2019年03月17日

小説『オトゥール王の氷像』#14

――感 応――

 だが、トバイアスらを追いつめていた警護兵らは、救援のくる前に、腹中の宿痾しゅくあを一刀のもと根絶せんと、敢然と襲いかった。しかし焦るあまりか、警護兵らから突きだされた槍や剣はことごとく空をきり、その度に瘴気漲らせる黒騎士隊が迫り、冥界の門をくぐらされることになった。無駄のないひと突き、ひと薙ぎ、ひと打ちは次々にクリフォーレ王の手勢に逃れがたき死を与え、彼らに立ち向かおうとして立っている人影は、すぐに無くなった。黒騎士らも手傷を蒙り、鎧を血に染めるものもいた。だが、まるで蚊にでも刺されたように平然としている。なかには腕を切り落とされた者もいたが、まるで痛みを感じていないようだった。平らになった腕の先から血が滴り、雪に覆われた大地に血溜まりをつくったことから、黒騎士らが超自然的な存在でないことは、明らかだったが、それをよりはっきりさせたのは、一隊の将が面貌をあげて、クリフォーレ王のほうを凝視しながら、
「我こそ、アイルランドの王、オトゥールである。そこに居られるは、イングランドの王、クリフォーレ陛下であられるな」
 と言ったからである。
「なるほど、往時から噂に聞こえし黒騎士こそが、オトゥール王であったとはな。これは計算違いをしたものだ。予としたことが、それを知っておれば、勇んで戦など起さんでおったところ。今更言っても詮無きことだが、これはまんまと一杯食わされたというところか。臣下が卑劣なら、王もまた卑劣な為人ひととなりと言うべきか」
 クリフォーレ王は憤怒も隠さず唾棄するように言った。
「往時の噂を貴殿がどう捉えたかは予の与り知らぬことである。それに、噂の真相を確かめず軽挙したのは貴殿である。そこをお忘れになっては困る」
 そう言うと、オトゥール王は馬から下りた。それに倣うように黒甲冑をまとった兵たちも馬を下り、粛然として王の周囲に立った。
 不気味な幽鬼が漂うなか、オトゥール王はふたたび口を開いた。
「だが予は貴殿のそうした錯誤を責める気はない。予が伝えんとすることは、そう多くない。よく聞いてほしい。そもそも我らが王家と民人は牧畜と商売を生業として栄えた国である。そしてそれは貴殿の治めるイングランドでもさして変わらぬことであった。しかし、イングランド王とその王家は国庫を潤わせようとして、民人らに重い租税を課し、やがて搾取に及んだ。集めた金銀あるいは穀物をはじめとする品々を、民人に分配することを忘れた。王家は欲深くさらなる典雅を望み、我が国、我が島、アイルランドを犯し、我らが民人へと搾取の手を伸ばした。今更それを思い出せというのは貴殿にとっては酷であり、無益なことではある。だが、過去を顧みて古き良き時代に学ぶことくらいは出来よう。牧畜と商業の時代は平和であった。誰もが己が手でその日の糧を得て、商人も互いに納得した取引きをもって、後腐れを残さなかった。文字すら必要ではなかった。貴殿は知っておられようか、文字が使われ出した経緯を。それは欲深き王家が民人から搾取した金銀財宝、あるいは穀物を分配するための帳簿として発展したということを。文字のない時代は平和だった。だが今はどうだろう。己が手でその日の糧を得られぬもの巷に溢れ、王家も商人も損と得しか考えず、決して騙されまいと証文を取り、人を信じぬ。証文に記されたことを破れば、告訴も辞さない。心なき者は訴えれらた者の頸さえ求める。常に変わりゆく世にあって、今更昔のように戻せと、予は言わぬ。だが、我らが父祖なるケルト、あるいは北欧ノルトにあった古き良き時代から学ぶことは不可能ではなかろう。新しい時代を作るのに、今あるものを増やそうと、もっともっとと未来ばかり見る者は多いが、新しい時代を作るために、昔を見ようとする者は少ない。だがそれは間違いである。未来ばかり見て、もっともっとと求めるのは滅びの道だと貴殿には思われぬか、クリフォーレ王よ。貴殿は昔を見る気になりはせぬか? であるなら、予は剣を交えるつもりはない」
「わが君、なりませんぞ! この王を生かして国に返せば、味わった怨み百倍千倍にして、いつの日か我が国にいま一層の惨禍を招きますぞ。どうあろうと、討たねばなりませぬ」
 と言いながらニアードは戦車から下り立ち、クリフォーレ王を睨めつけた。
「王と古老の意見は食い違っておるようだな。しかしそんなことはどうでもよい。予は今更退けぬのだ。それに予はどちらかというと、もっともっとという性質たちでなァ」
「では致しかたない。一騎打ちにて決着をつけようではないか」
 そう言って、若きオトゥール王はマントを引きはがし、盾を投げ捨てて剣を抜いた。
「潔いものだな。望むところだ。誰か予の物の具を持て」
 クリフォーレ王は側近から剣と盾を受けとりながら、その男の耳元に「よいか、儂が打って出るのに合わせてあの王を討ちとるのじゃ」と囁いた。
 白銀の世界を照らしている太陽は地平線に近づいていた。その落日は、どちらかの王が斃れることを望んでいるのか、いないのかを語らず、音もなく沈もうとし、残照のなか雪は舞い散り、冷えた大気を裂いて、緊迫に熱っせられた白い息が、あちこちで吐きだされ、武者震いした騎士の甲冑にある革紐や金具が、そこかしこで蟋蟀こおろぎのように鳴いていた。
「ゆくぞー!」
 クリフォーレ王があげた吶喊を合図に、恐れを知らぬ無頼漢たちがオトゥール王に殺到しようとした。だが、それは瞬時に阻止された。黒騎士の一隊が、目にも留まらぬ早さで、腰に吊った斧を掴むやいなや投げつけ、無頼漢たちことごとくの頭を、柘榴ざくろを断ち割るように真っ二つに打ち砕いたのだ。
 トバイアスはその光景の禍々まがまがしさに思わず恐懼し、吐き気に襲われた。だがオトゥール王はなんの感慨も抱かぬように、目頭を押さえてから面貌を下ろしただけだった。彼にはわかっていた。兜のなかで王が口元をひらめかせたのを。
 ――王は心配ない、万に一つも討たれるなどありえんだろう。老卿ニアードを守らなければ。
 トバイアスはそう考え、剣戟が散らす火花を視界の片隅に捉えながら、ニアードの傍らへと足を運びはじめた。 
 オトゥール王は両手で剣の柄を握り、気負いのないしなやかな動きで、敵手との間合いを詰めてゆく。対するクリフォーレ王はそれへめがけて意気盛んに剣を打ちこみ、盾を打ちつけてゆく。卑劣漢とは思えぬ豪気な戦いぶりだった。だがオトゥール王もまったく怯む気配はない。敵手が打ちこんでくる切先や刃を見切って避け、あるいは諸手で握られた剣で受けとめ、一瞬できる隙を突いて、剣を打ち、突きこみかえす。
 数百の眼がその戦いに注がれていた。トバイアスの双眸もまたそうだったが、彼はしだいに対峙する二人の輪郭がぼやけて、すべてが黄金の光による点描画のように見えはじめた。感覚の違和感に気づいたトバイアスは沈みゆく太陽を見んとして首をひねった。わからなかった。太陽が地平線を食もうとしているのか、大地が太陽を飲みこもうとしているのかが。首を戻して見た光景はさらに奇妙だった。よく知った人が、樋の口から断続的に流れ落ちる水と水のあいだの空隙を狙って剣らしきものを振るっているのだ。だがそれが誰であるのかわからない。彼の意識はまた、良く知った人の傍らに行こうとしているらしいことを伝えていたが、誰の元に行こうとしているのかわからない。足下には雪が積もっているとはいえ、確実に己を支える大地があるはずだと思っても、そういう感覚がまるでない。そのとき彼の脳裏で誰かの声がした。
 ――トバイアス、久しぶりじゃあないか。竹馬の友ってのはいつまで経っても忘れられんらしいな。一目見てお前だとわかったぞ。
 ――ウィルフレッド、卿なのか?
 ――智謀の将よ、元気そうではないか。よもや俺を忘れたとは言わんだろうな。あの固い握手が忘れられるものかよ。
 ――オルトン、お前なのか!?
 ――俺は随分酷い目に遭ったんだ。だがこうなって見ると、どうやら己の恨みつらみが己の身を焼いたらしい。だけどなァ、皆に俺の犯した愚を教えてやりたくても、なかなか聞く耳を持つものがおらんのだよ。
 ――お前は誰だ?……
 ――あの時は思ったもんだよ。なぜ俺がこんな馬鹿げた罠にはまって射殺されなければならんのかってね。そのうえ半身は木乃伊になるなんて、予想外だ。そんなこと一体誰が想像できるってんだい? まあそれもまたそれで悪いものではなかったがね。
 ――誰だお前は? お前はまさか……。
 トバイアスは悟ったのだった。それが死者たちの声であることを。
 あまりの恐ろしさに彼は頭を激しく振って、彷徨いこんだ場所から必死に逃れ出ようとした。痛くなるくらい激しく瞬きしたとき、ようやく金の点描画のように見えていた視野に、赤黒い色彩が戻りはじめ、死臭に鼻を突かれ、聞き覚えのある声が届いた。
「貴殿の負けだ。だが予は命までは奪わない。早々にこの地を立ち去り、予が先に申したことを国元で考えるがよかろう」
 剣も盾を失って大地に腰をつけ、上向いたクリフォーレ王の喉元には、オトゥール王が突きつける剣先があった。
「なりませぬ! その男を生かして返してはなりませぬぞ」
「小癪な!」
 老卿ニアードめがけて、クリフォーレ王は腰に残っていた短剣を鞘ばしらさせた。
 トバイアスは咄嗟に、わが身をもってでも老卿を切っ先から庇おうとした。だが遠すぎた。
 放たれた短剣は、狙い違わず、ニアードの喉に突き刺さった。前のめりに倒れた老卿は、渾身の力を振り絞って上体を起こすと、ごぼごぼと噴き出る血まじりの声で、
「なりません、なりませぬぞ……わが君が手をくださぬというなら、この老いぼれ一命をもっても……」
 と言いながら、大地に斃れ伏した。
「おのれ、蛮王め! わが君が慈悲を垂れようと、この俺は決して許さん!」
 老卿を守れなかった忸怩たる思いと、あくまでも怨嗟の虜としての仕方しかできないクリフォーレ王への怒りとから、トバイアスは全身から湯気をゆらめかせながら、剣を抜いた。
「貴殿の負けだ。だが予は命までは奪わない。しかし、あの男はそうはいかんようだ。さっさと国元へ帰られるがよかろう。予が己の手を止めることはできるが、予があの男を止めることはできぬ。たとえそれが厳命であってもだ。あの男はそういう男だ、さあ行け、己が国元へ」
 雪のなか氷像のように立った、オトゥール王の口から発せられた声は、心臓を凍らせるほど寒々とした冷気を帯びていた。
 武器一つもたない身となったクリフォーレ王は、眼前で剣を構えたまま佇む王と、いまだ血に汚れていない鈍く光る剣を手に歩みよる王の臣下を交互に見ながら、後じさりした。そして蒼白な顔から冷や汗を垂らしながら身震いし、
「この恨み決して忘れんぞ」
 と、捨て台詞を吐いて、林のおく目指して脱兎のごとく逃げ去っていった。
 王を失った軍勢がまたたくまに戦意を喪失して、武器を収めて撤退の支度にかかるのにそう時間はかからなかった。その雑然とした様から目を離すと、オトゥール王は臣下に向かって言った。
「ニアードのことは残念だった」
「申し訳ございませんでした」
 トバイアスは大地に拝跪はいきして頭を深く垂れた。
「予想外であった。卿がこうも早く金の世界に感応したことはな。恐らく、予の意識だけでなく、かの親衛隊からも意識が流れたのだろう。致し方がなかったのだ。じきに卿にもそれがわかるようになろう。今はまず老卿の亡骸のことを考てやろうではないか」
 かつてオルトンの側近だった男の手によって、すでに戦車に横たえられていた老卿の傍らに、若きオトゥール王と智謀の将トバイアスが赴いたとき、太陽が地平線の下に没した。
 こうして十年に及ぶ戦火の焔は消えたのである。聖ステファノの日まで幾日かを残していた。
 
――#14――

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ipsilon at 03:06コメント(0)小説『オトゥール王の氷像』  

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