2015年04月
2015年04月30日
どんな世界の人であっても、一流と呼ばれるような人のやっていることは、
仏法にあい通じている。
イチローの場合。
同じことを毎日、同じように繰り返す。
多分、あらゆる物事の中で、もっとも困難なことであり、
もっとも困難な「自分とのたたかい」であろう。
言い方を変えれば、自分の決めたことを決めたとおりに実行するということ。
イチローの場合、(この動画までの期間でしょうが)
7年間、同じ食事や生活を繰り返しているということ。
わたしのような一般人にあてはめれば、
その日、あるいはその月の予定を、坦々とこなしていくということ。
そう言い換えてみればいいだろう。
後半、イチローと茂木健一郎が興味深い対談をしている。
「脳科学的には、同じ所作を繰り返すと、集中力が高まるということは、あるんですか?」
「ありますよ、無意識を扱おうと思ったら、それしかやる方法がないって言うかね……」
――と。
哲学者アランも著書『幸福論』の中で、同じことを言っている。
所作は非常に重要である。
所作を身に着けることで、無意識層を働かせることが出来る、とね。
動画の中で、イチローもそう言ってますよね。
「意識してないですよ」と。
これこそ、信仰(ようするに信心)する意味ですよね。
勤行・唱題。
同じことを同じように、毎日繰り返す。
イチローや茂木氏の話している内容そのものですからね。
結果どうなるか?
イチローの言ってる通りのことが起こりますよね。
「自然にそうなる」んです。
もちろん、そこに至るまでに、イチローの「こうなるんだ」という
強い意志とたゆまぬ(同じことを繰り返す)努力があるのは、
動画を見ていればわかると思います。
動画の中でイチローは(友人との会話で)それをこんな風に語っている。
「精神ていうのは限界ってあると思うんだよね」と。
「(人から見ると)重圧を超えてるように見えるんだよね、でも超えてないんだよね」と。
このことは、別の部分でもイチロー、触れてますね。
「毎回越えられない壁があって、超えよう、超えようとしてきた。
でも超えられなかった、でも今回は超えれるという淡い期待を感じるんだよね」と。
つまり、「確信」が深まったということですよね。
そういう生き方(自分とのたたかい)をイチローは「技術」と言っているのでしょう。
イチローは半分は気づいているんでしょう。
超えられそうで超えられない壁――「自分とのたたかい」は、多分一生続くんだろう……と。
要するに、そいう確信を深めている。
そういう確信を深めているから――
「来た来た来た! おっしじゃあ自分から懸けてやろう!」
そうなれる(重圧は必ずあるけど、重圧に負けないんですよ)と、言っているわけでしょう。
結局、イチローのやっていること、言っていることを見ていると、
彼は徹底的に「自分とのたたかい」をしているのだと気づく。
精神力の限界を知り、その上にあるものが「信念」であると気づき、
その信念(自分の決意)に基づいて、(同じことの繰り返し=実際は同じことではないのだが)に、
「挑戦」し「続けて」いるということでしょうね。
それをもう少し一般人にも伝わりやすく、
言葉として体現しているのが、野村克也あたりではないだろうか。
両者の言ってる内容を見ていると、本質的には同じことを言っていると思う。
で、お前は何をしてたんだ? と。
ずっと自分を観察してましたよ。
ずっと、ずっとね。どん底で。
俺の弱点はどこなんだ? とね。
同じことを繰り返すのが非常に苦手。
(=飽きっぽい)。
自分の決めたことをやり通すのが苦手。
(=周囲の変化に翻弄されやすい)
自分の決めたことに取り組むと、それしか見えなくなる。
自分で書いてて、笑ってしまうくらい、極端なんですね。
ようするに、縁に紛動されやすいってこと。
どうすればいい?
答えは明快。
自分が縁を紛動させればいい。
ノムさん、別の動画でもいいこと言ってました。
キャッチャーというポジションは全体が見える。
ということは、理想がよく見えるんだ。
だが、理想と現実(試合の結果など)は違う。
その間隙を埋め合わせるために「ボヤいて」るんだ――と。
まあだけどね、そのボヤキが無くなったら、僕の人生、終わりみたいなもんですよ――と。
大事なのは、その「ボヤキ」が、愚痴と文句ではなく、
「こうしたら良くなるかもね」という楽観主義に基づくものであるということだろう。
イチロー、最後のほうでいいこと言ってますよね。
背面キャッチは自分のためにやっている。
結果、それを見た人が喜んでくれたら、それでいい。
これでしょ、仏法者としてやるべき実践て。
他人のことをとやかく書いたり言ったりばかり。
「自行化他に」を勘違いしているのか何なのか知らないが、
他人のことをあれこれ書いている文言を見るだけで、激しく腹が立つ。
その他人をあれこれを見て、自分はどう思い、感じ、
そして何をしたか、あるいは何をしようとしているのか?
この、「己は何をしようとしているのか」を考察していない人が多すぎる。
化他ばかりいうと必ず傲慢になる。
自分が自分が、ばかり言うと、自己中になる。
だから、両方見ていきなさい。
先生もそう指導されてますけどね。
それが本当の自行・化他でしょ。
もっとも、深い部分で言えば、
自他に境なんてないんだから、
自行だけを宣揚するのもおかしいし、
化他ばかり言うのもおかしいことなんですよ。
ということでしょ。
結局、イチローの言ってることが正しいわけだし、
ノムさんの言ってることが仏法なんだな。
己を知り、己を生かす。
その結果が化他になってればいいということ。
つまり――人としての振舞い。
これに尽きるということ。
なぜそうなるかと言えば、
普通、周りの人のやってることなんかは、見ようとしなくれも見えるし感じるし、
見てるものだからです。
他人のことはよく見えるという論理があるからです。
だから、まず己を知れと、ノムさんは言っているのでしょう。
これを総合的に言っているのが、ナポレオンも座右の銘にしていたと言われる、孫子の言であろう。
すなわち――
彼を知り己を知れば百戦殆からず
言えば、ここ最近わたしがしていたことも、これなんだけどね。
周囲の状況に自分はどう反応するのか(してしまうのか)?
そういう自己観察を続けていたということ。
孫子曰く――
本当に知るからこそ避けるべき時は速やかに避け、時宜を見定めて為すべき時に為し、足らざる所があればそれを補って後に為す、故に百戦して危うからずという。
時を知る。結局、仏法の極意はこれなんですよね。
というか、孫子の言う――
なお、敗れない・失敗しないということは、必ず勝つ・成功するということではない。
ということを勘違いしている人も多いですよね。
勝たなきゃいけない。必勝でなきゃ、完勝でなきゃいけない……みたいにね。
先生はそんな指導されてないはずだけどね。
孫子の言ってる通りをことを伝えようとしてるはずだが、
勘違いして、必ず勝たなきゃ駄目みたいに言う人が、まあ多いですね。
でも、気にする必要はないと思う。
無知なんだから、仕方ないですよね。
ようするに「〜であらねばならぬ」思考。
そういう人は、他者に強迫観念を植え付けているということに気づいてないということ。
世間でいう勝ち組、負け組とかいう捉え方も、
ようは無知ゆえということに気づくと、
負け組、ゴミカス言われてもさ、屁でもなくなる。
最近のわたしなんかそう。
心が変われば態度が変わる 態度が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる 運命が変われば人生が変わる。ヒンズーの教え
ただ心こそ大切なれ。
その「心」とは、具体的に何なのか?
それはここにあるとおりだ。
仏法にあい通じている。
イチローの場合。
同じことを毎日、同じように繰り返す。
多分、あらゆる物事の中で、もっとも困難なことであり、
もっとも困難な「自分とのたたかい」であろう。
言い方を変えれば、自分の決めたことを決めたとおりに実行するということ。
イチローの場合、(この動画までの期間でしょうが)
7年間、同じ食事や生活を繰り返しているということ。
わたしのような一般人にあてはめれば、
その日、あるいはその月の予定を、坦々とこなしていくということ。
そう言い換えてみればいいだろう。
後半、イチローと茂木健一郎が興味深い対談をしている。
「脳科学的には、同じ所作を繰り返すと、集中力が高まるということは、あるんですか?」
「ありますよ、無意識を扱おうと思ったら、それしかやる方法がないって言うかね……」
――と。
哲学者アランも著書『幸福論』の中で、同じことを言っている。
所作は非常に重要である。
所作を身に着けることで、無意識層を働かせることが出来る、とね。
動画の中で、イチローもそう言ってますよね。
「意識してないですよ」と。
これこそ、信仰(ようするに信心)する意味ですよね。
勤行・唱題。
同じことを同じように、毎日繰り返す。
イチローや茂木氏の話している内容そのものですからね。
結果どうなるか?
イチローの言ってる通りのことが起こりますよね。
「自然にそうなる」んです。
もちろん、そこに至るまでに、イチローの「こうなるんだ」という
強い意志とたゆまぬ(同じことを繰り返す)努力があるのは、
動画を見ていればわかると思います。
動画の中でイチローは(友人との会話で)それをこんな風に語っている。
「精神ていうのは限界ってあると思うんだよね」と。
「(人から見ると)重圧を超えてるように見えるんだよね、でも超えてないんだよね」と。
このことは、別の部分でもイチロー、触れてますね。
「毎回越えられない壁があって、超えよう、超えようとしてきた。
でも超えられなかった、でも今回は超えれるという淡い期待を感じるんだよね」と。
つまり、「確信」が深まったということですよね。
そういう生き方(自分とのたたかい)をイチローは「技術」と言っているのでしょう。
イチローは半分は気づいているんでしょう。
超えられそうで超えられない壁――「自分とのたたかい」は、多分一生続くんだろう……と。
要するに、そいう確信を深めている。
そういう確信を深めているから――
「来た来た来た! おっしじゃあ自分から懸けてやろう!」
そうなれる(重圧は必ずあるけど、重圧に負けないんですよ)と、言っているわけでしょう。
結局、イチローのやっていること、言っていることを見ていると、
彼は徹底的に「自分とのたたかい」をしているのだと気づく。
精神力の限界を知り、その上にあるものが「信念」であると気づき、
その信念(自分の決意)に基づいて、(同じことの繰り返し=実際は同じことではないのだが)に、
「挑戦」し「続けて」いるということでしょうね。
それをもう少し一般人にも伝わりやすく、
言葉として体現しているのが、野村克也あたりではないだろうか。
両者の言ってる内容を見ていると、本質的には同じことを言っていると思う。
で、お前は何をしてたんだ? と。
ずっと自分を観察してましたよ。
ずっと、ずっとね。どん底で。
俺の弱点はどこなんだ? とね。
同じことを繰り返すのが非常に苦手。
(=飽きっぽい)。
自分の決めたことをやり通すのが苦手。
(=周囲の変化に翻弄されやすい)
自分の決めたことに取り組むと、それしか見えなくなる。
自分で書いてて、笑ってしまうくらい、極端なんですね。
ようするに、縁に紛動されやすいってこと。
どうすればいい?
答えは明快。
自分が縁を紛動させればいい。
ノムさん、別の動画でもいいこと言ってました。
キャッチャーというポジションは全体が見える。
ということは、理想がよく見えるんだ。
だが、理想と現実(試合の結果など)は違う。
その間隙を埋め合わせるために「ボヤいて」るんだ――と。
まあだけどね、そのボヤキが無くなったら、僕の人生、終わりみたいなもんですよ――と。
大事なのは、その「ボヤキ」が、愚痴と文句ではなく、
「こうしたら良くなるかもね」という楽観主義に基づくものであるということだろう。
イチロー、最後のほうでいいこと言ってますよね。
背面キャッチは自分のためにやっている。
結果、それを見た人が喜んでくれたら、それでいい。
これでしょ、仏法者としてやるべき実践て。
他人のことをとやかく書いたり言ったりばかり。
「自行化他に」を勘違いしているのか何なのか知らないが、
他人のことをあれこれ書いている文言を見るだけで、激しく腹が立つ。
その他人をあれこれを見て、自分はどう思い、感じ、
そして何をしたか、あるいは何をしようとしているのか?
この、「己は何をしようとしているのか」を考察していない人が多すぎる。
化他ばかりいうと必ず傲慢になる。
自分が自分が、ばかり言うと、自己中になる。
だから、両方見ていきなさい。
先生もそう指導されてますけどね。
それが本当の自行・化他でしょ。
もっとも、深い部分で言えば、
自他に境なんてないんだから、
自行だけを宣揚するのもおかしいし、
化他ばかり言うのもおかしいことなんですよ。
ということでしょ。
結局、イチローの言ってることが正しいわけだし、
ノムさんの言ってることが仏法なんだな。
己を知り、己を生かす。
その結果が化他になってればいいということ。
つまり――人としての振舞い。
これに尽きるということ。
なぜそうなるかと言えば、
普通、周りの人のやってることなんかは、見ようとしなくれも見えるし感じるし、
見てるものだからです。
他人のことはよく見えるという論理があるからです。
だから、まず己を知れと、ノムさんは言っているのでしょう。
これを総合的に言っているのが、ナポレオンも座右の銘にしていたと言われる、孫子の言であろう。
すなわち――
彼を知り己を知れば百戦殆からず
言えば、ここ最近わたしがしていたことも、これなんだけどね。
周囲の状況に自分はどう反応するのか(してしまうのか)?
そういう自己観察を続けていたということ。
孫子曰く――
本当に知るからこそ避けるべき時は速やかに避け、時宜を見定めて為すべき時に為し、足らざる所があればそれを補って後に為す、故に百戦して危うからずという。
時を知る。結局、仏法の極意はこれなんですよね。
というか、孫子の言う――
なお、敗れない・失敗しないということは、必ず勝つ・成功するということではない。
ということを勘違いしている人も多いですよね。
勝たなきゃいけない。必勝でなきゃ、完勝でなきゃいけない……みたいにね。
先生はそんな指導されてないはずだけどね。
孫子の言ってる通りをことを伝えようとしてるはずだが、
勘違いして、必ず勝たなきゃ駄目みたいに言う人が、まあ多いですね。
でも、気にする必要はないと思う。
無知なんだから、仕方ないですよね。
ようするに「〜であらねばならぬ」思考。
そういう人は、他者に強迫観念を植え付けているということに気づいてないということ。
世間でいう勝ち組、負け組とかいう捉え方も、
ようは無知ゆえということに気づくと、
負け組、ゴミカス言われてもさ、屁でもなくなる。
最近のわたしなんかそう。
心が変われば態度が変わる 態度が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる 運命が変われば人生が変わる。ヒンズーの教え
ただ心こそ大切なれ。
その「心」とは、具体的に何なのか?
それはここにあるとおりだ。
ipsilon at 18:25
2015年04月29日
なにが凄いかって?
誰もやってないことをやったから凄いし、偉いんだよ。
別の言い方をすれば、自分にしかできないことをしたから偉いんだよ。
どんなに人に馬鹿にされようとね。
その自分にしかできないことは、
自分が苦悩して地獄のどん底で味わったものの中からしか見つからない。
この動画は、それを物語っている。
「俺は心から、チャンピイのことを褒めてあげたことがあったか?」
塩屋さんの、この一言に尽きる。
心を通じ合わせるということは、ここからはじまる。
他人の批判やら、他人の感情を煽る言葉ばかりが蔓延るこの世界に、
正直、今また絶望している。
どんなことでもいい、なにか頑張っていることを見つけ出して、
褒めることひとつできないで、
いかなる価値を創造できるというのだ?
河相さんがどうしてもチャンピイに伝えたかったことがあるといった言葉。
創造はその心から起こる。
ありがとう。
塩屋さんの奥さんが、夫の健康を案じていった言葉は、
奥さんの「心から」のものだった。
塩屋さんが、自分など顧みずに盲導犬を育てると決意したのも、
「心から」のものだった。
互いが「心から」の思いをぶつけあっても、大喧嘩になることはある。
でも、それは互いが互いを心から思いあってるからなんだよと、教えた愛犬アスター。
偉いね。
犬は本音だけで生きている。
人間は本音と建前で生きている、
という塩屋さんの言葉の通りだと思う。
わたしはどうだ?
いつも、ほとんど本音で生きてきたし、
そういう生き方しかできない。
それでいいんだと思う。
「いくら盲人になってみようとしても、盲人にはなれないし、理解もできない」
塩屋さんのこの一言に、この人の誠実さが如実に現れている。
わかりもしないことを知ったかぶりしない謙虚さって素晴らしいね。
「金持ちの道楽に付き合うために、調教してきたことに失望した」
この気持ちも痛いほど共感できる。
自分に嘘をついてまで、生きるための手段に媚びたくはないという気持ちだよね。
ま、いいや。
僕が取り戻したいのは、たった一つだけだ。
ありがとう、という心だけだ。
ipsilon at 20:33