2012年10月

2012年10月31日

私も創価学会員の端くれである。
だから、地区の発展や拡大、そして異体同心は、日々ご祈念している。

しかし、それを身口意の三業で実践できているだろうか?
また、自身にとっての広布拡大と異体同心とは何事であるか?
といった、一歩踏み込んだ思索を真剣にしたことは、あまりなかった。

いわゆる学会指導にある、一人でも多くの人が、自身の意思で題目を唱えていけるように、弘教し励ましてゆく。これが広布拡大の戦いであると思っていたし、
地区の皆が、地区部長・地区婦人部長を中心に団結し、広布の推進力を増していけるようにと、そう祈ってきた。


しかし、先生の指導を読んでいて、ハッとさせられた。


「将来の発展は、現在の人数の多少が問題ではない。どこまでも深く、強く、信心の根を張り、人材の基盤を築いていくかである。
ゆえに、1人1人が信心を深め、自分自身を磨き、力をつけていくかである。
決して焦る必要はない。常識豊かに着実な前進をしていけばよいのである」


つまり、これが「広布拡大」の精神であるということ。
羊千匹より、獅子1頭という、牧口先生の精神でもある。

自分自身が強くなり、成長すればそれだけ他者を救っていける。
日々そういう思いは強くなっている。
でも、まだまだ自分自身が、先生のご指導そのものになれていなかった。そう反省した。

ともあると、結果や数に目が行き、目的と手段をはき違える。
これは危険なことだ。本末顛倒であるからだ。

戦いの中で1人1人がどれだけ信心の根を深く強く張れたか。
これこそが大事なんですね。
励ませたのは1人かもしれない、声をかけられたのは1人かもしれない。
でも、その1人が自身の力で立ち上がり、汲めども尽きない無限の力が自分の中にある! と気づく「縁」になれたなら、それで良いのだろう。

一期一会に全身全霊を傾ける。そうした戦いが出来ているなら、それで良いと思った。
無論、そういう戦いが出来るようになる為に、数多く当たっていくという方法もあろうが、
それによって、常識から外れた行動をとってしまえば、そこに賢明さや常識がなめれば、それがその後、仇となることもありえるのだ。

法戦の戦い。
これは、政治という分野への働きかけである。
残念ながら、政治は今のところ多数決という原則がある。
それゆえ、数を重視する戦いになるのは、これは致し方ない。
しかし、それだけで終わってしまってはいけない。
私はそう思うのだ。

なにはともあれ、聡明にして賢明にして、常識豊かな行動が出来るよう、
自分を律していきたいと思う。
ともかくも、自分らしく進んでいけたらと思う。




そして、「異体同心」。

「自分自身の心の中に葛藤を持ち、自分がバラバラにならないようにする。そうしてこそ、力がでる」(要旨)

つまり、自分自身の中にある、「あの人はどうだとか、この人はどうだとか、あのやり方は気に入らないとか、あーすればいいのにとか、あのやり方は間違いだ」とかいった心を持ったまま「異体同心」を祈ったところで、それは実現しないということだろう。

まずは、自分自身がそうした葛藤を抱える境涯から抜け出すのが最重要だと気づいた。

その上で、「広宣流布の為」という「同心を持つ同志」を育てていかなければならないと気づいた。
まず、自分自身の葛藤を乗り越え、そうした経験を伝播させてゆく。
これこそが、本当の「異体同心」の祈りだと気づいた。

先生の指導は、本当にありがたい。

私など、まだまだ「師弟」の師の字もわかっていない輩である。
だが、日々学び、この道を歩んでいくと決意している。


広宣流布とは、人材を探す旅である。

先生はそう仰っている。
戸田先生もそうだ。

妙法の 広布の旅は 遠けれど
 共に励まし 共々に往かなむ 


         戸田 城聖
1955年(昭和30年、年頭)  





さぁ、「今ここから」、一歩も引かない旅をはじめよう!
たった1人であろうともね!


ここで、学会歌を埋め込まないのが、実に私らしい(笑)。

音楽を聴きながらウォーキングしていると、この曲は3周くらいのところでかかる。
(あー、、疲れてきた、、、あと1周か、、、)
そんな時、私を何度も励ました曲だ。

俺は決めたんだ! 無駄にする時間はないのさ! ってね^^b



【拍手コメくださった方へ】
心配りありがとうございます。筋肉の緊張からくる懲り、眼精疲労はカルシウム不足からくると気づきました。
さっそく、日々チーズを食べることにしました。アドバイス大変感謝しています。
ありがとうございます!

ipsilon at 19:13コメント(3) 
【本日の実践】

朝夕の勤行・唱題(100分)
御書拝読『上野殿母御前御返事』『大白牛車御消息』『春初御消息』
『法華証明抄』『筵三枚御書』『芋一駄御書』を全文拝読す。
『女性に贈る言葉 365日』の今日の日付の分を音読(2回)。
『今日も公布へ(36)』を音読(1回)。
『聖教新聞』の読みたい部分を読む。
『自己の欠点を克服する語録』を音読(2回)。
『人間と仏法を語る(2)』を適量読む。
隣駅のブックオフまで、ウォーキング。
食事は2.5食(バナナ2本)。
一般書『永遠平和のために/啓蒙とはなにか他3編』 I・カントを1編分読む。




今日は珍しく、何も書くネタが浮かびません。
頭がポケーっとしているとも、心が安定してきていて、落ち着きが出てきているとも思えますが、そんな感覚に包まれています。
ウォーキングがてら、ブックオフまで歩き、1時間半くらい色々と物色してきて、少々疲れているだけだと思うんですがね(笑)。

日々のウォーキングも、同じ順路だと飽きてきます。
公園であれば、左回りに飽きたら、右回りにするとか、今日みたいに、別のコースを歩いてみるとか、工夫がいりますね。
あまりに疲れたなら、休む勇気も必要だそうです。

たかが、ウォーキングですが、色々調べてみたんです(笑)。

何にしても、物事は飽きないように続けるには工夫が必要ですね。
そして、意固地になってやるのではなく、時には休む勇気も大事。
1日休んだことで、かえって次にテキストを開いたときに、新鮮な気分になれたりするのが人間だと思います。

まぁ、面白くて面白くて仕方なくなると、休むなんて思考はどこかにすっ飛んでしまうんでしょうけど、欲張ってセカセカと学んでも、すぐ忘れてしまったりするので、じっくり学ぶのがいいのかなぁと最近は思います。

先生曰く、全部忘れてしまってもOKだそうです(笑)。
ちゃんと最後までやり切れば、命に残っているんだそうです。
ですから、忘れたつもりでも、題目をあげていれば、自然に智慧として湧いてくるんだそうです。
そういう確信も大切ですよね^^



今日はインギーのCDとアランの『幸福論』をゲットしてきたので、
インギーでも埋め込んでおきます。
くっそうるさいメタルですけど、綺麗なメロラインの曲なんですよ。そしてクラシカル。
まぁ趣味の問題があるので、皆がみな好きになれるようなジャンルじゃないですけどね。





【拍手コメくださった方へ その1】
毎日飲んでません。苦手なんです。飲むとお腹が急降下するので、ほとんど飲みません。
カフェオレはセーフ。ミルクティーはアウトです(笑)。

【拍手コメくださった方へ その2】
気づきのお役に立てたなら嬉しいかぎりです。共々に前進していきましょう^^


↓うるさいの苦手な人向けなインギーの曲です(笑)。
このクラシカル感が好きなのです。




ipsilon at 00:06コメント(0)トラックバック(0) 

2012年10月30日

次々に壁を破っている感覚がする。
確かに、あの臨界点はきつかった、でも、それだけの意味があったと、いま確信している。



(あー、どうして俺って、出会いの縁とか、人との縁が薄いんだろう・・・)
公園を歩いていて、何度も自分に問うた質問だ。

一度は、自身の中にある「縁」を引き寄せる力が弱いと考え、記事を書いたこともある。
でも、心は納得していなかった。

(いや、良い出会いもあったし、縁だって薄くない。ようするに悲観的に考えてしまう俺のマイナス思考に一番の問題があるんでない?)
最近はそう考えるようになってきた。

(御本尊と題目は本当に凄い。だってやればやるだけ「智慧」が湧くんだもんなぁ)
(でもさ、それだけじゃ幸せになれなくね? なんかそう思うんだよね・・・)
(多分・・・・・・福運つけないと駄目だべさ・・・で、福運てどうやって付けるのよ?)
(わかんね・・・・)

月と標識

まるで、月に雲がかかったような心を抱えているようだった。
でも、きのう出会ってしまったんです。福運の付け方という先生の指導に。

先生は御義口伝にある御文を通して指導してくださっている。
幸福になるためには「福智の二法」が必要である、と。

福運=依法、智慧=正法、なのだそうだ。
つまり、福運とは、良き縁に出会うことであり、善知識に出会う事であろう。
そして、智慧とは、自分の中で、おもに三毒(貪・瞋・癡)を三徳(法身・般若・解脱)に変えられるという功徳だろう。

別の言い方をすれば、福運とは環境にあり、智慧とは我が胸中から湧き出るといえよう。
しかし、福運が環境にあったとしても、仏法は依正不二ですから、環境の中に見えた物事を、善知識としてわが胸中に湧かせたとき、初めてそれは功徳となるということ。あくまでも、「全ては己心の法」という捉え方を堅持しなければならいということ。



つまり、外に打って出ないことには、福運はつかないのだ!
そう、智慧は題目を唱えていれば湧きます。
しかし、福運はそうはいかないのです。
だから、自行化他に渡る題目を唱えていくことが大切なんですね。
端的に言えば、勤行・唱題が、智慧の法。
学会活動が、福運の法。そしてこの、「福智の二法」が揃って、初めて幸福になれるということ。




でも、こうした活動を日々していくには、もうひとつ大切な心構えが必要だと気づいた。

そもそも、私は大変なペシミズムの持ち主だった。今もそれを克服しえたとは思っていない。
ペシミズム=悲観主義、ラテン語では「最悪のもの」と訳されるそうだ(笑)。

でも私はペシミズムの意味を自己犠牲主義と考えていた。
どんなに自分が犠牲になろうが、他者を救えるならそれは尊い行為だ。
そう思って、長い間生きてきた。実際にそうした行動もしてきた。
だから、母は私に良くこう言った。
「お前は人が良過ぎて人に騙されるようなところがあるから、心配なんだよ」、と。

うん。確かに随分と騙されてきました。
でも、それでも「裏切るくらいなら裏切られる方がよい」という先生の指導を胸に生きてきました。
でもね、これ間違いだったんです。


謙虚であれ、誠実であれ。これは間違いないんですが、
ペシミズムは駄目です。自己犠牲主義も駄目なんです。
今朝、そういう先生の指導にめぐりあいました。

「利他だけを言うと傲慢になる。人を救ってあげているという偽善になる。自分の為にもなっていることを自覚してはじめて、『修行させてもらっている』という謙虚さが出る。自他不二です。ゆえに菩薩道しかないのです」、と。

もうね、目から鱗1000枚くらい剥がれ落ちて、お目眼パッチリです(笑)。
あー、やっぱり俺って「傲慢極まりなかったんだな」と気づいた訳です。
自分が一番なりたくない「偽善者」になっていたとか、どんだけ愚か者でしょうか・・・。
ここ最近は、他者のことを祈っていても、これは1/4くらいは自分のためでもあるよね?
という気持ちがなんとなくあったのですが。
それ以前は、もう驚くくらいの「偽善者」だったってことです(ションボリ。。。)

てなことで、昨夜書いた記事が間違いない!って、重ねて確信できました。
ほんと、傲慢なんです、私は。ほんと、汚っい生命の持ち主なんです。
「あー、ばっちぃ、ばっちぃ、そんなの触っちゃダメよ〜」みたいな、声が聞こえてきます(笑)。

ほんと、気をつけ、さらに学びに学び、さらに確信に確信を重ね、
成長していかないといけないと、つくづく感じました。


悲観主義もペシミズムも突き詰めると、楽天主義になる。
というロジックがこの世には存在するんですが、それは嘘ですね(笑)。


アラン曰く「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ」

つまり、悲観主義というのは、感情の産物であり、いわば、私の大好きなセンチメンルな感情に浸ることである。
先生はセンチメンテルになってはいけない。ドッシリと構えていきないと指導してくださっている。
(えー! 俺、センチになるの好きなのにぃー、それも駄目なのぉ。。。。)
なんて、思いましたが、今はなるべくセンチにならないように心がけています。

そして、楽観主義とは、理性的思考法であります。自らの強い意志によって、
感情を理性でコントロール(あるいは調和)させていく生き方といえましょう。



つきるところ、「福智の二法」で幸福になるためには、
楽観主義に徹し、自他不二にして戦ってゆくということでしょう。
そうしたことを教えてくださっている有名な御書の一節が脳裏に浮かんだことから、
私はこういう結論にたどり着きました。ありがたや、ありがたやです。



「人にものをほどこせばわが身の助けとなる、譬へば人のために火をともせば・我がまえ明らかなるがごとし」
『食物三徳御書』




スポットライト

木漏れ日のスポットライトで輝く落ち葉。
どの落ち葉も変わらず尊い存在なはずなのに、光が当たった落ち葉は不思議と綺麗に見える。
そんな見方しかできない自分を恥じたりもしたけど、そんな自分を許して撮った一葉。

あるがままの心、伝わるといいなぁ〜^^




うーむ、朝からピアフの「枯葉」なんて聞いたらセンチになるじゃまいか!(笑)



【追伸】いつもコソーリと、拍手コメで励ましてくださっている方へ。本当にありがとうございます^^




ipsilon at 10:50コメント(15)トラックバック(0) 

2012年10月29日

【本日の実践】

朝夕の勤行・唱題(95分)
御書拝読『上野尼御前御返事』『上野殿御返事』『南条殿御返事』を全文拝読す。
『女性に贈る言葉 365日』の今日の日付の分を音読(2回)。
『今日も公布へ(36)』を音読(1回)。
『聖教新聞』の読みたい部分を読む。
『自己の欠点を克服する語録』を音読(2回)。
『人間と仏法を語る(2)』を適量読む。
公園ウォーキングトータルで4周。
食事は3食(バナナ3本)。
一般書『永遠平和のために/啓蒙とはなにか他3編』 I・カントを1編分読む。







今日は終日、頭に靄がかかった感じが拭えなかった。
会合にいってもポカーンとしていた。
歓喜がなかった訳でも、感動がなかった訳でもないんですがね。

なんといえば伝わるのか、、、あえて言えば、感情が死んでいるという感じですかね。




でも、何とかしてこのモヤモヤを払ってスッキリしたい。
そんな思いで、御本尊の前に座った。

「東日本大震災の被災者の方々の着実で、堅実な前進、日々勝利の人生、ご健康、ご長寿・・・云々」
と祈っていたら、突然閃いた。

(あ、、、俺、とんでもないことしたのに、謝ってないよ!)、と。
(このことを謝らずして、健康になろうとか、祈りを叶えて欲しいとか傲慢すぎ・・・・)、と。

その事に気づいたとき、いかに自分が暗遇で愚か者かを嫌というほど確信した。
ここで偉そうに、仏法を語ってみたところで、自分の暗遇さにさえ気づけない・・・。
本当にそんな自分が情けなかったし、恥ずかしかった。

ようするに、私は物凄い謗法をしたのに、それに長いこと気づかずに謝る事さえしないできたのだ。






そう、私は、自分の命を粗末にしたのだ。
もっと端的に言えば、「自殺未遂」した過去があるのだ。





どうして、この深い謗法に今まで気づかなかったのだろうか・・・。
なんで、、謝ろうという思考に至らなかったのだろうか?
なんとも、やるせない。ほんと馬鹿です。なんたる傲慢さだろうか・・・。

でもね、不思議です。
このことに気づいたのが、東北の方々のことを真剣に祈っていた時なんですからね。
本当に東北の方に感謝します。

そして、明日からもっともっと真剣に東北の復興を祈らせて頂きます。
そして、明日から真剣に自分の命を粗末にしたことを、ひたぶるに謝ります。

今まで、さんざん病気で苦しんできましたし、
私の中の「一凶」を教えてくださいと祈ってきましたが、
湧きあがる、どの項目も確信には至っていなかったのですが、
これが私の「一凶」だと、ほぼ確信しました。
日々謝っていくことで、これは確信になることでしょう。
そして、自身の「一凶」を教えてくださいという、
上半期に真剣に祈った祈りが、またひとつ叶ったということです。

恐らく、この謗法を懺悔することで、病気からも、すんなりと解放されると思います。
結局、私の生命には、自分はもちろんのこと、他人に対しても、
生命を蔑ろにする、どうしようもなく腐った生命があるってことです。
つまり、自殺は自殺でもあり他殺でもあり、仏種を自ら断ち切る最低の行為ということです。

何がなんでも、この腐ったやつを叩き出しますよ!!


先生の自殺に関する考察の記事はここにあります。参考までに。






それなのに死のうとして・・・ほんと馬鹿でした、私は。
一生涯謝ってでも償っていくと決めました。
だってそれぐらい苦しかったんだもん・・・なんて言い訳はいりません。
そうした苦痛を誰かに理解してもらう必要もないんです。
やっと、そういう気持ちになれました。
いつもいつも、誰かに解って欲しい・・・そう思っていたんですけどね。



【拍手コメをくださった方へ】今は短いです。いたって普通です^^



ipsilon at 23:43コメント(0)トラックバック(0) 
『クヌルプ』の中に現れた、心に留め置くべき言葉たちを、ここにもう少し記しておく。




第2章「クルルプの思い出」より(以下引用)

「だいたい、願望というものは、こっけいなもんだ。ぼくがたった今ちょっとお辞儀をすれば、かわいい小さい男の子になれるとしても、そして君がお辞儀さえすれば、上品は優しい老人になれるとしても、ぼくたちのどちらもお辞儀はしないだろう。それよりも今のままでいたいと思うだろう」

以上、「ありのまま/今の自分の価値」について。






「ほんとに美しいお嬢さんだって、たぶんそんなに美しいとは思われないだろう。(中略)
何か美しいものが未来永久にわたってたえず変わらず美しかったとしたら、それは僕を喜ばすかもしれないが、ぼくはそれを冷たい目で見、こんなものはいつだって見られる。何もきょうでなくともよい、と考えるだろう。これに引きかえ衰えやすいもの、いつまでも同じではないものを見ると、喜びばかりでなく、同情をも抱くのだ」

以上、「美/今という瞬間にしかない美」について。






「意志なんてものはなんの値打もなくて、何ごとも全くわれわれに関係なく運んでゆくのだと感じられるから、ばかばかしく悲しくなることがよくある。だが、だからやはり罪というものはあるのだ。悪くあるよりほかしようがなかったとしても。自分の心の中でそう感じているのだからね。善いことは正しいことでなければならない。善くあれば満足していられるし、良心を持っていられるのだからね」

以上、「生命と意志」について。

この「生命と意志」についての言葉は、友人がクヌルプに語った言葉。
だが、この後、クヌルプは何も言わない。
ここはまさに仏法の世界観だ。
言葉で「答え」は伝えられないということだ。

友人はキリスト教の視観によって価値を判断しているのだが、
クヌルプはそれを否定も肯定もしない。

彼の心の中では、明確に答えは出ているのですがね・・・。
つまり、生命の真髄や生命それ自体がもつ意志(慈悲)とは、
自身の観心でしか得られないということを、暗に物語っているのだ。

このあとクルルプは、トルストイの論文の形式について語り、そのことを友人に伝えようとしている。
しかし、その時、友人はそれを理解できなかった。

そして友人は、クヌルプと別れ、自身の「魂の孤独」と向き合うことで、
クヌルプが感じていたことを知る事になる、といった流れがある。


私はここで、人間に自由意志なんて無い、とさんざん言ってきたことが、
こうまでもヘッセの言葉で目の前に現れたとき、震えるような感動があった。
つまり、友人はここで、キリスト教的視観でそれを語っているのだが、
クヌルプはそれだけでは不十分だと、暗に言っているのです。

ここで、緻密な分析をするトルストイを持ち出すあたりは、天才的です。
クルルプはそういう人格ではなく、感じたものをストレートに詩や歌にする、
トルストイとは正反対の人格だからです。
無論、ヘッセその人がクヌルプであることは、いまさら言うまでもありません。



結局、わが日蓮仏法において、クヌルプのような生き方を得るにはどうすればよいか?
と問うと、御書の一節が鮮やかに浮かび上がるのだ。

「心地を九識にもち修行おば六識にせよ」、と。
『上野殿後家尼御返事』


つまり、題目を唱え、心の源泉を大慈大悲におき、それぞれの物事に見合った意志や行動は
六識である意識(感情と理性)でコントロールせよ、という事だ。

実は、トルストイも『人生論』の中で、似たような事を言っている。
「感情」は「理性」によってコントロールされるべき、と。
しかし、彼はその実践法を明記していない。
なぜなら、人間の「感情」とは、そんなに簡単に制御できるものではないという事を、
トルストイ自身が知り尽くしていたからだろう。
ヘッセがクヌルプの第2章で、トルストイを引き出してストーリーを紡いだ意味はここにある。

トルストイは最終的に「感情」と「理性」を「調和」させるのが一番価値的だと、『人生論』を締めくくっている。
しかし、あくまでもその実践法は述べていない。

して、その実践法がなにかと言えば、
さきにあげた御書の一節であることは言うまでもないし、
ヘッセが綴った言葉であることも、言うまでもない。



『クヌルプ』、素晴らしい一冊である。
お時間のある方は、一読をお勧めします。







わたしは早く死んだから

歌っておくれよお嬢さん

別れの歌を

また来るときは

また来るときは

私はきれいな男の子



H・ヘッセ







私も、早くきれいな男の子になりたい!












こういう美しい心で生きられる、きれいな男の子になりたい!(笑)

ipsilon at 10:44コメント(0)トラックバック(0) 
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