2013年05月

2013年05月31日

 “苦”はサンスクリット語で“ドゥフカ”ですが、その本来の意味は、
 ――思うがままにならないこと――です。
 そうして、そういう意味だとすれば、なるほど老いることはわれわれの思うがままになりません。少年が早く老いたい(おとなになりたい)と思っても、思うがままになりません。
 四苦八苦のすべてがそうです。わたしの肉体も精神も、すべて思うがままになりません。からだのだるさ、気分がすぐれない。それはどうしようもないものです。
 人間存在そのものが苦です。釈迦は、まずそのことを認識させようと教えました。

 ――四苦八苦――
 生苦……生まれるときの苦。
 老苦……老いることの苦。
 病苦……病むことの苦。
 死苦……死ぬときの苦。

 愛別離苦……愛するものと別離しなければならない苦。
 怨憎会苦……怨み憎むものに会わねばならない苦。
 求不得苦……求めるものが得られない苦。
 五陰盛苦……“五陰”というのは、肉体と精神を構成する五つの要素です。その肉体と精神のいっさいの物事・現象が苦である。


 ひろさちや『釈迦物語』より

 思うがままにならないことを、思うがままにしようとすることから、“苦”が起こる。
 求めれば求めるほど、“苦”は増える。なので、求めない。求めないことを、明らかに極める――明らめる。
 これが仏法の真髄。
 明らめちゃいけないのは、明らめようという心を育てることだけ。つまり、自他にわたる題目を唱えぬいていくこと。

 痛いものは痛い。痒いものは痒い。ムカツクものはムカツク。さっき楽しかったのに、次の瞬間には不愉快。そういうものなんです。全てを“苦”にしない、気にしない心をつくればいいだけ。
 気にするべきは、常に、しっかりした自他に渡る唱題が唱えられているかの点検、自己反省。それだけ。

 寝れない。じゃ、寝なきゃいいんです。寝ようとするから苦しくなるんだ。起きれない。じゃ寝てればいいんだ(笑)。つまり、ルソーのいう「自然に帰れ」であり、トルストイのいう「真の生命を感じとれ」であり、ヘッセのいう「自分を貫通している永遠の流れを意識しろ」ってことだ。
 ようは、題目をあげて生命力(つまり心身ともの健康)がついてくれば、自然に起きれるようになるし、自然に寝れるようになるんだ(これは体験済みだ)。実際に娑婆世界で努力すれば、実現が早くなる(これもまた体験済みだ)。けど、無理し過ぎれば、かえって悪化する。
 大事なのは自分の限界を常に見極めておくことだ。これはね、私の場合、うつとACのせいで、限界に気づかない傾向性があったということ。笑っちゃうけど、自分の感情とかが良くわかんなかったんだな。けど、今はわかる。常に自分を見つめまくってますからね。半ば自己中なくらいね(笑)。
 これ以上やったら悪化する。“苦”になる。そう感じたら、休めばいいだけ、サボればいいだけ。そんで、生命力がついてきたと感じたら、また努力すればいいだけ。
 自分で自分を追いつめちゃだめ。それは自分で自分の中に“苦”を生みだしているってことだから。

 よっし、今日はサボるゾー!!^^
 ま、勤行・唱題だけはサボりませんけどね。

 人と接して、嫌な思いをする。不愉快な言葉を投げつけられる。
 でもさ、これって良く考えると、嬉しいことなんだな。もしも、その人が私に気を使っていたら、私を傷つけまいと、ことさらに丁寧な言葉を話したり、丁重な態度を示してくれるわけです。でもこれって、相手は心を開いていない、装っているいるということだ。
 つまりね、相手が思ったことを思った通りにぶつけてきた! と感じたらこっちのもんだ。なぜって、その人は私に心を開いてくれている。その人は私の前では「あるがまま」でいてくれたということだからね。
 私は人の無礼な態度にすぐにムキーってなる人だったんです。でもね、最近、唱題中にこれに気づいた!
 もちろん、経机に常置してあるノートに速攻でメモった。マッハの速さだった(笑)。
 人に辛辣なことを言われる、人に傍若無人に振る舞われる、言いたい事を言われまくる。悪口罵詈される。杖木瓦石で虐げられる。馬鹿だ阿呆だと罵られる。なんぼのもんじゃい。どんどんやってくれ!
 だって、これは、光栄なことなんだなもん。喜ぶべきことなの。ウハハ、これを極めたら凄いことになるゾ〜♪

 「折伏のためにせられる悪口は、心から感謝しなくてはならない。悪口せられることによって、われわれの身体の罪障が消えて、幸福生活へと驀進することができるからである」――戸田先生の言。

 なにが嬉しいってさ、戸田先生の指導と同じ内容をだ、唱題の中で気づいたということは、ご指導を生命で(つまり身で)読めたということだから、そういう自分になれるっていう確証なんだな。ヤッホーイ♪ だ。
 ま、一喜一憂しても仕方ないんですけどね☆

 つまり、平易に言えば、生活の中で「ムカ!」っときたら、速攻で題目をあげて、心から感謝すること。「よし! 感謝できたぞ」、と笑顔になれるまで、胸中で題目を唱えること。それでいいんだな。
 でもこれ、ここ何カ月かのあいだ、ずっと半ば無意識に、半ば意識的に実践してきたことなんだなぁ。
 ようは、そうやって身で読んできていたことに、完全に気づいたということ。カッコつけていえば悟ったということだ。――あの人は傲慢だ! とかいうね、依報に対するものは悟りじゃないよ。それは妄想だし、先入観だし、空想なのよ。そこはしっかり立て分けないと外道です。仏法は内道です。外道になると、功徳が全然まったくでません。気をつけましょう。勝手に決めつけるな! 余計なお世話だと怒られますしね(笑)。
 宇野千代さん曰く、歳を重ねるほど、――私は「意識していることを意識するようになった」的なことを仰ってます。これはつまり、自分の心が何をしたがっているかをしっかり見つめて生きることが、大人になることだってわけです。自律。自制。自己制御ですね。なんか別のもの(例えば過去への郷愁とか、未来への不安という妄想)に心を支配されないように、自分は常に、「いま・ここ」を生きているかを見つめて制御するってことですね。自分で自分を支配せよ! ってわけです。

 日本人は、欧米人より、「恩」に対して、はるかに敏感な人種。その「恩」を返したくても返せないと感じるのが「恥」。需要と供給のバランス感覚が悪いんだな。でもこれは、自分の中に“苦”を作り出す原因なのね。
 どうせさあ、受けた恩を全て返せる人なんて、ほとんどいないんだよ。大事なのは、返せるときに返してゆき続けよう、という「継続」の心。一生涯、返し続けていこうと決めること。ガイジンはそういう感覚なんだそうだ。返せるときに返すわ、みたいなね。なので彼らは楽天的でかなり能天気。ラテンな気分。サンバのリズム。

 でもさ、日本は浪花節(笑)

 ビバ! 楽天主義だ!





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ipsilon at 15:55コメント(2)トラックバック(0) 
 御本尊を前にして、題目を唱えていると、ふとした疑問とそれに対する答えが湧きあがることがあるんです。今日は、それを少しまとめみます。ですが、これはあくまでも、私見ですので、参考程度に受け取ってください。

 ご本尊に面して、右側、ここには持国天と広目天がいます。
 左側には、毘沙門天と増長天がいます。なんでや? それが疑問でした。

 あれ……持国・広目ってさ、正報の働きちゃうか……ってことは、ああ、毘沙門天・増長天は依報かな……。
 するってーとぉ……
 おお、釈尊が右で多宝が左、日天が右で月天が左、天照大神が右で八幡大菩薩が左……。
 なんか見事に左右にわかれてんじゃん!

 んで……あ! 正報と依報の真ん中に南無妙法蓮華経! こ、これは、中道実相(依正不二)じゃないか!
 そしてここで大感動(笑)。
 つまり、正報・依報どちらも不足なくあるよ、が――南無妙法蓮華経か!
 妙法=正報、蓮華=依報! どっはー! 完璧じゃないか!
 そして、(うちのご本尊様の場合)御執筆の日寛上人が依報の側に坐っておられるじゃないか!
 これは凄いなぁ……。
 依報に日顕とかいたら……そりゃーあんた、不幸になるよね。つまり、福運が激減して、悪知識にばかり親近してしまうってことだね。おー恐っ。

 第六天の魔王……あ、正報。そうだよね、魔は己心におりますからね。
 鬼子母神、これも正報だよね。これは私の餓鬼の命のはずだ。
 十羅刹女、十界の餓鬼の命かな……あ、依報やん!
 これは……間違いないね。というのが私の思索。

 本当のところ、南無妙法蓮華経だけでも、依正不二。だからか、今の御図顕にされる前の曼荼羅ご本尊は題目しか書かれていないのもあるもんね。でも、――みんなに分かりやすいように、色々書いておこうかな。
 つまりそれが大聖人の御慈悲ってことやね。ああーぁぁー感動するー! 感謝、感謝だぁ!
 って感じで題目唱えてました。


 六割勝利……でもさ、生命は九識だぜよ。九割の中の六割でいいの?
 ちょっとまて、人間は誰しも完璧じゃないだろ、ということは残りの一割は「伸びしろ」であり「可能性」である。ちゅーことはこの1割は「無上道」ってことか。あと五分頑張るってことだな(笑)。
 あ、ということはさ、娑婆世界では、六根をフルに使えってことか、それが本当の六割勝利の意味やな。不惜身命だね。
 あとの七識、八識、九識は自分自身でしか感じられないから、そこは他人にぶつけないで、自己反省してその3割も勝利していく。そういうことか。で、残った一割はいつ完成できるんだ?
 あ、あれだな、時間が停止した次元だな。ってことは死んだときか(笑)。納得! それまでは「無上道」ってことね。日々前進てことですね。
 あー、けどさ、残り三割の勝利って何よ? それはあんた、「善」であろうとすることじゃんか。
 無意識層に題目ぶちこんで、善であろうとする。まぁそういうことだろうな。
 あ、だからか、題目あげないで活動しても駄目なのは(笑)。そんなの考えるまでもないけど、でもこの気づきって大事ね。つまり、七識より深いとこを善にしていけば、「止む能わざる」折伏精神が無意識層から噴出するから、意識しなくても善になれる。とはいっても、それには一日一万遍だよね。利・善・美、つまり、慈悲(勇気)、真理、智慧、全てに題目を行き渡らせる。よって二時間だと、勇気が出ない……。三時間やれば、無理に勇気を出そうとしなくても、自然に慈悲が湧く。やっぱなんとしても三時間やりたいっ! 考えなくても自然に慈悲の行為として体が動くっちゅー三時間をやりたい!(こうした生命になったことは、一応体験してます^^) 自然に活動も出来るようになってゆくってのも、そういうことだもんね。
 でもまぁ私は図々しいので、今は「量」も確保しつつ、「質」をあげとうよしてるんですけどね(笑)。
 「質」が上がるまでは「量」は必須。根性、根性、根性あるのみー! 座ったら、根っこ生やせばいいなりよ〜。意地でもご本尊の前から立たない。この根性しかありまへん!

 やっぱさ、今更いうまでもないけど、唱題は大事だわ、いやマジで、本当に、凄く大事。チョー大事。まぁ基本中の基本ですから、勤行・唱題を疎かにして努力しても、全く意味ないのは知ってるんだけどね。けどさ、なんか勤行・唱題を極めていくのって大変ね。こうやって、塵のような疑問をひとつひとつ叩き潰していく作業だもんね。
 だーが、そうしないと盲信になる。確信になどならな〜い。なぜって、人間の普段の生活は理性的ですからですよね。まぁ、だからこそ、七識より深いとこに、善になる仏縁(因)をぶち込んでおく。そういうことでもあるよね。
 でも、誰かに会っていく戦いをしないと、「かかわって」いかないと、その因を噴出させてくれる縁起に出会えない。して、そういう縁ある出会いは自他共に幸福にしてゆく。素晴らしい! そういうことだね。全部、相対的〜。無駄なんて一切な〜い! うれしい〜^^ おもしろ〜い^^ たのしい〜^^
 
 よーし! 髪の先から、爪の先から、目と耳と口はもちろん、皮膚の毛穴という毛穴から、全身に題目をぶち込むぞ〜!
 えっと、数珠もって合掌は、「一念三千」だから、まぁ最低限、合掌した手指くらいは意識しながらも、心でご祈念をしっかり念じつつ、しっかり発音しながら、しっかり聞く。とりあえず、そこだけは外さないようするぞ!
 無意識にやってると、往々にして、体のどこかに変な力が入っている。そうすると、そこは題目を拒否ってるんだろうから、常にリラックス。早く終わらそうとかなって焦ると、絶対力む。これは駄目。リラックスしつつ、五感にアンテナを立てる。これでいいのだぁ〜。
 先生曰く、唱題は常にご本尊との一体感を感じながらすべし。それは、五感全てで題目を感じろってことだろうしね。
 ってな感じで、唱題しましたとさ(笑)

 とはいえ、御本尊の相貌は、御書の一二四五ページからの『日女御前御返事(別名:御本尊相貌抄)』にありますので、そちらをしっかり拝読することを、お薦めします。
 でも、とことん詳しくは書かれていないらしい感じが……やっぱ『三世諸仏総勘文教相廃立』をがっちり学ぶしかないんだろうなぁ。でも、この書は物凄い難しいんだなぁ。通解拝してもわかんないんだもん。そもそも、題号の意味を理解しようとして挫折したからなぁ……。
 戸田先生も、この書を説明すれば、御本尊や信心のことは完璧に真実だと証明できるんだけど、理論的に過ぎて、観念的になり、学問馬鹿を育ててしまう危険があるので、講義されなかった書なんですよねぇ。
 家には講義の本はありまして、読み始めたんですが……チンプンカンプーンなんですよ。

 けど、大事なのは――
 南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす ――なので、おいおい、ね。

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ipsilon at 02:41コメント(19) 

2013年05月30日

 一言につゞめて申しますと、その生活からは戦争の実体も心もちも生まれない、平和しかないという生活、さうゆう生活の計画を先とする平和論といふ意味です。その生活からは戦争する余力も、必要も、さうゆう考へも起つてこないやうな、さういう生活をまづ作らうといふ考へ方です。
保田與重郎やすだよじゅうろう 『絶対平和論』)
 かつての日本には、こうしたことを正面切って言う文芸評論家がいた。まずそういう事に驚いた。
 保田の思想は、時代のせいもあってか、弱冠、教条主義的であり(文明の高度化に否定的な部分と、アジア主義という狭量さはあるのだが)、トルストイやガンジーの提唱した、非暴力・平和思想だということ。基本倫理としては、SGI提言の国連主義や、カントの主張した世界政府の樹立(もともと国連の樹立は、このカントに思想が元になっている)が必要ということに結実しているようだ。

 敗戦時に、沈み込むやうな「空虚なしずけさ」に襲われたといふのは、よくいはれる茫然自失とはちがふ感覚である。
 (著者)
 桶谷おけたに氏は「空虚なしずけさ」とは、「滅亡」であったと言う。字義なんて……という感覚を抱くかもしれないが、違う。滅亡とは、これまで積み上げられてきた日本人の精神性が、一度断絶した、という意味にとれるからだ。それほど、この「空虚なしずけさ」は、日本人の精神を根本的に打ち砕いたということだろう。
 滅亡(絶滅)した動物が二度とふたたび、地上に姿を現さないことを考えてみれば、日本の民族は一度、「滅亡」したのだ、という意味するところは理解できることでしょう。

 『史記』の世界構想とは何か。世界を動かす者、歴史の原動力になるものは政治的人間である。政治的人間は世界の中心となる。それが、「本紀」である。政治的人間は分裂する集団となる。それが、「世家」である。政治的人間は独立する個人となる。それが「列伝」である。(中略)
 「本紀」は、天の代理者たる皇帝の系譜であるが、それは真善美を兼ね備へた天子の万世一系の系譜ではない。(中略)中心の動力は善と悪との二元論をさらに複雑にする。そして、ともに滅亡によって完結する。

 (武田泰淳)

 よく御書に史記(中国前漢の武帝の時代に、司馬遷によって編纂された中国の歴史書)の中の事が綴られている。大聖人はそれを世法の譬喩として使われている(三皇五帝や、夏の桀王や殷の紂王などの挿話)。
 武田氏は、史記=世法に則って行く場合、結局はいつか滅亡するしかない、と気づき絶望したということだ。氏が妙法を知ったなら、どんなに喜んだことだろうと思うと、歯がゆい。
 永遠の建設の継続と継承。滅亡なき流転は、妙法を中心軸として世法が活かされたとき、実現できるからだ。
 とまれ、終戦時、多くの文化人は、武田氏のような絶望感を抱いたということだ。

 アイザイア・バアリンはこの著書の中で作業仮説の前提に、ギリシャの詩人アルキロコスの詩句、「狐はたくさんのことを知ってゐるが、ハリねずみはでかいことを一つだけ知ってゐる」を置いて、作家や思想家、ひいては人間一般を大きく二つにわけるもっとも深い差異といふ暗示をよみとつてゐる。
(著者)
 狐型は、ヘロドトス、アリストテレス、シェイクスピア、モンテエニュ、エスラムス、モリエール、ゲエテ、プウシュキン、バルザック、ジョイスなど。
 ハリねずみ型は、プラトン、ルクレティウス、ダンテ、パスカル、ヘエゲル、ドストエフスキー、ニイチェ、イプセン、プルウトスなどだと言っている。
 ようするに、狐型とは「演繹的」思考力であり、ハリねずみ型とは「帰納的」思考力のことである。
 すべてのものは妙法の枝葉である=演繹的思考。
 すべての枝葉は妙法という大樹に帰一する=帰納的思考。

 つまり、学会員は、この両方の思考法をTPOに合わせて、出来ないといけないということだ。あらまぁ大変なことですねぇ(歎息)。
 なぜかなら、先生の世界平和構想がそうなっているからだ。国連主義からのトップダウン=演繹的であり、草の根からのボトムアップ=帰納的、という二方向からの潮流が必要ということが、それを明確に表しています。
 と同時に、我々の宿命転換の方程式もそうなっているのだ。我々は、学会活動で、六根(五感と意識)側からの改革を行いつつ、唱題行によって、九識=南無妙法蓮華経という生命を湧きあがらせていくという、ふたつの潮流を、普段のなにげない生活の中で、行っているということだ。

 するってーとあれかい……とりあえず、「学」の一面として、勉強しやすい人としたらば、シェイクスピアやゲーテを「演繹思考」の教師とし、ダンテ、ドストエフスキー、ニイチェ、ヘーゲル辺りを「帰納思考」の教師にすると良さげですね。
 うーむ、トルストイはぁどっちだぁ……多分、演繹型だろうなぁ。
 何にしても、上にあげた人の著作を読むだけでも普通に死ねるね(笑)。数年とか平気でかかりますからね。
 そう考えると、演繹も帰納もある、先生の著作やスピーチの有難さが、身に沁み入るというわけですよ。
 
 経済の上では、世界は一つになる可能性が非常に大きい。ところが政治の方では、やはり垣をつくつて、いろいろとむずかしくする。しかしそれも、永い眼でみれば、経済に結局は負けるのではないかと思う。
(中山伊知郎)
 今現在になれば、こうした経済のグローバリゼーションは庶民でも実感しているのだが、この発言があったのは、昭和二十六、七年だ。すげーな。素直にそう感じた部分だ。
 結句、どんなに政治家が云々しようが、最後は経済が世界を一つにするということだろう。
 その経済の地盤を支えているのが庶民(帰納的)。そして、そうして集まってきた富を公平に配分する仕事をすべきなのが、政治家(演繹的)ということでしょう。ね、先に上げた、ふたつの思考法は、どっちも必要でしょ。

 六〇年反安保闘争は、政治闘争でありながら、その実質は精神革命の運動であつた。
(著者)
 これ、私もそう考えたことがあったんです。あの時、日本人の精神が、GHQに植え付けられた思想から脱却する、日本人自身による、日本人化の契機であったのでは、とね。
 しかし、未発で終わり、もう二度とそういう機会はこないとも思うわけです。
 米国で起こったヒッピームーブメントも、それに似た側面があったと思うのです。
 ちなみに、ヒッピーは馬鹿って印象を抱くのでしょうが、原語は、ハイ・インテリジェンス・ピープルです。けど、そこには揶揄(おまえら学知識はあんのに、やってること阿呆だな……)という心情もあったのでしょうね。
 まあ、いらぬ無駄知識です(笑)。私的には「長くつしたのピッピ」の方が好きです(イミフ) いや、ピッピって語感が可愛くて好きなだけですがね(笑)

 ともあれ、私的には、今の時代に、日本人化などを望んでいる者ではない。もし、そうなろうものなら、それはナショナリズムの形成になりかねないからだ。(実際、昨今はそういう思想が溢れはじめてもいる。とくにウェブでそれが見受けられますかね)

 軍隊では、外の社会を「娑婆」といって、その特殊性を強調したが、軍隊は「娑婆」の『縮図』であり、本質的な違ひはないといふ認識を、結果としてもたらしたが、安岡章太郎氏の『遁走』であつた。
(著者)
 実に卓見。下手な一派庶民は、あの戦争の原因や責任を、「軍部」のせいだ、と声高に叫ぶわけです。しかし、その軍隊ですら、娑婆世界の縮図なのであって、一般世間の世法がまかり通っているということだ。
 ただし、軍隊ではそうしたドグマが凝縮され、濃厚になっているから、世間にある組織とは異質のものである、と庶民は思うわけだ。だが、事実は違う。庶民感覚が極限まで濃縮されれば、庶民も悪魔になれるのだ。
 しょせん、人間の作る組織など、大同小異であって、軍隊だけが特殊なわけではないということだろう。
 昨今のテロリストや民兵を見ていると、それが窺える。生活のために自爆テロをする市民。そういう人たちが、はからずもそれを証明していると思う。悲しいことだが、この部分の真の原因は貧困なんでしょうけどね。
 食えないから、家族を守りたくて、お金欲しさに自爆テロをするように洗脳されてゆく。そういう権力者の腐ったやりかたは、昔からあるのだ。自分は口だけ動かして、兵士を戦場に行かせるという、あれだ。
 だから、庶民は騙されちゃーいけないんだ。自分たちの中にも狂気になりうる精神があることを知っておくべきなのだ。その典型が「神風」ってことなのでしょう。
 権力者ってのは狡いんです。庶民のこの辺にあるスイッチを押せば、庶民は「神風スイッチ」が入るな……ということを知っていて、自分らの都合で、そのスイッチを押すということです。騙されないためには、学ぶしかありません。
 たぶんね、そのスイッチというのは、耳たぶとかの、くすぐった〜いとこにあるんです(笑)

 言語表現は快楽や悲哀を伝達しても、苦痛を伝達することはできないからであり、快楽は観念によって容易に点火されるが、苦痛は、同一条件化に置かれた肉体だけが頒ちうるものだからである。
(三島由紀夫)
 これは、まぁまぁそういうところは、あると思います。
 例えば、男子の場合、AVとか見ると、エロい気分にもなれますし、快楽に耽ることも出来るんです。ですが、戦争の映像を見ていても一向に苦痛は感じません。観念的にはキツイなぁという感情は湧きますが、それは肉体感覚からすると、薄いんですね。
 SMで考えてみると分かりやすいかもしれませんね(笑)。鞭うたれる映像を見ていても、そうした経験のない人は、たいした感情を沸かせないと思うのです。ですが、Sであり、鞭打った肉体感覚のある人は、その感触を思い出して快感に浸れ、Mの人は打たれている感覚を想起して興奮できるという寸法です。
 妖しい例えですんませんねぇ^^;
 そういえば、苦痛って時間の経過で忘れまよね。出産の痛みとか、忘れると聞いたことがありますしね。
 確かに、私も麻酔なしで、指先を縫ったときのあの激痛は、思い出そうとしても思い出せないんだな。いつまでも覚えていたら、生きてられないという、人間(生物)の優れた本能なのでしょうね。
 でも、楽しかったことは忘れない。イイネ☆^^ ビバ記憶機能!

 つまり、喜びはバーチャルでも、それなりに肉体感覚を呼びおこすんですが、苦痛は同じような経験をしていないと、共感することが大変に困難ということですね。同じような体験をしていても、それを意識的に想起しないと、同苦することは、難しいということでしょう。
 これは、大きな発見だなぁ。やはり同苦ってのは、三島の言う「同一条件化に置かれた肉体だけが頒ちうる」という考えは生かす必要ありですね。ひとつの会合のために、ひとつの場所に集まって、皆でひとつの目標を目指して頑張る。つまりは、そういう活動の中に同苦(と歓喜)があったりするわけでしょう。
 ひらたくいえば、「一緒に何かをする」。こうした体験(言い換えれば、肉体的体験を積むこと)で同苦する心が育ち、歓喜に感応する力も養えるということでしょう。
 
 他にも色々あったのですが、書いていると、語っていると、思索していると、きりがないので、この辺でやめておきます。
 「何のため」に学ぶのか、「何のため」に生かしてゆくのか、という問いと、その問いにたいする答えによって、一念の方向は、全く変わってしまいます。エロ知識や無駄知識にせずに、常に、金の汗になる学びでありたいものですネ☆


懐いな、コレ。いや別に理由はないんです。
記事が固かったので、なんだか陽気になりたかっただけです^^
オイラも踊りてえええぇぇぇ、みたいなね(笑)


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ipsilon at 03:19コメント(0)トラックバック(0) 

2013年05月29日

 あれは三年前のくらいのことですか……あぁ、懐かしいなぁ。
 おじさん、ひょんなことから、一人の女子高生とメル友になったんです。
 毎日のようにメールが来て、返事をしたっけか。
 犯罪にならないように気をつけてね! なんて知りあいにいわれました(笑)

 どんよりした雲が空をおおいつくしていた、ある日、私はバスに乗って出かけた。
 いまにも、空が泣き出しそうだった。
 でも、おじさんの心には青い空があった。

 街を歩きながら、メールでお喋りした。
 「あー、こっち雨降ってきたよ」
 「傘もってないんですか? 濡れちゃうじゃないですか 大丈夫ですか^^」
 いつもちゃんと敬語で話したEちゃん。
 「だいじょうぶ、買うから^^ ピンクにしようかなぁ」
 「いいですね、ピンク☆ 好きな色のを買うといいですヨ^^」
 「無難なベージュにしたよ^^」

 花屋さんの軒先で売っていた傘は、
 おじさんにとっては金色だった。
 空からは銀色の雨粒が降りそそいでいたけど、
 不思議と空は青く見えた。

 「雨の日には雨の日にしか、楽しめないことがあるんだヨ」
 「ほんとうですかぁ?^^」
 「たとえば、水溜りに写った空が綺麗とかネ」
 「そんな風に考えたことなかったです。素敵ですね^^」

 以上、おじさんのセンチメンタリズムでした(笑)
 Eちゃん、元気だといいなぁ。
 もう大学生になったんだろうなぁ。
 不思議なことなんだけど、ここ二、三年、私と縁する人は、とある地域の人が多いんです。
 Eちゃんも、そこの地域の子だった。
 ぬあ! もしも知りあった人のお子さんだったなら……@@
 と、馬鹿な妄想をしている場合じゃないんです(笑)。


Eちゃんが大好きだといっていた曲でも聞いて、いざや、鎌倉!



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ipsilon at 16:22コメント(2)トラックバック(0) 
 かなり難しい内容でした。おおざっぱに言えば、作家や文芸評論家の残した文章をもとに、昭和の精神史を述べた本です。ということは、当然、日本語の文章(ここでは文語体のこと)にも注視せざるをえない部分がありました。
 つまり、日本語の変遷と、日本人の精神の変化、という二つの流れを眺めていくという読み方が必要でした。
 そもそも、約550ページある文章が、全て旧かなづかいですので、読了するには、結構な根性がいると思います。
 100ページくらい読むと、慣れてくるので、大丈夫かとも思いますがね。というより、旧かなずかいの方が、文章の意味が読み取りやすいことに気がつきました。「ゐ」「ゑ」「さうして」などなど、どこでどう使われているか、ということが飲み込めてくると、非常に内容を掴みやすかったのです。
 例えば、「さうして」のさうは、「左様にして」という意味からきていますので、「さう」という字を読んだ時点で、文章の意味が的確にわかるということです。
 「ゐ」は「居る」「居た」という動詞のかな表記などですから、そこも意味がとりやすいのです。
 ――について書いてゐる――といった具合に「い」と「ゐ」が混ざっているのですが、規則を知っていれば、全く混乱などしないのです。

 はっきり言って、旧かなづかいの方が、優秀です。
 文中、川端康成の書いた、旧かなづかいでないと表現できない小説の一部を引用していたりして、いかに旧かなづかいが優れていたかは容易に理解できました。

 その旧かなづかいが何によって破壊されたのか。その要因を知ると、腹が立ちます。
 それは、口語体文章が増えてきたことによる、文語体と口語体の統一という目的であったり、言論統制であったり、GHQの占領政策によって起こったのだそうです。

 簡単に言えば、「こんにちは」。これは文語体です。つまり、文章として書くときには「は」が、一応は正解なのです。
 ですが、言葉として発音すると、「こんにちわ」になります。
 こうした違いを無くそうとして、文語体が破壊されたのだそうです。いわば、文語体を発音記号化した、といえましょう。
 しかし、これはおかしなことなのです。例えば外国語。英語の発音を正確に文字で表現することは、不可能なわけです。
 同様に現代の日本語でも、方言などでは、文字では表現できない発音など、ごまんとあるわけです。
 ですから、文語体と発音を統一しようというのは、そもそも不可能なことなのです。

 言論統制の恐ろしさはこういうところにあります。
 あたかも、良いことをしているように見せて、文化の奥行きを浅くし、文語だからできる、暗示や暗喩をこめた政治批判を駆逐しようとしてなされたのが、かなづかいの統制な訳です。
 文豪、森鴎外の猛烈な反対にあって、一度は統制をあきらめた連中が、鴎外の死の二年後に、鴎外に提出した統制案の内容に一切変更を加えず、いきなり統制案を施行したのは、昭和九年のことだそうです。酷い話です。
 GHQの占領政策にせよ、それに扇動された日本人自身(とくにジャーナリズム)、そしてあの戦争の終戦がもたらした虚無と価値観の転倒と崩壊。こうしたことが、日本の文化と、日本の言語と、日本人らしさを、自他両面から破壊したということです。
 はっきり言って、読んでいて腹が立ちまくりました(笑)。苛々しました(笑)。ムッキーでした……。

 米帝の勝者の理論による押しつけも頭に来れば、それに唯々諾々と従った日本人自身の腐った精神にもムカついたのです。ですが、それを非難しようもない、戦後の悲惨さもあるので、怒りのやりばがなく、なおさら腹立たしかったのです。この怒りどないすればええねん! ねん ねん ねん……(エコーかかってます:笑)みたいになりました。

 三島由紀夫が割腹自殺したことが、それを明瞭に物語り、彼の自決をもって昭和の精神が宿った時代は終わった。昭和の精神は死んだ、とそう筆写は述べています。
 明治が乃木希典の殉死で終わった、という理論と合わせて、そう言っていることには、説得力があると思えます。
 ちなみに、自殺(自死)と自決と殉死は全て意味が違いますので、そこは読み取ってくださると嬉しいですヨ。
 そういうことを立て分けていたのが、明治であり、昭和だったので、平成の人からしたら、全部自殺じゃん、と思われるのでしょうが、それだと明治人の心や、昭和人の心は理解できないのです。戦前、戦中の日本人たちは、本気で、死ぬことで故郷と大切な人々を守れる、とそう思っていたのですからね。

 ともかくも、過ぎ去った過去に郷愁を抱いても、立腹しても仕方がないのです。現当二世です。
 今生きている我々は、何を言ってみたところで、そうした昭和の精神を持っていた、いないに関わらず、あの時代を生きた人々の築き上げた社会の上で生きていることだけは確かなのです。
 ですからまず、先人たちに感謝することを忘れるべきではない。それだけは言えると思います。

 罪を憎んで人を憎ます。読んでいて、腹が立つことは沢山ありました。しかし、昭和という時代を生きた人々を憎むことはしたくないと思うのです。そもそも私なんかは昭和生まれですしね。
 ちなみに、自分が生きている今、という時代を批判、否定、非難することは自己否定に繋がりますので、それはあまりしないほうがよろしいかと思いますよ。ゆえに、自分が生きている時代というものは、評価することさえ難しいのだそうです。自分が今立っている場所を自分で測定しえないのがその理由です。
 ですから、物事は過去の歴史から学ぶべきなのだそうです。そこに歴史を学ぶ、本当の意味があるのだそうです。相対的、客観的に物事を見れるということですね。
 そういう意味でも、先人には感謝すべきですね。
 
 ともかくも、あの時代に間違っていたのは、思想であるのだ。
 この辺、詳しくは述べませんが、大東亜戦争の原因は、日蓮宗右派が陸軍の中央にいたことであり、それが、政治権力に食い込んだことによる、力の行使が要因なのです。一例をあげれば、石原莞爾がその一人です。二・二六事件の首謀者でありながら、罪を問われず、満州事変という軍の独断専行という既成事実を作ってしまったことで、極右の青年将校や軍閥を抑えることができなくなった。間違った思想、特に、正しい思想に非常に近い思想(良くできた偽札は罪が重いというあれ)、であったがために、一国そのものが総罰を受けることになったのです。法謗は恐ろしいのです。とても、とても恐ろしいのです。

 そして現代――。自衛隊の国軍化、平和憲法改正が叫ばれる昨今です。
 私はどちらにも絶対に反対します。
 『昭和精神史 戦後篇』の筆者ですら書いています――日本の国防は、国連などといった、国際主義の中で保っていかない限り、平和を築くことは(地政学上の意味でも)無理である、と。
 自国の戦力を強めることは、これ、世界の一員としての日本から脱して、日本を中心として世界を見るという傲慢な道を歩むことになるからです。日本、自己中化宣言とでも命名すればいいでしょうか。
 そもそも、米国との関係が並存的ですらなく、米軍の傘なくしては自国の安全すら確保できない中学生、日本が、何をもって威張ろうとするのでしょうか。私には意味不明な行動にしか思えません。
 では、米国と対等にすればいいというなら、当然、大幅な軍事費の増大、軍備の強化という条件を国民が飲まなければならないのです。当然、国民への税の負担が増え、福祉は顧みられなくなるのです。そして自己中化はなおのこと一層強化されるのです。恐ろしや、恐ろしや。
 いうまでもなく、米国と並立するなら、国民が核保有を認めるということになるはずです。そんな、サタンの手先になってたまるか!! です。

 あれぇ……これって昭和初期の構図とまったく一緒じゃないかい?
 そうなんです。気づいている人は、すでにそれに気づいているはずなんです。
 とはいっても、私などは目の前にある我が道を、不断の努力でもって、精一杯に、歩き続けることが、平和を創るということだったりするわけです。 毎日毎日の戦いの中で、平和は勝ち取るものである。
 日々にそういい聞かせているのでありまする。

 後程、心に引っかかった部分を、抜き書きしたいと思います。





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ipsilon at 05:07コメント(8)トラックバック(0) 
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