2017年04月

2017年04月28日



ファウスト それでおまえはいったいだれだ?
憂い    とにかく来ているのです
ファウスト 立ち去れ!
憂い    来るべき所に来ているのです
ファウスト 気をつけよ、まじないなどとなえるな
憂い    わたしの声は耳には聞こえなくとも、
      胸のうちにはきっとどよめくでしょう
      私は姿を変えて
      恐ろしい力をふるいます。

『ファウスト 第二部』ゲーテ(訳:高橋健二)



そうだね。あいつはおもむろに心にやって来て、意志の力に負けると去っていくんだけど、去らずに居座って支配権を得ると、ずいぶんと身勝手なことをする。
そんでもって人間は、自分の中からやって来て自分でやったにもかかわらず、あいつがやったんだ! 俺は悪くない! なにもかもあいつのせいだ!! ……が差したんだ! なんて具合にあいつのせいにして自分から逃げてるんだよね。

ときどきは、意志の力ではどうにもできなくて、おまじない――迷信――に縋って、なんとかなったような気になったりもする。
けど、あいつはまた時と場所を変えて「はじめまして!」って、またやって来るから、まじないなんて気休めで、根本的な解決でもなんでもないんだけどね。

でもさ、あいつの身になって考えてみると、あいつもけっこう可哀想な奴だよね。
人間は何でもかんでも都合の悪いことはあいつのせいにするんだからね。
だからたまには憐れんでやらないと。


Pleased to meet you
会えて嬉しいよ
Hope you guess my name, oh yeah
そうさ、そうなんだ! ぼくの名前を当ててごらん


安易にあいつの名前なんて言ってはならないんですよ。
それは、自分の責任を放棄したことになるから。
だから、ストーンズも名前を明かさずに歌ってるという。


大切な人にあれこれあって、
「心配だからこうやって連絡したんだよ!」
なんて叫んだことは誰でも一度や二度はあるだろう。
かくいうわたしだってある。

でもさ、心配しないという意思ももてるんだなァ。
「あいつなら大丈夫!」
そう思えることだってできる。

でも多くの場合、心配してあれこれして、「だってあなたがあんなことしたから心配になって……」てな具合に、自分の心の中での戦いに負けたくせに、それを自覚することなく人のせいにしてるんだな。
あいつの罠にまんまと嵌められてるってわけだ。

あいつの名前はなんだ?
言ってごらんなさい。

明けの明星、光をもたらす者、ルシファー!
そうとも呼ばれてるけどね。

ルシファーと呼ぶのか、あいつの名前を呼ぶのかを選ぶのは、自分自身てわけだ。

ipsilon at 18:59コメント(2) 

2017年04月26日



「あんたの憂鬱」

そうさ、俺は孤独だ
死にたい
そうさ、俺は孤独だ
死にたい
もしまだ死んでいないなら
あんた、その理由はわかるはずだ

朝が明けると
死にたくなる
日が暮れてゆくと
死にたくなる
もしまだ死んでいないなら
あんた、その理由はわかるはずだ


俺の母親は空で
俺の父親は大地で
俺が宇宙だからって
そんなものに価値はない
孤独なんだ、死にたい
もしまだ死んでいないなら
あんた、その理由はわかるはずだ

鷲が眼をついばみ
うじ虫が骨をなめる
自殺したくなる
ボブ・ディランの歌にある
ミスター・ジョーンズさながら
孤独だ、死にたい
もしまだ死んでいないなら
あんた、その理由はわかるはずだ

黒雲が俺の心をよぎる
憂鬱な霧が魂を包む
自殺したくなる
ロックンロールなんて糞喰らえ
死にたい、ああ、死にたい
もしまだ死んでいないなら
あんた、その理由はわかるはずだ



それにしても凄い歌詞でんな。
ジョン、どないしたん? と伺いたくなる。
音楽こそ、ロックンロールこそ彼の生きる糧だったのに、それにさえ憎悪するという絶望感、わかりますか?

この曲「Yer Bluse」は、インドにいって何一つ得られなかった絶望感を歌ったものだといわれている。
人によっては詩にある「あんた」というのはオノ・ヨーコのことであり、彼女という存在があるから、ジョンは生きつづけようよしている。そんなラブ・ソングだという人もいる。だがわたしはそうは思わない。
なぜかなら、そうであるとしたらタイトルの意味にそぐわない歌詞になってしまうからだ。

ジョンが本当に伝えたかったであろうことは、歌詞にはない。
わたしはそう思う。

俺の母親は空で――
から先の歌詞。
つまりこれは真理だとかを知っていたとしても、生きる苦痛がなくなるわけではないといっているのだろう。

それでも真理や真実、あるいは正しい生きかたはなにか? と探求することをやめられないのが、まっとうな人間。
そしてその探求はたった一人でしかできないことの苦しさを歌っているのだろう。
だからジョンは、あんたもそうやって正しい人間として生きようとしているなら、この孤独感、この絶望感、この憂鬱――Bluse――はわかるよね? と訴えているのだろう。
だからタイトルは「あんたの憂鬱」なのだろう。

つまり、真剣に正しく生きようとしているあんた(オノ・ヨーコ)なら、わかるのだろうということになろうし、正しく生きようとしてるならわかるだろ? とリスナーにも問いかけているわけだ。
それぐらい人間として生まれてきて、正しく生きる道を探求することは苦悩に満ちているんだということ。
そして、そうした道をたった一人で探す者が自分以外にいるであろう信じることが、最大の生きる支えなのだ、と。
そう、それすらも「であろう」という自らの信念にしがみつくことでしかないんですがね。

人生は厳しいのお。

わかりますよ、ジョン。
あなたの伝えたかったことは。
痛いほどわかりますよ。
文字どおり痛切にわかります。うん。

歌詞も凄いけど、曲調も魂からのメッセージのようで、はじめて聞いたときも度肝を抜かれたことを思い出したんだな。
たしか中学か高校の頃にはじめて聞いたんだけどね。

でもその頃は、今のように絶望するほど、死にたくなるくらいの苦痛の中で生きることこそ真に生きている証なのだなんて、思ってもいませんでしたけどね。
お気楽極楽中高生でしたけどね。

けれども、釈尊もまずそこからはじめて、最後には「この世界はなんと美しいのだろう」といい、世界すべてが素晴らしいものだと見えるようになったのだから、んまぁ、わたしだってその一端くらいはきっと垣間見れることだろう。


鷲が眼をついばみ――
これは権力者のいいなりになって、正しくものを見れない人をいってるのだろう。
鷲はアメリカをはじめとする国家権力のシンボルとしてよく使われてますからね。
骨をなめるも似た意味。
肉体を酷使して働いても、権力者に搾取されているだけという皮肉だろう。
そして、ミスター・ジョーンズというのは、世界が酷いことになっていっても、それに盲目で、気づこうともせずに権力や体制の側にあぐらをかいて、利己的な欲望に満足しつづけようとする、ハンナ・アーレントのいった“悪の汎庸さ”に魅入られてしまっている俗人たちのことをいっているわけだ。
そりゃ、そんな世の中を見てたら、死にたくなるわな。

でもって――
黒雲、つまり憎悪が湧いて「あんな奴らは死ねばいい」とかついつい悪意を抱いてしまう。
そしてそう思もった自分に嫌気がさし、自己嫌悪。魂は霧に包まれ、清らかさを失ってしまう、と。
いかなる悪人であろうと、生存権はある。それが正しい思想なのに……と。
けれどもそう思えない自分に嫌気がさす、と。

なんとも痛々しいが、わかりますよジョン、あなたの抱えた憂鬱がどんなものかは。
ものすごくよくわかりますよ。うん。


余談だが、昨年ボブ・ディランがノーベル賞に選ばれたが、何の反応も示さず、コメントひとつ発表しなかったのだそうだ。
そしてマスコミはそうしたボブ・ディランの権威や権力に媚びない姿勢をノーベル賞選考者のある人が、「ボブ・ディランらしいね」といったのに、それを歪曲して、ノーベル賞選考者が「選んでやったのにコメントひとつなしかよ! と憤った」などと発信したわけだ。
もちろん、ノーベル賞選考者は「いいや、そんなことをいってはいない。我々はただ『彼らしい態度だね』といったに過ぎない」ときちんと説明してましたけどね。
マスコミというものはそういうものなんですな。
知ってか知らずか、権威権力におもねるものなんですな。

ともあれ、例えそれがノーベル賞の授賞式であろうと、自分のなすべき先約を優先したボブ・ディランの生きかたは素晴らしいと思いますがね。
彼のノーベル賞受賞にあたってのメッセージ、なかなかいいですよ。

ipsilon at 01:33コメント(0) 

2017年04月25日

おおよそ半分まで読みすすめました。
その中で非常に重要なことが書かれているのは第四章だと感じた。
この章の内容は是非ともきちんと知っておいたほうがいいだろう。
ただし、村尾の筆はやたらに創価贔屓であり、あまりにも正宗を悪しざまにいいすぎてますがね。

あれこれ説明しようと思えばできるが、そこは控えめにしておきましょう。
引用で充分に伝わると思うのでね。

牧口のいう価値とは何か?
もとより価値は各個人の主観がその対象について経験する価値感情以外にはありえない(牧口)

わたしからすれば、今さら確認するまでもなかったことですがね。
何度も言ってきましたよ。すべては「主観」なんだ、と。「経験体験」なんだ、と。
でも、狂信・妄信創価信者には、「でたでた、あんたのお得意の“主観”ですか!?」とかいわれて馬鹿にされましたけどね。
まあ正しいことをいって批判されたんですから光栄なことなんですがね。

むろん、このブログでは、そうしたことをカント哲学をとおして何度も述べてきたのだが、価値には「共通主観」なる、あらゆる人が感じられる同じ事象があることも牧口は述べているが、価値の根本は彼の言葉にあるとおりである。


牧口価値論の大きな特色の一つは「聖」とでもいうべき宗教的価値の存在を明確に否定することである。
それでは、どのような宗教を牧口が肯定しているのかというと(中略)それは決して日蓮正宗そのものではない
(村尾)

日蓮正宗の信仰理念に価値論を採り入れたところに私の価値論があるわけで、ここに創価教育学会の特質があります(牧口)

つまり牧口は正宗の(形骸化して、社会に貢献する「理念」を失った僧侶たちの)教義など全く顧みていなかったということだ。
だから、牧口自身は正宗との僧俗和合など考えていなかったのだろう。
しかし、牧口の思想の延長として、戸田はああした形を選んだのだといえよう。
しかし、残念なことに現実には僧俗和合は、牧口が心配していたように、うまくいかなかったわけだ。
だけならまだよかったのだが、創価と宗門は犬猿の仲になり、未だに争いがやめられておらず、多くの人が今後双方が和解することはないだろうというほど悪化しているわけだ。

だったら、はじめから牧口の思い描いたように、正宗と僧俗和合などしようとせず、創価は創価で独自の「日蓮の理念」――どのようにすれば宗教が社会に貢献できるのかという自問自答、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
――と「価値論」――
個人生活にあって利と美を生みだし、その利と美を生む行為が同時に社会(人と人のあいだに)良き関係つまり善を生みだせるかという自問自答、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、――を柱にして、創価教育学会は独自路線を歩めばよかったではないかということになる。

そう思うのが当然ですよね。僧俗和合を目指して失敗した。
一庶民と一僧侶の関係が悪化したなら、小さなことだが、現実は違う。
数百万の人びとをそうした失敗に巻き込んだのが創価と正宗だというのが現実なのだ。
私はだから、どっちもどっちだと思っているが、創価の立場にたって見れば、牧口の思想にのっとらない道を歩んだ創価(戸田)のやりかたに間違い、というよりも失敗があったと見ているということだ。
なぜかなら、僧俗和合しようとして失敗したということは「人と人のあいだに良き関係つまり善を生みだすべきだ」という牧口の価値論に背いたからだ。
現実には創価の人と宗門の人のあいだに悪しき関係を作ってしまったとしか見えないですからね、わたしには。

とはいえ、こんなことはすでに過去であり、言っても詮なきことですがね。


在家は経典等の学習と解釈を大いにやるべきである(中略)。こうしたことをしない人は信者にして信者にあらずである(村尾)

村尾にしてこうである。
しかし戸田の構想した僧俗和合の目的が「経典等の学習と解釈の深化」のためであったとしても、それが現実に今の創価にもたらされたとは言えないだろう。
自分の頭で思考思索することもなく、ただ創価の会則や教義を鵜呑みにしているようであれば、戸田の構想もまたやってきたことも、今時点ではまったくの無駄であり徒労であったといわざるを得ないだろう。
いなむしろ、創価と正宗とのあいだに険悪な関係をつくり、なおかつ在家である創価(と正宗の双方)が「経典等の学習と解釈の深化」をはたせていないのが現実なのだから、僧俗和合しようとしたことは害悪だけ残したといっても過言はないだろう。
とはいえ、広いネット世界を見れば、個人的に創価も正宗も及ばないほど「経典等の学習と解釈の深化」をしている人も極僅かだが見かけるので、全くの失敗だったともいえないのですがね。

そもそも、わたしが憶測するように戸田の僧俗和合の目的が「経典等の学習と解釈の深化」であったなら、ある意味で戸田は正宗がつくりだした「日蓮本仏論」とか「弘安の御本尊の絶対視」という嘘や害悪があることを知りつつ、大御本尊を求心力として利用し、会員や僧侶の和合を目指したことになるだろう。
でもって、戸田の構想のあとを継ぎ、学会が教学力で宗門に負けず劣らずになったとみた池田氏が宗門を切ったと見ていいのだろう。
でもって、その宗門系の教学(弘安御本尊の絶対化)の基礎をつくった原島とか福島などが邪魔になったから切って、彼らを反逆者であり仏敵呼よばわりした……と。
酷い話ですな…………利用するだけして用なしになったら敵視するとか、良心のある人間のすることじゃあないですよね。


詳しくは述べないが、牧口はそもそもなにかを「絶対視」することを否定している。いわゆる神とか仏というものも否定している。
いいかたを換えていえば、彼の思想は「無神論」であると村尾はいっている。
つまり、正宗がつくりあげた「日蓮本仏論」など、そもそも牧口の眼中にはまったくなかったのだろうし、お笑い草だったのだろう。
だが、そういうことさえ捻じ曲げて、さも創立者牧口のお眼鏡に叶っているように見せているのが創価学会なのだろう。

ほんと、きちんと『価値論』を学んだほうがいいですね。
これを知らずに創価だの云々語りに語ったところで、それは所詮「我見」や「思い込み」にしか過ぎないのでしょうからね。
そしてそれは自分を不幸にするし、また人をも不幸にするのでしょうから……。

ipsilon at 17:40コメント(3) 

2017年04月22日

まともな、というより創立者の牧口が思い描いた崇高な思想にのっとて「正しい創価」として生きたいと思う心ある人なら、今こそこの一冊を読むべきである。

とても大事なことが冒頭から書かれている。
すなわち、「利」とはなんぞや? である。

とはいっても牧口の価値論は「利」のみを単体で語ることはできない。
創価が誤った思想に進んだ原因は、ほぼここにあるといって過言はないだろう。

「利」を実利や結果としてしか見ない結果主義が、創立者の思想を踏みにじったのである。

簡単にいえばこういうことだ。
牧口の価値論は「利」「善」「美」すべてが関係しあっていて、切り離すことはできないということだ。
仏法の三宝(仏・法・僧)がそうであるように、またキリスト教の三位一体(父・子・精霊)がそうであるように、三つは一如でありかつ、三つでもあるという観点こそが牧口の価値論であるからだ。

こんなことは仏法の初歩の初歩である。(とはいえ、初歩でありながら最難度な思想ですがね)
三身(法・報・応)にしてしかり、またそれを言い換えた(如是)相・性・体もそう、法身・般若・解脱もそう。要するにありとあらゆる事象は「空」であるという仏法の基本中の基本もわきまえず、「利」ばかりを追求してきたのが、牧口の思想を歪曲してきた今の創価学会であるということだ。

自分の行いが相手の生命(心)を豊かにしたか? 喜ばせたか? など考えない。
とにかく自分の思いだけで突っ走る。狂信・妄信会員の姿がそれだ。

してその三つ(利・善・美)が「調和」した価値とはいったいなにか? といえば、賢い人ならいうまでもなく察せることだろう。
牧口もそのことをはっきり言葉にしている。

価値というものは評価対象と主観との関係を意味することは前に述べたとおりである。その対象の中でも人間の生命の伸縮に関係のないものには、価値は生じない。ゆえに価値を人間の生命と対象との関係とする(牧口)
――と。

簡単にいえば、以前わたしが述べたように、生命を豊かにすることが価値であるということだ。
すべての価値は生命というものを根源として発想されなければならないということである。

自分がいいと思っているという一点だけ見て、相手が嫌がっているのに、しつこく勧誘する。
さて、そうしたことが相手の生命を豊かにしているか、考えてみるがいい。
無論こういうことは価値の反対、反価値であることはいうまでもなかろう。
しかし、反価値を否定することは間違いでもある。間違いや失言など誰にでもあることであるし、反価値を否定すれば価値を存在たらしめられないことになるからだ。表裏一体であるところの表は価値、裏が反価値だということですよね。
ようは大事なのは「寛容の精神」なわけだ。
とはいっても寛容にも限度があるのだ。だからわたしなど、こうやって憤っているわけだ。


そしてそれとは別に、創価は「利・善・美」は教えてもその対極にある「害・悪・醜」は教えないわけだ。
つまり、表裏一体の表だけを教えて、そう生きなさいと勧める。
これでは独善なり偽善になってしまうのは理の当然だ。

表裏一体の両面を知っていれば、「こんな言い方は相手の気持ちを“害”するかもしれない?」と思考することが出来るのだろうが、表だけ(自分の思いや都合)しか考えないため、「俺のやってることは利であり善であり美である!」などと思い込んでしまうのが狂信・妄信会員の行いなわけだ。何事においてもね。
彼らの発言を見てみればいい。それが如実にあらわれているから。とにかく言うことのほとんど全てが「べき論」あるいは「俺が正しい」という発言ですからね。


またここでわたしも何度か指摘してきた、御本尊に関しての誤った感覚も、村尾はきちんと指摘していた。

本や紙自体が尊いのではなく、尊いと思い、それに向かって念じる人の心によって本当の尊さが生まれるのである。(中略)
ところが、木や紙自体が尊いと思うことは、物を神聖化させるわけで、これが「物神崇拝」という愚かな信仰心である。

――と。

弘安の御本尊を絶対視してみたり、あるいは特別装丁御本尊だから凄いといってみたり、あるいはニセ物だといってみたり。
そうしたことはすべて、結局は偶像崇拝でしかないわけだ。


また、こんなことは言わずもがなだが、
村尾は、牧口が教育者として、教育勅語が馬鹿げた思想を生むものだと(国民が自由に発想する権利を奪うとして)、厳しく指弾していたことを指摘していたのもお伝えしておこう。

しかし――今や公明の議員に至っては、その教育勅語を讃嘆する日本会議の式典に出席して登壇し、挨拶までしている始末だ。
さいとう鉄男幹事長代行ね。
ま、遠山清彦氏なども、かつて日本会議の式典に出席して、あれこれ言い訳してましたがね。

これが公明の実態でしょ。
まだわからないの?

妄信・狂信会員たちが支持支援した結果、日本はどんどん戦前の国家主義に向けて舵を切っているではないか。少しは自分たちのやってきたことを“自覚”して、責任を感じてほしいものですよ。

創価公明が正しいというのなら、なぜ牧口が糾弾した教育勅語を復活させようとするような日本会議の式典に出席しているのか、きちんと説明してもらえませんか? 狂信・妄信学会員さん。

ipsilon at 18:56コメント(0) 

2017年04月19日

私は知っている、自分のものだといえるものは、
自由自在に自分の心から
流れ出てくる思想と、
自分に好意を持つ運命が
底の底まで味わわしてくれる
幸福な瞬間々々だけだ。


「Eigentum」Johann Wolfgang von Goethe


なんの説明がいるだろうか。




安らかに寝ることを欲するか。
私は内的な戦いを愛する。
何ゆえなら、もし疑うことがなかったら、
確実なことを知る喜びがどこにあろう。


「Ins Sichere willst dus……」Johann Wolfgang von Goethe


だから妄信は駄目だって言ってるの。

ipsilon at 17:43コメント(2) 
プロフィール

イプシロン(シンジ)

カテゴリ別アーカイブ
記事検索
最新コメント
ギャラリー
  • 小自分史(1)
  • Thank you my girl
  • 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
  • 勝利のアクビ
  • 一瞬の憩い
  • 笑顔は美しい
  • 4つ目の自分
  • 4つ目の自分
  • 3つの自分
  • アリイ 1:48 三菱零式艦上戦闘機52丙型(a6m5c)
  • ハセガワ 1/700 病院船「氷川丸」 竣工
  • フジミ 1/72 空技廠 零式小型水上偵察機(E14Y) 完成
  • ハセガワ 1/700 重巡洋艦「古鷹」 完成
  • スケッチ アミダラ女王
  • 静止した時間
  • 蝶
  • 祈り
  • チャム・ファウ
  • どこかのお家の猫ちゃん
  • 「みちくさ」
  • ザハロワは美しい!
  • デジ絵「星座と少女」(完成)
  • チュチュがじゃまだよ〜
  • アティチュード
  • 瀕死の白鳥
  • デジ絵「夏の風」(完成)
  • デジ絵「風」(完成)
  • デジ絵 ランカ・リー(完成)
  • 栗木さん 応援イラスト
  • イラスト「天使」
  • 水彩画 愛嶋リーナ 完成
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「graduation 」
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「アメジストの祈り」
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「初雪」
  • 水彩画 愛嶋リーナ
  • デッサン 愛嶋リーナ
  • 水彩画 アリスとネズミ
  • イラスト アリスとドロシー
  • イラスト 眠そうなネフェルタリ
  • スケッチ 微笑の国の人
  • なんでだろうう? と思うこと
  • スケッチ アソーカ・タノ
  • スケッチ ライオン
  • 3DCG X-Wing fighter
  • 3DCG X-Wing fighter
  • 3DCG 缶コーヒー"カフェバニラ"
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • スケッチ 騎士の左腕
  • アーソウカ、、だった!
  • スケッチ 懐かしのアイツ
  • ニャンとも言えない気持ち
  • 旧作 ペン画
  • デッサン ドイツ兵 in 1944
  • 水彩イラスト ニホンカモシカ
  • デッサン アフリカゾウ
  • 水彩画「水辺の豹」
  • 習作デッサン「豹」
  • 旧作 Gジャンガール
  • イラスト「蜜虫」
  • 「ネフェルタリと豹」下絵
  • イラスト「ネフェルタリ」
  • 水彩画 「装身具をといたクレオパトラ」
  • デッサン+色鉛筆 眼
  • スケッチ 「装身具をといたクレオパトラ」
  • 習作 ネフェルタリ 下書き
  • デッサン 眼
  • デッサン途中 布の研究
  • 旧作 F-4E"Phantom2 & F-5E"Tiger2"
  • 旧作 F-4E"Phantom2 & F-5E"Tiger2"
  • デッサン チャイナドレスの子
  • スケッチ クレオパトラ
  • 水彩画 死せるクレオパトラ
  • スケッチ クレオパトラ
  • デッサン 小野田寛郎さん
  • デッサン 猫
  • デッサン Diane Kruger
  • デッサン ベッキー・クルーエル
  • デッサン 中澤裕子
  • ベッキー デッサン
  • 萌えキャラ 線画 修正 その1
  • 萌えキャラ 下塗り
  • デッサン 杉崎美香 8時間目
  • 習作 フォトショップ 萌えキャラ風塗り
  • デッサン 杉崎美香 6時間目
  • 欝
  • 習作 水彩 その1
  • デッサン 杉崎美香 4時間目
  • 習作 小池栄子 その1
  • 習作 杉崎美香 その4
  • 習作 Face
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 杉崎美香 その3
  • 習作 杉崎美香 その2
  • 習作 その4
  • 習作 杉崎美香 その1
  • 習作 その2
  • 習作 その1
  • 習作 その1
  • 習作 その1
  • 好き好き大好き
  • 電話中
  • βズガイキング
  • モー様の絵 ハケーン!(笑)
  • Mクン 見っけた!(笑)
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ