2018年01月

2018年01月31日

愛の本質は、『他者をそのすべての独自性と一回性において体験』し、他者を『そのあるがままの姿で捉える』ことにある。

ということを、解説にあるさらに具体的な言葉で探すなら――
その子供(一個人)が生きてそこに存在するという存在そのものが神々しい光を放っているのである――
になるだろう。

しかし、ここでは「存在」するという定義に注意が必要であると解説されており、そここそが最も重要である。

つまり、目の前で起こった出来事をただ見ているという態度であっては、その出来事に関わった人物は存在しないのであり、自分がその人物に関わってはじめて、その人物も存在し、かつまた自分自身も存在するという捉え方をフランクルはしているわけだ。

目の前で起こった出来事、それはただの事象。そこに関わりなんらかの関係を創造してはじめて、そこに自分と相手という「実存」が存在することになると捉えているわけだ。

であるからして、自分「だけ」が実存するという実存はあり得なく、実存は常に自他に境のない形態でしか起りえないということであり、無論これは仏教の自他不二という思想でもあるわけだ。

目の前で交通事故が起こった。そこで観て見ぬふりをしたなら、そこには事故に遭った相手はもちろんのこと、自分も存在しないということなのだ。
しかし、そこで被害者に関わり、心を痛めたりする「(共通)体験」をすることで、そこに自分と他人が同時にかつ不可分の存在としてはじめて「実存」するということだ。

そして、こうして起こる共通体験というものは、時代や空間、人種や国境を超えて、普遍的に起る現象であるから、そこに超意味という決して人間が(言語などによって)認識不可能な無意識の真理があるとフランクルは言っているわけだ。
ようは聖人などと呼ばれる人々はそういった真理に「生命」だとか「意識」だとか「生」といった「名前」をつけて、そういった真理はわれわれの中にあり、体験し心を動かすことで起こると語ってきたのだろう。

だから、いかなる解決策のない絶望という体験であっても、意味がありかつ価値があるわけだ。
どんなに巨大な絶望であっても、それを体験することで、「間違いなく自分は今ここに実存しているという証」だからだ。
その証こそが自分は今ここに生きているということなわけだ。
だから、交通事故に遭った人に対して見て見ぬふりをするということは、その瞬間、その人は死んだまま生きていたということだとフランクルは言っているわけだ。

別のいい方でなら、恋愛や愛情というのは、つまるところ「継続的に関わっていくこと」だともいい換えてましたけどね。
そのときに囁きあう言葉や身体的接触や性的行為などは、「継続的に関わっていくための“手段”」にすぎないと。



過去の不幸であれ未来の不幸であれ、それらはすべて変えることのできない運命であり、事実である。しかし、それらの事実をどのように受け止め、どのように解釈し、そこから自己の人生をどうのように形つくっていくかは現在の自己の「態度」にかかってくる。(中略)
現在において決定的に重要なことは、それらの運命が「自分に課せられた十字架」としてどう「引き受けるか」ということである。
『苦悩』に『耐える』こと(引き受けること)によって、人は「運命を事実の次元から実存的なものの次元へ移す」ことができる。


大事なのは事実から実存の次元に引き上げられてこそ、人間として生まれて来た価値があるという部分だろう。
そして、その存在をどのように実存にしていくかを思索する作業こそ、宗教で行われる瞑想であったり、止観なのだろう。
そのことをフランクルは人生の意味を問うのをやめて、人生からの問いに耳を傾けるという言葉で言っているわけだ。

自分はこんなふうになりたい。こういうことがやってみたいといって生きる人生に意味はない。なぜならそれは尽きることのない欲望の道でしかないからだ。
したがって、価値ある人生を歩もうとするなら、今自分の目の前で起こっている出来事に対して、自分がどのような態度をとれば自他(世界)にとって最善であるかを、一回性である瞬間瞬間ごとに考えて行動することであると言っているわけだ。
そしてそうなるためには、人生の意味(自分の願いを叶えるには?)などを問わず、人生からなにを問われているか(自分は今ここで何をするのが最上か?)を意識し自覚することが大事だと言っているわけだ。

最近、河合隼雄の講演を聞いたが、彼も同じようなことを主張していた。
坐禅をして世界の真理に辿りついた人は、自分を含むありとあらゆるものが単なる存在(“もの”)であると気づくのだと。
そして、その存在とどう関わるかで人は自分や他人(人間)や世界(環境)を創り出しているのだと。




「このように運命は扉をたたく」という第一楽章へのベートヴェンの解釈から察すれば、
第四楽章は、劇的な運命をどのように引き受け、それを享受して喜びに変えたかを歌っているのだろう。
だからわたしはこの第四楽章が好きなのだ。


物が幻影であるとかないとか言うなら、私も幻影だ。(中略)物は私の同類だということ。それこそ、物を私にとって愛すべく、とうとぶべきものにする。だから私は物を愛することができる。(中略)
世界を透察し、説明し、けいべつすることは、偉大な思想家のすることであろう。
だが、私のひたすら念ずるのは、世界を愛しうること、世界をけいべつしないこと、世界と自分を憎まぬこと、世界と自分と万物を愛と讃嘆と畏敬をもってながめうることである。

(ヘッセ『シッダールタ』)





ipsilon at 21:29 
(世界を見わたせば、技術的進歩など様々なものが見えるが、実のところこの世界には)
ひとりひとりの内面の進歩しかないということです。

すべては、その人がどういう人間であるかにかかっていることを、私たちは学んだのです。最後の最後まで大切だったのだは、その人がどんな人間であるか「だけ」だったのです。


フランクルの主張は結局のところ本質的には、ソポクレスの『オイディプス王』で主題にされた運命との向き合いかたを語っていると思えた。
そしてまたそれはシェイクスピアが『ハムレット』のなかで語っている運命との向き合いかたでもあるのだろう。

ゲーテはこう言っている。
運命は深い傷をおわせるものですけれど、たいていは癒ります。心が人におわせた傷、心が自分におわせた傷は、癒らないものです。
またこうも言っている。
人間の運命よ。お前はなんと風に似ていることか。

彼は運命には二種類あると言っているのだ。
内的運命と外的運命と。

外的運命とは起こった出来事であり、
内的運命とは起こった出来事に対してとる「(心の)態度」であり、
この二つは関連しあい単一であるわけではない、と。

ゲーテの思想をみたフランクルはこう言っている。
所詮最後には、運命をどう見たかという内的運命だけが自分に影響を与えると。
自分がものごとをどう見たかで全てが決まるのだと。
だとしたら、外的運命をまず受け入れなければ、それを見ることさえも出来ないのだから、最終的にはすべてを受け入れるしかないのだと。


シェイクスピアは『ハムレット』で、こうした運命の受け入れをまた違った角度で描いている。
人間はどこまでいっても人間であり、神だの仏だのを目指したとしても、結局のところそこに辿りつけるはずがなく死に、土に還ってゆくだけであると。

もちろん、神や仏を目指す過程に意味はあるが、成仏するという結果は、人間にとっては意味のないことだということなのだ。
そもそも人間は神や仏にはなれないのだと。
人間はどこからどこまでいっても人間であるのだ。
こういうことを知っている人こそ、人間らしい人間であると。

人事を尽くして天命を待つ。

これが人間に出来る最上の生きかたであろう。


もしも、外的運命という暴風に足をすくわれそうに思うなら、内的運命という深くて澄み渡った静寂な湖底に立って世界を見ればいいのだ。

Inside looking out すれば――内から外を見れば――いいのだ。



Now is the hour and moment
今という時間と瞬間
Don't let the chance go by
チャンスを逃すな
Your ship is sailing with the high tide
きみの船は満潮の波に乗っている
And all your dreams are on the inside
そしてきみが抱くあらゆる夢はきみの内側にある
On the inside looking
だから内側から見るんだ

ipsilon at 10:13 

2018年01月24日

人間が人間である以上、人間はそれ自身の感情や主義に反することをすることなどできない。もし名誉のための信条を持っているなら、それを固執しなければいけないのだ。人間がその信条を忘れたとき、すべては失われる。一度でもそれを忘れたら、終点にむかってころげ落ちはじめる。すこしずつその信条は変わってゆき、それがこわれてゆくたびに正当化される理由がつき、やがて人間がまったく人間ではなくなってしまうのだ。


本来大事なのは自分の中から発露してくる感情であり主義であるというわけだ。
しかしそうではなく、自分はこれが正しいと思うなどという自分の外側にある教義だの本尊だのイデオロギーだの見栄といったものを信仰の対象とすることで、人間が人間でなくなると言っているわけだ。
大事なのはそういう外的要素ではなく、自分の「信条」はなにか? を自分自身に問うことだとムアコックは言っているわけだ。

つまり信仰とは本来、自分の内側から湧きあがってくるものを信じるものだと言っているわけだ。
SF小説作家でさえ、わかっている人はわかっている。

自分の内側から湧きあがってくるものが信じられなくなり、本尊だの教義だのをありがたがり、それを信じ、その正しさを正当化することでしか自分が自分たりえなくなる。
そう、これこそが宗教のもつドグマの最悪のものだ。
ドクマを言いかえれば、自分に自信(自分の信条)がない、あるいはその信条がいかなるものかを自己検証し確認していないから、そうなるわけだ。
そして、自分が何を信じているかさえ自己確認していないからこそ自己検証ができず、結果、自己を正当化するドグマ(教義や教条、ひいては会則)を追い求めつづけ、いつまで経っても自分がいかなる信条をもって生きていこうとしているかに気づけない不幸――それも最大級の不幸――に陥っているというわけだ。

ありとあらゆる宗教団体の狂信者というのは、大体において、自教団が正しいという正当化の論理ばかり述べていることを見れば、ムアコックの指摘が的確であることはわかる。

だが、本当に大事なのは「自分の感情や主義に忠実である自分」なのである。
そういう自分自身に生きている人こそ人間であるし、真の信仰者というのだ。

だから、そうした生きかたをしている人は他者からの評価など、さらさら気にしないのだ。


(ぼくのやったことが)もっぱらの噂になっているらしい。ぼくはお世辞をふりまかれたような気分になったが、すこしばかりめんくらいもした。ほかのだれであろうとやったはずのことをしただけだからだ。ぼく自身で選んだ仕事をうまくやってのけたことはわかっているが、それだけのことなのだ。

そう、これこそが正しい信仰者の思想であり態度だろう。
(自分自身を)正しく信仰しているなら、われわれこそが唯一無二の正義の仏意仏勅の教団であるだとか――自分以外の存在(つまり教団)に依存するような発言――は言わないものなのだし、正しく信仰しているなら「われわれこそ正しい」などという「正当化」に必死になるわけはないのだ。

つまり、正しい信仰者というのは、教団が何をやっていようが、どの教団がああ言い、この教団がああ言いなどということになどにはまったく固執せず、自分自身に生き、自身の信条に屹立している人間を指しているということだ。

釈尊が語ったのも、極すればそういうことですからね。
――「自灯明」と。

自灯明あって、そのつぎに法灯明なんだと釈尊は語っているわけだ。
その法というのは、ムアコックの言葉でいえば「ほかのだれであろうとやったはずのこと」――つまりは「普遍性」――のことだ。
カントはこの「ほかのだれであろうとやったはずのこと」を提言命法と言ったわけだ。
ルソーの場合、それを一般意志と名づけ、社会生活はそういう意志に基づいて行われるべきであり、そうしようとして成り立つ契約を社会契約と名づけたわけだ。
宮台氏は、それを「(自他の)入れ替え可能性」と表現し、皆がそういうことを考慮できないから、社会はどんどん悪くなっていく一方なんだと言っているわけだ。

そしてカント曰く、定言命法に則っれた瞬間だけ、人間は真に自由であると語っているわけだ。
これをもっと簡単に言えば、ヒトであるなら誰もが必ず持っている「心の理論(他者の立場にたって思考し、思いやりをもてる能力)」を活かせということになるわけだ。


無知はけっして悪を生まない。危険な罪悪を生むのはただ誤謬の観念である(ルソー)

つまり、自分は無智であると知っていることが、人間として最も大事なことなのだ。
あれはこうで、こうれはこうである、などと知ったつもりになることは、無知であることより、よほど恐ろしいというわけだ。

ipsilon at 09:56 

2018年01月10日

よしんば人々が、僕のすることを穿鑿しようが、この原稿を気に病もうが、それを奪おうが、禁止しようが、偽造しようが、今後は、一切がっさい、僕にはどうでもいいことだ。僕はこの原稿を隠しもしなければ、べつに誇示もしない。
よし人々が、僕の生存中、それを奪い取ったとしても、それを書いた楽しみを、その内容の思い出を、孤独の瞑想を奪うことはできぬだろう。実にこの原稿こそ、その瞑想の果実であり、またその泉は、僕の心と一緒にしか涸れることはあるまい。


心の平穏、静謐――絶対的幸福――というのは、こういう生きかたにしか存在しないということだ。

ipsilon at 16:13 

2018年01月09日



死にたいくらいの苦痛も、苦悩も、今ここに生きているから感じられるんです。
そして、この広い宇宙にあって、それらを感じられる唯一無二の存在はあなただけなのです。


孤独も弱音もすべて
あたしが愛さなくて、誰が愛する?
あたしが愛さなければ、誰がそれを愛するの?





Take a Look at yourself and then make a change !

自分を見つめて、そこから変えていくんだ!

CHANGE !!



ipsilon at 19:45 
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