幼少時代

2008年08月01日

 最後に、まだ綴っていない私の家族、姉のことを書かなければなりません。しかし、ここで私は手抜きすることを宣言するのです。姉というのだから、私より幾つか年上ということだけは明らかにしておくが、私があえて記さないところは、これまでやこれから書いていくであろう文脈から読み取ってもらえればと思う。この私なりの優しさ理解できる優れた読者は、必ずいるものだと思っている。

 私と姉は姉弟という関係にしては非常に仲の良い家族だと思っている。男女の壁というのは案外高いもので、身の回りにいる姉弟や兄妹を見回すと、私達のように仲が良かったという話を、あまり見聞したことがない。お互いの関係が凄く良好だったことには、いくつかの原因が考えられるのだが、そのひとつには父との関係があったのだと思える。

 酒好きで気に入らないことがあると物を投げたりして暴れた父であったから、女性という弱さを持つ母と、子供だった姉と私は、3人で固まることでそんな環境をしのいでいたのだ。それゆえ、姉とは自然に良好な関係が築かれていったのだと思える。いつ暴れ出すかわからない父の一挙手一投足にいつもビクビクしていた心の傷は、いまも生々しく残っている。
 当時、そんな言葉はなかったのだが、母は家庭内暴力(Domestic violence,DV)に悩み、子供だった私達は機能不全家庭で育ったAC(Adult Children)なのだといえそうである。
 DVもACも、その後の友人関係や愛情溢れる恋愛や、新しく健全家庭を作ることで時間が解決したり、寛容することもあるのだが、私の場合その後歩んだ道のせいか、いまでもAC体質のようである。

 そんな家庭で育った姉弟ではあったのですが、血縁があれど同じ環境で育とうと個性や性格の違いといったものは面白いもので、私の姉は非常に優秀なのだ。
 私が大好きだった絵も、姉の方が上手だったし、整理整頓も友達作りも上手かった。もちろん勉強だってできた。姉に勝てた事はあったのかと、記憶の引き出しをさんざん引っかき回しても何一つ見つからない。そんな誇れる姉だったからか、当時の私はかなり出来のよい小さな家臣になって姉に仕えていたらしい。
 姉曰く「よく冗談半分で苛めたし、買い物の云い付けとかしたなぁ」などと言うのだが、私は苛められたとも、物事を仰せつかったとも思っていなかった。姉のお古を着ることにも、何の抵抗もなかった。「もうそろそろ、お古は嫌かな?」などと母が慮っても、そんな事すら気にしていなかったのだから。

 並べた学習机に、母に買ってもらったのだろう、お揃いの赤いダックスフンドのぬいぐるみを置いて、父が構えたカメラに屈託なく笑っている姉弟の写真を眺めていると、不完全家庭やACという言葉などこれっぽちも見出せない。ただ、赤いダックスフンドの柔らかな手触りだけが思い出されるだけだ。

ipsilon at 23:46コメント(0)トラックバック(0) 

2008年07月31日

 今日は私の家族を紹介しようと思う。父は昭和7年(1932年)生まれ。壬申(みずのえさる)の長月生まれ。父が生まれた年は閏年だったようである。
 母は昭和7年(1933年)生まれ。癸酉(みずのととり)の弥生生まれ。

 両親が生まれた時代を一言で表現すると「戦前」という言葉が一番わかりやすいのだろう。父が生まれた年には「五・一五事件」が、母が生まれた年にはヒトラー政権が樹立されており、第二次世界対戦が刻々と迫っていた時代といえる。
 太平洋戦争が始まった時、父9歳、母8歳。私が小学校という門をくぐり、何の不自由もない至福の時を過ごしていた年代に、両親は戦争を経験したのだ。どう頑張って想像力を働かせてみても、それがどんな状況だったのかなど、これっぽちも理解することなどできないのだが、両親から聞いた戦争の話は案外さっぱりしていたものだった。

 山梨で育った父は比較的、空襲などには遭わなかったらしいが、それでも富士山を目指して飛来するB−29がギラギラと光って見えたことなどを話してくれた。群馬で育った母は中島飛行機・大田工場に比較的近い場所で育ったためか、隣町が空襲で真っ赤に染まった光景を覚えていると言っていた。
 母には親族が戦争で亡くなった経験もあり、「海軍に行った誰々さんがフネで亡くなったことがあるんだよ」と話してくれたこともある。この話は何度も聞かされ、海軍の制服を着た青年が佇むセピア色の古い写真を見せてもらったこともある。
 私のような核家族世代の人間は、人の死というものを初めて体験するのは、大体において、祖父母の死という場合が多く、私もそうだった。そういった観点から見ると、若くして逝った身近な人の死に、母の死生観は相当揺さぶられたことだろうと思える。そんなことを示す一場面を、母の弟が亡くなる時、私は垣間見た。母親を知らずに育った弟に、いつか渡してあげたいと、ずっと大切にしていた写真を手渡したという場面がそれだ。
 「あの子は母ちゃんの顔もしらないで育ってきたから、ずっと渡してあげなきゃ、渡してあげなきゃって思ってたんだ。でも中々渡せる機会が無くてね・・・。必ず渡してあげてね。」と何度も何度も繰り返し姉に頼んでいた母の姿は今でも瞼に焼き付いている。色褪せて烏賊墨色になった一葉の写真を渡すことを数十年間思い続け、渡たす機会をうまく作れなかった母。どれだけ年月が過ぎても、弟に母親の姿を見せてあげたいと思い続けた優しさ。弟の死が目前だったがゆえに抱えた、母の自責の念はいかばかりだったことか。

 私の母はそんな人だった。

ipsilon at 23:21コメント(2) 

2008年07月30日

 つらつらと、思いついたように自分史を綴っても、まとまりに欠けてしまうので、この辺りで私の生い立ちを少しばかり書こうかと思う。

 私がこの世に生を受けたのは昭和年間、高度経済成長の時代。戦後最大の現金強奪事件、通称「3億円事件」のあった年。手元に残っている母子手帳を見ると、朝の8時頃に産声をあげたようだ。季節は霜月もあと数日で終わり、やがて冬を迎える頃。
 当時の世相は平成の現在とはまったく違い、世界的に見れば米ソ冷戦の時代であり、ベトナム戦争の真っ只中という険しい時代だった。日本は学生紛争が最盛期で「東大安田講堂事件」のあった年でもある。公害問題も深刻な時期であり「イタイイタイ病」が多発していた時期にあたる。

 この時代を自分なりに鑑みてみると、とても悲しい時代だと思える。日本人が戦争を直接体験しなければいけないかった悲劇の時代ではないけれど、世界は精神的にとても混乱していたし、すぐ側にはベトナム戦争という惨禍があった。私が生まれた年は、ベ戦争が終局へ向かう「テト攻勢」があった年であるが、そこではMade in JAPAN のナパーム弾(90%以上は日本製だった)で多くのアジア人が焼き殺されていたのだから・・・。この1例をとっただけでも平和な時代に生まれたと、私には思えないのである。

 当時の若者はヒッピーとなり理想の掲揚と崩壊を見つめなければならなかった。夢や希望を持つべき若者にとっては残忍な時代であったのだと思う。ヒッピーと聞けば多くの人は、ふぬけた若者・フーテンというイメージを持つのだろうが、私はそうは思わない。
 確かに行き過ぎた自然回帰運動やヒッピーの外見や素行に憧れたヒッピーもどきを見れば、ヒッピーに好感を持てる人は少ないことだろう。
 しかし、ヒッピー=High Intelligence People という字義を考えてみると、興味深いことに気付くはずだ。彼らはだてに知識があったが故に現実の自分自身の生活に執着しきれず、自分の住むコミュニティーや世界に視野が向きすぎてしまったのだろう。良い言い方をすれば、他人の幸せを考える姿勢といえるだろう。

 それから数十年を経た現代の人々の社会はどうなっているのだろうか?
他人の幸せを考える姿勢はあるのだろうか? 私の答えは否である。私が生まれた時代は、他人の幸せを考える姿勢が息づきかけて死んでしまった悲しい歴史を持つ。私はそんな風に考えている。

 ジョン・レノンの「Imagine」が生まれた年、私は3歳になっていた。

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today....

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace....

You may say I'm a dreamar
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world....

You may say I'm a dreamar
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

imagine

ipsilon at 23:22コメント(0)トラックバック(0) 

2008年07月29日

 チクタク、チクタク「あ〜 遅刻してしまう!」。ピョン ピョンと跳ねる度にずれる眼鏡と懐中時計を気にしながら、そそくさと何処かへと急ぐ白うさぎ。『不思議の国のアリス』でおなじみの白うさぎ。僕が人前で初めて演じたお遊戯の役。
 濃い緑色のズボン、Vネックの襟に赤と黒の縞がはいった白いセーター。段ボール作りのうさぎの耳をつけ、懐中時計を持った僕。保育園時代のアルバムにある1葉の写真にはそんな姿が克明に刻まれている。
 
 アリス役の女の子、トランプの兵隊、チャシャ猫、どの子の名前も覚えていないのだけれど、少しぽっちゃりとしたアリス役の子と、もう一人の子のイメージだけはなんとなく脳裏に残っている。まるで、アリス役の女の子にとても淡い淡い恋心を持っていたかのように。
 保育園時代の記憶は、写真を見れば思い出す程度のものばかりで、格別これといって強い印象を残しているものはない。いささか、おかしな表現ではあるが、可もなく不可もなく、とくにこれといった問題も起こさずに過ごしていたのだろう。保育園という、家族と離れて初めて他人と接する場所で、僕は案外うまくやっていたようだ。

 どういう経緯があって白うさぎ役という準主役級に選ばれたのかは分からないのだけれど、きっとそこには目に見えない僕と先生の関係があったからなのかもしれない。
 僕が保育園の先生に今も抱いているイメージは、とにかく優しかったということ。記憶の断片をどんなに必死になって繋いでみても、この先生はいつも僕に満面の笑みを浮かべるのだ。

 人と人の関係は、良好であればある程、互いの内面を良く知り合っていて、その人の個性を引き出しあえるのではないか。僕はそんな風に思うのだ。だって、せっかちで何時も時間に追われて落ち着きがない白うさぎの姿が、やがて大人になった僕の個性そのものだったのだから。

 僕という個が、保育園という宇宙と、それなりに上手く調和していた時期。僕の幼年時代はそんな感じだったのだと思う。

 個性の星はまだ光を失わずに輝いている。

ipsilon at 23:40コメント(0)トラックバック(0) 

2008年07月28日

 あれもしたい、これもしたい、あの人のように上手くなりたい、自分がしたことを褒めてもらいたい、楽しくてたまらない。そういった感情の発露は一体どこにあるのだろうか?

 黄緑色の車体に赤いドアがついた電車の絵が描かれた表紙のフォトアルバムを見返すと、今では考えられないほど愛らしい装いで、保育園でお遊戯する写真などが残っている。そのアルバムの起源は思い出せないのだけれど、赤と緑という風変わりな色彩の電車は多分僕が描いたものなんだと思う。もしかすると、ほかの誰かが描いた優れた絵を卒園アルバムにしたものなのかもしれないし、青いビロウドに金や黄色の糸で僕の名前や絵の刺繍が入った、保育園に上がる前のアルバムのように親が作ってくれたアルバムなのかもしれない。
 でも、どんないきさつがあるにせよ、例えそれが奇妙な妄想であるにせよ、とにかくその電車は僕が描いたものなんだと思う。

 デザインを少し学んだ人ならば赤と緑の関係にピンとくることだろう。驚くことに、その電車は補色で彩色されているのだ。図画・工作・美術などこれっぽちも学んだことのない子供が描いたにしてはテクニカルだと思う。自分には秘められた才能があったのかもしれないなどと、うがった見方をしてしまっても許されるのではないかとさえ思う。
 その電車を描くまでに、僕は一体何をみてきたのだろか?一体何を描いてきたのだろうか? ただ言えることは絵を描くことがとても好きだったのだろうということ。当時の僕を知る親からは、絵ばかり描いていた子供だったと聞かされている。

 あれを絵にしたい、これも絵にしたい、あの人のように上手く描きたい、上手く描けた絵を褒めてもらいたい、絵を描くのが楽しくてたまらない。
 それこそが、僕が生まれて初めて持った執着なのだろう。

ipsilon at 23:43コメント(3) 
プロフィール

イプシロン(シンジ)

カテゴリ別アーカイブ
記事検索
最新コメント
ギャラリー
  • 小自分史(1)
  • Thank you my girl
  • 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
  • 勝利のアクビ
  • 一瞬の憩い
  • 笑顔は美しい
  • 4つ目の自分
  • 4つ目の自分
  • 3つの自分
  • アリイ 1:48 三菱零式艦上戦闘機52丙型(a6m5c)
  • ハセガワ 1/700 病院船「氷川丸」 竣工
  • フジミ 1/72 空技廠 零式小型水上偵察機(E14Y) 完成
  • ハセガワ 1/700 重巡洋艦「古鷹」 完成
  • スケッチ アミダラ女王
  • 静止した時間
  • 蝶
  • 祈り
  • チャム・ファウ
  • どこかのお家の猫ちゃん
  • 「みちくさ」
  • ザハロワは美しい!
  • デジ絵「星座と少女」(完成)
  • チュチュがじゃまだよ〜
  • アティチュード
  • 瀕死の白鳥
  • デジ絵「夏の風」(完成)
  • デジ絵「風」(完成)
  • デジ絵 ランカ・リー(完成)
  • 栗木さん 応援イラスト
  • イラスト「天使」
  • 水彩画 愛嶋リーナ 完成
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「graduation 」
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「アメジストの祈り」
  • 水彩画(デジタルリタッチ)「初雪」
  • 水彩画 愛嶋リーナ
  • デッサン 愛嶋リーナ
  • 水彩画 アリスとネズミ
  • イラスト アリスとドロシー
  • イラスト 眠そうなネフェルタリ
  • スケッチ 微笑の国の人
  • なんでだろうう? と思うこと
  • スケッチ アソーカ・タノ
  • スケッチ ライオン
  • 3DCG X-Wing fighter
  • 3DCG X-Wing fighter
  • 3DCG 缶コーヒー"カフェバニラ"
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • 3DCG 習作 インダストリアル物
  • スケッチ 騎士の左腕
  • アーソウカ、、だった!
  • スケッチ 懐かしのアイツ
  • ニャンとも言えない気持ち
  • 旧作 ペン画
  • デッサン ドイツ兵 in 1944
  • 水彩イラスト ニホンカモシカ
  • デッサン アフリカゾウ
  • 水彩画「水辺の豹」
  • 習作デッサン「豹」
  • 旧作 Gジャンガール
  • イラスト「蜜虫」
  • 「ネフェルタリと豹」下絵
  • イラスト「ネフェルタリ」
  • 水彩画 「装身具をといたクレオパトラ」
  • デッサン+色鉛筆 眼
  • スケッチ 「装身具をといたクレオパトラ」
  • 習作 ネフェルタリ 下書き
  • デッサン 眼
  • デッサン途中 布の研究
  • 旧作 F-4E"Phantom2 & F-5E"Tiger2"
  • 旧作 F-4E"Phantom2 & F-5E"Tiger2"
  • デッサン チャイナドレスの子
  • スケッチ クレオパトラ
  • 水彩画 死せるクレオパトラ
  • スケッチ クレオパトラ
  • デッサン 小野田寛郎さん
  • デッサン 猫
  • デッサン Diane Kruger
  • デッサン ベッキー・クルーエル
  • デッサン 中澤裕子
  • ベッキー デッサン
  • 萌えキャラ 線画 修正 その1
  • 萌えキャラ 下塗り
  • デッサン 杉崎美香 8時間目
  • 習作 フォトショップ 萌えキャラ風塗り
  • デッサン 杉崎美香 6時間目
  • 欝
  • 習作 水彩 その1
  • デッサン 杉崎美香 4時間目
  • 習作 小池栄子 その1
  • 習作 杉崎美香 その4
  • 習作 Face
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 Formula 1
  • 習作 杉崎美香 その3
  • 習作 杉崎美香 その2
  • 習作 その4
  • 習作 杉崎美香 その1
  • 習作 その2
  • 習作 その1
  • 習作 その1
  • 習作 その1
  • 好き好き大好き
  • 電話中
  • βズガイキング
  • モー様の絵 ハケーン!(笑)
  • Mクン 見っけた!(笑)
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ