小説・短編『名もなき生』

2014年07月01日

 夢を見ているのだろうか? そうではないらしい。わたしは、まぎれもなく現実を感じているのだから。長い時をすごしてきたから夢見がちなのだろうか? 昔を懐かしむ性質たちのせいだろうか? わたしは独りつぶやいた。
「不満なんてない」
 わたしの声に、周囲の空気が振るえるのがわかった。
「おやおや、そんなに驚かなくてもいい」
 飛び立った鳥たちに優しい言葉と笑顔を向けたあと、わたしはまた独り、もの思いにふけった。
 わたしの家族。もう二度と会うことのない家族。いや、そうではないだろう。彼らは折々季節にあわせて会いに来るのだ。わたしはそれを楽しみのひとつとしている。淡い黄緑色のTシャツ姿で、茶色のシックなスーツを着て、咲き誇る花柄のワンピースの裾を揺らしながら。溌剌とした芽吹きを思わせる香りをてて、わたしのまわりで遊ぶのは孫たちだ。
 三つ揃いのスーツにネクタイを締め、立派になった姿を見せてくれる息子たち。けれども、彼らの顔はどこかもの憂げだ。時には傷つき、疲れはて、打ちひしがれたようである。だが、息子たちの顔にはいつも満足があった。勝者の誇りをそこに見たのだ。
 それにくらべれば、娘たちは陽気なものである。歌い、踊り、おしゃべりに花をさかせては、わたしのことなど見向きもしない。彼女たちがいるのは、いつもわずかな間なのだが、娘たちの陽気さに惹かれて、多くの懐かしき友もわたしを訪ねてくれる。
 彼と彼女――懐かしき友たち――は無頓着だ。まったく無頓着なのだ。まるでわたしなどそこにいないかのように振る舞う。娘たちは冗談を言いあい、声高らかに笑う。ユーモアあふれた科白せりふで男たちを誘惑する。それで嫁いでしまった娘も何人かいる。
「しかたのない娘たちだ、お気に召すまま」
 わたしはいつも微笑んでいた。恋の季節は短いのだから。
「一瞬の出逢いを信じてゆけばよいのだよ」
 口元をほころばせ、わたしは一人ささやいたものだ。
 家族との時間はあっというまに過ぎる。それと比べれば、隣人たちとのいざこざは疲れるものだった。おれの足を踏むなとか、日光浴の邪魔をするなとか、もう少し離れていろとか、ときには息子や娘、孫たちのことにまで苦情をいわれる。なかには我慢強い隣人もいて、ただ微笑んでばかりいるものもいる。しかし、おおかたの問題はすぐに忘れてしまうのだ。それ以上に手厳しい親戚がわたしにはいるのだから。
 彼らとて、わたしをいじめようとしているのでないことは、知っているが、時折り耐えかねるようなことをするのだ。ふたつの肺にためこんだ空気で、わたしの子供たちを面白半分に吹き飛ばしてみたり。寒い日の夕暮れに、いきなりバケツで水をまき散らし、孫たちを怖がらせたり。かと思えば、出来合いの暖炉を運びこんで、耐えがたい暑さと渇きでわたしたちをいじめる。もっとひどいときには、吹雪の夜にわたしをたった独りでこの場所に立ちつくさせたりもしたのだ。わたしは親戚たちに幾人かの孫を奪われ、また幾人かの子供を肺炎にさせられてうしなった。口うるさかった隣人が耐えかねて崩れ落ちるように倒れた姿を目の当たりにしたこともある。わたし自身、乾燥した肌がボロボロと崩れるのをただ黙って眺めていることしかできなかったり、あかぎれやしもやけになった手足を温めることもできずに、茫々と涙を流したこともある。それとて驚くべきことではない。すべてはわたしの日常なのだから。
 しかし、そんなことでは納得のできないこともあった。
 わたしは一晩中泣いた。涙は枯れ、わたし自身が縮んでしまうのかと思うくらいに泣きくれた。声も絶え絶え、呼吸は苦しさを増すばかり、
「一体なにが起ったんだ! どうしたんだ! 教えてくれ!」
 枯れ果てた喉からふり絞ったものは声にさえならなかった。
 ある晩、見たこともない雨まじりの雪が降った。とたんに隣人たちが叫び声をあげた。
「おい、なんだ、なにが起っている!? お前、わかるか!?」
 その夜、うとうとと眠りにいざなわれていたわたしは、周囲の喧騒に眼を覚ました。雨まじりの雪に打たれた隣人たちが、なにかに苦悶していることはすぐに理解できた。彼らは大声でわめき、苦情を言い、絶叫していた。どの隣人も孫たちが遊びにきていて、彼らは必死に幼子たちを雨の痛みから、雪の冷たさから守ろうとしていた。だが、すべてが無益だった。夜があけてみると、口うるさい隣人とその孫たちは、苦悶の表情のまま倒れて動かなくなっていた。見るも無残な光景が目の前にひろがっていた。わたしはただ茫然自失したまま、そこに立っていることしかできなかった。もはや流すべき涙さえ忘れてしまっていたのだ。ほんの少し風向きが違っていて、雨まじりの雪にわたしが打たれていたなら、いまこうして、悲しい思い出話をすることさえなかったのだ。
 それから何日かが過ぎた頃のこと。わたしは一つの悲鳴を聞いた。あの我慢強い隣人の声に違いなかった。
「やめろ! やめてくれ! 僕がなにをしたというんだ!」
 ただ黙って耐え抜くことを知っている彼がどうして? わたしは全身に総毛たつのを感じながら、彼のほうへ視線をなげた。わたしは見た。わたしは聞いた。我慢強い隣人が声を限りに命乞いする叫びを、恐怖に見開かれた眼を。
「やめてくれー!!」
 次の瞬間、まだ若くてひきしまって肉付きのよい、我慢強い隣人の体が、くの字に折れ曲がってゆくのが見えた。
 いつからか、あたりに響き渡っていた、耳障りな甲高い金属音がそれとともに聞こえなくなった。
 とたんに彼の体が大地にくずおれる音が、あたり一面に木霊こだました。
「不満なんてない、驚かなくてもいい。これがわたしとわたしの家族と、わたしの隣人たちの日常なのだから。おやおや、そんなに驚かなくいい」
 わたしの声に、周囲の空気が振るえるのがわかった。いつしかそれは、わたしの口癖になっていた。すべての音が消え去ったあと、わたしは自分自身に、もう一度いい聞かせた。これがわたしの日常なのだから、驚かなくてもいい。
 わたしは名もなき一本の杉なのだから。

〜完〜


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約2481文字(文庫本約4ページ分)

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