2019年04月13日

遠藤周作『沈黙』

 祈りというものが、この地上の幸福や僥倖のためにあるのではないことはよくわかっていましたが、わかってはいても私は真昼のこの恐ろしい沈黙が早く、村から去ることを祈らざるをえなかった。

 少々わかりにくい言いまわしをしているが、ここで遠藤はキリスト教の信仰とはどんなものかを語っている。
 すなわち、信仰とは現世利益や救いを求めるものではなく、神への感謝、神への賛嘆であるというわけだ。ここではそれをまだ明確にしていないが、後にきちんと言葉にしている。


 罪は、普通考えられるように、盗んだり、嘘言うそをついたりすることではなかった。罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れることだった。

 キリスト教で非難される罪とは、「無関心」ということであろう。


 祈る時は神に感謝するためではなく、助けを求めるためか不平を言うためだ。それは司祭として屈辱であり、恥だった。神は讃めたたえられるためにあり、恨むために存在するのでないことを勿論、よく知っている。

 これもまた言いまわしが逆説的なのだが、キリスト教にある祈りの本質を述べているところだ。
 願いを叶えてもらおうとしたり、助けを求めるのではなく、神への感謝、神への賛嘆こそが祈りであるのだ、と。


 日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力を持っていない。(中略)
 日本人は人間を美化したり拡張したものを神と呼ぶ、人間と同じ存在をもつものを神と呼ぶ。だがそれは教会の神ではない。


 非常にするどく日本人の宗教観を述べていよう。日本人は、理性の範囲を超える神という概念を信じることが、まずできない。出来たとしてもそういう神が、自分たちを救ってくれ、願いを叶えてくれる、現世利益をもたらさなければ敬う気にならないということだ。理性で判断して神なんかいない。そう言ってしまう時点で、すでにキリスト教的信仰には入れないということだ。信仰というものは、神がいるいないを論じるものではないということだ。

 なぜ日本人はそうなるのか? 
 第一の原因は、日本人はキリスト教のような超越的な神を敬ってきた経験が、古代からずっとないからだ。
 だから、超越的な存在を信じることがまずできない。神社に祀られるのは、かつて現存した人物を神として崇めるのだし、天皇というのも現人神であり、キリスト教のような超越的な神ではないからだ。鎌倉仏教にしてもそのような傾向性が強く、現存した教祖を仏にしてしまい、そうした教祖の説いた教義には執着するが、仏教でいうところの「法」という超越的なものに帰依する傾向が非常に少ないのである。

 また第二に、日本語のもつ特性によって、霊感に打たれるという体験が得られにくいからだ。
 つまり、ユダヤ教にしろキリスト教にしろ、預言者というのがいるのだが、彼らは特別な存在ではなく、現代風に言えば、詩やこの世界にある「韻律」を直観視できたのだが、日本語というのは、そのような「韻律」を感じることが出来にくい言語であるからだろう。

 この点は、日本人にとって決定的な不幸だといえよう。
 欧米や古代インド古代ギリシャを知れば肯けるであろうが、彼らの残してきた文書は、ほとんどすべて韻文であり詩文であるのだが、日本にはそのような傾向がないのである。こうしたことから、日本語がいかに韻文をつくるのに向いておらず、またそうした韻文を朗読し、聞くことによって直観視することに向いていないかがわかろう。こういう点から、日本人は超越的な存在を信じられないのである。

 韻律というのは、韻と律にわけられるのであるが、日本語詩は実は律だけである。
 いわゆる、五・七・五・七・七、というのが律である。つまり、文をつくるときの決まりである。日本語詩というのは、韻という面においては、どうにもしようがないくらい、他言語に劣っているということだ。
 無論、日本語詩にも、頭韻、脚韻、中間韻などがあるが、なににしても発音する音の少なさや母音の長短の少なさで圧倒的に他言語に及ばないのである。
 かつまた日本語はアクセント(強弱)が非常に弱く平坦であり、朗読したとしても多言語に比べて、圧倒的にリズムを感じられないのである。
 周波数の幅でいうなら、日本語が100Hzの幅しか持たないとしたら、多言語は300Hz以上の幅でアクセントがあるわけだ。

 このように、日本語というのは、詩や韻律、ひいては直観知や霊性というものに関して、非常に悲惨な言語なのである。したがって、霊感を得にくいゆえに超越的なものを体験的に信じられないのだ。
 アクセントや韻律に関して言うなら、中国語のほうがよほど優れているのである。

 詩をとことん学べば、ここで述べたことは納得できるだろう。
 わたしはなにも自虐的になって日本語を貶しているわけではないのである。

 ともあれ『沈黙』を読むなら、旧約聖書の「ヨブ記」の要旨を知って読むことを強くお勧めする。

 おせっかいに「ヨブ記」の要旨を言ってしまうなら、神を信じるということは、ソクラテスの言った「無知の知」を納得するということである。理性では知れない法則やら運命というものがあって、それは受け入れる以外にしかたがないということを自覚するということが、神を信じるということであるのだ。そのうえで出来ることをするというのが、キリスト教の信仰なのである。
 神がなんであるかを理解するこはできないということを理解するのが、神を信じるということなのだ。

 カントも『道徳形而上学原論』で、定言命法(神からの絶対的命令)とはすなわち――
 この命法はもともと理解できないものであることを理解するのである。
 と言っているわけで、理性には限界があるのだから、その限界を超えたものがあるという次元は、信じることでしか到達できないし、信じて実践していくなかでようやく、そのようなことを直観的に体験できるものであるということなのである。
 そして残念なことに、日本人(日本語)はこういうことを理解しにくいものなのである。
 そして、そのような日本人には近づきづらい次元に生きることを、キリスト教では「愛」に生きるというのだろう。


 ともかくも、遠藤周作が『沈黙』で提示した問いへの答えは――
 自分と他人のどっちがより多く苦しんでいるかを、その時その時に見極めて、自分のほうが苦しんでいるなら自分のことをやればいいし、相手のほうが苦しんでいると見えたら、相手に手を差しのべればいいということになろう。

 自分のためだけに信仰するのも、他者を救うためにだけに信仰するのも、ともに偽善である。
 時と場合によって、「汝の為すべきことを為せ」という聖書の言葉に従うのが、真の信仰者であるということになろう。括弧で括った言葉は、ユダが裏切りをしたあとに、イエスがユダにいった言葉である。

 ただし他人を救うためには、まずもって自分のために信仰を貫き、どのような状態にあるのが心身の安穏であり静寂であるかを体験的に知る必要があるわけだ。
 むろんここで述べた自分のため、他人のためというのを同時進行で行えれば理想的であるのだろうが、やはりまず、自己の信仰体験を積んだうえで、他人に手を差し伸べるのが良いのであろう。
 しかし、相手の生命が失われかねないという状況にあるなら、悩むことなく手を差し伸べればいいわけだろう。


 蛇足として、日本語と英語の韻律の違いを体感できるあろう、聖フランチェスコの平和の祈りを引用しておく。(原文はフランス語であるらしいが)

英文一行目にはおおよそ――エ イィ ア イィ エ ア エ という韻律があるが、
日本文になると、そういった韻がほぼ完全に死んでしまっているのわかろう。
主よ(オ)、私を(オ)、平和の(オ)、器と(オ)、ならせて(エ)、ください(イ)、といった具合に、韻はほぼ完全にリズムが死んでいるわけだ。

 フランス語からの翻訳なので、英文も韻律が多少崩れているが、それでも短、長、短、長、といった韻がある。しかし日本語は、短母音のオが連続するので、短、短、短、短、長、長という滅茶苦茶な韻になっている。

 韻は音楽で考えれば理解しやすい。一拍目は弱拍、二拍めは強拍、三拍目は弱拍、四拍目は強拍になるということ。これは短、長に置きかえても通用する。

ズン、ター、ズン、ター、と声にしてみればかる。普通ターと伸ばして長い音になるからだ。
ズン、ター、ズンズン、ターでもOKである。これは三拍目が、短短になり、長と同じとみなせるからだ。
そして、この長短を故意に入れ替えるのが、いわゆるシンコペーションとか、ポリリズムというものである。

 そしてこの韻律はわれわれの肉体にもあるリズムなわけだ。
 呼吸、鼓動などなど。怒っているときには怒ったリズムになり、嬉しいときには嬉しいリズムになるということ。
 そういうことを意識的に感じようとしていれば、日本人でも超越的なものを感じられるというわけで、その典型的な方法が瞑想によって呼吸のリズムを見ることになろう。

 心臓の擬音、ドッ、クン、ドッ、クンが、短、長、短、長になっているし、
 呼吸の擬音、スー、ハーァ、スー、ハーァも、短、長、短、長になっているといっていいだろう。
 詩人はこのような韻律を感じて、怒りのリズムを見つけて、そのリズムに見あった言葉を見つけだして並べるわけだ。楽しいときにもまたリズムがあり、そのリズムに見あった言葉を探して並べるというわけだ。
 ゲーテが詩は言葉遊びみたいなものという理由はこのような部分にあるのだろう。

 したがって、祈りの言葉にあるリズムというのは、超越的ななにものかに感謝し讃嘆しているときに人間の身体に起こるリズムを模しているといっていいだろう。
 韻律をもつ詩歌が、古代から長年にわたって祈祷や祭事に用いられてきた理由はこのようなことろに見出せるのである。だから叙事詩にあう韻律と抒情詩にあう韻律も異なるし、コール&レスポンスにはそれに見合った韻律があり、古代ギリシャ人にしても古代インド人にしろ、そのようなリズムを見つけだして、祈祷や祭事に使ってきたのである。
 したがって、韻文がすたれ散文ばかりになっていくことは、人間が人間自身を見失っていくということになるし、過剰な理性偏重に陥り、自然を破壊する方向に理性が働きすぎる結果を生むわけだ。

 とまれ、日本で韻律を伴うものを探すとしたら、雅楽方面に目を向けるのが良いのだろう。
 なににしても、日本語は他言語にくらべて韻律的に徹底的に不利なので、韻律を感じるのではなく、文字で表されている意味性に目が行きすぎ、その結果、日本人の宗教観は、理性で納得できる方向(教義への過剰偏重)にいきがちだといえるだろう。

 日本仏教で有名な二つの題目。
 南無阿弥陀仏は本来、「ナマス・アミタ・ブッダハ」といったように、その言語で発音することによってはじめて意味があるのだが、漢訳したり音写することによってそこにあった韻律が死ぬので、日本人は言葉の意味性に注目するしかないということだ。
 南無妙法蓮華経も、もとは、「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ 」であって、そこにある韻律に意味があるのであって、いくら鳩摩羅什が名訳家だといっても、南無妙法蓮華経にしてしまえば、そこにあった韻律はもはや死んでしまうわけだ。発音してみれば一目瞭然である。だから、いくら南無妙法蓮華経と唱えたとしても、それはもはや本来の言語にあった生態的リズムではないわけだ。
 そういう意味で、真剣に形而上学的なものを学んで吸収しようとするなら、原語で読むのが最もすぐれた学び方、というか経典を原典で朗読することがそのまま宗教的体験になるのだが、日本では、そのような形で仏教やキリスト教が紹介されていないわけだ。
 その意味でいうと、そういうことに気づいていたであろう、中村元さんとかは、やっぱり偉大なのだ。
 経典を読むためには、パーリ語、サンスクリット語が必須だと考えていたのだから。
 また、ショーペンハウァにも、そのような傾向がある。彼はヴェーダ聖典を原語で読んでいたのだから。

 ちなみに、『沈黙』の主題である旧約の「ヨブ記」は韻文である。また新約にも韻文の場所はあるし、詩編もある。コーランも韻文であるし、古代インド発祥の哲学、宗教書、ヴェーダ、ウパニシャッド(ヴェーダンタ)、仏教のダンマパダなどもみな韻文である。ヒンドゥーの聖典バガバット・ギーターが含まれるマハーバーラタも韻文であるし、ネイティブ・アメリカンの言葉もまた韻文なのである。
 コーランは翻訳してはならないというのは、そういう意味でみれば当然のことなのである。
 ということで、日本人(日本語)はその意味で、致命的といっていいほど、超神秘(身体リズム)を感じられないゆえに、理性で説明のつかないことが信じられない傾向性が非常に強いのである。
 それならば、理性を徹して鍛えればいいのだろうが、んまァそういう方向に努力する人はそう多くないわけだ。感情感覚に頼り、相性がいいとか云々でものごとを判断しているということになろう。

 聖書を読むなら文語体がいいというのも、そのような経緯から言われていることである。原語の文と比較すると韻律は死んでしまうのだが、それでも文語体のほうがまだリズムがあるように感じられるというのが、文語が勧められる由縁といって間違いはないだろう。

 わたしが最近読んだ、ホメロス『イリアス』も、リズムを感じたいなら、青空文庫にある土井晩翠の文語体訳のほうがいいのだが、あらすじも知らないでそれをやるとまず挫折するレベルであろう。わたしはすぐに挫折した!
 聖書も、口語体・文語体の双方をネットで読めるので、試しに読んでみるのもいいかもしれない。

 だが、日本人の作家だって捨てたものではないのだ。
 いわゆる名の知れた作家はみな、超神秘な神を目指すべきなのだが、日本にあるそういうものは天皇だけだと見抜いて、天皇への信仰が一番超神秘に近づきやすい道だと考え、多くの作家がその方向に進んでいったわけだ。三島由紀夫がその典型であるが、太宰もまたそうである。『人間失格』は天皇の『人間宣言』を受けて、日本における天皇制が形骸化することで、日本人から感謝・讃嘆という祈りがなくなることを憂いたわけだ。
 感謝・讃嘆の祈りをもたない人は「人間失格」である。太宰があの作品に込めた思いはそこにあるのだから。

 そう考えると、天皇を政治利用し戦争へと突き進んだ旧陸軍と日蓮主義者たちが行なったことがどれほど罪深いかは理解できるだろう。もっとも天皇利用の起源は明治政府にあるのだが……。そして今の日本はまたそういう方向に進もうとしているわけだ。令和とか、ありえない元号を選んで……。
 くわばらくわばら!

ipsilon at 18:39コメント(0)  

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