小説『宇宙の新星人たち』宇宙シリーズ【第三部】

2013年03月26日


 戦争は終わった。講和も休戦の条約も結ばれぬまま戦争は終わった。それはあまりにも唐突だった。多くのテランたちは、目が覚めてみると知らない場所にいるような感覚に襲われた。歓喜も歓声もなかった。ただあったのは不可思議な疑心暗鬼だけだった。
「本当に平和になったのかい? 明日にも出兵だなんて勘弁してくれよ」
 帰還した兵士たちは、抱えきれない荷物を置く場所を見つけられない気持ちのまま故郷を目指したのだった。
 エロスが起こした時空振は海王星から土星にまで伝わっていた。過去においてイブラヒームを殺害したことにより、また、アメミットの完成を阻止したことにより、現在において、高次元砲は完成されなかったことになったのだ。それが腐食の原因であったが、それを知るものは誰もいなかったのだった。当のエロスすらそれを知らなかったのだから……。
 長いあいだ不幸な身の上を呪ってきた異能人種であるエロスが頬に受けた傷は、早まっていた時間経過でたちまちにして完治してしまった。
 エロスの乗ったクルーザーが<アンドレイア・フィーリア>号に接触したとき、彼女はマレイカとアイシャに迎えられ、現在に帰還したのだった。
「エロス様! ご無事で何よりです!」
「…………」
 アイシャはまだ何をどうすればいいのか判断がついていない様子だったが、それでも歓喜するマレイカに優しい眼差しを向けていた。
 エロスにとって二人は自分を映す鏡だったのだ。少なからず感情過多なマレイカ。静穏で慎ましすぎるアイシャ。エロスはその両面を持っていた。エロスの感情過多な部分に棲みついた怨念はすっかり消え去っていた。あるのはマレイカに似た子供じみた純粋さだけだった。
「にしてもマレイカ。この体裁はなんだい? なんで離陸用のブースターを捨てなかった? みっともないったりゃありゃーしない」
「すみません……そんなこと思いつきもしませんでした」
「あたくしはすっかり、こういうものだと思っていましたが……」
 ――どっちもしょーもない娘だね。見たものを疑いもしない。先が思いやられるさねー。
 と、胸の中でボヤいたあと、エロスは清々しい声を天井に向けてはなった。
「メール、フィメール、ただいま! どうでもいいんだけど、ブースターを投棄してくれないかい。みっともなくてしょーがない」
「はいはい、今すぐ」
 ――そういえば、この両親もどこか抜けているんだよね。おっとりしているというかね。まあ仕方ない。あたしを育てた両親だからね。
 けっして美しいといえない汚れた白い船体からオレンジ色に塗られたブースターが切り離されていった。とたんに、<フィーリア>号が本来もつ流線型の美しい船体が星々の光を嬉しそうに照り返しはじめた。
「さて、帰ってきたとはいえ、やるべきことは沢山あるよ。なにしろこの船はオンボロだからねー」
「エロス、なんということを言うのですか! あなたって子は……」
「母さん、怒りなさんな。悪気はないのさ」
 それから三ヵ月間、<フィーリア>号は各部を修理しつつ、通常航行で地球を目指して進み続けた。

「しかし、すっきりせんな。まあ戦火がおさまったことは歓迎すべきだがね」
 ムーシコフにしてもミマースにしても心中は同じであった。しかし、帰るべき場所のあるものは、帰るべき場所に戻ることしかできなかったのだ。
 ムーシコフはヘプタゴンへ、ミマースはガラティアのもとに戻り、やがて夫妻はセドナを連れて、ラスベガスの自宅へと帰っていった。
 すっかりタラッサ邸の住人になっていたダフニスとクロエは、近所に家を購入してゼンタとタラッサを見守る道を選んだ。
 ニクス夫妻はバベル勤務を希望して、ひとり奮戦してきたユピテールの兄、姉として生きる道を選んだのだった。
 お転婆ペアのグリークは嫌がるリアレスを連れて、両親の元に戻った。
「もう戦争は懲り懲りよ。あたしは家庭を持ちたいの。父さんと母さんが作ったみたいなね」
「似合わないんだよ……どちらにしてもあんたが結婚したら子だくさんだろうがね」
「なんですって! リアレス、あなたは口が過ぎるのよ」
「どっちがだい……」
 相変わらずな二人であったが、ハウもエリスも喜んで二人を迎え入れたのだった。

 DOXAはユピテールの指揮で組織改革に取り組んでいた。科学を捨て、医療の組織を目指しはじめたのだ。
 ようやくバベルの監獄から解放されたトロイヤは、海が見えるオーランドにある両親の家で療養することになった。もちろん、ユピテールが見舞いという名のデートを欠かすことはなかった。二人が一緒にいる場所にはいつも月桂樹ローレルの香りがふんわりと漂っていた。
 砂浜でカニを追いかけるトロイヤ、それを見守るユピテール。グリークやエリスの目には不思議な光景に映ったが、トロイヤの心は満たされていた。
 彼が記憶を取り戻す可能性は皆無に等しかったが、ユピテールはそうしたことへの悲しみをどこかに置き忘れてしまったようだった。あるがままのトロイヤを受け入れ、ただ愛したのだった。

「はーあー、またこれに入るのかい。もううんざりなんだがねー」
 三つの睡眠カプセルが並べられた部屋には三つの人影があった。
「エロス様は最近ボヤキが多すぎます。ボヤキ様とお呼びしますよ」
「やかましいんだよ、マレイカ。だいたい何だい、そのボヤキってのは……もう少しましな洒落をいいなよ」
「あたくしはなんだか楽しみです。きっと目が覚めたときには、エロス様に教えてもらった地球が見れると思うとなんだか……」
 アイシャの声が弾んでいた。潤んだ瞳はすでに地球の大気圏にあるようだった。
 ――まったく困ったものだ。この純粋お馬鹿さんたちは……。あたしが知っている地球はデータ上の地球なんだけどね。あたしだって見たことがないんだよ。あたしが教えたのはだたのデータさね。もしかしたら地球なんてないのかもしれないんだけどね。……そう考えると、あたしは相も変わらず悪人な気がしてきたよ……。
 エロスは自分への嘲笑を押し殺しながら、先をつづけた。
「何年先になるんだかねー。何回カプセルに入ることになるんだか……」
「あたくしは平気ですよ。エロス様と一緒にいられれば何も怖くありません!」
「あたくしもです!」
「嘘をいうんじゃないよ! じゃあ試してみようか……」
「おやめください!」
「だーめ、やめないよ!」
 寒いはずの部屋には温もりがあった。スキップするような足取りと笑い声が響いていた。
 エロスは侍従を一人づつ掴まえると、優しく唇を重ねて小悪魔が使うような魔法マジックで催眠術をかけてしまった。
「さあ、おねんねの時間だよ。悪ふざけはここまでだ」
「はい、おやすみなさいませ、エロス様」
「まただね、おやすみ」
 三人は長期冷凍睡眠ロング・コールドスリープに入って地球を目指したのだった。
 DOXA所属、準光速宇宙船<アンドレイア・フィーリア>号は静かに群青の海をたゆたいながら進み続けた。
 超光速航行のできない<フィーリア>号である。メインエンジンを二基失い、そこいらじゅうが傷ついた船である。彼女たちが、どれだけの年月眠りつづければ地球に辿りつけるのかは、星々すら知りえなかったのだった。
 アグリオスの残したデータを閲覧したエロスは、三つの選択肢があることを知った。そして彼女が選んだのは、最後の項目だった「そのままの自分でいる」ことであった。
 マレイカにしてもアイシャにしても、男性としてのエロスを受け入れる決意はとうに出来ていた。しかしエロスは自然の成り行きにまかせることにしたのである。マレイカを贔屓すればアイシャが怒る。アイシャを可愛がればマレイカは嫉妬してみせた。微妙な三角関係を抱えたまま三人は三ヵ月を過ごして、カプセルに身を横たえたのだ。
 エロスはエロス――「恋」のまま、マレイカはラブ――「愛」のまま、アイシャはアガペー――「博愛」のまま穏やかな眠りについたのだった。
 異能人種、いな、新星人であるエロスと彼女を理解する侍従たちは限りない可能性を秘めたまま四十四億キロの旅へと出発したのだった。
 ――きっと地球にもあたしと同じ苦しみを抱えた人がいるはずさ。だからあたしは何年かかっても必ず辿りついてみせる。それがあたしの罪滅ぼしさね。それで許されるとは思っちゃーいないが、それで勘弁しておくれ。
 エロスは胸の奥でそう呟いたあと、長い睫毛が伸びた瞼をそっと閉じたのだった。

 <フィーリア>号が目指す地球には、エロスが予想した通り、新星人がいた。ゼンタであり、セドナであり、アインスがそうであった。彼女たちは後に、両性具有種デュアル・セックス・ボディーであることを公言するために、名を改めた。
 ゼンタはゼンタ=ナブリオーネと、セドナはセドナ=ウェルギリウスと、アインスはアインス=ドライと。
 三人はまだ自らの使命にすら気づいていなかったが、彼女たちは三女神の生まれ変わりという宿命を背負っていたのだ。それは、エウノミア「秩序」、ディケー「正義」、エイレーネ「平和」の三女神だった。
 だがそれは、地球の古い歴史からすればありふれたことであったのだ。原始宗教からはじまる人類の歴史は何度も三女神を生みだしてきていた。ときにそれは、「創造」「維持」「破壊」とされ、ときには「生誕」「成長」「衰亡」とされ、ときには「生」「死」「再生」とされた。しかし、その実相がこの太陽系世界にあっては「現在」「過去」「未来」であることは言うまでもないことであろう。
 ネバダ州にあるバベルの塔では、ユピテールの奮起から新星人の研究は進んではいたが、まだそれは初期段階といえた。人格コンピューターであるヨハネスも研究に積極的に協力していた。
 ゼンタたちが歩む道によって、人類は新しい発展を見るかもしれなかった。しかし、そこには彼女たちを受けいれる社会が必要なことは明々白々だといえるだろう。誰よりもそれを知っていたのは、アルビノのという生を送ってきたユピテールであろうことは疑いようのないことだった。彼女の名も両性具有をうかがわせる「木星」ジュノ(ヘラ)=ゼウス――ジュピターであることは、偶然の一致にしては出来過ぎた事実ではあるのだが……。

 太陽系をまっぷたつに分けた戦争は、科学者の戦争といえた。
 地球勢力にあってはトロイヤが、ツァオベラー勢力にあってはアグリオスがその立場にあったといえるだろう。 
 彼らは一体何を求めたのだろうか。
 遠くない地球の歴史に、名を残す二人の科学者がいた。同じ時代を生きた二人の男の名は、フォン・ブラウンといい、ロバート・オッペンハイマーといった。
 ブラウンは宇宙に憧れ、ロケット技術の開発に情熱を燃やした。一九三〇年にはドイツ宇宙旅行協会に入会している。
 ある時期、彼はナチスを利用し、はたまた利用されて、V−1、V−2ロケットを開発してロンドン市民を恐怖のどん底に叩き落としたこともある。だがこの幸運な男は、戦後アメリカに亡命を果たして、科学的才能を見事に開花してみせたのだ。
 人類を月面に到達させたサターン五型ロケットは、この男の才能あってのものだったのだ。
 一方のオッペンハイマーは戦争の惨禍を止めるために、原子爆弾の開発に携わった男である。もともとは、中性子星やブラックホールの研究をしていたオッペンハイマーも才能を開花はさせたものの、それは悪魔の兵器を生みだしてしまったという結果に至ってしまったのだ。
 ブラウンは自身の功績に満足してこの世を去った。だが、オッペンハイマーは「原爆の父」となった自身を呪い、自らを責めさいなんでこの世を去っていった。
 二人の科学者が産み落としたロケット技術と核兵器技術がひとつになったとき、地球上で最悪の兵器が誕生した。大陸間弾道弾ICBMがそれである。
 科学の暴走を止めえる存在。それが何であるのか、私にはわからない。
 しかし、ひとつの研究ともうひとつの研究が組み合わされたとき、怖ろしい兵器が完成するということだけはわかるのだ。歴史がそれを証明しているといえよう。
 こうした悲劇をとめえるもの。それが新星人であるとは言わない。しかし、そうした可能性がひとりひとりの人間の内奥にあるのではないか。私はそう思うのである。
 誰かを救おうとする精神と、誰かを助けたいという精神が合一したとき、新星人は生まれるのであろう。
 二人の科学者の研究が寄り合わされたとき、最悪の兵器ができあがったというなら、その逆もまたしかりと考えることは決して誤った思考方向だとは思えないのである。
 二人の科学者の優れた医学的研究が合一したなら――その結果を夢想することはおかしなことであろうか?

 <アンドレイア・フィーリア>号――「利他愛への挑戦」号は、いまも休まず地球を目指して進んでいる。
 船内にはアグリオスの残したデータがある。そして地球では日々にユピテールが熱心に研究を続けているのだ。

――完――


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第71話〜第75話ヘ

―#80―




俺たちは今ここに
王になるべくして生まれた
俺たちは宇宙の王子なんだ
そしてこの世界で、悪魔的パワーと戦って生きのびる

俺たちは今ここに
宇宙の王子として生きている
そしてこの世界にあって、戦って生きのびる者
自分自身をルールとしてだ

俺は不死身の存在だ
王たる血が体内を駆けめぐっている
好敵手はいない
俺と同格の存在などありはしないのさ
俺自身が未来を作る者なのさ

王になるべく、王子として生まれて
自由を友として戦いつづけ、世界をこの手に掴む
そしてここで、君の愛に支えられ、膝を屈することもない
俺たちは宇宙の王子として生まれたんだ
誰に理解されなかろうがかまわない
我が力は自らの手中にあるのだから

人はいろいろ言うのさ
「なんだかあなたは辛そうだ」とね……
けどおれは男なんだ、いかなければならない
月を飛びこえ星々を手に掴もうとする
我が剣を頭上に高々と掲げたまま
はじめての経験を求めて
人々が僕のことをどう思っているのかは知っている
それを毎日のように耳にするんだ
しかし、俺は正義を証明しなければならないんだ
なぜなら、俺が戦っているものは、俺自身ですら未経験のことなのだから

よし! さあ行こう! どんどん行こう!
俺が飛ぶのを見ていろ!
女たちを導いているのを見ろ!
さあさあ! ほらほら! どうした!

俺たちは今ここに
王になるべく、王子として生まれて
俺たちは今、世界とともにある

王になるべく、王子として生まれて
自由を友として戦いつづけ、世界をこの手に掴む
そしてここで、君の愛に支えられ、膝を屈することもない
俺たちは宇宙の王子として生まれたんだ、それを忘れるなよ!

(女子の方は王子を王女=Princessにして歌ってくださいね^^)
(むろん王のところは王女=Queenにですよ☆)

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 法皇イブラヒームの謁見の間に、一人の女が跪いていた。いや、その者を女と呼ぶことは正しいことではなかった。その者は両性を具有する異能の人種であったのだから。
「エロス、今日はなんの話だ? 余はお前の話をあまり好かんのだがな」
「は! ですが今日はお付きあい願います」
 全身を白の衣装でおおったエロスの足元には高次元鞭が置かれていた。武器を体から離しておくことは、謁見の間にあっては仕来りとなっていたのだ。
「法皇猊下、あなた様は罪なお方です」
「なんと?……」
 イブラヒームの表情が一瞬にして曇り、怪訝な眼差しがエロスを突き刺しはじめた。
「罪なお方と申したのです」
「卿は何をもってそう申すか。今日の卿の立場を築いてやったのは余のはずじゃがな」
「さあ、それはどうでしょうか?」
 法皇の握られた拳が白く変色して怒りを滲みださせていた。
「エロス、頭をあげよ。余の顔を見てそう言えるなら、言ってみよ!」
 ――ようやくかい。あたしがそれを望んでいることにも気づかないようだね。あんたは老いぼれたのさ。そう、力を過信しすぎたのさ……。
「はは!」
 エロスとイブラヒームの視線が激突して白燐が燃えるような火花が散った。
「いい加減にしなよ、船長。あたしを手なずけられたとでも思っているのかい? あたしは目覚めちまったのさ」
「法皇猊下の前であるぞ! 言葉を慎め!」
 イブラヒームの左右に控えた親衛隊員が、槍と斧を兼ね備えたハルバードの鞘をはらってエロスに切先を向けていた。
「あたしが最も憎悪している存在、あたしの中に埋め込まれた怨念。それはあんたに対してだったのさ。けどね、あたしはあんたに騙されたのさ」
「…………」
「卑怯にもあんたは、あたしの姉さんを利用した。あたしのたったひとつの希望だった姉さんをだ!」
「貴様ー!」
 ハルバードよりも鞭のほうが早かった。金きり音を発して虚空を走った鞭先が一瞬にして二人の屈強な男を気絶させていた。金属の鎧が床にぶつかって重い音と振動を床に伝えていった。
 だが、エロスも頬に傷をうけ、鮮血が流れ出していた。
「お前はこういった。『姉さんを殺したのは地球人であり、DOXAの連中だ!』とね……。卑怯なお前は自分に向けられていた怨念を他に向けさせたってわけさ。あんたはあたしの怨念の強さを利用したのさ」
「…………」
 イブラヒームはエロスの怒声を耳にしながら、肘掛けの下にある熱線銃ブラスターをどうやって手に取るべきかと思案していた。
 立ち上がったエロスは一歩一歩と、イブラヒームににじり寄っていった。
「あたしはまんまと騙された。そしてあんたの忠犬になったのさ。けどねー、世の中ってのは面白いもんだよ。あたしを過去に送って、両親に再会させ、あたしはあたしの鏡のような存在に出会ったのさ。不思議な運命ってやつさ」
「鏡だ? お前はその鏡に何を見たというのじゃ!」
 エロスのダークブルーの瞳には満足の光があった。脳裏にはふたりの侍女の姿がくっきりと浮かびあがっていた。
「まあいい。あんたにはあたしの気持ちはわからないだろう。これで最後だ。あたしが怨念の炎を燃やすのはね。そうさ、それはあたしの人生を狂わせた<フィーリア>号の船長だったあんたに対してさ。イブラヒーム、死んでもらうよ!」
 エロスは死を覚悟しながら疾駆すると、高次元鞭を法皇に向けたあとスイッチを押した。
 法皇も女司教も時間の流れがやけにゆっくりしていることを感じながら、動かせる腕と足を使って相手を打ち倒そうとした。
「ふはははははは……どうやら、不発だったようだな。お前の鞭には熱線銃が仕込んであるのじゃろう。だが、肝心なときに不発とはな。どこまでいっても不幸な女だな、お前は。いや、女ともいえない出来損ないの化け物だがな」
 イブラヒームは落ち着きはらって肘掛けから熱線銃を取り出すと、エロスに照準をつけてから引き金に指をかけた――。
 瞬間、法皇は大量の血を吐いて、床にばたりと倒れたことに気づいたのだった。
「残念だったね。この鞭から撃ちだされたものは、目には見えないのさ。あんたにはお似合いさ。見えもしない人の憎悪を動かし、見えもしない人の怨念を利用したんだからね。さよならだよ、船長さん」
 イブラヒームが握っていた銃が床を滑っていった。エロスは俯せに倒れた男を足蹴にして仰向けにさせた。
 ――あたしが長いこと苦しんだ怨念はこれで消えうせた。けど、あたしの過ちによって死んでいった者たちは、あたしを許してはくれないだろうさ。あとは……懺悔の日々を送るだけさ。きっとあいつらはあたしを受け入れてくれるはずさ。こんなにも血まみれになって汚れきったあたしをだ……。
 エロスのダークブルーの瞳から穢れのない透明な滴が零れ落ちていった。
 ――あたしは知っていたんだよ。マレイカ。アイシャ。あんたたちがあたしを助けてくれるってことをね。あたしはあんたらを助けたなんて思ってやしないのさ。さあ、帰ろうエロス。帰るべき場所に……。あたしのいるべき場所に……。
 謁見の間をあとにしたエロスはクルーザーの置かれたデッキへと足早に通路を辿っていった。
 しかしエロスはそこに意外なものを見いだしたのだ。それは一隻の難破した救助ポッドだった。
「こいつはなんだい?」
 丸く分厚い扉を開くと、そこには白衣を着た男が横たわっていた。
「……アグリオス……お前かい! おい、しっかりしろ!」
 青ざめた顔をした男は、瞼を閉じたまま何も語ろうとしなかった。
 ――馬鹿な……あたしはあんたを殺すつもりなんてなかったのさ。なぜだい。せっかく見逃してやったというのに……なんであんたまで死んでしまうんだ……。
 エロスの滲んだ視界に、アグリオスが手にしていたデータディスクが映った。その側にはタナトスの入った香水瓶が落ちていた。
「これを届けようとしたのかい……しょうのない男だね。でも感謝するよ。ありがとう、アグリオス」
 それからエロスは白衣の男の亡骸をポッドに安置しなおして、宇宙葬に付したあと、クルーザーのノズルに高次元鞭を投げ込んで、<アンドレイア・フィーリア>号を目指したのだった。
 高次元鞭がオレンジ色の炎に焼かれて、宇宙を構成する物質になってゆく煌めきがクルーザーから流れ去っていった。
 その日、エロスが見た星空は、彼女が長いあいだ忘れ去っていたものを呼びおこしたのだった。
 それは純粋無垢という星の光だった。

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―#79―




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 地球軍の快勝を耳にしたニクスは天使が肩の上で微笑んでいるのを感じていた。
 ――新兵器の投入は見送るべきかもしれない。<アフリカ>の後ろ盾さえ失わなければ、地球勢力テランはツァオベラーに膝を屈することはないのではないか? 俺たちは今こそ忍従すべきなのかもしれない。しかし……もう生産ラインは動いている。それに参謀総長になんと伝えるつもりだ……。
「あなた、そんな張りつめた顔をしないで、ほら、アインスが怖がってるじゃない」
 ミルクの香りがニクスの鼻をくすぐっていた。シノーペは赤子を揺すりながら、ゆっくりとした足取りでニクスの横にやってきた。
「すまん。考え事をしていた」
「たまにはこの子を抱いてあげて。そうすれば渋い顔も少しはまともになるはずよ」
 すぐそこにシノーペの笑顔と、アインスの小さな手が見えた。
「まともな顔って……君は……」
 ニクスの顔がほころんでいった。
「怒らない怒らない。さあ抱いてあげて」
「んば……あんやー。んばばー……」
 父親に何かを伝えたいのか、アインスは盛んに声を立てていた。
「あなたの考えていたことくらいお見通しよ。生産にストップをかけたいんでしょう」
「まあね。そんなところだ」
「あなたひとりで抱え込まないで。女は言い訳が得意なのよ。そんなことも忘れてしまったの? それに演技力も抜群なのよ。ムーシコフ司令との電話でヒステリーを起こすことなんて簡単なのよ」
「…………」
 アインスはシノーペの言ったことが理解できたかのように、大きな笑い声をあげた。
「必要とあれば、意味のわからない理由で相手を説得だってできるわ。あたしを信じて」
「君も同意ってことか……」
「ええそうよ。というより、わたしはいつもあなたの味方なだけよ。ね、アインス!」
「マーマー! マーマ!」
「…………」
「パーパ! パッパァ!」
 それはニクスにとってはじめての経験だった。アインスが自分の父親が誰であるかを表明した瞬間だった。
「アインス……」
 気がつくと二人は声を合わせて合唱していた。
「パパー! ダメー! パパ、ダメン……ダメン……」
「これはいったい誰の口真似だい?」
「さあ、あたしはしりませんよ……」
 おかしさを堪えきれず、シノーペは俯いて笑っていた。失笑せずにはいられなかったのだ。
「この子に駄目といわれたら、仕方ないね。なにしろ未来はこの子たちのものだからね。……よし、生産は一時見送りだ!」
「了解よ! 連絡はあたしに任せて。あなたは離乳食をあげる練習をしてください」
 そういうと、シノーペは席を立って、工場や<アフリカ>に「生産停止」の連絡を入れたのだった。
 ときには泣き落とし、ときにはヒステリックに、ときには鷹揚にと、あらゆる手を使ってシノーペは相手を納得させていった。ムーシコフとのやりとりはさながら演劇のようであり、悲喜劇いりまじった凄まじさがあったが、シノーペは見事にムーシコフの首を縦に振らせたのだった。
 ニクスはその声を聞きながら、たどたどしい手つきでアインスの口にスプーンを運んでいたのだった。

 ツァオベラー勢力、聖戦団の総旗艦<ケイローン>の艦橋は静寂に満ちていた。思いもよらない敗戦が空気を沈滞させていたのだ。
「ヒドラ様、ヘルメス様から通信が入っております」
「よし、スクリーンに出せ」
 艦橋のメインスクリーンに映ったヘルメスの顔は青ざめ恐怖に歪んでいた。
「大司教様、こんなことをお伝えするのは真に残念なのですが、高次元砲が全て故障しました。というよりも腐食して使い物にならなくなったというのが正確な状態です」
「…………」
 ヒドラはヘルメスの言っていることの意味を理解できなかった。
「卿はなにを言っているのだ? きちんと説明せんか……」
「はあー……」
 ヘルメスは長い時間をかけて詳細を報告しつづけた。やがて、遅れて受信した高次元砲の画像や文字データを確認したヒドラはようやく状況を飲みこみ、ヘルメスとの通信回線を閉じた。
 ――こんなことがなぜ? なぜこうも急激にあの砲は腐食したのだ。設計にミスがあったとは思えない。それは何度も俺自身がこの目で確認したのだ。なぜだ?
 艦橋に不穏な静寂が漂いだしていた。
「ヒドラ様! 再度ヘルメス卿より通信がありました。第一級秘匿通信による至急電です」
「読め!」
 ヘルメスからの極秘通信は法皇イブラヒームが暗殺されたという知らせであった。
「…………」
 ――いったい何者が? いやまて、それはよい。問題はこれから先だ。
 ヒドラはその鋭い感性で覇権をめぐる内紛がツァオベラー勢力内で起こることを直感したのだ。
「全軍撤退だ。大至急この船を本星に戻せ。限界いっぱいの超光速航行も許可する。一刻も早く航路を算出せよ! よいか!」
「御意!」
 一時間後、聖戦団の全艦艇は木星宙域から姿を消し去ってしまった。
 地球軍のレーダー士がそれに気づいたのは、それから数時間後のことだった。

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―#78―



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 聖戦団のゲリラ攻勢はつづいていた。怒涛のように突進してきたかとおもうと、潮がひくように後退してゆく。地球軍の隊形や戦術が乱れない限り、無理な突進ひとつすることがなかったのだ。
 地球軍は捕まえようとすれば手の中からするりと逃げてゆくウナギと格闘するような苛々がつのり、いよいよ士気を下げていった。
「ここはどうあっても、一戦交えて勝ち戦をすべきときだな」
「適任は彼しかいないでしょう。もちろん、万全の援護と核への警戒は必要ですがね」
 ムーシコフとミマースは大筋で意見の一致を見ると、坦々と攻勢の準備を整えていった。各艦隊は一見すればヤルキなどどこにも見いだせない、開いてだらけた陣形をとってツァオベラーの攻勢を待ちかまえていた。
 ――そろそろヘルメスが帰ってくるな。であれば、少々の損害よりも、いまは戦果であろう。
「副官、通信せよ。サウラー卿にだ。まともな攻勢をかけて、奴らを弄んでやれ、とな」
「御意のままに」
 ヒドラの指示を受けたサウラーは、すでに戦闘には勝利したという居丈高な体で戦団を前進させてきた。オルキーにしてもヒドラにしても油断があったことは確かだった。
「セキ少将、これまでの鬱憤をはらしてこい! 前進だ!」
「承りました、司令!」
 このときのセキの眼光は猛禽であり猛獣であり、腹を空かした獅子だったのだ。第五艦隊の各艦は姿勢制御ノズルを使ってブレーキをかけながらメインエンジンを吹かすと、激流となってサウラーの「マフムード」団に襲いかかっていった。サウラーはこの速攻に翻弄され、兜を共鳴させて指示命令を大声で次々と下さざるをえなくなった。
「リアレス、ストレス発散の機会よ。どれだけ孕ませられるか勝負よ!」
「あんたなんかには負けないわ。あたしは親父の血が濃いんだからね!」
 女同士の会話なのかと耳を疑うような通信が終わるころ、ハンニバル中隊もまたニトロの高速を駆使してサウラー戦団の両側から襲い掛かった。小規模な戦力とはいえたが、ハンニバル隊の空腹感も凄まじかった。肉薄しては憤怒や憤懣や激怒や弔いや忸怩のビームを感情が爆発したかのように叩きつけたのだ。サウラーはこのとき鬱積されたエネルギーの放出がどれほど恐ろしいものかということを嫌というほど味わったのだ。
 ヒドラもオルキーもすぐに救援に赴こうとしたが、ヒドラは「二枚腰」のトレチャコフにはばまれ、オルキーはミマースにはばまれていた。地球軍は聖戦団の戦法を盗んで、つかず離れずの位置を確保して嫌がらせを満喫していた。
「やられたら、やりかえす。相手の戦法を盗む。これぞ戦場の基本だ。あまりいい気分ではないがな」
「士気を高揚させるには、こうしたやりかたが有効なのだよ。少々陰湿なやり方な気もするがね」
 ムーシコフもミマースも顔いっぱいに不敵な笑みを浮かべ、妖しい光を瞳に宿らせていた。
 彼らの副官たちは――間違ってもこの人を敵にまわしたくない――と、背筋に寒気を感じて上官を眺めやっていた。ミマースの副官になっていたウルカヌスはまた違う感情を抱いたのだが、これはどちらかといえば、上官よりだった。
 ――誰がセキをあそこまでシゴいたと思っていらっしゃるのやら……こっちの苦労も知らずに、いい気なもんですな、提督は――と。
 どちらにしても、このとき地球軍司令たちの誰もが会心の表情、勝ち誇った顔をしてみせたことだけは確かだったのだ。
「次の一手が上手くいけば、あの戦団は壊滅確実だな」
 その一手は意外な戦力によって撃ち込まれたのだった。「マフムード」団の下方に深くに潜伏していた潜宙艦戦隊が絶好のタイミングで長射程魚雷を放ったのだ。本数こそ少なかったが、潜宙戦隊は艦首の魚雷を発射しおわると、百八十度回頭して艦尾の魚雷を放ち、また回頭してという戦術を繰り返したのだ。時間差をもって迫る一二〇本あまりの長槍が突きだされるたびにサウラーの「マフムード」団は混乱していった。
「こいつは八〇一戦隊へのはなむけだ、よく味わえー!」
「八一三戦隊に哀悼を意を表しつつ、魚雷、発射トーピード・ロスト!」
 潜宙戦隊はかくして戦友の仇を思う存分に討ったのだ。汚名を挽回してみせたのだ。
 地球軍の攻勢はこれで終わらなかった。マックール旗下の第七艦隊が「マフムード」団の上方から襲いかかったのだ。
「俺たちの親分登場ってわけかい。やっちまえー!」
 潜宙戦隊の士気は鉄をも溶かす勢いで燃えさかった。
「あたしらの親父さんが来たよ。娘の獲物を奪おうなんていい度胸じゃない、そうはいかないのさ!」
 戦闘機隊と第七艦隊を結ぶ絆もまた勢いをまし、巨岩を貫く勢いでハンニバル隊の肉薄と銃撃も苛烈になる一方だった。
「もはやこれまでか……」
 サウラーの旗艦は傷つき、到るところが破壊され、作動していないシステムも多数あった。艦橋は防御壁や緩衝剤が焼けて立ちのぼった白煙におおわれ、血の匂いに満たされていた。
「グリ、あいつは旗艦じゃないかい? あの鎧を着た悪魔のマークの船だ」
「らしいわね。ならば、逃がしはしないわ、いくわよリアレス!」
 二機のハンニバルは翼を並べて突進した。ニトロの火炎と同時にビームの光条が幾筋もほとばしり艦橋に突き刺さるのが見えた。
「緊急回避!」
「イー・ヤー!」
 肺が押しつぶされて声さえ出ないような苦痛に耐えながら、二機のハンニバルはツォアベラー艦の甲板を擦るように駆け抜けていった。
 刹那、巨艦がまっぷたつに折れて大爆発を起した。
「いやっほー!」
「親父、仇を討てた気がするよ……」
 リアレスの頬をつたったひと筋の涙に送られて、サウラーは旗艦とともに宇宙の塵となった。
 旗艦を失った「マフムード」団は完全に統制を失い、地球軍が形作った包囲環に封じ込められて壊滅した。わずか一時間の戦闘だった。
「まだやれるじゃないか、我が軍は」
「あちらが物騒な新兵器を戦場に持ち込まなければ……ですがね」
 戦闘後、ミマースとウルカヌスの交わしたことが、現実化する日は近づいていた。
 その日、ヒドラはヘルメスから、戦場到着まであとわずかという通信を受け取っていたのだから……。

(つづく…… 前へ 次へ 第一話へ この記事の最初に戻る

―#77―




ipsilon at 15:22コメント(0)トラックバック(0) 

「マレイカ! どこにいるんだ、マレイカ! いたら返事をしてくれ! マレイカー!!」
 白衣の男はもう一週間も声を張り上げて侍従の娘を探していた。声は枯れ、サンダルはすり減り、服は汚れていた。
 ――なぜエロスもマレイカもわたしをひとりにするんだ……なぜだ!? 君たちはわたしに何を求めているんだ。わたしにどうしろというんだ……。
 ウルジュワーン根拠地には人の気配がなかった。衣食住は自動化されて不自由することはなかった。岩壁の部屋や通路には、やかましい音を立てながら歩きまわるうらぶれた男の姿しかなかった。男はさんざん歩きまわったすえ、疲れ果てて、結局は自室である研究室に戻ってくるのだった。
 ――わたしの居場所はここしかないのか? しかし、しかしだ! この研究が完成したとしたら、どうすればいい? どうすればいいんだ!?
 なんとか正気を保っているアグリオスは、倒れかかるようにコンピューターの前におかれた椅子に身を投げいれた。
「もう少しで完成するというのに……」
 モニターの画面には複雑な数式と人体の解剖図が映し出されていた。宇宙の真理を極めてしまった男。最悪の兵器を作り出してしまった男の目は人間へと向けられていた。しかし、それは普通の人間と呼んでよいものかと戸惑う存在であった。両性具有人種。一ヵ月に一度、雄と雌の機能の完備する異能の存在。
 アグリオスの視線と頭脳は、ただその一点に注がれていたのだ。
「タナトスの改良はこれで完璧だ。これであの副作用じみた苦痛からエロスを救うことができる。だが、彼女がどうしたいのかがわからない限り、この研究を進めようがないんだ! 教えてくれエロス……」
 ――君は女になりたいのか? 男になりたいのか? それとも、今のままでいたいのかを……。
「科学の目指す場所はたった一ヵ所だった。ただ頂点を目指せばすんだのだよ。しかし、この問題は違う。医療とは医学とは、患者の意思ありきなのだよ……。エロス、わたしには君が必要なのだよ……」
 アグリオスの眼は血走り、肌はその反対に血色を失い、肉体は白衣と同じようにくたびれ果てていた。だが男は自らを顧みようともせずに、コンピューターに齧りついて研究の完成を自らに課したのだった。残された生命をキーボードで入力するかのように。
 ――ようし、これでいい。エロス、君がどうしたいと思おうが、それを実現できる三つの解決策は完成した。あとは、これを……。マレイカ、頼む……姿を見せてくれ。エロスにこれを渡してもらわなければならないんだ……エロス……マレイカ……どこにいるんだ……。
 白衣の男、アグリオスは消え入りそうな意識の中で、ディスクにデータのコピーを終えると、コンピューターに残った記録を削除して、おぼつかない足取りで救助ポッドのあるデッキへと足を進めはじめた。
 ――心臓め、動け! うごくんだ。まだ止まるな。お前は動かなきゃいけないんだ。
 男は白衣のポケットから栄養剤と強心剤の薬液が詰まった注射器を取り出すと、針を腕に突き立てた。空になった注射器が手元から落ちて、岩でできた床に落ちて乾いた音だけを響かせて転がっていった。
 霞みはじめた視界に、岩ばかりの世界に、突如として金属の丸い扉が映った。アグリオスは丸扉の前で足を止めると、分厚い扉をひらいて中に体を滑り込ませた。男は、この世のものとは思えない重厚で厳粛な音を立てて扉が閉じてゆくのを耳にした気がした。
 ――あとは……あとは……これを押せば……。
 ボタンを押すのと同時にアグリオスは意識を失って床に頽れた。宇宙の真理を感じとらせていた心臓が脈動をやめた。宇宙随一の頭脳が停止して、ただの物質になっていった。太陽系最高の頭脳を誇った科学者、アグリオスはその生を閉じたのだ。誰にも看取られることもなく……。
 救助ポッドはノズルに青く静かな葬送の灯火をともして、ウルジュワーン根拠地を離れていった。銀色の金属で作られた柩はアグリオスの祈りともいえる遺言にしたがって、海王星のドゥオーモへの軌道をとるために弔いの炎をはなってポッドの姿勢を目的地に向けたのだった。

「マレイカ、何かが近づいてきます。ビーコンからすると、救助ポッドのようですが」
「回収はできそうですか?」
 壊れかけた<フィーリア>号のセンサーが捉えたのは、アグリオスの亡骸と彼の最後の研究成果を乗せたポッドだった。
 エロスが時空を超えてしまったことで、彼女が存在する周囲の宇宙空間が激しい時空振に揺すぶられ、過去と現在と未来があやふやに入り混じっていたのだ。エロスの存在そのものが常識を覆していたのだ。でなければ、過去にいるマレイカたちと、未来にいたアグリオスの亡骸が遭遇することなどありえないことだったのだ。
「相対速度がありすぎます。残念ですが無理のようです。センサーがもう少しまともに機能していれば……」
 マレイカは同情がこもったフィメールの声に鎮魂歌レクイエムの旋律を耳にして得体の知れない悲しみに打たれていた。
「父さん、母さん、何とかできませんか!?」
「残念ながら……」
「あたくし、あの救助ポッドを見過ごしてはいけない気がするんです。どうしてそんな風に思うのかはわかりません。でも心が痛いのです。とても痛いのです。何もできず通り過ぎてしまうことに、深い罪の意識があるのです」
 アイシャはマレイカの瞳が激震して涙が溢れでていることに気づいた。
「マレイカ……あなたは何も悪いことはしていないわ。泣くのはおよしなさい。この世界には仕方のないこともあるのです」
「でも、どうしようもなく悲しいんです。それにこのスカーフ。なぜこのスカーフが私の中にこんなにも悲しい気持ちを生むのでしょうか? わからないのです。どうしようもなく懐かしい感覚もあるんです。必死になって誰かとぶつかりあった。そんな気がするのです。でも、それが誰かも思い出せないのです。わからないのです。なぜこんな風になるのか……でも、心が絞めつけられて、とてもとても苦しいのです。あのポッドから底知れない淋しさを感じるのです。アイシャ様は感じませんか?」
「あたくしには……」
 マレイカは流れつづける涙をどうしてもとめることが出来なかった。滂沱のごとき涙は枯れることすらなかった。清廉な泉のように滾々こんこんと湧きいでては流れつづけたのだった。まるでアグリオスの罪を全て洗い落そうとするかのように。
 彼女の純粋さが感じとったのは、アグリオスの死だったのだが、もちろんそのことに彼女自身が気づくことはなかったのだ。
 広大無辺の宇宙にあって、誰人にも許されない罪を犯したといえるアグリオスではあったが、たった一人白衣の男を許せた者がいたとしたら、それはマレイカであったのだろう。どんなに数えきれない幸福を感受できたとしても、宇宙に自分を許してくれる存在を得たことは、アグリオスにとっては無上の喜びとなったことだろう。彼は不幸ではなかったのだ。

(つづく…… 前へ 次へ 第一話へ この記事の最初に戻る
第71話〜第75話ヘ

―#76―




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