2019年02月11日

J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』

すばらしい作品だ。
いうなれば、主人公のホールデンはアダルト・チルドレンなのだろうが。

しかし、そういうACのホールデンのほうが、ある意味では利己主義に陥っているインチキで下司な大人よりよほどまともな人間なのだが、インチキで下司な大人がこの作品を読むと、主人公のホールデンがクレイジーな奴にしか見えないのだろう。

なぜホールデンのほうがまともなのか?
それを知るきかっけは本作の有名な一文にあるだろう。

とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ。


つまりホールデンの信条というのは、「今ここ」に生きている健全な子どものような心をもつ人たちが、窮地に陥ったときに助けてあげたいというものだということだ。

では翻って、作品冒頭から26章まであるうちの20章過ぎまでずっと描かれ続けるホールデンを囲む人はどうなのか?
例えば、アクリーとストラドレーターはどうだろう。彼らは学生寮の部屋でホールデンと会話をしていても、ホールデンと向き合っていないではないか。アクリーは爪をほじり、爪を切っている。ストラドレーターはデートのことばかり考えてただけだ。その場所に一緒にいるのに、向きあおうとすらしない、こんな連中をホールデンがインチキな下司野郎だというのは当然のことだ。

その後登場する様々な人物は皆がみなそんな連中だ。
「今ここ」にいるホールデンなど見ていない、「いつかあそこ」にいるかもしれないホールデンを見て、あれこれ説教を垂れたり、あるいは全くホールデンなど見ていないで、彼を利用して自己の利益をはかったり、彼に媚びたり、あるいは騙してうまく利益を引き出すことしか考えてないというわけだ。

ホテルで出あったインチキで下司な三人娘をなどその典型だ。そこにいれば映画スターに会えるかもしれない。目的はそれだけ。ホールデンのことなど、これっぽちも興味がない。
まあ、世間のインチキ下司野郎なんてこんなものであることは、私ごときでも嫌というほど味わってきた。
そしてそのように振る舞える人こそ大人だというのなら、そんな社会は糞だと私はずっと思ってきたんだ。
だから、いまだに社会もそういう大人も糞だと思ってる。

死ぬような苦労をしながら仕事をしたって、評価されるのは俺じゃない。した仕事の結果だ。俺自身が評価されたことなどこれっぽちもなかった。俺がどんな努力をしようと苦労をしようと、そんなものは見ない。
そして、死ぬような苦労をしながら仕事をして、失敗でもしようものなら、仕事の結果じゃなく、責められるのは俺という人格だというわけ。

そういうものの見方を自己顕示欲だというなら言えばいい。
でも人間てのはそんな卑小なものなのか? やった仕事とか結果だけしか見てもらえないで、仕事をやっ本人なんかいなかったのと同じでいいのか? そんな社会で誰が生きていこうと思うんだ。馬鹿らしい。
ホールデンだってそう考えたのは当たり前だろう。
そんな糞社会がまともで当然と思ってる大人がインチキで下司野郎であることなんか自明の理じゃないか。

けれども、彼には妹のフィービーがいた。救いの神だ。
フィービーはいつでも「今ここ」を生きている。ホールデンと一緒にいれば、同じ時間同じ空間を生き、正面からぶつかってゆく。

だけれども、そのフィービーも微妙な年齢、10歳になっていたことで、どんなに兄であるホールデンが止めようとしても止められない自己意思を持ちはじめ、それを彼の眼前に見せつけるわけだ。
そして、ホールデンははじめて大人の位置に立って、そうした妹を見たときに気づくのだ。

僕は(フィービー)が木馬から落ちやしないかと心配でなくもなかったけど、何も言わず、何もしないで、黙ってやらせておいた。子供ってのは、かりに金色の輪なら輪を掴もうとしたときには、やらせておくより仕方がなくて、なんにも言っちゃいけないんだ。落ちるときには落ちるんだけど、なんか言っちゃいけないんだよ。


と。
ホールデンが大人になった瞬間だ。
べつにこういうことは子供に限らないだろう。大人に対してだっておなじということだ。
けれども、そういうことがわからないインチキ下司野郎どもは、偉そうに社会批判だの政治批判だの、他人に文句をつけて思いどおりに相手を支配しようとするわけ。つまりは、そういう奴らこそが大人になれない子供じみた糞連中だってことなのだ。

ともあれ終盤のメリーゴーランドの場面の美しいことよ。
フィービーは自分の人生という回転木馬に乗る。定期的に頭上を過ぎてゆく金の輪を掴もうと、木馬のうえでジャンプする。それは人生で廻りくるチャンスを掴もうとするということだ。落ちたら危ないから、コケてどこかぶつけるとといって彼女を止めることは、彼女が人生のなかで自分の力でチャンスを掴もうとすることを奪うものだ。例え落馬して頭をうって死のうが、それは彼女がチャンスを掴もうとした溌剌たる意志からだ。仕方がないのだ。見守っている意外に何もできないのだ。
見てる人間がとやかく言ったり、止めたりする権利などない。

そして、フィービーがメリーゴーランドに乗る前に、雨が降ってくる。
彼女は兄が濡れないように、彼のポケットにあった赤いハンチングの帽子を被せて、メリーゴーランドに向かう。
彼女の出来るのはそこまで。兄であるホールデンは木馬に乗る妹を見守りながらも、バケツをひっくり返したような雨、つまりホールデンの人生にはまたホールデンに襲いかかってくるものがあって、それに対処しなければならない。妹を見守りながらもという場面なのだ。

なんとも美しく哀しいものだ、人生とは。
自分自身に生きるもの同士の関係というのは。


(墓に入った)人の腹の上に花束をのっけたり、いろんなくだらないことをやるだろう。死んでから花をほしがる奴なんているもんか。一人もいやしないよ。



それにしても、本作はまともに解釈されない作品のようだ。
というか、真理や真実を述べているいる作品とはそういうものだろう。

「今ここ」に生きることの重要さがわかっているなら、冒頭の一文を読んだだけで、サリンジャーの伝えんとしていることはわかるからだ。

もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどんなだったのとか、僕の両親は何をやってたとか、そういった《デーヴィット・カパーフィールド》式のくだらないことから聞きたがるかもしれないけど、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだ。

このとおり。「今ここ」いる僕と向き合うつもりがないなら、読まないでもいいぜと言っているのだ。
それはつまり、人を偏見や先入観でしか見れないなら、読むなといっているのと同じだ。

主人公のホールデンは、実はまともで、子どものように純粋で、「今ここ」で相手と真剣に向き合えるような人が、窮地に陥ったときに助けてあげたいという考えだが、それについては、こうも言っている。

未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。


ようするにこれは、世の中がインチキで下司野郎ばかりだから、理想を求めていきようとすると、とてもじゃないが生きていけない。だから、理想を少しでも達成させようと思うなら、卑小な生をいきながら、地道に少しづつ伝えていくしかないということだ。
加えて、サリンジャーはそのために、ホールデンに今はそのような力をつけるために、少しでも学び、知識と教養をつけることが大事だもいうわけだ。

まあ、そうだろうね。インチキな下司野郎たちに理想を伝えるためには、それなりの上手い言いまわし、あるいは、こいつにはいくらいっても無駄だという見極めが出来るようになっていなければ、苦しむのは自分なのだから。


実際のサリンジャーも相当に酷い目にあったうえでの実体験なのだろう。
第二次世界大戦で陸軍に志願し、国のためにと戦ったのに、兵士など捨て駒というように扱われ、「ナチスが敵なのか他が敵なのかわからなくなった」とまで本作でも語っているのだから。
その後、PTSDを抱えながらも必死に作家活動をして、有名になったはいいが、インチキで下司野郎どもは、スキャンダルとか偏見や先入観やただの興味本位でサリンジャーを追いかけまわした。
「今ここ」の彼と真摯に向き合うような人はごくごく僅かだった。
そんなだから、晩年は家を高い柵で囲い、ほとんど隠遁者のように暮らしたのだと。

詳しくは語られていないが、ホールデと両親のあいだに何かしら、ぎくしゃくしたものがあって、匂わせてあるだけだが、彼が性的虐待を受けていたような節もあるわけだ。
それが原因で、アダルトチルドレンが見せる典型的な振る舞い、「突然意味不明に、あることをやりたくなる(激情的)」とか「ピエロを演じる」とか「思わず嘘をついてしまう」とか「突然、気になることが眼前に浮かぶ(氷のはった湖にいる家鴨は冬どうしているか?)」とか、ACのロスト・ワン型(いない子)の心情を強く感じているとかあるわけだ。

まあ、鈍感でインチキな下司野郎どもが、そんなことは読み取れないのだろうし、そもそも、この作品が発表された時期(1951年)は、いまだアダルトチルドレンのアの字さえ世間的に認知されていなかったことを考えれば(ACが認知されはじめたのは、アメリカでも80年代だから)、本作がいかに先進的で先見の明があったかはわかるものだ。

ホールデンは氷のはった湖にいる家鴨は冬どうしているか? を何人にも質問するが、誰もそんなことは気にもかけない。
だが、ホールデンは気になったことは自分の眼で確かめにいくわけだ。こういうところにも、彼の「今ここ」という感覚や現実にたいして真摯に生きようとしているのは感じられるわけだ。
偏見や先入観で判断し、あるいは、そんなこと俺が知るかよ!! とインチキで下司な野郎どもは、みんなそう答えたわけだが。
わからないならわからない、知らないなら知らない、素直にそう答えればいいだけなものを、知らないと馬鹿にされると思って、知ったかぶりをしたり、短気を起こして怒りだしたりとね。
さすがはインチキな下司野郎どもだってことだ。


それにしても、本作はあまりにも歪められすぎているだろう。
タイトルの邦題『ライ麦畑でつかまえて』ってさ、原題、『The Catcher in the Rye』の誤訳じゃないか。意訳とかのレベルじゃないだろ。
まともに訳すなら『ライ麦畑のお助け人』とでもなるはずなのに、まるで反対の意味の邦訳とか、どうかしてるだろ。
ホールデンの掴まえ役になりたいという気持ちの裏には、自分を掴まえてくれる人が欲しかったのだろうという「勝手な推測」でもってつけた邦題だろうに。人の心なんて、表裏一体なんだから、ホールデンにそういう気持ちがあったことはまず間違いないが、だからって、勝手にタイトルの意味を反対にしていいことにはならないだろうに。
こんな勝手なことされて、ここまで歪められ続けている作品も珍しいだろう。

こんなだから、世の中はインチキで下司野郎ばっかだと簡単にわかっちゃうんだよ。
久々に、世の中に対する怒りが爆発だわい。
なんでもかんでも、自己都合で歪めやがる。それだけでなく、その歪めたものが真実だとか事実だとかいって人びとを騙しまくってる。まあ、その騙されてる連中がまた傑作で、自分たちが騙されてることにさえ気づかず、俺たちこそが審美眼もすぐれた優秀な存在なのだと勘違いして粋がってるというわけ。
ホールデンもサリンジャーも狂人であるとか、発達障害であるとか言ってな。
というか、そもそもよくそんなことが言えるもんだよな。人を差別して見下す発言がなんでできるんだろうな。きっと触れられても感じないくらい神経がず太いんだろうよ。

インチキ下司野郎どもに失笑、閉口ものだ。噴飯ものだ。エンガチョ! だ。


だいたいさ、タイトルにある「ライ麦」ってのにどんな暗喩があるのか考えることができれば、サリンジャーの言わんとしてることくらい普通にわかるもんだ。

ライ麦っていうのは痩せた寒冷の土地でも生える麦。でもって、18世紀以降は小麦などの生産が盤石になったことから、見向きもされなくなった麦の一種だ。またかつては主食だったがが、ローマ時代では、貧乏人が食べるもの。そういう地位に落ちたものだ。

主人公の名前見てみろってんだ。
hold-en -Caul-field じゃねーか。
Caulは生まれてくるときの羊膜のことであり、頭を覆っていたりするので、災難よけのお守りの意味がある。
つまり、自分を守るのは自分が生まれたときにもってきたもの、それと誰かを抱きとめる憐みの心(Hold)。


冒頭に出てくる名前なんてなってんだよ。
デイヴィッド、カッパーフィールドだろうが。
デビッドてのは貸し方、カッパーは銅。つまり金、銀、銅とかいう金でなんでもかたをつけようとする人種への皮肉であり暗喩だろうが。

ともあれ、例えそういう寒酷で貧乏な位置にいても、誰かのお助け人になりたい。それがサリンジャーがホールデンを通して伝えたかった、人間の本性にある自然な感情だろうが。
ルソーの言う自然権の二つのうちの一つだろうが。
「自己愛」と「憐み」だ。
どんな野生人であろうと、人間として生まれた以上、誰でもそういうものがあるということだ。

んま、インチキな下司野郎になると、「自己愛」しかもってないのかもしれんがなあ。
ホールデンの兄弟が赤毛だとか、彼が赤いハンチング帽子を気に入ってかぶるのだって暗喩だろ。
赤毛ってのは、昔からマイノリティで差別を受けてきた歴史があんだよ。
『赤毛のアン』というタイトルにだって、そういう暗喩があるんだよ。

ipsilon at 09:52コメント(0)  

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