小説「あとがき」

2015年12月05日

 11月15日から2週間かからずに脱稿しました。自分では1か月くらい書いていた気分でした。これまでの中で一番ハードな執筆でした。歴史的事実を書く、なかでも戦争を描くというのは神経を疲弊するということは、それまでの読書経験からも知っていました。また架空であっても戦争を描いてきた『宇宙の新星人』を書いていたときに厭というほど強く感じてもきました。それでもいつかミッドウェイについては書きたい気はしていたのです。
 参考文献の筆頭にあげている淵田美津雄・奥宮正武共筆による『ミッドウェー』を再読しはじめたとき、ふとそう思ったのです。どれくらい前の事だったのか、はっきり記憶していないのだが……。しかし再読しながらその困難さも同時に感じていたのです。
 なにしろ日本側の参加した艦艇や部隊だけでも厖大であり、作戦計画も非常に難解。そのうえ各部隊の行動を時間軸にそって、ノートに書きだすといったことをしない限りは無理に思えたのです。くわえていえば、戦争には必ず相手があるのだから、当然アメリカ(連合軍)側の参加部隊なども書く必要があるとも気づいていたのです。
 もっと書く力(というよりも徹底的に調べる根性)を養わないと無理であろう。再読をはじめたころは、そんな理由から今は無理だと判断したのです。しかしいつかはという気持ちは捨てませんでした。
 そして『黄道十二宮の物語』『倖と滉の物語』を書き上げたとき、ようやく書ける気がしてきたのです。しかしそれでもこれまでにない苦労は多々ありました。
 事実に基づいて書く。簡単にいえばそれがどれほど大変かを味わえた貴重な経験だったといえます。昨今は少なくなりましたが、例えば吉川英治や司馬遼太郎、山崎豊子といった徹底的に取材してから書くという作家がどれだけ苦労したのかを、ほんのわずかですが、その一旦を垣間見た気がするのです。
 この『ミッドウェイ海戦』でいえば、まず時間表記というものが問題でした。各々の資料がどの表記によっているのか。この確認なしには全く筆が進められなかったからです。西経時間なのか、東経時間なのか、日本時間なのか、現地時間なのか、ハワイ時間なのかという部分です。
 同じできごとを日米双方が記していても、ほとんどの場合、内容的にも錯誤があり時間にもズレがあったからです。
 われわれは随分時間に対しての感覚がルーズなのだなと痛感させられもしました。
 報告を送るものは、自分の腕に巻いている時計を見て時間を書き込む。あるいは機内にある時計を見てといった具合。もちろん作戦を開始するにあたって、統一行動を取るために「時間合わせ」というものをしているはずだが、それとてズレもあろう。現地はもう夕暮れの風景なのに、小説の中に現れてくる時間はまだ午後3時といった具合に。
 こういう部分に随分悩みました。ではすべて現地時間がわかるかといえば、ほぼそういうことはありえませんでした。例えば、すべての時間を日本時間で表現すればそれでいいかといえば、それでは一方的になりかねない。この辺りには本当に苦労しましたし、今後この部分は推敲のうえ改訂するつもりもあります。
 一日は24時間である。ともすると当たりまえのことであり、既に規定の事実がごとき感覚をわれわれは持ちがちなことを痛感させられました。もとよりアインシュタインの相対性理論は知っていました。時間すら相対的であると頭ではわかっていても、現実にそれを捉えるのはなかなか困難だったわけです。
 なによりも、時間の流れのなかで物事が起こっているという「物語性」を重視する小説を書くにあたって、これは重大な問題といえるのだし……。

 時間の話はこれぐらいにしておきます。では何を書きたかったのか?――。
 勿論それをここで語ることはしません。ここでそれを語ってしまったなら、作品を書く必要はないからです。
 ただ突き詰めて、あえて一言でいうとこうなります。「ミッドウェイの戦い」にはあり余るほど反省すべき点と参考にすべき点があるということです。
 小説全般でいえば、前半は反省の部分に関して書き手であるわたし個人の視点で綴っています。中盤、すなわちミッドウェイの戦いがはじまった辺りからは、反省も参考になる点も極力綴ることを止めました。ここから先は読み手を信じてなるべく事実の描写だけに留めました。何を反省し、何を参考にするかは読み手しだいということになりますでしょうか。
 そして終盤ではそうした前中盤を受けて、ではあの戦争の中で人間たちは何をどう考えどう行動したのかという、人間に焦点を当てたつもりです。無論それはわたし自身の中にある三つの物の見方の現れに他ならず、またわたしと同じように誰の中にでもあるだろう三つの物の見方であるという視点です。
 それが山口多聞であり中檜上飛、桑原上飛曹という登場人物の立ち位置ということになります。
 もちろん歴史上の人物である山口多聞をわたしの個人的見解で描写してしまうことのないよう配慮したつもりです。
 いわゆる司馬遼太郎が坂本竜馬などを描くうえで、恐らく一番気をつけた部分ではなかろうかと思います。歴史的人物を書き手の思い通りに動かすということは、歴史の改竄にほかなりません。でもこう思ったんじゃないか? このときはこうしたんじゃなかろうか? という人間誰しもがもつ生命の働きを、歴史的人物を通して描き出してゆきたいという野心が作家、なかんずく書き手にはあるのも事実だと思います。
 でも我慢、我慢。何があってもある一線を超えてはならない。司馬遼太郎なども、そういう縛りを自らに課したのではないでしょうか。
 しかしこの歴史的人物の事実を描き出すことと、作家がその人物に見た真実を描くことは少し違うのではないのか。よく、あの小説は嘘だらけだという批評も目にするが、それはこうした事実と(作家の見た)真実を混ぜこぜにしての評論ではないかとわたしなどは見ている。
 そもそも、事実だけ知りたいのなら小説など読む必要はないし、書き手もわざわざ小説になどしないのです。事実それだけを年表にするなり、時間軸にそって、起こった事実を箇条書きにでもすればいいのですから。
 
 ともあれ、最後の最後でちょっとばかり変わった手法を使ったのだが、なぜそんな方法を使ったのか? この辺りを読み手の方々に感じとってもらえれば、まずわたしとしては満足なのです。
 そのうえであの戦争――この作品でいえば「ミッドウェイの戦い」の一部――から学び取れる何かを一つでも見つけだして頂けたなら、それで十分だと思っています。

 奇しくも戦争の何たるかを問いかけるためといって過言ではない作品を書いている最中に、フランスで同時多発テロが起こりました。これにも何か意味があるのかもしれません。フランス国旗のトリコロールをFace bookなどに表示するムーブメントが起こった。それに対してフランスはテロで被害にあった以上の犠牲を他国に強いてきた歴史があるじゃないかというムーブメントが起こりました。
 どちらも人々を憐れむ心から発した言葉なのだろうが、それがぶつかりあい、ともすると互いを攻撃対象と見なしあってしまう……。人間はなぜ「赦す」ことができないのだろうか。なぜこれほど「赦しあえない」のか。
 あるいは他者を憐れんでいることに信念を持てずに、批判を受けて途中でムーブメントを投げ出してしまうのかと、悲しい気持ちになりながら書いていました。

 ともあれ、作品を読んで感じてもらう以外に何もないのだが、あえてこれだけは訴えてあとがきを終えたい。
 素人に毛が生えたわたしが書いた、しかも糞長い作品を読む方ばかりではないと思うゆえです。
 淵田美津雄・奥宮正武共筆による『ミッドウェー』のあとがきにある奥宮氏の言葉である。結局のところわたしが問いかけたかったのも、この事に他ならないからです。

 合理性を欠くわが国民性は、やることなすことが行き当たりばったりで、相互の間に理屈が合わない。セクショナリズムの国民性は、ものを見る視野が狭く、やることが独善的である。因襲から容易に抜け切れない国民性は、気がついても、ただちに一八〇度転換の進歩的革新を行うことができない。熱しやすく冷めやすい国民性は、すぐに思い上がって相手を見下す、卑屈な事大主義ともなる。合理性を欠くために、希望と現実を混同して、漫然と事に臨み、敗れてのち、初めて名論卓説を述べる。

 あの戦争は大本営や馬鹿な上層部が起こしたんだと平然といってのけ、自らを顧みない。その国民性が惨禍を引き寄せていることに、いまだ日本人は気づいていないと思うのはわたしだけだろうか……。

【参考文献】
『ミッドウェー』淵田美津雄・奥宮正武(PHP文庫)
『山口多聞』星亮一(PHP文庫)
『艦爆一代』小瀬本國緒(今日の話題社)
『海軍魂』山本悌一郎(光人社)
『図解・帝国海軍連合艦隊』橋本純・林譲治・居村眞二(並木書房)
『連合艦隊[下巻]』(世界文化社)
『空母機動部隊』(学習研究社)
『翔鶴型空母』(学習研究社)
『日本の航空母艦パーフェクトガイド』(学習研究社)
『伊号潜水艦』(学習研究社)
インターネットサイト多数
Special Thanks:質問にお答えくださったHN:Hushさん

 執筆途中、誤字脱字の指摘、また感想を寄せてくださった方々に心より感謝申し上げます。
 また、至らぬ作品に最後までおつきあいくださった心ある読者の諸兄にも心より感謝申し上げます。
 ありがとうございます。

 小説タイトルは誤読を防ぐために長音表記を避ける意味で、「ミッドウェイ」を使用しましたが、一般的には「ミッドウェー」の表記を使用しているようです。
 掲載している資料にはいまだ不備が多数ありますが、作品を読むにあたって一助になる部分を鑑み、掲載しておきます。




ipsilon at 11:59コメント(0) 

2015年11月12日

 12日で書き上げた、十の連作短編集。
 思ったよりも早く書けたのですが、内容がどうかと問われれば、自信をもって何かをいえない気分です。
 
 連作短編集というよりは、掌編を数珠つなぎにしたら物語になったという程度にすぎません。登場人物が見えないところで繋がっているとか、同じ舞台で様々な人々におこる出来事を綴るといったふうには描けず、そこには不面目さがのこっています。
 しかし『太陽系の物語』は、太陽系の星々とギリシャ神話、そして滉と倖という主題があったために、いわゆる連作小説にするのは、かなり敷居が高かったとも思うのです。次はいわゆる連作で物語を編んでみたいものです。

 恥かしい話ですが、冥王星を書きあげてから、あることに気づいています。
 あれ、地球が抜けてる……と。茫然自失だったわけですが、いかに周囲(というよりは身辺近辺)を見ていなかったかに、思わず自嘲してしまったのです。
 資料としたのは、コンビニなどに並べられている『星座のはなし(宝島社・TJmook)』『世界の神々と神話の謎(学習研究社)』だったのですが、その本ばかりに目がいってたんだと、反省させられています。もっとも地球という主題でギリシャ神話から題材を探すとなると、範囲が広すぎる気もしたので、これはこれでよかったのかもしれません。
 人間という視点で考えるなら、やはりヘルクレスまたはペルセウスという二大英雄にまつわる挿話からになるのでしょうが、そうなるとこれもまた難しいのです。現代社会にあって彼らのような英雄冒険譚と考えると、その理由はおおよそ察していただけるのではないでしょうか。

 個人的には一番気に入っているのは『Diatance』『波』あたりです。(宇多田に乗っかっただけやん! とかいわないでください)。音楽はあくまでも「おまけ」のつもりです。ちなみに、題号とおまけは全文書き上げたあとに考えています。
 ともあれ文章的にそこそこ書けたと思えたのは『五月の風まで待って』『よく見てみれば』あたりになります。今回はとにかく少ない文字数で書くことは自身への課題だったので、うまく読み手が主題を見つけだし、飲み込めたとは思っていないのです。しかしこのあたり、本当に難しいのです。読み手は基本的に文字になっているものしか印象や映像として想像してくれない、そう思って書かなければいけないものですが、そこを極力省いて伝えようというのですから、ある意味図々しいわけです。また力不足を感じるわけです。
 もっともそうした技法の最高峰に「詩」という存在があり、数百年を経ても読みつづけられている名作には、そういう文体のものが多々あるということを考えれば、文章力を磨くという意味はあったのでしょう。ホメロスにしろ、ダンテにしろゲーテにしろ、詩文形式で名作を残しているのですから。

 ああこれはいけない……。そんなふうに感じた時期もあったのですが、そうした精神的圧迫下にあって筆を進めた作品もあります。どの辺りの作品にそれが現れているのか、探し読みして楽しんでいただければとも思います。
 どの作品でハメを外しているとかは、きっとわかることでしょう。ハメを外しすぎると、往々にして文体が崩れてゆくので、すぐにわかるはずです。

 書くことは難しいです。いわんや、人に価値的なこと伝えなおかつ楽しんでもらうということは、一筋縄ではないとまたも痛感しました。

 最後に一つだけ。
 倖という文字は、幸という字義がもともと「棚からぼたもち」といった意味を持つため、それを嫌って作られた文字だそうです。つまり倖という名前に、しあわせとは人の道をあるく努力であるという意味を込めたかったのです。
 滉という字はいうまでもないでしょう。日の光がある場所。それはただそこにあるのではなく、川のように流れてゆく。とどまることを知らない陽光。そんな意味を込めて決めました。川だけでなく、池や湖でもいいのです。川は流れそのものにあり、池や湖ならば深きところに泰然自若として堅固にある静けさ。そんなふうな光が人間に中にあるということを名前に込めたかったからです。
 思えば【宇宙シリーズ】からずっとこの「光」は、わたしの作品の主題になっている気がします。意識的にそうしているのではないですが、そこがなかなか面白いものです。

 拙作十編ではありますが、作品を読んでくださった方々には、心より感謝申し上げます。
 また、感想をよせてくださり、ときに誤字脱字を指摘して作品の質向上をお手伝いくださった方々には、衷心より深く感謝申し上げます。ありがとうございます。


 1時間20分もある内容ですが、とてもうまく纏まられている作品です。
 神話、あるいは人類の深層心理(無意識の働き)に興味のあるかたは、見てみるといいかもしれません。




ipsilon at 02:35コメント(0) 

2015年10月30日

 筆を置くまで一年二か月と少しかかりました。まさかこんなにかかろうとは思っていなかったのですが、ひとまず目標達成です。
 切っ掛けはもう少し気楽に読めるギリシャ神話の本はないかなということで購入した、一冊の本、TJ.MOOK『星座のはなし』というムック本です。それでもギリシャ神話というのは、登場人物の名前に翻弄されたり、人物の生歴がややこしかったりと、物語を追うだけでも大変だと感じました。
 そこで考えたのが、なるだけ平易な文体による小説化です。

 目的はズバリ、芥川龍之介みたいに格調ある美しい「ですます調」をかく練習でした。
 ところがこれが難しい……。語尾を丁寧にするには、一文のなかで使ってゆく語句を厳選しないと、内容すら伝わらないだろうと感じたからです。
 初期の作品には、そういうジタバタした印象を受けることと思います。
 「ですます調」というのは、静かで美しいものですが、やもすると静謐すぎ深刻さを与えもするでしょう。
 そこで登場させたのが、あのぶっ飛びキャラのゼウスとヘラだったりします。

 前半の作品は、この二人のキャラの立ちっぷりを楽しみながら書きました。読者からも、このゼウスはいい! などと楽しんでいるという言葉を頂きました。しかし、そこで調子にのってはなりません。
ということで、後半は少し毛色を変えた作風に様変わりさせたりしました。

 文体的なことでいえば、一人称視点、それとなく二人称視点、三人称視点、随筆風と工夫を凝らしたつもりです。基本、作品の途中で、人称が変更されたり、「ですます調」と「だ・である調」が混ざることは作法に反しますので、極力注意を払ったつもりですが、何分素人の作品ですから、まだまだ至らないところがあるのは仕方なきところです。
 ではあっても、ギリシャ神話に秘められた人間哲学だとかいった部分を楽しみながら読んでいただけたなら、本望です。

 欲張ったことをいえば、もう少しジャンルは広げるつもりはあったのです。例えば、時代物で物語るとか、推理小説風とか、サスペンスであるとか、十二のジャンルをとも考えましたが、実際は書くだけで手一杯といったところでした。

 個人的に一番気に入っている(つまり書いていて私が楽しんだ)のは、さそり座『酒と恋のはてに』かと思います。もちろん終盤の三、四作(わたしの中では太宰風味)もそこそこ書けたのではないかと自負してはいますが、まだまだだと感じることも決して少なくなかったことも事実です。

 ともあれ、長短あわせてようやく三十編ですから、こんなものでしょう。
 ようやくぼんやりと書き方がわかってきた。そんなところですから、五十編、百編と筆を進めていくしかないようです。




ipsilon at 09:07コメント(0) 

2015年10月28日

 誰の中にもある、光と闇、善性と悪性、春と冬、そして憎悪と慈愛。これこそ小説という文章を書くにあたって表現するのが一番難しいことだと思っている。
 人は四六時中、言葉とは裏腹な態度をとる、言ったことと違うことをする。本音と建前があるのが普通なのだが、これを文章で描こうとするのはなかなか難しい。
 考えてみれば、人と人の関係がおかしくなるのは、ほとんどこういう場面からはじまるのでは? とさえ思えてくる。人とは、本音と建前をもった生き物である。はじめからそうであると確信していれば、問題などおこらないのではないか? そんなふうに思うのである。

 わたしが、小説の文章で「本音と建前」は違うという表現を書けるようになったのは、『宇宙の新星人』でヒドラを中心とした暗黒崇拝教の指揮官たちが、バーチャル機器をつかって軍事演習を行う場面だ。忘れもしないし、この先、一生忘れないかもしれない。
 文章で何かを伝える。人の中にある一面だけを伝えるなら、誰にでもわりと簡単にできることだと思う。現にそういう文章は、世の中に山ほどあるのを毎日のように見かけているのだから。

 これは自慢でもなんでもないが、うまい作家というのは、人のもつ二面性をきちんと書いている。一人の主人公を歩ませることで、ある時は悪人だったり、ある時は善人だったりさせ、ある時は右寄りだったり、またあるときは左寄りだったりする、喜んだり悲しんだりする。
 一人の人間の行動に揺れを持たせる、物語の流れに緩急をつける。うまい作家、読ませる作家とはえてしてそうしたものだと、これまでの読書経験から感じてきたつもりだ。
 ところが人は、普段の生活において他人のこうした緩急や揺れを見ると、「いつもの君と違う……」と言ったり、「わたしが思ってたあなたと違う!」と相手に猜疑心をもったり、拒否してみたりするものだ。
 いわゆる先入観であり偏見、思い込みだ。これらは非常に恐ろしい。

 人というものは愚かだと思う。先にあげたように、一つ目に「本音と建前」があることを忘れるということ。
 二つ目には、一つ目を忘れるがために、勘違いや思い込みをして自ら苦悩を引き寄せるということ。
 ならば、はじめから人ってのはそういうものだよ「仕方ないよ! そういうものだから、いいのいいの」という許しあうことを、関わりのなかで学びあっていけばいいのだが、これがまた難しい。なぜって、先にあげた二つの目でものを見ていることすら自覚していない人同士が関わりあったところで、教えようもないし、学びようもないからだ。
 自立した個人と自立した個人の間にしか、壊れない友情も愛情も堅固たりえないというのは、こういうとろこに原因があるのだと思っている。
 ようするにわたしが作品をとおして語りかけたかったことは、大体そのようなことなのです。
 とはいっても、書き手からすればそう簡単なものでもなかったのですが……。

 そもそもわたしが『ケイローン奇譚』の構想は抱いたのは、相当にまえ。記憶をたどると『ギガンテスの記憶』を書き終えたあとだったはず。ということは、2013年2月ごろということになる。ということは構想約2年ということか。いやちがう、構想二週間くらい、あとは放置、契機があって書けると思え、執筆五日といったところか。
 それでも一度は数百字までテキストエディターで書き出した作品であり、かなり思い入れの強いものでもある。
 いて座生まれだから? そうともいえる。だが、12星座の各挿話というのは、星座によって随分と寓意性や哲学性に差があるといえるのではないか。そう思って見ると、このいて座の挿話は、人が生きるために必要な哲学が凝縮されてはいまいか。そう見えないものでしょうか?

 書き手である以上、あとがきで何とでもいえる、ネタばらしだってし放題。こんなところにネタありまっせ! そういうのは簡単、でもしませんよ。 
 ここまで(先にあとがきを読んでいる方もいるやもしれないが)読んでくださったかたなら、おおよそこの辺りを見つめて読めば楽しめるのではないかということは、おわかりの筈だから。

 出来上がってみれば、話数こそ少ないが、実質【宇宙シリーズ】の完結編とも、『宇宙の新星人』のその後ともいえる着地点を得たことは存外の喜びだったりしている。
 【宇宙シリーズ】はこれで卒業です。よほどのことがない限り書かないと決めています。(何度そう言ってきたのだか……)

 名前のある登場人物だけで、七十人を超えています。整合性が崩れているところもありますし、初期作品と後期作品では文章の表現術も質も違います。よい練習台になってくれたシリーズだと考えれば価値はあったといえる。最後は作者の自己満足なのかと思うところです。

 『ケイローン奇譚』には、新しいネタは何もありません。うんちゃら砲だとか、なんちゃら装置だとか、科学が進歩してこうなったとかはありません。あくまでも人間ドラマのつもりです。全編にわたってジェットコースター感を持たせたつもりです、特に最終話は。
 最終話というのは書き手にとっては鬼門だと思っています。あれもこれもと、ついついネタばらしをしたいという誘惑と戦い、実は……と書きたくなる。この誘惑は巨大で贖いがたいものがあります。しかし、今回は必要なことを必要以上に書かない、あとは読み手に任せるという思惑どおりに仕上がったと自負してはいます。

 『宇宙の子供たち』にはじまり、この【宇宙シリーズ】という何のヒネリもないシリーズ名の作品を余さず読んでくださった方々、時にあのキャラに感情移入し、あのキャラに腹を立て、え!? そこで死ぬの……と衝撃を受けたなどなどの感想に、どれだけ励まされたかわかりません。読み手あっての書き手です。それだけは絶対に忘れないでいたいものです。

ipsilon at 04:40コメント(0) 

2014年08月23日

 ヒュードラーとケイローン号の物語は、ずっと以前からあたためていたものですが、なかなか書けませんでした。しかし、ある日読んだ小説にヒントを得ました。それは坂口安吾の『堕落論』でした。その本で紹介されていた物語は『安寿と厨子王丸』というものでした。
 そんな風にして、一瞬にしてすべての物語が頭の中で形になっていたのです。
 あとは、文体やらテクニックの問題だけでした。書き手である私の忍耐力と安定性の問題でした。細々したことを言いだせば、いくらでも書けるのですが、やめておきます。あくまでも作品が全てですからね。
 どうしてもこれだけは伝えておきたいというものがあるとしたら、それは「自死」がテーマであるということです。
 なお、話中に挿入した童話は『イソップ童話』の『カシの木と神様』『牛飼いと神様』です。
 最後まで読んでくださった方々には、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。




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