2012年09月

2012年09月30日

前記事を書いてから、少し調べなおしたり、脳内過去を検索しなおして、
少し追加すべき部分があると思ったので書いておきます。

多分、先生のご指導から読み取るに、唱題の核は
『御義口伝(下)』(御書全集790ページ)の湧出品にある以下の一文にあると思います。

昼夜常精進為求仏道故(昼夜に常に精進す、もとより仏道を求めんが為の故なり)
「此の文は一念に億合の辛労を尽くせば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。」
無作三身とは法・報・応の三身であり、真理・智慧・慈悲であり、「働かさず・つくろわず、あるがまま」です。

ここでいう一念の億劫とは「勇猛精進」であり、「無間」「無雑」のことですね。
噛み砕いて言えば、これ以上ないという深い一念をどこまでも追及する、無上道の唱題と言えますでしょうか。


上記は当然、大切ですが、
「無疑曰信」や「自行化他に渡る唱題」も大切でしょう。

自行化他に渡る唱題とは、
『立正安国論』にある
「汝須らく一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」
に当たるのではないでしょうか。

ともかくも、御書を繙いていくと、大切な要素は数限りなく出てくるので、
基本は先生のご指導を中心に考えながら、御書を拝して
億合の辛労を尽くしていくしかないといったところでしょうか。

私のブログからリンクさせて頂いているレオさんのブログにも参考になる記事がありますので、
そちらも読んでみると良いのではないでしょうか。

ipsilon at 12:20コメント(2)トラックバック(0) 
とあるブログで、
自身の唱題を点検している記事を読んだ。

そんなことで、その方の役に立つかはわからないが、
私の唱題方を書いておこうと思う。


ここ数日の唱題は、私が勝手に名前をつけた「無作の唱題」をしています。
ただただ何も考えず、ただただ真剣に「南無妙法蓮華経」と唱えるという感じ。
ありのままの自分で唱える題目といえましょうか。
ここで何度も書いている「そもそも自分なんて存在しない。無我の生命として御本尊に帰依したい」
そんな気持ちです。
集中がとぎれたなら二座の御観念文を暗唱します。
言い換えると、ただただ感謝の気持ちで唱題しているってことになるでしょうか。

自分の唱えている声に耳を澄まし、
先生がご指導されているような、
天空を白馬が駆けるような唱題になっているかを
常に確認しながら唱題しています。
同時に変な抑揚になっていないか、
早く終わらせたくて、妙に早いテンポになっていないか(笑)
体に変に力が入っていないかなどなど、
逐一確認します。

この唱題をしていると、異様に時間が長く感じます。
でもなるべく集中して時計を見ずに唱えます。
これが現時点の私の唱題方。


目標や目的を絞り、具体的な祈りを書きだしたご祈念ノートも
一応経机に置いてあります。
しかし、これは項目を上半期に少しずつ増やしていったので、
これを真剣に祈るには2時間以上かかることを知っているので、
今はそれにはこだわらずに唱題しています。
項目を祈ろうが祈るまいが
心の奥底にある一念は自然に叶う御本尊ですので
最近はあまり項目を祈ることに執着していません。

ご祈念のある唱題をするときは、
その項目を心の中で読み、念じながら題目を唱えるんですが、
それを始める前に何回念じると、必ず決めています。
ですが、途中でご祈念を読み損なったり、
途中で雑念が入った場合、再度初めからやり直します。
こんな風に自分で決めた祈り方がキチンと出来たと思えたら、
次のご祈念に移る。そんな唱題をしています。
あまりにも真剣に祈っていると、
(あれ? 何回これ祈ったっけ?)なんてなりますが(笑)、
そうなった場合、決めた回数には拘らず、
(じゃ、あと2回真剣に祈ろう)
と、すぐに気持ちを切り替えます。

ご祈念の内容の一念が浅いと思えば、
逐一文章を書き換えていきます。
そして最終的には誓いという「誓願」の形にしています。

ですから、初めは「こうなりますように」とかノートに書きだすこともあります。
でも、真剣に祈りを続けていくと、
「この文章では一念が浅い」と気づき、
自然と「こうします!」と書き換える作業が出来ます。
ここが唱題の凄いところだと感じています。
ですから、書きだすときに、「誓願」の形にしなければ!
と拘る必要はないと思います。
始めは、そのとき思った気持ちに素直なご祈念で良いと思うのです。
「あるがまま」が一番大切でしょうから。

キチンと祈れていれば、
「こうします!」と自信を持って祈れない項目は
多分、本当に叶えたい祈りではないと自分で気づくはずです。
私は唱題の中でそういう体験をしてきました。

こうして祈っていくと、
最終的には、多分「自他ともに苦楽を共有して喜び合いたい」という一念がある
項目だけが残ると思います。個人的な欲にもとずく祈りの項目とか
どうでもよくなってくるはずです。
こうなったらしめたものだと思っています。

唱題の仕方は、
続けていくことで進化すると感じていますが、
自身の唱題を厳格なまでに確認していかないと、
そうした進化は望むべくもないと思います。
いわゆる惰性の唱題に陥るというやつですね。
これは大変勿体ないことだと思います。

上半期、私は唱題が終わると、
どれだけ真剣に出来たか、全体の何割くらい雑念があったか
唱題中湧きあがった発見や思索、感謝の気持ち、気づいたこと、疑問などなどを
すぐにノートに書き出しました。
数日間、雑念が多いと記録されたなら、
何かを変えないといけない、そう思い
自身の唱題を厳しく再確認しました。
必要と感じれば御書や先生の指導を拝読しました。


また唱題中、信心や信仰に関する雑念が湧くのは
まったく構わないのではないかと思います。
そうした疑問や思索が起こったなら、題目をあげながら
必死に答えを考えてOKだと思います。
でも、その日その場で答えが出ることは少ないので、
ある程度思索したなら、ご祈念に戻るようにしていました。

しちゃいけない訳ではないですが、しない方が良い雑念としては、
「勤行終わったらコーヒーでも飲むかな」とか、
「あ、そういえば窓開けっ放しだ」といった雑念でしょう。
でも、こういった雑念は
御本尊の前に端座するまえに、普通は全て処理出来る物事なので、
気がかりになりそうな出来事は全てやってしまい、
準備万端で御本尊の前に座るようにしていました。

私がこれまで実践してきた中で一番大事だと思うのは、
雑念も出れば、集中できないこともある。
そういう自分を点検して認識さえしていれば、
そういう自分を許し、絶対に卑下しないようにする事です。
点検と確認を続け、日々真剣に唱題し御本尊と向き合っていけば、
大概のことは自然に出来るようになると思うのです。

何にしろ、必死に突き詰めていけば、
あるがままの自分らしい唱題方が自然に築けていけるはずだと思います。

以上、拙い内容ですが、参考までに
私の唱題方を紹介してみました。

異論、反論、色々あると思います。
でも、唱題は信心の根底ですし、基本中の基本なので、
記事を書いてみました。

組織の中で、こういう話題ってほとんど出ないんですよねー。
本当は凄く大切なことなんですけど。
でも、突き詰めれば、唱題は非常に個人的な世界なので、
自分で突き詰めていくしかないと感じています。

あ、それから、移動中の唱題は、私も時々するのですが、
あまりお薦めしません。
意識が唱題にいきすぎて事故を起こすような危険性があるからです。
ですから、集中して唱題できる状況でない限り、
私はあまり移動中は唱題はしません。
その分、御本尊の前に座った時に、真剣に唱題することを心がけています。

以上です。

ipsilon at 02:13コメント(7)トラックバック(0) 
朝夕の勤行を実践。唱題はトータルで20分。
『女性に贈る言葉 365日』本日の日付の分を読む。
聖教新聞の読みたい部分を読む。
公園ウォーキング1周。

今日有意義だった新聞の記事は、
イヌやネコの可愛い画像などを見たあとは、
作業効率や慎重さが増すという記事。

なんとなく気分が落ち込むと、
最近は「猫動画」を見ていた訳で。
題目をあげると、こういう良い方向に自然歩いていける。
不思議ですね。


今日は、元カノとの思い出多き、牧原敬之の新曲をチェックした。
もう泣かないだろうと思って『太陽』を聞いてみた。
うん。大丈夫。もう以前みたいに自分を卑下していないから、
割と冷静に聞けた。

でも、もっと嬉しかったのは、
まっきーが「人間のもつ孤独」を歌っていたのを見つけたこと。
「無縁社会」、そういう今の時代をちゃんと生きてるね、まっきー。
さすがだね。ありがとう!



自分に生きていく価値を
見つけられないならば
誰かの幸せの小さな
きっかけになりたい
その理由ひとつあれば僕は生きていける

ipsilon at 00:07コメント(0)トラックバック(0) 

2012年09月29日

大聖人の御書『祈祷抄』に
「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」という御文がある。
これは本当だろうか?

答えは「否」だろう。


何でも自分の思い通りになる、祈ったことは実現する、
そういう事を宣伝する宗教は、ハッキリ言ってインチキである。
道理に適ったことは祈れば叶う。
これが現実だろう。


祈りは叶うのか?というこの疑問を私は随分考えてきた。
大聖人という偉大な方であっても、叶わなかった祈りがあったであろうことは、
大聖人の御生涯をひととおり学べば、普通は気づくことですからね。
その大きな1例が「国家諌暁」。

大聖人が本気でなかったの?
途中で諦めたから?
だって相手がいることだからねぇ。

などなど、祈りが叶わなかった理由を
私などの低次元の人間はそんな風に考えた。
でも、それじゃー納得できないんだよね。

学会指導では、こうした叶わなかった祈りは
必ず良い結果に結びついている、
と教わってきた。本当だろうか?

でもさ、その良い結果ってのは何?
それは個人個人によって違うよね。
てことは、万人に通じる理論じゃないよね。
必ず良い結果に通じるというなら、
万人に通じる良い結果ってのがあるはずなんだけど、
今のところ、私は学会指導の中にそういうものを見いだせていない。

こうした疑問が積み重なり、やがて疑問に思っていたことも忘れていた昨夜、
ハタと「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」の真意、
ようするに「文底」の意味に気づいた。


文上から拝すれば、大聖人であっても祈りは叶っていない。
これは正しい。
でも、文底から見れば祈りは全て叶っているんですね。

佐渡流罪後、大聖人は
幕府から、「俺らが庇護してやるから、他宗の批判はもうやめろ。
そうすればお前のいう事も少しは信じてやるし。言われた通り振る舞うのもやぶさかではない」
みたいなことを幕府から言われた訳ですが、
大聖人はスッパリキッパリ断っています。
ここで首を縦に振れば国家諌暁はなし得た筈です。祈りは叶ったはずです。

でも、それを選ばなかった。
そうしなかった理由は明白。
首を縦に振ること=権力に屈するということであり、
自分が一番なりたくない権力の魔性に従う行為だったからですよね。

つまり、大聖人の最大の祈り(大願)とは、
権力に屈しないこと=限りなく自由であらゆるものを共有する生き方
だったのだろうと、考えて良いと思うのです。


して、、限りなく自由であらゆるものを共有する生き方って
具体的にいうとどんな生き方なんですかね?
簡単に言うと広宣流布でしょうけど、
これを一人の人間の心として捉えようとするなら、どう考えればいいんでしょうかね?

さて、疑問が膨らみ過ぎたので、もう少し視点を下げてみます。



「あれが欲しい」
「こういう家に住みたい」
「あの仕事をしたい」
私のような一般人はだいたい、こういうことを祈ります。
叶う祈りもあれば、叶わない祈りもあります。

でもさ、人間の欲には限界がありませんよね。
マーチに乗れたなら、次はフェアレディに乗って、そん次はジャガーに乗って、
そんでベンツに乗って、、、、てなもんです。

つまり、大聖人の言ってる祈りってのは、こういう低次元の祈りじゃないってことですよ。

その証拠が、権力に膝を屈しなかったことで理解できるでしょ。
人間の欲望は限りない。
そういう人間の欲望が最終的に目指すところは権力の座じゃないですか。
ですから、こういう低次元の祈りには叶わないものがあるんですよ。

じゃあ大聖人の言う祈りってのは何でしょうか?
多分、「我が生命を全ての生命と共有しあうこと」
そして「共有したことで得られる喜びと自由を教えたい」という気持ち(心)でしょうね。

つまり、こうした高次元の祈りは「かなはぬ事はあるべからず」
と、仰っているんだと、私は思います。
んで、こうした祈りが社会の中で実現していくことが、
大聖人が仰る「広宣流布」だと思うんですね。

御本尊と題目を流布する、それは「表面上の広宣流布」な訳で、
本当に大切なのは、「生命を共有したことで得られる喜びと自由」は
本当に素晴らしいんだよ、という心を伝えて行くことですよね。


昨夜、
私は自分の一部である潜在意識や無意識層を自分そのものだと受け止めました。
そして、今日公園に行くと、
ホントかよー!!ってくらい動物達が寄ってきたんです。
警戒心が強いはずの鯉(魚類)が私の後を付いてきて
いつまでも私の側にいたりしました。
お散歩中のワンコも、顔をスリスリしてきたので、
ナデナデしたりしました。
カルガモ達も、ごく自然に私の方に寄ってきました。

昨夜、
私の潜在意識が私の意識に訴えた、
「生きてることって楽しいね嬉しいね^^」という感情は
草木や動物たちの潜在意識の中にもあるんです。
そして、そういう潜在意識は
「生きてることを喜び合いたがっているんです」。
でも、肉体(個体)とか意識が邪魔するんです。
でも、動物たちは人間より遥かに多くの部分で
潜在意識の喜びに対して純粋なんです。

だから昨夜、潜在意識それ自体が自分だと認めた私に
彼ら動物はごくごく自然に近寄ってきたのです。

以前にもそういう事はありました。
でも、動物たちが近寄ってくるまで、
随分と題目を唱え、自然の中に身を置く時間が必要でした。

ここ数日の僅かな実践で、こんなにも動物たちと
生きる喜びを共有できる自分になれたという現実は
「信心で積み上げたものは絶対に崩れない」ということの証明です。

そう思い込んできたけど、体験するとやはり感激します。


ともかくも大御本尊の仏力・法力は絶大なのです。


何かと言うと、私はベートヴェンの第九を引き合いに出しますが、
それは第九の歌詞が、
今日まさにここに書いた記事そのものを歌っているからなんです。
つまりさ、私は直感的に共有こそこの世界で最高の喜びであると気づいていたんだけど、
それをまだ信心の次元できちんと捉えられていなかったということです。

でも、今日それを掴みとりました。


『歓喜によせて』(部分)

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい



「そしてそれがどうしてもできなかった者は、この輪から泣く泣く立ち去るがよい」
といってるけど、この意味は深い。
大切なのは生きる中で一番大切なことに気づくことだからね。
見せかけの友達や、いるだけの夫婦を築くなら、
一生をたった一人で生きたとしても、
大切なことに気づき、それを伝える生き方を貫けば「この輪」に入れると、私は思う。

なぜなら、そういう事を
「心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ」という一行が
そう言っているからだ。

ipsilon at 23:11コメント(0)トラックバック(0) 
ずっとずっと、ずっと悩み苦しんできた原因が解った気がする。
例によって今夜も脳は思考を繰り返し寝付けない。
でもその思考が、今さっきひとつに纏まって、ある答えを出した。
それは私がずっと苦しんできた「寝たいのに寝れない」ということを、
ある程度解決すると思える。

ようするに、勝手に湧きあがってくる思考や
布団に入ると考え事を繰り返すのは、別におかしい症状ではないってこと。
これは、私の潜在意識や無意識が「生きてることを確認したがってる」ということに気づいた。

ちょっと気持ち悪い話だが、
私は酷い引きこもりになると、必ずといっていい程、ネットで遺体や死体の写真を見まくってきた。
むろん動画もだ。この3か月間にもそういう行動をとった。
何でこんなことしてんだ・・・その理由はわからなかったが、今はわかる。
ようするに「俺は生きているんだ!」ということを確認したかったという
深層心理があったってことだ。
リスカを繰り返す行動なんかも、ようはそういうことですからね。


つまり、寝ようとすると思考が勝手に湧きあがってくるのも同じ理由だと気づいたってこと。
寝ようとする→意識より潜在意識や深層心理の働きが強くなる
→無意識に脈絡のない考え事を始める、ということ。

私の意識自体は「眠りたい」と思っている。
でも、それを無視して潜在意識や深層意識は思索しようとする。
私は私の意識通りにならないことが苦しいと感じる。
そういうことだ。
どんな思い出であれ、潜在意識達が生きていたことを鮮烈に実感した出来事であれば、
私からすれば(何で今頃あんな過去を思い出すんだ・・・もう思い出したくもないのに)
という過去であっても、潜在意識達はお構いなしにそれを思い出して、
生きてることを確認しようとしていたんですね。
そして私の意識はそういう潜在意識の行動が理解できなくて苦しんでいたってこと。

なぜそうなるかと言えば、ずっと一人でいるからだ。
普通、社会活動をして生活していると、
人は名前を呼ばれたり、なんらかの役割を果たすことで、
潜在意識や深層心理は「ボクは生きているんだ。嬉しいなぁ^^」と感じているんですね。

でも、私は今そういう状況にいない。
だから潜在意識や深層心理が「ボクは生きているんだ。嬉しいなぁ^^」と感じようとして、
私の過去の記憶からそういったものを探そうとして、
半ば無意識に思考を繰り返していた訳だ。

でもって、私はそういう潜在意識を自分の一部だと認められず、
自分の意識でなんとかコントロールしようとして、
潜在意識とせめぎ合ったから苦しかったのだ。

通院していた頃、医師も「寝れない時は起きててもいいですよ」
「無理に寝なくてもいいですよ。昼間どうしても眠いなら寝てもいいですよ」
と言っていたのは、そういう事だったのかとも気づいた。


この気づきの意味は非常に大きい。


でもって、私が真の理由もわからず自然の中に身を置きたいという衝動に押され、
人間関係のない今の私がそうした行動をとり続けたのは、
生きてることを確認したがる潜在意識にそれを感じさせてあげるには、
自然の中に身を置くことが一番手っ取り早く確実なことだと「意識的(感覚的・直感的)にも」
感じ取ったからなのだろう。

あははー。やっぱり人間に自由意思ってないと実感する発見だ。
カントが「人間は正しい道徳律に従って行動したときのみ、自由な存在になれる」
といった言葉に、顎が壊れるくらい頷ける発見だ。

そうかそうか、人間の意識ってのは、
潜在意識が「あー、ボク生きてるんだぁ〜、嬉しいなぁ^^」って感じる為に、
ご飯を食べたり、移動したり、働いたり、家族や仲間と過ごす事を
自発的に出来るようにしているシステムなんだね。
植物は移動しないから、そういう意識があまり進化していない。
物凄く広い距離を移動する渡り鳥なんかは、かなり意識や記憶が進化してますもんね。
そういう事なんですね。すごく納得した。

そもそも我々の意識ってのは、潜在意識や無意識層との割合で考えたら
1割程度あるかないかですからね。すごく納得した。

でもって多くの人間は、その1割程度の意識にしがみついて
それ以外の意識を排除したり、受容することを自ら拒否して
自由になろうともがいてるってことですね。実に滑稽で愚かですな。
まぁ私もそうやって苦しんでいた一人だったんですけどね。

でも気づいてしまったら、
さっきまでイライラさせられていた潜在意識の生存確認という名の無秩序な思考が
愛らしくて仕方ありません。
「なんだぁ〜お前、生きてることを喜びたかったのかぁ。ごめんごめん気づいてやれなくて邪険にして」
ってな感じですね。

これからは、自分の潜在意識や無意識が訴えてくることに、
ちゃんと耳を傾けてあげたいと思います。
だってそういう意識だって自分自身なんですからね。

自分の一部を否定したり受け止めてあげなかったら、
そりゃー二重人格とかうつ病とかいう心の病気になって当たり前だよね。


今夜は物凄い発見をした。


つまり、私は自分自身の意識全て(生命)に「俺、生きてるよ! 楽しいね♪ 嬉しいね^^」
という感情を伝えてあげる生き方さえ見つけ出せば、もう何も怖くないってこと。
その感情は悲しいとか苦しいとかでもいいのですよ。底知れぬ悩みでもいいのですよ。
その感情が我が命に生きてるんだよ!楽しいね!と伝えられるなら。
「生きてるから悩めるんだぞコラ! あんまり悪さしないでね」
と、語りかけていけばいいだけなのだ。

そして、↑こういう生き方それ自体を仏法では「即身成仏」と言うんですよね。

そして、そうなれる自分を作れるのが御本尊への唱題ですね。
有難や、有難や!!
この何年間で、一番大きな発見をした。
嬉しくて嬉しくて仕方ない。

御本尊様、ありがとうございます。



今なら、ARAIの中でなぜこの曲が一番好きなのか、その理由がわかる。
この曲の歌詞は、歌詞であって歌詞ではない。
河井英里さんの中にあった「生きる喜び」を歌詞にしたら、こうなったという歌だからだ。

これが本当の「美」だ。

でも、もうこの方はこの世にはいない。本当に残念なことだ。
享年43歳でこの世を去った。R.I.P.
私より若くして・・・・。なんだか申し訳ない気がする。
オイラ。こんな生き方しか出来てないのに・・・。
でも、そんな私を私は愛さなければいけないんです。
それが「生きる」ということなのですから。



ipsilon at 04:15コメント(0)トラックバック(0) 
プロフィール

イプシロン(シンジ)

カテゴリ別アーカイブ
記事検索
最新コメント
ギャラリー
  • 小自分史(1)
  • Thank you my girl
  • 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
  • 勝利のアクビ
  • 一瞬の憩い
  • 笑顔は美しい
  • 4つ目の自分
  • 4つ目の自分
  • 3つの自分
  • アリイ 1:48 三菱零式艦上戦闘機52丙型(a6m5c)
  • ハセガワ 1/700 病院船「氷川丸」 竣工
  • フジミ 1/72 空技廠 零式小型水上偵察機(E14Y) 完成
  • ハセガワ 1/700 重巡洋艦「古鷹」 完成
  • スケッチ アミダラ女王
  • 静止した時間
  • 蝶
  • 祈り
  • チャム・ファウ
  • どこかのお家の猫ちゃん
  • 「みちくさ」
  • ザハロワは美しい!
  • デジ絵「星座と少女」(完成)
  • チュチュがじゃまだよ〜
  • アティチュード
  • 瀕死の白鳥
  • デジ絵「夏の風」(完成)
  • デジ絵「風」(完成)
  • デジ絵 ランカ・リー(完成)
  • 栗木さん 応援イラスト
  • イラスト「天使」
  • 水彩画 愛嶋リーナ 完成
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「graduation 」
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「アメジストの祈り」
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「初雪」
  • 水彩画 愛嶋リーナ
  • デッサン 愛嶋リーナ
  • 水彩画 アリスとネズミ
  • イラスト アリスとドロシー
  • イラスト 眠そうなネフェルタリ
  • スケッチ 微笑の国の人
  • なんでだろうう? と思うこと
  • スケッチ アソーカ・タノ
  • スケッチ ライオン
  • 3DCG X-Wing fighter
  • 3DCG X-Wing fighter
  • 3DCG 缶コーヒー"カフェバニラ"
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • スケッチ 騎士の左腕
  • アーソウカ、、だった!
  • スケッチ 懐かしのアイツ
  • ニャンとも言えない気持ち
  • 旧作 ペン画
  • デッサン ドイツ兵 in 1944
  • 水彩イラスト ニホンカモシカ
  • デッサン アフリカゾウ
  • 水彩画「水辺の豹」
  • 習作デッサン「豹」
  • 旧作 Gジャンガール
  • イラスト「蜜虫」
  • 「ネフェルタリと豹」下絵
  • イラスト「ネフェルタリ」
  • 水彩画 「装身具をといたクレオパトラ」
  • デッサン+色鉛筆 眼
  • スケッチ 「装身具をといたクレオパトラ」
  • 習作 ネフェルタリ 下書き
  • デッサン 眼
  • デッサン途中 布の研究
  • 旧作 F-4E"Phantom2 & F-5E"Tiger2"
  • 旧作 F-4E"Phantom2 & F-5E"Tiger2"
  • デッサン チャイナドレスの子
  • スケッチ クレオパトラ
  • 水彩画 死せるクレオパトラ
  • スケッチ クレオパトラ
  • デッサン 小野田寛郎さん
  • デッサン 猫
  • デッサン Diane Kruger
  • デッサン ベッキー・クルーエル
  • デッサン 中澤裕子
  • ベッキー デッサン
  • 萌えキャラ 線画 修正 その1
  • 萌えキャラ 下塗り
  • デッサン 杉崎美香 8時間目
  • 習作 フォトショップ 萌えキャラ風塗り
  • デッサン 杉崎美香 6時間目
  • 欝
  • 習作 水彩 その1
  • デッサン 杉崎美香 4時間目
  • 習作 小池栄子 その1
  • 習作 杉崎美香 その4
  • 習作 Face
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 杉崎美香 その3
  • 習作 杉崎美香 その2
  • 習作 その4
  • 習作 杉崎美香 その1
  • 習作 その2
  • 習作 その1
  • 習作 その1
  • 習作 その1
  • 好き好き大好き
  • 電話中
  • βズガイキング
  • モー様の絵 ハケーン!(笑)
  • Mクン 見っけた!(笑)
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ