うつ病

2017年07月22日

あ、Gyaoで無料配信してるんだ、と思って観てみた。
正直「ツレうつ」は、かなり話題になり、興味はあったのだが、「どうせライトでポップな感覚で描いてるんやろ」というふうに斜めに眺めていて、どうも真面目に向きあう気にはならなかった。
けどそれって偏見だよなと思って、観てみたわけだ。

うん、ふつうに良かったですよ。宮崎あおい可愛いしね。
わたしなどのように小学生の低学年からずっとうつと付きあってきている者からすれば、「ツレさんは恵まれた環境だね」と見えるし、思っていたとおり、映画や原作の漫画をよんで深刻になりすぎてもらっても困るという配慮があるかなというのが正直な感想。

でも、良かったですよ。
ライトでポップで、ユーモアなんかもあって、うつに知識の無い人が観てもほとんど気重にならず受け入れられるという部分がね。

原作漫画が世に出たのは2005年頃だとか。(映画化は2010年)
その頃、作者でありツレの奥さんである貂々さんからすると、いまだ世間でのうつへの認識は浅く、自分たちのことを描くことで、うつを広く浅くであっても認知して欲しかったという心はストレートに伝わってきた。
もちろん、ライトでポップといっても、見る人がみればふつうに泣けるでしょうね。とくに家族がうつであったり、うつ経験者であれば。

映画の脚本で一番感動した言葉は、奥さんのいう科白。
「あたし最近思うようになったの。ツレがうつになった原因を考えるのでなく、うつになった意味はなんなのだろう?」
というもの。

なったものは仕方ないんですよ。
でも、そこで苦しみながら、なにを得たかが大事なんじゃないか? と訴えているわけですね。
けれども、直すこと(原因と結果)だけにしか目を向けないでいると、結局のところ、病気になった意味を見そこなったまま悲劇で人生を終える、と。

映画も、その流れにそって作られていて、ツレさんも奥さんもその流れの中で寛解に向かって歩いていく姿は素晴らしかったですよ。
端的に言えば、それまでは世間体とか色々気にして生きてばかりいた二人が、二人とも自分らしく生きることが一番素晴らしいと気づいていくということなんですけどね。

そしてちょっと深みのある言葉でいえば、自分が自分らしくあり、自分のしたいことを素直にやって、そのことが家族や周囲や社会に受け入れられていくことこそが真の利他行為なんだという哲学が語られているということなんですね。

まあ、かくいうわたしも実はうつになってそういうことに気づいていたので、何よりそこが一番感動しましたけどね。そうなってからというもの、誰に何を言われてもそんなに腹が立たなくもなりました。何を言われても自分の思いに正直にもなれたので、まずそれだけで生きてることが楽になったんです。この「楽になった」というのは、貂々さん夫妻もインタビューなどで言ってます。

とにかく利他に生きるんだ! とか正義だ! 勝利だ! とかいう偽善がかえって世の中を息苦しくしているのが、今はよく見える。まあそうした人たちは、それが自分らしいと思い込んでるんだから、あれこれ言っても無駄だし、そういう人たちと関わってイライラしても仕方ないというのが最近のわたしの考えなんですけどね。

内臓も筋肉も神経もどこもおかしくないのに、あっちこっち痛くなるとか、食欲がないとか、食べても味がわからないから美味しいってなに? みたいに全ての物事に対して感覚がダウンするとか、夜眠れないのが辛いかと思えば、今度は寝ることしか出来なくなったりとか、躁とうつの波が繰り返されるとか、虚無感とか、希死念慮とか「うんうん、全部わかるわ」と共感しつつ、コミカルにそういう場面を描かれると思わず笑ってしまったりもした。

いやいや、良かったですよ。
貂々さんが、ツレがうつになったことを周囲にカミングアウトできなかったことは、自分が恥ずかしいと思ってたからだと気づく場面もまた良かったです。
そう、周囲からどう見られるかばかりに気がいき、自分が恥ずべきことをしてると気づくのは相当困難ですからね。

でも、わたしからするとツレさんは、恵まれてたということだけはキッパリ言いたいですね。
貂々さん曰く――。
「だってこの人から逃げられたら、あたし生きていけないと思ったから必死になった」と。

うつにしろどんな病気にしろ、そういう愛情を持った人が傍にいることが最高の薬なんですね。
まあ、そういう人を引き寄せるのは自分だから、羨んでも仕方ないんですがね。
ツレさんはツレさん、僕はぼくなわけで。

しかし、恵まれていたとしても、安心して暮らせるようになるまで6,7年かかっているわけで。
でも、映画の中で「うつは心の風邪」とか「頑張れ」は禁句だ的な表現は観ていて嫌だった。
わたしに言わせれば「うつは心の癌」だし、「頑張れ」と言っていい時と駄目な時があるというのがより深いうつへの理解につながると思ったりしたのだ。

劇中紹介されていた「あ・と・で」はいいと思いましたけどね。
あ=焦らない。
と=特別扱いしない(腫れ物に触れるようにしない、させない)
で=出来ることと、できないことを見極める。

わたしがこの「あとで」の中で一番大事だと思うのは「焦らない」ですがね。
頑張るとか頑張れじゃなく「無理しない、させない」が適当な言葉なんじゃないかな、と。
特別扱いに関しては難しいですね。個々人の感受性の違いがあって、どこまでが普通で、どこまでが特別かは人によって違うので。
だから、その点をより良く言うなら、「甘やかさない程度に周囲は当人に合わせてあげる」となるかな。さらに正確に言えば、どうしたいとか、どういう状態であるとかを「よく聞いてあげる」ことなんじゃないかと。
まあ、こういうことを書くと、心ない人は「ほらみろ、うつなんて構ってちゃんなだけやろ」とか「病気を言いわけにするな」とか言いだすんでしょうけどね。

レビューのコメントにもそういうのがありましたよ。
「どうせ、うつの奴がコメして、格好つけるんだろ」とかね。

まあ、そんな輩にはこう言いかえしてやりますけどね。
「お前うつになってから、同じこと言えるならいってみろや!」とね。

ともあれ、自分のうつを自分で見つめることも大事だが、人様のうつを客観的に見てみるのも大事なんじゃないかと思いたってやってみたかったことが出来たので、それでいいと思っている。

ipsilon at 16:41コメント(0) 

2016年09月19日

いつまでたっても心の病というのは、社会から偏見と誤解で見られて、勝手気儘な風潮の蔓延を許している。

そもそも、体験者であるものだけがわかることを、体験したこともない人間が推測や憶測で決めつけていて、それが世間の風潮になっているというね。
だから、病に悩んでいる人は、とりあえずは他人の意見に左右されない自分でいること。これを真っ先に考えるべきです。
だからこそ、「危ない勘違い」について、それは違うよといっておきます。

心の病のある人に「病気を言い訳にするな」とか「頑張れ!」ということがいかに本人にとって苦しいことかをね。
だがしかし世間の風潮は、検索すればわかるが、心の病なんて「病気を言い訳にしてるだけ」というのが9割ですね。
あろうことか、病の本人でさえ、「わたしは病を言い訳にしてた!」とかいって自分を追いつめてる人さえいるというね。

ともあれ、わたしが説明すると、またどこかからお馬鹿さんが湧いて、まーた愚痴いって能書きたれてるとかいいだすので、
ここでも読まれるといいですよ

ここもとてもまっとうなことをいってます。

この2つの記事で同じことをいってる部分があるが、それがここ(内容は下のリンク先のもの)

うつ病になってしまった原因であるストレスを取り除き、環境を変えて休養を取ることを第一に考えなければなりませんし、

認知行動療法によって今までの自分で考え方を徐々に変えていくこともうつ病から抜け出すためには必要となっています。


当たり前のことです。仏法でいえば、上の内容は依正不二の依報を整えるということ。下の内容が正報を整えるということ。当然、依正には主客の関係があるので、メインは正報である、「自分の誤ったものの考え方、見かたを自己点検して、自分で正していく」が主にやるべきことです。
これをやらずに良くなっても(つまり環境を変えて良くなっても)、また何かの縁で(環境の変化で)心の病は再発するのは目に見えたことです。

ていうかさ、河合師範だったかなの指導だか、学会の指導集の基本にあるんですけどね。
信心はあくまでも自律能動。それを無視してああしろこうしろといいすぎて、相手の中に強迫観念を植えるようなことをしてはならないってね

引用してる記事にもありますが、基本、自分のことは自分でやるように。
依存しすぎると大変なことになる。ようは自分自身に生きれる自分になれるようにする。
心の病への対処法はこれだけなんですよ。
だが幸福なことに、この目的は信心の目的とピタリと一致するわけだ。
だから、うつとか心の病の人は、ある意味では得してるんですけどね。

そして最後の2行。

家族など周囲の皆さんも患者が自分から前に進めることができるように、他人に依存させすぎないよう見守っていくようにしましょう。

これさ、信心の関わりかたとまったく同じでしょ。
その人本人が自分の力で歩きだす、自分の力でなんとかしようとするサポートするのが道理だということ。
ていうか現実周囲が出来るのは、それだけでしょ。
河合隼雄さんとか、本当にそういうことが良くわかってらした。
だから「わたしは何もしないで生きていきたい」とか冗談いえるわけでしょ。

だとしたら、いってあげられることで最上の言葉は、目先にある安易な目標に対してどうしろとかこうしろではなく、
自分の頭で考えなさい!
しかないんですよ。
もっとも、そこまでいえる状態にない場合は、
自分の好きなこと、やりたいことやってごらんよ。
といってあげ、生きてくとか何かをするのは、楽しいし嬉しいことなんだということを感じさせてあげることしかないんですよ。
そうしたことを考え、感じられる環境を整えてあげるのが、周囲にできる精一杯のことじゃないんですか?

これさ、『人間革命』だったかな、にもある内容でしょ。人に何かをやってもらうにはどうすればいいか?
その人が苦手意識をもってることをお願いした場合、そのことに集中してできるように、余計なものは周囲が受け持ってあげるという環境つくりが大事だってね。

もっとも、考えるにはまず感じなければならない。だーが、心の病の人というのは、その感じるということがどういうことかわからないように育ってきているんですよ。


これでも見て勉強したらどうよ!?

まず感じる、考える、そのあとに行動してるのが人間なんですよ。
心の病の人は感じるのが苦手(自分の願望がわからない)、だからどう考えていいかもわからない。ゆえに人生で一番重要な「決断」ができない。
したがって、人にどうすればいいの? と聞く。
それに答えると、当然、患者はそのひとに聞けばいいと依存しはじめ、その人のいうとおりに行動する癖がつく。治療の目的である自主自立や自律能動性を失っていく。むしろ病の人を地獄に誘っているということ。
そういう構造になってるんですよ。


もう何度も引用してきたけどさ、ブルース・リーがいってることが正しいんですよ。

Don't Think, Feel !

考えるな、感じろ!

先生の指導にもちゃんとそうある、活動するとか関わっていくなかで「互いの感受性を高めあっていきなさい」と、はっきり明言されてますがね。

なら、どうすればこの人が自分で感じられるようになるか? そういうことを考えて、関わっていくのが道理でしょ。
それなのに、善悪正邪にばかり拘って、「指示(このように行動すべし!)」「教示(このように考えるべし!)」ばっかしてさ、むしろ相手を駄目にしてる人ばっかじゃん。指示・教示でさ、奴隷化してどうするんでしょうね……。

ipsilon at 22:04コメント(13) 

2014年10月25日

少しでも、おなじことで苦しんでいる人がいれば、役立つなら、ということで書いてみます。

とはいえ、とにかく簡単じゃあないんですね。
うつといっても個人個人症状などが違いますから。

ではあっても、最後は自分と向き合い、自制力を養うしかないのは確か。
しかし、これは単身でやる場合、相当の苦痛を覚悟すべきです。

普通であれば、うつが酷い状態では、自分と向き合うことが最大の難事だからです。
ゆえに、周囲のサポートが重要だということです。
周囲は、本人が安心して自分と向き合える状況を作ってあげるということですね。

が、これがまた難事中の難事なのです。

普通、うつ状態にあると、異常なまでの自己中心的思考しかできません。
ゆえに、こうしてみたら? と提案しても、本人がそれを価値的だと思えない限り、
それをしようとはしませんからね。

そうでなくても、うつ状態というのは、あらゆる判断に「否」と答える状態に脳がなっていますから、
本人の意思など、屁のつっぱりにもならないわけです。

だけならまだしも、異常なまでの自己中心的思考は、異様なまでの子供じみたわがままとして
表現されますから、まずそれを受け止めるだけでも、周囲は疲れきってしまうのです。

例え、本人が自分と向き合えても、それはこの世で一番苦痛をもたらす作業なので、
いろいろなことが起るわけです。
自分の嫌な部分、悪い部分、過去にあった嫌な思い出、過去のトラウマ、
うつの人はとても酷い精神状態で、こうしたものと向き合わなければならないからです。

普通の人だって、過去の嫌なことや、自分の許しがたい嫌な性向を見るのは、
それなりの精神力がいりますし、必ず苦痛が伴いますよね。
いわんや、それを異常な精神状態で行おうとするのですから……。


例えば、私の場合、自分と向き合う作業をし続けていて、
死にたくなった。尚更死にたい気持ちになったとか普通だったということ。

必死に向き合っていて、あのときあんな風に腹がたったとか、悲しい思いをした、
そういうことを厭というほど無理やり思い出し、蒲団に入る。
当然、そうして思索したものは、睡眠中に整理されます。

で、朝、そうした整理された記憶が、吹きだして、
目がさめた瞬間、全身から湯気が出るような怒りに満ち満ちた状態になる。
そういう日々が随分続いたのもよく覚えています。

朝、目が覚めて、上体を起こした瞬間、みんな死ねばいいんだ!!
という激しい怒りですよ(笑)
(うお……酷いな。朝からこんな状態で、今日一日何か出来るのか? 出来るとは思えない……)
そう思いながらも起き上る。
当然、その日一日何も出来ないとか、ただただ苛々し続けるとか普通でした。

もちろん、縁に触れて起こすフラッシュバックも頻繁に起こりますし、
いつまでも続く、同じ思考の無間ループも一日中続きます。
この思考の無間ループがどれほど辛いかは、経験者にしか絶対にわからないと思います。

これぐらい説明すれば、うつ状態にある人が、自分と向き合うことの困難さ、
また、周囲がそれをサポートすることの困難さは理解できるのではないでしょうか。


例えば、私の場合。
もう本当に辛くて、ある友人に助けを求めよう、そう思ったことがあります。
謂えば、死にたくなった時がそのときでした。

携帯を持って電話した。
「死にたいんです……」
「…………」
「はぁ、はぁ、はぁ……」(動悸の音)
「…………」

電話はこんな感じでしたよ(笑)

後から友人に、あの時は申し訳ありませんでした。
そう電話をしたことがあります。
その時、友人はこう言いました。
「なんと答えていいかも、何を言えばいいのかも、何をすればいいのかもわからなかった」と。

この瞬間でしたよ、
ああ、人に支えてもらおうと思っても、これは無理だな。
無理矢理でも何でも、自分で何とかするしかないや……。
そう強く思ったのは。

周囲がサポートするといっても、
うつや重度の心の病の人への場合、
相手が死のうとするということを受け止める覚悟があるのか。
そこまで考える必要があるということです。
まさに命がけ。
そういう覚悟がないなら、手を出さないことです。


私の場合、かなり特殊な例でして、
私は幼少期からうつをくり返し、ACでもありましたから、常に理性的な思考を心がけ、
それなりに自分を客観視する癖をつけていたんですね。

それゆえ、酷いうつ状態にあっても、
先に述べたように、ああ、これは無理だなとか、自分でなんとかと考えられたんですが、
普通、一般的に言われているうつの人には、こうはいかないと思います。
そうであっても、いつも頭の中には濃い霧なんだか靄が渦まいてボケーっとした状態だったことは確かです。

ともあれ、こういう感じですから、周囲がサポートするといってもね、
そんなに簡単なことじゃないのです。

ゆえに、体験から言えることは、たったひとつです。
お題目しかありません。
これです! 単純明快です!(笑)

結局、これまで述べてきたことは、枝葉末節であり、手段なんですね。
それは当人にとっても周囲にとってもです。
もちろん、手段も大事なのですが、
大事なのは「相手を死なせない(自殺させない)」。ただこの一点に尽きるんです。
ただこの一念に尽きるんです。
あとのことは、どんなに酷い状況でも目をつぶるくらいの気持ちが必要です。

でも、これすら難しいんですけどね。
もう無理、傍で見てるのも辛い。
そうなった瞬間に自殺してしまうとかね、それなりにある事でもあるんですよ。

ともあれ題目しかないんです。
周囲は自分が支えていける生命力をつけながら、
本人が題目をあげる生命力がないなら、お題目を送る。
実はこれしか出来ません。
これしか出来ませんが、それすら大変ですけどね。

そうやっていくうちに、本人も周囲も生命力がつき、
うつの人は、支えられながら自分と向き合う戦いを開始できるということです。

でもねー、
これがね――
すなわち、「自分と向き」というのがまた難事中の難事なんですよ。
どんなに自分と向き合っていても、その視線が外道になっていたら、
絶対にうつは良くならないからです。
けど、内道であることを生命で知ることもまた難事中の難事。多分、最難事でしょう。

実際私も多くのうつ経験者と関わってきて、
とにかくどんなに苦しい過去の経験であろうと、思い出して、認知して、
ひとつひとる乗り越えるしかないよ、と、
言える状況の人には言ってきましたが、
ああ、この人は徹底して自分と向き合えてるな、と思えたことは一度もありません。
それぐらいこのことは困難だと認識しています。

私はどうだったかと言えば、このブログに答えがあります。
生まれて憶えている記憶からはじめて、今現在まで、
私は徹底して自分を見て、自己認知してきましたよ。

例えば、頭の中でああいうことがあったな、と思索するのは、自己認知ではないのです。
自分を五感の使える部分を使えるだけ使って、過去を、嫌なことを思い出そうとしなければ、
自分と向き合ったといえないのです。
端的に言えば「書く」ことです。
書いてみてください。時系列にそってその時味わったこと、見たもの、感じたもの、
その時考えたこと、そういうのを全て書きだしてみてください。
その当時の写真とか見直してみてください。
必ず、そのときに味わった過去の感情が見事なまでに蘇えってきますから。
そしてそれに耐えるというのが、どれだけ大変かは、やってみればわかります。

いえば、作家なんていうのは、まさにそういうことをしているわけで。
そりゃー死にたくもなりますよ(笑)
やり方間違えると、本当に死ぬんですよ。
それぐらい、自分と向き合うというのは大変なんですよ。

いわば、書くこととは、過去を生き直すということなんですね。

過去に嫌な目に遭った場所に足を運んでみてください。
凄まじいまでに、その時の感情が蘇えってきますから。
私は、それを何回もやりましたよ。
母が亡くなった病院の前まで足を運んでみたりとかね。

ともあれ、題目を積み重ねていけば、いつかは必ず内道になります。
けどこれを「学」(思索や自己認知療法)なしでやろうとすると、
普通に20年、30年かかりますね。
実際問題、私が生命で、ああ! 内道じゃあないと駄目だ。絶対駄目だ、
そう気づけるまでかかった期間は、40年以上を要したわけですからね……。

うつは、また心の病は、そんなに甘いものではないということです。
それこそ、一生関わっていくという覚悟がなければ、
本当の意味で、相手の支えにはなれないと思います。

そんなこと、うつの側の人も思えないでしょ。この人に一生支えてもらえるだろうとはね。
だから、自分で治すしかないと決めるしかないんですよ。

カウンセラーといっても、
優秀な人は、必ずといっていいくらいの臨床体験を持っています。
患者100人、200人、300人と関わっていくなかで、
心の病を「追体験」して、はじめてカウンセラーになれる。
それぐらい厳しい世界だと私は認識しています。

が、これもまた大変なことです。
昨今の薬処方してちょっと話を聞いて終わりという医療システム。
そういうスタイルでは、優秀なカウンセラーなんて育ちませんからね。

カウンセルするのに、一人の人の話を2時間、3時間聞き続ける。
もちろん、話しは、泣いたり喚いたり、怒ったり、凄まじい感情を爆発させますが、
それを冷静に受け止められる器が必要です。
いや冷静というか「同苦」できる資質が必要だとさえ言えます。

話が長くなって、4時間、5時間にだってなることもあるでしょう。
私も通院していたとき、他の患者が、廊下まで聞こえてくる声で、
猛烈に愚痴と文句を医師に長い時間、話し続けているのを聞いたことがあります。

こんな状態で、患者100人、200人、300人と関わっていくことが、どれだけ精神力がいり、
また根気も忍耐力もいるかは、明白ですよね。
カウンセラーが燃え尽き症候群になるのも当たり前の話なんです。

謂えば、重度のうつの人、たった一人を支えるだけだって大変だという事です。
せいぜい頑張っても、2,3人が限度でしょう。
その一人さえ支えきれないことが現実でしょうけどね。

うつは、そんなに甘くないですよ。

ともあれ――
うつ症状でお題目をあげようと思うなら、
絶対に無理をしないことです。
本当に何も出来ない時は、朝晩三唱だっていいんです。

ただし、大事なことがあります。
もう馬鹿になったんじゃないかと思うくらい真剣な「信」を入れ、
腹の底から全生命を絞り出すくらいの真剣さで唱えることです。
絶対に信心で乗り越える! そう腹を決めることです。
そうすれば、朝晩三唱が朝夕5分になり、20分になり、40分になり……となっていきます。
必ず、そうなります。

でも、心の病というのは、激しい波があるので、
急に5分に戻ってしまうこともありますが、そこで絶対にあきらめないことです。
嘆き悲しまないことです。ふーんそう。それぐらいの態度でいればいいんです。

そして、また5分から積み上げていく。

何度転んでも起きる!
何度躓いても起きる!
何度寝ても起きる!

とにかく真剣でさえあれば、「信」が深くなっていきますので、
今度は自然に量があげられるようになってきます。
間違いありません!

そのうちに活動もしたくなってくるんです。
これ本当!
インディアン嘘つかない!! 私は日本人ですけどね(笑)
だから、活動できないことを苦悩しない。それで自分を責めない。
いつか必ずそうなる! 見てやがれ! 待ってろよ! こんちくしょうめ!
怒ってどうするんだと思いますでしょうが、これは自分の中から魔を蹴散らす、
仏の怒りですから、ガンガンと阿修羅のようになっていいんです(笑)
そういう一念がまず大事です。

実はこの怒りこそが、最強の力だと私は思ってますよ。
ノーベル賞をとった中村さんも言ってましたね。
原動力は「怒り」だったと。

でも、あんまり怒ると、脳の血管パーン! するので、
穏やかでいようとすることもまた大事です!
そのときの感情をうまく使えばいいということですよね。
でもそのうち自然に穏やかな感情でいられるようになってきますけどね。
お題目をあげていて、あー苛々するとか、苦しいと思ったら、
深呼吸するといいですよね。スーっと穏やかな気分になれますから。

すべて私の実体験です。
多分、多くの人がされている実体験でもあるはずです。
まずは少ないお題目でもいいから「真剣」に唱える。

結局、心の病であろうとなかろうと、同じなんですけどね(笑)
信心の基本に差別はない!
私はそう確信してます。

どこからどこまでいっても、お題目しかありません!

一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽にあらずや(四条金吾殿御返事

苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ
の、「ゐ」には、持続の意味があるのだそうです。

イエーイ! 継続は力なり!




ipsilon at 11:38コメント(5)トラックバック(0) 

2014年09月06日

いやはや、この二日くらいか、
動悸が凄くて寝れない寝れないw
昨晩は一睡もできないで、はぁはぁ言ってました。
部屋の壁薄くてさ、隣に聞こえてたら妖しいよね、コレww

そんなわけで本を開いても全く読めない……。
うぇ、勘弁してよ。せめて本ぐらい読ませてよとか言いながら、
あの本開いては駄目だ……この本開いては駄目だ……
とかやってました。

ちょっと題目あげてみたりしても、はぁはぁ。
落着いて座っちゃーいられないw
ま、いいや。愚痴言ってもしかたない。


そんなことで久しぶりにうつの本なんか開いて気合と根性で少し読んだ。
私の性格というのは、笑っちゃうくらい、うつになる人の性格であり、
ものの考え方だと改めて実感した。
なんども学んできたのだが、忘れるんだよねぇ、そういうことも。
たまに見直さないとだめですね。

その性格というのは――
まじめで繊細、責任感が強く、妥協せず真っ直ぐ生きようとする
なんだそうです。

なんかこれだけ見ると、なにお前自分がいい奴みたいに言ってるの!?
と受け取れるかもしれないが、
これね、言いかえてみると面白い。

すなわち――
頑固で細かいとこにうるさくて、執念深く、絶対妥協しようとしない、人の意見なんて聞かない。
うわ……最悪ですねww

まああれですね、いつも言ってる物事の二面性なんですよ。
いい方向に向ければ、うつになりやすい、またはなった人は強いということですね。

なりやすいというのは、
出来なかったことに対して、真面目に繊細に自分を責める
出来なかったことに対して、責任を感じて自分を責める
出来なかったことに対して、真っ直ぐに自分を責める
という思考に陥ったときなんですね。

またこれ、周囲からの意見に対しても同じ反応をするわけです。
出来てないじゃんと言われると、真面目に繊細に自分を責める
出来てないじゃんと言われると、責任を感じて自分を責める
出来てないじゃんと言われると、真っ直ぐに自分を責める

この三点にわたってというのはポイントですね。
私に体験からいえば、嫌なことが重なる、
すなわち、魔が来た! と己心に感じるときは大概が三つくらい重なってくるんです。
勿論それは依報である、対人関係になって見えるときもありますよ。
つまり魔とは自分の性格の暗黒面を自分で感じて、
おーこれは辛いと意識しちゃってるだけなんですね。
結局、自分を知らないと、どうにもならないということですね。

つまり、自他からの縁をすべてこういう風に受け取るのが、
うつ病になる原因なんですよ。
俗にいう、うつの人に頑張れと言うのは、こうやって、
その人の逃げ場を完全にふさぎ、絶望と孤独とその先にあるものに追いやるということなんですね。
なので、考え方を変えればうつは治ります。

つまり――
出来なかったことに対して、仕方ないと思う。やるだけやったと思う。
けどまあ次は出来るようにするよ。今日より明日へ思考ですね。

これだ!
そう必死に思考を変えてきたつもりですよ。

昨日考えました。
やるか、やらないか、それが問題なのです。
これはシェイクスピアの例のあれです。
これをパクってるものにスターウォーズのヨーダの言葉があるんです。

シェイクスピア:to be or not to be, that is the question
ヨーダ:to be or not to be, there is no try

この微妙な違いなんですよ。
シェイクスピア:やるか、やらないか、それが問題なのです……
(なんだ、悩んだだけで終わりか。でも疑問符ではないんだね)

ヨーダ:やるか、やらないか、やってみるはないんだ。
(キッパリきたね! でもやってみるもあんじゃね? みたいなね)

ものは考えようなんですけどね。
確かに二元論で考えたら、やるか、やらないか、白か、黒か、好きか、嫌いか、
しかないんですよ。
でもこれはきついよねー。
ならさ、やってみるもあっていんじゃね?

とかまあ甘いことを考えたわけですよww
でもさ、このやってみるというのを熟語にするとね、いい言葉になるんですよ。

「挑戦!」

うつでなくともさ、長い間、やるか、やらないかで物事を判断していると、
これは辛いし、へたするとうつになるということですよ。

ならさ、やってみるか、でもいいし、
やってみようかな、でもいいし、
やってみちゃうよ、やったらどうかしら、でもいいと思いません?
ま、表現はそれこそいくらでもありますよね。
(これね、馬鹿に見えるかもしれませんが、前進という言葉だけに執着しないで、前に進むという意味の熟語を並べることでそれが生命に刻まれるので、実はこれにも意味はあるんですよ)
前進、先進、前衛、先駆、先頭、最前線、云々かんぬん。
こうやって命に刻んでおくこととで、誰かと会話してその熟語に縁すると、
自然、前向きになっていくんですよ。
試してガッテンちょうだい!?w

ま、一つの熟語に徹底的に執着するほうが楽ですけどね。

ともあれ、甘ちゃんなこと言ってたら出来ないんだよ、
という意見もわかる。

けど、言うにしても言われるにしても、大事なのは、
この「やってみんかい?」なんじゃないかと思ったんですよ。

先生の言葉なんかにあるので、これに近いものは、
「やらんかな」ですかね。

やらん=…であろうか
かな=だなぁ……。

やらんかな=であろうなぁ……。
似てません? やってみるかなぁ……と(笑)
やってみるかな=挑戦 でもありません?

古来からの日本語の意味で解釈するとこうなると思います。
つまり、やるか、やらないかの中道が「やらんかな」だと思うのです。

そう考えるとシェイクスピアの科白がいかに真実に近いかが解ると思います。
じゃあ何でヨーダはそこから挑戦をとりはらって、いいからやれよ! という科白にしたのか?

恐らくこうでしょう。
末法は時代が進めば進むほど、生きづらくなる。
だから、やるしかない! という思いがないとなかなか達成できないよ、ということだと思います。

ようは「時」ですよね。
今は「やらんかな」の挑戦の息吹でいかないと、かえって仇になる。
今は「やってやる!」の破れかぶれでも行けるパワーがある。あるいはそういう「時」である。
自分が今どういう場所にいるかを見極めればいいということになりませんか?

奥が深いぃーねw

けどあれですよ、うつにならない思考は、
まちがいなく、シェイクスピアであり、挑戦であり、やらんかなですよ。

人に言っていく場合も同じでしょうね。
僕ぁそれが大事だと思うなぁ。


いいこと(言い訳的なこと)書いてあったから、そこだけ引用しておきます。

うつ病になるほど一生懸命に頑張る人を使いこなせないで、よく人事が務まるものだとあきれます。うつ病になるほどまじめにで責任感の強い人を使いこなせないで、よくも人材育成などと言えるものだとあきれます。

あははは、勘違いしないでくださいよ。
僕ぁ別にね、お前らのせいだ! とか言いたい訳じゃあないんです。
うつ病になる本人の「性格こそが根本原因」であり責任があります。

だが、その人の良い面(責任感云々ね)を見抜けずに、悪戯に責めたてて、
追いこむ「縁」をおくる社会にも問題があるわけですよ。

何が言いたいかというと、
社会悪と戦うということはさ、こういう悪を許さないということじゃあないんですか?
しかもそれは、他人にそれをするなと言っていくのではなく、
各人それぞれが、あたし社会悪になってないかしら?
(誰かを無暗に責めたててないかしら?)
(相手がそんな風に感じる言い方してないかしら?)
という具合に自己確認することだと思いませんか?
端的にいえば、思いやり。

みんなでさ、そうやっていったら、だ〜れも苦しむ人いなくなると思いません?
僕ぁそう思うなぁ〜。
そういう波動をひろげていくのが、広宣流布じゃあないのかなぁ。
無論、うつになったことは、そういう波動の起点になる使命があるということでしょうね。

僕ぁそう思うなぁ〜。
思っちゃったんだから、仕方がないw



こんな風にコミカルにしてても頭痛が痛いw
今日は寝れるのかしら?
心配いりませんよ、生きていくんだと決めてますからね!

ま、いろいろご託を並べましたが、
その「時」をつくるのも自分自身。
いまは挑戦だなとか甘いことを言っていると、いつまでたっても出来ない。
だから一切の甘えを排して、ヨーダのように生きるしかない。
一番辛いときこそ、ヨーダのように生きるのが、実は早道なんですよねぇ。
これがまず間違いなく娑婆世界での現実を変える確実な方法。
行動することが生きることである(宇野千代)――このとおり。

開目抄のとおりだ!

我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし

まことの時ってのは、「いま・ここ」なんですよ。もちろん一番の苦境に陥った時と捉えてもよろしいかと思いますがね。
けどこれ、大先輩の言葉にあった――
「断崖絶壁孤軍奮闘四面楚歌孤独地獄」だったかな、(フフ相当追加しましたけねw)
みたいにならないとね、ほんとなかなか立ち上がれないんだなぁ。
んま、絶望しやがれ! とかシンジが馬鹿みたいに叫んでたのはね、そういう意味なんですけどね。
別に不幸になってくれなんて、これっぽちも思ってませんよ。

絶望するとは、もうこれ、祈るしかないぜ!
そういう心になるってことなんですよ。

わかっているのに出来ない自分がね、悔しい悔しい、嗚呼悔しい。
ま、甘えてるんでしょうね。まだ絶望しきれてないんだろうなぁ。
でもここで自分は情けないやつだ、不甲斐ないやつだと自分を責めると、
うつは悪化するわけですよ。難しいのだよw


大事マン、いいこと歌ってるね。
ここにあなたが いないのが切ないのじゃなくて。
ここにあなたが いないと思うことが切ない。


つまりさ、淋しいも妄想でしょ。
自分の心のもちようで、淋しさなんてこれっぽちも感じないわけですよ。




ipsilon at 22:07コメント(2)トラックバック(0) 

2013年08月25日

 多分、私が一番怨念や憤懣に憑りつかれていたころの記事を紹介してみる。
 読むと吐き気するかもしれませんよ(笑)
 どんだけ昔の私が酷かったかが、ハッキリわかると思います。

 でも、読まないほうがいいかも……。以下リンクをクリックでどうぞ。

 2010年5月8日 その1
 2010年5月8日 その2
 2010年5月8日 その3
 2010年5月8日 その4 
 2010年5月8日 その5
 2010年5月8日 その6

 これは酷いわ。
 つまり、これが地獄の苦しみの中にある人間の叫びということですね。
 深夜、眼を鬼のように怒らせて、首吊れそうな木を探し歩いた。
 今でもよく憶えてますよ。
 でも、暗やみに何かが、誰かがいるような恐怖をいつも感じてた。
 公園だって街灯がある東京だから、たいして暗くなかったはずなんだよね。
 でも、とてつもなく暗く感じてほんとうに怖かった。
「もういやだ! こんなところで木を探してられるか!」

 心の中でそう絶叫して、自転車飛ばして帰ってきて、書きなぐった記事が、上にあげたものだ。
 部屋を飛び出してから部屋に戻り、約5時間、愚痴吐きまくってたということ。

 社会全体(つまり沢山の人間生命)に対して、また特定の個人に対して毒を吐きまくると、人間はこうなる。
 しっかりと見ておかれると良いと思う。
 ここ1年くらい、私が口を開けば批判するな、批判するなと書いてきた理由はこういうところにあるんですよ。
 
 自殺していった人々、たぶん、みんなこういう怨念や憤懣、恐怖から逃れる術がそれしかないとしか思えなかったんですよ。
 でもさ、亡くなってしまった人は、その辛さがいかほどかなんて語れないわけですよ。
 あーなるほど、今気づきましたよ。釈尊が無間地獄を説かなかった理由。
 無間地獄行く人は、自殺した人だから、釈尊でも想像の範疇でしかなかった。そういう捉え方できるからでしょうね。

 じゃ未遂者が語れよ。そう言うかもしれない。
 けどね、未遂した人間が当時のことを思い出すのがどれほど苦痛かはわかるまい。
 だから、多くの人は、ここまでは書いていない。
 戦争を経験した人が、固く口を閉じて語ろうとしない恐怖に似ているんだと思う。

 ですから、よく読んで頂けると嬉しい。
 地獄に堕ちるというこが、どれほど恐ろしいか、そして――
 そこから這い上がるのが、どれほど困難か、それがわかると思いますよ。

 何度もスーパーマーケットに乗り込んで、銃を乱射する夢も見ました。
 怒りってのは恐いんですよ。
 その怒りが自分に向ったとき、人は自殺しますよ。

 以下、その1に頂いたコメント。

1. Posted by おれ 2010年05月09日 03:33

 多分、俺のことを言ってるのだろうな。
誤解して欲しくないのは、俺は俺の都合で訪ねたわけではない。俺は君が社会復帰出来ればいいなといつも思っている。自宅で何か出来るようになり、少しでも自信が付けばいいなと思っている。そのために何が出来るだろうといつも考えている。そして君の力なら、疲れず、労せずこなせるだろうというレベルの話を持ち込むわけだが、内容に思慮を欠くためか、いつも否定されてしまう。俺の都合で、君を利用するつもりなど全くない。正直な話、ホームページを作る程度のことは、自分で出来るようになっているんだよ。
君が死にたいという時、自分では抑えようがなく、死にたくなるのだろうなというのは頭ではわかる。そこに理由なんかないのだというのは頭ではわかる。しかし経験したことがないから、実際の苦しさがわからない。何を言えばいいのかがわからない。どうすればいいのかがわからない。
あの晩から君のことが頭から離れない。呼吸の荒さや(こんな風になるんだと、正直驚いた)言葉がふとした瞬間に頭をよぎる。
どうすればいいのか聞こうと思い、翌日鬱の知人に(弟ではない)電話をした。何度かけても繋がらなかった。何もできない無力さを感じた。自殺なんかしていないだろうなと、不安だった。
電話をしたかったが、何を言えばいいのかが分からなかった。だから、落ち着いたというメールを貰った時には本当に安心した。
確かに俺は赤の他人かもしれないよ。
でもわかって欲しいのは、赤の他人だって、赤の他人なりに辛いんだ。何もしてあげられない自分が歯がゆいんだ。俺はただ、昔の楽しい君に戻って欲しいと思っている。絶対に死んで欲しくはない。必ずよくなると信じている。それは紛れもない事実だ。
多分、これも偽善だと思ってしまうんだろうね。

 このコメントをくださったのは、私が男子部時代、ずっと尊敬してきた先輩です。
 死にたくなって、動悸がする中、先輩に電話したことあるんですよ。
 で、たった一言だったかな、言ったのが――
 「死にたいです……」
 そしてハァハァという動悸の音。

 そんなものを聞かされた先輩の気持ち、今ならわかります。
 私、いまさっきこのコメント読んで、泣きそうになりましたよ。
 あー本当に申し訳ないことをしたんだ……とね。

 けどね、怨念と憤懣で重度うつになると、そういう風にさえ思えないんですよ。
 コメントにもありますでしょ、「内容に思慮を欠くためか、いつも否定されてしまう」と。
 先輩は思いやりのある人だったから、必死に配慮してくれてたんです。
 でも当時の私は重度うつ。脳機能にも異常があったんでしょうね、すべてを否定することしか出来なかったわけですよ。
 だから謗法は恐いんですよ。本当に恐いんですよ。

 久遠さん、これを読んでもまだ学会批判する気ですか?

 であれば、あなた、本当にやばいですよ。
 ここらで改心して、口を閉じて、一般の関係ない人のブログへの書き込みもやめて、
 あなたはあなたの生活を楽しまれたほうが良い。
 あなたが書き込まれてるブログ主さん、嫌がってるの気づいてますか?
 別にブログ立てたの気づいてますか? それが嫌がってる証拠ですよ。
 ブログトップにコメント表示してたの、設定変えて非表示にしたの気づいてます?
 なぜ、その方が拒否らないか? 考えてみましたか?
 
 思いやりってなんですか? 考えてみたほうがいいですよ。

 ちなみに、このブログにある記事は、今現在、1355記事です。
 その大量の記事の中で、コメント欄を閉じたのは、この日と、もう一個の記事だけです。
 絶望はしてたけど、それでも心の扉は開けよう開けようとしてたってことですよ。
 人の話を聞けなくなったら終わりです。他者を完全否定するようになったら終わりです。

 んだば、そのもう一個のコメント欄を閉じた記事に埋めた曲でも聞きますか。
 こんだけボロボロ人生を送ってきても、意外と記憶力はいいんですよ(笑)



 というか、その6にある、
 
 カッコつけて
 お前のこと心配してるとかいう人より
 ランコみたいに「お前ばかじゃねーの!」って
 マジな顔していったあと、笑ってくれる存在のほうが
 百万倍もいいもん!

 ってさ、「お前ばかじゃねーの!」って台詞言ってくれそうなのはさ、今だと、ちよさがその筆頭ですね(笑)
 言って、言ってー、もっと言ってー! 僕、ドMなのぉ、みたいなねぇ(笑)ハイ・ゴメンナサイ失礼な奴で^^;

 今、私にはそういう友人がいる。
 幸せなことですね^^ 感謝・感謝ですよ。
 ちなみにランコというのは、私が書いた私小説『真紅の恋』の登場人物です。
 ま、実話ベースの小説ですけどね。読みたい方は、カテゴリからどうぞ。

 一応、リンクした記事は私自身も読み直しました。
 けどぉ、こんな明るいこと言ってられる、まあ、そういうことですね。

 余談ですがね、人間の死後の生命は、死ぬ瞬間の感情がしばらく続くらしいですよ。つまり、今現在がどんなに幸せであっても、苦しみの感情の中で息を切れば、その苦しみが長いこと続くということです。信仰というものは、臨終をどう向えるか、そのための準備という側面もあるんですよ。

 するってーと、あれだよ、自殺した人っていうのは、
 死にたい! という感情が無間ループするということですよ。
 そうそう、これを知ったから、私は死ぬのが無理だと思えるようになったんだけどね。
 けど、本当に死んでしまう人は恐らく衝動的だから、感情も理性も働いてないんだと思うんですよ。
 じゃなきゃ、死ねないですもん。

 未遂であっても、薬飲んだ時は、衝動的になってたの、私憶えてますからね。
 しかも、恐ろしいことにさ、
 俺が死ぬことで、俺を助けられなかった奴らは一生苦しめばいいんだ、という
 いわば――復讐してやるんだ!! っていう激情があったのも明確に憶えてるんだなぁ。
 恐いんですよ、怨念や憤懣は。仏法に、復讐はない。
 これを破るわけです、だからどんなに苦しくても、自殺しちゃいけないんですよ。

 とにかく、人を見下し、馬鹿にし、批判、非難はしないほうがよろしいですぞよ、まじで。
 最後はこの記事の私みたいになりますからね。そして最後は……になるんですよ。

 とりあえず一回コメント拒否解除しますよ。
 けどね、罵詈雑言、あるいは、明らかに嘘だという改心の態度のコメントされたら、
 バルバロッサ作戦始動させますからね。
 ドイツ軍もソ連軍も関係ねー。全戦力もって悪を責めます。焦土作戦です。
 全ての砲門がそっちを向きますからね。あしからずですよ。よろしいですね。
 コメントされるなら、その点、よーくお考えになられてから、どうぞ。
 

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