2013年12月

2013年12月29日



傍観者の利己主義っていうのは、まさにこいうことを言うんですよ。
グレーゴルの本質は何も変わってないんだけどねぇ。

でも、見た目が変わると、全部おかしくなったと思いこみ、
相手を、時には家族からも、忌避され、邪険にされるんです。

最後の最後に、家族で心安らかに、ピクニックに行くシーンのなんという悲しさよ。


というよりも、こうした小説を20代の青年が書いたという事実が凄いんだなぁ。
青年は、こうした視線を持っているべきだ。
わたしはそう思う。

青年であるかどうかは、自分自身が決めることでしょうがね。


わたしが以前『変身』を読んだときの、読後感想記事はこちらですね。

ipsilon at 15:13コメント(10)トラックバック(0) 

2013年12月28日



ipsilon at 11:46コメント(31)トラックバック(0) 

2013年12月27日

他人の書いた記事の文言を引用して、
その引用文に対してレスをつける方式。

>誰それが・・・云々。

つまりこれは愚痴であるよね。


上に示したものが、引用を用いた典型的な記事の書き方である。


わたしは、こういう手法をネットをはじめてすぐに止めることにした。
とあるコミュニティーサイトの掲示板で、こうした引用を用いた議論をして、
その手法がいかに不毛であるかに気づいたからだ。

つまり、引用に対して意見を述べるということは、
言葉尻を捉えた揚げ足取りになると気づいたからだ。
だから、私は極力引用を用いて自分の意見を述べることはしない。

でもさ、いまだにこういう手法の人が多いんですな。
わたしの目からすれば、もうそれだけで――
(ああ、この人は自分の心を相手に伝えることが苦手なんだな・・・)
とそう断定することが多い。

で、実際長いことやりとりを見ていると、大方その見方が間違いでないことがわかる。



そもそも正しい引用というのは、
自論の正しさを証明するために傍証として引くものである。
それを誤った使用法をするから、言葉尻を捉えた揚げ足取りになるのである。


わたしの経験からすれば、引用して議論すると、
必ずといっていいほど炎上するし、議論は不毛となる。

大切なのは、
相手が何を伝えたいのかを読み取り、
そして自分も何を伝えたいのかを言葉にするということなのだ。

だからわたしは、記事にであれコメントであれ、極力引用は使用しない。


自分の気持ちを、心を伝えるためにあるのが言葉です。
他人の非を責め、他人を責めるためにあるのが言葉ではありません。


いまだに(わたしは十数年前に引用を使うことを辞めたが)、引用を使用して、
自分の主張をされている方は、
こうしたことを、今一度考えてみて欲しいと思う。


自分の言葉で語る。
そこにはさ、そういう意味もあるんじゃないですか?

自分の言いたいことを言うために、
相手の文言を利用している自分がいませんか?
それでは力はつかないんですよ。

どうでもいいことに見えて、
実はこれ、物凄く大事なことなんですよ。


自分の言葉で語ろうとすれば、
自ずから自分のしてきた体験・経験からその言葉を探そうとして、自分をみつめることになるんです。

でもさ、他人の言葉尻を取って自己主張する癖がつくと、
いつまでたっても、自分を見つめる自分になれないんですよ。

仏法は内道です。
引用ひとつ、馬鹿にできないんです。
どこにでも、学べることはあるんです。

ipsilon at 07:11コメント(3)トラックバック(0) 
あいも変わらず、何もご理解されていませんね。
もう呆れ果ててしまうばかりです。

飲酒のうえのどうのこうの。
小さなことに目くじらを立てて、わざわざ記事を書いて、
その人を晒し者にする。
つまり、他人の恥となりえるかもしれないものを、公共の場所で平気な顔をして批判する。
それでご自分が正しいと主張される。
困った方たちだ。

今回のことで何か問題がおきたんですか?
とりかえしのつかないことが起こったんですか?
わたしにはそうは見えませんでしたけどね。

ええ、事前に事件・事故がおきそうなことは、注意喚起していく。それは辺り前のことです。
でもね、行き過ぎた注意喚起は、未だ来ていない未来のことを妄想し、
いらない不安を作りだすだけなんですよ。
いわゆる、「取り越し苦労」というものを作りだすだけなんですよ。
これ、心の病の原因ですよ。原因というより、要因ですらあるわけです。

心こそ、そういう言葉を口にしながら、心理学も学ばず、人の心を理解しようと努力し、
思いやろうとしない・・・。一体どういう感覚なのだ!?

そもそも、公共の場所で指摘することではないことを指摘する神経が、
わたしには信じられない。
そういうのを他人に恥をかかせるというのではないんですか?
そうした言動をいかにも正しい批判であるかのように、
平気な顔をして記事を書く。
心の機微もくそもあったものではない。

諸兄、重要な指摘をしてあげたいと思うなら、わたしはこうするべきだと思う。
つまり――
重要な指摘を個人的に伝えられる人間関係、信頼関係を築くことだ。
そうする努力を怠り、公共の場所で相手に恥をかかせる。
そんなやり方に人間性があるのか、考えてみるべきだ。
一対一の対話ってなんですか?
公共の場所で相手の過失を指摘することですか?
そんな訳はない。


例の飲酒の問題など、
わたしからすれば、すでに本人に私的かつ個人的に直接伝えてあることです。
知りあって、メールをしあうようになって、すぐに指摘させて頂いたことだ。
もっともそんなことを一々、こういう場所(つまり公共の場所)で発信する必要など、
これっぽちも無いことと判断していたから、一切触れてこなかっただけの話だ。
ご本人も反省されて、気をつけていることもわたしは知っているし、
そのことで、もう絶対にやらないと決めた事柄もあって、
そうしたことを報告さえしてくれている。

何も知りもしないで、知りあえる関係を築くこともせず、
勝手に判断し、認識して怒り、批判されないほうがいい。
わたしが一貫して言ってきていることは、まさにこいう事なのですよ。

知りもしないのに、あなたはヤバイ。
そう公共の場所で物知り顔に批判する。
される相手の気持ちがわからないのですか?
晒し者にされて、恥をかかされたんですよ。
あなたがそういうことをされて、いい気持ちがするんですか?

正しい指摘は受け入れるべきだ。
そうですよ、その通りですよ。
でもね、指摘のしかたに問題があれば、人はかえって反発するんですよ。
なぜそれがわからないのだ・・・。
そしてそうした指摘のしかた(人の振るまい)こそが大切なんじゃないんですか?

それが心の機微を知るということですよね。
なぜそこに視線を向けないのですか・・・。


なぜ私がある人に対して激怒したか。
その理由も諸兄は何も知らないはずですよ。
当然です。
わたしとその方が直接メールを交わして会話した内容を、
諸兄、あなたがたは知らないのだからね。
その内容と、今その方が発信していることは、正反対なんですよ。
まあそうなる現実もあろう。言ってみれば、世の中なんでもありですからね。

でもね、わたしは許しませんよ。誰かが許してもね。
なぜか?
そういう人がいかにも善人ぶってぶちあげた記事を信じて、
その人の二枚舌に気づかずに信奉してしまう信者を増やしたくないからです。
実際こうしたことに激怒されて、コメントされた方もいましたよね。
この方の視線が、正眼ですよ。


諸兄、あなたがたの見ているものは、表面が多すぎなのですよ。
実は見えないところにこそ大切な部分、重要な部分があるのです。

そうした部分を主張しているわたしは、もちろん誤解を受けます。
でも承知のうえなんですよ。

批判されない記事を書きなさい。
とある方が受けた指導です。

うんうん、そうだと思う。
でもまてよ、人間のやってることだぞ、100%はないなぁ。
ってことは、どんなに批判されないように気をつけても、批判されることはあるなぁ。
それが現実ですよね。
もちろん、批判されない記事を書く努力は絶対的に必要です。
それを怠ってよいという意味ではありません。


Le plus important est invisible
「大切なものは、目に見えない」
サン=テグジュペリ『星の王子さま』
そういうことなんですよ。



もうやーめた。
そういう姿勢を潔く見せましたよ。
わたしとやりあった方が、わたしと実際に記事をぶつけあった一時的な終末期にはね。

でも実際は違ったじゃないですか。
ただご自分のブログ・掲示板で批判するのを止めて、
他人の掲示板でづっと批判を書きつづけていたじゃないですか。
わたしは見逃してませんよ。

わたしの中に怒りをため込むことをし続けたのは、あの方ですよ。
そして、それに便乗した方が、何人もいたんですよ。
どれだけ私の心が傷つき、その傷を癒すために怒らざるを得ない状態、
(状態ですぞ、状況ではありませんよ)
になっているか、諸兄、あなたがたはご存知なのですか?

それでもまだネチネチと言ってくる。
最初から何度も言ってきたんですよ、わたしは。
放っておけばいい、とね。

共依存。
ええ、そうですよ。
諸兄、あなたがたこそ、
批判に敏感な共依存者なんですよ。

参考にリンクした記事を読めばそれは明確ですよ。
自立してれば、他人を批判などしないのですよ。

もっとも、自立していれば批判されたところで、堂々としているものでもありますよ。
でもね、わたしはその自立することがとても困難な病前体質(生育環境)の持ち主なですよ。
そのわたしを掴まえて批判し、諸兄、あなたがたは楽しんできたんだよ。
事実はその一点にある。

ほらまた病気や過去に執着して、心の病を言い訳にしてるよ。
まあそう言われるんだろう。
だがね、わたしが病前体質の持主だということは、厳然たる事実なんですよ。
いいですか、事実ですぞ。


もし仮に、わたしがもっと弱いに人間だったらどうなったでしょうかね?
多分、今よりもっと多くの方が傷つき、下手をしたらとりかえしのつかない事も起ったかもしれませんね。
例えば、私が自殺してしまったとかね。

だから、あえて厳しい状況の中で孤立を選んだんですよ。
自分から、誰かと接触することを断絶したんですよ。
それがいかに過酷なことか、残念ながらそれを知れる人は、ほとんどいないでしょうね。

孤立って言葉を使ってはいるが、
これはね、他人に甘えないで自立しよう。
わたしのそういう意志なんですよ。
だから、ここ数カ月、知り合った友人との関係も、
自ら接触を断ち、巻き込まないようにし、かつ自立できる自分になろうとしてきたんですわ。

そういう現実、知ってましたか?
知るわけないでしょ。
そういう状態・状況で湧き上がる怒りがいかなるものか、諸兄はご存知か?
わかるわけないんだ。

なら口を閉じなされ。
それだけだ。

わたしの発信していることを知りたい、理解したいと思うなら。
天涯孤独になってみてくださいよ。
それからわたしを批判してくださいね。
多分、批判なんてする気にもならなくなると思いますけどね。

無縁は恐いんですよ。
それがどれほど恐ろしいかは、文字じゃーわかりませんよ。
そのときに湧く怒りがどんなものか、文字じゃーわかりませんよ。


男子部時代、部員が集まって飲み会をしましたよ。
で、二次会、三次会、ベロンベロンになって友人宅に辿りついた。
友人の家に着いた瞬間、二人してベロンベロンのままご本尊の前に端坐して、
題目三唱。

「学会員てスゲーよな、どんなに酔っぱらっても、家に帰れば題目三唱する」
そんな言葉を交わしたことがありましたよ。

大切なのは、どんな状況・境遇にあっても、求める心ですわ。
飲むの飲まない、飲んだうえでどうのこうの、そんなのは枝葉ですよ。

もちろん、わたしの父も酒で死んだ人でしたから、
飲酒が病的な癖になるようであれば、本人のために厳重注意も必要ですよ。
でもそうだったのですかねぇ。
少なくともわたしにはそう見えませんでしたけどね。

わたしも一時期アルコール依存になった経験がある。
よし、絶対飲まないぞ。
そう決めて、誓いを立てて、
「今度飲んだら、この大事にしている水晶のネックレルを引きちぎって捨てる」
そう誓いましたとさ。

でも、仕事(ビアホールでのバイト)が終わってネオンの光る道を歩いていると、自然と足が向いちゃうんですよ。
で、誓いを破る。

「ああー、やっちまったよー・・・なんで俺こんな弱いんだ・・・」
そうやって自分を卑下し、自分を否定する。自分を卑下し、否定しても意味などないのにねぇ。
ましてや、本人が自覚しているであろうことを、わざわざご丁寧に指摘して批判されたらさ、
どういう気持ちがするか、おわかりになりませんか?


「でも誓いは誓いだ、よし、こいつを・・・」

そう口ずさんで、
ネックレスを引きちぎって、その辺にあった郵便ポストに投げ込みましたよ。
酔ってたから、やってること変だけどね。

飲んでる人だってね、
自分と戦ってるんですよ。
その見えない相手の心を見ずに、やってること(表面)だけ見て批判しなさるな。
もちっと温かい目で人の心を見て欲しいものですねぇ。

人は人、自分は自分。
いいじゃん、なんかこの人おかしい・・・
そういう小さな気持ちは自分の中にしまっておけば。
大きな問題は別だけどね。

共依存を馴れ合いと呼ぶ無神経さとかは、大きな問題ですよ。
大事なこと、ちゃんと峻別すべきじゃないんですか?


ともあれ、大事なのは思いやりです。
余計なお世話や批判、
ましてや、他人が書いた記事をもとに、自己主張するのはお辞めになったほうがよろしい。

自分の体験だけを語ればいいんじゃないですかぁ。


そうだ、もうひとつ言っておきますよ。

ある方が、わたしのブログのコメント欄を使って、あれこれしてもいい?
わたし、そう聞かれたことがあるんですよ。
でもね、拒否しましたよ。断固拒否しました。

ご自分でブログを立てなさい。
それが筋です。
他人のブログ、他人の場所であれこれしようとしてはなりません。

つまり――
自立を即したつもりですよ。
諸兄、あなたがたはこういう言動を共依存、馴れ合いと呼ぶのかね?

実際にその方は、ご自分ブログを立てて頑張って記事を書いてますよ。
自分でやってみなければ、わからないことなんて沢山あるんですよ。
自分でやってみてはじめて知ることのほうが、むしろ多いんですよ。
はじめてのことばかりで、わからないことばかりで、大変そうでしたよ。
どこをどう押せば何がどうなる。
まずもってそういうことからを一から学びながらですからね。
ですから、そりゃ〜トラブルもあったようですが、
全てが経験であり、学びだね、そう言って、どんどん良い方向に向かってますよね。

諸兄、なぜ諸兄は、その方のそういう苦労や努力を見ずして、
書かれた記事の文言だけを見て難癖をつけたがるのだい?
誰だってはじめてやるときはさ、失敗くらいするでしょ。
温かく見守ってあげるのが人格者じゃないんですか?


でもどうよ?
あちら側の人たちはさ・・・
他人の掲示板に入り浸って批判三昧。
こういうのを依存というんじゃないですか?

で、その批判をあえて公表して、憚らない管理人。
おいおい、どんな神経してるんだ・・・。

わたしが一貫して言い、実践してきたこと、気づいてましたか。
誰かがわたしのコメント欄で、あちら側を批判をしようとはじめたら、
常に止めてきたんですよ。できる限り止めてきたんですよ。
あなたは関わらないでいいんですよ。ご自分のことをやってください。
ずっとそう声をかけてきたんです。

せっかくわたしの味方になってくれようとした気持ちを排除し、
不愉快な思いをさせたかもしれません。
もしそんな気持ちを味あわせていたなら、その点は心から謝罪します。

でもね、わたしはあくまでも一人で戦う、誰も巻き込まないし、
誰かを味方に引きこんだつもりもないですよ。
ほらみろ、誰それさんも、わたしが正しいと言っているではないか、
そんな依存をしてきた覚えはない。

さあどうだ、
どっちが依存しあい、馴れ合い、ファミリーを作っているか、
まだこれでも判断がつきませんか?

そんなこと明確でしょ。


誰が仲裁しようが、誰が何を言おうが、わたしはわたしの立場で自分を貫く、それだけですよ。
約束はしました。
ですがね、あなた様は、どうしても我慢ならなかったら、怒ってもよい。
そうも言っていたはずですよね。

今、そういう状態ですよ、わたしは。

今わたしがいるのは、三年前の地獄と同じです。
その怒りがいかなるものかは、わたし自身が一番良く知っている。

ええ、目に見えるわたしへの批判、そういうもの全てに対して怒りますよ。
そう本人が明言してもまだ批判を繰り返すなら、
ここは怒りの表現しかないブログになるだけです。

でもいいでしょ、しょせん、ここのブログがどうなろうと、
そんなのしょせん、他人事だし、誰の腹も痛まないんだろうしね。

苦しむのはわたし。良く知ってますよ、そんなことは。


そうそう、あなた様がわたしに向けた言葉。
それを私はこう受け取りました。
あんたは黙って絵でも書いてればいいんだ――とね。

随分と上から目線ですね。
精神的におかしくなった状態で絵を描いて、それを売り物にしたり、
それを美術として評価したり、笑いものにしたりする流れもありますが、
わたしの中にある美とは、そういうものではありません。

わたしが欲しいものは、心の平穏です。
残念ながら、それを得るれるのは、自分の意志の力しかありませんから、
諸兄に何か期待をするのも間違いなことくらい、よくよく知っております。



それから、あることに対して、あなた様は「英断」と言いましたが、
別にそんなところはとっくの昔に気にしてませんでしたよ、わたしは。

ある人に言われました。
「確かに、一連のブログの記事は削除したけど、掲示板にいっぱ残ってるよ。
それでもいいの? アレも消させないとじゃない?」――とね。

その時、わたしはこういう言葉を返したんですよ。
「いや、いんですよ。本人が自覚して、削除してくださったんですから、それをわたしは尊重しますよ。
もちろん、掲示板に残っていることは知ってます。でもあそこは、もともと管理人さんが、独り言をつぶやく場所でしょ、そこの趣旨も理解せずに、図々しくコメントを投稿した人達に問題があるだけですよ、それだけのことです」――とね。

わたしは当初から、相手の気持ちも慮っていましたし、寛容であろうとしてきたんですよ。
表紙であるブログの本記事を潔く消してくれた、それで十分です、そういう気持ちだったんですよ。
あとは個人個人の運営方針に任せるしかないとね。

それをいまだに、どうのこうの仰って、掲示板ごと削除せよ、
そう気にしているのは、わたしではない、あなた様ですよ。

わたしはもうとっくの昔(数カ月前)に、そのことは自分の中で決着していたことです。
ですが、善意でされているのだろう。
そう判断していたので静観していただけですよ。

ご自分のされたいこと(つまり、あちら様の掲示板の削除)が実現することの邪魔を、
まるでわたしがしたかのような捉え方はいかがなものでしょうかねぇ。
当初の目的は仲裁ということのようですが、
わたしの思いなどどこふく風で、あなた様は突っ走っていませんでしたか?
そういう意味では、あの方も被害者になってしまって可哀そうだなぁ・・・。
そんな気持ちで見ていましたよ。
これ、お世辞なんかじゃないですよ。
わたしは、基本、記事にお世辞は書きませんから。
ええ、本音野郎ですからね(笑)

それでも、あなた様のしてくださったことは善意なのだろう。
そう受け止めてましたけどね。

結局、直接わたしと話をしなかった。
直接わたしの気持ちを知ろうとしなかった。
非常に残念なことですが、あなた様もあちら側の方々がした愚を犯してしまったのではないですか?

その点、吟味してくださると、嬉しい限りです。

ipsilon at 05:03コメント(88)トラックバック(0) 

2013年12月26日

とてもわかりやすい、カウンセラーの記事を見つけた。
共依存に興味のある方は、読んでみてください。

途中、素晴らしい一文がありますね。

以下に引用します。
相手が要求することを、あなたがしてあげることが与えることではなく、あなたがしてあげることが、相手の喜びになったり、相手のためになったりし、そのうえで自分自身も幸せだと感じることが、与えるということなのです。

ここ凄く大事なんですよ。
いな、こここそが大切なんですね。

わたしが良く口にしてきた言葉があります。
それは、
相手が必要としているものを与えるのではなく、
相手に必要なものを与えていくべきである。

端的に言えば「が」と「に」の違い違である。

そのうえで、自分も幸せを感じること。
それってなぁに?

ズバリ、激励ですよね。

激励しているつもりで、あれ? なんだかこっちが激励されてる気がするぞ。
そんな感覚を味わったことありませんか?

もし無いとしたら、それは間違った激励の仕方をしているのでしょう。
自分の意見や、思いを押し付けているのに、激励した。
そう思いこんでいることはありませんか?

激励したことで、
何だか、言いたかったことが言えた。
そういう自己満足感を抱きませんでしたか?
その激励は、恐らく間違いです。

幸せとは、自分の欲求が満足することではないからです。
幸せとは、相手が喜ぶ顔を見て、その歓喜した声を聞くことだからです。
そういう喜びが、自分の中から湧き上がってくるような激励をしていきたいなぁ。
そんな風に思いますね。

ちょっと前のこと。
とある方と、とある方のコメントのやりとりを見て、
わたしは嬉しくなったことがあります。

イプシロンさんには、随分厳しいことも言われたんです。
そう言ってくださったからです。


もしもわたしが、
相手が必要としている言葉を発したなら、恐らくそういったコメントはされなかったことでしょう。
どうやらわたしは、相手に必要な言葉を発せていたのだろう。
そのコメントを読んで、そんな気持ちになりました。

だってそうでしょ。
相手が必要としているものを与えれば、相手は素直に喜びますからね。
でも違った。
「随分厳しいことも言われた」。
そうその方は仰ってくれたわけです。

というか、
そのわたしの厳しい言葉を、
しかと受け止めて、自分を見つめ、
今、自分に必要なものを見つけ出したその方が、一番偉いんですよ。

わたしは、その方を、今でも心から尊敬していますよ。
立派だ、実に立派だと。




そういえば、元カノにはさぁ、
欲しがっているものを与えてばかりいたなぁ(笑)
そらぁあなた、関係ぶち壊れてあたりまえですよね。

でもさぁ、わたしって、ほんと手厳しい人だから、
相手に必要だと思うことを言うと、
大体の場合、相手が受止めきれなくて、引いちゃうんだよなぁ。

そんなことで、
相手が欲しがっているものを、ついつい与えてしまう・・・。

バランスの問題なんだろうなぁ。
むづかしいなぁ。





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