2013年01月

2013年01月31日


 その日、ニューオーリンズの空は朝が近づいた頃から、どこからともなく湧いた厚い雲に覆われはじめていた。
 太陽が水平線に登った頃、濃い霧が立ち込め、ぽつぽつと雨を降らせ始めたのだった。
 病院に到着したタラッサは精密検査を受けるためにすぐに処置室に運ばれた。
 数時間後、待合室にいたカロンとゼンタを連れていたハウ夫妻の元に医師が姿を現した。
「彼女の目は見えるようになるんですか?」
 カロンが真っ先に口を開いた。
 医師は無言で首を横に振った。
「なぜです? 早めに手を打てば何とかなるって、主治医にはそう聞かされていたんです!」
「彼女の場合、水晶体を支える毛様体の機能が徐々に落ちてゆく症状があったようですが、何にしろ手遅れなんです……ここまで症状が進んでしまいますと……。毛様体は房水を出してそれを受けて眼球を洗う機能を持つものです。その房水が上手く排出されずに、眼圧が上がって視神経を傷つけたんです。簡単にいえば、緑内障と似た症状です」
「だったら、その部位を治療すればいいんじゃないですか? そうすればまた見えるようになりますよね?」
「無理です……。視神経が死んでしまっているのです……。残念ながら死んでしまった視神経は再生できないのです……」
「移植は? 移植は出来ないんですか?」
 エリスが堪らなくなって声をあげた。
「人工眼球への移植は例があります。しかし、視神経の移植には前例がありません。つまり、現在そういったことは医学的に意味がないということです……」
「眼球を移植すれば見えるようになるんですか?」
 カロンは唯一の望みにすがるかのように医師を問い詰めた。
「見えても元の様には見えません。白と黒、それからグレーのぼやけた映像が見える程度です。まだ頭部の精密検査は必要な個所しかしていませんが、それだけ見ても彼女にとっては手術は酷でしょう。恐らく彼女は脳の他の部位にも異常があると思います。いや、異常といっても、神経が圧迫されているとかそういったことです」
 医師はそこで一旦口を閉じたが、しばらくしてまた口を開いた。
「それにしてもご主人……。彼女はこれまで一体どんな生活をしてきたんですか? ここまで頭部に酷い症状のある患者ははじめてなのです……」
「それは……」
 カロンは力なくうな垂れて消え入りそうな声でそれだけ言葉にした。
「こんなことをいうのは大変申し訳ないのですが、奥様は我慢し過ぎたのです。そしてあなたも、彼女のことをもっと気にしてあげるべきだったのです……」
「…………」
「視野が削れてゆく症状は両目を開けていると、本人は案外気が付かないものなんです。片目ずつ開いて注意を払えば視野が欠けてしまったことには本人でも気づけたはずなんです。……ご主人、彼女は頭痛や吐き気を訴えませんでしたか? ここまで眼圧が上がっていれば、そうした症状があったはずなんです……」
 ――タラ、君は俺に心配をかけまいと……。
「まあそれにしても症状が急速に進んだことも事実ですし、詳しい原因は不明なんです。午後にもう一度頭部も併せて精密検査をします。そのあともう一度お話しましょう……。すみませんが、私はこれで失礼しますよ……」
 医師は充分説明したと判断したのか、躊躇なくその場を離れていってしまった。
「オレが……オレが、タラの目を見えなくさせちまったんだ……」
「カロン……自分を責めちゃいけないわ……。タラもあなたも必死に頑張ってきた……。それだけじゃない……」
 カロンの瞳からぽとり……ぽとり……と涙が落ちた。
 長椅子にくずおれたカロンをエリスは渾身の力をこめて励まそうとした。
 だが、そのエリスも何をいっていいのかもわからなかったのだった。
 病院の窓を叩く雨の音が聞こえた。
 やがてガラス窓をつたう水滴は滝を作り、その先にある景色を歪ませてしまった。
 空はどこもかしこも厚い雲にさえぎられて、どこに太陽があるのかさえわからなかったのだった。

 エリスはカロンの自宅に残してきたグリークを向かえにゆくために、ゼンタを連れて病院を後にした。
 ハウはトーリからの連絡がないものかと、エントランスに立って雨の音を聞いていた。
 カロンは検査の為に麻酔で眠っているタラッサの側でただうな垂れていたのだった。
 そのとき、ハウの電話が鳴った。トーリからの着信だった。
「ああ、父さん、僕だよトロイヤだよ。いまトーリはヘリを操縦していて話せないんだ」
「トーヤ、どこにいるんだ?」
「いまそっちに向かってる。タラッサさんの病院の場所を教えてくれる?」
「ああ、わかった……」
 ハウとトロイヤは必要なことだけ話すと、すぐに電話を切った。
 二人はまだ、闇と戦う勇気の在りかを見つけ出せていなかったのだ。
 ヘリはカロンの自宅にほど近い林に降りた。
 トーリとトロイヤは雨に濡れながら街にでると、レンタカーを借りて、病院へと向かったのだった。

 木星の第四衛星、カリストの氷の大地に停止したまま動かなくなっていた<スペランツァ>号のそばに、黒塗りの二隻の宇宙艇が音もなく舞い降りた。
「どうやら来たようだね……」
 パードレは姿も消さずに現れた宇宙艇の大胆さに閉口しながらも、すぐに手筈通りの行動を示した。
 それまで暗闇だった機械室には常夜灯が点され、ドアのロックが外れる音が響いた。
 そこに居た一団は目を合わせてから、ドアを目指して走りだした。
 だが、三人の男はぶつかりあい、全員が全員、もんどりうって床に倒れた。
「おい! 何しやがるんだ!」
「儂が先じゃ! 儂が先なんじゃ!」
「ヘルメス様、まさか私を置き去りにするつもりじゃないでしょうね!」
 いい争いながらも、男達は出口を求めて体を動かしていた。
 ヘルメスが扉の前にたどり着くと、ドアは圧搾空気の音を立てて横に開いた。
「クケケケケケ……こんなところとはおさらばじゃわい! マフデト、急げ! それにお主もじゃ!」
「いわれなくなって!」
「待ってくだされー!」
 男達は廊下をエアロックに向けてドタバタと走り出した。
 先頭を行くヘルメスは、長いフードの裾を持って大股で進んでいた。
 その後ろをヒュードラーが追いかけていた。
「いかん、これじゃー置いていかれる……」
 マフデトは立ち止まってフードの裾をむんずと掴むと、矢のような早さで走り出した。
「ここを左じゃ! エアロックはもうすぐじゃ!」
 三人の男は、ほぼ同時にエアロックに駆け込んだ。
 切れた息もそのままに、フードの男達はネックレスにあるボタンを押してフレキシブルスクリーンを発生させた。
「なんだよそれは! 便利そうだな!」
 ヒュードラーは羨望と焦燥の眼差しを向けながら宇宙服に体を滑り込ませていた。
「おい、俺を置いていくなよ! そんなことをしたら、ゲーゲーさせるぜ!」
「よせ、よせ! そんなことをしないでも連れいってやる。お前ひとりくらい大した荷物ではないわ」
 ヒュードラーが宇宙服の装着を終えたとたん、回転灯が点って昇降ハッチが開いた。
 黒フード姿の男二人と、宇宙服を着た男はタラップが伸び出すのも待たずにカリストの大地へと舞い降りた。
「うー、寒いなー!」
 ヒュードラーは生命維持装置にあるヒーターを目一杯捻ってからヘルメスの姿を探した。
 ――いた! あの野郎め……、逃げ足だけは人一倍早いな!
 フード姿の男たちはそれぞれ自分が乗ってきた宇宙艇目掛けて一目散に走っていた。
 ――あわれよのぉー! 俺にはこれがあるんだな……。
 ヒュードラーは宇宙服の腰にあるバーニアの制御レバーを握るとボタンを押してジャンプすると、ヘルメスを追い越して宇宙艇の間近に着地した。
 それからヒュードラーは取り決めていた無線の周波数を選び出すとヘルメスを嘲った。
「遅いじゃないか!」、と。
「便利なものじゃな……。いま貨物室のハッチを開けてやる、少し待っていろ」
 ヘルメスはそれだけいうと、宇宙艇の手駆け足駆けを引き出して、器用にコクピットへと登っていった。
 しばらくすると、船腹の貨物ハッチがパックリと口を開けた。
 ヒュードラーはそれを確認すると、貨物室のタラップを駆け上がっていった。
「マフデト、エネルギーはあるか? ビームを出しっ放しにしていたからのぉー」
「大丈夫そうです。飛び立つだけなら充分です。それにいざとなれば、向かえに来た艇から充填も出来ますでしょう」
 近くに停止している黒い宇宙艇は何の反応も示さなかった。
「どうやら無人機のようじゃな。随分と存外な扱いじゃのー。涙が出るわい」
 ヘルメスが愚痴を零した。
「こっちはいけますよ」
「ああー、貨物ハッチを閉めるのを忘れていたわい……」
 ヘルメスはそういいながら、コンソールのあちこちを忙しく操作しはじめた。
「おい、マフデト先にいけ。こっちはまだ時間がかかりそうじゃ」
「では、お先に!」
 マフデトはそういうと、牽引ビームの放射を停止させて、足元のペダルを踏み込んだ。
 と同時に、地表に張り付いていた氷が溶けてミストを作り出した。
「馬鹿もん! これじゃー何も見えんじゃないか、もう少し静かに離床せい!」
 貨物ハッチのロックを知らせる緑色のランプが灯ったことを目の端に捉えたヘルメスは、マフデトに倣ってビームを止めてペダルを踏み込んでから怒鳴った。
「おい、後ろの男、しっかり掴まっていろ!」、と。
 山羊のマークが描かれたジェットブラックの宇宙艇は派手にミストを巻き上げて上昇していった。
 その後を追うように、二隻の無人宇宙艇が静かに氷の大地を離れて宇宙へと飛び去っていったのだった。

 <スペランツァ>号の実験室に置かれた暗黒物質の結晶はまだ共振していた。だが牽引ビームの放っていたテラヘルツ派が消えたことで、徐々にその振動を緩めていた。
 医務室でニクスを助けるためにバイタルメーターをじっと見つめていた、クロエの髪も小刻みに揺れていた。
 ダフニスは廃人になったニクスを目にして自分の非力さを嘆き、医務室の一角に籠って、ひたすらロボペットの修理をしていたのだった。

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ipsilon at 23:26コメント(0)トラックバック(0)小説『宇宙の大人たち』宇宙シリーズ【第二部】 

 ニクスの軟禁生活は二週間以上続いていた。
 永遠に明けることのない闇夜の中で、シノーペとニクスは狂ったように互いを求め合い、何度も何度も体を重ねあっていたのだった。
 部屋の床には脱ぎ散らかされた服やシーツやタオルが散乱し、盛り上がり、そこに沁みこんだ様々な液体が異臭を放っていた。
 愛と死への時を過ごしたいた二人は対照的だった。
 シノーペの肌は艶と張りが増し、白い肌は全身から桜色の光を厳かに漲らせていた。
 一方のニクスは、眼窩は落ちくぼみ、その周囲には隈がべったりと張り付き、頬は削げ落ち、首には筋が浮き上がっていた。
「もうあなたは駄目ね……死ぬわ……。可哀そうな人……」
「…………」
「でもそんなことは許されないの……。あなたは永遠にあたしの愛人のままでいるのよ……。聞こえているの?」
 ニクスは開いたままの口を動かして何かをいおうとしたが、口は意志に反して声を出すことすら出来なかった。
 既に着る服が無くなっていたシノーペは全裸のまま廃人のようになった男のそばにしゃがみ込んだ。
 男の目はそれでも目の前にいる美しい女から逸らされることはなかった。
 ニクスはもうとうに日にちの感覚も時間の感覚も失っていた。
 彼が時間を測る術としていた、伸びた髭は何も語らず、爪は血色を失ってくすんでいた。
 ニクスはこの数日間、理性と本能と感情が一体になった意識の海の中で、シノーペだけを求めて溺れていただけだったのだ。
 ただただ彼女に愛され、愛することを望んでいたのだ。
「船長、もう一度あたしを抱ける?」
 ニクスは残った力を振り絞って――ああ、抱けるさ……。
 といおうとしたが、それは声にならなかった。ただ、口からだらりと涎が流れただけだった。
「あたしの愛しいニクス……。あたしだけのニクス……。あなたはあたしを置いていってはいけないの……。わかる?」
 シノーペの魅惑的な瞳に涙が光った。
「もうわからないのね……」
 彼女は声を張り上げてニクスに語りかけた。
「どうしてよ! どうしてあたしを置いていくの!! あたしはあなたを失ったなら生きていけないのよ! わかるでしょ! ニクス!」
 シノーペはニクスの頬を愛おしそうに撫で、力のない瞳を見つめて、涙を流し続けた。
 それからシノーペはニクスと唇を合わせてから、するりと立ち上がった。
 ニクスの瞳はもう彼女の姿を追うこともなかった。瞳孔が開き昏睡状態に陥っていたのだ。
 シノーペはPCの前に立ち、船内の情報を収集し、医務室への回線を開いて叫んだ。
「クロエは! クロエはそこにいるの!」
 医務エリアに響き渡ったシノーペの声を聞いたクロエは手近にあるインターホンに張り付いて、すぐに応答した。
「あたしです! クロエです!」
「いい、よく聞きなさい。今すぐカートを押してあなた一人であたしの部屋に来なさい! 急いでちょうだい!」
「船長に何かあったんですか?」
「煩いわね! いいから黙っていわれたことをしなさい! でないと船長は死ぬわ……」
「わかりました。すぐに行きます」
 そういうやいなや、クロエはカートの置かれている隣の部屋へと駆け出して、カートを押しながらシノーペの部屋へと向かった。
 シノーペはそれから両親との回線を開いた。
「マードレ、パードレ、近くに宇宙艇が二隻来ているはずよ。キャッチできて?」
「少し待ってください。いまセンサーを動かします」
「早くしてちょうだい! こっちは忙しいんだから!」
「いますね。あと数時間で着陸できる距離ですね」
「なら、そいつらが近くに降りたのを確認したなら、機械室エリアのロックを解除して。多分そうすればあいつらは逃げ出すわ。もしも、あたしの部屋に近づいたならすぐに教えて。いいわね?」
「はい、わかりました……」
 両親は事態が急変したことに気づいてはいたが、今は指示に従うしかないと判断したようだった。
「他に用は無いわ」
 シノーペはそういうと、衣装箪笥に歩み寄り、そこに残っていた銀に輝くコスチュームを身に着けはじめた。
「こうなる予定じゃなかったのよ……。どうしてあたしだけこんなにピンピンしてるの? こんな筈じゃなかったのよ。……あたしも弱って死ぬと思ってた。……そう、この白い服を着てね……」
 シノーペの視線の先には総レース作りの豪奢な純白のドレスがあった。
「あたしはただ愛する人と幸せになりたかっただけよ……」
 遠くからカートが立てるガラガラという音が近づいてきた。
 シノーペはその音に耳を澄ましながら部屋を横切って、鞭を拾いあげ、エネルギーを充填しておいた銃を手に取った。
 そのとき、戸口にカートとともにクロエが姿を現した。
 ――う……、なんて酷い臭いなの……。
 クロエは吐き気を覚えて咄嗟に手で鼻と口を覆った。
「何やってんのさ! さっさと入って船長を運び出すんだよ!」
 シノーペの鞭が閃いた。
「…………」
 クロエは黙ってポケットからマスクを取り出すと、紐を耳に通して室内に踏み込んだ。
「船長!!」
 ニクスの変わり果てた姿を見たクロエは愕然として足を止めてしまった。
「早く! 早くするんだよ! 驚いてる場合じゃないんだよ!」
 シノーペが激昂した。
「はい……」
 クロエは腑をえぐるような異臭に耐えながら、ニクスの体をカートに運ぼうとして抱きかかえた。
「うぅー……」
「役に立たない小娘だね!」
 シノーペが銃と鞭をテーブルに置いて、ニクスをカートに乗せるのを手伝った。
 ようやくニクスの体をカートに乗せ終わったとき、シノーペが呆れたように怒声をあげた。
「気の利かない小娘だね! 汚れたものも一緒に運ぶんだよ! その下に積めるじゃないか!」
「はい……」
 クロエは何度も突き上げてくる吐き気に襲われながら、床に散乱したシーツや服をカートの下に詰め込みはじめた。
 シノーペはクロエ目掛けて体液や血がこびり付いた布の塊りを放り投げて寄こした。
「もういいよ。さっさと行きな!」
「はい……」
「いいかい、あとでそっちに行くから、船長を殺すんじゃないよ! 何としても助けるんだよ! わかったね!」
「はい……」
 クロエはカートを押して去っていった。
「どいつもこいつも役立たずばかりじゃないかい!」
 シノーペは怒りを吐き散らしながらドアを閉じてロックをかけてから照明を落とした。
「ちくしょうー! こんなはずじゃなかったんだ!」
 女は膝を折って、一人明りの消えた部屋で泣き続けた。
 ――ニクス、あたしを残して死なないで……。お願いだから……死んだりしないで……。
 その祈りに満ちた涙はいつまでも枯れることが無かったのだった。

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―#39―
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ipsilon at 17:06コメント(0)トラックバック(0)小説『宇宙の大人たち』宇宙シリーズ【第二部】 

 翌朝、トーリの元にハウから連絡が入った。それはタラッサの状態を伝えていた。
 トーリは遅い朝食を取っていたトロイヤにその件をすぐに知らせたのだった。
「トーリ、今すぐタラッサさんのいる病院に行けないかな?」
「行けるよ、ファクトリーにはヘリがあるからね。でも準備に少し時間がかかるね」
「じゃー僕は持ってきた書類やらデータを纏めているよ。用意が出来たら教えてください」
「うん、わかったよ」
 トーリはそれだけいうと、ファクトリーの中に姿を消してしまった。
 トロイヤは持って来た鞄に書類を乱暴に詰め込むと、PCに向かって必要なデータをデジタルパッドにコピーしはじめた。
 ――もう一刻の猶予もならない。急がなきゃ。……タラさんの目が見えるうちに何とかしなきゃいけないんだ! ……でも……クルーザーはどうするんだ? あれはどうしたってこの作戦に必要じゃないか……。くそー、どうすればいいんだ!
「トーヤ、ヘリはもう飛べるよ!」
「トーリ、クルーザー、どうしよう?」
 そのとき、遠くで犬がけたたましく吠える声がきこえた。
「あ……、あいつも放ったらかしにしていけないなー……」
「トーリ、僕が犬を連れてくるよ。トーリはクルーザーのことを考えて!」
 トロイヤはそういって犬小屋目指して駆け出した。
 ――でも何だって犬がいるんだ? トーリが動物を飼うなんて何だか変だ……。
 少年は土埃を上げて犬小屋の前で止まった。
 それから首輪に繋がれたリードを外すと、仔犬を抱きかかえて元来た道を引き返した。
 トロイヤの腕の中でレトリバーは垂れた耳を揺らしていた。
 トーリのいる場所に戻るとトロイヤは息切れしたまま切り出した。
「何かいい案は浮かんだ?」
「……それが……、まだなんだね……。僕はとっさに何かを考えるのが苦手だからね……。計画があれば、それを上手く進めることは出来るんだけど……」
 ――こんな時でもトーリはトーリだな……。頼もしいんだか、頼りないんだか分らなくなってきた……。仕方ない、僕も考えるかな……。
 しばし、仔犬が鼻を鳴らす声だけがしていた。
「そうだトーリ、ヘリでクルーザーを空輸できないかな?」
「……やって出来ないことはないだろうけど、あいつはでかくて重いからね……。燃料が持たないんじゃないかなー……」
「どこかで補給はできない?」
「ヘリの燃料は軽油だね。ガソリンスタンドさえあれば……」
「一か八かだよ、それで行こうよ!」
「でも……不安だね……。そもそも、<アキレウス>号からあいつを運び出さないとだしねー……」
 トロイヤは自分の案があんちょこ過ぎることに気づいた。
 しかし、諦めることはなかった。
「そうだ! ヘリで一旦<アキレウス>号の側に降りて、まずクルーザーを奪う。それからどこかで合流して、クルーザーを牽引すればいいんじゃないかな? どう?」
 トーリはポケットに詰めていた地図を出して広げはじめた。
「着陸して合流するのはここがいいね。君を降ろすのはここがいい」
 そういってトーリは地図の上で指を滑らせた。
「じゃー決まりだ! すぐに行こう!」
 二人は目を合わせて頷くと、ファクトリーの中に駐機しているヘリ目指して走り出した。
 ヘリに乗り込んだトロイヤ達はすぐにシートベルトを締めた。
「ところでトーリ、こいつの名前はなんだい?」
 トロイヤは仔犬の頭を撫でながら聞いた。
「ルーチェだよ」
「雄なの? 雌なの?」
「男の子だ」
 トーリは受け答えながら、ファクトリーの天井をリモコンで開放した。
「ねえ、このまま飛び立って平気? 泥棒に入られるよ?」
 トーリはにっこり笑って答えた。
「ここにはガラクタしかないよ。価値の解る人間もいやしないね。心配いらないさ。必要なものは全てヘリに積んであるんだね」
「そっか、ならいいね」
「さ、飛ぶよ!」
「ウー、ワオーン!」
 ルーチェがひと声鳴くと同時に、ヘリは辺りにあるものを吹き飛ばして空中へと舞い上がった。

 それから数十分後、すでに充分に偵察を済ませていたトロイヤは難なく上陸用クルーザー<シルト>号を奪って、砂浜を南へ南へと走らせていた。
 メルボルンビーチを過ぎた頃、右手に船が見えた。道は狭まり、両岸の海が近づいてきた。
 トーリの待つヘリとの合流地点まで半分の距離を過ぎたとき、トロイヤは思い切ってハンドルを左に切った。
 クルーザーは砂浜を疾走しはじめた。トロイヤはアクセルを踏み込んでさらにスピードを上げた。
 それでも<シルト>号は飛び跳ねることもなく滑るように疾駆していた。
「あー、砂煙を立てたら追跡隊に場所を知らせるだけじゃないか!」
 トロイヤはハンドルをもう一度左にきって、クルーザーに水飛沫を上げさせた。
「さすがは宇宙艇だ! ちっとも暴れやしない。でも前が見えやしない!」
 そういってトロイヤが歓声とも不安ともつかいない声をあげたとき、木陰に駐機しているヘリが視界に映った。
 トロイヤはそのまま水飛沫をあげながらスピードを緩めて、ヘリのすぐ脇にクルーザーを停車させた。
 すぐにトーリが太いワイヤーを引き摺って現れた。
「トーヤ、手伝ってくれ。ワイヤーはあと三本あるんだ……」
 トロイヤはドアを蹴り開けると、ヘリへと突っ走った。
 心臓が激しく鼓動して、胸がズキズキと痛んだが、構わず太いワイヤーを持ってクルーザーへと向かった。
 最後の一本は二人で力を合わせてクルーザーに固定した。
 しだいに近づいてくる追跡隊の車両が作りだした回転灯の光と砂埃がはっきりと見てとれた。
「さあ、ヘリに戻ろう!」
「うん」
 二人は残った力を使ってヘリへと全力疾走した。
 トロイヤはローターの回転が上がるのをじれったそうに眺めていた。
 ようやく離陸できる速度になったことを計器で確認したトーリは左手でゆっくりとレバーを引き上げた。
 ヘリは砂を巻き上げて上昇したあとワイヤーが一直線に張ったところで苦しげによろめいた。
 トーリはそれを確認すると、さらにレバーを引き上げてクルーザーを持ち上げにかかった。
「あー、ヤバイよ! もう追跡隊がそこまで来ている!」
「わかってるよ!」
 車両から下りたDOXAの警備員が手を伸ばせばクルーザーに掴まれるところまで迫ったとき、トーリはもう一度レバーを引いて、操縦槓を前に倒した。
 寸でのところで、ヘリは前に進んで警備員の手を交わした。
 それからヘリは高度とスピードを上げると、左に大きく旋回してフロリダ半島を横切るルートに機首を向けたのだった。
 
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 スーパームーンの夜から数日後、カロンはそれまで調査してきたDOXAやスペランツァ号に関する内容を纏めて、ハウの元に封書で送付した。
 ハウはその内容に驚愕し、エリスとともに調査内容の確認にいそしんでいたのだった。
「それにしてもカロンはよくここまで調べたものね」
「彼は部署も変わってないからね。それゆえ、私達より遥かに深い所に足を踏み込めた。そういうことだろうね……」
「でも、ここまでの内容を知ってしまったら……、あたしならDOXAに嫌気がさすわ……」
「辞めるつもりなんじゃないか?……、カロンは……」
 エリスはハウの言葉をきいて怒りを含んだ声をあげた。
「タラはどうなるのよ? 彼女はまだ子供を産んだばかりで、体調だって安定していないわ。……そんなときに転職することをちらつかせて、そのうえこの計画を実行されるのを黙って見てろっていうの?」
 リビングを震わせたエリスの声は、お風呂から出てキッチンにいたグリークの耳を打った。
 ――タラお姉ちゃんに何かあったの?
 グリークは手にしていたパックからマグカップに牛乳を注ぎながらじっとしていた。
「やれ夢だ、希望だ、信念だ、男も女もそうだけど、そういうことをいって、なぜ家庭を壊そうとするの? なぜ幸せを壊そうとするの? あたし……そういうの、我慢ならないのよ……」
 ハウはエリスに喋りたいだけ喋らせてから、おもむろに口を開いた。
「だからこそ、カロンは鎖を断ち切ろうとしてるんじゃないかい?」
「でもなぜ今なのよ? 今でなければならないの? タラのことをもっと考えてあげるべきよ……」
「DOXAはいずれ混乱から抜け出すだろう……。ニクスだって馬鹿じゃない。必ず窮地を脱するさ。でもそれを待っていたら、チャンスを失うんじゃないかい?」
「そうね、そうかもしれないわね……」
 エリスはテーブルに置かれた珈琲カップが空になっていることに気づいていたが、その場を立つ気にはならなかった。
「君は変わったね、エリス。以前の君は夢や信念の為に生きていた。でも、あの事故の後、君は変わった。……だからこそ、カロンの気持ちもタラッサの気持ちもわかるんじゃないかね? タラッサは、恐らくカロンの気持ちを解っているよ。……この書類を見れば一目瞭然だ。ここには決意がある……。私にはそう見えるんだ。だから、私は協力してやりたいと思っている……」
「でも……、タラは目が見えなくなるかもしれないのよ……」
 ――え!? どういうこと? どうして?
 グリークは衝撃に打たれて、持っていたカップをテーブルに置いた。
「あたし、珈琲を入れ直してくるわ……」
 エリスは冷静になろうとして席を立った。
 ――!!
 グリークは、急いで牛乳パックを冷蔵庫にしまうと、二階へと駆け上がっていった。
 エリスはテーブルの上にグリークお気に入りのマグカップが残されているのを見つけて、全てを察した。
 ――聞いていたのね……。タラは半分あの子の母親みたいなものだった……。やっぱり今しかないのね。会わせてあげなきゃ……二人を……。そうね、あたしも会っておかなければいけないわ……。きっと彼女は同情なんていらないっていうんだろうけど……。でも、そんな気持ちじゃないの……そういう問題じゃないのよ……。あたしみたいな夢ばかり追いかけてきた駄目な女でさえ幸せになれた。……そのことを、タラに見させてあげなきゃいけないのよ……。
 エリスの心は同じ女性としての幸せに共感させた、タラッサによって決められたのだった。
 湯気のたつ珈琲カップを持ってリビングに戻ったエリスは、人が変わったようにハウに賛同して、カロン夫妻に会う日程をそそくさと決めてしまった。
 ハウは非難ひとついわず、静かにエリスと語り合い、彼女とカロン夫妻の心を受け止めたのだった。

 その週末、ハウはグリークを連れ、エリスとともに、エアカーでカロンの住む、ニューオーリンズを目指した。
 トロイヤは毎週通っていたトーリのファクトリーに行きたいといって、聞かなかった。そのトーリにも事前に連絡をして同行を求めておいたのだが――ちょっと手が離せない作業があるんだ……――というつれない返事があっただけだった。
 エリスは家族や隣人との関係が壊れてゆくことを感じたが、そうした感情を見せることもなく、普段の妻と母であろうとしていた。
 その日、ハウとエリスは道程の半分までは目に映る様々なものに興味をもったグリークの質問攻めにあった。
 だが、日が傾いてくると、グリークは疲れた顔をして眠ってしまった。
 グリークの隣にはもう大分前に遊ばなくなっていたロボペットのアストライヤが心配そうに体を揺すっていた。
「案外遠いのね、ニューオーリンズって……」
 エリスは凝った肩を揉みながら窓の外を眺めていた。
「今夜は中間地点までしかいけないね。これでも随分飛ばしたんだけどね……」
「宇宙船なら千キロなんて、あっというまなのにね……。地球が広いって実感したわ。それに素敵な場所はまだまだ沢山あるって改めて気づいたわ」
「君は宇宙で生まれ育ったスペースノイドだからね。地球の重力に慣れるまでは辛かったんじゃないかい?」
「思い出すわねー。あの体の重い日々……。あれは確かに辛かったわ……」
 昔話に花が咲きそうになったとき、グリークが目を覚まして声をあげた。
「ママー! お腹が減ったわ!」
 ハウとエリスは思わず笑った。
「グリ、もう少し我慢してくれ。あと少ししたら今夜泊まるホテルに着くからね」
「はーい……。あとどれくらい?」
「そうだねー。十五分くらいだね」
「あたしもうお腹ペコペコー!」
「あなた、看板があるわ! そこを左じゃないかしら?」
「そうみたいだね。グリ、もうつくからね」
 ハウはハンドルをきって駐車場にエアカーを止めた。
 三人は荷物を降ろして明りの灯ったエントランスへと足を運んでいった。
 夜空には、欠けはじめた月がぽっかりと浮かんでいた。

 次の夜、ハウ達はカロンの自宅に着いた。
「ハウ! エリス! それにグリ! 久しぶりねー!」
 タラッサは歓喜の声をあげて三人を出迎えた。
「さあ上がって上がって、あの人ももう帰ってきてるの」
「じゃあ、遠慮なく」
 ハウの後に続いてエリスとグリークがリビングへと足を向けた。
「遠い所、ようこそ! それにしても久しぶりだ!」
 カロンの声だった。
「カローン! アスも連れてきたのー! 赤ちゃんはどこー?」
 グリークはアストライヤを抱いてカロンに走り寄っていった。
「あはは、ゼンタはいま二階で眠っているよ」
 タラッサがじっと赤毛の少女を見つめてしみじみと呟いた。
「グリ、随分背が伸びたわね。それに髪の毛も。顔立ちも大人びてきたわ」
「中身はちっとも変ってないみたいだけけどね。お転婆で聞かないところは相変わらずよ」
 エリスは楽しそうに笑いながらそういった。
「あんなに小さくて臆病だったのにね。アナタに初めて会ったのは三歳の頃よ。憶えてる?」
「ううん、憶えてないわ……。でもいつもタラが側にいてくれたことは憶えてるわ!」
 タラッサはそういってしゃがみ込んで、グリークの顔を見つめながら、頬を撫でていた。
「ねえタラ、あたし怖がりだったの?」
「そうね、気が小さいところはあったのよ。何にでも興味を持ったけど、手を伸ばすまでは時間がかかったの。案外慎重なところがあったのよ。でも生傷は絶えなかったわね。あっちが治ったかと思うとこっち……。よく走って、よく転んで、よく笑って、よく泣いて……。ちっともじってしてなかったわ……。ああそう、本を読んであげたときは大人しかったわね……。もっとも、いつも大して読まないうちに寝ちゃったんだけどね……」
 タラッサは、グリークと過ごした三年間を走馬灯のように思い出しては話し続けた。
「あなた、良く憶えているのね」
 エリスが感心したようにそういった。
「もちろんよ。困らされたことも沢山あったけど、今になれば全て良い思い出よ。グリ、お腹は減ってない? ご飯は?」
「まだ食べてないよ。パパが急ぐからって。お昼も急いで食べたの」
「あらまあ。それは大変だったわね。じゃーご飯にしましょうか」
「あ、タラ、これ買ってきたの。お弁当だけどね。積もる話もあると思ってね」
 エリスはそういって、包みを持ち上げて見せた。
「なんだか気を使わせたみたいね。何時に着くって教えてくれれば、食事の用意くらいしたんだけどね……」
「いや、急に三人分の用意が増えたら大変よ。それはあたしが一番良く知ってるわ」
 ハウもエリスもグリークも、カロンとタラッサ、そしてゼンタとの時間を大いに楽しんだ。
 話は右へいったかと思うと左にゆき、急上昇したかと思うと、笑いが巻き起こった。
 いつまで経っても終点は見つからず、グリークが寝入ってしまったことでようやく一時停止した。
「まだ明日一日あるわ。今日はもう休みましょう」
 エリスがそう口火を切って、その夜の同窓会はお開きとなった。
 だが、男達はそのあとも夜が更けるまで話し続けた。
 深夜にトイレに立ったタラッサが呆れて一度声をかけてきたが、話が終わりそうにないことを悟ったタラッサはそのまま寝室へと戻っていった。
「まったくもう……、いつの時代も男達ときたら、冒険が好きなんだから……。まるで遠足の前の晩みたいね……」
 タラッサはゆっくりと階段を登っていた。
 ――あれ? アタシ眼鏡どうしたんだっけ?
 やけに辺りが暗いことを感じたタラッサは手を顔に運んだ。
 ――やだ、あたし……。眼鏡してるじゃない……。
 その瞬間、タラッサは階段を踏み外して、階下まで転げ落ちた。
「きゃああぁぁぁー!!」
 カロンが悲鳴と音を聞きつけてすぐにやってきた。
 「タラ! どうしたんだ! 大丈夫か!!」
 ハウがその後ろに立って心配そうに見つめていた。
 タラッサは痛む体をゆっくりと起していた。
「アタシ……」
 タラッサはカロンの声を探していた。
 そしてあらぬ方向に這い始めたのだ。
「タラ……? タラ! オレはここにいる!」
「あ、今日は疲れたから少し見えずらいだけなのよ……。それにここ、電気が点いていないから……」
 階下は駆け付けたカロンによって明りが灯されていた。
 カロンは何もいわずにタラッサの腕をとった。
「タラ……オレはここにいるよ……」
「どこ……どこよ……。カロン、アタシ……見えないの……、あなたの顔が見えないの……」
 タラッサは必死に腕を伸ばして、カロンの顔に手を伸ばして、その顔に触れようとしていた。
「カロン、病院に連れていった方がいい……。連絡先を教えてくれ……」
 ハウはいたたまれなかったのだ。その光景を見ていることが出来なかったのだ。
 覚悟していたこととはいえ、そうしたことが自分の眼の前で起こるとは思ってもいなかったのだ。
「いやよ! あたし病院なんて行かないわ! だって……明日になったら見えるんだもの! 少し休めば見えるようになるわ! ……ねえカロン、眼鏡を貸してアタシの眼鏡……」
 タラッサは自分の顔をまさぐった、刹那、タラッサは苦悶に満ちた声をあげた。
 眼鏡はそこにあったのだ。
「どうしてよ! どうしてなのよ!! 酷いわ! こんなの酷過ぎる!!」
 目を覚ましたエリスが階段の上から駆け下りてきた。
 すぐに状況を読み取ったエリスは気丈な声でいった。
「あなた、今すぐ救急車を呼んで! カロン、いいわね?」
 カロンは黙って頷いた。
 ハウは電話を求めてリビングへと急いだ。
 そのとき、二階からゼンタの泣き声がその場に残った三人に降り注いだ。
「アタシの赤ちゃん……。あの子を放っておけないわ……。行かなきゃ……」
「無理だ、キミは目が見えていないんだ! 無理だよ!」
 カロンはそう口走ってから、激しく後悔の念に打たれた。
「アタシ……。あの子を置いていけないの……」
「ゼンタはあたしが見るわ。カロン、彼女を病院に連れて行ってあげて」
 エリスは心配そうに振り向きながら、階段を登り、ゼンタの声を頼りに寝室を目指した。
「タラ、お願いだからいまはオレのいうことを聞いてくれ……」
「アタシはここを動かないわ。ここにいたいの。アタシとゼンタを引き離さないで! カロン、お願いよ!」
「タラ!! わかってくれ!!」
 カロンの剣幕にタラッサは、諦めたように、力なく床にへたり込んでしまった。
 その見えない目からは滂沱のように涙が流れていた。
 そこに、ゼンタを連れたエリスが戻ってきた。
「ああ……ゼンタ……。アタシの可愛いゼンタ……」
 タラッサは必至に泣き声の主を求めて腕を伸ばした。
 エリスは何もいわずに伸ばされたタラッサの腕へとゼンタを導いた。
 彼女の細い腕は器用に赤ん坊の顔を撫で、絡み付いてくる手を優しく受け止めていた。
 エリスは我が目を疑った。まるで見えているかのようなタラッサのその仕草に……。
「アナタお願い。病院には行くから。ゼンタと一緒にいさせて……」
「ああ、わかった……。わかったよ……」
 遠くから、救急車がサイレンを鳴らして近づいてくる音が聞こえた。
「タラ、立てるかい? どこか痛むところはないかい?」
「大丈夫よ……。アタシ、必ず見えるようになってみせるわ……。ゼンタのためにもね……」
 すでに泣き止んでいた赤子を抱いて立ち上がったタラッサは全身から神々しいばかりの光を放っていたのだった。

(つづく…… 前へ 次へ 第一話へ この記事の最初に戻る

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ipsilon at 12:53コメント(0)トラックバック(0)小説『宇宙の大人たち』宇宙シリーズ【第二部】 

2013年01月30日


 海王星の本拠地にある暗黒崇拝教の寺院を訪れる巡礼者の列が途絶えることはなかった。
 大小様々宇宙船が数日に一度、黒や茶色のフードで身を包んだ男女を吐きだしていたのだ。
 恨みつらみに満ちた目をした男と女の瞳はギラつき、忌むべき者、憎むべき者たちが悶絶する姿を思い描いては、祭壇の前で静かに怨念の祈りを捧げていたのだった。
 高い位置にあるバルコニーに立って、その光景を眺めていた大主教のもとにフード姿の男が走り寄った。
「大司教様、よろしいでしょうか?」
「話すが良い……」
 暗がりに野太く低い声が響いた。
「ヘルメス卿とマフデト卿からの連絡がありません。如何なされますか?」
「卿はどう思っているのかね?」
「はあ……そうでございますね……」
 フードの男は思いあぐねいているようだった。
「いってみよ……」
 大司教は首から下げていたエジプト風のアンクをかたどった護符を握って指を動かしていた。
「捜索隊を差し向けるべきかと……。マフデト様はよいとしても、ヘルメス様だけは……」
「……うむ」
 大司教は手にしていた人間の腕が彫刻された杖の先で床を叩きはじめた。
 その音は巡礼者の祈りと混ざり合い、不気味に礼拝堂に木霊していた。
「あの男はDIAに存在を知られている……。それゆえ、姿を消すとしてもそれは闇の中でなければならん。ヘルメスだけは何としても予の元に連れ戻せ。よいな?」
「……では大至急宇宙艇を二隻出立させます」
「失敗は許されんぞ……。そのときは君が闇に消えることになる……。心得ておくがよい……」
「…………」
 フードの男は黙って深々と礼を返すと、音もなく去って行った。
 それから幾ばくもなく、二隻のジェットブラックに塗られた宇宙艇が、海王星を飛び立っていったのだった。

 礼拝堂の地下数百メートルには巨大な宇宙船ドックがあった。そこにはDOXAが建造した三隻の準光速宇宙船が並べられていた。
 三隻のうちの一隻は木星宙域で行方不明になっていた<アキレウス>号の同型艦である、<ケイローン>号だった。
 船は各所の外板が剥され、船内から様々な機器が運び出されていた。
 ドッグの奥にある空間で船から持ち出された機器が組み立てられていたのだ。
 それは、人格コンピューター六台が繋ぎ合わされたときに完成する、暗黒崇拝教の神となる胎児の姿であった。
 悪魔アメミットの姿を模した筐体は既に完成し、畏怖と威厳を辺りに放っていた。
 ワニの頭からたてがみをはやした獅子の上半身は前足で力強く身を起し、カバの下半身は床に鎮座して、獅子の尾がそこから伸びていた。
 アメミットには、すでに四台の人格コンピューターが埋め込まれ、残った二台が心臓と頭部に埋め込まれるのを待っていたのだ。
 悪魔の周囲は祭壇によって幾重にも厳重に守られ、人を寄せ付ける隙間ひとつなかった。祭壇から伸びた数十本の太い柱は天井を突き抜けて海王星の表面にまで達していた。
 そこからは各種センサーやアンテナが林立し、すでに稼働しているものさえあった。
 暗黒崇拝教はいままさに宇宙最高の頭脳を手に入れようとしていたのだった。
 永遠に眠ることのない悪魔、アメミットが目覚めようとしていたのだ。
「問題は……アメミット様にどのようにして支配欲を埋め込むかなのだ……。そのためにも私にはアレが必要なのだよ……。だがそれも時間の問題だろう……クケケケケケ……。もしもヘルメス様が失敗したとしても、やってみせる……」
 技術者集団の中にいた長身の男は、<ケイローン>号をチラリと見やってから、酔いしれたような瞳でいつまでも悪魔を見上げていたのだった。

(つづく…… 前へ 次へ 第一話へ この記事の最初に戻る

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