かなーとか思いつつ
何度かリカバリとかもしたんですが駄目でした。
音は出なくなるは、ネットワークは構成しないはと
もう酷い状態でした。

まぁ7,8年、良く働いてくれました。
ありがとうFMVです(笑)


仕方ないので、PC新規購入しました。
とんだ出費ですが、
まぁこれにも意味があるのでしょう。


私はデジタルデータには執着しない方なので、
前のPCのデータとかどうでもいいんです。
そういう部分では今を大事にしてるんです。


大体、家電製品でも何でもそうですが
3ヵ月手を付けないものは
死蔵品ですしね。

ま、そんなことはどうでも良いのです。


PC変えたら気持ちも変わりました。
新しい気持ちで日々前進していこうと思っています。
これからもよろしくお願い致します。




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ipsilon at 15:24コメント(0)トラックバック(0) 

2011年02月11日

私は傷を舐めあうとか群れるとか
表面上の馴れ合いとか、仲良しごっことか
そういうのが昔から大嫌いなのだ。

なんでってさ、
そんなのは真面目にやってる人に対して失礼だからね。

だから、社会や組織にいても1人でいることが多かった。
今でもそうだ。
真に信頼できる人しか寄せ付けないし、
寄り付かないで生きてきた。
たまたま変な人を寄せ付けて、酷い心の病気になりましたけどね(笑)


組織のしがらみだとか人間関係で
自分の思想的レベルや人間性のレベルを下げるのが嫌だってことだ。
それは今の私の思考レベルなので、仕方がないのだ。
ある意味、慈悲が無いとも言えるが、
それは境涯のレベルですから、
これは仕方のないものなのです(笑)。

じゃー正論を言って、そういう人は付いて来れるかといえば
無理だったというのが、私の経験であり、体験なのだ。
大概の人は正論を言われると反発するんだな。
言い方を変えれば
正論を聞いて受け止められる人は真剣だし、
真面目に生きてる人ってことですよ。

だから、私はそういう人には
誠心誠意尽くします。
状況によっては、どんな甘い言葉だってかけますし
優しい言葉もかけます。
激励もすれば、褒めることだってしますよ。

いままで失っていた自信を取り戻した意味はここにある。

私はもう遠慮はしない。
言うべきことは言っていく。
陰でホザイてる輩を許したくないからね。
目にした悪は断固叩いていきますよ。
それで軋轢や争いが起きようとね。
まぁ、今後は呆れてスルーするように勤めますけどね。
でも、今回は言います。

偏見を持つなら、どうぞ持ってください。


大体ね、
デマだとか悪を見てみぬフリをすってのは、
与同罪なの。
そんなことも解らずに学会精神とか語って欲しくないね。
それが私の本音だ。
自分のレベルを弁えて、ものを言えと言いたい。

こんなヘタレなブログであろうと、
1日に100人近い人が見ているのだ。
デマに対してどう対応するか、
それで私の人間性や学会の看板にも影響を及ぼすのだ。
そんなことも理解できない輩は
一から悪を攻める意味を学びなおせ!と言いたい。

そもそも、どんな悪人にも仏性はある。
とんでもなく酷い輩で無い限り、
一応普通に対応するのが礼儀だ。
3度目の正直くらいは我慢だってするものだ。

礼儀も弁えない、挨拶もできない、
悪を攻めることもしない。
ま、私はそんな人間になりたくないだけだ。



それからー、
頂いたコメントへの返信もせずに
自分優先のスタイルという運営をする人も
レベルが知れているというものだ。
他人に尽くすのが公布じゃないのかい?
他人に尽くすというのが菩薩の道じゃないのかい?
それが不軽菩薩の振る舞いだし、人の振る舞いでしょ。

自分を捨てろとかって意味じゃない。
その程度、他人を優先することで
自分が無くなってしまうのかい?
そんなちっぽけな自分なら、
コメントなど受け付けなければ良い。

考えて見るがよい、
家に訪問客が来たのに、
客を玄関先に待たせて
自分のしたいことをしてるのと同じですよ。
そんな無礼なことリアルでしたら、
そういう人間だって思われるってことですよ。
なんでそういう損な行動をするのか
私には理解不能です。

どんな優れた記事を書こうが
人の振る舞いにおいて優れていないってことですよ。




大体にして、ネットってのは可笑しな人が多い。
リンクフリーではありませんとか、
どんなつもりで言ってるんだ?

そもそも、ネットの良かった部分は
自由だったってところでしょ。過去形なのが淋しいねー(笑)
誰がどこからリンクを貼っても自由。
そういう世界だったからこそ
知や情報のネットワークが出来上がって
現実社会では出来難い交流が出来る場所として
価値があったんだよ。

それをなんだい。
金儲けのツールに出来るという視点で
商業化が進んだおかげで
かつてあった自由がどんどん失われていったんだ。

商業化は時代の趨勢だし、
商業化が悪いと言っているのではない。
だが、別段商業的利害やリスクがあるわけでもない一般人が
なぜわざわざ、自分で自分の周りに壁をつくって
自由だった世界を閉ざそうとするんだい?

どこからもリンクされたくない、
変なコメントは欲しくない。
非公開で会話したい。
あげくID、PASSで城壁と天井を築く。
どんだけ臆病なんだよ!
どんだけ潔癖症なんだ?
と、言いたい。

そんなに壁を作りたいならネットなんかするなよ。
と、言いたい。
そんなに見えないとこで話したいなら、
メールで話せばいいだろ。
mixiみたいなクローズのところで喋ってろよと言いたい。
会員限定のチャットでもすればいい。
スカイプってな便利な道具もあるでしょ。
もっとも、そんなクローズな人が
スカイプなんてやらないだろうけどね。

かつて私は毎日のようにネットラジオのDJやってたんです。
私は、そんぐらいオープンなんです。
24時間耐久ラジオとかやろうとして
途中で寝ちゃって、イビキ音を放送してたこともありましたよ(笑)
スカイプだって使ってないけど、常時オンにしてます。

1時間かけてブログ書いてるなら、
本当はラジオで喋る方が全然楽なんです。
でも、掲示板用意したり、BGM用意したりが面倒なので
今はやってないだけなんです。
リアルタイムでの動画配信もやりましたけどね。

とにかく、ラジオだとリアルタイムで言いたいこと言えますから、
楽でしたね(笑)
訂正も出来るし、その場で謝ったり出来たり、補足したりできたりと、
普通の会話に近いですからね。




見えるんだか見えないんだかわからない中途半端な
コメントのやりとりとか見てると吐き気がするんだよね。
見られるのが恥ずかしいとか
どんだけ臆病なんだよ。

色々な人がいる。
色々なスタイルがある。
見られると恥ずかしいと思う人がいる。
良くそういう言い訳を聞くんだけど、
ようは臆病なだけだろ。

mixiとかね、
大っ嫌いなんだよ。
なぜそうやって閉じこもろうとするんだ?
阿保じゃないかと・・・。

先生なんてどうすんだよ。
そこいらじゅうから悪意に満ちた弾が飛んできてさ
それでも一切引かずに会員を守るためなら
命だって捨てるって仰ってくれてるんだぜ。
そんな守られてる会員で師弟不ニとか叫んでんじゃないよ。
師と同じ心でとか言ってるんじゃないよ。
と、言いたい。

師弟不ニの精神てのはさ、
師と弟子が不ニってことはさ、同じレベルってことなのよ。
つまり、弟子がいつまでも情けないレベルにいると
師もレベルを上げられないってことなの。
弟子が師の足引っ張ってるってことでしょ。

日本での先生の評価が弟子の不甲斐なさを現してるじゃん。
海外見てご覧よ。ブラジルとか鏡にしないとだよね。
それでも先生は毎日、日本の同志を激励してくれてるんだよ。
もう少し考えないといけないでしょ。
私もそんな戦えてないけどさぁー。

でも、少なくとも私はそういう部分には気付いてるのよ。
こんな自分じゃいけない!!とね。


というか、
ネットの略語じゃない言葉を知ってるのかい?
ネットワークっていうんだよ。
辞書で意味引いてご覧よ。
色々な人と繋がってるって意味なんだよ。
閉じこもりたいならネットなんてするな。
礼儀を知らないならネットなんてするな。
見られて嫌ならコメントなんかするなっての。

コメントで不愉快になったと言われたら、
謝ればいいだけでしょ?
謝るのいやなの? 謝れないの?
そういうのを傲慢というんです。
ま、謝っても許してもらえない事もあるけどね。
でも、そんなのリアルだって一緒でしょ。


んま、これが私のネット観の本音だ。


心の病の人でブログやってる人とか一杯見てきたけどさ、
リンクフリーではありません。とか、
あれはヤメロ、これはダメとか言ってる人に限って
マイナス思考で閉じ篭ってるんだよね。
で、記事の内容は愚痴と文句ばかり。
大体さ、愚痴と文句は功徳消すしね。
そんなんで病気なんて良くなるわけないでしょ。
そもそもネットでさえ閉じこもってるんだからね。

ムカツクことがあったなら
徹底的に自己主張して戦えや。
初めから逃げ腰で何ができるんだ?


頑張ってるメンヘラーとか
病気を治したメンヘラーのブログってのは開放的なのよね。
手厳しいコメントにすら
ちゃんと向かい合って運営してたりするんだな。

そりゃーそういう人は治るよね。
だって心を開こうってしてるんだからさ。
色々なものと戦って心を鍛えようとしてるんだからね。


大体さ、ネットなんて匿名なんだよ。
何を恐れてるんだ?
私なんて自分の模型のHP始めた時から
本名公開してるけどね。
ここでも一回、記事の中で本名書いてるけどね。

文句あったら言って来い!
てな感覚でずっとやってきたしね。
逆に言えば、私はそこまで
訪問者に対して誠実にしてきたってことですよ。

私の本名を知りたいなら、
リンク集にある「あっしぃーのホームページ」ってところの
プロフィール見るといいですよ。

ま、そっちのHPは趣味のページだから放置してますけどね(笑)。
でも、何かあったらここに居るという告知はしてありますよ。


どちらにしろ、
このブログの運営に関しても
私のそういうスタイルは終始変わっていない。
ずっとコメントは公開制にしてるし、
どんなコメントにも返信したし、
削除など一度もしてないしね。
アダルトの宣伝とかは別ですよ(笑)


大体さ、
見られて困るコメントって何?
それってそういう文章力しかないってことでしょ。
誰に見られても平気なレベルの文章の書き方ってのはあるんですよ。
どんな辛らつでも、人を傷つけない文章ってのがあるでしょ。
そりゃね、一億総小説家じゃないからさ、
誰もが上手い文章書けるわけじゃないですよ。

でも、そうやって
蓑に隠れてやってたら
文章力を鍛える場所すら
自ら台無しにしてるってことですよ。


しょせん、オープンマインドが無いものは、滅びます。

日蓮仏法が他の宗教と違う部分はどこですか?
世界の誰に対しても開かれているってことでしょ。
極端な話すれば、
犬、猫や草木にだって開かれてるでしょ。
猫がさ、
ニャンミャーミョーレンメミョウって唱えられたら成仏するんじゃないの?
ていうか、そんな猫いたら飼いたいけどね(笑)
まぁ普通は唱えられないけどね。

目が不自由だろうが、口が不自由だろうが、
耳が不自由だろうが、言語が違おうが、
御本尊の前に座って真心で題目を唱えれば成仏できる部分でしょ。
腕が無かろうが、足が無かろうが、原因不明の病気の人だろうが、
御本尊の前に座って真心で題目を唱えれば成仏できる部分でしょ。
誰にでも平等に開かれてるって部分でしょ。

どっかの可笑しな宗教のように
おかしな履劫修行しなきゃ成仏できないわけじゃないでしょ。


公私ともに忙しくて訪問者を疎かにしてしまいそうだ。
そういう時は話は別ですよ。
それに見合った対応、告知をすればいいだけの話。
また、それが礼儀ってもんです。
いきなり更新止まって放置とか多いけどね。
急病とかの場合、放置もしかたないけどね。


ネットは適当だけど、リアルはちゃんとしてる。
私は今までそういう人に会ったことはありません。
一事が万事なんです。

生命とか人の振る舞いってのは、
環境とかツールに関係なく滲み出るもんなんですよ。


苦情、異論、反論、オブジェクション、何でも受け付けてますよ。
遠慮なくどうぞー。


あんまり感情的に記事書きたくなかったんだけど、
ま、しょうがないやね。

どちらにしても私はネットなんて孤高でいいと思ってるので、
問題ないのです。
解ってくれる人は必ずいますしね。

だから私は自分のレベルは下げないのです。

大体さー、自分のブログで自分のこと書くならまだしも
他人の批判するから、
私だって怒る訳ですよ。
それも、とっても判りやすい批判ね(笑)


物凄ーく高い信心レベルにいる同志の人のブログ、
毎日見てるんですけどね、
その人のことを事有る事に叩いてるブログがあるんだよね。
見てて見苦しいんだよね。

高レベの人の文章の心を読みもしないでさ、
文字の表面だけ追って批判してるのよね。
批判というより、人格攻撃なんだけどね。
だから、余計に性質が悪い。怨嫉だからね。
何が悪かも見えてないで我見で同志を誹謗中傷。
そういうのはみっともないね。


んま、今日の私の記事も、とんでもなくみっともないけどさ、
怨嫉かと言われればそうだろうけど、
黙ってると何も伝わらないから書いたってことですよ。
「自分を見つめなおせ」と、言いたくてね。

自分のことや自分の思想を語るのと、
ただ単に他人を批判するのは違うってこと、
学んだ方がいいと思うね。
大概そういう批判ていうのはさ、
こうこう、こう思うから違うとかって理由つけも何もないんだな。
ただの個人的な感情論なのよね。

言い換えればこう。
「ヴァカじゃねーの」と言ってるってことです。

2ちゃんレベルのことを自分のブログでやってるレベルの人を
まぁ、私は相手にしませんけどね。
いや、ちょっと相手にしちゃいましたけどね(笑)

ということで、今後はもう何も言いません。
こんな記事を書くのは
自分で自分のレベル下げてることになるしね。
第一、どんな状況でもイライラしない自分になるのが、
今の目標のひとつだしね。



てことで、孤高宣言でした(笑)


追伸:
あんまり私を怒らせないでください。
徹底的にやりますからね(笑)
相手が潰れようが徹底的にやるタイプなので。
自信を取り戻した私は狂気の人でもあるからね。
お気をつけあそばせ〜!





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ipsilon at 10:12コメント(7) 

2011年02月10日



戦争状態というのは、そこいらじゅうに憎しみが満ち溢れている。
それは敵に対してだけではなかったりする。
味方同士でさえどこかに猜疑心があったり、
お互いを理解しあおうとせず反発し、ぶつかりあう。
戦場という場所は極端にエゴを増徴させるからだろう。
しかし、銃弾を受け死にそうになった瞬間、
一般世間ではありえないような真の親友になりえることがある。

そんな状況で人間としてあるべき行動をとれるのか?
そこにヒトと人間との境界があるのだろう。





国や人種や習慣の違いなんて乗り越えられる。
人はなぜそうしようとしないのか。
生き物という同じ観点に立てさえすれば、
どこに何を目指していけばいいかは分るはずなのだ。

でも、人間がその場所がどこにあるかを知るのは
恐らく、死の瞬間だろう。
でも、それでは手遅れだということに気付くべきなのだ。





誰かを励まし、誰かを何とかして立派にしたい。
そんなありふれた生き方にこそ、
人は希望や生きる意味を見出すものだ。
そして人々は、その物事の成就を見ることなく
残されし者に「善くあれ」と願い
別離や死を迎えるものなのだ。

ならば、見つけ出した誰かを大切にして
励まし育てていく「今」にこそ価値があるのだ。
たとえ愛する人との別れがくるとしても。

それが、生きるということだ。
そして、その別れによって人は
本当の意味で、生きる強さや優しさを身につけていくものなのだ。

それが、生きるということだ。





私が心の病になって
最も打撃を受けた部分は「自信」を無くしたということだった。
全てのことに自信を無くした状態なんて
無くしてみた人にしか解りえないことだろう。

だから、そんなものを解って欲しいなどというつもりはない。
昔はあったけどね。

つまりそれは、私が自信を取り戻しつつあるということ。
それとなく気付いていたけど、
この倦怠期の中でそれを見つけ出せた意義は
このブログを書き綴ってきたなかで一番大きく価値あるものなのだ。


病気をする前の私は
「お前、マジかよ!!」と人が唸るぐらいの自信家だったのだ。
そんな人間にとって自信を無くしたということは
生きる力を失うことに等しいことだった。
死んだまま生きていたようなものだった。


しかし、私は自信を取り戻しつつある。
こんな状況にあってもね。

この高揚感、わかんないだろうなぁ〜(笑)。
フヒヒ、落ちぶれたのもが復活することでしか味わえない高揚感。
この感覚は、大きな躓きをしたことのない人間には決して理解できないだろう。

躓いたことのない人間の持つ自信ていうのは、
無理矢理自分は間違ってないという「狂信」みたいなものだ。
言い換えれば体験で得た「自信」とは言えない。
私はそのどちらも経験しつつある状況にある。


あとは、為すべきことをするだけだ。
その為すべきことというのも、
かつての「狂信家」だった頃の私には
決して見えなかった為すべきことなのだ。


復活とはつまり、
自分自身に目覚めることだ。
自分自身の耳でものを聞くということだ。
自分自身の口で声をあげることだ。
全ての借り物を脱ぎさるということだ。
そして、その力で
自分自身の力で戦うということだ。
言い換えれば、本当の自由を得るということだ。


大地割りそそり立つ姿、正義の証か〜♪
って歌詞がたまらなくイイ!


80年代のアニメを馬鹿にしちゃーいけない。
ちなみに、『伝説巨神イデオン』の監督は、
ガンダムを作った富野由悠季だ。

子供だましのアニメばかりという当時のアニメ界に辟易し、
作り上げたのがガンダム。
周囲から様々なプレッシャーを受け、ボロクソに言われた。
富野氏は精神を患い、うつ病になった。

症状がかなり進行した頃、もう一回革命を起こしてやる。
そういう意気込みで大人に向けて作ったのが、このイデオンだ。
テーマは「輪廻転生」、業を乗り越える。神秘なるものへの帰還。
イデというのは「第六文明人の意思の集合」と物語では語られる。
イデには何らかの意思がある。登場人物はその意思から逃れることが出来ないまま、
イデとはなにか? を思考しながら争いを繰り返す。

生きることで積み重なっていくエゴの多い大人には
「イデがなんたるか?」をなかなか感じとれない。
生きることに純粋な子供にイデは強く反応する。
誰かを善くあろうとして守ろうとする意思にイデは強く反応する。

結局、大人たちは最後まで争いを終わらすことができず、
「イデのなんたるか?」を垣間見ながら死んでゆく。


この物語、「イデ=大宇宙の法則」と考えて見ていると
もの凄く奥深いんだけど、その反面、ものすごく物悲しい。
大げさにいえば、いまの地球の縮図も見えてくるからだろう。


異文明同士(国家間)の争い。
同じ環境(同一国家)にいてさえ
同じ脅威に晒されてもなお、個人のエゴを捨てきれず反発し合い、争いあう。
しかし、イデを少しずつ感じることで、
人々とは互いに、ありきたりの思いやりを
与え合うことを自然に行い始める。

最終話近辺、こうしてみんなが一つの目標に向かって
輪を作り始めた所でイデが発動し、
死を迎え、新らしい生へと輪廻転生を迎える・・・。

このラストシーンは今見てもせつない。
だが人生とは、生きることとは、まさにそういうことなんだと思う。
物語の場合、過去世の気憶が残っているから、
見ていてもまだ救われるんだけど、
この現実世界はそうじゃないから、
イデだとか大宇宙の生命をなかなか信じられないのかもな・・・
なんて受け取り方をして見たこともあった。



富野氏の最高傑作は、
今のところイデオンである。
氏も控えめにそう語っている。

イデオンから19年後、
富野氏は『ターンAガンダム』という作品を作っている。
下敷きはイデオンだったという。
このターンA、モノを見る目を持っている人は
ガンダムシリーズの中で一番高く評価している。

富野氏のうつ病が、もっとも酷くなったのはこの頃だそうだ。


うつ病はものを作るパワーになりえる。
富野氏はアニメ監督という立場でそれを証明した人だ。
私はそう思っている。

1990年代の代表選手みたいに言われている、エヴァンゲリオン。
どう贔屓目に見ても
イデオンのパクリであることは隠しようがない。


あらら、エヴァの歌うたってた高橋洋子さん(エヴァの主題歌歌って人)、
「コスモスに君を」を歌ってたのね。
これは、知らなかったなぁ〜(笑)




イデオンを1時間で簡単に知りたい人は
こちらを見てみるといいです。

アシスタントの加藤夏希の表情が
段々、厳粛になっていく様が作品の凄さを
何より物語っていると思う。



映画本編を観たい人はここでどうぞ。

私は中学生の時にリアルタイムでこんなものにハマってしまったことが
人生を変えた要因になってるって訳です(笑)。
当時は、勿論あんまり意味が解っていませんでしたけどね。



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ipsilon at 22:11コメント(0)トラックバック(0) 
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