2013年04月

2013年04月30日

 ケルト人と一口にいって、「あーそれはこういう人種だよ」と説明できる人は大した人です。勿論、私も出来ません。現在でいえば、ブリテン島では、アイルランドやスコットランド、それからウェールズとコーンウォール。フランスでは、ブルターニュ半島、スペインではガリシア州の一部に残った人種です。
 もともとは、紀元前五百年くらいまで、ヨーロッパ全域に広がっていた人種なのだそうです。カエサルの「ガリア戦記」という本があるのですが、それはケルト人(ガリア)と戦った記録であったりします。つまり、そうしてゲルマン人やローマ人に圧迫されて、現在の位置(ヨーロッパの北西)に追いやられたのがケルト人という訳です。

 今回読んだ二冊はそうしたケルト人にまつわる口伝が物語として残っているものです。それを年代順に読んだ。そういうわけです。
 しかし、おなじケルト系であっても、内容にはかなり差がありました。
 『ケルト幻想物語』はどちらかというと、民間伝承とか寓話とかいったもので、市民や農民のお話がほとんど。
 翻って『中世騎士物語』はアーサー王とその周辺の諸王や騎士を中心とする、いわば権力を誇った人々の話だったということです。
 前者は心がほっこりしました。悪魔のくせに狡賢い人間に丸め込まれて酷い目に遭ったりするんです。ようは、人間の心に棲んでいるのが悪魔なわけですから、たとえ悪魔であっても極悪な人間には勝てないという描かれ方をしていて、なんとも教訓的なのです。というか、読んでいて悪魔に共感してしまうんです。可哀そうだらかもうやめな……と(笑)
 が、時代が中世になるとそうはいきません。物語の主人公だけが正義。あとのザコはひきたて役。ですから、そうした脇役や動物たちは理不尽に殺されていきます。相手が巨人だとか、ちょっとした怪物だと、騎士としての礼儀もくそもなく、謀略にかけて一刀両断です。卑怯すぎます。読んでいて胸糞が悪くなりました。黒人の巨人だとか、悪役の城は平気で略奪するわ、もうね、酷いもんです。なにが騎士だ! おまいらには誇りはないのか! と一喝してやりたくなります。
 物語の精神性にキリスト教がどっかと腰を下ろしているというのが、すぐにわかりました。悪いことすると火炙りとかさ……えーかげんにせーや……とね、もうほんと不愉快だった。

 そもそも、アーサー王の死後、忠実な騎士だった連中は全員同じ場所に集まって、僧になって暮らしました……って、それはねーだろう……。
 随分とまあ教会とキリスト教に都合のいい終わりかただよな、と思われてもしかたありません。しかもそのうちの数人は異教徒(トルコ人)に殺されたとか語られているわけです。
 ええ加減にせいや! と胸糞わるくなりました。

 聖杯とかも、不倫に等しい行為をしていたランスロットは見たことで死にそうになります。
 結局、見れたのは懺悔して罪を消しきった三人「パーシヴァル、ガラハド、ゲイネス(ボゥホート)」だけなんですね。まあこれは三位一体を表現したかったんだろうけど、依怙贔屓しすぎだし、不倫絶対に駄目みたいな教義そのままな気がしました。なんだかなぁって感じです。勿論、私の偏見ありまくりですけどね。

 でもさ、それよりもさ、大聖人が亡くなった途端、いいや在世中から反逆者や退転者が出るってほうが、よっぽど人間くさいしリアリティあんじゃん――とか思いました。
 人間てそういうものじゃないですか。その人がいるうちは、親愛の情を示しても、亡くなったら忘れるもんですよ。とくに権威に従っていた人なら尚更だと思うのです。

 まあいいでしょう。

 余談ですが、J・R・R・トールキンの『指輪物語』(ロード・オブ・ザ・リング)なんかは、こうしたケルト人の童話、寓話、伝説がベースにあります。でもどちらかというと、民衆よりですけね。
 でも、もっと民衆よりで個人個人に光を当てた映画もあるんですけどね。
 なので、私は『Dungeons and Dragons』のほうが好きですね。これに出てくるドラゴンは普通に強いんだ。なので、キャラたちははじめから逃げ腰なのね。そういうリアリティがいい!
 「オーリャー!」とかいって、一撃でドラゴンを倒せるわけねーだよ。「そら! 逃げろー!」が普通なのよ。それでなきゃ、ドラゴンの存在価値なんてないですからぁ(笑)


そもそもさ、中世っていうとカッコイイ鎧とかきてるけどさ、あれがまず嘘だからね。当時は鎖帷子しかなかったんだな。板鎧はもっとずっと後の時代にでてきたんだし、実際には礼装用の場合が多かったんですよ。だいたいあんなもん来てたらさ、自分で椅子から立つのも大変。転んだら自分じゃ立てないんだってんば。河とかに入っていったら、即座にブクブクブク……で溺死ですよ。当然、馬にも自分ひとりじゃ乗れません。はい、夢を壊しましたね。でも現実とはそういうものですよ。


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2013年04月28日

 母ガニが子ガニを連れて散歩にでかけました。
 しばらくすると、母ガニは子ガニの歩き方をみて注意しました。
「お前、歩き方がちょっと変だよ。横歩きばかりしないで、まっすぐ歩きなさい」
 すると、子ガニはこう返答しました。
「ぼくはお母さんの真似をして歩いているだけだよ」



 これ、傑作でしょ(笑)
 読み終わってから、吹きましたよ。
 だってあまりにも的確に真実を伝えてるんだもん。

 童話ってだから好きなんですよ。
 「あとがき」もいらないですしね(笑)

 ――おしまい☆

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ipsilon at 00:33コメント(0)トラックバック(0)童話 

2013年04月27日

 自分の人生を自分のものにしたい。自分の目標に向かってまっしぐらに歩みたい。人は誰でもそうした信念を多かれ少なかれ持っているものだろう。でも、私などの場合、その方法論に迷っているわけだ。いや、正確にいえば迷っているのではなく、その方法論をどう維持していけばいいかに悩んでいるのだ。策士、策に溺れる。そうとも言えますけどね。だが、何の自信も確信もなく、ただひたすらに信じてその道を歩むことができますか? そうできる人もいるのでしょう。しかし、私はそうではないのです。ゆえに、信ずべきものへの確信を深めようとしています。
 いってみれば、不信――そう捉えられるかもしれませんけどね。でもね、世のなかに猜疑や疑念のない人なんていないのですよ。それゆえ悩むのです。

 例えば恐怖。このとりとめのない情念がどこから湧くか、正確にわかっている人はいるのでしょうか?
 恐怖の先には憤怒があることを知っている人はいるのでしょうか?
 して、その恐怖が肉体的苦痛にともなって自然発生的に湧いてくる情念だということを知っている人がいるのでしょうか?
 かくいう私も今さっきそれを知ったので、偉そうなことは言えません。
 ですが、ここまで知らなければ、理性だの自制だのいったところで、そんなものは、海の水を柄杓ですくうように無益なものなのですよ。
 私はこんな経験をしたことがあります。うつ病が最悪だった頃のことです。必死の思いで題目を唱えていました。しかし、無性に苛々してご本尊を破きたくなる。御書を拝していてもそうでした。
 そういう自分の心に恐怖しましたよ。でも耐えて耐えて耐えぬいて唱題する日々を持続していたら、ある日、唱題中に気づいたのです。
(あれこの怒りってさ、ただ単に体がだるいから、そのどうにもならない怒りをご本尊や御書にぶつけてるだけじゃない?)――と。
 画期的な気づきでしたよ。でもね、その気づきを普通は知恵だとか情念だとかは思いませんでしょ?
 しかし、それこそが知恵であり情念であり、もっといえば感情や本能よりも格段に強い衝動なのですよ。
 つまり、知恵とはそういう衝動のことをいうのです。
 日寛上人の言葉にもそれを示唆する言葉があります。「止む能わざる」が、それです。
 信心を貫いてきた人の言葉にもそういうものが沢山みうけられます。
 「止むにやまれぬ気持ちで折伏した」とかですね。そういうことなんですよ。

 ――知恵とはつまり、止むに止まれぬ強烈なまでの衝動なのです。
 そして、それが公宣流布のためになることであれば、それは智慧になるのでしょう。

 体が疲れていて、肉体が不快感を訴えると、それは恐怖になり、苛立ちになり、やがて憤怒になるのです。
 古代ギリシャの人々はそのことに気づいていて、スポーツを発明したのだそうです。
 不要な筋肉の緊張と心的衝動を体を動かすことによって発散し、自分の中から追い払う方法がスポーツだったというわけです。そこにおまけとして、他者と競ったり記録で競ったりするという項目が追加されたのが今日のスポーツということですね。なので、近現代のスポーツはある意味では体に悪いことをしているのは、承知の事実ですよね。

 結局、人間には本能や情念にも勝る衝動を湧き起すことがあるというのが結論です。
 これが悪に向かえば、殺人や自殺に行き着きます。
 善に向かえば、犠牲すらいとわない利他行為となるわけです。強い衝動で人を殺すのですから、法律なんぞ、糞の役にも立ちません。抑止力になどなりはしないのです。
 ですが、残念ながら、この衝動――つまり智慧ですね――は、まったくもって理性で自制したり自律できる代物ではないということです。それぐらい強い衝動だということです。科学も学問も、そうした理性で智慧の発露を抑制し制御できる。そう思っているところに傲慢さがあるのです。阿呆くさいのです。ヘッセなんかは早い時期にそれに気づいて、学問的小説を揶揄しています。

 じゃ、どうすればいいのよ?
 信心するしかないんです。
 つまり信心とは、正しい善の方向への智慧の発露を促進する実践であり行動なわけです。
 しかし、ここまで頭でわかっていても、それが簡単に出来ないのが現実です。
 その理由は明白ですよね。善への智慧の発露があるのと同様のレベルで、悪や倦怠への智慧の発露もあるからです。
 が、進むしかないこともまた事実です。
 
 じゃ、どうすればいいのよ?
 「忍耐」しかありません。悪知恵の発露に耐えて耐えて耐え抜くのです。
 さすれば、いつかそれは煩悩即菩提となり、それはそのままで善の知恵へと変換するのですから。
 それが、先に述べた、御本尊を破りたくなっても耐えて唱題し続けたら、「その原因に気づいた」という体験で証明できるのです。
 つまり、止む能わざる「気づき」。それが起こるまでは、耐えるしかないのです。そしてその「気づき」こそが後々大きな「確信」へと結びつくのです。
 理性的にあーでもない、こーでもないと色々やってみたところで、所詮そんなものは「策」でしかありません。

 ちなみに、先生のご指導からすると、「即」とは「信行」のことを差すのだそうです。
 題目だけあげてれば何とかなる。それは即ではありません。
 題目をあげたうえで耐えるという行動を持続し続ける。これが即なのでしょう。
 いいかえれば、信を深めながら、今悩んでいる項目に対して努力を怠らないこと。そういえるでしょう。

 まあ、口で言うのは簡単です。「ネズミの相談」です。
 しかし、ネズミの相談のように思えてもいいのです。なぜなら、大それたことをしようとするのがネズミの相談なのですから。いきなり、一匹のネズミがネコの首に鈴をつけるとか、そりゃー無理な相談です。
 しかし、猫をおびき寄せて、そこに罠を作って、みんなで協力して最終的には鈴をつけることは可能なのです。
 誰か一人に「お前やってこいよ!」と責任をなすりあうから「ネズミの相談」になってしまうのです。
 小さな小さな課題を一人一人が一歩一歩完遂していくなかで、「ネズミの相談」は可能なことになるのです。

 私はそういう一人であろうと思うから、こういうくっだらない記事を日々書いているのです。
 忍耐ほど強いものはない。そう思うんだなぁ。

 一日に何かいも記事書いて馬鹿じゃね。そう思いたい方はどうぞ思ってください。ですが、こうしたくっだらなく見えることもひとつの行動であり、その裏には「止む能わざる」情念があることに気づける人なら、私の伝えんとしていること。また、私がどんな気持ちで自分自身を励ます記事を自分に向けて書いているかは理解できることでしょう。

 とまぁ、最後の一段が不要なことは知ってますが、これがその「止む能わざる」なのですよ(笑)。
 いいのよ。私は自分に素直なだけだから。あるがまま〜。やっぱこれが一番なのよね〜☆


ショパンであれば、静かな曲ならルービンシュタインとかだけど、やっぱ情熱的なのはこういうアルゲリッチのような演奏がええですな。中村紘子さんもパワフルなんだよなぁ。CDでも聴くかな。


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ipsilon at 20:32コメント(17) 
 私にとってみれば、音楽とは「体験」なんです。ずっとそう思ってきました。聞くことはすなわち感じること。我が心で音を「体感し体験すること」、とそう思ってきたのです。
 もちろん、第一主題はなんだとか、それが第一バイオリンから、フルートへと引き継がれてうんたら……とかいったことに熱中した時期も少しはあったのですが、心が感じとらないもには見向きもしなかったというのが本当のところだ。

 けれど、そういう感覚はどうなんだ? と最近疑っていたのですが、フルヴェンが私と同じ思考をしているのを読んで確信できました。しょせん、音楽は生命で感じるものだと。頭で考えたり分析するものではないと。
 んとね、フルヴェンはそれを伝えようとして、こう言っています。

 人は情熱をもって、そういう偉大な作品を信じきっていたからなのです。――と。

 「信じきっていた」ですよ。凄い力はいってますよね。
 でもさ、それって大事だと思うんですよ。好きって感情はさ、突き詰めると好きだと信じてるわけでしょ。
 そう信じてるから、好きなものに熱中もできれば、嫉妬もするわけですよ。
 芸術にあっても「信じる」行為は絶対的に必要だってことですよね。

 それはそうと、あんたそういうけどさ、小説とか読んで散々分析の記事とか書いてるじゃん、と言われるのだろうが、実は違う。
 ちゃーんと私の心を見抜ける人ならわかるんだ。私が分析以上に情熱的になっていることがだ。
 そもそも、情熱的にならなければ、こんだけボカスカ次から次へと読めるはずなどないのだ。
 『星の王子さま』を読んで泣いた。分析ばかりしてたらそんな感情は湧かないんです。心で読んでるから涙も出るのです。心で読んでるから色々なことを感じるのです。そしてそれを言葉で表そうとすると、分析になり、科学的になるのです。
 そうそう、『星の王子さま』にこんなような言葉がありましたよ。
 使った時間のぶんだけ仲良くなれるし、好きになれるし、信じられるってね。ここも感動したんだなぁ。

 話を戻します。
 ですが――、フルヴェン曰く。表現者が分析をし過ぎてはいけないんだそうです。芸術家は芸術家であらねばならん――直観的であらねばならぬ――とのことです。解釈はしてもいいが、それを分析として表現したら、芸術家ではない。そういうことらしいです。
 どうしても分析したいなら、作品を演奏(小説であれば作品を書くこと)で表現すべきなのだそうだ。そらそうだよね。納得。すごい納得する言葉だね。
 いやまぁ、それとなく気づいてたけどさぁ、どうしても感動したということを伝えたいと思うとね……ってなわけです。
 科学偏重主義は嫌いと思っていながら、思考がそうなってしまいがちな自分が口惜しいですね。

 まあいいや。眠いし。

 さくっと読み切るのかわかりませんが、フルトヴェングラー著『音と言葉』を読みはじめました。
 言い回しがね、なんか回りくどいんだ。フルヴェンらしいし、いかにも芸術家的(つまり、私のように、あーでもない、こーでもないと理屈こねてるうちに、伝えたいことがぼやけてくるって寸法だ:苦笑)

 まあいいや。眠いし(笑)




 今日の汎庸な演奏を聴いてみると、人は無意識のうちにこんなことを自問せずにはいられません。今日の世界にとっては、これらの作品は突然もうどうでもよい興ざめたものになってしまったのだろうか。いや、しかし、作品が変わったわけではありますまい。また人間が、――聴衆という大衆が、――変わってきたわけでもありますまい! では、それは何か、ということです。今日の思考法、――(以下略)

 つまりは、思考や思想によって、ありとあらゆる芸術は塵芥とかすことがあるということだ。
 そんな時代にしないためにこそ、せめて私一人くらいは芸術を心で感じる人間でありたいと思ってみたりする。
 はいはい、大袈裟なのは承知しておりますよ。
 やっぱりブルース・リーはいいこと言ってるよね。
 「考えるな、感じろ(Don't Think , feel.)」だもんね。
 けどね、↑こういう考え方をしようと「考えちゃう」のもまた確かなんですわ。所詮、物事は煎じ詰めれば、二律背反てことですね。

ipsilon at 03:39コメント(0)トラックバック(0)音楽と動画 
 ――いちばんたいせつなことは、目にみえない。

 どうしても伝えたいことは、三回は口にしよう。
 だからでしょう。サン=テグジュペリは冒頭に書いた言葉を三回作品の中に書いていました。


 この本は死ぬまでに、というか読める状況であれば、即効で読むべき一冊ですね。
 生きるということに関する真理が優しいことばで、ここまでちゃんと語られているのは凄いです。
 この作品も、『不思議の国のアリス』と同様、聖書のつぎに多く読まれている一書といわれているそうです。
 でも、どちらか一冊を選べといわれたら、断然『星の王子さま』を、私は押します。

 というか、まぁ涙でましたよ。そうそう、あのキツネとの会話のシーンでね。
 読んだひとなら、何度も首を振ることでしょう。

「なつかせたもの、絆を結んだものしか、ほんとうに知ることはできないよ」キツネが言った。「人間たちはもう時間がなくなりすぎて、ほんとうには、なにも知ることができないでいる。なにもかもできあがった品を、店で買う。でも友だちを売っている店なんてないから、人間たちにはもう友だちがいない。きみも友だちがほしいなら、ぼくになつかせて!」
「どうすればいいの?」王子さまは聞いた。
「がまん強くなることだ」キツネが答えた。「はじめは横目でちらっときみを見るだけだし、きみもないも言わない。ことばは誤解のもとだから。でも、日ごとにきみは、少しずつ近くにすわるようにして……」


 んまぁ、私は何年前だかのラジオ朗読(TBS系列の「文学の扉」)で聞いていて、この部分で泣いたわけだが……。
 読んでもまた泣いたんだなぁ。いや、そんぐらい感動するんだってばさぁ。嘘じゃないお。
 そういえば、「文学の扉」で、こないだは芥川のを朗読してたなぁ。あれも良かったな。

 ――王子さまは自分の星を離れて、六つの星をめぐってから、7つめの星として地球にやってくる(この辺りは六道輪廻をいってるみたいで、背筋がゾクゾクしたお)。
 ゆえに、この六つの星の住人が実に示唆に溢れた人々なのだ。
 
 王さま=権威主義(悪:修羅)と道理主義(善)
 大物気取りの男=虚栄心(畜生)
 酒浸りの男=自己憐憫(地獄)
 実業家=独占欲(餓鬼)
 点灯人=誠実な仕事人(人界)
 地理学者=卓上の空論(行動しない二乗・考えてだけいる人・自己満足・天界)

 彼らはそれぞれ社会風刺の対象とされている。
 また、王子さまの星には、一輪のバラがあるのだが、それは恋愛の対象をしめしていて、王子さまとバラははじめは良い関係を築けないのですね。お互いに腹の読みあいみたいなことをして、ことにバラは嘘をついたりプライドから素直になれなかったりするのです。でもあたしを誰よりも大切にして! 守って! とそれだけは言葉で表現するのです。でもって、王子さまはそれと、その奥にある「素直になれなくてごめんね……」というバラの気持ちも敏感に感じ取るのですが、彼もまたうまく言葉にできません。指摘(批判)すると関係が悪化することを知っているのですね。この辺の表現は実にいいです。言葉の虚しさも同時に表現していて、胸が震えます。別にマナーモードの携帯を胸ポケットに入れながら読んでいたわけではありませんよ。部屋が寒かったわけでもありません。
 そしてそのバラは四つのトゲだけで自分の身を守っているんですね。多分にこれは四悪趣を指していると思います。
 でもって、冒頭に出てくるバオバブはおそらく、心に生える雑草であり「嘘」の象徴でしょう。
 芽を出したばかりのバオバブを食べてくれる存在として羊なんかも登場しますが、これは各宗教で神聖視された存在ですので、その辺の対比も実に見事なのです。まあ、このバオバブと羊の関係をおさえておいて読みすすめると、最後の最後でドドドドー! っと感動しますよ。

 ――こうして王子様は、7番目に地球にやってくるのです。
 「七」かよ! とまぁ不思議な気持ちになります。

 ともかくも、どこの星にいって誰と会っても王子さまは必ずはじめに「こんにちわ」と言うんです。
 もうね、こういうとこだけでも、十分に心が温かくなるんです。
 王子さま、後から「この人変な人だなぁ」とか「大人って変なのぉ」と思っても、挨拶だけはちゃんとするんです。
 そんなところを、物語の流れの中で伝えているサン=テグジュペリは偉いです。

 何はともあれ、これは「必読すべき一冊です」。読んで絶対に損はない一冊です。私が保証したところで、何にもなりませんが、保証しますよ。読むべし! 読むべし! 読むべし!(明日のジョー風でね)
 座談会で紙芝居とかにしたら凄いいいのにね――というのが私の素直な感想ですね。

 ちなみに、二時間もあれば読み終わる内容です。読むといいお。いいお、いいお。読んでネ☆



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