2019年04月17日

佐保田鶴治『ウパニシャッド』

 非常に勉強になった。
 
 梵は学道によっても、苦行によっても、思索によっても得られる。しかし、かように知って、この三重、、の方法を併せて用いて梵を観想ウパースする者の如きは必ず梵のさらに上位に達し、神々よりもさらに勝れた神位に到り、かつ不滅、無限、無悩の福祉を享受するに至るのである。

 これは後期ウパニシャッドの、マイトラーヤナ・ウパニシャッドにある一文である。
 ウパニシャッド独特の神秘主義(主知主義)に傾倒しすぎて、梵の上位にさえ到達できうというのは、非論理的で行き過ぎではあるが、この一文にはウパニシャッドが系統的にまとまってきた最終形のような趣がある。

 それが、三重という考え方だ。
 しかしここで言われている「苦行」というのは、一般にいわれている意味ではない。世間の中で自律的に社会的責任を果たす義務のことである。学生時代には学ぶ、社会人になったなら働く。働いて生活の安定を得たなら、配偶者を得て子どもを設ける。壮年後期、あるいは老年になったなら、社会から身を引いて、森林に隠れて真理の探求に勤める、または遊行する、あるいは出家するという一連の流れを「苦行」といっているのである。

 したがって後期ウパニシャドにある三重というのは、
・自律的に己を制御する。
・真理はなにかを学問として学ぶ。
・瞑想やヨーガによって真理を覚知する。

 ということになり、後の仏教の根幹である三学(戒・定・慧)
・戒=自律的にたてた法を守る(自己の法に生きる)
・定=瞑想により、心を安定させる。
・慧=瞑想により真理を覚知し、かつ自律的に自由に生きるための術を知る。

 は上記のようになり、仏教とウパニシャッドが形式的には異なるとしても、本質的には同じ場所を目指していることがわかろう。


 またウパニシャッドでは、顕在意識と潜在意識(換言するなら、主体と主観=見ている主体と主体が見た主観)の関係を知り、潜在意識(主体)こそ真我であり梵であるとヨーガによって到達せよと説き、
 仏教もスッタニパータを見ればわかるが、二種の観察でそのように説いている。

 『二種ずつの真理を如実に知るためである』と。しからば、そなたたちのいう二種とは何であるか、というならば、『これは苦しみである。これは苦しみの原因である』というのが、一つの観察(法)である。『これは苦しみの消滅に至る道である』というのが、第二の観察(法)である。修行僧たちよ。このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。

 ――すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないこと(不還)である。――


 ここで言われている最初の観察は、主観(顕在意識)がなにをどのように見ているかを知り、それに見合った行為(苦しみの生まれない行為)を選べと言っており、それこそが現世の<さとり>だと言っているわけだ。
 そして次の観察は潜在意識の立場で観るならば、顕在意識によって観察したものは、一種の妄想であると見よと言っているわけで、ウパニシャッドにある主観と主体の関係(顕在意識と潜在意識の関係)を知れば、真我(梵)とはなにかを知ったことになるというのと同じなわけだ。ただし、それで真我(梵)に到るわけではない。梵に到ることは、あくまでも神秘的体験であるということである。

 だたこの「神秘」という言葉も、非常に誤解されて使われているので、注意がいる。ようは主知主義のことであり意識を観察することによって知れる、ある意味で概念化できない体感をともなうものと考えればいいだろう。
 神秘=知りえないというのではないのである。

 そして、仏教の場合、最初の観察によって得られるのが「現世における<さとり>」であり、次の無意識の立場(顕在意識をただ観察しているだけの無意識)の立場から観察すれば、解脱の境地(輪廻からの解放)に至ると言っているわけだ。その場合、顕在意識で見た一種の妄想が(煩悩)残っていたとしても、解脱に到れると言っているのだ。

 なぜかなら、顕在意識において苦しみの起こる原因を見て、苦しみが起こらない行為を選んだという行為を選んでいるので、そのような選択をしたという煩悩が残っていても、実質的には煩悩を滅却したうえで、次の観察に移っているので、解脱できると言っているのだ。
 とはいえ、仏教の場合、現象学的な捉え方をする「生の哲学」なので、悟りはあくまでも主観に対する適切な行為であると述べ、顕在意識と潜在意識を同時に見ることはできないと言っているのだろう。
 それが「二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る」という一文だ。
 現実の生活面での心の安定(これが仏教の悟り)を選ぶか、あるいは解脱の境地(これが仏教の解脱)を目指すかは本人に任されているということになろう。

 また、このように煩悩が残っていても解脱できるという言い方は、ウパニシャッドにも見られた。
 したがってわたしは、仏教とウパニシャッドの目指している場所は同じだと考える。ただし、そこに到る方法論が少し違うというのは事実だろう。

 まあ、何をどのように考えるのかは人それぞれの自由だ。
 大事なのは、他人の思想を否定したり裁かないということだからだ。
 何にしても、ウパニシャッドも仏教も意識が二重構造(顕在と潜在)になっていることを知るのが大事だと言っているのである。そして仏教の場合、顕在意識のうちで出来ることをしろと言っているのであり、ウパニシャッドは顕在と潜在の双方を見ろと言っているのだ。
 そうなると、仏教でのものの見方をすると、ある種の相対主義に陥る可能性があるわけだ。なぜかなら顕在意識は必ず二者択一を要求するからだ。もう一つ、判断しないというのもあるが、それだと生きていけない。だから、仏教的に思考すると、どうしても相対主義に陥る。
 そいてそうした主義は、己の苦悩にならないように、それぞれがそれぞれの主観でどちらかを選べといってるのだから、基本的に各人の価値観に一致する部分がなく、そのようなことだと社会が成り立っていかないのだ。

 一方のウパニシャッドはどうかというと、双方を見るので、誰にも共通する真理が存在するという思考があるので、社会に秩序が顕われるということになる。そして、その真理の範囲内で、個々人が自律的であれという思想になろう。
 もっとも仏教のほうも、それぞれが相対主義だということを認めあい、それぞれの選択を尊重するなら、社会は成り立つのだが、そのためには社会の構成員の多くが寛容であらねばならない。

 どちらにしても、差異を認める、裁かない、赦すという思想が人々に行き渡れば問題はないのだろうが、まあ、人間にはそれが出来ないわけで。だから、そのような差異を赦せない人が仏教に身を入れてしまうと、極端な相対主義に陥り、最後は異質分子を排除する方向に行きやすいのだろう。

 だからわたしは共通の真理があったうえで個々人の自由を尊重するシステムのほうが、現段階では優れていると思う。
 仏教は差異を認められる優れた人が信仰しないと、相対主義、排除主義に陥る危険があるからだ。
 仏陀がはじめは出家者しか教団に入れなかった理由は、そのへんにあったのだろう。

 キリスト教のプロテスタント運動が起こったのは、印刷技術が進歩し、各国語の翻訳が進んだゆえ、民衆が聖書を読んで、それまでの聖職者の欺瞞を見抜いたからなのであって。
 そしてそういう点で見ると、未だに仏教はそこまで高度な理解をしたポピュラリティを得ていないと思うからだ。仏教を救済の宗教だと見ている時点で、仏教を理解していないというとだ。


 とまれ、どのように瞑想すればよいかも、本書を読んで理論的にはわかった。
 顕在意識で顕在意識を徹底的に見つめることによって、顕在意識を消滅あるいは顕在意識が顕在意識に没入したとき、潜在意識が自然に顕われるということのようだ。
 ともあれ、古代人の観察力、思索力の凄さには圧倒されたのである。


 余談だが、後期ウパニシャッドにある祈りの言葉が非常に美しいので、引用しておく。
 もっとも、その祈りの言葉は、後にヒンドゥー教に取り入れられ、今でも信者さんが朝な夕なに唱えているのだそうだ。また、スッタニパータでも、その祈りの事に触れている部分がある。
 といったように、仏教は仏教、ヒンドゥーはヒンドゥー、ウパニシャッドはウパニシャッドというように、厳密に線引きして批判したり評価するのは、個人的には馬鹿げたことだと思っている。
 ようするに、差異を探しあって批判しあうより、共通点を見出して共感しあっていくほうが価値的だと、わたしは思っているだけである。

 福岡伸一さんの言っていたとおりだと思うわけだ。
 世界はわけけないことにはわからない。しかし、世界はわけてもわからないのである。

 ということで、ガーヤトリー・マントラ。

オーム(aum)
(宇宙の始まりの音)

ブール ブワッ スヴァハ
物質界、心の世界、因果の世界に満ち満ちている

タット サヴィトゥル ヴァレーンニャム
至高たる、サヴィトリの、実在を讃えます。

バルゴー デーヴァッスヤ ディーマヒ
究極の精神の輝き、聖なる真理を、深く瞑想いたします。

ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤート
かの叡智によって、我らに光があたえられ、絶対の真理を悟ることができますように。



 蛇足だが、思想哲学を学ぶにあたっては、文献学的に探究するのは避けたほうがいいと強く思った。
 この経典にこう書かれているからこうなんだというのは、思考の幅をせばめるからだ。
 仏教の経典を読むにしても、経典にすべてが書かれているわけではない。そこに書かれていない思想も仏陀にはあっただろうということだ。イエスの思想を学ぶにあたって、聖書だけに限定しても、イエスの真意は見えてこないとも言えるのだろう。

 んま、日蓮のように文証がないものは駄目だという思考はやめたほうがいいということである。
 経文至上主義はやめたほうがいいということだ。自ら視野を狭める必要はなかろうということだ。

 で、わたしは生命の究極的実存は「光」だと思ってるんですけどね。

ipsilon at 23:19コメント(0)知への愛「思索・備忘録・箴言」 |  

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
プロフィール

イプシロン(シンジ)

カテゴリ別アーカイブ
記事検索
最新コメント
ギャラリー
  • 小自分史(1)
  • Thank you my girl
  • 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
  • 勝利のアクビ
  • 一瞬の憩い
  • 笑顔は美しい
  • 4つ目の自分
  • 4つ目の自分
  • 3つの自分
  • アリイ 1:48 三菱零式艦上戦闘機52丙型(a6m5c)
  • ハセガワ 1/700 病院船「氷川丸」 竣工
  • フジミ 1/72 空技廠 零式小型水上偵察機(E14Y) 完成
  • ハセガワ 1/700 重巡洋艦「古鷹」 完成
  • スケッチ アミダラ女王
  • 静止した時間
  • 蝶
  • 祈り
  • チャム・ファウ
  • どこかのお家の猫ちゃん
  • 「みちくさ」
  • ザハロワは美しい!
  • デジ絵「星座と少女」(完成)
  • チュチュがじゃまだよ〜
  • アティチュード
  • 瀕死の白鳥
  • デジ絵「夏の風」(完成)
  • デジ絵「風」(完成)
  • デジ絵 ランカ・リー(完成)
  • 栗木さん 応援イラスト
  • イラスト「天使」
  • 水彩画 愛嶋リーナ 完成
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「graduation 」
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「アメジストの祈り」
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「初雪」
  • 水彩画 愛嶋リーナ
  • デッサン 愛嶋リーナ
  • 水彩画 アリスとネズミ
  • イラスト アリスとドロシー
  • イラスト 眠そうなネフェルタリ
  • スケッチ 微笑の国の人
  • なんでだろうう? と思うこと
  • スケッチ アソーカ・タノ
  • スケッチ ライオン
  • 3DCG X-Wing fighter
  • 3DCG X-Wing fighter
  • 3DCG 缶コーヒー"カフェバニラ"
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • スケッチ 騎士の左腕
  • アーソウカ、、だった!
  • スケッチ 懐かしのアイツ
  • ニャンとも言えない気持ち
  • 旧作 ペン画
  • デッサン ドイツ兵 in 1944
  • 水彩イラスト ニホンカモシカ
  • デッサン アフリカゾウ
  • 水彩画「水辺の豹」
  • 習作デッサン「豹」
  • 旧作 Gジャンガール
  • イラスト「蜜虫」
  • 「ネフェルタリと豹」下絵
  • イラスト「ネフェルタリ」
  • 水彩画 「装身具をといたクレオパトラ」
  • デッサン+色鉛筆 眼
  • スケッチ 「装身具をといたクレオパトラ」
  • 習作 ネフェルタリ 下書き
  • デッサン 眼
  • デッサン途中 布の研究
  • 旧作 F-4E"Phantom2 & F-5E"Tiger2"
  • 旧作 F-4E"Phantom2 & F-5E"Tiger2"
  • デッサン チャイナドレスの子
  • スケッチ クレオパトラ
  • 水彩画 死せるクレオパトラ
  • スケッチ クレオパトラ
  • デッサン 小野田寛郎さん
  • デッサン 猫
  • デッサン Diane Kruger
  • デッサン ベッキー・クルーエル
  • デッサン 中澤裕子
  • ベッキー デッサン
  • 萌えキャラ 線画 修正 その1
  • 萌えキャラ 下塗り
  • デッサン 杉崎美香 8時間目
  • 習作 フォトショップ 萌えキャラ風塗り
  • デッサン 杉崎美香 6時間目
  • 欝
  • 習作 水彩 その1
  • デッサン 杉崎美香 4時間目
  • 習作 小池栄子 その1
  • 習作 杉崎美香 その4
  • 習作 Face
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 杉崎美香 その3
  • 習作 杉崎美香 その2
  • 習作 その4
  • 習作 杉崎美香 その1
  • 習作 その2
  • 習作 その1
  • 習作 その1
  • 習作 その1
  • 好き好き大好き
  • 電話中
  • βズガイキング
  • モー様の絵 ハケーン!(笑)
  • Mクン 見っけた!(笑)
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ