2015年02月

2015年02月28日

人間には、「老者に対する嫌悪」があるが、これは「若者のおごり」である。
「病者に対する嫌悪」があるが、これは「健者のおごり」である。
「死者に対する嫌悪」があるが、これは「生者のおごり」である。

池田大作著『人生の座標』より。



だいぶ落ち着いて本をパラパラと眺めていられるようになってきた。
でもまだ、よーし、この本を読むぞ! という勢いでもない。

パラパラと本の頁を眺めていても、
ん? と気になるものはある。
何かを感じるからだろう。

感じたことに素直になり、読んでみる。
再び黙読。
三度、音読してみる。

うん、言ってること正しいね。
イイネ!

いたって単純w
いいと思ってもいない。
直感で正しいとわかるものです。
人間はそういう風に作られている。

その反対もある。
なんか嫌。
いたって単純w

それも素直に受け入れればいいだけ。
あえて理由は考えない。
考えるとややこしいことになるから。
そのうちわかるから、いいのいいのw

はははw
馬鹿でいいんですよ。もともと馬鹿なんだから〜^^
考えたって答えは出ません。
「今ここ」にいる自分を信じればいいんですよーだ。




ipsilon at 15:20コメント(3)トラックバック(0) 
それは、自分に勝つこと。

誰が本当の勝者なのか。
戦場で勇敢に戦い、百万人に勝った者か。
あるいは、ここにしかいないたった一つの自己に克った者か。
いったい誰がその者を負かすことができようか。
古来の神々でさえ、彼には勝てない。


――「ダンマパダ」第8章
『超訳 仏陀の言葉』より


自己超克。

超克=困難や苦しみにうちかち、それを乗りこえること。



動画の内容を簡単に述べれば、三つの分野というのは、
・自然にふれる
・体を動かす
・頭を動かす


廣瀬さんはそう言っている。

うーん、全て私が回復のためにやってきたことだ(笑)

自然の中に身を置くと、ありのままの自分でいいと思える。
とても楽になる。

体を動かすということも、自然の中に身を置くに似ている。
自然の中にというのは、環境の力で、
人間が本来持っている、ありのままの自分に生きる力を引き出すこと。
体を動かすということは、運動という自発能動の行為から、
ありのままの自分に生きる力を引き出すことと言っていいだろう。
労働の意味も、実はそこにある。
肉体や生命を維持するために、金を稼ぐために働くのではない。

だから、まずは、自然の中を歩く。
ただ歩く。
これは心の病の治療に最適なのだ。

加えて言うなら、このとき、目に映る風景や物事に対して、
なぜだろう? 不思議だな? と考えてみれば、なお良い。
三つめの頭を動かすというのは、そういう行為にあたる。

全て、私自身やってきたことだし、実体験として効果を確認してきたものだけに、
自信を持って言いきれる。

もちろん、頭を使うことは部屋にいてもできる。
クリエイティブなことをするが、これにあたる。

しかし、ここでは注意すべきことがある。
クリエイティブ=ほぼ完全な自発能動でなければならないということ。

テレビを見る、映画を見る。
こうしたことはクリエイティブにはあたらない。
無から有を作ろうとすることをクリエイティブというのだ。

とは言っても、完全な無など有りはしないので、何らかの縁は必要だ。
しかしそうであっても、比較的縁に紛動されないクリエイティブな行為は存在する。

こうしたことをよーく考えてみると。
クリエイティブ=芸術であることに気づく。

白紙に向かって絵を描く。
真っ白な時間と空間に音階とメロディーを植えつける。
真っ白な原稿用紙に、文字を連ね、物語を生み出す。

偏狭な人に言わせれば、それだって何がしかの縁(知識)があって、
模倣や引用であると言うわけだが、
ならばやってみるがよい。
そう言う人に限って、自分の作り出した作品など、ひとつも公開していない場合がほとんどだ。
他者の作品への批評・批判にあけくれているのが、そういう人。


人生も同じである。
自分という存在を一度真っ白にして、
思い通りの自分を描きだし、現実にそういう自分になろうとする。
これこそが戦いであり、
もっとも困難な戦いであろう。


廣瀬さんの言う通り、
世間は競争社会である。
競争に参加すれば、一握りの勝者とほとんど全ての敗者に分かれる。

こんな無駄な戦いに参加する意味があるだろうか?
社会生活を否定しているのではない。
だが、こうした思想がはびこる中に身を置いていれば、
朱に交われば……になるのは当然のことなのだ。
気がつけば、他人を蹴落とそうとしている自分に気づくことだろう。

独り犀のように歩むのは困難なのだ。
しかし、それこそが仏への道なのだ。

よき友人を持つとは、
独り犀のように歩む者同士の出会いである。
そこには、利害も損得もおべっかも、好嫌もない。

互いが互いの道を歩めるようにとの「励まし」以外、存在しない。
また、超克のための困難を分かち合おうという徳しか存在しない。



我が子の幸福を願わない両親がいるだろうか?
いはしない。
ならば、その声に耳を澄ませばいいではないか。

親だって完璧ではない。
思いの強さが仇になって、子どもに義務感を植えてしまうこともあるだろう。
ならば、それを義務だと受け取らず、権利だと考え直せばいいだけ。

親を許すことからはじめてみた私か言うのだから、
そう間違ってはいないと思うのだが……。

その先には、(なぁーんだ、自分がそう思い込んでいただけかぁー)という、
自分の執着や偏見があることに気づく。

喜びも悲しみも、
全て自分で選び自分の心に招きいれてきただけです。
だったら、それを描き直せるのは自分だけですよね。

だから、幸せへの道は、自分と戦うことでしかないのです。


まあ、私なんてね、大したことないの。
私の声、聞いたことない人多いんでしょうね。
じゃ、どうぞw


四年以上前なんだね。歌、音程はずしてるし!
ヘッタクソ!www

でも、弾きながら必死に歌ってるのはわかる。

ヘタでもいんだよ。
ありのままを見せる勇気が大事! とか言っておくw




ipsilon at 11:29コメント(6)トラックバック(0) 

2015年02月27日

自分が偉いのではない。支えてくれている人々が偉いのである。謙虚に感謝し、尊敬しなければならない。傲慢になり、独りよがりになった人間は、必ず堕落してしまうものだ。(『箴言集 四季の語らい』池田大作著より)


いつ頃からだろうか、私が語義や言葉に対して敏感になったのは?
元カノと出会ったのは、十数年前。
その頃に「あなたの言葉を大切にするところが素敵だ」なぁんてなぁことを言われたのだから、
結構まえのことなのでしょう。

でも、言葉や語義に敏感でいないと、人の心は見えないんですから、仕方ありません。

ではあっても、我見でこの言葉はこういう意味だよなと、勘違いしていて、
その言葉を耳にした瞬間に激怒したしまったことなど、数しれずであり、
そういった失敗など、語るに余るものがあったのも事実です。

謙虚=控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。
ああーイイネ! 慎ましい。この言葉は大好きです。

感謝=ありがたいと思う気持ちを表すこと。また、その気持ち。
ちゃんと調べるとですよ、「表すこと」の重要性もわかる。
ちゃんと相手に伝えていない感謝は感だけとか、謝だけなのよコレ……
とか思っておけば、自然に行動に表せるんじゃないでしょうか。

尊敬=その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。
二つの側面があるんですね。
目には見えない人格を認め、敬う。
目に見える行為や業績を認め、敬うとね。

こうして語義に敏感であると、なすべきことというのは、大概に、自然にわかってくるものではないでしょうか。

先の先生の箴言で言えば、
「〜しなければならない」と仰せのところは重要なわけです。
権利ではなく義務なんですよ。人間として生を受けたもののね。

また、傲慢になり〜には、「必ず」とは仰ってはいますが、「しまうものだ」で終わらせており、
そうならないこともある。
そうならない為には、という内容が前文になっているのではないでしょうか。

あくまで私見です。参考程度に留めておいてください。
どんな読み方をするかは、個人個人の感性のレベルによりますからね。

ですが、言葉というものは、辞書で決められたものだけではないということは、
知っておいて欲しいと思います。

縄文時代から数万年の時を費やされ、数多くの人々の思いが、
幸せに生きたい、生きよう! という希望や願いがこもっているんだ。
そういうことを心の奥底に持ってもらえたら嬉しいですね。

言葉を追及すれば、民俗学にゆきつきます。
民俗学の先には人間学があるのです。

そうしたことは、例えば、柳田國男の著作などをひもとけば、すんなり納得できることでしょう。

『青春対話』の中で先生は、
本を読み、文章を書き、自分の伝えたいことを伝える力を養えたことが、
私にとって最高の財であると言っていました。

私もそれこそが今生きる意味になっている。
もちろん、言葉だけじゃどうにも伝えようのないものがあるんです。
それは、行為にするしかないのです。

最近、そのことを痛感している。

遠い外国にいる人。顔も名前も知らない人。
そういう人にでも実は行為は出来る。
それが唱題ですよね。
だって、座って、声を出して、祈ってますでしょ。全身を使って。
それ自体が思いを込めた、崇高な行為になってるんですよ。



But if you just believe there's no way we can fall
どん底に落ちないと信じていれば、どん底になんて絶対に落ちない!





ipsilon at 20:14コメント(0)トラックバック(0) 


これは、漫画原作のアニメ『MONSTER(全73話)』の核になっているテーマを、寓話にしたてた部分。
「名前」の重要さ、「自分の人生を生きる」重要さを洞察している鋭い寓話。

誰かに名前を呼ばれるという行為は、
自分が「ここにいていいんだ」ともっとも深い部分で感じたり、
「自分は信じられている(許され、認められている)」と感じることだ。
難しく言えば、名前を呼ばれるということは、人にとって、
もっとも「自己認識欲求」を満たすものだということ。

私は、ほぼ完全引き籠りになった頃、ほぼ全く誰とも話さない生活を送った。
(それを生活と呼べるとは思わないが……)

ある日、コンビニで弁当を買った。
「お弁当温めますか?」
「あ、いいえ。いいです」
(久しぶりに自分の声をきいたな……)
(あ、俺の声ってこんなだったんだ……)

その時に沸き上がった感覚。
不思議なものだったが、忘れようのないものだった。

言えば、声もまた自己認識欲求を満たす、名前と同じような気持ちを呼び起こすと言えるだろう。


では、この社会で名前を持たないとは、どういうことだろうか?
ズバリ、「自分の人生を生きていない」ということだ。

親や学校、あるいは友人関係(環境)によって教示、指示されたことを、
自分の価値観の中心におき、
「そのように生きなければならない」と必死になることだ。
そう、「他人の人生を生きている」ということ。
自分の人生を他人の人生に、自ら縛りつけ、自ら自分で自分を奪う行為だ。
こんな苦しい生き方はない。

「なまえのないかいぶつ」は、それを端的に伝えているだろう。

かいぶつは、誰かに名前を呼んで欲しい。
あるいは、本当の自分自身の欲求を満たしたいのだ。
だから、誰かの中に入り込んでも、自己認証欲求は満たされず、空腹になり、
結局は相手を食べつくしてしまうという……。
(つまりそれは、他人の人生を生きることを、相手にも強要している姿と言える)
――支配欲である。
だが、それでは、いつまでたっても自分自身は満たされないし、
どんどん周囲を傷つける。


だったら、自分の欲求に素直になってみればいい。
「自分自身に生きればいい」じゃあないか。
だけど、それだけでは自分自身たりえない。
そう、誰かに名前を呼んでもらい、
「自分が自分」であることへの許し、認証がどうしても必要なのだ。


私自身、「ありのままでいんだ」「今の自分に自信を持っていいんだ」、
そう思えたのは、私を認めてくれた人がいたからだ。
それだけは確信をもって言える。
実体験をもって、そうなんだよ! と言える。



思い返せば、そのことを直感したのは、
D・カーネギー著『人を動かす』を読み始めた頃だ。
(感想・レビュー的な記事は今でも残っている)

いかなる人であれ、「認められる」ことで「許される」ことで、
人は「自分から進んで」行動を起こすということ

御書に曰く――
ほめられぬれば我が身の損ずるをもかへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり(諸法実相抄)

無論、なんでも褒めればいいとか、認めればいいということではない。
基準となるものはある。
それが何であるかは、言うまでもない。

よく考えてみると、唱題というのは、そういう(正しい)行為になっている。
仏の名を呼ぶ。
その声は自分の声だ。
その自分の声を心地よく思えるかどうか?
実はこれは重要なことだと、私は確信している。

呼んだ仏の名は、仏そのものである。完全無欠な仏である。
ゆえに、どんなに「他人の人生を歩んできてしまった」人であっても、
自然と真理(心の世界)と道理(現実世界)で、それにみあった正しい行為が出来るようになり、
「自分の人生を歩める自分」になれるということ。
そう、信じられればね。


ひたぶるに、必死になって、他人の人生を生きた結果どうなるか?
そう、誰にも認められず、許されず、名前すら呼んでもらえない。
つまり、孤立して孤独になる。

うん、私が経験してきたこと、そのものだ。

だから、私は他人の人生を生きることをやめた。
どんなに馬鹿にされようが、悪しざまに言われようが、自分の人生を生きることを選んだ。


アップルの創始者、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチも、そうしたことを言っている。



・点と点を繋げ(常に最高の選択をしていると考えろ。自分のやってきたことを全て肯定しろ)
・自分の人生を生きろ(死に直面したとき、はじめて今の重要さがわかる、だから、今日が最後の日だと思って生きろ)
・貪欲であれ、馬鹿であれ(自分の直感を信じろ。直感に従うことで馬鹿と思われようが気にするな)


どん底時代、月に一回、このスピーチを見てたんだな。
うーん、懐かしいw

日本人は“自分がない”というか、自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の信念に行動しない。いつも、他人がどうかを考える、格好とか、相手との上下関係を気にして生きている。(池田大作)

廣瀬さんの動画で言えば――
自分で感じ
自分で考え
自分で行動する


これを先生は――
自分の目で見て、
自分の頭で考え、
自分の信念に行動


と、仰っているわけ。
即ち、開目こそ最大事だということ。

我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし(開目抄)

これだけ覚えておけばいい!!
そうまで言われている一節である。
そう、これだけでいいのだ。
私は苦しくなると、なぜかこの御文が頭をよぎる。
昨日の唱題中もそうだった。

ともあれ、もっとも重要なのは、見ること、感じることです。
それをベースに考え、行動するわけだから、
よく見て、よく感じなければ、考えずに行動したのと同じだということ。

けれど、ここには、痛みがある。
例えば、戦争の惨禍を見ようとすれば、当然、目を背けたくなる心理が働き、
感じようとすれば、他者の痛みを疑似体験したり、共感しなければいけないからだ。

それに必要なのは慈愛であり、勇気だ。
痛みや苦しみを避けていたら、結局、損をするのは自分自身なのだ。


むー、「自分が偉いのではない、支えてくれている人が偉いのだ」という先生の言葉を書いておきたかったのだが、どうやら別の本を探していたようだ。
ま、時間を作って、今日中に書き出しますよ。

自分自身に生きることと、他者を敬うことは表裏一体だと伝えたいんです。
自分に生きようとし過ぎれば傲慢になる。
かといって、他者を敬い過ぎれば、自分の人生は歩めないんです。
自他ともに、差別することなく敬う。

全ては、いま何をする「時」か!?
これを知る智慧にこそある。
調和を創ることにこそある。

私はそう確信している。




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2015年02月26日

独りじめせずに、みんなに分け与えなさい。
何が恥ずかしいことかを知り、恥ずかしいことをしないように。
ケチケチすることもやめなさい。
物惜しみせず、どんなときでも気前よくしなさい。
信頼する気持ちを抱きなさい。疑うことなく、真っ直ぐに信じなさい。
信じる気持ちがあなたの大いなる財産であることを知りなさい。
これらのことを行えば、あなたは安らぎ、幸せを得ることができる。


――「ウダーナヴァルガ」第10章
超訳『仏陀の言葉』より



本来、恥とは、欲張ること、物惜しみすることであることがわかる。
人前で、鼻が垂れたから恥ではない。
勘違いしている場合ではない!w

信じて疑わない。

欲張らずに信じる。
それが――徳である、ということ。

現代人の考える徳とは相当違うというか、もっとシンプルなのが仏法。




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