2014年05月

2014年05月31日

とにかく外に出る。
歩く、なにがなんでも体力を維持ないし向上させていく。
そのための手段など、どうでもいい。
そのときそのとき真剣でありさえすればいい。

シュリーマン『古代への情熱 ―シュリーマン自伝―』
何をした人? 知りたいなら調べてください。
情熱を燃やし続けるとはどういうことか、そういうことを学びたくて、
以前から読みたいと思っていた一書。

ショーペンハウエル『自殺について 他四篇』
自殺はいかん。そうちゃんと人に伝えられる表現力をつけたい。

アーシュラ・K・ル・グィン『言の葉の樹』
あの有名な(私は未読だが)レイ・ブラッドベリ『華氏451』とおそらくテーマは同じであろう。
世界中の文献が焚書されたらどうなるだろうか。
そういう思想統制を描いたのが『華氏451』だ。
本や言葉がどれほど人類文明に必要不可欠であるかを知れる一書であればと思い、購入。

野口敬『うつな人ほど強くなれる』
比較的最近の本である。
書店で見て、読みたいと思っていた一冊。
うつを前向きにとらえている表現が多い、それなりの良書かと思う。
確か、筆者自身もうつ経験者のはずだ。

ipsilon at 20:08コメント(0)トラックバック(0) 
『広布と人生を語る〔3〕』からの引用である。


それは、昭和二十五年のころからである。
(戸田先生は)暑い日も、寒い日も、朝八時すぎから、約一時間、一対一の御書の研鑽が始まった。

まだ、独身であった私は、朝起きられず、先生よりも遅れることも、しばしばあった。しかし、先生は決してしからず、悠然と待っていてくださった。


御書をひもとくのは「何のため」。
他人の教学が未熟であることを叩き斬り、自分を正当化するためか? ――否だ。

ネットであれ、リアルであれ、人材育成には時間がかかるものだろう。
それを弁えずして、むやみやたらに叱る。
叱る場所も叱る方法も考えずの一方通行。
そんなやり方が人間主義かどうか考えてみるといい。


先生の講義は、ひとすじに大法弘宣に直結し、大信力、大行力を呼び起こしゆく講義であった。

怨嫉することを煽り、苛立たせ、信力も行力も奪う講義など誰がしろと言った。
そんな講義、いや講釈など、ご免こうむる。


(日寛上人文段を拝され)次に『観心本尊』の文点を詳(つまび)らかにするとは、

問う、観心本尊の文点、古来の諸師或は『心の本尊を観る抄』と点じ、
或は『心を観る本尊抄』と点じ、
或は無点等なり。いずれの点を用ゆべきや。

答う、此等は並びに題の意に非ず。
今謹んで点じて云く『観心本尊抄』と云云

問う、教相の本尊・観心の本尊とは、文上脱益・迹門理の一念三千、これを教相の本尊と名づくるなり。
観心本尊とは、文底下種・本門の事の一念三千、これを観心の本尊と名づくなり。



私などが、解釈を付けくわえるべきところではない。
それぞれが納得できるまで、何度も唱題しながら、解釈を深めて頂ければ幸いだ。


また、ある人が“観心”について質問したときにも、戸田先生は「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」との御文を拝し、(中略)
大聖人の御意をもって拝するならば、「己心を観じて」とはすなわち御本尊を信じるの義であり、「十法界を見る」とは妙法蓮華経を唱うる義であることを明確にされた。

その結論は、ただ御本尊を信じて妙法を唱えれば、御本尊の十法界はまったく己心の十法界と合して一なりと観ずることができる――これを末法の観心というのである、とのお話であった。

要するに“観心”とは信心である。




何度も言ってきましたよ。

大事なのは、
一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり

と勧めずして、教学がどうの、御書がどうの、己義がどうのといったところで、
そんなものは枝葉末節であり、手練手管であり、方法論であり、手段であり、
全く目的から逸脱したものでしかありえないということだ。


僭越ながら言わして頂ければ、
ネットだとかで、教学を駆使して一大秘法、三大秘法を説いたところで、
それすなわち、教相の本尊を説くということにあたる。

はたから見れば――
(ああ、この人は教養も豊かである。教学力も抜群である)
そう見えるのだろうが、
そんな美文など必要ない。

苦悩する人々が欲しがっているのは、
「とにかく、御本尊を信じて、一遍でもいい、必死に真剣にお題目を唱えてみようよ! 必ず乗り越えられるよ!!」
そういう心ある激励なのだ。

そういうものを求めるのが、人間なのだ。
その“心の絆”が人を蘇生させるのだ。

教学は大切だ。
だがその教学を「何のため」に生かすかが問題なのだ。

引用した部分はほんのわずかだ。
しかし、この――
「昭和57年7月30日 第十回伸一会研修会」の内容は、
必読に値する。

信心とは何かをこれほど明確に指導してくださっているスピーチはないのではないかと思う。
ご興味のある方は、ご自分で探し出して、全文を読んで頂くようお願い申し上げます。

伸一会ですか……。
胸が痛いですわ。
名前負けしてるとか散々言われてきましたからね。
いいの、色々な伸一がいるんです。黄梅桃李!!

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ipsilon at 17:55コメント(2)トラックバック(0) 
以下、緑色の文字は辻武寿さんの著書より。

「開目抄」に「障(さわ)り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざるを嫉と名づく」
つまり怨嫉とは「会いたくない、聞きたくもない」という人のことをいうのです。

ですから、そうさせてしまう原因が自分のほうにないかと、とくに幹部は謙虚につねに、反省する必要があります。

1)傲慢で威張っていないか。
2)言葉が粗野で不愉快な思いをさせていないか
3)約束を破って無責任なことをしていないか
4)温かい思いやりがたりないで、冷たい感じを与えていないか
5)忙しさにとらわれて不親切になっていないか、等々。

怨嫉をすると、功徳を止めてしまうのみならず、罰をうけますから最も注意しなければなりません。
怨嫉するほうは当然悪いのですが、怨嫉されるほうも、よくよく反省する必要があります。
自分では怨嫉されていると思っていても、じつは怨嫉させている場合があるからです。



この状況をネットでいうなら、「見たくない、読みたくもない」が怨嫉ということだ。
他人に向かって「あいつの態度は、すなわち怨嫉だろ」
そう叩き斬る前に、自分が怨嫉させているかも顧みない人もいる。
そうしておいて、怨嫉したお前が悪い、そんなことをすると不幸になるのはあなただ。
とまあこんな具合にあくまでも「傲慢」で「威張って」いるわけだ。

はっきり言わないとわからないらいしので書くまでのことだ。

1)上から目線。自分のいっていることが絶対に正しいと言い切る姿。
2)こちらが挨拶をし、礼儀をもって接しても、そんなこと無かったかのような態度。
3)自分の言ったことを裏返す。自分の言動に無責任な態度。
――やばくなったら記事削除(笑)
4)理論理屈だけで相手をぶった斬る。人間としての温かみは皆無。
5)私は忙しいんです。あんたの相手なんかしてられません。
全部自分の都合。自分を敬わない相手にはすぐに怒る。

まあこれ、全部私がされてきたことですよ。


私ははじめから言ってきた。
すべては関係性だとね。

怨嫉するほうも悪ければ、させる方も悪いんだよ。

じゃあどうすりゃいいのさ?
話し合うしかないでしょ。
けどそういう姿勢も見せない。

んじゃ、こっちが話にいくしかないな、そういってコメントすれば、
関係ない人物まで現れて、恰好の餌のごとく罵倒され、馬鹿にされる。

怨嫉させといて、したお前が悪い、だ!?
いい加減にしてくださいよ。

「見たくもない、読みたくもない」
これじゃ怨嫉じゃねーか……。
そう気づいてたから、見ても平気、読んでも平気。
そうなる自分を築こうとしてきたんだよ。

そんなこと、誰ひとりわかっちゃいないじゃん。
ま、もういいですけどねー。

罰なんて怖くないですから。
「罰即利益」ですから。
臆病にては叶うべからず、ですから。

徹底的にやるよ。
2年でも、3年でもね。

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ipsilon at 17:01コメント(0)トラックバック(0) 
ようやく半分を過ぎた。
目を覆いたくなるような凄まじい人生だ。
よく生き残ってきたね、あなたは偉い。
そう心から褒めてあげたい。

私は、いわゆる心の病であるとか、精神疾患を症状や病名でくくることを嫌うものである。
仏法の観点で立てば、一念三千であり、色心不二であるからだ。
総合していえば、うつはうつとしてしか存在しないわけではない。

それは本人が抱える問題の一側面にすぎないのだ。
病名とは視野狭窄を起こさせ、他の側面を見させなくする、悪魔の呪文だ。
私はそう思っている。

本書のドナの場合。
自閉症という範疇だけで理解できるものでないことは明確だ。

ざっと見ただけでも、
ドナには、自閉症、統合失調症、AC、うつ、発達障害が見受けられる。
もちろん細かくあげればもっと沢山出てくる。
自傷癖とか、多重人格とか、云々。
もちろん、自己愛も非常に強いであろう。
所詮、病名などというものは、見る側が勝手につけるレッテルのようなものなのだ。

一体何を見ている、レッテルか? 目の前にいるその人なのか?
そこが問題なだけなんだけどね。

なぜそんなにも、ありのままの自分と違う自分を作り出してしまうのか。
外の世界(環境)との折り合いが上手にできない人というのは、
そうやって自分しか知りえない、自分の心を守るしかないからだ。

なぜそうなった?
それがわかれば誰も苦労しませんよ。
それでも本人はその原因を取り除こうと、それはもう死ぬような思いを何十回となく続けるのだ。
そしてそれは、襲いくる絶望、消えてしまいたい、ここにいたくない、生の否定、自殺願望へと繋がっていくのだ。

それを弱いと言うなら言え。
それこそ、愚か者のすることだがね。


わたしは自分がこのようにな人間になったのが、家庭環境のせいだとは思っていない。確かにうちは「正常」な家庭ではなかった。それよりもむしろ原因は、自分の意識と無意識が常に揺れ動いているような状態だった点にあると思う。家庭環境に左右されたのは、わたしの行動の一部だけであって、わたしの行動そのものではないと思うのだ。そしてまた、家族から暴力を受けたために自分を閉ざすようになったわけでもない、と思うのだ。むしろわたしは、暴力に対して、、、、、、心を閉ざしていたといった方がいい。暴力もまた、「世の中」の数多い要素のひとつだから。


ドナは、実に鋭い感性で自分を見つめていると思う。感嘆に値する。
誰のせいでもないよ、ただ意識と無意識が不安定なだけ。
いってみれば、これが彼女の宿命であろう。
家庭環境とか暴力は、そうした彼女の本質が、周囲に波及して、特に母親に虐待をうけたのだ、彼女はそう感じている。

かくいう私もね、自分史を書きあげてからは、そういう感覚なんですよ。
そんなことも、誰にも解りはしないのですがね。

暴力に対して心を閉じたドナ。
恐らくここだけ読んだ人からすれば意味不明だろう。
まあ凄まじいですよ。
学校から帰ってくるなり、母親に髪を引っ掴まれて、壁になんども叩きつけられる。
そして母は叫ぶ「なんであんたは泣かないんだ!」。

ドナは知っている、自分が泣きわめいて、「やめて!!」と叫ぶことで、
自分が相手の思うままになってしまうことを。
自分が自分の生を歩めないことを。

だから彼女は、何をされても無表情で暴力を無視するしかなかったのだ。
「世の中」にあるこういう要素。
人それぞれ違う要素。
その要素から自分を守ろうとすることがいけないことかい?
そんなはずはない。


それでも彼女は努力を続ける。
「正常」に生きれるようにと。

現実の手ざわりとして感じられるものは憎しみだけになってしまった。その憎しみを燃やしていない時は、わたしは自分が呼吸をしているのも、わずかばかりの場所を占めていることも、身が縮むほど申し訳ない気持ちになって、いたたまれないようになった。さらにはいたたまれないと感じることさえ、いたたまれないようになっていった。生への否定。生きる権利の拒絶。これが、正常にふるまおうとわたしが努力し続けた結果だったのである。
 わたしの世界の外側の人たちは皆、この状態を克服するには、正常にふるまう術をもっと磨いてゆくしかないと言った。だがそれが何を意味するのか、わたしは知っていた。それは、あるがままの自然なわたしは、受け容れるに値しない人間、どこにも属することのできない人間、つまり、生きている価値さえない人間、ということだったのだ。



それでもドナは幸せだったと思う。
確かに、ギリギリの綱渡りではあるんだけど、彼女は今まで読んできた部分からすると、
一人ぼっちにはなっていないんだな。

確かに、人に触れられることさえ、自分を壊されると感じて、徹底的に拒否してきたドナからすれば、
そこに友達がいようがいまいが、精神的には常に孤独だったのだろうし、自分の心を開きたいと思う人とは、本当の自分ではない自分で(いわゆる多重人格を使って)、コミュニケーションを取ることができたという面は、幸福に値するだろう。
もちろん、本人からすれば、それも苦痛以外の何物でもなかったんだけどね。

だってそれは、自分で自分の心に嘘をつき続けるということだからね。


本当の孤独は恐ろしいんだ。
私は知ってるよ。
7年間、そういう場所にいたからね。

ネトゲでネカマをすることで、人とコミュニケーションを取った時期。
確かにあのとき幸福は感じた。
けれども、そいつは自分でない自分を演じていただけのこと。
幸福感の奥には、埋めることなど到底不可能な孤独があったんだ。

その孤独に押しつぶされないために、偽りの自分でいるしかなかった。
そうしなければ、生きてさえいかれなかったんだよ。
これまで、それを理解している人は、恐らく一人もいないだろう。

かくいう私でさえ、こうして自分と向き合わなければ、
こうまで自分というものがはっきり見えることはなかったんだからね。



そう、逃げてきた。
あの引き籠った期間の自分を見つめなおすことをね。
そのことは誰よりも自分が知っている。

逃げて何が悪い!?

思い出すだけで自分が引き裂かれるような苦痛。
死ばかりを追い求めた日々。
誰がそんな日々を、砕け散ったあの頃の心を精緻に組み上げようと思うのだ?
その砕け散った欠片に触れただけで、僕の指は、心は血を流すというのに。

けれども、今はそれをしなければいけない時だと感じている。
死への恐怖が薄らいできたからね。

死んでもいい。知りたい自分を見つけ出せるなら死んでもいい。
それがいまの私だ。

近寄らない方が身のためですぞ。
このダークパワーは凄まじいから。
うつになりますよ。



infection――(毒病)の感染。

ふ、こんな文章をタイプしていても、ニヤニヤしている自分が――
気持ち悪いんだよ!!

ipsilon at 11:44コメント(4)トラックバック(0) 

2014年05月30日

ああ、ドナ、僕には君の気持ちがわかるよ。
なぜ孤立する? なぜ孤独になろうとする?

好き好んでそんなことを望む人がいるだろうか?
いはしない。
けれども、わかってもらえないんだよね。
わかるなぁ、その気持ち。

一番よくわかっていたのは暴力だ。これを「原体験」の結果というのなら、それはそれでいいだろう。確かにわたしには、親切よりも暴力の方が理解しやすかったからだ。親切の方がはるかに微妙でつかみにくく、しかも心を乱されるものだった。

人から受ける親切に対して、どんな顔をすればいいの?
どんな感情表現をすればいいんだい?
そう、単純にそれがわからないし、経験上そいうものがなかったんだよね。
ドナの泣き出したい気持ちは、痛いほどわかる。

だから、親切にされると、唯一知っている暴力を行使するしかなかった。
してくれたことに気づかなかったように振る舞う、――無視。
それで感情が動いたということを気づかれるのが嫌だと装う、――無関心。
抑揚のない感謝の言葉、――あ、そう……。

「なんでそんなことするんだよ!」
時に非難の言葉すら吐き出す。

外へ出ていって戦おうとする力と、自分の内にうずくまろうとする力。この逆方向のふたつの力は、わたしの中で激しく対立し、わたし本人がつぶれてしまいそうなほどだった。どちらも、わたしが「感じている」本物の感情だった。そしてわたしは、自分に手を差し伸ばしてくれようとする人たちにも、この矛盾した感情を、そのままぶつけていたのである。

理路整然とした論理を隙間なくならべ、蟻いっぴき通さない完ぺきな言葉の城壁を築く。
言い返せるものなら言ってみろ! 
自分の身を守るために、私が編みだした手段だ。
今でもそれはあまり変わっていない。
言論戦というか、屁理屈なら誰にも負けない自負がある。

かつてある人に言われた言葉がそれを証明している。
「あなたの話しているのを聞いていると、誘導されているような気がするけど、それでもあなたの言ってることが正しいと思えてくる。怖い……」と。

ショックだったな、そう言われたときは。
ああ、俺はそんな方法でしか自分を表現できていなかったのか……とね。
それからかな、自分から進んで話さなくなったのは。

素直に喜ぶ方法を学んでこなかったんだから仕方がない。
誰もお手本としてそういうものを見せてくれなかったんだから、しようがないじゃないか。

ある意味、わたしなんて人間は、
あらゆる感情を怒りというかたちでしか表現できなくなっていたんだろうね。

そんなことしてれば、当然孤独になりますよ。
でもさ、それしか出来なかったんだから仕方なかったんだよね。

インプットの能力は人一倍高い。
けど、アウトプットの能力は著しく低い。
それを特別だとか変だとかいうなら、いうがよい。

ようやく3分の1を読んだところだけど、素晴らしい。
自分をうまく表現できない自分と戦ってきたドナの姿は神々しくもある。

なにもこれは、この人に限ってのことではない。
あらゆる人がすべき自分との戦いであるはずなのに、
多くのひとびとは「普通」という形式にあぐらをかいて、
頑張っている人、戦っている人を蔑むのだ。
「あいつは変、理解不能、狂ってる」とね。

さすが驚天動地の娑婆世界だ(笑)

けどね、戦った人が最後には必ず勝つよ。
よく見ておくといい。


かなり前に、聖教誌上の名字の言にあった――
「わかって欲しい」「変わって欲しい」と思っているうちはまだまだだ、という言葉を書いた。
けれども今はその言葉が霞んで見える。

他人に対してそれを求めるのはよくない。
しかしね、自分に出来る、わかってもらえるような表現力を身に着けていこうとする努力は、必要なんだな。
そこを勘違いするなかれ、だ。

伝わらない人はいるよ。仕方ないよ。
僕にはそんな諦めの言葉は通用しない。
自分の表現力を高めていけば、理解不可能と思っている人にも理解してもらえる。
それが僕の戦いだ。

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ipsilon at 20:48コメント(0)トラックバック(0) 
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