2016年07月

2016年07月31日

・昭和63年(1988年) 9月17日
・第9回本部幹部会
・創価文化会館


11巻からはじめた抜き書きも、18巻にまでくると、真の創価魂とは何か? 正しい信心の姿勢というのは何かは大方書き尽したといってもいいだろう。
それはつまり、先生がいかに多角的に基本的なものごとの本質を繰り返し繰り返し、教えてくださっているかの証左であろう。
突き詰めていえば、
・絶対平和主義
・生命尊厳
・非暴力による実ある言論運動
ということになるだろう。

今回のスピーチをこの3項目でいうなら、非暴力による実ある言論運動、つまり「真実を語る(折伏)」とはいかなることかといえよう。それは、以下の先生の言葉からはっきりわかる。

何が真実であり、何が虚構であるか。「憶測」や「想像」、そして大袈裟な「誇張」した情報が氾濫する現代にあって、私どもはあらゆる情報の本質、真偽を見抜く鋭い“眼”をもたねばならない。

では、真実を見抜くにはどうすればいいのか?

一人一人と、いかに人間的な絆を強め、揺るぎない「信頼」を得ていくかがカギであり、すべての出発点となる。(中略)
「信頼」は「誠実」の二字から生まれる。ウソも誇張もなく、まじめに、真摯に行動してこそ、崩れざる「信頼関係」が築かれることをリーダーである皆さま方は絶対に忘れてはならない。

――と。

このあと先生は、世界の動向として以下の3点を示されている。

仝充村腟舛梁翔。
大衆・民主革命の進展。
女性の役割の増大。
――と。

しかし、この点に関しては個々人がしっかりと、今現在の世界の動向を考えていくことが重要であると思うので、割愛させて頂く。
しかしここで先生が言わんとしておられるのは、いくら世界の動向が読める眼をもっていても、それが「真実を見抜く炯眼」でなければ意味がない、いなむしろ害悪にさえなるということを、言外に伝えんとしているであろうことは注目しておくべきではないだろうか。
またそうした視点の基本は先生が一番はじめに提示された「一人一人と――」という視点を忘れないことという部分があることも、心に銘記すべきだろう。

組織のための人間なのか?
人間のための組織なのか?

自分はどちらの側についているのか? という問いかけと言いかえることもできよう。


そして先生はここでひとつ実例(体育祭での挿話)をひいて話をつづけられる。
先生がやりたいと思い提案した体育祭は、理事室の了解を得られなかったこと。そのため、戸田先生に相談して実現させたという挿話だ。

一人の青年が真剣に考え、やってみたいと提案したこと。組織には組織の決まりがあるとそれを無下に許可しないということはどういうことなのか?
つまりそれは組織を守るための決断であり、一人の青年を守るための決断ではなかったということである。

であるから、戸田先生はそうした理事室の保身と臆病を見抜き、
「広布のためであるなら、自分が責任を持つから存分にやりなさい」と一人の青年を(人間池田先生を)守られたのだ。


僭越ながら、わたしも男子部時代に似たような経験をしたことがある。
当時人材不足だったわが部。それを放置していた部長にわたしは噛みついた。
なんでそうなんです? 誰かがやらなきゃ人は育たないじゃないですか? 誰もやらないならわたしがやりますよ! と。
ご想像のとおり、険悪で大変な空気になりました。
「だけどよー、組織には決まりってもんがあるんだよ……」と部長。
しかし、それでも部長は上の幹部に相談をしてくれた。
「うちの部のきかん坊が、ききわけのないことを言ってきたんです」なんて相談したんでしょうね。
振りかえって思うと、本当にこの部長にはお世話になってきたし、苦労をかけてしまったことを、わたしはわたしなりによく知っている。

そして幹部から帰ってきた答えはこうだった。
「確かに組織としての決まりはある。だが、その部員さんの言ってることが正しいよ、やらせてあげなさい。やれる人がやる。それが正しいんです」と。

わたしは正直驚きました。まさかそんな物分かりのいい幹部がいるなどと思ってもいなかったからだ。
今でも、わたしはその方のことを心から尊敬している。
きっとその方はこう思ったはずだ。
「たまにいるんだよね、こういう跳ね返りの子は、でも責任は俺が持ったる!」と。

その当時のわたしは文字とおり跳ね返りの青二才であったと、のちになって多大な反省をしたわけだが、しかしその経験のお蔭で、誰かが何かをやりたいと言いだしたときはまず聞いて出来る可能性を考え、出来る限り守ってゆきながらやらせてあげられるようには出来ないか? と考えられるようなわたしになれたことは事実なのだ。
むろん、壮年になった今は、守られる側ではなく、守っていく側であらねばとも思っている。

しかし、もしあの時の幹部が、師匠の心がわからない人であったなら、きっとわたしは、所詮世間や組織にたてついて、何かを言っても無駄なんだという卑屈な人間になっていただろう。考えただけでもゾッとする。

そういう卑屈な人間を作りだしてしまうのは「悪」である。
実は先生のスピーチはそういう流れになっている。


「破邪顕正」が大聖人の仏法の根幹精神である。もし、正法を破ろうとする悪人に対して、その罪を弾劾することもなく、悪を増長させてしまうならば、もはや大聖人門下とはいえない。
こうした(組織)悪をせめ、悪人と戦わない人にかぎって「自分は菩薩の修行の一つである忍辱(耐え忍ぶこと)の修行」といって、自らを正当化してごまかしてしまう。


小さな声かもしれない。ほんの思いつきかもしれない。
しかしその人が「広布のため」ということを真に思って提案したものであるならば、無下に組織の決まりだからということで承認できないような輩は、しょせん我が身可愛さの臆病者であるとまで先生は断言されているのだ。

いまさら何も言いたくない。
組織主義、形式主義を守ろうとしているような考えが自分の中にあると思えたなら、是非、この先生の指導を読んでみてはいかがだろうか。



誰が為に? いや「何のため?」を忘れたところに信心などない!

ipsilon at 12:26コメント(0)『今日より明日へ』 

2016年07月30日

誰かの手を借りる必要はないんです。自分たち自身の手でやればいい。やれるはずですよ。
 ノルトは突き放している。人の世に、救世主などいないのだ。自分たちの問題は自分たちで解決するべきではないのか。でなければエゴン・ラウドルップのような(独裁者の)手合いに、何度でもでかい面をさせ、自分たちの自由と尊厳を踏みにじられるだけであろう。



「他力本願の共和主義などというものが地上に存在すると彼らは思っているのだろうか」(中略)
 他人を頼る、ということは、自分たち自身の非力と無能をわきまえている、ということであり、自覚のないやつらよりよほどましではないか、という気がするのだった。民主主義の制度にふさわしいだけの識見と精神的成熟度を持った人間がどれほど実在するというのか。


いやはや、田中さん辛口ですなぁ。しかしその噴出するような怒りは、少なくともわたしは理解できるつもりですよ。



かといって直接民主制がベストかといえば、そうともいえない。
なかなか難しいですね。

結局、田中芳樹の言っていることが正しいと思える。

民主主義の制度にふさわしいだけの識見と精神的成熟度を持った人間を一人でも多く作っていくしかないのであろう。

ipsilon at 22:24コメント(0) 
・昭和63年(1988年) 9月12日
・港・目黒・渋谷区合同支部長会(東京)
・東京麻布文化会館


このスピーチにおいて先生が語られていることは、重点中の重点であると拝した。
すなわち出世の本懐――発迹顕本――について語られているからだ。
出世の本懐とは、簡単にいえば、この世に生まれてきた意味に目覚め、その覚醒を基として人生を歩みはじめることといえばいいだろう。

卑近な例ではあるが、アニメ『マクロスF』の主題歌にある歌詞でいえば、
「何しに生まれたの? 何しにここにいる?」
という問いへの答えといえるだろう。

これを社会学の視点でいえば、
われわれ、、、、はどこから来て、どこへ向かうのか?」
という問いへの答えであろう。
自分のことだけではなく、自他に渡って「どこから来てどこへ向かうのか?」を考えるべきだということになろう。

すなわちその答えは、生死を超えた永遠の生命観に生きるということになろうが、どうも観念的な気はしますね。

ともあれ、発迹顕本とか出世の本懐といっても、個々人の立場によっても違う部分があるので、最後は、自分なりの言葉を胸に抱いて歩いていくしかないのだろう。

とはいうものの、物事には必ず手本となるような人がいるものだ。
先生はそうしたことを伝えんとして、アフリカ広布のために献身された薬袋忠みないただしさんが、いかなる心でアフリカはガーナの地で戦われたかを話されているようだ。


また薬袋さんの心を法華経の経典に照らしてみれば、それは舎利弗という生命の働きであり、目連という生命の働きであると、ご教授くださっているのであろう。

(舎利弗と目連は)ともに傑出した「知性」と「力」、「勇気」と「情熱」をあわせもった後継の存在であった。
――と。

悪逆の提婆の計略を打ち破り、師の正義を見事に証明した、、、、、、、、、、、、――ここに釈尊の弟子を代表する舎利弗と目連の誉れと真価があるといっていい。
後継の弟子の見事な活躍ぶりを、釈尊もさぞ讃嘆したであろう。私は広宣流布の未来を担いゆく青年部諸君の活躍も、かくあってほしいとの願いを込めて、このエピソードを思い起こす昨今である。

――とも。


結局のところ、舎利弗(知性と力)、目連(勇気と情熱)という生命は換言すれば、「智慧」と「慈悲」のことである。
これをいかに唱題によって自分の中から引きだすかにすべてがあるといっていいだろう。
知性とは、考え抜く心。力とは考えたことを現実の行動にすること。勇気とは、恐怖や臆病を払いのけ、一歩を踏み出す挑戦の心。情熱とは挑戦しつづける、決して諦めない心と言いかえることもできよう。
またこの、慈悲と智慧も、すべて深き信という「信心」に納まっているのであるということを、戸田先生の指導を引かれて教えてくださっている。

一次元からいえば、「慈悲」があるということは、即、「智慧」につながっていく。真の「慈悲」の人は、あの人のためにどうすべきか、どうしてあげたらいいかと、つねに心を砕きに砕いている。ゆえに、だれも気にとめないようなことろにも気がつき、うっかり見過ごしてしまうようなところまで、自然に、、、見えてくるものだ――と。
所詮、「智慧」といっても、決して特別な「力」や「才」がなければ得られないというものではない。
広布への汲めども尽きぬ信心の深さがあれば、次第に、心からの「思いやり」とか「心配り」が備わっていくものである。


「思いやり」という慈悲をもって、どれだけ相手のことを現実的に考えたのか? またそれを行動にしたのか?
このことが結局、智慧の発露の源泉なのだということだ。

相当昔のことになるが、あなたの言ってることは――「思いやり」ではなく、「重い槍」で突いているようなものだ!
なんて言葉で人を批判したこともあったのを思い出しました。

毎朝夕、思いやっていきます! って誓ってるんですけどね。

毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身 ってね。
――どのように人々を、その身のまま仏となれることを悟らせ、無上道に入らしめればいいのか? と、いつもいつもそのことに思いをなしている、と。――どうすれば開示悟入させられるのか? と、いつもいつも……。

これが本当の思いやりですよね。



何しに生まれたの?
何しにここにいる?


本気の体みせつけるまで、わたし眠らない!
本気の心みせつけるまで、わたし眠らない!


一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ(崇峻天皇御書)

ipsilon at 14:47コメント(0)『今日より明日へ』 

2016年07月29日

いよいよ東京の梅雨が明け、本格的な夏となったようです。
猛暑になるとの予想がありますが、まずは健康第一でいこうと思っています。

さて今日は『各界有識者との語らい』です。


・昭和63年(1988年) 7月13日
ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー博士(元米国国務長官)
・東京・聖教新聞社



・昭和63年(1988年) 8月26日
ウィックラマシンゲ博士(世界的文学者)
・東京・国際友好会館

から学んでいきます。

勉強不足にて、ウィックラマシンゲ博士って誰? 状態だったのですが、少々調べたところ、何度か日本に来日されて、最近では茂木健一郎氏などと対談もされているようですね。

ともあれ、先生とキッシンジャーの対談は興味深かったです。
普段の会合のスピーチやご指導では見れない、先生のありのままの人間性が垣間見れ、また先生がいかなる思想に共鳴してきたかが感じられたからです。

対談で話題にのぼったのは以下の人たち。
(太字は、わたしが読みおえた本のタイトルになっています)

アルベール・カミュ。『異邦人』『ペスト』『シーシュポスの神話』などを書いた作家。
ホーキング博士。『ホーキング、宇宙を語る』などの著作者。

そして――

“民主主義と全体主義”のテーマなど、古代ギリシャの哲学と政治史は、恐らく他の時代にもまして、二十世紀から二十一世紀の世界に切実な意味を持っていると思うとの視点から、最も関心を持っているギリシャの哲学者について話題を移した。

――と。

まさに昨今、先生の思ったとおりのことが切実に意味をなしてきたことはいまさら言うまでもない。

ここで先生は、プラトンとアリストテレスの名をあげている。
いうまでもなく、ソクラテスはプラトンの師であるが、ソクラテス自身は著作を残していないので、当然、学ぶとなると、この二人になるわけです。

プラトンでいえば、わたしが読み終えているのは『ソクラテスの弁明』『プロタゴラス』だけになるが、それだけでも、先生のいわんとしている切実の意味が何を指しているかは推測はできる。

他にもプラトンは『国家』『饗宴』『パイドロス』『パイドン』『ゴルギアス』『メノン』『テアイテトス』等々といった著作を残しているので、わたしなど甚だ勉強不足と反省するしかないのですがね。
アリストテレスとなると……もう自分のありさまに顔も尻も蔽いたくなる恥ずかしさだ。

『形而上学』『弁述論』『ニコマコス倫理学』『詩学・詩論』『政治学』『動物誌』『心とは何か』『哲学のすすめ』等々……。
うーむ、溜息しか出ないが、タイトルを見ただけで、なんだかアリストテレスの本を読めば、他はいらないんじゃないの? と思えるくらいなことは理解して頂けるのではないだろうか。

そして詩人としては――
ゲーテ。『ファウスト』『若きウェルテルの悩み』『ヘルマンとドロテーア』などの著者。
アイルランドの詩人、W・B・イェイツ。『ケルト幻想物語』などの著者。
などがあげられていた。


知らないというのは恐ろしいことである。学ばずは卑しであるということを、つくづく痛感させられた。
結局、知らず学ばずとは「傲慢」なのだと改めて認識しなおしたしだいだ。

現代の世界的危機や、科学的実証主義の中には、残念ながら人間の「傲慢」が横たわっているように思える部分がある。まさに、人類は自己の「傲慢」こそ「真理」と「平和」への脅威である。人類は自己の「傲慢」との戦いを、忘れてはならないと思う。

この、先生の言葉に、すべてがあるのだと思った。



ipsilon at 16:49コメント(0)『今日より明日へ』 

2016年07月28日

・昭和63年(1988年) 9月7日
・第3回全国婦人部幹部会
・創価文化会館


スピーチに内容によっては「これはどこに付箋をすればいいんだ?」と悩むことがある。
そんな時は先生が難しい内容を話されているかといえば、そうではない。先生は不動であると思う。つまり、受け手であるわたし自身の境涯が狭く、またものごとの奥行を見ようとする視線が浅いのだと痛感させられるのだ。
しかし、一度通読したあと、再度読んでみる。まだわからない……と再々度読んでいくことでなんとか大事な部分が見えてくる。
今回のスピーチはそうした感覚で向き合ったものである。


もちろんいつものごとく、先生は冒頭に結論を話されている。

「仏教の真の運動は、必ずや文化運動として花開く。また、平和運動を志向していくとともに、幅広い教育運動にもつながる。さらに、価値ある生活の源泉ともなり、人間の覚醒運動となっていく」と。(中略)
私どもは、仏法を基調に、自身と社会の向上を目指し、世界に開かれた幅広い活動を推進している。それが、いかに、宗教運動として正しい在り方であるか。その重要な証言の一つとして、この言葉を申し上げた次第である。


ようするに、はじめは個人的な悩みの解決のために信心をしたとしても、最終的には、社会や世界に総合的に関わっていこうとする運動に自然となっていくのが、この信心である、ということになろう。

しかし、文化とか平和とか教育とか、人間の覚醒といっても、どうもピンとこないのが凡夫なのであろう。
これらを簡単に言えば「自身と社会の向上」ということになるのだろう。極まるところ、信心の目的とは「自身と社会の向上」への道といえるのだろう。

しかしまた「自身と社会の向上」と言ってもどうも具体的にピンとこないかもしれない。
そこで先生はボルテールの描いた『カンディード』に現れる、黄金郷――エルドラド――を例に引いて話してくださっているのだろう。
すなわち、主体者自身と環境の充実。もっといえば身と心双方の幸福が揃ってはじめて幸福といえるのだろうと、非常に具体的に教えてくださろうとしているのだろう。

さてでは、そうした「心身と環境」あるいは「自身と社会の向上」といった総合的幸福を勝ち得るための、信心における心構えとは何なのか?
それを先生はこう話されている。

地涌の眷属として、いかなる法戦にあっても、我が心に畏れなく、妙法の正義を堂々と叫びきっていきなさい、と。これができるか否かに、真正の信仰者か、形のみの名聞名利の信仰者かの分かれ目がある。

まず畏れるな!――である。

あまり悪い例を話しても仕方がないのだが、名聞名利の人を見ていると、話しぶりに特定のパターンが見られる。
「お前は間違っている! わたし、、、の言ってることが正しいんだ!」というもの言いがそれだ。ようするに否定から入る批判だ。自我の暴走と自己認証欲求と自己顕示欲である。

「仏法ではこうこう、こう説かれているよ」といった具合に「法」を説くこともせず、「わたしが正しい!」。
はたしてこれで、正しい仏法の信仰者といえるのだろうか?
当然、否である。
ただ単に、自分は物知りであるとか、偉いとふんぞり返っているだけであろう。


ともあれ、正しく「法」を守護していけば、必ず難に遭うとスピーチはつづいていく。
自分は物知りであるとか、偉いとふんぞり返っている人は、一つも難に遭っていないことを見よ! と、先生は仏法という「法」の厳粛さに照らして物事を見ていきなさいとも教えてくださっている。

しかしまた正しい信心で起こる難とは大変に過酷なものである。
だから、成仏したいとか功徳が欲しいとかいった損得勘定を捨てて、母親が愛する我が子を胸にかき抱くように、「法」を胸にしかと抱いて守り切っていく心で進んでいきなさいとご指導されている。

なぜこのように話されたのか?
恐らく先生は、対告衆を意識されていたのだろう。
そう、この会合は全国婦人部幹部会なのである。

学会の中で、最も純真に信心を貫き、学会を支えているのは婦人部であることは明白だ。
ゆえに、最も期待されてのことなのであろう。
穿った見方かもしれないが、そこには婦人部が陥りがちな危うさを見た、先生の確かな指導もあるように思えるのだ。
すなわち、成果主義や功徳主義という陥穽である。
そうではなく、赤子を守るように「法」を胸に抱いて守っていって欲しいのです、という先生の切なる願いがあると思えるのだ。
結果そうした心が求めずとも成仏にいたる境涯を開くのです、と。

いやはや、いつも先生に怒られているような壮年部の一人のわたしごときが、偉そうなことを書いている場合ではないんですがね。

しかし、この前の(壮年部向けの――8・24は壮年部の日でもある――)「8・24」記念スピーチの内容にせよ、今回にせよ、先生の本当の願いは、壮婦であるとか、男女であるとか人種や国籍云々を超えて、平等大慧の大地に立って、

やがて今度は、広布の心を心として一切の「責任」と「使命」を担って立つ、後継の“本物の一人”が多く現れるであろうことを、私は深く信じ、また期待もしている。

ということになるのであろう。



ipsilon at 14:33コメント(0)『今日より明日へ』 
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