2019年02月08日

吉田昌生『マンドフルネス瞑想入門』

備忘録がてら、瞑想と仏教思想のことを記しておく。

どうも人間というのは、言葉やその意味、思考に支配されやすいものだ。
「マインドフルネス」という言葉を目にし耳にすれば、それは「100%今ここ」にあることだと極論しがちなようだ。
しかし、そうした極端な思考は危険であろう。

では瞑想という言葉はどうか? 本作ではマインドフルネスな状態にあること、あるいはその状態に到達するという意味で瞑想という言葉を使っているようだが、これもまた危ない部分があるだろう。
ようするに、言葉というのも縁起と同じように、関係性、全体の文脈のなかでどのように使われているかということを勘案することが重要なのだろうということだ。

例えば、本書で紹介されている、一点集中(サマタ瞑想)と全体集中(ヴィッパサナー瞑想)などへの解説も、そのように全体観のなかでどのような位置にあるのかを考えて見なければ、二つの瞑想の意義も見えてこないのではないかということだ。

一点集中が重要。そう見てしまえば、偏りが生じる。かつてのわたしもそんな風になっていた。
しかし、これを仏教の教える中道に当てはめて見るならば、どうだろう。
一点集中も大事、しかし全体集中も大事、どちらかを選ぶのではなく、二つを両立させたとき、はじめて理想的な瞑想のありかたが見えてくるのではないだろうか。

おそらくそうした両立は、実際には以下のような感じになるだろう。
常に、流れ去ってゆく思考と感情を眺めていながら、それを眺めているだけの「本当の自分」を感じている、と。

現実、われわれのほとんどは、常に流れ去ってゆく感情と思考を自分だと思いこんでいるのだが、本当の自分というのは、そういった感情・思考をただ眺めている存在であると気づくために瞑想をするということになろう。

しかし残念なことに(かつてのわたしもそうだったが)、多くの人は、流れ去ってゆく感情や思考こそ自分だと執着し、喜怒哀楽を楽しみ味わい尽くし、思考に執着して、自分は正しくて相手は間違っているといった論争をしているわけだ。
その思いこみによる執着こそ、苦の根源だと喝破したのが釈迦だというわけだ。
いやそれは、今ここで身体的反応にじょうじて起った感情に過ぎないよ、いやそれは今ここで記憶から引き出されて起こった思考に過ぎないよ。それはあなたでも何でもない。いなむしろ、それを端然と眺めて、「あ、今起こった感情はこれこれ」、「今起こった思考はこれこれ」というように、それを見ている意識こそ、本当のあなたですよと気づいた状態に目覚めなさいと教えたのが仏陀なわけだ。
だから、仏陀という言葉には「目覚めた人」という意味があるわけだ。

感情や思考は俺じゃない。この俺様はそれを見ている存在だという視点を立脚点にしていることを「目覚めている」つまり悟っているというわけだろう。
しかしこう言われたとしても、簡単にそのように思えないのが人間だろう。
だったら瞑想してみたら? というのがわたしの考え。
もっともこの考えも、今ここで起こった思考にすぎない。
本当のわたしは、何もしていないし、何もしないのだ。ただ見てるだけ。
そうした感覚を日蓮あたりは、「はたらかず、つくろわず、もとのまま」といって表現したのだろう。

去年の12月くらいに、わたしは、悟り=変性意識状態だとか夢中になって記事を書いたが、それは言い過ぎだったのだろう。
だが、これもまた否定はできない。無念無想を目指すとしても、それは自己制御できないとあったからだ。
瞑想して無念無想に達するのもまた時の運、縁起任せ。人事を尽くして天命を待てということだからだ。
なら結論として言えるのは、コツコツ地道に毎日やり続けるしかないよね、となるわけだ。

ともあれ、変性意識=悟りという思考はその時に考えたものであって、今はそれよりもっと納得できる結論に辿りついたというだけだ。
なぜそういうことが出来るかといえば、思考はただ流れ去るもの、本体の自分はそれを見ている存在だということを薄々ながらも以前から感じとっていたからだ。

しかし多くの人はいまだ自分というものがそういう存在形式をとっていることに気づいていないから、ある時に辿りついた思考や思想こそ最上かつ絶対に正しいと信じ、執着して、それを正当化するためにわざわざ苦しい思いを自らしているのだろう。

ある人がある時、わたしを評して、あそこまで考え方が変わるとか異常だと言っていたことがあるが、むしろわたしに言わせるなら、いつまでもある時に考えついた思考をまるで金科玉条のごとく後生大事にして、それに執着するなど、愚かの極みだと見えているということだ。そん時と今じゃ状況が違うやろってことだ。
本来流れ去る思考に執着して苦しむなど、自分の思考で自分を苦しめ、自分で自分を狭めていることにほかならないからだ。

じゃあ悟りってなあに? と問われたなら、今はこう答えるだろう。
自分のなかを流れ去ってゆく感情と思考を眺めている自分がいることに常に気づいている状態、と。

じゃ感情ってなに?
感情とは身体の反応が情になって現れたものだ。
身体が快の状態にあれば、嬉しいとか楽しいという感情がわく。
身体が不快の状態にあれば、痛いとか苦しいとかいう感情がわく。
それだけのことだ。
本当の自分はそれを見ているだけだ。だが多くの人は、その痛いとか苦しいとか楽しいとか嬉しいというのが、自分であると勘違いしているのだ。

ただ起こってきたもの。そのまま放置すると問題があるから、痛かったら姿勢を変えるとか云々、その時その時に対処すればいだけ。そのためにこそそれを見ている、それに気づけける「本当の自分」があるのだから。

思考もまた同じだ。
今起こった思考がくだらないものであるなら、それについて考えることを止めればいいだけ。
そのように思考を制御する立場にあるのが「本当の自分」なのだが、多くの人は思考こそ自分そのものであると思いこみ、勘違いするというわけだ。

もうすぐ煙草なくなるな。買いにいかないと。でももう深夜だから、あそこにあるちょっと遠いコンビニまでいかないとか……面倒くせー!!
これは単なる思考だ。そして注意を注いでいれば、それを見ている「本当の自分」がいることに気づけるはずだ。本当の自分は、今、なんちゃって自分君がこう思考しているのだということを見て知っているというわけだ。
そして、面倒くせー!! から続けて起り、習慣化する思考の癖(怠惰性)を作らないために、本当の自分を使って、「面倒くせー」という思考を変えればいいだけだ。
いや、面倒くさくはないだろ。無くなったらそこまで歩いて行って買うだけ。ていうか、今それを考えても意味ない。無くなったときに行動するかしないか決めればいいだけ。以上終了! そのようにすればいいだけだ。

瞑想する目的は、このような自分になるためだ。
それが「今ここを100%生きる」という意味でのマインドフルネスだろう。
それ以外に瞑想の目的などありはしない。

そういう意味では比喩と譬喩の違いなんかも知っておくといいのかもしれない。
比喩というのは、頭の中にある概念を現実世界の物的現象に置きかえて理解する手段。
譬喩というのはその逆で、現実世界にある物的現象を概念にして理解するものである。
ひらがなで書くと同じ「ひゆ」なのだが、実はベクトルの方向が反対なのだ。

わたしも最近しって驚いたわけだが。


しかし本作を読んで一番大事だと感じたのは、怒りは二次的感情だという部分だ。
ああ、だから釈迦も怒りを最低のものといっていたのか、と。
つまりこうだ。怒りというのは、恐怖、あるいは惨めさという感情がまずあって、それが変化して怒りになるということだそうだ。
だから怒りを駆逐する方法は、怒りの底に在る恐怖や惨めさを自分がどのように捉えているか、あるいは捉えてきたかを見つけ出し、そういった怒りが湧く思考の癖を変える思考で上書きすればいわけだ。

恐怖があるから、それを払いのけたくなって、攻撃的になる。これが怒り。
惨めさがあるから、それを払いのけたくなって、自己正当化しようとして怒る。
そういうメカニズムがあることを知っておくべきだということだろう。
無理矢理に怒っては「ならない」などとやると、抑うつになるということだ。
怒りが湧いたら、なんちゃって俺っちは何を恐れていやがんだ? 何を惨めだと思いこんでいやがんだ? と「本当の自分」を使って見つけ出し、駆逐すればいいというわけだ。

まあ、もっと言えば、首や肩、あるいは体の一部に緊張があると、それが怒りの感情になりやすいなどという事も知っておくとよいだろう。だから身体脱落、脱落身体などが大事なのだ。
自分の身体をよく見て、力が入っていることに気づいたら、力を抜くという癖をつけることも大事なのだろう。
定期的に深呼吸しながら生活するだけでも、感情に翻弄されなくなりますけどね(実体験)。


瞑想だけは毎日やる。最優先事項。そう決めて実践しているので、ここ数日、なんちゃって俺っちは、傍若無人に振る舞えなくなってきているのだ。

それにしても、龍樹の観察力は凄いと感心しましたよ。
縁起も縁起によって起こっている。
これも、なんちゃって俺と「本当の自分」の関係性を語ってもいるのだろうから。
起こってくる感情や思考は縁起によるもの。その感情や思考を見ている「本当の自分」もまた、その縁起によって起こる縁起だといえるわけだから。


いろいろな意見があるのは知っているし、基本受け入れるスタンスなのだが、本書に付属しているCDにある声が不快とか言っている人がいて、思わず笑ってしまった。
いやあなた、そういう感情や思考に憑りつかれ、呑み込まれてる時点で、瞑想のなんたるかを全く理解できていないじゃないか、と。
瞑想するより、カント哲学――すべては主観である――あたりから学び直したほうがいいんだろうなと思ったわけだ。

ともあれ、最近は、もう諦念なのだ。
ゲーテも言っているし、そこから学んだ水木さんなんかも言ってるが、世の中の9割以上の人は馬鹿であり(失敬!)、いくらこっちが真剣に気づく手助けをしてあげたいと思ってもそもそも無理なんだということを深く実感したというわけ。
残り1割以下の人に向けて頑張るのも悪いことじゃないけど、それはしんどいのだ。
だったら、自分が成長することに力を注ぐ方が100倍もまし。そういう方向に強くシフトしつつあるのだ。

昔のわたしなら、このような記事ももう少し丁寧に書くのだがという感じだ。


自分の瞑想の深さを知るのに、十牛図なんかも便利だろう。
暴れる牛=感情や思考を自己統御していくさまが、4くらいまでか。
5では自己の感情と思考をほぼ制御し、6になると「本当の自分」が完全に感情と思考の操縦者になっている。
7では「本当の自分」と感情と思考が一致してしまったので、もはや制御する必要がなくなった状態。
8はいわゆる無念無想。9は、無為自然で無我の境地だろう。自然と一体になった状態か。
10は己が得た境地を人に勧める利他行というわけだ。

本書で推薦されている段階は、4の得牛あたりだろう。
しかし、こうしたことを知っているなら、10をいきなり目指すのはどうかと思うが、6の 騎牛帰家、または7の忘牛存人(仏法を捨てる)くらいまで到達したいものだ。

ちなみに、流れ去る感情と思考をただ見ている「本当の自分」を常に意識すると、それまであまり血流がゆきわたっていなかった脳の部位に血が流れて、脳が変わっていくことが科学的にわかってきているらしい。
また、「本当の自分」を活かさずに、感情と思考に憑りつかれ呑み込まれた生活を続けていると、アルツハイマーや認知症になりやすいことも、ある程度わかってきているそうだ。

ipsilon at 01:44コメント(0)  

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